2021/7/30, Fri.

 〈すみか〉とはなによりもまず〈ねぐら〉である。ひとはすみか [﹅3] で横になってくつろぎ、さらには無防備に〈眠り〉につく。眠ることは、〈始原的なもの〉が接している、匿名的な「夜の次元」(151/212)からの解放であり、撤退である。――眠るときにこそ、「私はたったひとりである」。私の眠りはどこへも移りゆくことがない。私は〈私〉のなかにとざされ、眠りは眠りの内部にとどまっている。そこには「他動詞的」なもの、あるいは「転移する」もの(transitive)がなにもない [註27: Cf. E. Lévinas, Le temps et l'autre (1948), PUF 1991, p. 21.] 。私は眠ることで、たったひとりの、この〈私〉となる。逆説的ではあるが、眠ることはひとつの主体の誕生である [註28: 「意識とはまさに、われわれが不眠(insomnie)のなかでみずからを非人称化することで到達するこの存在〔=ここでは「ある」(il y a)のこと――引用者〕にたいする避難所(abri)なのである」(E. Lévinas, De l'existence à l'existant, p. 111)。] 。この〈私〉はその意味では、私の〈家〉で生誕するのである。
 私が身体をもつ [﹅3] といういいかたは、なにほどか奇妙にひびく。私は私の身体である [﹅3] 。〈すみか〉は、私がそれである [﹅2] とまではかたりえないにせよ、しかしたんに私がそれをもつ [﹅3] ともまたいいがたいような、私の〈ありか〉である。レヴィナスがいうように「家」はたんなる「道具」ではない。それはまた、たんなる「享受」の対象でもない。「家の特権的な役割は、人間の活動の目的であるということにあるのではない。それは、人間の(end41)活動の条件であり、その意味では、人間の活動のはじまりであるということにある」。さらに、「自然がはじめて世界として描きとられるためにも」必要な条件を「家」こそが準備する、とレヴィナスはいう(162/228 f.)。〈すみか〉はかくて、たんに所有と労働の条件であるばかりではなく、同時に世界が世界として立ちあらわれるための制約なのである。なぜだろうか。もうすこし敷衍しておこう。
 ここで、シェーラー以来の哲学的人間学に由来する概念対を援用してことばを整理しなおしておけば、〈始原的なもの〉の世界はじつはいまだ世界 [﹅2] ではない。自然の贈与に浸された世界は、むしろ〈環境世界〉ないしは〈環界〉(Umwelt)――レヴィナスのことばでいえば〈もの〉の「環境」――と呼ばれてよいであろう。ひとはたしかに環境世界のなかで生き、環界にひろがる〈始原的なもの〉を享受している。だが、人間は同時に、たんなる環境世界を超えた〈世界〉(Welt)のうちにある。あるいは世界にたいして「ひらかれて」いる。レヴィナスによれば、そして、たんなる環境あるいは環界を超えた世界、〈もの〉たちの世界を、〈家〉によってはじめて可能となる所有と労働が切りひらくことになる。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、41~42; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • 一一時二五分離床。天気はよどみがちな曇り。窓のそと、ネットに沿って繁茂した蔓や葉のなかで、ゴーヤがいくつかおおきくそだって取りごろになっている。三三分から瞑想。二〇分間。暖気が窓のほうから肌のてまえまでちかづいてくるのをかんじるものの、すわっているだけで即座に汗が湧いてくるほどの暑さではない。セミは増えて、ジャージャージャージャー鳴き声を撒き散らしている。アブラゼミの拡散のなかにミンミンゼミがややうねるとともに、ツクツクホウシの声も今夏はじめてあらわれた。ホーシン・ヅクヅクヅク、ホーシン・ヅクヅクヅクと例のヘヴィメタルのギターとそっくりなリズムを刻んでいる。
  • 瞑想をしながらおもったのだけれど、いつまでも実家に置いてもらってもろもろの雑事などを担ってもらっている現状でさえ日記のいとなみが満足に立ち行かないありさまなので、やはり書くことを減らしていかねばならんなと。そもそも、こんなものはいつやめたっていいのだという、投げやりな気持ちを積極的によそおっていくこころになった。毎日日記を詳細につづるということを大前提にするからなかなか生がひらけないのであって、そんなことはどうでもよろしいと投げ捨ててしまえばどうにでもなる。死ぬまで毎日生を記録するという野心をいぜんはおりおりよく表明していたが、そんな誇大妄想はさっさと捨てたほうがよろしい。こだわりをひとつひとつ捨てて解放され、楽に生きるのが吉だ。とはいっても日々を書くことをまったくやめる気にはいますぐにはならないが、こんなものはべつにやめたっていいのだというこころをあらためて認識して、多少重荷が減った気はした。とりあえずは書くことがらをすくなくしようとおもう。もうすこし断片的に、一日をつなげず、おおきく印象にのこったことだけを記すように。日記にさく労力を減らせば、そのぶんものを読んだり、ほかの文をつくったり、家事をこなしたりもできる。といってそういう意図もこれまでに何度か漏らしていて、それなのにけっきょく実現できていないので、どうせまた気づいたら詳しく書いているのではないかとおもうが。
  • とにかくおのれを楽にすること。
  • 食事はうどん。母親は勤務。きょう、夕方に帰ってきたあと、六時半だかにコロナウイルスのワクチンを接種しにいくらしい。
  • 一時すぎか二時ごろだったか、雨が通った。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読了。
  • Keith Jarrett, Jan Garbarek, Jon Christensen, Palle Danielsson『Sleeper: Tokyo, April 16th, 1979』をストレッチ中に。"So Tender"をきいたが、Palle DanielssonとJon Christensenのリズム隊はなかなかのものではないか。"Oasis"も色気はないがけっこうおもしろい。このパーカスはなんなのか、だれがたたいているのか。タブラか? もしかしたらJarrettがたたいているのかもしれない。フルートはJan Garbarekだろうし、ベースもきこえるし。Christensenかもしれないが。
  • 新聞。東京はきのうの新規感染者が三八〇〇人ほど。全国でも一万人をはじめて超えたとあったか? もう駄目である。地域面を見ても、我が町(……)も一〇人だし、(……)は五〇人、(……)や(……)も三〇人ほどで、潜伏期間をかんがえるに、一週間まえに街に出たこちらが感染していてもおかしくはない。
  • 国際面にミャンマー関連の記事。国連大使のなんとかいうひとが、二月のクーデターのあと、同月末以来国軍への抗議を国連の場で表明しているが、国際社会はそれにこたえられていないと。例のごとく、米英と中露で立場が割れているからである。国軍はこの大使にたいしてもちろん激怒しているらしく、このひとはいまどこにいるのか、国連本部のあるニューヨークにいるのかわからないが、ミャンマーに帰ったらふつうに殺されるのではないか。クーデター以来、弾圧によって殺されたひとも数百人規模になっていて、国民の声として、国連が行動を起こすには何百人の遺体が必要なのか、という言があって、それによって自責の念にかられたこの大使のひとが奮闘しているということだが、この市民の声はBob Dylanの"Blowin' In The Wind"を思い起こさせずにはいない。
  • 全米各地の孔子学院がつぎつぎに閉鎖されているとの報も。中国語をまなんだり中国文化の普及を促進するための機関で、大学内などにあるらしいのだが、中国政府の政治宣伝につかわれているからだと。一七年には一〇〇以上あった孔子学院が、いま四〇くらいにまで減っているらしい。中国側は、かたよったイデオロギーによる一方的な強制であるみたいなことを言って、むろん反発。
  • 四時。雨はない。雲もいくらかひいたようで、そとの家壁に多少陽の色が見られる。
  • 夕食時に母親が言っていたが、朝、出勤前に、居間のなかにヤモリがはいりこんでいたらしい。時間がなくてそとに出すことができず、帰ってきてからはすがたが見えないと。コロナウイルスのワクチンをきょう打ってきたのだが、いまのところ特に副反応はないようす。
  • 五時すぎで出勤。林から湧くセミの音響がもうかなり旺盛になっており、はげしい。いろいろ混ざって、ざらざらしたような質感になってきている。公営住宅まえを行っても公園に立っている桜の樹からミンミンゼミが鳴いていて、音までの距離がちかい。
  • そういえば家を発つまえに三分間くらいだけソファにすわって瞑目していたが、そうするとわりと涼しげなながれが窓からはいってきて、それが、あれは雨後の大気のにおいなのか、なんらかのにおいをはらんだもので、なにともつかないのだが土か草か水か不快なかおりではなく、湿っていながらもさわやかみたいな感触だった。
  • 最寄り駅のホームではベンチについて瞑目。風がそこそこ吹いて涼しくここちよい。
  • 電車内、座ったむかいに高校生か大学生か、若い男性が五人ほどならんでかけていて、みなおもいおもいの姿勢で寝たり起きたりしていて、漫画の扉絵みたいでちょっとおもしろかった。両端とまんなかの三人が眠っていてあいだのふたりが起きていたとおもうが、左端のひとは片脚を、組むのではなくて足先をもう一方の膝のうえに乗せるようなかんじで不遜じみたポーズのまま眠っていたし、まんなかの者は足をひらいてややまえに出し、あたまもうしろにかたむけていかにも無防備にねむっているというかんじの堂に入った眠りようだったし、右端のひとりは上体を完全にまるめてまえに倒し、じぶんの膝のうえに身を投げ出すようにして顔もみせずに眠っていた。右からふたりめの携帯をいじっていたひとはたしか黒シャツで眼鏡をかけており、短髪気味のあたまだったとおもう。左からふたりめはよく見なかったので記憶にない。
  • (……)について降りるとすぐあしもとに財布が落ちていて(茶色の、あれは縫い目がいくらかはいっていたのか、表面が完全になめらかではない革財布で、たたんだ状態だとほぼ正方形)、それをひろいつつ周囲を見たが落としたらしきひとは見えず、乗り換えていったひとが落としたのか、ことによると先ほどの若者らのだれかかもしれないとよぎったところで駅について運転席から出てきたらしい車掌もしくは運転手あるいは乗務員があるいてきたので、すいません、これ、いまここに落ちてたんですけど、と言ってわたした。ほんとうは乗り換え先の電車に乗って持ち主をさぐったほうが良かったのかもしれないが、すぐに発車してしまうところだったし、面倒臭いし、こちらも勤務にむかわねばならないというわけで、その駅員にまかせることに。
  • 夕刊、阿部寛がマレーシアの映画に出たらしい。庭師の役で、借景が重要なテーマになっており(たしかタイトルもその語だったのでは)、演じるために借景について本を読んで勉強し、庭師にはなしを聞いたり寺院にでむいたりしたところが石の借景の意味がどうしても飲みこめず、腑に落ちないまま撮影にはいったところ、石がでんと置かれているロケ地の風景を見て、こういうことなのか、と一気にピンときた、とかたっていた。
  • 帰り道、最寄り駅で降りると、夜空がときおりシャッ、とあかるむ。それにつづいてうなりがきこえるので、かみなりがとおくで生まれているらしい。坂をくだって平らな道をいくあいだ、ほとんど切れかかっている蛍光灯がつかの間かろうじて復活するようにして間歇的に天一帯をあまねくはしるその微発光(あかるみのはじまりから終わりまで一秒もない気がするが、あかるむと消えるまでずっと平板にひかったままでいるわけではなく、一秒のあいだにも何度かふるえる痙攣性のひかりというべきうごきであり、ひかればそのときだけ、昼のようにとはさすがにいえないものの、宵前の暮れ方くらいにはたしかにあかるくなって夜空の低みにわだかまっている雲の白さがあらわに映る)に魅了されたようになり、ほとんどずっと空を見つめていまかいまかとつぎの発光(とそれにつづいて遠くからつたわってくる、巨大ななにかか空間そのものがつぶれて崖崩れのごとく崩壊しているかのような、ぐしゃぐしゃとした、ある種水っぽいかのような質感の鳴りひびき)を待ち受けながらあるいた。
  • この翌日が朝からの労働で六時半にアラームをしかけたのに、三時すぎまで夜ふかし。
  • 勤務中のことは面倒臭いので省略。おもいだしたらまた書く。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 340: 「役割からはみ出すものだけが、わたしを晴れやかにする」