他者が、〈他者〉だけが、その「他性 [﹅2] 」(altérité)がけっして私のうちに回収されない〈他なるもの〉である。つまり形而上学の「運動の終点」となる「卓越した意味で他なるもの [﹅5] 」である。レヴィナスにあって形而上学とは、この「〈他なるもの〉にむかう渇望」なのである。「形而上学的な渇望」は、「完全に他なるもの [﹅8] 」をめざしている(同 [21/30 f.] )。それは、「接触よりも貴重な隔たり」(195/274)をもたらすことになるだろう。そのかぎりでは、〈他者〉という〈絶対的に他なるもの〉をめぐる経験は、とりあえずは [﹅6] 跨ぎこせない〈隔たり〉の、あるいは到達しえない〈遠さ〉の経験にほかならない。
そのゆえに、〈他者〉とは「所有しえないものである」(175/245)。私は、私とは完全に〈他なるもの〉を、所有することができない。あるいは、絶対的にへだたっているもの、無限に遠くにあるものを所有しえない。だが、なぜ「絶対的に」あるいは「無限に」(infiniment)なのだろうか。
レヴィナス自身が注意しているように(cf. 42/58, 82/116)、ことがらのこの消息には、アンセルムスを先蹤としデカルトへと継承された、「神の存在論的証明」の議論構造とつうじあうものがある。私より「完全なもの」という「観念」は、私をはみ出してしまっている。私より完全なものはじつは観念ではなく、むしろ私がそれについてなんらかの観念をもつ完全性のいっさいをそなえたもの、つまり「神」そのものにほかならない [註56] 。
おなじように、「〈他者〉は、他者について〈私〉がもつことのできる観念 [﹅2] のすべてから、(end72)絶対的に溢れ出てしまっている」(86/121)。レヴィナスによれば、他者の観念は〈私〉という「有限のうちにある無限、最小のうちにある最大」(42/59)にほかならない。だから、他者をめぐる「観念」はじつは観念 [﹅2] ではなく、「渇望」(désir)である、とレヴィナスはいう(82/116)。渇望されるのは、〈私〉から無限にはみ出してゆくもの、「〈他者〉、つまり〈無限なもの〉(l'Infini)」(82/115)なのである。他者は、私によってとりつくされることがない。他者とはつまり、私にとって [﹅5] 〈無限〉である。
レヴィナスによれば、「無限の無限性を測るものが渇望である」(56/79)。というのも、他者への渇望とは、「〈渇望されるもの〉の所有によって癒やされるような渇望ではなく、渇望されるものが満足させるかわりに引き起こすような、〈無限〉の〈渇望〉である」(42/59)からである。その意味では、「渇望とは、測定することがまさに不可能であることによる測定である」(56/79)。「私のうちなる他者の観念 [﹅11] を過ぎこして〈他者〉が現前するしかたを、われわれはじっさい、顔と称する」(43/60)。あるいは、「渇望によって測られる測りえないものが、顔(visage)なのである」(56/79)。
「無限の観念」は空虚なものではない。それは他者が存在する「存在の様式」、あるいは存在することを超えている様式、「無限の無限化 [﹅3] 」(l'infinition de l'infini)というしかた、〈他者〉が私にとってあらわれるしかたである(cf. 12/23)。つまり、他者が〈顔〉としてあらわれ、他者についての私の観念を溢れ出てゆく様式なのである。(end73)
測りえないもの、際限(ペラス)をもたないものを、ひとは所有することができない(二・4)。いつまでも、あるいはどこまでも〈渇望〉されるにとどまるものを、私は所有しえない。かくして、「〈他者〉――この〈絶対的に他なるもの〉――が所有を麻痺させる。〈他者〉は、顔のうちに〈顕現〉することで、所有に異議をとなえる」(185/259)ことになる。(……)註56: Cf. R. Descartes, Œuvres tome 6 (Adam/Tannery), p. 34 f.
(熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、72~74; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)
- 一二時半まえ。Laurent Gaudé, "Top 10 books about Europe"(2019/10/9, Wed.)(https://www.theguardian.com/books/2019/oct/09/top-10-books-about-europe(https://www.theguardian.com/books/2019/oct/09/top-10-books-about-europe))を読んだ。あまりなじみのないなまえとしては、The Leopard by Giuseppe Tomasi di Lampedusa、In Europe by Geert Mak、Compass by Mathias Énard、The Life of Ismail Ferik Pasha: Spina Nel Cuore by Rhea Galanaki。ランペドゥーザの『山猫』はいちおうなまえは知っているが。さいごのひとはギリシャの作家で、ギリシャ独立を題材にした物語らしい。
- 木村敏が八月四日に亡くなっていたらしい。
- Alan Johnson, "When pacifism is not enough"(2008/3/22, Sat.)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2008/mar/22/primoleviandthemilitaryco(https://www.theguardian.com/commentisfree/2008/mar/22/primoleviandthemilitaryco))
The young Primo Levi was tormented at the thought of picking up a gun and killing another human being. His biographer Carole Angier writes of his "deep horror of violence". But in 1943, he would "resist his instincts and make a moral choice to accept the necessity of killing" by joining the anti-Nazi resistance.
After weeks of agonising Levi came to the painful conclusion that his belief in non-violence was inadequate for his times. By joining the Justice and Liberty partisans, he resolved a tension between what the theologian Reinhold Niebuhr famously called "moral man" and "immoral society".
*
Levi complicates his first thought - fight! - with other thoughts: the need for prudence, the threshold of "last resort", and the awareness of the unintended consequences - or what Levi calls the hard-to-control "genealogies" - of violence.
On the need for prudence: politicians, Levi advised, should "learn to live like chess players". He wanted his politicians "meditating before moving, even though knowing that the time allowed for each move is limited, remembering that every move of ours provokes another by the opponent, difficult but not impossible to foresee; and paying for wrong moves". On the fifth anniversary of the Iraq war, and with Jonathan Powell's admission that the post-conflict planning was (with hindsight) woeful, I don't need to belabour the relevance of that insight.
On the "last resort": "There do not exist problems that cannot be solved around a table," Levi wrote, though he added, crucially, "provided there is good will and reciprocal trust."
On unintended consequences: "From violence only violence is born," he wrote. One can disagree with that formulation and think it an overstatement, and it is contradicted by much else that Levi wrote. But where he says it, in his last book The Drowned and the Saved, he is telling an important truth: war, even a just war, will pulse out violence in uncontrollable ways, "in a pendular action that becomes more frenzied," as he puts it.
- ほか、Richard Hirst, "The top 10 winters in literature"(2014/12/24, Wed.)(https://www.theguardian.com/books/2014/dec/24/top-10-winters-in-literature(https://www.theguardian.com/books/2014/dec/24/top-10-winters-in-literature))とIan Thomson, "The Philosopher of Auschwitz by Irène Heidelberger-Leonard – review"(2011/5/12, Sat.)(https://www.theguardian.com/books/2011/mar/12/philosopher-auschwitz-irene-heidelberger-leonard-review(https://www.theguardian.com/books/2011/mar/12/philosopher-auschwitz-irene-heidelberger-leonard-review))。後者はジャン・アメリーの評伝の紹介。前者で気になるのはThe Worst Journey in the World by Apsley Cherry-Garrard (1922)とLast Christmas of the War by Primo Levi (1986)で、Leviのほうはここ(https://www.nybooks.com/articles/1986/01/30/last-christmas-of-the-war/(https://www.nybooks.com/articles/1986/01/30/last-christmas-of-the-war/))にあるものだが、登録しないと全文読めないので残念。フリーアカウントをつくれば一記事だけは無料で読めるようなので、そのうち登録して読むつもり。Apsley Cherry-Garrardというひとは南極を探検したひとらしい。よほどひどい旅だったようで、この記事の筆者によれば彼が同書を書いたのはいまならPTSDと診断されるだろう状態を克服するためだったということだが、〈But what makes it such an engrossing read is his almost hallucinatory attention to detail: the frozen-rigid clothes limiting his movements, the blisters in his fingers turning to ice, and the maddening wide-open twilight of the Antarctic.〉とあるので気になる。どのようなものであれ、attention to detailをもっている文章や人間はおしなべて興味を惹かれる。
- この日は一一時まえ起床。クソ暑かった。たぶんきょうの最高気温は三五度以上あったのではないか? 夕刊の予報ではあしたも三六度だというし。水場に行ってきてから瞑想をしても、すぐに肌着が汗ではりついて不快なので一〇分も座れなかったとおもう。
- 食事はうどん。新聞からは長崎の原爆忌関連の記事を瞥見するなど。食後に椅子についたまま南窓のそとをぼんやり見やれば、そとはひどくあかるく、濁りない青空のもとでひかりがどこまでもあまねく染みとおっており、山の麓あたりの一画で緑が活動的にうねっているが、その緑もひかりに射抜かれてあざやかなかるさにはなやいでおり、しかも視界のなかに見える周辺のどの緑もそのおなじはなやぎの色に浸されていて、あるのは色種の差異ではなくおなじ緑の明暗の襞にすぎず、その高度な斉一性の達成はすごかった。
- そういえば目覚めたときにも白いレースのカーテンがさらにひかりの白さにひたされていて、その凝縮的な純白がカーテンの襞におうじて偏差をつくってところどころに溜まってきらきらするものだから、海面みたいだなとおもったのだったが、同時にその白光領域となったカーテンのうえには窓外でネットにやどってそだっているゴーヤの葉や蔓の影も映ってはいりこみ、風に絶えず触れられる本体をまねてふるふると立ちさわいでいた。
- いつもどおり茶を飲みつつウェブをまわり、さいしょに上記のLaurent Gaudéの記事を読んだあと、「読みかえし」。そしてプルースト。プルーストは散歩の記述がつづき、そうすると風景にまつわる描写や文がおおいから、いきおいメモしようとおもう箇所はおおくなる。256からはじめていま295まですすんでいるが、きょう読んだところのなかで、話者が作家になることを夢見ているという言及がたぶんはじめて明言されるし、想像のなかで神秘的で高尚な存在としておもいえがいていたゲルマント夫人のじっさいのすがた(「鼻のわきに小さな吹出物があった」(292)り、「赤い顔をしていたり、サズラ夫人のようにモーヴ色のスカーフをつけていたり」(292~293)する)に接して幻滅もしくは失望するという場面もあるし、ヴァントゥイユの娘とその女友達がおこなう情事(すなわち同性愛のテーマ)の目撃(窃視)もあるし、メゼグリーズのほう(スワン家のほう)にしてもゲルマントのほうにしてもいろいろ詳細に描かれるし、主要なテーマがだんだん出揃いつつあるという感触。
- ストレッチもおこなった。ほぼ一セットだが。合蹠だけ二セット。九日の記事をしあげて投稿したあと、五時まえに上階へ行き、まず米を磨いでセット。それから洗濯物をたたみ、アイロン掛け。そのころには下階かどこかにいた母親が台所にあがってきており、これよりもまえにもすでにスープなどつくってあったようでもう品がわりとそろっており、アイロン掛けを終えても料理はいいというので自室へ。上記した英文記事らを読んですごす。エアコンは切って窓をあけていたが、暑い。(……)さんかだれかがそとでラジオを垂れ流していて、その音声がちかく立っていた。関西弁のひとがなにやらにぎやかにトークしている番組だった。ラジオというか、YouTubeなどのチャンネル動画かもしれない。
- 七時まえに食事へ。焼売や鮭など。焼売はややおおきめで充実したものでうまかった。それらをおかずに白米をむさぼる。新聞、夕刊一面には名古屋入管で三月に死亡したウィシュマ・サンダマリの件で出入国管理庁が調査結果報告を発表し、常勤医がおらず非常勤の内科医が週に二日二時間しか時間をとらない体制だったとか、現場の職員が内規に反した対応をしていて幹部まで情報がいっていなかったとか、そういった問題点・改善点を指摘したと。調査の主体として他機関が記されていなかったので、たぶん管理庁じたいによる調査および評価なのだとおもうのだけれど、第三者にはいってもらわなくて良いのだろうか? 同時にテレビでもこの件のニュースが報道されたが、それによれば、入管所内でのサンダマリ氏のようすを映した映像を遺族に開示すると管理庁は表明したらしい。いままでずっと渋っていた対応である。遺族は会見し、ウィシュマ氏の妹が、姉が最初の死亡者でも最後の死亡者でもない、いつになったら医療体制は改善されるのか? と訴える映像がしめされていた。ほか、「日本史アップデート」で中世以降の日朝外交について。対馬の宗氏が国書を偽造して日本政府と朝鮮との仲介をしていたことが近年あきらかになっているという。江戸幕府が朝鮮と国交をむすんだときも宗氏が文書を偽造して家康が下手に出て朝鮮との友好を望んでいるかのようによそおい、朝鮮側の返答も辻褄が合うようにいじったという。室町時代以来ずっとそういうことをやっていたようで、足利義政の時期に多数の「偽使」をおくっていたこともわかっているらしい。朝鮮がある時期から通常の日本からの通行を禁止したらしいのだけれど、対馬にとっては朝鮮との往来は死活問題だったので、なんだかんだと理由をでっちあげて偽の使節をおくって通行を維持し、朝鮮側もそれが虚偽だと薄々気づいていながらも黙認していたらしき節があるらしい。近年になって宗家にのこされていた史料として多数の印鑑が見つかり、そこに諸大名のものとか将軍のものとか、果ては朝鮮国王のものまでふくまれていたので偽造は確定だと。宮内庁が保存している朝鮮から豊臣秀吉にあてられた一五九〇年の国書におされた印とその朝鮮国王の印璽を比較してみると、朱の部分まで完璧に一致したので、したがって秀吉のときからもう対馬が偽造していたということになる。仲介役がそういうふうに勝手な都合で文書改竄をして双方の意思疎通がさまたげられたのが朝鮮出兵をまねいた一因だと、宗氏の責任をただすような終わりになっていた。
- 食事中、台所にいた母親が、おばさん大丈夫かな、勝手口がなんか生ゴミ臭くて、とか漏らしていたのだけれど、ところにまさしくその(……)さんから電話がかかってきて、あげたゴーヤをつかってなんかつくったっていうから取りに行ってくると。それでもどってきた母親はしかし表情にせよ言動にせよ見るからにありがた迷惑といったようすで、得体のしれないものをもらってしまった、という雰囲気であり、持っていたビニール袋のなかにはいっているゴーヤ料理も汁気がおおくてやや黒々としており、どういう調理をしたのか遠目にわからなかったのだが、悪いけど、私はいいや、と母親はつぶやき、この袋もなんか古かったら嫌で、台所が生ゴミ臭かったし、というので、こちらがちょっと食べてみることにした。菜箸でいくらか椀に取ってみればこまかめに刻んだゴーヤに肉の細片が混ざったもので、たぶん炒めたあとに和えたのかなとおもわれたが、食べてみればべつにそんなにうまいわけでもないがまずくもなく、ふつうの料理で、甘じょっぱいような方向性で甘味がつよめでやや味が濃かったのだけれど、白米にでも合わせればわりといけるだろう、というかんじだった。母親は、この時期は他人がつくったものは嫌で(というのは暑いので、食中毒とか衛生方面が気になるのだろう)、だからこっちからもつくったものはあげてないけど、と言い、いまだったらくわえてコロナウイルスも気になっているにちがいない。
- 食事中にはまた南窓にヤモリがあらわれて、それを見ると母親がまた出てきたとか言ったり、風呂からあがってきた父親もおうじたりしているのだが、さいきんは毎日ヤモリはこうして窓にあらわれてときに虫を食うさまが見られるようだし、夕食時をはなれても一日のおりおりに自室なり浴室なりで窓によく見かけるし、このあいだは下階の洗面所にはいりこんでもいた。
- 四時過ぎに(……)からメール。ひさしぶりである。飯でもどうかと。コロナウイルスの感染者があいかわらずなのでやや気が引けるが、近間でふたりで会うくらいなら平気でないかと判断し、しかしこの数日でいきおいがいくらか下がることを願って一四日はどうかとおくったところ、一四、一五は用事があるという。それなので一三日か、あるいは一二日に会おうかなとおもっているが、場所などどうするか。昼飯でもちょっとだけ、と言っているが。
- めちゃくちゃ伸びていた足の爪をようやっと切ることができた。
- 斎藤美奈子「世の中ラボ: 【第126回】「安倍辞任」でも気分が晴れない理由(わけ)」(2020/10/22)(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2185(http://www.webchikuma.jp/articles/-/2185))
適菜収『国賊論』のサブタイトルは「安倍晋三と仲間たち」。こんな表題の本だけあり、適菜の安倍批判は激烈である。
〈安倍晋三は、国を乱し、世に害を与えてきた。文字どおり、定義どおりの国賊である〉と彼は書きだす。〈安保法制騒動では憲法破壊に手を染め、北方領土の主権を棚上げし、不平等条約締結に邁進。国のかたちを変えてしまう移民政策を嘘とデマで押し通し、森友事件における財務省の公文書改竄、南スーダンPKOにおける防衛省の日報隠蔽、裁量労働制における厚生労働省のデータ捏造など、一連の「安倍事件」で国の信頼性を完全に破壊した。/安倍は、水道事業の民営化や放送局の外資規制の撤廃をもくろみ、皇室に嫌がらせを続け、「桜を見る会」問題では徹底的に証拠隠滅を図った。/要するに悪党が総理大臣をやっていたのだ〉。*
〈この究極の売国奴・国賊を支えてきたのが産経新聞をはじめとする安倍礼賛メディアであり、カルトや政商、「保守」を自称する言論人だった。「桜を見る会」には、統一教会の関係者、悪徳マルチ商法の「ジャパンライフ」会長、反社会的勢力のメンバー、半グレ組織のトップらが呼ばれていたが、そこには安倍とその周辺による国家の私物化が象徴的に表れていた〉。
安倍政権の「罪」は三つに分類できるだろう。
①無体な法律(特定秘密保護法、安保法、共謀罪を含む改正組織的犯罪処罰法、IR法、水道民営化法、改正種子法ほか)の制定、二度の消費増税、沖縄県辺野古の新基地建設、米国からの武器の爆買いなど、平和憲法軽視や生活破壊に通じる数々の政策。
②数を頼んだ強行採決、メディアへの圧力、電通や吉本興業と結託した政治宣伝など、官邸主導の独善的な政権運営。
③森友問題、加計問題、「桜を見る会」問題に代表される政治の私物化と、それに伴う公文書の隠蔽や改ざん。
①については賛否が分かれるとしても、②は民主主義の原則にもとる専制だし、③に至っては犯罪ないし犯罪すれすれの大スキャンダルである。それでも安倍政権は野党やメディアや追及をかわし、まんまと難局を乗り切った。ひとえにこれは、官邸の要たる官房長官・菅義偉の手腕によるところが大きい。
「アベ政治を許さない」というスローガンに象徴されるように、左派リベラルは首相個人を最大の敵と見定めてきた。でも、もしかしたらそれは買いかぶり、幻想だったのかもしれない。
〈大事なことは、安倍には悪意すらないことだ。安倍には記憶力もモラルもない。善悪の区別がつかない人間に悪意は発生しない。歴史を知らないから戦前に回帰しようもない。恥を知らない。言っていることは支離滅裂だが、整合性がないことは気にならない。中心は空っぽ。そこが安倍の最大の強さだろう〉と適菜はいう。*
彼の手腕の一端は『伏魔殿――菅義偉と官邸の支配者たち』という本の中でも垣間見ることができる。
〈2019年9月の内閣改造後、菅氏の周辺で、まるで狙い打ちにされたかのようなスキャンダルが続発した。/河井克行法相(当時)、菅原一秀経産相(同)の大臣辞任と、河井氏の妻・案里参議院議員の公選法違反疑惑。河井氏、菅原氏はいずれも菅氏の側近で、入閣は「菅人事」と呼ばれた。また、同時に入閣した小泉進次郎環境相についても、就任以降の発言が「意味不明」と酷評され、私生活上のスキャンダルも報じられている。小泉氏もまた〝菅派〟の1人だ〉。さらに、〈菅氏の懐刀と呼ばれる和泉洋人首相補佐官と、厚労省の女性幹部官僚の「京都不倫旅行」〉、一二月には伊藤詩織さんが民事裁判で勝訴して、〈かつて菅官房長官の秘書官をつとめた中村格警察庁官房長が、山口敬之氏(元TBSワシントン支局長)の「逮捕を止めた」一件がクローズアップされた〉。さらにまだある。やはり一二月に、IRをめぐる汚職事件で秋元司衆院議員が逮捕された一件も、〈IRの旗振り役をつとめてきた菅氏にも「火の粉」が降りかかる可能性は十分にある〉。
ちなみに河井夫妻はその後、逮捕されている。剛腕な番頭のほころびが目立ちはじめたことを指摘した記事ではあるが、逆にいうと菅はそれほど強引な人事をやってきたってことである。*
今日の事態を見こしたかのように、〈この先「安倍政権にはずっと疑問を感じていましたが、立場上、発言できなかったんです」と言い出す人間のクズがたくさん出てくるはずだ〉と『国賊論』は予言する。〈しかし、安倍に見切りをつけて、泥船から逃げ出したとしても、一件落着という話にはならない。社会の空気が腐っている限り、同じようなものが担がれるだけ〉。
- James Randerson, "Levi's memoir beats Darwin to win science book title"(2006/10/21, Sat.)(https://www.theguardian.com/science/2006/oct/21/uk.books(https://www.theguardian.com/science/2006/oct/21/uk.books))とPeter Forbes, "Parallel lives"(2002/1/20, Thu.)(https://www.theguardian.com/science/2002/jun/20/physicalsciences.technology(https://www.theguardian.com/science/2002/jun/20/physicalsciences.technology))も読んだ。
- ほかにこの日は(……)さんのブログと2020/1/15, Wed.も読んだ。一時ごろだったかそのくらいにいたってなにかのくぎりがついたときに、つぎはなにをしようかとおもったものの、なにをしようという意志もあまり明確に湧いてこず、きょうはたくさん読んだし文もふつうに書いたから言語に飽いたのかなとおもった。それなら音楽を聞くのも手だが、そういう気にもならなかったし、ウェブを見るこころでもなかったので、なにもやる気にならないときはなにもやらなくてよかろうと寝床にあおむいてしばらくなにもしなかった。そのうちにおきあがってそのまま瞑想。二七分くらいやったはず。一週間くらいまえからすでにそうだったとおもうが、窓外の音響を聞くかぎりではもう夜はわりと秋をおもわせるかんじで、大気のなかに生まれた小さな渦そのものといった風な回転式の色気のない虫の声がひとつ、これは息ながくつづいてとぎれてもちょっと間をおいてまた伸びだすそのうえに、言ってみればエイトビートのような定期的なリズムでチリチリ鳴く虫が何匹かいてかわるがわる勤勉につとめをはたしている。しずかなので、室内の家鳴りらしき音や、微細な虫が天井のむきだしの蛍光灯にカンカンあたっているらしい音やらが聞こえ、また窓のすぐそとで羽虫がカーテンから漏れる明かりにつられてうろついているようで、ときおり翅をバタバタやってゴーヤの葉のあいだをブンブン移動しているらしき音も間近く耳にさしこまれて、虫はとりたてて好きではないのでカーテンと網戸をはさんだすぐそこにそれがいるとかんがえるとちょっとからだに緊張をかんじた。
- 風呂を出たときに母親が桃をむいてくれていたのでそれをいただくためにソファですこし待ったのだが、そのときテレビは北野武と国分太一がパーソナリティをつとめる情報番組的なものをながしていて、玉城絵美といってボディシェアリングなる技術を研究開発しているひとが紹介されていた。腕に巻くタイプの機械をふたりがつけ、いっぽうが手を握ったりするとその情報がつたわってもうひとりも意図せずとも勝手にからだがおなじようにうごく、というもので、しくみは、だいたいひとはここの部分がうごけばどの指がうごくというのが決まっているらしく、腕に巻いた機械でどこの筋肉がうごいたというのを読み取り、そことおなじぶぶんをうごかすように周波刺激を他方におくって筋肉を強制的にうごかす、というものらしい。TIMES誌の世界の発明五〇みたいなやつにえらばれて注目されており、このまますすめばノーベル賞ものになるかもしれないとのこと。
- マルセル・プルースト/井上究一郎訳『失われた時を求めてⅠ 第一篇 スワン家のほうへ』(ちくま文庫、一九九二年)より。
- 257~258: 「なるほど私は、本のなかでは――そしてその場合は私自身もフランソワーズとまったく同様に――喪の概念に同感しただろう。たとえば『ロランの歌』の喪とか、またサン=タンドレ=デ=シャンの正面玄関にあらわされている喪とかの場合である。しか(end257)し、フランソワーズが私のそばにくると、ある悪魔が私をそそのかして、彼女を怒らせてやれという気持にさせるので、私はわずかなきっかけを見つけては、こんなことを彼女にいうのだ、叔母が亡くなったのを自分が惜しむのは、こっけいに見えることばかりをやっていても彼女が善良なひとであったからなので、叔母であったからというのではけっしてない、たとえ相手が私の叔母であっても私にとっていやに思われることもありうるし、彼女が死んでも私になんの悲しみも起こさせないことだってあるだろう、と。つまり、そういうことを本で読んだとしたら私にはきっとくだらないと思われたようなことを、フランソワーズのまえで口にするのであった」
- 259: 「家々の壁、タンソンヴィルの生垣、ルーサンヴィルの森の木々、モンジューヴァンが背を寄りかからせている灌木のしげみ、それらは私の雨傘とかステッキとかにぴしぴしとたたかれ、私の歓声を浴びるのだ、そうした私のふるまいは、私をたかぶらせている混乱した思考、そとの光のなかにはいってまだ落ちつけなかった混乱した思考が、徐々に、難儀しながら、あきらかな形をとるよりも、直接のはけ口へ手っとり早く流れでようとする快さを好んだために生じた結果にほかならなかった」
- 259~260:
(……)現在の私がメゼグリーズのほうに負っているもの、メゼグリーズのほうがたまたま背景となりまた必要な啓示となってもたらされたささやかな発見、そうしたものをいま私が数えあげようとするとき、私に思いだされるのは、その秋の、そうした散歩のある日に、私が、モンジューヴァンの背後の防壁となっている灌木のしげった斜面の近くで、われわれの受ける印象と、その印象をわれわれが表現する日常の言葉とのあいだのくいちがいに、はじめて(end259)心を打たれた、ということである。一時間ばかり、大よろこびで雨や風と格闘したあげく、私がモンジューヴァンの沼のほとりの、ヴァントゥイユ氏の庭師が庭園づくりの道具をしまっていたスレートぶきの小屋に着いたとき、ちょうど太陽がふたたびあらわれたばかりで、驟雨に洗われた太陽の金箔が、空に、木々の表面に、小屋の壁に、まだぬれているスレートの屋根に、新しくかがやいていて、その小屋の屋根のいただきに一羽の雌鶏が歩いていた。吹く風が壁面に生えてしまった雑草やその雌鶏の綿毛を横になびかせ、雑草も綿毛もともどもに、やわらかくて軽い物に特有の抵抗のなさで、その長さいっぱいまで、風の吹くままになびいていた。ふたたび太陽を反映して光っている沼のなかに、スレートの屋根がばら色の大理石のまだら模様をつくっていたが、そんな模様に注目したことはまだ一度もなかった。そして水のおもてと壁の表面に、ある青ざめたほほえみがちらつき、それが空のほほえみに答えているのを見て、私は熱狂のあまり、とざした雨傘を振りまわしながら叫んだ、「ちえっ、ちえっ、ちえっ、ちえっ。」 しかし同時に、自分の義務はこんな不透明な語にとどまることではなく、自分の魂をうばったこの恍惚をもっとはっきりと見るようにつとめることではなかろうか、と感じた。
- 262: 「しかし女の出現をねがうそんな欲望が、私にとって、周囲の自然の魅力にさらに何か興奮的なものをつけくわえたように思われたとすれば、その反面で、自然の魅力は、せまくなりすぎるおそれがあった女の魅力の領域をひろげるのであった。木々の美はさらにその女の美であり、その女のくちづけは、私が見わたしていた地平の風景の、ルーサンヴィルの村の、その年に私が読んでいた本の、それぞれの魂を私につたえてくれるように思われた、そして私の想像力は、私の肉感性に接触して力をとりもどし、肉感性は想像力の全領域にひろがり、私の欲望にはもはや限界がなかった。つまり――われわれがそのように自然のただなかで夢想するときに、習慣の作用は停止され、事物についてのわれわれの抽象的な概念は脇におしやられるので、われわれは自分が所在する場所の独自性、その場所の個性的な生命を、深い信仰のように信じるものなのだが、そのようなときによく起こるように――私の欲望が出現を呼びかけている通りがかりの女は、女性というあの普遍的なタイプの任意の一例ではなくて、この土壌から生まれた必然的な、自然な存在であると私に思われたのであった」
- 263: 「メゼグリーズやバルベックそのものにたいして欲望をもったように、私はメゼグリーズやルーサンヴィルの農家の娘に、またはバルベックの漁師の娘に、それぞれ欲望をもった」
- 263: 「私の目に、木の葉の影をまだらに浴びた姿でしか思いうかばなかったその娘は、それ自身、私にとって、いわば特定の地方に自生する植物の一種類であった、そしてその種類は、おなじ植物の他の種類より丈が高いだけでなく、その構造も、この地方の風致の本質に一段と深くせまることを可能にするものなのである」
- 272:
「あら! お父さまのあの写真が私たちを見つめているわ、誰がこんなところに置いたのかしら、二十度もいったのに、場所ちがいだって。」
これはヴァントゥイユ氏が自分の作曲した楽譜のことで私の父にいった言葉であったのを私は思いだした。この肖像写真は、彼女たちがおこなう儀式である瀆聖に、おそらくいつも役立っていたのだ、なぜなら女友達は、彼女の典礼の応答の一部をなしていたにちがいないつぎのような言葉で、ヴァントゥイユ嬢に答えたからである。
「いいのよ、そのままにしておけば、私たちにうるさくいおうとしても、もう生きていないのだから。それともこんなに窓をあけっぱなしにしているあなたを見たら、泣きべそをかいて、あなたにコートをかけてくれるとでも思っているの、あのいやらしい猿がさ。」
- 274~275: 「彼女のようなサディスムの女(end274)は、悪の芸術家であって、根底からわるい人間は、悪の芸術家にはなりえないであろう、なぜなら、根底からの悪人にあっては、悪は外部のものではなく、まったく自然に自分にそなわったものに思われ、その悪は自分自身と区別さえつかないであろうから、そして、美徳や、死んだ人たちへの追憶や、子としての親への愛情にしても、そんな悪人は、自分がそうしたものに崇拝の念を抱かないであろうから」
- 281: 「きんぽうげは、このあたりに非常に多く、彼らは草の上であそぶためにこの場所を選んだかのようで、一ところに孤立したり、対になったり、群をなしたりして、卵黄の黄色をふりまいていたが、そのあざやかな視覚の快感が、どんな味覚をさそいだすこともできないうちに、私はそれらのきんぽうげの金色に焼けている卵黄の表面に視覚の快感をどんどん盛りあげていって、ついにその快感が食欲を越えた美を生みだすまでに強くなったので、それらの黄色はますますかがやくように私には見えるのであった」
- 282:
私は土地の子供たちが小さな魚をとるためにヴィヴォーヌ川のなかに沈めるガラスびんを見るのがたのしかったが、そうしたガラスびんは、なかに川水を満たし、そとはそとで川水にすっぽりとつつまれて、まるでかたまった水のように透明な、ふくれたそとまわりをもった「容器」であると同時に、流れている液状のクリスタルのもっと大きな容器のなかに投げこまれた「内容」でもあって、それが水さしとして食卓に出されていたときよりも一段とおいしそうな、一段と心のいらだつ清涼感を呼びおこした、というのも、そのように川に沈んだガラスびんは、手でとらえることができない、かたさのない水と、口にふくんで味わえない、流動性のないガラスとのあいだに、たえず同一の律動の反復をくりかえして消えてゆくものとしてしかその清涼感をそそらなかったからであった。私はあとで釣竿をもってここへこようと心にきめ、間食のたべもののなかから、パンをすこしねだり、それを小さなパンきれにまるめてヴィヴォーヌ川に投げるのであったが、そんなパンきれだけでそこに過飽和現象をひきおこすには十分であったように思われた、なぜなら、水はパンきれのまわりにただちに固形化して、ぐにゃりとしたおたまじゃくしのかたまりのような卵形の房になったからである、おそらく水は、そのときまで、いつでも結晶させられるようにして、そんな房を、目に見えないように、そっと溶かしてひそめていたのであろう。
- 284~285: 「一方もうすこし先に行くと、文字通りの浮かぶ花壇となって、おしあうように密生し、まるであちこちの庭のパンジーが、蝶のように、その青味をおびた、つやのある羽を、この水上の花畑の透明(end284)な斜面に休めにきていたかのようであった、この水上の花畑はまた天上の花畑でもあった、なぜなら、この花畑は、花自身の色よりも、もっと貴重な、もっと感動的な色でできた、一種の土を、花々にあたえていたからであり、またこの花畑は、午後のあいだ、睡蓮の下に、注意深くだまって動く幸福の万華鏡をきらめかせるときも、夕方になって、どこか遠い港のように、沈む夕日のばら色と夢の色とに満たされるときも、次第に色調が固定する花冠のまわりに、その時刻にもっとも奥深いものとの調和、もっとも逃げさりやすいものとの調和、もっとも神秘なものとの調和――すなわち無限なものとの調和――をいつまでも失わないようにたえず変化しながら、睡蓮を中天に花咲かせたように思われたからであった」
- 288: 「要するに、私が思いえがいたのは、つねにメロヴィンガ王朝時代の神秘につつまれ、ゲルマントのあの「アント」 antes というシラブルから出てくるオレンジ色の光を浴びて、さながら夕日のなかに浸っているように思われた人物なのであった。しかし、それにもかかわらず彼らは、公爵であり公爵夫人である以上、私にとって、見知らぬ人間ではあっても、現実の存在であることに変わりがなかったとすれば、こんどは逆に、公爵という称号をもった人物が、途方もなく膨張し、非物質化して、その人物自体のなかに、彼らがその公爵である公爵夫人であるあのゲルマント家を、太陽に照らされたあの「ゲルマントのほう」の全体を、ヴィヴォーヌ川の流を、その睡蓮とその背の高い木々を、そしておびただしい晴天の午後を、残らずふくむことができるようになるのであった」
- 289~290: 「彼女は私が書こうと思っている詩篇の主題を私に話させるのだ。そしてそんな数々の夢は、私が他日作家になることを望んでいる以上、私が何を書こうとするつもりなのか、それを知る時期がいまきていることを私に告げているのであった。しかし、そのことを自分に考えながら、ある無限な哲学的意味をもたせることのできる主題を何か見出そうとつとめると、すぐに私の精神は活動を停止し、注意力をあつめ(end289)ても前面には空虚しか見えず、自分には才能がないか、それともたぶん脳がわるいために才能のあらわれがさまたげられているかだという気がするのであった」
- 291: 「そう思うと、私は自分がほかの人たちとおなじように存在し、彼らと同様に年をとって死ぬだろう、自分は彼らのあいだにまじって、書く素質をもたない人間の数にはいっているだけだ、という気がした。それで、私は勇気もくじけ、ブロックの激励にもかかわらず、永久に文学をあきらめようとするのであった。自分の思想が虚無であるという、私が抱いたこの内心の直接的な感情は、人からどんなお世辞の言葉を浴びせられても、それをうち消すほどに強く、悪人がみんなから善行をほめそやされるときの、良心のやましさに似た感情であった」
- 291~292: 「ふと、結婚のミサのあいだに、聖堂警手がからだを動かしたはずみに、小祭壇に腰をかけ(end291)ている一人の貴婦人が私の目にとまった、それは鼻の高い、ブロンドの婦人で、青い、鋭い目、スカーフはモーヴ色の、軽くふくらんだ、なめらかな、新しい、光る絹地で、鼻のわきに小さな吹出物があった」: モーヴ色5
- 292~293: 「私の失望は大きかった。それというのも、もともとゲルマント夫人のことを考えるとき、彼女をタペストリーやステーンド・グラスの色彩といっしょにして、生きている他の人間とは異なる世紀のなかに、異なる材料でできているもののように思いえがいていたことに、自分でけっして注意しなかったからなのであった。彼女が赤い顔をしていた(end292)り、サズラ夫人のようにモーヴ色のスカーフをつけていたりしようとは思ってもみなかった(……)」: モーヴ色6