2021/8/15, Sun.

 素朴に考えて、会話するふたりの人間は、こもごも話し手となり聞き手となることができる。この原初的な対称性がなりたっていることで、ことばを発することがさらに、他者にたいして、あるいは懇願 [﹅2] し要請 [﹅2] し、あるいは命令 [﹅2] する行為となることがありうる。他者と私のあいだのことばという関係は、基底的には対称的な関係であることで、適切な条件のもとで、非対称的な関係 [﹅7] をつくりだすこともできるのだ。だから私は、ことばによって [﹅7] 他者をうごかす [﹅4] ことが可能である。たとえば私は、他者のからだを物理的に部屋から押し出すかわりに、(適切な条件のもとでは [註64] )「出てゆけ!」と発話すること [﹅6] で、他者を部屋のそとに放逐する [﹅4] ことができる。あるいはまた、不注意で崖から転落しようとしているひとの襟首を摑んで引きもどすまえに、「危ない!」と叫ぶこと [﹅4] で、そのあゆみを止める [﹅3] ことも可能なのである。――ほんとうだろうか。うたがいもなく明白にみ(end85)えるこうした言語行為(speech acts)の諸事実は、〈ことば〉を使用することの、より基本的な消息をおおいかくしているのではないか。
 アリストテレスは、論理学的著作群のなかですでに、「文」(ロゴス)はすべて意味をもつが、しかし真偽を問いえない文があること、つまり「命題」(アポファンシス)ではない表現が存在することに注意していた。その代表的な例としてあげられるのは「祈り」(エウケー)である [註65] 。唐突に結論を先どりするならば、だが、いっさいの言語行為、あるいはすくなくともそのうちで典型的なものは、かえってどこか〈祈り〉に似てはいないであろうか。というより、むしろ〈祈り〉そのものなのではないだろうか。
 サールが誘導型あるいは指示型(Directives)に分類する発語内行為、たとえば命令をとりあげてみる [註66] 。適切な状況と条件のもとで「出てゆけ!」という発語行為がなされたとき、それは「同時にかつ、それ自体として」もうひとつのべつの行為、すなわち(退出を命じる)命令という発語内行為を構成する [註67] 。だが、端的なところ、(その発語内行為が適切性条件のすべてをみたしているにもかかわらず)相手がその命令にしたがわない場合はどうか。――もちろん、命令がなされた結果あるいは成立するかもしれず、あるいは成立しないかもしれない「退出」もしくは「服従」という行為は、発語媒介行為にかかわり、発語内行為とはべつの独立のことがらである。だからこそまた「違反」と「反抗」がありうる。また一般に、「無駄」な脅迫や、「むなしい」勧告もありうる。そ(end86)うであるならば、逆にしかし、実現し服従された命令とは、たまたま聞きとどけられた「命令」であるにすぎないことになるのではないだろうか。
 じっさい、「命令」(command)は、ときに「要求」(request)になり、あるいは「依頼」(ask)へと後退し、また「懇願」(beg)と交替する。それらはやがては「祈り」(pray)となりおおせるのではないだろうか。命令のゆくすえが他者にゆだねられ、実現の未来が他者からのみ到来するかぎり、しかも「時間は、存在にあらたなものを、絶対的にあらたなものをつけくわえる」(316/438)ものであるかぎり、命令は本質的には、未来としての他者への祈り [﹅2] であるほかはないとおもわれる [註68] 。「未来との関係、現在における未来の現前 [註69] 」は、それじたい言語の本質的な特徴であるが、それはまた、「標なき未来」(121/170)がそこにかかっている他者との関係においてのみ可能である。当面の問題についていうならば、「命令」はただ「命令せよという命令を〈他者〉から受けとること」(194/272)によってのみ可能となる。――命令はつねに〈高み〉から到来する。他者はとりつくしえない無限であることで、私にとって〈高み〉に立っている。命令は、だからいつでも他者からのみ私に到来する。〈命じること〉もまた、他者に〈仕えること〉に先だたれているのである。
 「指示」するという言語行為が他者の参与を必要とするものであることは、すでにみた(三・5・B)。指示もまた参与の要請であり、やがてはやはり〈祈り〉となるであろう。(end87)もうひとつだけ例をあげておくとすれば、たとえば「命名」という言語行為のうちには、(親が子どもを名づけるような)典型的なばあい、命名の対象がその名で呼ばれることへの願いが、つまりは結局はあてどない未来への〈祈り〉がふくまれている。不確定な未来の先どりということについてオースティン以来よく知られた一例をあげれば、「約束」にかんして、たとえば祈るように [﹅5] 交わされる再会の約束を考えてみれば、その性格は十分にあきらかであろう。
 かくして、およそ私が他者にむけてかたりだす「〈ことば〉は他者へとむけられ、他者を召還し他者に祈念する」(70/98)。ヤコブソンはかつて(「ことばによる交流」 phatic communion という)マリノウスキーの着眼をうけて、言語の「交話的機能」(la fonction phatique)という概念を提起した。交話的機能とは、対話の開始、継続、終了そのものを確認することばのはたらきのことである。よく知られているように、そして、交話的機能は最初に獲得され、最後に喪失される〈ことば〉のはたらきにほかならない [註70] 。その意味でも、「〈ことば〉の関係は、召還、呼格(le vocatif)をその本質とする」(65/91)のである。ことばとはまず、声じたいが聞きとどけられることへの呼びかけであり、祈りなのだ。
 言語行為の諸事実がおしえているように、たしかに私はことばによって [﹅7] 他者にはたらきかけ、他者をうごかす [﹅7] ことができる。ただしそれは、ことばがあらかじめ呼びかけ [﹅4] で(end88)あり、祈り [﹅2] であることによってである。さきに触れておいたように、こうして、ことばによって他者に命令しようとするものこそがかえって、ことばをつうじて他者にかぎりなく仕える [﹅3] ことになるのである。

 (註64): たとえば、相手が部屋のなかにいること、私が命令しうる立場と状況にあること、相手に声が聞こえていること、等々である。
 (註65): Aristoteles, De interpretatione, 17 a 1-5.
 (註66): Cf. J. R. Searle, Expressions and Meaning, Cambridge U. P. 1979, p. 13 f. ちなみに、サールは発語行為を独立の行為としてはみとめない。Cf. idem, Speech Acts, Cambridge U. P. 1969, p. 23 n. 1.
 (註67): 「出てゆけ!」という発語行為において使用されている文は、この場合は真偽を問いうる命題ではない。もちろんしかし、同等の「発語内の力」(illocutionary force)をもった行為が、見かけ上たんなる命題の使用によって遂行されることも可能である。たとえば「ドアはあいているよ」等々。
 (註68): レヴィナスの時間論については、第Ⅱ部参照。時間論をめぐって、とくにハイデガーとの比較にかんしては、岩田靖夫レヴィナスにおける死と時間」(『思想』一九九六年三月号)、フッサールとの連続性にかんしては、斎藤慶典「他者と時間」(『現象学年報 5』日本現象学会、一九九〇年刊)参照。
 (註69): E. Lévinas, Le temps et l'autre, p. 68.
 (註70): R. Jakobson, Essais de linguistique générale, Minuit 1963, p. 217. この論点についてはさしあたり、熊野純彦「ことばが生まれる場へ」(岩波講座『現代社会学 5』一九九六年刊)六九頁以下参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、85~89; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 五時すぎくらいから掃除をした。(……)との通話を終えたあと上階でアイロンかけをしたのだが、そのあいだに母親が下階から、「電球が息してる」(というのは呼吸をしているかのようにひかりが増減する、ということだろうが)から取り替えて、などと言って呼んできたので、こちらと父親のどちらが行っても良かったのだろうけれど、父親は内田康夫浅見光彦シリーズのテレビドラマ(沢村一樹のときまでしか記憶にないが、いまは平岡祐太というひとが浅見光彦を演じているようで、このときやっていたのはたぶん沢村一樹版だったとおもうけれど、こちらにいちばん馴染みがあるのは中村俊輔が演じていたバージョンで、浅見光彦シリーズとしては彼がいちばん好きである)を見ていたのでアイロン掛けを終えると下階にくだり、両親の寝室に行って、化粧台に付属した小さな椅子のうえに乗って蛍光灯を替えた(「電球」と言っていたからちいさな豆電球のことかとおもっていたらそうではなくてふつうにほそながい蛍光灯の一本のひかりがもうちょっと不安定になっているということだった)。ついでにちょっとそこを拭いてよと雑巾をわたされたので、もとめにおうじて壁のうえのほうとか、引き戸や押入れの入り口をかこむ枠のうえとか、壁の最上端で天井に接するところのすこし台のように盛り上がっている部分(建築用語がわからない)などの埃をぬぐいとった。一回ではむろんすべてを拭けないので、じぶんで行ったり母親にたのんだりしてたびたび雑巾をゆすぎにいかなくてはならない。寝室内にはこちらが中学生のときに学ランすがたで兄(当時もう高校生なのでブレザー)と母親と神社で撮った写真と、こちらが高校を卒業するときに母親とならんでふたりで撮った写真が壁にあったが、高校のそれを見てみると当時はまだ髪がいまよりもよほどながく、顔の両側を縁取るようにまっすぐ垂らして頭頂部はちょっと逆立てるという髪型を取っていて、すこしホスト風でもあるのだけれど、意外とそこそこ似合っているようにおもわれた。いきがっている馬鹿な高校生にありがちなことでとうじはなぜかそういうスタイルにあこがれており、髪をまっすぐにしたいとおもって朝にアイロンをつかって加熱しながら伸ばしたりなどもしていたのだ。いまはもう面倒臭いので整髪料をつけることすらほぼやらないが、いいかげんシンプルな髪型にも飽きてきたのでもうすこし洒落っ気を出したい気持ちもあるにはある。しかしこの高校時代の写真で注目すべきは髪型よりもその目つきであり、なんというかすべて黒く塗りつぶされたかのような、いかにも覇気がなくてうつろといったかんじの目をして映っており、アニメや漫画のほうでよくそういう表現がされるとおもうけれどマジでそれにちかいような雰囲気で、当時の鬱屈度合いをよくあらわしているようで、ああ俺ってやっぱり高校のころはこういうかんじだったんだなとおもった。まあじっさいにはふだんはもうすこしひかりのある目をしていただろうし、たのしいこともいろいろあったはあっただろうが、なにしろ口癖が「帰りてえ」「ねむい」「だるい」「つかれた」「腹減った」だったので。ここから二年を待たずにパニック障害におそわれることになる。中学時代の写真のほうは髪も坊っちゃん刈りだし、ふつうにまじめな坊っちゃんというかんじで、これが何年生のときかわからないが背格好からみてたぶん二年生ではなかったか。表情は、もちろんはつらつとしてはいないけれど、顎をやや引きすぎたような状態からまぶしさを我慢するような上目遣いをくりだしており、まあふつうの、おとなしそうで臆病そうな少年というところで、まだそんなに鬱屈や疎外をかかえている雰囲気はない。
  • その後、飯の支度もするようではあったのだけれど、なんか掃除のながれになったからついでに自室にずっと放置してあった新聞をしばってかたづけておこうという気になって、ちょうどよく階段下の室にあったしばるようのテープを持っていき、三つのまとまりをこしらえた。さいしょのひとつは一本で縦横巻いてしばったのだが、それだとややゆるくなるようだったし、ながさをイメージするのも面倒臭かったので、あとのふたつは縦に一本横に一本と贅沢につかって二度しばり、より緊密にしあげた。それでそれらをもって階段をあがり、そとの物置きにはこんでおく。雨が降っていたので片手に傘を持たねばならず、そうするともう片手ではまとまりひとつずつしか運べないので、のろのろと三往復することになったが、そのぶん外気にふれる時間もながくなったので面倒臭くはなかった。雨はそこそこの降りであり、大気はやわらかくて涼しく、林からはさいしょのうちはセミの声は聞こえずにむしろ鳥たち、ヒヨドリかなにかピーピーいう鳥たちが雨に負けまいと気張るかのように叫んでいたが、じきに鳥よりもミンミンゼミのうなりのほうが目立つようになって、セミセミで雨音を意に介さずはねかえしてそのなかをつらぬくようになかなか密に締まったひびきを出していた。
  • これで自室の机のしたの暗がりやベッド脇の片方のスピーカーのまえがすっきりしたわけだが、新聞が去ったあとの埃がすごいのでそれを処理しなければならない。そういうわけで両親の寝室から掃除機を持ってきて吸いはじめると、ふだんだらだら生きていてなまけているわりに根が神経症者なのでいちどはじめるとわりときちんとやりたくなるという性分で、スピーカーの前面や側面に付着した埃とか、その裏の壁と机とベッドとスピーカーに四方からかこまれた埃の聖域(サンクチュアリもしくはアジール)みたいな領域にはびこり蓄積した埃たちとか、机のうえに積まれた棚のうえにさらに六塔ぶんつみあげられている本たちのうえや横に溜まった埃とか(いちばんうえの本の表面だけではなくて、ひとつうえの本よりもすこしサイズがおおきかったり位置がずれていたりして塔の輪郭線からほんのすこしでもはみだした本のぶぶんがあると埃はそこにも容赦なく溜まってそのほそい舞台を隙間なく埋め尽くしており、その綿密なしごとぶりときたら大地のどんな一片にも油断なく降り積もってあまねくすべてをおおいつくす雪のそれとまるでおなじではないかと感心してしまったくらいだ)、そこからふりむいたさきにあるラックのうえにおなじようにつみあげられた本の埃とかを始末する意欲が湧いてしまい、あとはふつうに床のうえや机のうえを掃除する意欲も湧いて、けっこういろいろなところをきれいにした。もちろん完全ではないにしても、連休のさいごにこうして多少部屋を掃除できたのは良かった。ベッド脇のスピーカーのうえにはロラン・バルトの著作と関連本がふたつの塔としてつみあげられてあって、それはバルトぜんぶ読みたいしこうしてすぐに手のとどくところに置いておいてガンガン読んでいこう、などとあさはかなことをかんがえた過去のじぶんがそうしていたのだけれど、そうしておいてもじっさいなかなか読みはしないし、ここのスペースはかたづけてほかのものを気軽に置けるサイドボード的な場所にするかとおもい、たぶんぜんぶで三〇冊くらいあったとおもうのだけれどそれらを一冊ずつとりあげて丁寧に撫でるようにして埃を吸い取っていき(掃除機がノズルの先に埃をとらえかき出すための毛をとりつけたモードにできるのでやりやすい)、自室には置く余裕がないのでとなりの兄の部屋の本棚を略奪しようというわけで、棚の一スペースに置かれてあったなんだかよくわからない大学時代の資料みたいなものとかギターの教則本とか謎の冊子とかロシア語の本とかをてきとうにべつの場所にうつしてそのあとにバルト関連の本をはこんでいった。
  • そういうかんじでけっこうすっきりしたのだが、まだまだものは多いし、とくにもういっぽうのスピーカーのうえにはアンプが置かれているのだけれどそのうえがやはり本の塔三つでかんぜんに占領されていて、これだとアンプの熱が逃げなくなるしふつうに機械にわるいはずなのでこのあたりもほんとうはどうにかしたい。本を隣室に移動させながらおもったのは、すぐ目に見えるところに書物たちがいつもあって、あそこにあの本があったなとか、この話題に関連の本はあれだからつぎに読んでみたいなとか、そういうかんじであたまのなかで書物ネットワークがつながって把握できたり、気軽に取って調べたりできるということももちろん大事ではあるのだけれど(電子書籍の画面上のアーカイブだと物質性がなくてたびたび背表紙とかカバーの色やデザインとかが目にはいっておのずと配置が記憶されるということがないので、そういうことはたぶん起こりにくいとおもう)、じぶんは読み方として併読をしないしひとつを読んでいるとちゅうにべつの本をおもいだして調べ物をするということもあまりやらないので、ほんとうは本を保管しておくだけの用途の書斎というか図書室みたいな部屋があって、じぶんがふだん生活する部屋はもっとものをすくなくすっきりさせて、図書室にたびたび行ってそこから何冊か持ってきて読む、という暮らしができたら理想だなあということだ。
  • きょうもまず「読みかえし」ノートを読んだが、きのうかおとといに鈴木道彦訳の『失われた時を求めて』二巻の書抜きを足したのでそれ。両方読んでみると、井上究一郎はいまの日本語の感覚に照らして意外とそんなにこなれていないというか、ひとつにはたぶん一九〇九年生まれの人間の古い日本語の感覚があったり、もうひとつにはいわゆる翻訳文体というかそういうかんじも多少あったりして、日本語のいいまわしとしてけっこうわかりづらいところがあったり、あと読点もかなり多かったりしてそんなにするするなめらか、というかんじではない。鈴木道彦訳のほうがその点、文の組み立てや語り口や細部の説明のしかたにしてもわかりやすく、スムーズに読みやすいものになっているとかんじる。
  • それにしても二〇一六年のじぶんが書抜きしている部分を読んでみるに、やっぱりプルーストの心理解剖ぶりとかその叙述とかってなかなかすごいものだなという感が立った。えがかれているのはメロドラマ的恋愛心理の典型といえばそうなのかもしれないが、やはり分析が詳細にわたるためなのか読んでいても俗悪という感触をうけず、真実味をおぼえさせられる箇所がおおい(全体としてみれば陳腐な心理だとしても、個々の内容のつなげかたとその順序、つまりはひとに理解(や説得や共感)をあたえるまでのながれのつくりかたがうまいのではないか)。スワンが理知的な人間という設定になっているので、けっこう自己分析とか自己相対化をしているのだけれど、じぶんのある感情に評価や判断をくだして、さらにまたその評価や判断を対象化して今度はそれにたいして評価や判断をくだしたりべつの感情をおぼえたり、といったかんじの人間の思考の絶え間なさととめどなさと堂々めぐりとがよくえがかれているようにおもう。スワンはじぶんの恋情が狂ったようなものであるとか、それによってじぶんが不幸になったり苦しんだりしているとか、その恋情もいずれおさまって終わるときが来るだろうとか、じぶんで明晰に認識しているのだけれど、そういう理性的な自己分析をしてもだからといってそれが解決になるわけではなく、オデットへの恋と嫉妬によって苦しめられていることをよく知っていながら恋をやめることはできず、それどころか恋情がなくなって終わることを恐れている。しかし恋によって苦しめられつづけるのもまたつらいので、偶然にオデットが死ぬかじぶんが死ぬかしてこの恋愛状況全体がだしぬけにいっぺんになくなることを他方では夢見ている、という状態で、じぶんで不幸になることを明確に知りながらもしかしそのことをやめることはできず、そちらにむかっていくしかない、というのがスワンのいわば悲劇性なわけだけれど、それはいかにも理性的な主体の醒めた悲劇というかんじで、知らずにあやつられる悲劇(オイディプス)ではなくて知っていながら(むしろ積極的に)あやつられる悲劇という点で、『白鯨』のエイハブ船長の悲劇性をおもいおこさないでもない(積極性の度合いはスワンとエイハブとでけっこう違いがあるだろうが)。

 しかしながら、スワンはちゃんと気づいていた、自分がこうして懐かしんでいるのは落ちつきであり、平和であって、それは自分の恋にとって都合のよい環境ではなかったろう、と。オデットが自分にとって常に不在の、常に自分が未練に思う想像の女であることをやめるとき、彼女に対する自分の気持が、もはやソナタの楽節が惹き起こすのと同じ不思議な不安ではなくて、愛情や感謝になるとき、また二人のあいだに正常な関係がうちたてられ、それが彼の狂気や悲しみに終止符をうつとき、そのようなときにはおそらくオデットの生活にあらわれるもろもろの行為が、それ自体としてはさして興味のないものに思われることだろう――ちょうどこれまで彼が何回となく、そうではないかと疑ったように。たとえばフォルシュヴィルあての手紙を透かし読みした日がそうだった。スワンはまるで研究のために自分に細菌を接種した者のような明敏さで、自分の苦しみをじっと考察しながら、この苦しみから全快するときは、オデットが何をしようと自分にはどうでもよくなるのだろうと考えた。しかし実はこのような病的な状態のなかにあって、彼が死と同じくらいに怖れていたのは、現在の彼のすべてが死んでしまうそのような全快であった。
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 2 第一篇 スワン家の方へⅡ』(集英社、一九九七年)、212)


 彼女の行先が分からない場合でも、そのとき感ずる苦悩を鎮めるためならば、オデットの存在と自分が彼女のそばにいるという喜びだけがその苦悩の唯一の特効薬なのであるから(この特効(end239)薬は、長い目で見れば、かえって病状を悪化させるが、一時的には痛みを押さえるものだった)、オデットさえ許してくれれば彼女の留守中もその家に残っていて帰りを待ち、魔法や呪いにかけられたようにほかの時間とまるで異なっていると思われたそれまでの数時間を、彼女の帰宅時間によってもたらされる鎮静のなかに溶けこませてしまえば、それで充分だったろう。けれども彼女はうんと言わなかった。それで彼は自分の家へ戻ることになる。道々彼は、無理にもさまざまな計画を作り上げ、オデットのことは考えまいとした。そればかりか家に帰って着替えながら、心のなかでかなり楽しいことをあれやこれやと考えるのに成功さえした。ベッドにはいり、明りを消すときには、明日は何かすばらしい絵でも見に行こうという希望に心が満ち満ちていた。けれども、いざ眠ろうとして、習慣になっていたので意識さえしなかった心の緊張をゆるめたそのとたん、ぞっとするものが不意に湧き上がり、彼はたちまち嗚咽しはじめた。なぜこうなったのか、その理由さえ知りたいとも思わずに、彼は目を拭うと、笑いながら自分に言うのだった、「あきれ返った話だ、ノイローゼになるなんて」 それから彼は、明日もまたオデットのしたことを知ろうとつとめなければならないし、なんとか彼女に会うためにいろいろ力になる人を動かさねばと思うと、ひどい倦怠感を覚えずにはいられなかった。このように休みない、変化のない、そして結果も得られない行動が必要だということは、あまりに残酷なものだったから、ある日腹にでき物ができているのに気づいた彼は、ことによるとこれは命とりの腫瘍であり、もう自分は何ものにもかかわる必要がなくなるのではないか、この病気が自分を支配し、もてあそび、やが(end240)て息の根をとめてしまうのではないかと考えて、心の底から嬉しくなった。事実このころには、自分でそれと認めたわけではないにしても、よく彼は死にたくなることがあったのだが、それは苦痛の激しさを逃れるというよりも、むしろかわり映えのしない努力をつづけたくなかったからであった。
 (239~241)


 ときとして彼は、朝から晩まで家の外にいるオデットが、路地や広い道路で何かの事故に遭って、苦痛もなしに死んでくれたらと考えた。けれども彼女がかならず無事に戻ってくるので、人間の身体がこんなに柔軟で強靭であること、それをとりまいてさまざまな危険があるにもかかわらず(ひそかにオデットの死を願って、危険を数えあげるようになって以来、スワンは無数の危険がころがっていると思っていた)、いつもこれをことごとく巧みに防止し、その裏をかくものであること、こうして人間が毎日、ほぼなんの咎めも受けずに、欺瞞の仕事や快楽の追求に耽っていられることに、すっかり感心してしまった。そしてスワンは、あのマホメット二世、ベルリーニの描いたその肖像画が彼は好きだったが、そのマホメット二世の気持を自分の心のすぐ傍らに感じるのだった。この人物は、自分の妻の一人に狂気のような恋を感じはじめたと思ったので、ヴェネツィアの彼の伝記作家がナイーヴに伝えるところによると、自分の精神の自由をとり戻すためにその妻を短刀で刺し殺したのだった。それからスワンは、こんなふうに自分のことしか考えないのに腹を立てた。そして彼がこれまでに覚えた苦悩にしても、彼自身がオデットの生命をこれほど軽視している以上、なんの同情にも価しないもののように思われるのだった。
 (307)


 「(……)ね、オデット、こんな時間をいつまでも長引かせないでおくれ。これはぼくら二人にとって拷問だよ。その気になればすぐ片がついて、きみは永久に解放されるんだ。ね、そのメダルにかけて、いったいこれまでにこういうことをやったかどうか、言っておくれ」
 「だって、知るもんですか、わたし」と彼女はすっかり怒って叫びだした、「ことによったらずっと前、自分でもしてることが分からずに、たぶん二度か三度したかもしれないけれど」(end320)
 スワンはありとあらゆる可能性を検討していた。だがこうなると、あたかも頭上の雲のかすかな動きと私たちをぐっさり突き刺すナイフの一撃とが何の関係もないように、現実は可能性とおよそ無関係なものになる。なぜならこの「二度か三度」という言葉が、生きたままの彼の心臓に一種の十字架を彫りつけたのだから。奇妙なことに、この「二度か三度」という言葉は単なる言葉にすぎず、空中で、離れたところで発音されたものなのに、それがまるで本当に心臓にふれたかのように心を引き裂き、毒でも飲んだようにスワンを病気にさせることができるのである。スワンは知らず知らずにサン = トゥーヴェルト夫人のところで耳にしたあの「こんなにすばらしいものは、回転テーブル以来見たことがございません」という言葉を考えていた。いま彼が感じているこの苦痛は、彼がこれまでに考えたどんなことにも似ていなかった。それは単に、このとき以上に何もかもすっかり信用できなくなった瞬間でさえ、こんな不幸にまで想像を及ぼすことは稀だったから、というだけではない。たとえそのようなことを想像したときですら、それはぼんやりとしていて不確かで、「たぶん二度か三度は」といった言葉から洩れるような、はっきりとした、特有の、身震いするようなおぞましさを欠いており、はじめてかかった病気と同じように、これまで知っているどんなものとも異なったこの言葉の特殊な残酷さを持ってはいなかったからだ。にもかかわらず、彼にこういった苦痛のすべてを与えるこのオデットは、憎らしい女に思えるどころか、ますます大切な人になってゆき、それはあたかも苦痛が増すに従って、同時にこの女だけが所有している鎮痛剤、解毒剤の価値も増加してゆくかのようだった。彼は、まるで(end321)急に重病と分かった人に対していっそうの手当をするように、もっと彼女に心をかけたいと思った。彼女が「二度か三度」やったと語ったあのおそろしいことが、もう繰り返されるはずのないものであってくれと願った。そのためには、オデットを監視する必要があった。よく言われることだが、友人に向かってその愛人の犯したあやまちを告げると、相手はそれを信じないために、ますます相手を女に近づける結果にしかならない。だがもしその告げ口を信じた場合は、さらにいっそう相手を女に近づけることになるのだ! それにしても、いったいどうやったら彼女をうまく保護できるだろう、とスワンは考えた。たぶん、ある一人の女から彼女を守ることくらいはできるだろうが、しかし何百人という別の女がいるのだ。そして彼は、ヴェルデュラン家でオデットの姿が見えなかった日の晩、他人を自分のものにするなどという絶対に実現不可能なことを欲しはじめたあのときに、どんな狂気が自分の心を通り過ぎたかを理解した。(……)
 (320~322)

  • 三時から(……)と通話した。話題は近況やいま読んでいるプルーストのことや、オリンピックや社会状況などについてだが、はなしたことはだいたい馴染みというか、過去の日記にもおりおり書いているようなことが大半だったとおもうので、くりかえすのが面倒臭いからおおよそ省く。(……)とはなすときはいつもこちらからあまり口火を切らず、しかし問われるとけっこうベラベラかたる、という言動になることがなぜかおおく、ベラベラかたったあとにそちらはどう? と問い返すようなことすらあまりせず、だからいきおい自分語りばかりしている感触になってしまう。それでも多少問うたり、自発的な反応によってむこうのことも聞くわけだが、(……)はオリンピックはけっこう見たという。見れば選手らがひたむきにがんばって長年の努力と鍛錬の成果を発揮したり、メダルを取ってむくわれたようなようすを見せたりするのに感動するが、いっぽうで、たとえば金メダルをとったからといってそれがほんとうにそのひとにとってむくわれたということなのかなあ、今回のオリンピックが終わったらもうすぐさまつぎのパリ五輪ではどういうふうにしたいとか言わないといけないし、とか、そのようにして選手にかかるプレッシャーのこととか、ファンというか観戦者がTwitterほかで垂れ流す誹謗中傷のこととか、そういったことごとが気にかかりもしたようだった。そこから実存とか承認とかいつもながらのはなしにもつうじたが、それは省く。ほかに興味深かったのは(……)がさいきん中国人に聖書をおしえているということで、それをもっとうまく説明したいという意欲でもって中国語の勉強もけっこうがんばっているらしく、聖書の内容を中国語で説明できんの? ときいたら、わりとできる、と言っていたので、それはすげえなと受けた。また、中国人のひとが聖書とかキリスト教をまなぼうとするきっかけってどういうかんじなの、っていうのは、中国共産党ってキリスト教を弾圧してるじゃん? だからそのひとたちが中国に帰ったらやばいじゃん、っておもったんだけど、と聞いてみると、日本に来ているからにはやはり中国社会に馴染めずに違和感をいだいて、なにかをもとめて日本に来ているというひとがわりと多いといい、いまの中国は拝金主義というかとにかく金を稼ぐという価値観がけっこう支配的らしく、貧富の格差も相当になっていて、そういうなかで適合できずほんとうに大事なものはなんなのかとか、やはりまあ実存的疑問をいだいて聖書をまなんでみたい、という動機のひとがあるようで、じっさいに聖書をいっしょに読んでおしえてみると、ここに書いてあることはほんとうにそうだとおもう、わたしのおもいやかんがえとまったくおなじことが書かれている、という反応がかえることがけっこうあるという((……)の体感としては、日本人におしえてどうおもいますかと意見をもとめても、そのひとの自由だとか、好きにすればいい、まあいいんじゃないですか、とかいうこたえがかえることがおおく、このじぶんがどう感じるかどう思うかというのを明確に述べないことがおおいのにたいし、中国人は、わたしはこうおもう、こうかんじる、ここに書いてあることにわたしはとても賛成だ、といったことをはっきりと言明する傾向があるようにおもう、とのことだった)。そういうはなしを聞いているとちゅうでこちらは笑ってしまったのだが、というのは、共産主義というのはもともとは貧富の差をなくしてみんな平等な社会をつくろうという思想だったはずなのに、共産主義を標榜しているはずの現在の中国ではむしろ金を稼ぐことが支配的目標になっており、そのために中国が批判している資本主義社会とおなじくらいかもしかしたらそれ以上の貧富の格差も生じており、そこに堪えられないひとはもっと大切な内面的価値のようなものをもとめてほかならぬその資本主義国に脱出してくる、という状況全体の矛盾やアイロニーがおもしろくおもえてしまったからで、そのことを説明すると(……)も、いやほんとに、矛盾してるよね、と同意していた。
  • 新聞からはアフガニスタンの状況をひきつづき追ったが、タリバンはもう三四州のうち二一州都だったかそのくらい制圧していて、カブールから一一キロの地点まで来ているという。指導層はいちおう、住民の財産保護や生活の向上に意識をはらえと言明しているようなのだが、実働部隊や下位の構成員らがそれにしたがっているかというともちろんそんなわけがなく、占領した各地でたとえば学校や建物を焼いたりとか、たとえば一二歳の少女に結婚を強要したりとか、たとえば大量の食事や物資を供出させたりとか、そういったことをおこなっているらしい。あとは書評欄をきょうはあまりちゃんと読まずほんのすこしだけ見たが、梅崎春生の本を紹介した記事のなかに直木賞受賞という情報があって、梅崎春生って直木賞とってたのか、とおもった。まったく読んだことないし、『桜島』が有名だということしか知らんのだが。この作はたしか古井由吉もけっこう褒めていたはず。あと岩波文庫V・S・ナイポールの『ミゲル・ストリート』の紹介など。小野正嗣訳。夕食時に読んだのはAIと衛星をくみあわせて日本周辺の不審船などを早期に検出してよりすばやく対応できるようにするという計画を防衛省や政府がすすめているというはなしと、博士課程の学生をインターンシップに参加させるという計画を文科省トヨタ自動車とか大手企業四十五社が共同ですすめているというはなしで、いわゆるポスドク問題および地位の不安定さによって博士課程に進学するひとが減っていることへの対応策というわけだが、しかしこの企業らが受け入れる人材というのは、やはり「理系の学生を中心に」と書かれてあった。新商品の研究開発などにしばらく参加してもらい、むろん場合によってはそのまま採用するケースも、とのこと。
  • 夜半くらいに新聞。きょうの新聞のなかからピックアップして持ってきておいたページをベッドで読んだ。ひとつは「あすへの考」で、これは一府一二省庁になった中央政府行政改革から二〇年を期してその経緯をふりかえったり、官邸のちからがつよくなりすぎたことの問題点を述べたりする記事。政治行政分野では基礎的なことがらなのだろうけれどぜんぜん知らないし、簡易によくまとまっているようにおもわれたのでこれはのちほど書き抜いておくことにした。あとは日曜版の絵画を紹介するシリーズで、円山応挙の幽霊図がとりあげられていた。さらに、記事の裏側つまり二面のほうには「Jホラーの原点の一つ」として、「霊のうごめく家」という作があげられており、「3話オムニバスのオリジナルビデオ作品「ほんとにあった怖い話/第二夜」(1991年)の1編」だという。監督は鶴田法男で、これは先日(……)さんが一年前の日記から感想を引いていた『リング0~バースデイ~』のひとじゃないかとおもった。この「霊のうごめく家」は鶴田監督が子どものころに遭遇したじっさいの幽霊体験をもとにしているといい、家に帰ったら見知らぬ男がいてべつになにもしないでいるだけだったのだがそのうちにふすまを通り抜けて両親の部屋にすーっとはいっていっていなくなった、両親にきいても誰もいなかったといわれた、というはなしで、発表当初はまわりから「幽霊に見えない」と言われたというがこれがむしろそれまでと比べて斬新な表現のリアルな怖さとしてそのあとのホラー作家に影響をあたえたらしい。
  • Ronald Purser, "The mindfulness conspiracy"(2019/6/14)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jun/14/the-mindfulness-conspiracy-capitalist-spirituality(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2019/jun/14/the-mindfulness-conspiracy-capitalist-spirituality))も読了。マインドフルネスから一時ひらいて、ネオリベラリズム一般のイデオロギー的支柱もしくは原理(すべてを原子的な個人の領域に還元するとともに市場および資本の論理に従属させるので、社会変革の活動としても集団的なものを好まず、その領域をないがしろにし、たとえば環境問題(ゴミによる環境汚染などで、いまでいえばプラスチックによるそれ)にせよ個々人の行動によってのみ状況を変えられるというテーゼを強力に主張して消費者ひとりひとりの責任を問ういっぽうで、プラスチックを大量に生産したりつかったりしているはずの企業の責任は不問にふされたり、あまりひかりをあてられなかったりするというわけで、この原理のもとではスピリチュアリティとか精神的・感情的なことがらもやはりおなじように孤立化・個人化させられて、社会的・外的な要因が考慮されないまま、個人の努力やとりくみや生活改善によって精神的・感情的問題も解決できるとされてしまう、というのが筆者の論旨であり、とうぜんそこからはその裏面として、じぶんの精神を涵養しおちついたこころをえようとしたり感情マネジメントとかを実践しないのはそのひとが悪い、というかたちでまさしく「自己責任」の論理が精神領域にも適用されてしまうというわけだろう)を概説するぶぶんはけっこうおもしろかったのだけれど、ほかの箇所はだいたいきのうの記事に要約したような内容をほぼそのまま何度もくりかえすような記述になっており、具体的な事例や現場を詳述したりとか、もうすこし掘り下げるようなことをしてほしかった感はある。
  • 457: 「なるほどスワンは、これまでは、オデットがどう考えてみても人目に立つような女ではないとしばしば考えたし、それに、彼は自分よりもひどく劣っている者には絶対的な権力をふるっていたので、「信者」たちの面前でそのこと [「二人が毎晩約束して会っていること」など、スワンとオデットの親密さ] が公表される場に立ちあっていても、すこしも得意な気持にはならなかったにちがいない、しかし多くの男たちにオデットが欲情をそそるほれぼれするような女に見えることに気づいてからは、他の男たちに呼びかける彼女の肉体の魅力が、彼女の心の隅々まで支配したいというなやましい要求を彼のなかに目ざめさせたのであった」
  • 459~460: 「その通に面したすべての窓のあかりはとっくに消されていて真暗であったが、そのなかでただ一つの窓が、部屋いっぱいに満ちた光を――その鎧戸のあいだから金色のふかしぎな果肉(end459)をしぼりだすように――そとにあふれさせているのを彼は見た」
  • 460: 「しかしながら、彼はやはりやってきてよかったと思った、彼を駆りたてて寝てはいられなくしたあの苦悶は、これでそのあいまいさを失うとともに、その鋭さを失ったのであった、そしていまは、オデットのかくれたもう一つの生活、さっきの瞬間に彼が突然無力なうたがいをもったもう一つの生活を、彼はにぎったのだ、その生活は、目のまえの部屋のなかで、煌々と灯火に照らされながら、何も知らない囚われびとのようにとじこめられ、彼の思いのままにいつでもふみこんでいって、とりおさえることができるだろう(……)」
  • 461: 「そして、おそらく、この瞬間に、彼がほとんど快いまでに感じたものは、疑念や苦痛が鎮まるときに感じるものとはべつな気持、つまり理知的な快楽なのであった。彼が恋にふけるようになって以来、いろんなものが昔のようなたのしい興味をいくらか彼にとりもどしてくれるようになったけれども、それはそうしたものがオデットの思出に照らされた場合にかぎられていた、ところがいま、彼の嫉妬がよみがえらせてくれたものは、勉強好きであった若いころのもう一つの精神作用であった、つまり真実への情熱であった、それも彼と愛人とのあいだにあって愛人のみから光を受ける真実なのだが、またオデットの行為、彼女の交際、彼女の計画、彼女の過去を、その唯一の対象とし、無限の価値をもった対象とし、ほとんど利害を離れた美をもった対象とするまったく個人的な真実への情熱であった」
  • 461~462: 「ところが恋愛というこの奇妙な時期には、相手の個人というものが(end461)まったく意味深長なものになるのであって、彼もまた一人の女の日常の些事にたいしてさえ、自分のなかに好奇心が目ざめるのを感じ、その好奇心は、昔彼が歴史 [﹅2] に抱いたそれとおなじものであった。そしていままでならばはずかしいと思うようなすべての事柄、たとえば、窓のまえでそっとなかのようすをさぐったり、いや、もしかすると、あすにでも、無関係な第三者にかまをかけてしゃべらせたり、召使を買収したり、戸口でぬすみ聞きしたりするようなことが、彼にはもっぱら、テキストの判読、種々の証言の比較研究、記念碑の解釈などと同様に、真に知的な価値をもった科学的調査の方法であり、真実の探究に最適の方法であると思われるのであった」
  • 462: 「目先の快楽にがまんができなくて、人は将来に可能な幸福の実現をどれほど犠牲にすることか! しかし、真実を知ろうという欲望は、それよりももっと強く、もっと貴いように彼には思われた」
  • 470~471: 「しかし、いまスワンが抱いているなやましい好奇心の原因が、この自分だけにあるとわかっても、そのことからただちに、この好奇心を重大視したり、それを十分はたらかせて満足させたりすることはばかげている、と考えるわけにはいかなかった。それは、スワンが一定の年齢に達していたからだが、その年輩の者の哲学は――当時の哲学、またスワンが長らく生活してきた環境の哲学、レ・ローム大公夫人の取巻連の哲学(この連中のあいだにあっては、人間の理知というものは、すべてのものをうたがう度合に応じるものであり、現実的で抗議の余地のないものは各自の好みだけだと知ることであるとされていた)によって支持されていた哲学は――すでに青年の哲学ではなくて、実証的な、ほとんど医学的な哲学であり、自分の渇望の対象に形態をあたえるかわりに、(end470)すでに流れさった星霜のなかから、そこにこびりついた情熱や習慣の滓をとりのぞこうと試みる人間の哲学であり、それらの情熱や習慣を自分たちのなかの性格的なもの、不変のものと考え、自分たちの採用する生活様式がそうしたものを満足させることをまず第一に考える人間の哲学であった」
  • 477: 「彼は最初のころは、オデットの生活のすべてに嫉妬したわけではなく、おそらくは状況判断のまちがいから、てっきりだまされたらしいと思うようになったときだけ嫉妬をおぼえた。彼の嫉妬は、第一、第二、第三と触手をのばす蛸のように、この夕方の五時という時間に、つぎにはまた他の時間に、それからさらに他の時間に、というふうにぴったりとからみついた」
  • 477~478: 「彼はオデットをフォルシュヴィルから遠ざけよう、数日南フランスに連れてゆこうと思った。しかし彼女はそこのホテルに泊っている男という男に欲望の目で見られ、彼女自身もまた彼らに欲望を感じるだ(end477)ろう、と彼は考えるのであった。そんなわけで、かつては旅に出ると、新しい人々、にぎやかなつどいを追い求めたのに、いまでは、男たちの交際でひどく傷つけられたかのように、交際ぎらいになり、交際を避けているのが見られるのであった。男という男がオデットの愛人になりそうに見えるとき、どうして人間ぎらいにならずにいられよう? そのようにして嫉妬は、はじめのころオデットに抱いた官能的なたのしい欲望がスワンの性格を変えた以上の変質を彼の性格にもたらし、そのために、彼の性格は、その外面にあらわれる徴候にいたるまで、他人の目にすっかり一変して見えるのであった」
  • 478~479: 「ヴェルデュラン夫人は、スワンがすぐそばにいるのを見ると、一種特別の表情をした、そ(end478)れは、しゃべっている人にはだまらせたいという気持と、きいている人にはそ知らぬ顔をしたいという気持とが中和して、まなざしが極度にうつろになるときの表情であり、共犯者の落ちつきはらった合図が無邪気な微笑の下にかくされている表情であり、また他人のへまに気づいた人の誰もがおなじように浮かべる表情、へまをやった当人にたいしてではなく、むしろその相手にたいして、すぐさまそのへまをあらわに感じさせるあの表情であった。オデットは急に、のしかかる生活の困難とたたかうことをあきらめた絶望の女のようなようすをした(……)」
  • 480~481:

 「私たちにたいするいまのスワンの出かたをごらんになって?」とヴェルデュラン夫人は、帰宅すると夫にいった。「私はいまにも食いつかれるかと思ったわ、私たちがオデットを送るといったものだから。失礼たらありゃしない、ほんとに! いまからすぐにでも、私たちが娼家を経営している、とはっきりふれてまわればいいわ! オデットがどうしてあんなやりかたに辛抱しているのか、私にはわからない。あの男は、はっきり、あなたは私のものだ、といっているようだわ。私は一度オデットに私の考えかたを言います、わかってくれればい(end480)いのだけれど。」
 そういってしばらくしてから、彼女は憤然として、さらにこうつけくわえた、
 「ゆるせないわ、まったく、あん畜生!」 思わず知らず彼女がつかったこの言葉、それはおそらく自分を正当化しようとする漠然とした要求――コンブレーで、若鶏がなかなか死のうとしなかったときのフランソワーズとおなじ要求――から出てきたもので、息もたえだえの無抵抗な動物の最後のあがきが、それをひねりつぶそうとする百姓から思わず吐きださせる言葉であった。

  • 485~486: 「しかし、彼が最近まで、ヴェルデュラン家の連中に認めていた美徳は、実際にそんな美徳を彼らが所有していたとしても、彼らが彼の恋をかばい、また擁護してくれなかったとしたら、彼らの度量のひろさに感動しながら彼の味わうあの陶酔、しかも他人の手からわかってきたにせよ、結局オデット自身からしかくるはずはなかったあの陶酔を、スワンのうちにひきおこすには不十分であっただろう、同様に、いまヴェルデュラン家の連中に彼が見出した背徳性は、たとえそれが彼らの本性であるとしても、彼らが彼を除外者にして、オデットをフォルシュヴィルといっしょに招待することさえなければ、彼の激怒を買って「彼らの破廉(end485)恥」を弾劾させるほどの力はもたなかったであろう。またこのとき、スワンの声は、おそらくスワン自身よりも聡明であったといえる、なぜなら、彼の声はヴェルデュラン家の取巻連への嫌悪や、連中と手を切ったよろこびでいっぱいのそうした言葉を、まるでそれが選ばれたのは彼の思考を表現するよりはむしろ彼の腹立たしさをやわらげるためであるかのように、わざとらしい口調でまくしたてることしかやらなかったのだから」
  • 486~487:

 (……)さて一方コタール医師は、ある重病患者に立ちあうために地方に呼ばれていて、数日間、ヴェルデュラン家の連中とも会わず、シャトゥーにも行けなかったのだが、その晩餐会の翌日、ヴェルデュラン家で食卓につくときにいった、「ところで、今夜はスワンさんにお目にかかれないのですか? あの人はたしか個人的親交なるものをあの…」
 「そういうことはないでしょう!」とヴェルデュラン夫人は声を高めた、「ありがたいわ、きてくれなくて、あれは退屈で、ばかで、無作法な人ね。」
 この言葉に、コタールは、いままでの所信に反するが、抗弁の余地のない明証をもった真(end486)理をまえにしたように、おどろきと従順とを同時にあらわした、そしていかにもおそれ入った、びくびくしたようすで皿の上に面をかがめ、やっと、「ほほう! ほう! ほう! ほう! ほう!」とだけ答え、彼の声の全音域を、うしろ向きに、下降音階に沿ってくだりながら、順々に後退していって、彼自身の一番奥のところに、小さくなってひっこんでしまった。そしてスワンはもうヴェルデュラン家の話題にのぼらなくなった。