2021/8/24, Tue.

 〈ふたり〉であって〈ひとつ〉ではありえないことこそが〈渇望〉をうみ、エロス的な関係に養分を提供しつづける。とすれば、性愛は所有を挫折させるだけでなく、殺人をもむしろ禁じている。他者としての「異邦人の顔の裸形は、寒さにふるえ、裸形を恥じる身体の裸形へと延長される」(73/102)。その他者の〈顔〉が、殺人を禁止する戒律をかたっているのである。(……)ひとがそれを所有し支配したいと欲望するのみならず、ひとがなによりそれを抹消したいと望むものもまた他者である。顔が殺人を禁じ、他方で暴力は必然的に〈顔〉にのみ向かうものであるとするならば、このふたつのことがらはどのようにして両立しうるのか。それが問われるべき論点であった。
 じっさいレヴィナスもまた説いているように、「〈他者〉が私が殺したいと意欲することができる、唯一の存在者」(216/300)なのではないか。あるいは、殺意はまさに〈対面〉においてこそ芽生えるのではないか。にもかかわらず、レヴィナスは他方では、「他者の目の、無防備なまったき裸形」(217/301)が、〈殺すなかれ〉という戒律をかたると主張(end109)する。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、109~110; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一〇時五〇分の離床。瞑想おこなう。まあまあ。一五分ほど。今日の天気は曇りで、空は全面白く、雨が落ちてきてもおかしくなさそうな空気の色合いだが、あいかわらずかなり蒸し暑い。
  • 食事はケンタッキーフライドチキンや、昨晩食わなかった素麺。新聞からアフガニスタンの報。国際面に、タリバンと民主政権側(カルザイ前大統領や、アブドラ・アブドラという、国家評議会議長みたいな役職のひと)がタリバン主導の体制について協議しており、タリバン側は、民主政権側に権力の三割を配分する、と表明しているという。一定の譲歩はするようすだが、ただ、選挙が国家の命運を決める唯一の方法ではないともいっているというから、民主的なしくみにはならない見込み。先日から伝えられているとおり、おそらく過去の政権時と同様、最高評議会的なものでタリバン指導部が最終的な実権を握るかたちになるのではないか。ほか、ミャンマーのクーデター以来、国軍によって死んだ人間が一〇〇〇人を超えたと。多くはデモに積極的に参加している若い世代で、すくなくとも六五〇人ほどがデモの最中に殺されたといい、一〇〇人超が拷問によって殺されたと見られているらしい。国軍の弾圧や暴虐は変わらず苛烈で、さいきんだと、マスクをしていなかったひとがコロナウイルス対策を怠ったとして射殺された例もあるという。
  • きょうもまた起きたときから鼻水がちょっと出るようで、風呂を洗っているときなど、額もやや熱いような気がされて、微熱があるのか? コロナウイルスか? とおもったが、部屋にもどってから測ってみると36. 9度。けっこう高いようだが、ストレッチを習慣化してから体温が上がったらしく、このくらいが平熱になっているのでいつもどおりだ。
  • 帰路。職場を出たのは一〇時八分くらい。雨が降りはじめていたものの(八時かそのくらいからすでに降っていた)、大した嵩ではなかったのでこれなら傘を借りる必要はないなと取らずに出たものの、駅にはいって電車に乗り、瞑目のなかにしばらく待って(おなじならびの右方には若い女性ふたりがかけていたらしく、特有の声音ではなしていた)最寄り駅についたころには降りがけっこう増しており、これだったら借りるべきだったとおもわれるくらいだった。屋根の下にはいるまででもそこそこ濡れて、バッグなどかわいそうなかんじだ。それをベンチに置いて自販機でコーラを買い、すすめば階段で老人がひとり、杖と小さなキャリーケースをいっしょにもちながらのぼるのにあきらかに苦労しており(腕は長い蠟燭のように非常に細く、うしろから見るかぎりでは男性とも女性とも判別できかねるような老いのすがたで、片手で手すりをつかみ、もう片手で荷物をもちあげるのに難儀しながら、一段ずつゆっくりよたよたとのぼっている)、たいへんそうだったので、横にならぶと大丈夫ですかと声をかけ、もし良かったらお持ちしましょうかと問うてみたが、大丈夫ですとかえり(かぼそいが、声からすると男性のようだった)、ご親切に、とつづくのでへらへら笑いながら受け、あの、ぜんぜん持ちますけど、よろしいですか? とかさねてたずねればやはり大丈夫とのこたえがかえるので、じゃあ、すいません、がんばってください、と告げてさきにすすんだ。親切の押し売りをしたほうが良かったのかな、とおもわないでもないが、押し売りは得意ではない性分である。がんばってください、ではなくて、失礼します、とおさめたほうが良かったかもしれない、ともおもった。その後の帰路は雨に降られているのでさすがにいつもより足早になっててくてく行く。とはいえ木の間の坂で樹の下にはいっても葉がまだ水をさほど溜めていないようで増幅されて落ちてくる粒もなく、避難所になるほどだ。それでも平らな道を行けば髪の毛の吸収からあふれて額や側頭部を緩慢にながれおちる水滴もいくつかかんじられた。
  • この夜は労働後でも書き物に励み、二三日を書抜き以外はしあげ、きょうのこともいくらか書けた。よろしい。瞑想もきのうにつづき、一日四回やっている。出勤前と帰宅後にもやるのがやはり良さそう。
  • 往路は母親が送っていってくれるというのでその言に甘え、そのおかげで出発前に二三日の帰路のことをとちゅうまで書けた。道中、兄の鼻の手術のことを聞く。きのうだかおとといにもすでに聞いていたが。鼻の骨がもともと曲がっていたらしく、そのせいで鼻水が溜まったりいびきが起こったりしていたので金曜日に手術をしたということだった。いびきは鼻の骨だけでなく太っているせいもあるとおもうが。そこからながれて母親は、(……)ちゃんや(……)くんを動物園に連れていってヤギだかアルパカだか犬とかに触れさせているのが、噛みつかれたりしないかと怖くてしかたがないと漏らすので(ViberかLINEかにそういう映像があがっていたのだろう)、それは過保護だ、転んだり動物に噛まれるくらいの怪我はしておくものだろう、と言った。だいいちそういう母親じしんだって、こちらや兄がおさないころは山梨の父親の実家に行くとたびたびちかくのヤギがいる施設をおとずれて、われわれがヤギにトウモロコシなどをさしだして食わせるのを自由にやらせていたのだ。それで、そういうふうに心配するのはじぶんがじっさいに育てていなくて祖母の立場だからだろう、俺や兄貴を育てたときはあなただってそこまで心配しなかっただろう、いつもそばにいていっしょに過ごしていれば子どもが意外に頑丈だとかわかるからそんなに気にしないのではないか、と告げると、そうかもしれない、とわりと納得したようすだった。ほか、父親にはたらいてほしいといういつもの言がくりかえされる。このままで終わってほしくない、まだ六〇代だし、八〇歳くらいまで生きるとしてあと二〇年もあるのに、せっかく能力があってなんでもできるのにもったいない、と。(……)
  • 30: 「知られざる生産者であり、自分たちの関心事の詩人であり、機能主義的合理性の織りなすジャングルのなかで、黙々と口をとざして自分たちの小径を踏みわけてゆく消費者たちは、自分たち独自の表意的実践をとおして、F・デリニーの若き自閉症患者たちの描いたあの「航路」にも似た線を描いてゆく [註17] 。テクノクラシーによって書かれ、築きあげられた機能主義的空間を行き来しながら、かれら消費者たちの描いてゆく軌跡は、思いもかけぬ文をつくりだし、ところどころ判読不可能な「難文 [トラヴェルス] 」をつくりあげてゆく」(「概説」); (註17): Cf. Fernand Deligny, les Vagabonds efficaces, Maspero, 1970; Nous et l'innocent, Maspero, 1977; etc.
  • 37: 「ところが、事実はまったく逆で、読むという活動は、ことば無き沈黙の生産にそなわるありとあらゆる特徴をしめしている。その時ひとは、ページをよこぎって漂流し、旅をする目はおもむくままにテクストを変貌させ、ふとしたことば [モ] に誘われては、はたとある意味を思いうかべたり、なにか別の意味があるのではと思ってみたり、書かれた空間をところどころまたぎ越えては、つかの間の舞踏をおどる」(「概説」)
  • 39: 「日常会話のレトリックというのは、「パロールの状況」を転換させる実践であり、言葉をとおした生産であって、そこでは話し手どうしの位置の交差が、だれの所有するでもないオラルの織り目を織りあげてゆく。だれのものでもないひとつのコミュニケーションが創造されるのである」
  • 43~44: 「個人は、この広大な枠組みのなかにますます拘束されてゆき、しかも主体的なかかわりを失ってゆくいっぽうであり、そこからきりはなされていながら抜けでることもできず、個人に残されているのはただ、このシステムを相手どって狡智をめぐらし、なんらかの「業をやってのける [フェール・デ・ク] 」こと、エレクトロニクスと情報におおいつくされたメガロポリスのただなかで、いにしえの狩猟民や農耕民たちが身につけていた「術策 [アール] 」をみつけだすことである。社会組織の細分化のおかげで、今日、主体の問題は、まさに政治 [﹅2] にかかわる問題になっている。(……)既成のシステムをふたたび自分たちのものにしようとするこうしたやりかた、消費者たちのもろもろの創造は、破損してしまった社会性の治療 [﹅14] をめざしているのであり、再利用のテクニックをもちいているのであって、まさにそこに、日常的実践の手続きのすがたをうかがうことができる。こうした日常的な策略の政治学がつくりあげられなければならないのだ。フロイトの『文化への不満』がきりひらいているパースペクティヴにたつなら、この政治学はまた、外界をあやつること [マニピュレ] と自己を受容すること [ジュイール] [﹅19] との二つのあいだにある結びつき、微視的でさまざまな形をした無数のこの結びつきが今日いったいどのような(「民主的」)大衆像によって(end43)表わされうるかということを問うことでもある」(「概説」)
  • 50~51: 「《だれも [シャカン] 》(名の不在をあかす名)とよばれるこのアンチ・ヒーローは、したがってまた《だれでもない者 [ベルソンヌ] 》、Nemo であって、英語の Everyman が Nobody になり、ドイツ語の Jedermann が Niemand になるのとまったくおなじことである [註2] 。このアンチ・ヒーローは、いつでも別のだれかであり、自分だけの [プロープル] 〔固有の〕責任などありはしないし(end50)(「わたしのせいじゃない、他人 [ひと] のせいだ、運命なんだ」)、どこまでが自分のところと決められるような、これといった所有地があるわけでもない(死んでしまえばどんな差異も消えてしまう)。それでもなお、十六世紀のユマニスム文学 [「阿呆船」] の舞台のうえで、あいかわらず凡愚の民は笑いつづけている。万人のうえにのしかかり、だれも [﹅3] が自分だけは免れたいと思うねがいを無 [﹅] に帰してしまう運命のただなかで、だからこそこのアンチ・ヒーローは賢者でもあれば愚者でもあり、正気でもあれば狂気でもあるのだ」(「Ⅰ ごく普通の文化」; 第1章「ある共通の場/日常言語」); (註2): Robert Klein, la Forme et l'intelligible, Gallimard, 1970, p. 436-444. 次も参照せよ。Enrico Castelli-Gattinara, 《Quelques considérations sur le Niemand et... Personne》, in Folie et déraison à la Renaissance (colloque, Bruxelles, 1973), Bruxelles, 1977, p. 109-118.