2021/8/12, Thu.

 他者とのかかわりは、このような関係でありうるであろうか。まず、他者と「隣りあう」という関係は、「空間的な意味での隣接」ではない。隣人という意味での他者のむしろ「近さ」は、本とペンの接近と同様ではない。「隣」人であるということはひとつの「偶有的な [﹅4] 性格」をふくんでいるが、その偶有性は、一本の万年筆と一冊の書籍にあっての、(外的関係としての)位置関係の偶然性と等価ではない。「隣人」とは「だれでもよい者」(le premier venu)である一方、〈私〉にとって「最初に到来した者」(le premier venu)でもあるのであって、つまりおきかえのきかないこの [﹅2] 他者であるからである [註60] 。(end77)
 第二に、しかしより主要には、その関係の一方の〈項〉が、この、ほかならない [﹅8] 私、つまり〈私〉であるかぎり、他者との関係は、本と万年筆の関係と同等なものではありえない。ほかならない〈私〉と〈他者〉との関係にあっては、むしろ「《空間のひずみ》が人間存在のあいだの関係を表現している」(324/445)。――書籍とペンとの関係にあっては、空間は等質的な隔たりを両者のあいだにつくりだしている。私は両項の位置関係を外部から等分に確認 [﹅2] し、両者を公平に [﹅3] 見くらべることができる。空間はゆがんではいない。〈他者〉と〈私〉の関係は、なぜ空間のひずみをもたらすのであろうか。
 理由はある意味では単純である。「私が〈他者〉の他性に接近するのは、〈私〉から出発することによってであって、私と他者との比較によってではない」(126/177)からである。そのような比較は原理的に不可能である。すくなくとも、ペンと書籍との空間的位置関係の外部に立って両者を等分に見くらべ、その隔たりを測るようなしかたでは、原理的にいって不可能である。 〈他者〉との関係にあるかぎり、〈私〉はその関係を端的に超越し、関係を外部 [﹅2] からかたり、関係の項を等分に比較 [﹅2] することができない。――関係を意識するということ自体たしかに、なにほどかは関係の超越をふくんでいる、といいうるかもしれない。だが、「超越は〈私〉による超越である」(341/469)。しかも、超越するさき、関係のもう一方の項は、〈私〉にはあたえられていない。その意味で「絶対的に〈他なるもの〉、それが〈他者〉である。〈他者〉は〈私〉と数的関係をもたない」(28/40)。つまり、こ(end78)の [﹅2] 私は、他者とならびたつ地点、両者を等分に見くらべる原点、等質性を裏うちする観点、すなわち量化を可能とする視点には、原理的に立ちえないのである。
 「他性は私 [﹅] を出発点としてのみ可能である」(29/41)。他者と、ほかならないこの私との関係を「外側から見ること」は「根底的」に「不可能」である。つまり、「おなじ方向から(dans le même sens おなじ意味において)自己と他者たちをかたること」は、その関係そのもののなりたち [﹅4] からいって不可能なのである(cf. 46/65) [註61] 。
 そのかぎりでのみ、「〈私〉はエッフェル塔やジョコンダが唯一であるように、唯一であるのではない」(122/171)。つねになにものか [﹅5] であるこの私、ありふれたなまえ [﹅3] をもち、「だれ [﹅2] 」という問いに「なに [﹅2] 」によっても、たとえば職名 [﹅] をもってこたえうるようなこの私 [﹅3] (cf. 193/270)は、そのなにものかである [﹅2] ことにおいて、うたがいもなく平凡であり、凡庸である。「〈私〉の自己性(ipséité)とは、個体的なものと一般的なものとの区別の外部にありつづけることである」のは、つまり「〈私〉の唯一性(l'unicité)」が際だったものとなるのは、私が〈他者〉との関係のうちにあり、その関係のなかで逃れようもなく〈私〉でしかないことによってである(122/171)。他者との「関係の絶対的な出発点 [﹅10] 」であることによってのみ、私は〈私 [﹅] 〉となるのである(25/35)。

 (註60): Cf. E. Lévinas, Dieu et l'onto-théologie, in: Dieu, la mort et le temps, Bernard Grasset 1993, p. 156.
 (註61): この問題は〈私〉をめぐって山田友幸と永井均とのあいだであらそわれた論点と関係しているかもしれない。山田友幸「他者とは何か」(飯田隆・土屋俊編『ウィトゲンシュタイン以後』東京大学出版会、一九九一年刊)、とくに五三頁以下参照。永井の応答については、永井均『〈魂〉に対する態度』(勁草書房、一九九一年刊)一七〇頁以下参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、77~79; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時二七分に離床。さだかにさめたのは一五分。それいぜんもはやい時間から二回ほどさめたおぼえがあるが。きょうは天気は曇りもしくは雨。きのうの夕刊を見たところでは、一週間ずっと雨がちな天気がつづくらしい。それで陽の色もないしこの昼は比較的涼しくて、水場に行ってきてから瞑想をやっても暖気は寄せず、汗もあきらかには湧かない。そのわりに窓外のセミの声はきのうまでよりかえって厚くなったような印象で、盛りをこえつつ一時もちなおしたというところなのか、永遠に発泡しつづける炭酸水のように音響がシューシューさわいでいるなかでミンミンゼミが鈍く、低調なような重さをもってあさくうねる。
  • 食事はカレー。きのうのテレビのニュースですでに知っていたが、一面には全国の感染者数が過去最多とかつたえられており、東京も一時二〇〇〇人台まで落ちていたはずだが一日の新規感染者が四〇〇〇人台にまであがっているし、しょうがねえ、念を入れて(……)との会合はとりやめにするかとおもい、あとでその旨おくっておいた。まあ、潜伏期間とかPCR検査の用意とかをかんがえるとその日の感染者数が反映しているのはだいたい一週間くらいまえの人流とか動向ではないかと推測しており、きのう感染者がたくさん確認されたからといってかならずしもきょうそれに見合ってウイルスが爆発的に蔓延しているというわけではないとおもうが。ほか、タリバンが九つの州都を落としたというか制圧したという報。きのうは八つだった。八月六日にはじめて州都をとっていらいもう九つなわけで、じつにすばやい、破竹の快進撃といって良いのではないか。EUの関連高官によれば、タリバンはいまや全土の六五パーセントを支配しているとみられるという。カブールもとうぜん狙っている。首都が落ちたらマジでやばいとおもうが、とはいえ、仮に首都を落としてもタリバン中央政府として統治をおこなうような能力はないという声もあるようで、だから和平交渉で優位に立つために進撃をつづけているという予測がなされているようだ。そういう目論見はとうぜんあるだろう。取れるものを取れるだけ取っておけば、たとえば中央政府内にポストをもうけさせることもできるかもしれないし、イスラーム的政策をみとめさせることもできるかもしれないし、自治区的なかんじで国内に一部領土を掌握することもできるかもしれない。バイデンは米軍撤退をひるがえしはせず、決断を後悔してはいないと表明しつつ、国境外からの空爆や物資支援などはおこなうという当初の方針。カタールタリバンの交渉代表が常駐しているらしく、米国の高官もそこにむかい、またEU周辺諸国からもあつまっているようで、そこでタリバンがどうでるかがポイントだと。
  • ほか、小中高時代に読書をよくやったひとのほうが大人になってからの各種能力(主体的意欲、物事の理解力、批判的思考力、自分を客観視する能力とかだったとおもうが)が高い、という調査結果が青少年なんとか機構みたいなところから発表されたとあったが、読書好きの人間としては、そんなんあたりまえだろとなんの疑問もなく断言してしまう。とはいえ、なぜそうなるのかはかならずしも詳細にあきらかではないが。あと、電子書籍よりも紙の本で読む人間のほうがやはり理解力だったか記憶力だったか、それが高いというデータも出たようだが、それはあまりよくわからないし、じぶんとしてはどちらでも良いとおもう。
  • 風呂洗いでは、窓の内側の枠というか、壁のとちゅうがくぼんで窓になっているわけだけれど、そのくりぬかれた四角の下辺、窓ガラスのてまえのなにかちょっとしたものを置いたりもできる部分が汚れているのがまえから目についていたので、そこも擦って洗っておいた。茶を用意し、母親が切ってくれた桃とともに持ち帰るとウェブを見たあと「読みかえし」ノート。意味をきちんと読み取ろうとせずにとりあえず声に出して口を動かしていればそれでいいなとあらためておもった。それでけっこうたくさん、二時くらいまで読んでからベッドで書見。プルースト。これも四時あたりまでけっこうつづけて、310からはじめていま350くらいまで行ったはず。第一部「コンブレー」を終えて第二部「スワンの恋」にはいったが、第一部を読みとおしてみると、たしかにこのパートってマジでコンブレーの記憶をひたすらかたりつらねただけだな、というかんじ。冒頭、夜中にめざめたときにさまざまな記憶がよみがえってくる、というとりかかりからはじまるわけだが(単にそのことを説明するだけでも一〇ページくらいかけていたはずだが)、第一部のさいごにいたっても、このようにしてわたしは真夜中に起きてしまったときにそれいじょう寝られず、朝がくるまでベッドのなかでコンブレーのあらゆることを回想するのだ、みたいなまとめかたがされていて、だからマジで、大枠のはなしとしては、不眠の夜にたびたび子供時代のことを回想している、というだけのはなしになっている(いちおう菩提樹の茶とマドレーヌの挿話もあって、そこは夜中ではないわけだが)。その記憶の内容がずーっとひたすら三〇〇ページくらい紹介されている、という趣向。「スワンの恋」はヴェルデュラン家のサロンの説明からはじまっていて、そうかここでヴェルデュランからはじまるのだったかとおもった。そこにいたオデットがスワンと知り合って、スワンをサロンにつれてきて、そこでヴァントゥイユのソナタを聞いたスワンがオデットと恋愛してそのソナタはふたりの恋のテーマ曲みたいなものになる、という展開だったと記憶しているが、いまちょうどピアニストがヴァントゥイユの曲を弾いてスワンがそれを聞いているあたりまできている。ヴェルデュラン家というのは貴族階級ではなくて旦那はなんだか知らないが夫人は金持ちのブルジョアの家の出身で、そういう階級の鼻持ちならない人間として上流層にたいするコンプレックスがあるからその反動で本場の一流の社交界のひとびとを「やりきれない連中」として軽蔑しており、通人を気取りながら一握りのえらばれた仲間たち(「信者」)から構成される小規模なグループ(「核」)でもって夜な夜なあつまってたのしくやっているというかんじで、彼らのやりとりの記述にかんじられるその閉鎖的ないかにも内輪ノリのスノッブな虚栄心みたいなものは滑稽でもあるし鼻持ちならないものでもあるのだけれど、しかし同時に、読んでいるとなにかほほえましいようなもの、ある種の罪のなさみたいなものもかんじてしまった。それはわりと偉そうな見方でもあるのだろうが。つまり、超然とした位置から彼らを無邪気な連中だなあと、子どもの遊びでもながめるかのように笑って見ている、というような。とはいえ彼らはむろん実在する人間たちではなく、所詮は単なることばでしかない。所詮は単なることばでしかない人間たちにたいしてどのような印象をいだくかということにおいて、所詮は単なることばでしかないその彼らにたいして、直接的な道徳上の責任はたぶんない。しかし、彼らへの直接的な道徳的責任はないとしても、そのほかの道徳的・倫理的側面がそこに存在しないわけではないはずで、たとえばじぶんじしんにたいする倫理性というものはふつうに存在しうるはず。つまるところ、彼らにたいしてどのような印象を持ち、どのようなことば(とりわけ形容詞)をさしむけるかによって浮き彫りにされるのは、彼らの特徴とか性質ではなくて(それは作品に記されてあることばそのものをひろいあげてつなげることでしか浮き彫りにされない)、読んでいるこちらじしんの立場とかイデオロギーとか性質とか偏見とか感性とかだということ。とくに新鮮なはなしではなく、通有のかんがえかただが。つまり、文学作品とは読むもののすがたを映し出す鏡である、という紋切型に要約されてしまうはなしだが。
  • ちょっとストレッチをしてからここまで記して五時過ぎ。
  • なぜかわからないが、今年は自室のなかで蚊に遭遇するという経験がいままでないことに気がついた。去年までは、就眠時に耳のまわりを蚊がプーンと飛んで鬱陶しく、苛立たされてねむりにはいれないということが何度かあったが、今夏はそれがいちども起こっていない。蚊に刺されるということ自体もこれまでほぼなかった気がする。
  • アイロンかけのときに(雨は降っていなかったとおもうが空には濃いめの灰色をそそがれた雲がわだかまっていて、山にも靄がまつわって緑が見えにくくなっており、窓外は全体として墨絵の風合いになっていた)テレビが録画された『家、ついて行ってイイですか?』をながしていたのでながめた。「運命の分かれ道スペシャル」みたいな回で、さいしょ老舗の中華屋を継ぐ若い夫婦が出ていて結婚するとか述べており、そのあと千葉のスーパーだかJAだかで若い夫婦と行き会って旦那のほうの実家をおとずれたのだが、この男性は農家のひとで、その父親が一五年くらいまえにトラック運転手から家業だった農業に転換して成功し、でかい家を建てたというはなしだった。それがたしかに正面にひろくておおきな階段をかまえてそのうえには神社のような門まである御殿で、くだんの父親によれば階段の横に置いてある狛犬の像にあわせて中国風にしたということだった。番組スタッフが、数億円くらいしましたかと率直に生臭い問いをかけたところ、そんなにはしないよと言って濁していたが、たぶん二、三億とかそのくらいはするのではないか。
  • そのあと番組は終わり、すると録画リスト一覧みたいな画面にテレビは勝手にうつって、選択中のデータのプレビューとして左上のちいさな枠のなかに映像がながれるので、このおなじ『家、ついて行ってイイですか?』の回がさいしょからまたながれだす。それをそのまま放置しておき、アイロンをかけながら先ほど見はじめたときにはもう過ぎてしまっていたさいしょのほうの内容を(小さな画面なのであまり明確に視認できないものの)視聴した。あれはたぶん川崎駅だったのだとおもうが、そこで「街頭活動」をしている男性(沖縄の歌をうたったりもしているようだが、本義は政治方面のこころみだったようだ)に遭遇して自宅へ。これがけっこうおもしろくて、妻がいて帰るとちょうど夕食をつくっているところで、家はなかに楽器がたくさんあったり音楽スペースみたいなものとか妻が絵を描くためのアトリエがあったりして文化的においによって洒落ており、はなしを聞けばふたりは高校時代の軽音楽部の先輩後輩で(妻が先輩)、男性はもともと結婚相手と子どもがいたのだけれど、子どもの幼稚園の入園式に行ったその二週間後だかに家に帰ったら妻と子どもがいなくなっていたという。その直後に深夜三時ごろのコンビニで現在の妻とひさしぶりに再会し、意気投合して三か月で結婚、ということだった。男性は二四歳のときにインディーズバンドでCDを出しており、妻はすごい才能なんですよといって、そのバンドの音楽がどんなバンドよりも一番好きだといい、ながれる音楽にあわせて踊ったり狂乱したりしてみせ、非常に仲睦まじくたのしくやっているようすだったのだが、実は男性はここ二か月かそのくらい家に帰っていなくて会うのが非常にひさしぶりだったらしく、というのも政治活動に精を出しているからだと。まえの妻と子どもが出ていってしまったのもそれが原因だったらしく、もともと尖閣諸島沖で中国漁船と海上保安庁の船が衝突した事件のときに(Wikipediaを参照すると二〇一〇年のことで、sengokuなんとかいうアカウント名の人物によってYouTubeに衝突時の映像が流出したあの件だが、たしかこのあとに石原慎太郎尖閣を東京都が所有するという目論見を口にしはじめて、その後最終的に野田政権のときに国有化にいたったはず)、このままだと中国と戦争になってしまう、やばい、とおもって政治方面に関心をもちだし、その後沖縄に行ったりして(たぶん辺野古基地建設反対運動に参加していたということではないか)コミットをつよめていったという。それで家庭をなおざりにしてしまって、と男性は反省の言を口にしていたが、でもいまもおなじことやってるじゃん、わたしを放ったらかしにして、と妻に突っこまれており、それでいっしょにいると喧嘩になってしまうから距離を置いているというはなしだった(家をはなれているとき、男性はだいたい一泊一七〇〇円とかの宿に滞在しているらしく、いっしょにいると「喧嘩」になっちゃう、でも距離を置くとそれが「はなしあい」になる、「はなしあい」ができるようになるんですよ、と言っていた)。
  • 307~308: 「むろん、自然のそんな一角、庭園のそんな片すみは、ささやかなあの通行人、夢みていたあの少年によって――国王が群衆にまぎれこんだ記録作者によってのように――じっと長くながめられていたとき、自分たちがその少年のおかげで、この上もなくはかなく消えさる自分たちの特徴をいつまでもあとに残すようになろうとは、思いもよらなかったであろう、にもかかわらず、生垣に沿ってやがて野ばらにあとをゆずることになるさんざしのあの密集した(end307)花の匂、小道の砂利の上をふんでゆく反響のない足音、水草にあたる川水にむすぶかと見えてただちにくずれさる泡、私の高揚は、それらのものを、こんにちまでもちこたえ、それらのものにあのように多くの年月をつぎつぎに遍歴させることに成功したのであり、一方周辺の道は姿を消し、その道をふんだ人々も、その道をふんだ人々の思出も死んでしまっているのだ」
  • 310: 「もとより、メゼグリーズのほうにしてもゲルマントのほうにしても、異なったさまざまな印象を、同時に私に植えつけてしまったばかりに、それらの印象の一つ一つを永久に分解できないほど私のなかで一体化してしまったので、将来にわたって、この二つの方向は、多くの幻滅や、多くのまちがいの危険にさえ、私をさらすようになった。というのも、しばしば私は、ある人がただ単に私にさんざしの生垣を思いださせるだけであるのに、やたらにその人にもう一度会いたいと思うようになったり、単に旅行したいという欲望だけから、ある相手にたいして愛情がもどったと自分に思い、相手にもそう思わせようとするそんな気持にさそわれるようになったからだ」
  • 311: 「この二つの方向は、またそれらの印象に、ある魅力、私だけにしかないある意味をつけくわえている。夏の夕方、調和に満ちた空が、野獣のようにほえ、みんなが口々に雷雨に不平をこぼすとき、私だけが一人、ふりしきる雨の音を通して、目には見えずにいまもなお残っているリラの匂を嗅ぎながら恍惚としていられるのは、メゼグリーズのほうのおかげなのだ」
  • 312: 「むろん、朝が近づくころには、夜なかの私の目ざめに伴ったあのつかのまの不確実さは、消えてから長く経っていた。私は自分が実際にどんな部屋にいるかを知っていたし、すでに闇のなかで私は自分を中心にしてその部屋を再建していた、そして――ただ記憶だけで自分の向きをきめたり、ふと目にしたかよわい光を手がかりにして、その光のすそに窓ガラスのカーテンを置いたりしながら――あたかも窓や戸口の面積は元通りにして改装する建築師や室内装飾家のように、その部屋をすっかり再建し、家具を入れ、姿見を置き、簞笥をいつもの場所にすえてしまっていた。しかし、夜あけの光が――それも、私が夜あけの光だと解釈した銅製のカーテン・ロッドに映る最後の燠火の反射ではなくて、ほんとうの夜あけの光が――闇のなかに、チョークで書いたように、その最初の、白い、訂正の線を入れるやいなや、窓はそのカーテンとともに、私がまちがって戸口の框に置いていたその場所を離れ、一方私の記憶が迂闊にもそこにすえられていたと思いこんでいた仕事机は、窓に席をゆずるために、暖炉を前方に突きだし、廊下との境の壁をおしのけながら、大いそぎでのがれさるのであった(……)」
  • 320~321: 「聡明な人が他の聡明な人から愚物と見られることをおそれないように、エレガントな人間は、自分のエレガントが、大貴族にかえりみられないことをおそれないで、田舎者にかえりみら(end320)れないことをおそれるのである。この世がはじまって以来、人々が浪費したあの才気の代償、虚栄から出た虚偽、それらはかえって人々を小さくしただけであるが、それらのものの大部分は、劣等者を目標にされてきたのであった。そして、公爵夫人にはなんのこだわりもなくのびのびしていられたスワンも、小間使のまえでは、軽蔑されはしないかとびくびくして、気どったポーズをとるのであった」
  • 322~323: 「それからまた、理知にすぐれていながらいままで無為に日を送ってきて、その無為が自分の理(end322)知に、芸術や学問が提供するのとおなじほど興味に値する対象を提供するという思想、「人生 [﹅2] 」はどんな小説よりもおもしろく、どんな小説よりも小説的な状況をふくんでいるという思想に、一つのなぐさめを、またおそらくは一つの口実を求めている人たちがいるものだが、スワンはそんな理知に富んだ人たちの部類に属していた」
  • 327~328: 「 [オデットは] スワンにはなるほど美しくない女とは思われなかったが、しかし彼が関心をそそられるような美しさではなく、なんの欲情もそそらず、むしろ一種の肉体的嫌悪をさえ起こさせるといった美しさに属する女で、個人差はあろうがどの男でもそれぞれもっているような女、われわれの官能が要求するのとは反対のタイプの女の一人だというふうに映ったのであった。彼が気に入るにしては、横顔はとがりすぎ、肌はよわよわしすぎ、頬骨は出すぎ、顔立はやつれすぎていた。目は美しかったが、いかにも大きくて、それ自身の重さでたわみ、そのために顔の(end327)残りの部分は、疲れをおびて、いつも色がわるく、不機嫌そうなようすに見えた」
  • 350: スワンがはじめてヴァントゥイユのソナタを聞いたときの一節: 「それからヴァイオリンの、ほそくて、手ごたえのある、密度の高い、統率的な、小さな線の下から、突如としてピアノの部分の大量の音が、ざわめきながらわきたち、月光に魅惑され変記号に転調された波のモーヴ色の大ゆれのように、さまざまな形をとり、うちつづき、平にのび、ぶつかりあって、高まってこようとしているのを見たとき、それだけでもう彼は大きな快感にひたったのであった」: モーヴ色8
  • 357~358: 「彼ら [コタール] 夫妻にとっては、ピアニストがソナタを弾くときは、自分たちになじみの形式とはまったく無関係な音符をでたらめにピアノの鍵盤にひっかけているように見えたし、(end357)画家はその画布の上にでたらめにいろんな色を投げつけているように見えるのであった。そうした画布に彼らがある形を認めることができたとしても、彼らはその形を重苦しくて低俗だと考えるのであって(つまり彼らは街で生きた人間を見る場合でも、いつも絵画の流派を見本に使い、それに照らしてその人間にエレガンスが欠けていると考えるのであって)、ムッシュー・ビッシュには人間の肩の構造も、また女の髪の毛がモーヴ色ではないことも、ともにわかっていないかのように、彼の絵には真実がないと思うのであった」: モーヴ色9