2021/9/1, Wed.

 見てきたように、「原 - 歴史」をめぐるメルロ=ポンティの思考が、つまり「ただひとつの世界に共現前する肉体的諸存在者」(一・2・1末尾に既引)という発想が斥けられるのは、他者と私とはけっして共現前 [﹅3] するものではなく、他者にたいする不可避の関係はむしろ、他者とのあいだの時間的な隔たり [﹅3] を、つまりディアクロニーを含意するものであるからである。レヴィナスにあっては、差異によって剝離し散乱する時間性こそが、他者との関係を、その不可避性と隔たりにおいてえがきだす。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、162; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • 一一時ちょうどに起床。まあ悪くはない。天気は水っぽいような曇りで大気がよどんでおり、部屋内もだいぶ薄暗い。九月にはいったとたんに気温が下がったようで、かなり涼しかった。水場に行ってきてから瞑想。二二分か三分ほど座った。窓外にセミの声はもはやひとつもなく、虫がリーリー鳴いている持続のうえに鳥の声がときおり散らばる。座っているあいだ、首や肩のあたりの筋が自然とほぐれていくのをかんじる。
  • 食事は鱈子など。新聞は米国のアフガニスタンからの撤退をつたえているが、特に目新しい情報はない。きのうまでに読んだこととおなじ。米軍は現地時間で三〇日の午後一一時五九分に最後の飛行機が空港から飛び立ったという。タリバンは九月三日にも暫定新政権の閣僚を発表するかもしれない、とのこと。あと、一面には、眞子さま年内に結婚、とおおきくつたえられていた。
  • 風呂を洗って帰室し、きょうの記事を用意。きのうひさしぶりにゴルフボールを踏んで足の裏をほぐすことをたくさんやったのだけれど、そうするとやはりからだは軽いので、これも習慣的にやったほうが良い。そういうわけで、さいきんはデスクについてパソコンを見ることがおおかったが、ベッド縁に腰掛けてコンピューターをスツール椅子に乗せながらボールを踏んでいる。
  • いま読んでいるミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)は、行の両側にルビが振られていることがたびたびある。というか、傍点(﹅)を付してある語の左側に、その語の原語での読み(といってカタカナだが)も表示されていることが多い。こういうルビの振り方ははじめて見た。しかしそう言いながらも、河東碧梧桐がたしか晩年か後期にルビを活用した俳句をつくっていたはずで、そこで両側に振っていたような気がしないでもない。ルビ俳句は岩波文庫の『碧梧桐俳句集』にもいくらか収録されていた。
  • (……)
  • (……)
  • 225~226: 「思うに記憶というのは、他者によるこうした「よび起こし」、あるいは呼びかけにほかならず、知らぬ間にはやすでに変容をきたしている身体のうえに重ねあわされるように、他者の印象がそこに跡をしるしてできあがってゆくであろう。このひそかなエクリチュールは、よび起こす相手の接触のままに、少しずつ「外に出てゆく」。ともかく記憶は情況によって奏でられるのである。ちょうどピアノが、鍵盤に触れる指にあわせて音を「だす」のとおなじことだ。記憶は他者の感覚である。だからこそそれはひととの交わりとともにふくらんでゆき――「伝統」社会、そして愛においても――固有の場が自律的に成立してしまうとしぼんでしまうのだ。記憶は、記録にとどめておくものというより、むしろ他に応えるものであり、その応答は、たえず移ろう変わりやすさを失ってしまって、新たな変容に応じきれなくなり、ただ最初の応答をくりかえすことしかできなくなってしまう時がくると止んで(end225)しまう」
  • 229: 「よく知られていて、すぐそれとわかる話では、「時々の情況にあった」ディテールひとつで、そのもてる意味をくつがえすことができる。話を「語りきかせる」ということは、決まり文句というありがたいステレオタイプのもとにこっそり忍びこませたこの余分な [﹅3] 要素を活かすということなのだ。もとになる枠組みにさしはさまれた「ふとしたもの」は、その場に、ちがった効果をうみだすのである。聞く耳をもった者にはそれがわかるのだ。さとい耳は、きまった語り [﹅2] のなかから、いまここで(それを [﹅3] )語る行為 [﹅4] ににじみでるなにかちがったものを聞きわけるすべを心得ていて、語り手のその巧みなひねりに耳をこらすそぶりをみせたりなどしない」
  • 230: 「これまでにみてきたことだけでも、さしあたっての仮説として、もののやりかたを物語る技法 [アール] のうちに、もののやりかたの手法がおのずとはたらいている、ということができるであろう」
  • 230: 「実を言えば、こうしたことはみな遠い昔の話なのだ。晩年のアリストテレスは、歴とした綱渡りとしてとおってはいないが、ディスクールのなかでも迷宮さながらに錯綜をきわめ、複雑微妙をきわめたディスクールを好んでいた。そのときかれはメティスの齢に達していたのである。「ひとりきりで孤独になればなるほど、物語が好きになってくる。 [註15] 」 その理由をアリストテレスはみごとにあかしてみせたものだった。晩年のフロイトとおなじく、それは、調和をかもしだす巧みを愛で、しかも意表をつきながら調和をはかるそのみごとな技を讃えてやまない、目利きならではの賛美の念であったのだ。「神話を愛すということは、ある意味では叡知を愛すということである。なぜなら神話は驚異からなりたっているからだ。[註16] 」」; (註15): Aristote, Fragmenta, ed. Rose, Teubner, 1886, fragm. 668. 〔宮内璋・松本厚訳『断片集』 前掲『アリストテレス全集』17〕; (註16): Aristote, Métaphysique, A, 2, 982b 18. 〔出隆訳『形而上学』 前掲『アリストテレス全集』12〕
  • 236: 「そうした神をよそに、都市の日常的な営みは、「下のほう」(down)、可視性がそこでとだえてしまうところから始まる。こうした日々の営みの基本形態、それは、歩く者たち(Wandersmänner)であり、かれら歩行者たちの身体は、自分たちが読めないままに書きつづっている都市という「テクスト」の活字の太さ細さに沿って動いてゆく。こうして歩いている者たちは、見ることのできない空間を利用しているのである。その空間についてかれらが知っていることといえば、抱きあう恋人たちが相手のからだを見ようにも見えないのとおなじくらいに、ただひたすら盲目の知識があるのみだ。この絡みあいのなかでこたえ交わし通じあう道の数々、ひとつひとつの身体がほかのたくさんの身体の徴を刻みながら織りなしてゆく知られざる詩の数々は、およそ読みえないものである。すべては、あたかも盲目性が、都市に住む人びとの実践の特徴をなしているかのようだ [註5] 。これらのエクリチュールの網の目は、作者も観衆もない物語 [イストワール] 、とぎれとぎれの軌跡の断片と、空間の変容とからなる多種多様な物語をつくりなしてゆく。こうした物語は、都市の表象にたいして、日常的に、そしてどこまでも、他者でありつづけている」; (註5): すでにデカルトは『精神指導の規則』において、視覚のあたえる錯覚と誤謬にたいし、盲目が事物と場所の認識を保証するとしている。
  • 236~237: 「日常的なものには、想像的な全体化をめざす目から逃れてしまう異者性があるのであって、こうした日常性は、表面をつくらないというか、もし表面があったとしてもそれはただ、目に見えるものの周囲にぼんやりと浮かびあがる外縁、その周縁をわずかにはみ出る(end236)ものにすぎない」
  • 237: 「こうして、計画化され読みうる都市という明晰なテクストのなかに、移動する [﹅4] 都市、あるいはメタファー的な都市がしのびこむのだ」
  • 242~243: 「このような道は、権力の構造をあかしたミシェル・フーコーの分析をうけつぐものともいえるし、それを裏返したものともいえる。フーコーは、従来の分析をずらして、技術的な装置 [ディスポジティフ] と手続きを明るみにだし、ただ「細部」を組織するだけで、種々さまざまな人間の営みを「規律」社会に転じ、学習や健康や軍隊、労働にかかわるありとあらゆる逸脱を管理し、区別し、分類し、階層序列化しうる「マイナーな装具」を分析してみせた。「たいていは微細な、規律化のためのこうした術策」、「微小だが隙のない」仕掛けが力を発揮するのは、さまざまな手続きと、それらの手続きがみずからの「オペレーター」とすべく配分する空間との組み合わせの妙に負うところが大きい。けれども、このような規律(end242)の空間を生産する装置にたいし、この規律を身をもって演じる(その規律を相手どる)側の人びとは、いったいどのような空間の実践 [﹅5] をおこなっているのだろうか」
  • 244~245: 「通っていった道筋の記録は、それがそうであったもの、すなわち通るという行為そのものを失ってしまう。どこかへ寄ったり、さまよったり、「ショーウインドーをひやかし」たりする操作、言いかえれば通り過ぎる人びとのおこなう活動は、点に置きかえられてしまうのであり、それらの点は、一目で見てとれ、どちらの方向から(end244)もたどれる平面上の一本の線になってしまう。したがってそこから学び知れるものといえばただ、軌跡の表面という非 - 時間のなかに置かれた遺物があるばかりだ。目に見えるその遺物は、結果としてその遺物を残した操作そのものを見えないものにしてしまう。このような図面への固定化は、忘却の手続きになっているのである」
  • 245~246: 「歩く行為 [アクト・ド・マルシェ] の都市システムにたいする関係は、発話行為(speech act)が言語 [ラング] や言い終えられた発話にたいする関係にひとしい [註13] 。実際、もっとも基本的なレベルで、歩く行為は、三重の「発話行為的」機能をはたしている。まずそれは、歩行者が地理システムを自分のものにする [﹅8] プロセスである(ちょうど話し手が言語を自分のものにし、身につけるのと同様に)。またそれは、場所の空間的実現 [﹅2] である(ちょうどパロール行為が言語の音声的実現であるように)。最後に、歩く行為は、相異なる立場のあいだで交わされるさまざまな(end245)関係 [﹅2] を、すなわち動きという形態をとった言語行為的な「契約」をふくんでいる(ちょうどことばによる [ヴェルバル] 発話行為が「話しかけ」であって、話し手と「相手をむかいあわせ」、対話者どうしのあいだにいろいろな契約を成立させるように [註14] )。こうして、歩くことはまず第一に、発話行為の空間として定義されるだろう」; (註13): 次をはじめ、この問題にとりくんでいる多くの研究を見られたい。J. Searle, 《What is a speech act?》, in M. Black (ed.), Philosophy in America, Allen & Unwin and Cornell University Press, 1965, p. 221-239.; (註14): E. Benveniste, Problèmes de linguistique générale, t. 2, Gallimard, 1974, p. 79-88, etc.