この運動〔形而上学の運動〕の終点――〈べつのところ〉あるいは〈他なるもの〉――は、卓越した意味で〈他なるもの [﹅5] 〉であるといわれる。どのような旅も、どのような気候や風景の変化も、〈べつのところ〉〈他なるもの〉にむかう渇望を充足することができない。形而上学的に渇望された〈他なるもの〉は、私が食べるパン、私がすみつく地方、私が眺める風景のような《他なるもの》ではないし、私じしんが私じしんにとって往々にしてそうであるような、この《他者》としての《私》でもない。こうした実在についていえば、私は《満腹》し、おおよそ満足することができる。そうした実在を、私がたんに欠いていたかのようにである。そのことによってまさに、それらの他性 [﹅2] は、思考し、あるいは所有する、私の同一性のうちに吸収される。形而上学的な渇望は、完全に他なるもの、絶対的に他なるもの [﹅17] をめざしているのである(21/30 f.)。
前章までの議論の確認をもかねて、この一節でレヴィナスがとくところを跡づけてみよう。
「私が食べるパン、私がすみつく地方、私が眺める風景」、それらはすべて、レヴィナスにとって、私の享受の対象であり、「糧」であった。享受は「他なるもの」(l'autre)に(end69)よって支えられながら、しかしこの〈他なるもの〉を解消する。欲求がもとめ、欲求をみたすものは、とくべつな意味における〈他なるもの〉ではない(二・3)。私が「満腹」しうるものは、〈同〉にとっての本質的な〈他〉ではありえない。私にとって端的に〈他〉であるものは〈同〉によって所有されることがないものでなければならないはずである。
たしかにまた、「私じしんが私じしんにとって往々にして」他なるものである。つまり「《他者》としての《私》」が確実に存在する。――ここで問題となる論点はさしあたりふたつありえよう。《他者》となりうる私のありかは、ひとつには私の身体であり、いまひとつにはいわゆる無意識の存在であるとおもわれる。
まず前者から考えてみよう。私の生は、ある匿名的な生と地つづきのものとしてあらわれる。私は呼吸をし、飲みかつ食べることで生きているにせよ、そうした身体の生は、〈私〉という人称的な存在がえらびとったものではない。私は(選択したり決意したりするのではなく)たんにそのこと「によって」生きている(二・2)。人称的な生の背後で身体の生がいとなまれ、強いていえば「ひと」(on)が、その生を前人称的にになっているのである。だからこそ「私はけっして絶対的には《私》とかたることはできない [註54] 」のだ。
メルロ=ポンティが浮きぼりにした、この前人称的な生の次元は、しかしあくまで私のうちでいとなまれている。それは内部における外部性であって、端的に〈他なるもの〉ではありえない。〈私〉とは、身体である [﹅3] ことで、そうした〈他〉を同化しながら〈同〉であ(end70)りつづける自己であるからである。
それでは、「フロイトのいう無意識」についてはどうであろうか。それはまさに自己の内部に端的に〈他なるもの〉が巣くっていること、主体としての〈私〉の綻びを、あますところなく示しているのではないか。無意識とは、いわば「〈私〉の背後の現前」、私の視線が到達しえない背面にほかならない(305/422)。私の意識にすら、意識そのものによって回収不能なもの、意識の光が到達しえない昏がりがある。〈私〉の意識という意味でのコギトにはたしかに、絶対的な外部があるのである。私の存在と意識との完全な一致という、素朴なコギト・スムを、無意識の存在は確実に喰いやぶるものであるようにおもわれる。
この意味での無意識すら、しかしほんとうの〈他なるもの〉ではない。じっさい、フロイトのいう「不気味なもの」(das Unheimliche)とは、抑圧を経てふたたび回帰してきた「慣れ親しんだもの」(das Heimliche)、つまりは元来は「家」(Heim)にあったものにほかならない [註55] 。レヴィナスの視点からすれば、〈家〉にあったものとは、〈私のもの〉であった [﹅4] もの、あるいは〈私〉であったもの [﹅2] のことである(三・1)。抑圧によって疎遠なものとされたことがらすら、私にとって「絶対的に他なるもの [﹅9] 」(l'absolument autre)ではありえない。無 [﹅] 意識もそれが無意識 [﹅2] であるかぎり、ある意味ではやはり「思考し、あるいは所有する、私の同一性」(前出)のうちへと回収される。註54: M. Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception, Gallimard 1945, p. 241.
註55: フロイトの無意識の理解については、鷲田清一「フロイト――意識のブラックホール」(鷲田他著『現代思想の源流』講談社、一九九六年刊)一六三頁以下参照。
(熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、69~71; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)
- 一一時半離床。寝床でしばらく深呼吸。水場に行ってきてから瞑想もおこない、二〇分座れた。よろしい。セミの声はあいかわらずではあるけれど、ただかさなりあってひろがっているその質感がいぜんよりなめらかになっているような気がされて、それは慣れてきただけなのか、あるいははやくも盛夏がその盛りをすぎようとしているのか。その音響のなかにつつまれてたゆたうようなかんじになった。
- 食事はきのうののこりものなど。きょうの天気は曇り気味だが、あがっていったときには多少陽の色があったので、すでに取りこまれてあったタオルを出しておいた。新聞は一面でオリンピックの閉会をつたえている。国際面を見るとベラルーシ関連の記事。「トリブーナ」というスポーツ専門のニュースサイトが「過激派」に認定されたというのだが、その理由が、オリンピック参加後にポーランドに亡命した例のクリスツィナなんとかいう陸上選手のインタビューを掲載し、そこで彼女への帰国命令には政権中枢がかかわっていたみたいな指摘をしたからということで、それだけのことでスポーツメディアを「過激派」認定するなどただのアホである。どうしようもない政府だ。しかし、ここ二年くらいで(もっとさかのぼるならむろんドナルド・トランプいらい)、世界中マジでどこでもやばいかんじになってきているという印象を禁じえない。
- きょうは風がゆたかで、起きたときにも部屋に厚いながれがはいりこんできていて、比較的涼しかった。風呂洗いを済ませて出てくると窓外の空気の色が落ちておさえられており、空も白雲がひろくはびこって雨の気配だったので、これはもうだめだなとおもってタオルを入れ、網戸で全開になっていた窓もそれぞれ閉めて開口をだいぶほそくしておいた。とはいえ雨はその後降ったのか降らなかったのか、明確に気づかれたときはいまのところなく(いま午後四時直前だが)、ついさきほどちょっと通ったような音を聞いたが風の音かもしれない。二時半ごろに書見を中断して上階のトイレに行ったときも、便器に座れば背後の上部にあたる細窓から、それは横開きの窓ではなくて上端がわずかにずれてひらくだけのものでだからほとんどひらいておらず風のとおり道はほそかったのだが、そこからながれがはいってきて床まで降りて足先のほうまで撫でるくらいだった。
- 茶を持って帰室すると「読みかえし」ノートと書見。プルーストはついに「ゲルマントのほう」および「スワン家のほう」(メゼグリーズのほう)が説明され、スワンの所有地タンソンヴィルにてジルベルトとのはじめての邂逅も描かれ、オデットとシャルリュスもつかの間登場し、ようやく物語がすこしばかり駆動しはじめるような気配。ここまでは二二〇ページほどつかってもほんとうにひたすら舞台を描きひろげてととのえるだけというか、さまざまな人物や関係やエピソードが並列的につぎつぎと提示されるばかりで、単線であれ複線であれなんらかの道筋が生まれてまえに進行していくという感覚がなかった。三時ごろまで読んでストレッチ。BGMはLed Zeppelinをファーストからずっとながしていた。"Since I've Been Loving You"のギターソロはなんだかんだいっても格好が良い。ブルースロックだなあ、というかんじ。ところどころで音程があやしいときがあるが(チョーキングのとちゅうがむろんそうだけれど、チョーキングをしていないときでもそういう箇所があったような気がするのだが)、それもふくめてこういうギター、こういう音楽だよなあというかんじ。
- 夕食に行くまえに英文記事を三つ読んだ。Kiran Sidhu, "How my farmer friend Wilf gave me a new perspective"(2021/8/7, Sat.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2021/aug/07/kiran-sidhu-how-my-farmer-friend-gave-me-a-fresh-perspective-on-city-life(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2021/aug/07/kiran-sidhu-how-my-farmer-friend-gave-me-a-fresh-perspective-on-city-life))と、Sirin Kale, "‘Don’t beat yourself up’: 10 ways to feel happier with your body as the world reopens"(2021/8/2, Mon.)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2021/aug/02/dont-beat-yourself-up-10-ways-feel-happier-body-world-reopens(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2021/aug/02/dont-beat-yourself-up-10-ways-feel-happier-body-world-reopens))と、Charles Emmerson, "Top 10 eyewitness accounts of 20th-century history"(2019/11/27, Wed.)(https://www.theguardian.com/books/2019/nov/27/top-10-eyewitness-20th-century-history-charles-emmerson-crucible(https://www.theguardian.com/books/2019/nov/27/top-10-eyewitness-20th-century-history-charles-emmerson-crucible))。さいしょのは夕食に行くまえというか、五時がちかづいて食事をつくりにあがるまえで、そのあとのふたつは飯をこしらえてもどってきたあと、七時までのあいだに読んだもの。さいしょのやつは都市生活の喧騒につかれた筆者がウェールズの田舎にうつってそこで出会った農夫の生き方に感銘を受け、あらたな見方(perspective)をひらかれる(幸福ではなくて、満足あるいは充足感(contentment)についてかんがえるようになるとか)という体験談で、まあありがちなはなしといえばそうなのだが、散歩をつづけるうちにそれまで共連れとして聞いていたポッドキャストが押しつけがましくかんじられるようになってなにも聞かなくなり、鳥の声とかに耳をむけるようになるとか、そのあたり精神性としてはむろんこちらのそれにちかしい。やっぱあるかなきゃなあ、という気持ちは起こされる。
- "Top 10 eyewitness accounts of 20th-century history"の記事で紹介されている本はどれもおもしろそうで、メモしておくと、The Russian Revolution by Nikolai Sukhanov、The Diaries of Harry Kessler、The Diaries of Wasif Jawhariyyeh、Dateline: Toronto, 1920-1924 by Ernest Hemingway、The Devil in France by Lion Feuchtwanger、The Inner Circle: A View of War at the Top by Joan Bright Astley。あとはプリーモ・レーヴィの『これが人間か』と、ソルジェニーツィンの『収容所群島』と、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(英題だと、The Unwomanly Face of Warとなっているが、名詞句を主述形式に変換したこの邦題は何気にファインプレーではないか)があがっている。とりわけ気になるのはHarry KesslerとWasif Jawhariyyehの日記で、そのつぎがJoan Bright AstleyとLion Feuchtwangerか。Harry Kesslerというのはドイツの外交官らしく、"eternally inquisitive"なひとであり、"Kessler got everywhere and met everyone from Bismarck to Josephine Baker. A diplomat as well as a dandy, he understood politics as well as art and cared for both (earning the moniker the Red Count). And he wrote brilliantly."とのこと。Wasif Jawhariyyehはオスマン帝国治下のエルサレムに生まれたキリスト教徒アラブ人で、英語とフランス語とトルコ語をはなし、クルアーンについても地元のイスラーム教師にまなんだといい、"he was his city’s Harry Kesssler: a poet and musician open to all, living in a world with ever-diminishing space for such eclectics."とのこと。
- 五時まえで上階へ。母親が帰宅した直後だった。彼女が買ってきた品物を冷蔵庫へおさめる。あとで聞いたことには、ほんとうは五時までの勤務だが、きょうは所長もいなかったし、同僚三人で掃除をがんばって四時一五分までであがれたとのこと。こちらは台所にはいって、麻婆豆腐をつくることに。「丸美屋」の、なんだったか、贅の極み、みたいな文言がはいった品(「贅」という文字がはいっていたことは確実)の辛口。豆腐いがいにナスもくわえることにして一本切り、湯がく。いっぽうでフライパンにソースと豆腐を入れて加熱。やわらかくなったナスを足すと味醂とか足し、煮えるとごま油をまわしかけ、細ネギをきざんでもうすこし煮て完成。ついで、ゴーヤを切って塩もみしておいてくれと母親がいうので、冷蔵庫にはいっていたゴーヤ(我が部屋および隣室のそとのネットでそだてられ収穫されたもの)を二つ切り、なかのワタはくりぬいてパックに入れておいてくれというのでそのようにして(揚げたり、お好み焼き風にしたりするもので、この夕食でも後者のかたちで出された)、薄い輪切りにしていってザルに入れると塩を振ってかしゃかしゃ振ったり手でかきまぜたりしておいた。
- クソ腹が減っていたのだが、それで帰室すると上述のように英文記事を読みつつベッドでだらだら休み、七時で夕食へ。新聞からさきほどのベラルーシの記事を読み直し、くわえてアフガニスタンでタリバンが北部三州の州都を制圧したとかいう報も読んだ。カブールでもテロをつづけているらしいし、ほかの町でも警察署とか高官だか役人の公邸とかを襲撃したりしているという。やばい。テレビは『YOUは何しにニッポンへ?』。見ればなかなかおもしろい。ロンドンから来た男性が大阪から東京まで徒歩で旅行するというのに密着していて、あるいているあいだのようすは単調だろうからやはり大部分カットされておりおりの写真ばかりでどんどん日にちがすすんでいくものの、まあわりとおもしろい。じぶんも徒歩旅行してその記録を書けばまあおもしろいだろうなとはおもう。ながくやるのはしかしたいへんなので、一日だけあるきつめてそれを翌日書く、とかそういうことからやるか。むかしにいちどだけやったことがあるが、あれはたしか二〇一四年だったので、まだ筆力がついておらず、たいして書けなかったはず。一万字にも達さなかったのではないか。せいぜい六〇〇〇字くらいではなかったか?
- 食後、茶をもってもどってきてここまで記述。八時半すぎ。あと、記述のまえに(……)さんのブログの八月八日を読んだ。保坂和志『未明の闘争』を読みだしている。保坂和志もまた読みたいなとおもう。保坂和志でじぶんが読んだことがあるものってすくなくて、小説作品はたぶん『カンバセイション・ピース』と『未明の闘争』だけで、後者はともかく『カンバセイション・ピース』を読んだのはもう相当まえだからほぼなにもおぼえていないし、エッセイのたぐいもほぼ小説論三部作だけのはず。あと、『言葉の外へ』だったか、そんなやつと、『書きあぐねている人のための小説入門』みたいなタイトルのやつがあったとおもうが、そのくらい。『季節の記憶』とか、『このひとの閾』(だったか?)とか、『カンバセイション・ピース』(がたしか、二〇〇三年ではなかったかとおもうのだが)いぜんの作品をまったく触れたことがない。
- 八月七日の記事を終えたので投稿しようとはてなアカウントにログインすると、話題の記事ページに「韓国情報機関と日本の極右団体が「不当取引」 韓国テレビ局があす報道へ」(2021/8/9)(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210809002600882(https://jp.yna.co.kr/view/AJP20210809002600882))という記事を発見。以下が記事全文。
【ソウル聯合ニュース】韓国MBCテレビの調査報道番組「PD手帳」は9日、韓国情報機関の国家情報院(国情院)と日本の右翼団体の間で不当な取引があったことを確認し、10日の番組で関連映像や内容を報じると予告した。
制作陣によると、国情院で25年間海外工作員として勤務した情報提供者が、番組側に対し「国情院が日本の極右勢力を支援しており、独島と旧日本軍の慰安婦問題を扱う市民団体の内部情報を日本の極右勢力に流出させるのに協力した」と明らかにした。
番組側はこのインタビューに基づき、日本の右翼団体が韓国の独島、慰安婦関連の市民団体の動きを事前に把握し、弾圧する未公開映像を入手したと説明した。
また、「7カ月間の追跡取材で国情院の多くの関係者が驚くべき事実を告白した。国情院が訪韓した日本の右翼関係者を接待し、北の重要情報を彼らと共有した」と主張した。
制作陣は国情院から支援を受けたとされる代表的な右翼関係者として、安倍晋三前首相と近い関係にあることが知られるジャーナリストの桜井よしこ氏を挙げた。
番組は10日午後10時半から放送される。
- 入浴中、窓外に風の音を聞く。一〇時か一一時ごろだったはずだが、まだまだ盛んで、林の樹々が一面に葉を鳴らしているひびきがおりおりに厚くふくらんで寄せ、ほとんど絶え間なくつづくものの、それでいて浴室内で湯に浸かっている身にはあきらかに触れてくる涼しさがないので立ち上がって窓に寄り、ほそい隙間のまえに顔を置いたところ、そうすれば網戸のむこうのかたいような闇のなかで街灯をさしこまれながら旗はばたばた揺れており、たしかにながれこんでくるものが肌に触れて涼しい。
- 八月七日分、八日分の日記を読書メモもすませてかたづけ、投稿することができた。よろしい。書抜きも一箇所、深夜に。三時まえだった。それよりいぜん、日記をすませたあとはベッドにうつってコンピューターをみながらだらだらしていたのだけれど、そのあいだずっと踵で両の太腿をぐりぐりやっていたところ、マジでからだ全体がめちゃくちゃ楽になってやばい。血のめぐりがよくなって、あおむけで寝て安静にしているのに汗が湧いてからだが熱くなった。プルーストをすこしだけ読みすすめたあと、四時で就寝。
- マルセル・プルースト/井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)より。
- 223: 「夏になると、反対に、私たちが帰ってくるとき、日はまだ沈んでいなかった、そしてレオニー叔母を部屋に見舞っているあいだに、傾きかかる日の光は、窓にふれ、左右にしぼった内側の大きなカーテンとその留紐とのあいだに突きあたり、割れ、こまかい枝にわかれ、濾過されてから、簞笥のレモン材の生地にこまかい金のかけらの象眼をちりばめながら、森の下草にさしこむときのような繊細さで、部屋を斜に照らした」
- 224: 「それで私たちは、身につけているものをとるひまもなく、いそいでレオニー叔母の部屋にあがって安心させ、彼女がそれまでにめぐらしていた想像とはちがって、何事も起こらず、じつは「ゲルマントのほうへ」行ってきたことを私たちはあきらかにする(……)」: ここがたぶん、「ゲルマントのほう」の初出。
- 225: 「というのも、コンブレーの周辺には、散歩に出るのに二つの「ほう」があった、そしてこの二つの方向はまるで反対なので、どちらへ行こうとするときも、おなじ門から家を出るということは実際にはなかったからである。その一つは、メゼグリーズ=ラ=ヴィヌーズのほうであって、おなじくまたスワン家のほうとも呼ばれていたが、それはスワン氏の所有地のまえを通ってそちらへ行くからであった、そしてもう一つは、ゲルマントのほうであった」
- 227: 「私たちは、その [スワン氏の] 庭園のリラの花の匂が、そこに着くまえに、そとからくる人たちをむかえにきているのに出会った。リラの花自身は、その葉むらの小さなハート形の若々しいみどりのあいだから、庭園の柵の上にモーヴ色や白い色の羽かざりを物めずらしそうにもたげていて、午後は日陰になっていても、それまで日を浴びていたのでつややかに光っていた」: モーヴ色③
- 228: 「私たちはひととき柵のまえに立ちどまった。リラの花時もおわりに近づこうとしていた、そのあるものはモーヴ色の高い枝付燭台の形をして、まだその花の繊細な泡を吹きこぼしていたが、その葉むらの多くの部分では、一週間まえに、波がしらにさかまく泡沫のように咲いていたかおり高い花が、早くもいまは、くぼんだ、干からびた、かおりの失せたあぶくとなって、そこに、小さくかたまり、黒ずんで、しなびていた」: モーヴ色④
- 230: 「どの小道にもなんの足音もきこえなかった。どこかよくわからない木の高さを二分してとまった、姿の見えない小鳥が、この一日を短く感じさせてやろうと思いついて、声を長くひきながら、あたりの静寂をさぐっていたが、返ってくるものは、どこからも一様の反撃、静寂と不動とを何倍かにする反撥ばかりなので、その小鳥は、早く過ぎさせようと苦心した時刻を、永久に停止させてしまったかのようであった」
- 232: 「しかし、私はそんなさんざしのまえで、目には見えないがそこに固定しているその匂を吸って、それを私の思考のまえにもってゆこうとじっと立ちつくしていたにもかかわらず、思考はその匂をどうあつかったらいいかを知らず、私はいたずらにその匂を失ったり見出したりするばかりで、さんざしが若々しい歓喜にあふれながら、楽器のある種の音程のように思いがけない間を置いて、ここかしこにその花をまきちらしている、そんなリズムに一体化しようとする私の努力はむだであった、しかもさんざしの花は、おなじ魅力を、つきることなくたっぷりと、無限に私にさしだしながら、連続して百度演奏してもそれ以上深くその秘密に近づくことができないメロディーのつながりのように、その魅力をそれ以上に深く私にきわめさせてくれないのであった」
- 242: 「「そうじゃない、それはスワン [﹅3] の父親の職業のことだよ、あの生垣はスワン [﹅3] の庭の一部分だよ。」 そういわれると、私はほっと息をつがなくてはならなかった、それほどその名は、つねに私のなかに書きこまれ、その書きこまれた場所に居すわりながら、私に息苦しくのしかかっていたのであって、その名を耳にするとき、それはほかのどんな名よりも充実しているように私には思われた、なぜなら、口にするまえに、そっと心のなかでいってみたそのたびに、重さを加えていったからである」
- 242~243: 「私の心をそそる特殊な魅惑をことごとく私はスワンという名にこめていたから、家の人たちがその名を口にすると、すぐに私はその名のなかに私の心をそそる魅惑(end242)を見出すのであった」