2021/8/17, Tue.

 これにたいして、顔はその裸形にあって、たしかになにかをかたっている。しかも、つねに [﹅3] かたっている。指さきそのものには指示する意味が宿ることはないが、「まなざしの身ぶり [﹅8] 」(ビューラー [註76] )は、他者の注視している対象がなんであるかを示すことができる。無表情な顔も、無関心を、あるいは不機嫌をかたる。なにものもかたりかけない顔とはすでに死に絶えた顔であろう。生きて目のまえにいる他者の「顔は生きた現前であり、顔とは表出〔表情〕なのである」(61/86)。デスマスクですらときに、穏やかさや苦悶をあらわしている。つねになにごとか [﹅5] をかたりつづける顔は、それに対面する〈私〉にたいしてなにものか [﹅5] を訴えつづけている。「〈私〉が問いただされること、おなじことだが、顔における〈他者〉の〈あらわれ〉を、われわれはことばと呼ぶ」(185/260)。
 他者の顔とは「〈他者〉が有する絶対的な剰余」(le surplus absolu de l'Autre)(98/139)である。他者は、顔において端的に〈他なるもの〉であることをあらわす。つまり、あるものとして〈あらわれ〉ることで、同時にその〈あらわれ〉を超え、そのあらわれとは〈他なるもの〉となってゆく。他者は顔の裸形において現前し、かつ現前しない。それは、(end93)世界がその裸形においてはみずからと密着しつづけ、みずからとのいかなるずれ [﹅2] 、ことなり [﹅4] をも示さず、したがって一滴の意味も分泌しないのと対照的な、裸形の〈顔〉のありようであるといわなければならない。
 意味とは存在の余剰、あるいはずれ [﹅2] であった。〈もの〉にはそれ自体としては剰余がない。あるいはそれ自身として余計なもの [﹅5] は存在しない。裸形の世界には意味が宿っていない。裸形の身体の全体は意味が貧困であり、指さきも一義的な意味をもってはいない。ただ、〈顔〉だけがそれ自体として、それ自身の剰余であり、そのものとして意味している [﹅6] 。顔のみがほんらい裸形でありえ、コンテクストなく意味しうる。それは、顔が不断にすがたを変え、〈かたち〉を解体してゆくからである。顔は〈かたち〉を超えたところに〈あらわれ〉る。顔はたえず〈かたち〉を変え、一瞬まえの顔のかたちとのずれ [﹅2] とことなり [﹅4] をつくりだす。そのぶれ [﹅2] が、あるいは直前の〈かたち〉からの遅延 [﹅2] と余剰が意味である。「〈他〉として現前するために、〈同〉に適合的なかたちを解体するこのしかたが、意味すること、あるいは意味をもつことなのである」(61/86)。

 (註76): K. Bühler, Ausdruckstheorie, 2. Aufl., Fischer 1968, S. 205.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、93~94; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時四〇分の離床。瞑想サボる。朝刊はタリバンがカブールを陥落させた件がとうぜんおおい。一面と三面を読んだ。食事は煮込み素麺で、帰室後は「読みかえし」や書見。三時で素麺をまた食うため取りにいき、食ってから前日のことを記述。今日も空は白く、一時、霧雨がけむっていた。
  • 作: 「はたらけど楽にはならぬ俗世には神はいません博打以外の」「ともだちを殺して喰った戦場に老いて帰った真夏の無音」「氷漬けの海の底には時がなく魚の息とは死者のことである」
  • きょうも勤務後の夜道はあるいた。大したものではないが雨が降っていて、これだといちおう差さないと、というかんじだったので頭上をまもってあるく。きょうはあまり拘束のない気分ではなく、かんがえごとなどしている時間もおおかったよう。それでも風がながれればやはり気持ち良い。帰宅後のからだはだいぶ疲労の感が濃かった。わりとはやく、一〇時半ごろに帰れたのだが。食事と入浴後の深夜は書き物できず、一五日の記事にすこし読書メモを抜いただけで終わってしまう。
  • その書き写しのさいにAmazon Musicで『The Flip Phillips Buddy Rich Trio』をながしていたのだけれど、なかなかよいバップで、録音が五〇年くらいのようだが、当時の良心的なジャズというかんじ。Buddy Richは一九一七年生まれのようなので当時三三歳くらいで、もう貫禄があるというか、たびたびやるこまかな連打の粒立ちは抜群できれいだし、非常にスピーディーな感覚をあたえられる。豪快さというか、キックをバシバシ踏んだりドカドカやったりするところはArt Blakeyを連想させないでもないが(Blakeyは一九一九年生まれらしい)、Buddy Richのほうがもっと軽い速さ、フットワークの軽さやすばやい切り替えによる音楽性があって、Blakeyは重めの印象。このアルバムはWikipediaの情報がじっさいとちがうらしく、パーソネルがあまりはっきりしないのだが、トリオでやっているときはHank Jonesがピアノらしく、四人いるときはそこにRay Brownがくわわっているもよう(リーダーのFlip Phillipsというのはテナー)。ピアノを聞いても、これHank Jonesなの? という印象で、あまりそんなかんじがしないのだけれど、彼のプレイをさだかに聞き分けられるほど聞いているわけでないし、一九五〇年だとまた違うのかもしれない。
  • 勤務(……)。
  • (……)
  • (……)
  • 519~520: 「しかし、彼の恋はじつは肉体的な欲望の範囲を越えたひろがりをもっていたのであった。そこにあってはオデットの身柄さえ、大した場所を占めてはいなかった。彼の目が机の上のオデットの写真に出会うとき、または彼女が訪ねてくるとき、彼は肉体としての顔、または印画紙の顔と、彼のなかに住みつづけている苦しい不断の混乱とを、同一のものとは思いかねるのであった。彼はほとんどおどろきに似た気持でひとりつぶやくのだ、「これが彼女なのだ」、あたかも突然目のまえに、自分の病気の一つを、(end519)とりだして見せつけられ、それが自分の苦しんでいる病気とは似もつかないものだと知ったときのように。「彼女」、それは一体何か、と彼は自分にたずねようと試みた、というのも、ある人間の現実がとらえられずに逃げさってゆくという懸念のなかで、その人間の神秘にたいするわれわれの疑問をさらに深めさせるのは、恋が死に似ているからであって、つねにくりかえしいわれるように、ほかの何かに漠然と似ているからではないのだ」
  • 527: 「しかし、真相を知るまでは、耳にするのが何よりもおそろしく、何よりも信じられないと思っていたいろんなことも、一度知ってしまうと、永久に彼の悲しみのなかに合体し、彼はそれを承認するようになり、そんなことがなかったとはもはや考えられなくなるのであった。そうした事実は、その一つ一つが、彼の愛人についてつくりあげている観念に消すことのできない修正のあとを残すことにしかならなかったのである」
  • 527: 「しかし、いままでバーデンとかニースとかの国際色の濃い生活に関することほどつまらないものはないように思われた彼が、そうした歓楽の町でオデットがあそび暮らしたらしいことを知るにつけ、それが、彼のおかげでやがてその必要が満たされるあの金銭の不如意のためであったのか、または、これからも出てくる可能性のある気まぐれを満足させるためであったのか、それを突きとめるあてもないとわかったいまは、無力な、盲目同然な、目まいを起こさせるばかりの苦悩におそわれ、底なしの深淵にかがみこむのであった(……)」
  • 528: 「そして、もしも当時のコート・ダジュールの新聞記事が、オデットの微笑やまなざし――といっても非常にまじめな純真なまなざし――のなかにあった何かを理解するのに役立ったとしたら、ボッティチェルリの『ラ・プリマヴェラ』や、『ラ・ベルラ・ヴァンナ』や、『ウェヌスの誕生』などの絵の真髄のなかにさらに深くわけいる努力をしようとして、十五世紀のフィレンツェの現存する記録をしらべる美学者以上の情熱をもって、スワンはその新聞記事の些細な事実の再構築に着手したことであろう」
  • 529~530: 「やがて彼女は両手で髪をかきあげると、額も顔も、大きくなったかのように見える、そのとき突如として素直な一種の人間的感情と、休息や内省に身をまかせるときに誰の心にもわくあの善良な気持とが、彼女の目のなかから黄色い光線のようにほとばしり出るのであった。するとたちまち彼女の顔はあかるくなって、雲に被われて暗くかげっていた野原が、夕日の沈むときに急に雲が流れて一変するときのように見えた。そんなとき、オデットのなかでいとなまれている生活や、さらには彼女がうっとりと見つめているかのような未来さえも、スワンは彼女とともにたのしむことができたであろう、そうした生活には、どんないとわしい不安も滓を残していたとは思われなかった。どんなにまれであったにせよ、そうした瞬間は無益ではなかった。回想によってスワンはそれらの時の一つ一つをむすびつけ、それぞれのあいだにある間隔を消しさり、まるで金を鋳型に流しこむように、親切で物静かな一人のオデ(end529)ットをつくりだすのであった」
  • 530~531: 「ときどき、彼女のきげんをそこねて(end530)もいいから、彼女がどこへ行ったかをしらべてみようと決心したり、それを教えてくれるかもしれないと思って、フォルシュヴィルと同盟することも考えた。もっとも彼女が誰といっしょに宵を過ごすかがわかっているときには、彼女と出かけたその男を間接にでも知っていて、簡単に何かの情報をくれる誰かが友達のあいだに見つからぬことはほとんどなかった。そして、ある友人にしかじかの点をしらべてほしいと手紙でたのんでやると、彼は自分で答のえられない問題は棚あげにして、調査の苦労を他人にまかせたという安堵でほっとするのであった」
  • 533: 「彼女がどこへ行ったかわからないときでも、そのとき彼の感じた不安を鎮める特効薬は、オデットが帰って目のまえにいること、つまり自分が彼女のそばにいる快さだけでしかなかったので(この種の特効薬も、長くつづけているあいだについに病気を慢性にするのだが、すくなくとも一時は苦痛をやわらげるのであった)、オデットがゆるしてさえくれるなら、留守中も彼女のもとにじっととどまって、帰ってくるまで待っていれば、それで彼には十分だったであろう。魔法と呪いにかけられたまったくべつの時間だと思われたそうしたつらい待ち時間は、やがて彼女の帰宅の時間の鎮静のなかに溶けこんでしまったことであろう」
  • 536~537: 「ああ! 彼はどんなにその女友達を知りたかったことであろう! その女はイッポドロームによく行き、彼をオデットといっしょにそこへ連れていってくれるかもしれないのだ。オデットといつも会っている女のためなら、どんなに彼は自分の交際をかなぐりすてたことであろう! たとえその女がマニキュア娘であろうと、ショップガールであろうとかまわな(end536)いのだ。そうした女たちのためなら、女王にたいするよりも多くの犠牲をはらったであろう。そうした女たちこそ、彼女らにふくまれているオデットの生活のなかから、彼の苦しみにたいする唯一の鎮痛剤をさしだしてくれるのではなかったか? オデットが、身のためか、それとも掛値なしの単純な気持からか、とにかく交際をつづけているそうしたささやかな暮らしの女たちの誰かのところへ、彼自身が日を送りに行くのだったら、どんなによろこんで彼は駆けつけたことであろう! うらやましいと彼が思ってもオデットが連れていってくれない、そうしたむさくるしい建物の六階に、どんなに進んで彼は永久の住まいを選んだことであろう!」
  • 540: 「「すこしでもぼくを愛しているのでなければ」と彼は考えるのであった、「このぼくを変えたいとねがうはずはない。ぼくを変えるためには、彼女はもっとたびたびぼくと会わなくてはならないだろう。」 そのようにして彼は、彼女が浴びせた非難のなかに、利害につながる証拠、おそらくは愛の証拠らしいものを見出すのであった、また、じつのところ、いまでは彼女はそうした証拠をほとんど示さないので、彼女にあれこれととがめだてをされると、それを利害につながる証拠、愛の証拠と考えないわけには行かなかった」
  • 541~542:

 (……)オデットが彼に関してつめたくなったのは日を重ねてだんだんそうなっていたので、はじめのころの彼女を現在の彼女にくらべるよりほかには、すでにできあがってしまった変化の深さをはかることが彼にはできなかったであろう。ところでそうした変化は、彼のなかに深くひそんだ傷であって、夜となくひるとなく彼に痛みをあたえるので、彼は思考がすこしその傷に近づきすぎたと感じると、苦しみすぎることをおそれて、すばやくそれをべつの方向にそらすのであった。なるほど彼は抽象的な言いかたでこう自分に(end541)いっていた、「オデットがもっとぼくを愛していた時期もあった」と、しかしそんな時期をふたたび見ることはけっしてないのであった。彼の書斎には一つの簞笥があって、彼はいつもそれを見ないように心がけ、出入りのときにはそれを避けるためにまわり道をしていたが、そのなかには、はじめて彼女をその家のまえまで送りとどけた晩に彼女がくれた菊の花、そののち彼女がくれた手紙の類がしまってあり、手紙の文句は、「どうしてあなたのお心もこれといっしょにお忘れにはならなかったのでしょうね、お心ならばこうしておかえしすることはなかったでしょうに」とか、「おひるでも夜でも、時間はかまいませんわ、私にご用がございましたら、ひとことお知らせください、そしてご自由に私を使ってくださいませ」とかであって、そうした簞笥を書斎のなかで避けていたように、彼自身のなかにも、彼がけっして自分の精神を近づかせない一つの場所があり、やむをえない場合には、長々しい推理のまわり道をたどることによって、精神がそのまえを通らなくてもすむようにしていたが、そこには幸福な日々の思出が生きていたのであった。