2021/8/19, Thu.

 嫉妬にはさらに、〈正〉しさにかんする特徴的なあらわれがみとめられるようにおもわ(end98)れる。たんにねたむ [﹅3] ものは、ある場合には、じぶんよりすぐれたものがじぶんより多くを所有することを妬み [﹅2] 、あるいはまた、じぶんとひとしいものがより多くをもつことを、ないしは、じぶんより劣っている(とおもっている)ものがじぶんとおなじだけのものを所有することを嫉む [﹅2] 。――こうしたねたみには、ゆがめられたものであれ、一種の正義と均衡への要求が孕まれているようにおもわれる。ルサンティマンにとり憑かれた者たちがじっさい、〈配分的正義〉をさがし、〈匡正的正義〉をもとめることは十分にありうることである。羨望する者たちはたんにねたんで [﹅4] いるのではなく、かれらのおもいにおいてはある〈正〉しさを、〈ひとしさ〉としての正義を希求しているのである。
 これに反して、嫉妬するものはむしろ多く、〈ひとしさ〉にたいして嫉妬する。つまり嫉妬は、すくなくともそのはじまりにあってたいていのばあい、私にとって特別な存在である他者が、私いがいの第二の他者つまり「第三者」とも、私にたいする関係とひとしい [﹅4] 関係をとりむすんでいることを知ったとき(あるいはそれを想像したときに)、とつぜん襲いかかってくるものである。嫉妬がむしろ〈ひとしさ〉への憤激に発するものである以上、嫉妬それ自体を動機とする復讐には、たいていのばあい均衡がいちじるしく欠けている。たとえば、イアソンが恋した相手ばかりでなく、イアソンとのあいだにできた子どもまでも殺しつくして「復讐」をとげたメディアのようにである(エウリピデス『メディア』)。復讐とは正義への原始的な要求であり、〈ひとしさ〉の復旧へのこころみで(end99)ある。だが、嫉妬は元来かえって〈ひとしさ〉そのものへの憤りでもある以上、回復されるべき〈ひとしさ〉はあらかじめ失われている。嫉妬の炎で「まなじりを緑に燃え上がらせた」(シェークスピア『オセロ』)ものが復讐に走るとき、理不尽きわまりない仕打ちが古来くりかえされてきたのも、おそらくはそのゆえにである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、98~100; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • きょうは一〇時に正式に覚醒することができてよろしい。そこからこめかみを揉んだり、膝とか踵をつかって脚をほぐしたりして一〇時四〇分に離床。天気はひさしぶりに晴れで、臥位のあたまをちょっと窓に寄せればガラスの端に白く濃縮された球である太陽がすがたをあらわし、そのひかりをひとみにとりいれながらまぶたをとじたりひらいたりしているその視界では、窓外のネットにやどったゴーヤの葉たちのすきまにそそがれている晴天の青がずいぶん濃く映り、葉の緑もあかるく透けかねないまでにやわらいでいるそのうえにほかの葉の影が黒っぽいもう一種の緑としてくみあわされてつくりかけでまだまだ未完成のまま放棄されてしまったジグソーパズルのようになっていたり、角度によっては葉のおもて面に白光が塗られてきらめいているのが頻々ととおりぬける微風によってふるふるおどらされている。
  • 瞑想もOK。二〇分すわれた。
  • 新聞からは主に国際面。アフガニスタンの報を追う。昨晩の夕刊にも出ていたが、タリバンの報道官が会見して政権樹立方針を述べたと。女性の権利などはイスラーム法の範囲でみとめるとのこと。挙国一致政権というか、アフガニスタン中央政府の役人や対立する民族の人間などもふくめた政府をつくるといったり、米国への協力者に報復はせず前政府の人間や治安部隊員にも「恩赦」をあたえるといっていちおう融和姿勢を提示しているもよう。ガニ大統領は国外へ脱出したわけだが、第一副大統領だったひとがとどまって暫定大統領に就任したと表明しているらしく、だからこのひとが前政府側の代表として交渉にあたることになるのだろう。タリバンは融和や寛容をしめして国民にのこってほしいわけだが、カブールの空港にはいまも脱出をのぞむ多数の市民が押しかけているらしく、米国がそのうち六四〇人だか乗せてカタールに送ったときのうの夕刊にはあった。今次のアフガン騒動でバイデンの支持率は急落したともいわれており、四六パーセントだったかそのくらいになって、一月の政権発足以来最低と。Wall Street Journalとか国内メディアからも、撤退を正式に決定したのはたしかに前トランプ政権だが、期限を延長することは可能だった、二〇〇一年九月一一日から二〇年の節目という象徴的な意味合いを優先してそれに間に合わせるために拙速な対応になってしまった、という批判が聞かれているらしい。さいしょバイデンは、九月一一日までに撤退を完了すると宣言し、その後さらにはやめて八月末まで、と、けっこうつよい調子で断言していた記憶があるのだが、なぜはやめたのだろう。
  • きょうもいつもと同様「読みかえし」ノートを読み、プルーストもすすめる。その後、二時台後半からストレッチをした。ストレッチはやはり毎日やったほうが良い。きょうは肉や筋を伸ばしながら息を吐くという方式をひさびさに取ってみたが、そうするとたしかにより伸びてほぐれることが再認識されたので、毎回そのやりかたでやったほうがいいかもしれない。プルーストはもう「スワンの恋」も終盤。スワンはオデットに愛されることをもはやあきらめ(サン=トゥーヴェルト夫人の夜会でヴァントゥイユのソナタをふたたび耳にしたことでそういう心境にいたったという点はいぜん読んだときには認識していなかったところだ)、彼女の過去の「悪徳」もあかるみにではじめて(スワンの訊問にたいして彼女じしんの口から明言されて)、スワンはおりにふれて回帰してくる苦しみのなかにとらわれている。スワンにとって、オデット本人のことやオデットの過去の行状とかを連想させたりおもいださせたりするような固有名詞(人名や地名)はおおきな苦しみのもととなっているのだけれど、この、あるひとつのなまえに莫大な意味が付与されてさまざまなイメージを喚起したり心情的作用をおよぼしたりするというのはこの作品にあってたぶん通底的な主要テーマのひとつで、すでに第一部「コンブレー」でも話者じしんが「ゲルマント」という名のひびきにオレンジ色のイメージを見ていたり、そこになにかきらびやかで神話的なようなイメージを付与していて、それがゆえにゲルマント公爵夫人当人を見かけたときに彼女がふつうの人間のように見えて、イメージと現実との格差に幻滅し落胆する、という展開があった。で、このあとに来る第三部「土地の名、――名 [﹅] 」というのもタイトルにしめされているようにそういうはなしだったはず。たしかここでバルベックとかヴェネツィアとかにたいするあこがれなどがかたられるのではなかったか。また、固有名詞を支えにした観念の実体化というか、たんなる記号にすぎないはずのことばがものすごく現実性をもって身体的に多大な影響をあたえるみたいなこういう現象はじぶんの体験にてらしあわせてもわりとよく理解できて、というのは、パニック障害がひどかった時期に嘔吐恐怖をもっていたのだけれど、そのころは文章を読んでいて「吐」という文字が出てくるとそれだけで不安を惹起されていたからだ。「はく」とかひらがなで書かれてあってもだめだったはず。ほんらいなら「吐く」という動詞にしても、その意味は前後のほかのことばのくみあわせ、つまり文脈でもって決まるはずで、唾を吐くとか悪口を吐くとか電車から乗客たちが吐き出されるとかそういったいろいろな文脈があるわけだけれど、それらにまったくかかわりなく、「吐」というこの一文字があるともうそれが自動的に一瞬で嘔吐の意味に直結されてしまい、その意味やイメージがじっさいの文脈においてかたられている意味やその他の連想的バリエーションをはるかに超過してあたまを占領し、恐怖を生じさせる、というかんじのことがそこでは起こっていたはず。
  • いま三時まえ。きょうは勤務後でも、入浴からもどったあと、一時くらいからいままで書き物ができて良かった。一六日はしあげて投稿、一八日すなわちきのうの分も夜道のことを書いて本文は終了、あとは一七日のことを書き、一七一八両日の書抜きだが、それはあした以降。きょうのこともいろいろ書くことはあるが、それもあした以降。
  • この夜の夕食時にテレビで母親が録った『推しの王子様』というドラマがながれていて、そのみじかいオープニングでかかった曲がそこそこ洒落ており、なんか古き良き時代のちょっとだけダサさがふくまれていながらもそれが愛嬌になるなつかしいR&B、みたいな印象をえたのだけれど(しかしR&Bなど聞きつけてきた人間ではないので、そんなR&Bがじっさいにあるのかわからないのだけれど)、これ誰の曲、とソファでタブレットをいじっている母親にきくと、ディーンじゃない、とかえるので、そうなのか、とおもった。ディーン・フジオカが作中に出演しているのだ。意外とそこそこ洒落た音楽をやるんだなとおもった。
  • 起きていったときに聞いたのだけれど、昼前くらいだか午前中に訪問者があって、そのひとが、うちの妻が来ているとおもうんですけど、と言ったのだという。そんなはずはない。車が、車種もナンバーもおなじだというので、母親が私の車ですよ、といってなかにクッションなんかがあるのを示したところ、それで男性はまちがいに気づき、謝って帰っていったらしい。妙なはなしだな、とおもった。妻が友人のところに遊びに行っているならその行動とか外出先を把握していないのがまず変な気がするし(まあそのあたり互いにあまり知らせない夫婦もふつうにあるだろうが)、仮にじっさいにここに妻がいたとして、それでどうするつもりだったのかもわからない。母親が言うには、男性はこの暑いのにジョギングだかなんだかしてきたようなよそおいだったらしい。新手の押し売りというか、そういうやり口で関係を持って悪どいことをやろうとする人間ではないかという疑いも湧き(母親もそのあたり疑って、宗教ではないかとおもった、と言っていたが)、またいっぽうで、母親の不十分な語りのせいもあろうが、精神的にやや突飛というか妄想のつよいひとなのかなともおもったのだったが、さらにおもしろいのはこのひとがその後あらためて謝罪と礼にやってきたことで、こちらが飯を食って風呂洗いにとりかかるあたりでインターフォンが鳴ったのだ。母親はすでに窓からたしかにじぶんのものとおなじ車が道をやってくるのを見つけており、あのひとが来たのかも、と漏らしたが果たしてそうだった。それで母親が応対に出て、こちらは車もそのひとのすがたも見ずに声だけを耳にしていたのだけれど、それを聞くかぎりではふつうに快活で愛想の良い若い男性という印象で、母親が、宗教かなにかかとおもっちゃって、と言うのにもそうですよね、と笑っており、妙な勘違いをしたことを謝りながら、すごく親切にしてもらったので、ありがとうございましたと言っていたようだ。それで菓子(「パイの実」と「歌舞伎揚」)をくれたのだが、このくらいのことでそこまでするのも妙と言えば妙ではある。ずいぶん丁寧というか善良な性分のひとだったようだ。
  • ほか、(……)さんも来て、空芯菜をくれた。食後にスイカを食べたが、これは今夏初のこと。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 595: 「この夜会 [スワンがヴァントゥイユの小楽節をふたたび耳にしたサン=トゥーヴェルト夫人の夜会] から、スワンは、彼にたいするオデットの以前のような感情がふたたびよみがえらないこと、幸福への彼の希望がもはや実現されないことを理解した」
  • 596: 「しかし、オデットがパリにいるあいだに、パリを離れること、またたとえ彼女がパリにいないときでも自分からパリを離れることは――習慣の力で感覚が鈍らされない新しい土地では、苦痛はやきなおされ生きかえるものだから――彼にはあまりにも残酷な計画だったので、けっして実行しないとの決心が自分にわかっているからこそ、たえずそんなことを考えることができるのだと思うのであった」
  • 598: 「ときどき彼は、朝から晩まで外出している彼女が、街のなかや道路で、ふとした事故に会って、なんの苦しみもなく死んだらと望むことがあった。そして、彼女がぶじに帰ってくると、人間のからだが、ひどく柔軟であり、強靭であって、周囲に起こるすべての危険(ひそかに事故死をねがって危険を計算してみるようになって以来、危険は数かぎりなくあることにスワンは気づくのであった)、そんな危険を、たえず食いとめ、未然にふせぐことができ、そんなふうにして、人々にたいして毎日ほとんどさしさわりなく、その虚偽の行為と快楽の追求にふけらせていることに、彼は感心するのであった」
  • 603: 「シャルリュスやレ・ロームはあれこれ欠点をもっているかもしれないが誠実な人間だ。オルサンはどうやら欠点はもっていないらしいが、誠実な人間ではない」
  • 606~607: 「もとより彼は、オデットによくいっていたように、誠実さを愛してはいた、しかしそれは愛人の日々の生活を自分にくわしく教えてくれる斡旋屋のおかみを愛するように、その誠実さを愛していたのであった。だか(end606)ら、その誠実さにたいする愛は、利害を超越したものではなく、したがって彼をさらに善良な人間にするものではなかった。彼が好んでいる真実は、オデットが彼にいってくれるでもあろう真実であり、しかも彼自身は、そんな真実をつかむためには、うその手をつかうこともはばからなかった、その一方で、オデットにたいしては、うそはおよそ人間を堕落にみちびくものだとつねづね言いつづけてきたのであった。要するに、彼がオデットとおなじくらいにうそをついたのは、彼女よりもいっそう不幸であり、彼女に劣らずエゴイストであったからだ」
  • 613~614: 「それでも、こうした不幸のすべてを彼にもたらす原因であるこのオデットは、彼にとっていとしい女でなくなったわけではなく、むしろ逆に、苦しみが増すにつれて、この女だけがもっている鎮痛剤的な、解毒剤的な価値が増すかのように、いよいよたいせつになるのであった。彼は悪化していることがにわかにわかった病気にたいするように、いっそう彼女に気をつけてやりたかった。彼女が「二度か三度」やったといったおそろしいことがふたたび起こらないようになってほしかった。そのためには、オデットから目を離してはならなかった。友達にその愛人のあやまちを知らせるのは、かえって二人を近づける結果にしかならないの(end613)は、相手の男がそんなあやまちを信じないからだ、とよくいわれるが、しかし信じたとしたら、さらに猛烈に二人を近づけるだろう! ところで、とスワンは心のなかでいうのであった、どうすればうまく彼女を保護してやれるだろう? おそらく彼には、彼女がある一人の女に近づかないようにはできたであろうが、ほかにも女は何百人といるのであった、そして彼は、ヴェルデュラン家でオデットを見かけなかった晩に、他者を占有するというどこまでも不可能なことを欲求しはじめたとき、どんな狂気が自分を襲ったかを思い知った」
  • 618~619: 「しかし彼は人生を興味あるものと見なす習慣――人生のなかに見出すことのできるめずらしい発見に感心する習慣――を深く身につけていたので、このような苦痛にはとうてい長く堪えることはできないと思うほど苦しみながらも、心のなかではこういうのであった、「人生はじつにおどろくべきものであって、思いがけない美しいものをたくわえている、悪徳にしても、要するに、案外範囲がひろいものなのであろう。ここにぼくが信頼していた一人の女がいる、いまでは(end618)至極単純で、たいそう誠実そうに見える、たとえ浮薄な女であったにしても、ともかく、本人は正常で、好みも健全に見えた、そんな女を、ぼくはほんとうらしくもない密告にもとづいて詰問する、そして彼女の告白したわずかのことが、ぼくのうたがいよりもはるかに多くのことをもらすのだ。」」
  • 621~622: 「そして彼が回想のなかのどんな点にふれようとしても、ヴェルデュラン家の連中があんなにたびたびボワの島で夕食をしたあの季節全体が、彼を痛めつけるのであった。その痛みのあまり、嫉妬による好奇心も、その好奇心を満足させるには新しい拷問の苦しみを負わなくてはならないという恐怖から、徐々にうすれていった。オデットが彼と出会う以前に送った生活の、過ぎさったすべての時期、彼がこれまで想像しようともしなかった時期は、彼が漠然(end621)と思いうかべているような抽象的な時間の連続ではなくて、やはり特別な年月からなりたち、具体的な事件に満ちていることに彼は気づくのであった。しかしその年月をくわしく知れば、それまで無色で流れていてがまんができたあの過去が、たちまち手にふれることができる不潔な肉体となり、個性的で悪魔的な相貌を呈するのではないか、と彼はおそれた。そして、彼はひきつづきそんな過去のことを考えようとはしなくなった、考えることが億劫だからではなくて、苦しむことをおそれたからであった。いつかはボワ島、レ・ローム大公夫人の名を、以前ほどはげしい痛恨なしに耳にきくことができるような結果におわることを彼は望み、痛みがほとんど鎮まったかと思われるときに、べつの形でその痛みを再生させるような新しい言葉や、場所の名や、異なった種々の事情などを、オデットをそそのかして自白させるのは、あさはかなことだと思うのであった」