2021/7/28, Wed.

 未来は、繰り延べと引き延ばし [﹅5] という意味をもっており、それをかいして労働 [﹅2] は、未来の不確かさとその危うさを統御し、所有 [﹅2] を創設しながら、分離を家政的な非依存性として描きだす。このためには、分離された存在はみずからを集約し、表象をもちうるのでなければならない。集約 [﹅2] と表象 [﹅2] は、具体的には、〈すみか〉のなかに住みつくこと [﹅14] 、あるいは〈家〉として生起する(160 f./225)。

 ここでは、レヴィナス特有の用語に彩られたこの一文を解釈することはしない。一読してあきらかなことは、つぎの二点である。第一に「労働 [﹅2] 」とは、「未来の不確かさとその危うさ」にかかわり、また、とどまることなく変転しつづけ、かたちを変えてゆく〈始原的〉な世界のただなかに「所有 [﹅2] 」を「創設」するものであるということである。第二には、そのために「分離された存在」すなわち〈私〉は、みずからを「集約 [﹅2] 」する必要がある。その集約あるいはとりまとめは、レヴィナスにあってはそして、「〈すみか〉のなかに住みつくこと [﹅14] 、あるいは〈家〉」(habitation dans une demeure ou une Maison)というかたちをとることになる。
 さて、そのとおりであるとすれば、ここには異様なこと、すくなくともただちには理(end36)解可能ではないことがらがかたりだされている。というのも、レヴィナスによれば第一に、私は〈すみか〉に住み込むことですぐれて〈私〉となるとされるからであり、第二には、ひとは〈家〉をもつことではじめて〈労働〉することができ、〈所有〉することが可能となるとされているからである。
 通常は、むしろつぎのように考えられるのではないだろうか。私がまず存在している。私は(ハイデガー的な意味であれ、ふつうの意味においてであれ)世界のうちに存在している。その〈私〉が、世界のうちに〈住まい〉をもうけ、〈家〉をたてる。家屋を建築することももちろん一箇の〈労働〉にほかならず、家屋敷は典型的な私の所有物にほかならない。つまり、まず私があり、労働して家をたて、家屋を所有する。その〈すみか〉がそれじたい世界のなかにすまう住まいかたのひとつのかたちである。
 ふつうはそう考えられるのではないか。だとすれば、レヴィナスの説くところは、通常の思考のみちすじのちょうど反対の方向をたどっていることになる。
 本節で以下みてゆくように、〈すみか〉をもうけることではじめて〈所有〉と〈労働〉が開始されると考えるレヴィナスの思考については、その発想がすくなくとも可能であることを示すことができる(三・4)。だが、〈家〉のなかで私がはじめて〈私〉となるという論点については、レヴィナス自身がじゅうぶんな説明をあたえているとはおもわれない。それはむしろ、『全体性と無限』の第二部をかたちづくる「内面性と家政」全体の基本(end37)的な前提なのであるといってもよい。「分離」という事態、それによって私が〈私〉となるできごとをかたるとき、世界からいったん身をしりぞけて、〈家〉にとじこもるというイメージが、おそらくはおもい描かれている。レヴィナスにとっては、「〈私〉とはとくべつな同一性であり、自己同定という本源的ないとなみである」(25/35)。みずからをみずからとしてみとめること、自己同定 [﹅4] は、そしてレヴィナスにあっては、〈すみか〉の内部で生起する。あえて卑俗にも響くいいかたをすれば、ひとの内面性 [﹅3] は家の内部 [﹅2] でかたちづくられる。「家という親密性における集約」とは、なにほどか世界からの「撤退」なのである(164/231)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、36~38; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 九時ごろにいったん覚めたのだがまた取りこまれて、一〇時すぎに離床。下の(……)さんの家に来客があって男児があいさつしていたのだが、いつも元気にさわいでいるあの男の子は(……)さんの子ではなくてほかの家の子だったのだ。たぶん(……)さんの子だろうか。この子は(……)ちゃんのことを(……)ちゃんとカジュアルに呼んでおり、またもうひとり、(……)ちゃん(……)ちゃんと女子をたびたび呼んでいたが、たぶんこれが(……)さんの娘だろう。カマキリを見つけたとかで意気込んで報告しており、どうもまわりにたくさんうようよいたようで、女児もこっちにもいると発見し、そのなかでたぶん(……)ちゃんらしき男性が子どもに合わせていちばんおおきな声をあげていたのがおもしろかった。
  • 寝床を離れるといつもどおり洗面所に言ってもろもろすませ、もどると瞑想。陽射しがかならずしもあきらかではないのだが、空気には熱があって肌に寄せてくるのがかんじられる。セミがシューシュー泡立つようなひびきをひろげており、鳥の声はそのなかにまぎれがちである。二〇分ほどすわって一〇時四〇分で切り。上階へ。母親は勤務のはず。父親はどこに行ったのか知らないが不在。きのうと同様、冷凍の豚肉のきのうつかった残りを切って卵と焼いた。米に乗せて、醤油をかけて混ぜながら食べる。新聞、一面には東京でコロナウイルスの新規感染者が二八四八人確認されて過去最高だというのでもう駄目である。高齢者の割合は三パーセント弱で、おおかたは三〇代以下の若年層だと。三面にも関連記事があって、若い世代でもあなどれず、嗅覚とかに後遺症がのこるケースもあるし、ばあいによっては肺が損傷してずっと酸素吸入をしなければ生きられないということになることもあると。後遺症はたしかに怖い。オリンピックの報も一面にはあり、ソフトボール日本代表が米国に勝手金メダルを取ったらしい。
  • その他国際面からいくらか。中国は河南省の大雨による水害で当局の対応に批判が出て政府は警戒しているもようと。七十何人だったか亡くなり、被災者は一三三〇万人にのぼるとかで、この数的スケールのおおきさが中国だ。河南省省都鄭州市で二〇日に地下鉄が浸水して十何人か亡くなり、初七日にあたる二六日に追悼の花をそなえるうごきが見られたのだが、何者かが一時柵を設置して献花しにくくしたらしく、それが追悼が政府批判につながることをおそれた党の仕業なのではないかと言われているようで、ネット上ではいったいなにをおそれているのかと批判があがっていると。あとダムの放水がおこなわれたことで被害が拡大したのではないかという声もあり、責任者は放水をしなければ決壊してそちらのほうがおおきな被害を生んでいたと言っているのだが、放水の知らせがなかったという報告もあるようで、周知が充分になされなかったのではないかと。鄭州市の市長だか党の幹部は習近平とちかしいと見られている人物らしい。
  • あと、バイデンが年内にイラク駐留米軍の戦闘行動を終了させることでイラク首相と合意と。駐留自体はおなじ規模のままつづけて、イラク軍に軍事訓練をおこなったりするという。あとは二面に、国家安全維持法違反ではじめての有罪判決がくだされたという報があった。国家安全維持法が施行された二〇二〇年六月三〇日のすぐ翌日、七月一日に、例の「光復香港 時代革命」というスローガンを記した旗を立ててバイクに乗った二四歳の男性が警官隊に突っこんで負傷させたというはなしで、これが香港の分離ひとびとに煽動する行為として認定され、国家分裂罪だかテロ行為だかそういったものに該当すると。量刑はまだ。
  • 食器をかたづけて、風呂へ。風呂桶をこすってながす。このとき窓のそとに見える道には日なたがいっぱいに敷かれていて、正午にちかづき暑くなってきているようだったが、空には雲もあるようで陽の色は完全に屈託がないわけではない。出ると茶を用意。一杯目を急須についで、待つあいだにゴミ箱を持って室に帰り、Notionを準備した。そうして茶を取ってくると飲みつつウェブを見、きょうのことをここまでつづって一二時二二分。
  • そのまま書見にはいったはず。ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)をすすめる。戦後、ドイツでの暮らしもすぎて、アメリカに移民したのちの「第四部 ニューヨーク」にはいる。二時まえにいったん部屋を抜け、洗濯物をおさめに上階に行った。天気は雲が増えて陽の色もなくなり、空は白っぽくなっていくらかよどんで、のちのち雨が来てもおかしくなさそうだったし、じっさい、このあとすこし通って、また夜の八時から九時にかけてのあたりにもにわかにはじまってしばらく降った。父親はシャツをまくって背と腹をすこし露出させたかっこうでソファに前かがみにつき、錦織圭となんとかいう海外の選手が試合しているのをだまってながめていた。海外の選手はイがさいしょについたなまえだったはずで、なんとなくハンガリーか? とおもったのだが、根拠はなにもない。吊るされてあったものを取りこみ、タオルだけひとまずたたんで洗面所にはこぶと階をもどる。そのあとまたすこし書見したのだったか? わすれたが、書見のあとはストレッチをおこなった。正直なところ、ストレッチは最強である。というかヨガ。こちらがやっているのはヨガというか、姿勢を取ってじっとしているだけの見様見真似のものだが、マジでヨガをやっているひととかは、からだのまとまりかたととのいかたがやはりかくだんに違うだろうなという気がする。
  • 三時ごろでまた上がって、食事を取ってきた。「ランチパック」のビーフカリー味があったのでそれをレンジであたため、あとはバナナを一本。たしか二二日の日記を書くまえに、先に食ったとおもうが。あとだったか? いずれにしても、出勤まえに二二日の日記をすすめて、そこそこ書きすすんだ。夜、モノレール線路下の広場まで行けたので、あとすこしでこの日の記述は終えられる。翌日の二三日がまた書くことがいろいろあるが。四時過ぎで切って外出の準備へ。歯を磨きながら(……)さんのブログの最新記事を読んだ。二六日分。そうして、四時二〇分から四〇分まで瞑想をしたはず。そうしてうえに行き、ボディシートで上体をくまなく拭いて(首のうしろや耳のきわなどまで拭く)、もどって着替え。薄青いワイシャツと紺のスラックスのよそおいにかわり、バッグをもって上階へ。うがいをしておき、仏間でものの整理かなにかしている父親に行ってくると告げて玄関へ。行くとき玄関を閉めていってくれと言われたので、出ると扉を閉ざして鍵をかけた。
  • 道へ。五時過ぎ。蒸し暑い大気。雨後だが涼しい風も通らず、もわもわとしたかんじがまとわりつく。(……)さんがきょうも家のまえに出て、脛を出したハーフパンツのすがたで身をかがめながら草をちぎっていたので近くからあいさつ。さらに(……)さんもやはり道に出て、宅のむかいのガードレール下の草を取っているので、こちらにも近くから声をかけ、雨が降ったけど、蒸し暑いですよねとはなす。車が通るあいだ、声が通りづらくなるので双方ともことばを発さずに待ち、その間のあとに、暑いですから、熱中症に気をつけて、と残して別れた。まもなく背後から、お父さんとお母さんもお元気で、とかかかってきて、ちょっと振り向いて、ええ、と肯定し、つづけてなにかを言おうとしたのだがうまくことばが出てこず、あいかわらずで、と半端な笑みで受けたのだけれど、これはほんとうは、お蔭さまで、的な定型句を言いたかったのだ。なぜかそれが出てこず、あたまのなかに二、三ことばがあらわれながら決めかねたあいだの短いが妙な間がはさまったのちに、うえのごとく変な言い方になってしまった。
  • 坂道へ。きょうも木洩れ陽がある。つまりこのころにはまた陽射しが出てきていたのだ。しかしやはり路上にかかるものはすくなく、左手のガードレールの隙間からほんのすこし漏れ出してごく淡いあかるみをにじませているが、まわりは全部日蔭になっているなかそこだけ濡れた路面の水気があらわに浮かんで、はぐれ者のようなひかりの切れ端のなかでこまかくちりちりと映っていた。まわりではアブラゼミが盛っていて、これ以上ないだろうとおもうほどの高音、ピアノ線をおもわせるような、これ以上いったらやぶれるだろうこわれるだろう破綻するだろうというような甲高さで、いきおいよく噴出する蒸気のように鳴いていた。街道まで出るときょうも西陽が露出しており、駅の階段を行くあいだはきのうと同様に身が漬けられて、こちらの影が右手に伸びて建物の屋根にはっきりとかたどられる。ホームではやはり日蔭のなか、それも柱で太陽がかくれる位置に立ちつくして待った。横向きの風があって身を通り、服の内まではいりこみながらながれていって、汗で湿った肌にそれは涼しく心地よい。丘のほうではセミがあいかわらず鳴きしきり、声は多方向から発生してひろく浮遊している。スズメがきょうは移動してこずすでに梅の梢のなかにはいっていて、電線にもあつまらずにあそんでいる。
  • 帰宅後、ベッドにころがって休みながら、ウェブ記事を読む。金井美恵子の連載、「切りぬき美術館 新スクラップ・ギャラリー」を最新のものまで読み終えたので、つぎは斎藤美奈子がwebちくまでやっている「世の中ラボ」という連載を読んでみようかなとアクセスし、読み出すまえについでにwebちくまの新着記事を見ていると、蓮實重彦が記事を書いていて、こんなところでやってたんかとおもって読んでみた。「些事にこだわり」という連載の、ひとつめ(「オリンピックなどやりたい奴が勝手にやればよろしい」(2021/6/10)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2427(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2427)))とふたつめ(「マイクの醜さがテレビでは醜さとは認識されることのない東洋の不幸な島国にて」(2021/7/15)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2459(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2459)))。とりたてておもしろくもなかったが。「ただ、そんな略語を口にするものなど一人としていないのに、新聞紙面には「W杯」だの「五輪」だのの文字が躍っている。「五輪」という語彙が恥じらいもなく書記的なメディアを駆けめぐっているのは、いったい何故か。それが宮本武蔵としかるべき関連があるのか否かも、謎といえば謎である。ことによると、野球チームの「侍ジャパン」という命名がそれを律儀に正当化しているのだろうか」などといっているのはちょっと笑ったが。オリンピックの「五輪」と『五輪書』をむすびつけて連想したことはなかった。第一回目のほうの記事は文調がいつもとちがって比較的簡素に訥々とかたるような感触とおもわれたが、二回目のほうは「わたくし」という一人称もつかっているし、ふだんとまあ変わらない。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 252: 「ところが、授業から伝わってくるのは具体的な事実に応用できない抽象概念で、崇高な秩序の永遠の法則に抵触しないものばかり。お門違いの場所にいるのだった。わたしという人間はなにしろ、一方ではメタファによって、もう一方では事実によってうかうかと横道にそれてしまう人間だったから」
  • 254: 「正直なところ、クリストフに恋していたわけではなかった。ただ、恋という概念が、異性の中にある自分と異なるものに魅了されることだというのなら、話は別だろう」
  • 257: 「クリストフとわたしがいっしょにいるのを何度か見かけた数人のユダヤ人学生が、まじめな話がある、とわたしを連れ出した。まずいよ、ユダヤの娘が非ユダヤ人 [ゴージム] とつきあっちゃいけない、おまけにドイツ人じゃないか。わたしはいきり立った。ドイツの女の子とつきあってるあんたたちはどうなのよ、どうしてわたしに指図できるの? いや、それとこれとは違う、おれたちは男だぜ、だれとつきあってもいいんだ」
  • 269: 「貧しかった。これまでの人生でお金がほとんどなんの役割もはたしたことがなかったので、わたしは貧乏というものを知らなかった」