2021/8/1, Sun.

 レヴィナスは、欲求が人間にとって欲求であるのは、世界との隔たり、貧困という「危険をかえりみない亀裂」によるとかたっていた(二・2)。欲求を充足させているとき、つまり享受しているさなか、ひとは環境世界を同化している。環境にたいする依存は、つぎに飢え渇くまで「繰り延べ」られる。欲求とはこうして、「時間をかいした依存」である(二・3)。――享受は感覚である。あるいは「感受性が享受である」(144/201)。「この葉の緑、この夕日の赤」を、ひとはつうじょう「認識」するのではない。「ひとはそれを生き」、感覚するだけである(143/200)。感覚としての享受は、〈始原的なもの〉にいつでも〈遅れ〉をとることがある。享受の対象がすでに過ぎ去って [﹅5] しまうことがありう(end47)る。緑は消え、陽は私がその残照を愉しむまえに暮れ落ちてしまうかもしれない。地表を潤す雨は、ほどなく大地へと消失してしまうことだろう。この「〈始原的なもの〉にたいする感覚の遅延を、労働がふたたび取りもどすことになる」(149/209)。たとえば、流れ去る川の水は手で掬われ、雨水が容器にあつめられるようにである。
 ひとはたしかに、大気や光、風景によって [﹅4] (de)生きている。私と世界との始原的な関係は享受というかたちでかたどられる。だが、労働もまた「それによって [﹅4] 私が生きるもの」(ce dont je vis)となる。労働の必要は、享受の繰り延べをかいし、その延長上にうまれる。いまや「〈私〉は、大気によって、光によって、パンによって生きるように、私の労働によって生きる」(156/219)ことになる。
 労働の必然性は、「身体」が、渇きの危険と充足の歓喜との二重性、あるいは享受の「幸福」と「憂い」との両義性の「継ぎ目」であること(二・3)からうまれる。しかし同時に、およそひとがはたらきうるということ、労働の可能性もまた、身体によって保証されている。私は身体であることをつうじて [﹅4] 、身体によって [﹅4] 労働することができる。「労働は身体という構造を有した存在にとってのみ可能」なのである。身体であるとはしかし、〈他なるもの〉において自己を所有することであった。だから労働は、「〈私〉ではないものとの関係において [﹅6] (en rapport avec le non-moi)のみあるような存在にとってだけ」可能なのである(180/251 f.)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、47~48; 第Ⅰ部 第三章「所有と労働 ――世界に対して〈手〉で働きかけること――」)



  • Charles Lloyd『The Water Is Wide』をながしつつ「読みかえし」ノート。#8の"Song of Her"って、これって六一年のVillage VanguardBill Evans TrioがやっているLaFaro作の"Jade Vision"とほぼおなじでは? と気づいた。"Song of Her"はたしか『Forest Flower』か『In Europe』か、どちらかのライブの四曲目でもやられていた記憶があるから、六〇年代にはもうできていた曲のはず。
  • 夜ふかしをしたので正午の離床になる。きょうは瞑想できてよろしい。食事はカレーののこり。
  • 新聞、ミャンマーの記事。医療関係者がいわゆる不服従運動とコロナウイルス対策のあいだで板挟みになって揺れていると。あとあれだ、国軍に資金をあたえないため、企業にたいして納税拒否を呼びかけたり税をはらわないようにするうごきが三月いらいひろがっているらしく、関係者によれば民間企業の九割が市民の声を受けて納税拒否をしたというのだけれど、そんなにおおくなるか? 欧米も国軍系企業の海外資産を凍結するなどの制裁を課しているものの、もともと海外資産はそれほどおおくないからあまり打撃にはならないだろうとのこと。また、たしかきのうだったとおもうが、このおなじミャンマーについての連載では、国軍への抗議活動に参加するか否かで家族が割れたり、抗議者の側でも対立や葛藤が起こっているとのはなしがあった。味方/敵の二分法にもとづき、消極的態度が敵側への積極的加担と同一視されてしまうおなじみの状況ということだろう。民主派の側にも武装勢力があらわれて、国軍に加担しているとみなされた役人とかを殺害する事件が起こっている。
  • おとといにルート・クリューガーを読み終えていらいつぎはなにを読もうかなとまよっていて、きのうはバルトの『サド、フーリエロヨラ』でも読もうかなとおもっていちど手に取りはしたのだけれど、朝からの労働をすませてきたあとで睡眠がとぼしかったから一ページも読まないうちに眠気にやられて死んでしまい、その後もまよいつつきのうはだいたい「読みかえし」ノートを読みかえしていたのだけれど、きょうにいたって、なんか『失われた時を求めて』でもまた読もうかなという気持ちが起こって、光文社古典新訳文庫のほうも読みたいのだけれど、ちくま文庫井上究一郎訳が一巻だけあるからとりあえずそれを読もうとかたまった。それでいま三〇ページほど。プルーストの小説はいわゆる「無意志的記憶」とかいうタームでかたられ、回想とか記憶のはたらきとかをあつかったものとして有名だが、冒頭からまさしく回想と、話者が回想するさまをえがいているのだなといまさら意識する。「長い時にわたって、私は早くから寝たものだ」(7)という例の有名な書き出しからして過去の習慣を回顧するいいかただし、眠りのあいだも「さっき読んだこと」(7)をおもいだしているし、すこしすすむと、真夜中にねむりからめざめたとき(はやい時間から寝るので、夜中になって目をさましてしまうということだろう)のあいまいな意識のなかで、「かつて住んだことがあったいくつかの場所」や「いつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想」(11)が到来して、それが、夢うつつの状態でつかの間自己のアイデンティティをなくしていた「私の自我に独特の諸特徴を再構成する」(11)と述べられている。さらにまた、起きたときもしくはねむっているあいだの肉体の姿勢を媒介にして過去にねむりをすごした部屋の記憶がよみがえると言われ、おそらくはもうそこまで意識が茫漠としていないとおもわれる状態、「目ざめにつづく長い夢想のなか」でも、「ついにそれらの部屋のすべてを思いだすようになった」(13~14)という。その言につづけていくつかそうした部屋の描写がなされているが、冒頭から一〇ページほどつづくこういう想起への言及が終わって一行あけがはさまると、幼時をすごしたコンブレーの大叔母の家での生活が、もろもろの記憶のなかから、とくになんの根拠も明示されずになかば特権的ともおもえる無造作さで選び出され、かたりつがれることになる。そのまえ、一行あけの直前で、目が覚めて記憶に「はずみがつけられ」た「私は、すぐにはふたたび眠ろうとせず」、過去のいろいろな場所や生活や見聞きしたことを想起しながら「夜の大部分を過ごす」(16)といわれているので、これらの回想は不眠のテーマにもつらなっているのかもしれない。
  • 習慣についての言及も序盤はやくから見られる。15にすでにあり、コンブレーのはなしにうつった17でもまた登場するが、どちらにおいても習慣はひとの精神をしだいに麻痺させてさいしょはおおきかった苦しみを耐えられるものにしてくれる、というはたらきとして述べられている。幼時の記憶ではそのはたらきのおおきさがより顕著だというか、ひるがえって子どものころの話者の神経過敏な性質があらわで、おさないころの話者は母親や祖母からはなれて寝室におくられ寝床でじっとしていなければならないのが憂鬱で、その未来を先取りして夕刻にはもう苦しんでいるのだけれど、そういう話者をなだめるために家族は彼の部屋で夕食まえに幻灯を見せてくれる。その幻灯じたいはうつくしく魅力的なものだし、そこで展開されるジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの伝説にもおさない話者はひきつけられているはずだが、しかしいっぽうで、「そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった、なぜなら、照明の変化だけで、私が身につけている自分の部屋の習慣がこわされたからであり、そんな習慣のおかげで、就寝の苦しみを除けば、私の部屋はがまんができるものになっていた」(17)とも述べられるのだ。だから、それじたい魅力的なものであっても、それが闖入して安定した習慣的秩序をこわすというだけで苦しみをもたらしているわけで、おさない子どもの話者はそうとうに神経過敏というか、かなりかんじやすい、周囲の環境の変化に影響されやすい性質だと評価できるはず。
  • アイロン掛け。窓外ではセミが鳴きしきっており、アブラゼミやミンミンゼミが盛っているなかにカナカナの声も、ちょっととおくからだからあまり芯をかためず、空回りする鈍い金色のちいさな車輪もしくは指輪みたいなかんじでただよってきて、陽をかけられた南の山の緑の不動を見るかぎり風はあまりなさそうで、夏至はもう一か月以上まえになったがこの時間でもまだまだあかるく空に雲は見えないものの悠々とひろがっている水色は淡く、(ロラン・バルトがつかう「意味素」とかの語にならって)微雲素とかあるいは雲粒子とでも呼ぶかそういう雲のもとが溶け混ざっているようすのひかえめさであり、午後五時直前の橙色にかわいたひかりをかぶせられた山はその下であたたかにしずまってあかるい緑をさらにほがらかならしめている。しかしそれからちょっとシャツを処理してふたたび目をあげると、五時を一〇分すぎた時点でもう先ほどの山の緑と混ざった橙色が消えており、シャツをハンガーにかけたり吊るされた寝間着をたたんだりするために立ち上がれば、地上にはサルスベリのつよい紅色が点じられているものの、空は先ほどよりもますます淡くなりその下端からは乳白色がにじみだしていて、そのむこうから紫色もそろそろ浮かんできそうな風合いだった。
  • 二三日の記事をようやく書いた。楽に、すらすら書けてよろしい。いぜんもかんじていたが、一定時間つづけて音読すると、そのあとで文を書くのがかなり楽に、かるくなる。これはじぶんの体感としてはまちがいない。
  • いま九時まえ。なんか意識がすこしつかれているかんじがあったので、目を閉じて休もうとおもい、音楽を聞いた。Red Hot Chili Peppers『By The Way』のつづき。音楽鑑賞はいちおうアルバム単位でやっていきたい。"Tear", "On Mercury", "Minor Thing"の三曲(#12から#14)と、もどって"By The Way"に"Can't Stop"。#12と#13はとくになんの面白味もかんじないが、"Minor Thing"の小気味よさはなかなか好きだ。このアルバムでいちばん良いとかんじるのは、やはりなんだかんだいっても"Can't Stop"と、それにこの"Minor Thing"あたりだろうか。とちゅうの、半ラップ調というか、ラップというほどでもないがメロディがなくなってリズムに乗せたかたりみたいになるところは、うーん、なんかなあ、という気もするが。"By The Way"とか"Can't Stop"のラップ風のところはまあ良いとおもうのだが。とはいえこのアルバムでのAnthony Kiedisは全体的にわりとヘロヘロしていて、"By The Way"だってボーカルはリズム的にそんなに緊密にはまっているというわけでなく、もうすこしきっちりするどく切れたほうが良かったんでは? ともおもう。"Can't Stop"のほうは、テンポもおそめでもったりしたかんじの曲だし、あれでうまくなりたっているとおもうのだが。
  • 「楼閣をめぐる赤子の精霊よ今宵の月を死後にうつして」という一首をつくった。
  • 「太陽がいちばん大きかった日の焼け野原にも蝉は鳴いたか」という一首も入浴中につくった。
  • 新聞の書評ページで気になった本は、吉見俊哉『東京復興ならず』(木内昇選)、アリス・ゴッフマン『逃亡者の社会学 アメリカの都市に生きる黒人たち』(小川さやか選)、佐佐木隆『万葉集の歌とことば 姿を知りうる最古の日本語を読む』(飯間浩明選)、柯隆『「ネオ・チャイナリスク」研究 ヘゲモニーなき世界の支配構造』(国分良成選)、田中輝美『関係人口の社会学 人口減少時代の地域再生』(稲野和利選)、ダニエル・ストーン『食卓を変えた植物学者』(中島隆博選)、南博・森本恭正『音楽の黙示録』、田嶋隆純『わがいのち果てる日に』。田嶋隆純というのは巣鴨プリズン教誨師をつとめた僧侶らしく、そのひとによるBC級戦犯の記録で、六八年ぶりの復刊だという。Wikipediaを見ると、このひとは「チベット語に訳された仏教文献の精査解読とそれに基づくチベット訳と漢訳の仏典対照研究の先駆けとなった仏教学者」で、河口慧海に師事したり、ソルボンヌに留学したりしている。ほかにとくに気になるのは、アリス・ゴッフマンと柯隆だろうか。俺はいつのまにか、政治学社会学方面が好きになったのか?
  • この前日だか前々日だかに(……)さんから手紙が来ていて、夕食時にそれを見せてもらった(草原みたいなところでなにかやっている(……)のうしろすがたとか、施設の祖母を正面から撮った写真なども同封)。便箋に自筆でつづられたもので、なかなか達筆風であり、内容はさいきんの日々の報告といったかんじの他愛のないもので、本人も「どうでもいいような情報ばかりですが」みたいなことを末尾に記していたが、~~をして、~~をして、という調子で毎日の生活行動(育てている野菜をみるとかそういったこと)をいくつも連続して列挙した一節があって、日常のささやかな具体性を志向するそのまなざしは良かった。あと、文脈からして「午後」かなとおもいながらも字が読み取れなかった一語があったのだけれど、ちょうど風呂を出てきた父親(この日山梨から帰ってきた)にこれなんて書いてある、とさしだしてきけば、やはり午後だろうという。しかし、どう見ても二字目が「後」の字に見えなかったところ、そういう書きかたの午後があるじゃんというのでのちに調べてみたところ、「午後」には「午后」という表記があるのだ。このときまでまったく知らなかった。正直けっこうなおどろきである。なぜ皇后の后なのか?
  • 母親は、ずいぶんうまく書いてるね、真似できないよ、みたいなかんじで褒めながらも、手紙だと返事を書くのがもう面倒くさくて、と漏らしていた。(……)ちゃんみたい、とも言った。(……)さんもおりに手紙を送ってくるからである。(……)さんは七三くらいで、(……)さんはたぶん七〇てまえか。母親は六二だかそのくらい。ひとに手紙を送るという文化をいまだ生活のなかにとどめている人間も、きっともはやこのくらいの世代までなのだろう。三〇代以下はたぶんもう手紙なんて書かないのではないか。じぶんじしんも、きちんとした手紙を書いて送った、という経験は持っていないような気がする。母親のようにもう手紙なんて面倒くさいという人間が支配的なのだろうし、(……)の(……)さんも、祖母の写真が送られてくることについて、ちょっと重くかんじてしまう、みたいなことをいぜんに漏らしていたことがあるらしい。
  • 効率と利便性に勝てる人間はこの世にいないのだが、効率と利便性が君臨しすぎると世は無味乾燥でクソみたいに退屈なものになる。効率と利便性は具体的官能性と(ほぼ)対立するからだ。官能性のない世界など願い下げである。
  • 9: 「ふたたび私は眠りこむのだ、そしてそれからは、ときどき目がさめることはあっても、一瞬のあいだ、板張の干割れる音をきいたり、目をあけて暗闇の万華鏡を見つめたり、すべてのものが陥っている睡眠をちらと意識にさしこむ光で味わったりするだけで、そのあとは、家具、部屋、その他のすべて、私もまたその小さな一部分であるそうしたすべてのものが陥っている睡眠の無感覚に、私はすぐにもどって合体するのであった」
  • 10: 「眠っている人は、時間の糸、歳月や自然界の秩序を、自分のまわりに輪のように巻きつけている」
  • 11: 「そのとき、私の精神は、自分が眠りこんだ場所のわきまえをなくしていた、そのようにして真夜中に目がさめるとき、自分がどこにいるのかわからないので、最初の瞬間には、自分が誰なのかを知らないことさえあった、私は動物の体内にうごめくような生存の感覚を、その原初の単純性のなかで保っているにすぎなかった、私のなかにあるものは穴居人よりももっと欠乏していた、しかしそのとき、回想が――いま私のいる場所の回想ではなく、かつて住んだことがあったいくつかの場所、またはいつか行ったことがあったらしいいくつかの場所の回想が――天上からの救のように私にやってきて、自分ひとりでは抜けだすことができない虚無から、私をひきだしてくれ、私は一瞬のうちに文明の数世紀をとびこえ、そして石油ランプの、ついで折襟のワイシャツの、ぼんやりと目に浮かぶ映像によって、すこしずつ、私の自我に独特の諸特徴を再構成するのであった」
  • 14: 「そしてそこでは、夜通し暖炉の火を落とさないので、ときどき燃えあがる燠火のあかりをもらすあたたかいけむった空気の大きなマントにくるまって眠るのだ、そんな空気のマントは、いわば触知できないアルコーヴ、この部屋のまんなかにうがたれたあたたかい洞窟で、その熱の輪郭にかこまれた圏内は、部屋のすみの、窓に近い、暖炉に遠いあたりから、私たちの顔をひやしにきてくれる風によって、換気され、燃えあがり、ゆらゆらと動くのだ」
  • 14: 「夏の部屋、そこでは、人はなまあたたかい夜に合体していたくなる、そこでは、月光が細目にあけた鎧戸に寄りかかり、ベッドの脚もとまで、その魔法の梯子を投げている、そこでは、光の尖端で微風にゆすられる山雀のように、人はほとんど野外と変わらない吹きさらしで眠るのだ」
  • 15: 「そこではまた、四角ばった脚の異様な無慈悲な姿見が部屋の一隅を斜に仕切って、私の平素の視野の快いふくらみのなかに、ざっくりと切りこみ、そこに思いもかけない傷口をぱっくりとあけていた」
  • 15: 「一方私は、やがて習慣がカーテンの色を変え、振子時計をだまらせ、斜を向いた残酷な姿見にあわれみを教え、ヴェチヴェールの匂を完全に追いはらわないまでもさして鼻につかないようにし、天井の目立つ高さをぐっとさげるようになるまで、私のベッドに横たわり、目をあげ、不安な聞耳を立て、鼻息をおさえ、胸をどきどきさせていた。習慣! 巧妙な、しかしずいぶん気長な調整者、それはまず手はじめに、われわれの精神を何週間も仮小屋で苦しみに堪えさせる、しかし何はともあれ、習慣を見出すことは、精神にとってまことにしあわせだ、なぜなら、習慣というものがなく、精神の手段だけによるとしたら、われわれを一つの宿に落ちつかせるのはとうていむりだろう」
  • 17: 「しかし、そのために、私の悲しみは増すことにしかならなかった、なぜなら、照明の変化だけで、私が身につけている自分の部屋の習慣がこわされたからであり、そんな習慣のおかげで、就寝の苦しみを除けば、私の部屋はがまんができるものになっていた」
  • 17: 「城と原野とは黄色だったが、私はそれらを見てからでなくても、その色がわかっていた、というのも、原板を枠にとりつけるまえから、ブラバン [ジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバン] という名の金褐色のひびきが、自明の理のようにその色を示していたからだ」
  • 17~18: 「ところで、その悠々たる騎行をとめることができるものは何もなかったのだ。人が幻灯を動かすと、ゴロの馬は、窓のカーテンの上を、その襞のと(end17)ころでそりあがったり、そのくぼみに駆けおりたりしながら、前進しつづけるのがはっきり私に見えた。ゴロ自身のからだは、乗っている馬のからだとおなじように超自然な要素でできていて、途中に横たわるすべての物的障害、すべての邪魔物をうまく処理して、それを自分の骨組のようなものにし、それを体内にとりこんでしまい、たとえそれがドアのハンドルであっても、彼の赤い服、または青白い顔は、ただちにそれにぴったりとあい、またその表面にぽっかりと浮かびあがって、その顔は、いつまでもおなじように高貴で、おなじように憂鬱だが、そうした脊椎骨移植のどんな苦痛をあらわすこともなかった」
  • 18: 「しかし、それにしても、いつのまにか私の自我で満たしきって、自我そのものにたいするのとおなじようにもはや注意をはらわなくなった部屋への、そんな神秘と美との侵入は、いうにいえないあるいやな気持を私に起こさせた。習慣というものの麻酔力が利かなくなると、私はあれこれの物を非常に陰気に考えたり、感じたりしはじめるのであった」
  • 19: 「私の父は両肩をそびやかして、それから晴雨計をながめる、彼は気象学を好んでいるのだ」
  • 21: 「祖母は悲しみ、落胆して、また出てゆくのだが、それでも顔はほほえんでいた、というのも、彼女は非常に心がつつましく、非常にやさしかったので、他人への愛情と、自分の身や自分の苦しみへの軽視とが、そのまなざしのなかで調和してほほえみとなるからで、そのほほえみには、それが多くの人間の顔に出る場合とは逆に、皮肉は彼女自身にしか向けられず、私たちみんなから見れば、彼女の目のくちづけのようなものしかあらわれていなかった。彼女の目は、彼女がかわいがっている人たちを、まなざしではげしく愛撫することなしにはながめることができなかったのだ」
  • 22: 「そして空に斜にあげたまま私たちのまえをくりかえし過ぎてゆく彼女 [祖母] の気品のある顔を見ていると、その褐色の、しわのよった頬は、鋤きおこされた秋の畑のように、更年期のためにほとんどモーヴ色になっていて、そとに出るときはすこし高目にあげた小さなヴェールにかくされるその頬の上には、さむさのためか、それとも何か悲しい思いにさそわれてか、知らず知らずに流れた涙の一しずくがいつも乾こうとしていた」
  • 26: 「それでも、妻の死をあきらめることはできなかった、しかし彼女のあとに生きながらえた二年のあいだに、私の祖父によくこういった、「変なものですね、かわいそうな家内のことはよく何度も考えるのですが、どうも一度にたくさんは考えられないのですよ。」 それ以来、「何度も、しかし一度にすこししか、スワンの死んだ親父式」というのが祖父のおはこの一つになって、ひどくかけはなれた事柄についてもそれが口に出るようになった」