2021/9/10, Fri.

 1 いっさいの存在者は、それが存在者であるかぎりでは、〈なにものか〉としての同一性 [﹅3] をそなえたものとしてあらわれる。そのときどきの射映が揺らぎ、対象のアスペクトが変位し、イマージュが移ろったとしても、そのおなじ [﹅3] 〈あるもの〉は変容しない。
 存在者がそれ [﹅2] としてあらわれる同一性が、一般に意味 [﹅2] と呼ばれる。存在者の意味は揺らぎとことなりを、また時間の隔たりをとりあえず超えている。〈語られたこと〉としての意味は、かくてひとつのイデアリテ [﹅5] (理念性)なのである。
 「存在のあらわれ」からは、「諸構造の整序」が、「同時性、すなわち共 - 現前」が切りはなしえない。存在があらわれるということは、存在者がおなじ〈あるもの〉として、意味において経験されることであり、意味とは現在を再 - 現前として構成しながら、諸構造を同時性 [﹅3] のなかで形成するものであるからである。そこでは「主体」が「散逸」を「現在にあって、同時性において修復する」(209/243)。つまり、さまざまに現出するあらわれが、おなじもの [﹅5] のあらわれとして、現在にあって統合される。――だが、修復 [﹅2] されるということばは、かえってあらかじめ在る [﹅7] 破れ目をしめしてはいないだろうか。そもそも、時の散逸 [﹅2] を主体がすべて集約し修復するなどということがありうるのであろうか。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、194; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)



  • 一〇時一八分に起床。いつもより一時間ほどはやく起きられてよろしい。ひさしぶりに青い空と陽の色が見える朝である。水場に行ってきてから瞑想をした。一〇回くらい息を吐ききる深呼吸をしてから静止。ミンミンゼミがとおくでまだすこし鳴いて、秋虫の音と共存している。からだの左側、腕のあたりには窓のほうからただよってくる暖気がすこしかんじられ、きょうはひさしぶりに気温が高くなりそうだ。
  • 食事はハムエッグを焼いた。新聞、きのうにつづいて社会面に「虚実のはざま」。ひきつづきコロナウイルスにまつわる陰謀論についてで、三人の例が紹介されていたはず。ひとりは居酒屋をいとなんでいるひと、ひとりは二〇一九年にゲストハウスをはじめたひと、あとひとりはわすれた。ふたりだけだったかもしれない。居酒屋の店主はコロナウイルスで店を閉めているあいだに客がはなれてしまい、再開してもふるわず、賃料も重くのしかかって、店をつづけられないなら生きている甲斐がないとまでおもいつめたところに妻がネット上で見つけた言説を見せてきて、それを信じるようになったと。いわく、コロナウイルスは富裕層がもくろんだ事件で、小規模自営業をつぶして金を吸い上げるためにやっている、と。それでいまは感染対策お断りという状態で営業しており、批判もされるがそれでとおくから来てくれるひともいるという。ゲストハウスのひとも詳細はわすれたが、二〇一九年に営業をはじめてすぐにウイルス状況になったので、なんでこんなことになったのか? と疑念をいだきネット上を探索して陰謀論的言説を発見した、というはなしだったはず。きのうの記事を読んだときも陰謀論というのはひとつには心理的・実存的問題であるという従来からのかんがえを再生産したが、きょうの記事はそれをはっきりと強調するような仕立てかたになっており、ひとはじぶんのちからではどうにもならない不安な状況におちいると極端な言説を信じやすくなるとか、疎外感をかんじているひとのほうが陰謀論を信じる傾向がつよい、という研究結果が述べられていた。コメントを寄せていた識者も臨床心理学のひとで、陰謀論心理的要因や社会的要因などさまざまな要素が複雑にからみあってなりたっているもので、単にただしいことを言えば是正されるものではない、というようなことを言っていた。むしろ正論をさしむけることで、あいてをよりかたくなにして、じぶんの見地に執着させ過激化させるおそれすらあるわけだ。おおきな不安のなかにあると極端なかんがえに飛びつきやすくなるというのは、けっきょくひとは意味のないことに耐えられないということだとおもわれ、今回のようなウイルスの蔓延だとか、地震のような自然災害におそわれたとき、それがなんの人間的な意味もなく自然発生的に起こったという事実とじぶんの不幸を釣り合わせることができないので、そのあいだの齟齬を解消するためにひとは事態になんらかの意味づけをする。人間は不幸であることじたいよりも、その不幸に意味がないということにこそ耐えられないのだろう。そこに現世的な主体が想定されれば、世のどこかに「黒幕」がいて状況をしくみ、あやつっているのだ、というかんがえになる。宗教者だったら神の罰だとかんがえるかもしれない(ユダヤ一神教はバビロン捕囚という災禍を全能たるヤハウェの罰だとかんがえることで唯一神教として確立したのだし、ショアーですら神が信者にくだした罰だとかんがえた宗教者の囚人は多くいたはずだ)。人間社会の範囲はともかくとして、いわゆる「自然」とか、この世界そのものの成り立ちとか存在には最終的なところでなんの根拠も意味も必然もなく、根源的に不確かであるというのが現実なのだとおもうし、それを前提として受け入れながら生きるというのが仏教でいう無常観念なのだとじぶんはおもっているのだけれど(さらには、そういう所与の意味体系が崩壊していわば世界の非 - 絶対性が露呈された地点から、みずから積極的に意味体系を構築しなおしていくというのが、いわゆる能動的ニヒリズムと呼ばれる姿勢だとも理解しているのだけれど)、そういうかんがえになじめなかったり、気づいていなかったり、それを実感させるような体験をしたことがないひとはその無意味さにとどまって耐えることができず、不安を埋め合わせるためにわかりやすくお手軽な意味づけをもとめてじぶんを安心させようとする。そのひとつの受け皿やよりどころとなっているのが陰謀論的言説なのだろう。それがすべてではないだろうが、そういう側面はたしかにあるはずだ。
  • 三人目の例のことをおもいだしたが、このひとはたしか五〇代の人間で、いままでの人生でひととかかわることが苦手だったといい、やはり承認をもとめて陰謀論的活動にコミットしはじめた、というようなことがかたられていた。ビラをつくってくばったりとかもやっているようだが、「こういうかたちでしかひととつながることができない」という本人の述懐があった。しかし、ひとが承認をもとめるのは自然としても、さまざまな場のなかからなぜよりにもよって陰謀論的コミュニティをえらんだのか? という疑問は解が不明瞭なものである。いわゆる陰謀論者、陰謀論的言説を支持するひとびと、あるいは過去にそれを信じていたひとびと、こういうひとたちにたいする聞き取り調査をして、みずからの世界観や信念や物語や具体的経緯をかたってもらい、それらナラティヴを集積して資料体をつくるという研究は重要なものだろう。もうある程度やっているひともいるだろうとおもうが。
  • 皿をかたづけ、風呂洗い。風呂場にはいると浴槽の縁、窓のしたの壁のきわで浴槽の上辺と壁がつながっているところにナメクジが一匹いたので、ナメクジがいるわと母親におしえた。浴槽の蓋を取ってそのまま排水溝にながせばよかろうとおもっていたのだが、台紙みたいなものを持ってきた母親が、かわいそうじゃんと言って、その紙で取ってそとに捨てるようもとめたので、そのようにした。しかし、母親がそうしようとしたのは、畜生をあわれむ殊勝なこころからというよりは、排水溝にながすとなんとなくまたあらわれてきそうで嫌だ、という心理があったのではないかという気もするのだが。ナメクジはぬるぬるしていてなかなか紙ですくいとれなかったのだが、ついに乗せることに成功して窓から捨てようとすると、もっととおくにやりたいというわけで母親が紙をうけとり、勝手口からそとに出していた。けっきょくちかくのコンクリートのうえに落ちてしまった、と言っていたが。
  • 茶をつくって帰室し、きょうのことをここまでつづって一二時四二分。はやめに起きたので猶予があってよろしい。やはり瞑想とストレッチだ。心身をととのえることこそが最重要だ。
  • いま三時半すぎ。2020/9/10, Thu.の日記をブログで読みかえした。一年前はふつうに地名もさらしているし、職場内でのできごとも固有名詞は伏せながらも公開していて、読むひとが読めばふつうにじぶんがだれだかわかるし、関係者ならむろん伏せられている人物がだれなのかもわかる。これはまずい。バレたらクビですわ。この日は一時半まで床にとどまってしまい、やはりもうすこし「規則正しい」生活をしなければと漏らしているが、一年後のいまもあまり変わってはいない。起床が正午をすぎるということはあまりなくなった気はするが。睡眠時間もだいたい七時間台かそれ以下におさまっているはず。この一年前においてはセルトラリンをまだ服用していた。一週間ぶりというが。このあともう医者に行かなくなったか、行ったとしても一回だけだったはずで、(……)先生にはながく世話になったし菓子折りを持ってお礼にでむこうとおもっていたのだけれど、コロナウイルスの騒ぎがふたたびおおきくなってきたり、面倒くさかったりでけっきょく行かないままになってしまった。いまさら行ってもなあ、とおもうので、すまないが礼はつたえない。
  • 夕刊の音楽面で碧海祐人という名を知っている。石若駿が参加していると。メモしただけでけっきょく触れていないので、聞いてみたい。
  • その後歯磨きをしつつ、2020/9/11, Fri.もつづけて読んだ。(……)さんの『双生』の仮原稿を読んで感想をいくらかつづっている。まあまあの書きぶり。

(……)「波のまにまに接近するそのひとときを見極めて勇敢な跳躍を試みる腕白ややんちゃも少なからずいたが、せいぜいが三つ四つ続けば上出来という中で仮に七つ八つと立て続けに成功することがあったとしてもどこに辿り着くわけでもないという現実の困難に直面すれば、その意気も阻喪せざるを得ず、慣れない夜更かしに疲れた者から順に、或る者は女中におぶられて、或る者は年長者に手を引かれた二人揃っての格好で、耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする寝床の敷かれた自宅へと去っていった」の一文に含まれた「耳を澄ませば自ずと蘇る賑わいをこの夜ばかりの子守唄とする(寝床)」という修飾がなんか気になった。挿入感が強いというか、英語を読んでいるときに関係代名詞のいわゆる非制限用法で長めの情報が差しこまれているのに行き逢ったときと似たような感覚を得た気がするのだが、ただべつにこの箇所は後置されているわけではない。「耳を澄ませば自ずと蘇る」という言い方で、子どもたちが寝床に就いたあとの時間を先取りし、なおかつその時点から(「蘇る」と言われているとおり)過去を想起する動きまでも取りこんでいる往復感が、英語で挿入句と主文を行き来するときの迂回感に似ていたということだろうか。

     *

「分かつ力のゆく果てに待ち受けていた神隠しだった。傷口ですら一晩のうちに揃いのものとする妖しい宿縁を有する子らともなれば、失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言い方はちょっと奇妙だというか、語り手の立ち位置に困惑させられるところだ。この話者はいったい誰の視点と一体化(あるいは近接)しているのだろうか? と感じさせるということで、いわゆる「神の視点」と言ってしまえば話はそれまでなのだが、事態はそう単純でもないだろう。このすぐあとで明らかになるが、死んだ祖父を送る小舟に乗って運ばれていった双子の片割れは、その失踪に気づかれないのでもなく忘れ去られるのでもなく、その存在がもとからこの世界になかったかのように失われるのだから、家の者や町の人々はそもそも「神隠し」を認識していないというか、端的に彼らにとってそんなことは起こっていないわけで、したがって「失踪に続く失踪」について「根拠」をうんぬん判断できるわけがない。ところが上記の文では双子が「子ら」と呼ばれているように、この視点の持ち主は双子が双子であったことを知っているし、「妖しい宿縁を有する」という風に彼らをまとめて外側から指示しながらその性質について形容してもいる。「神隠し」が起こったことを知っているのは残されたほうの「片割れ」である「彼」か、あるいはこの物語をここまで読んできた読者以外には存在しない。そして「彼」自身が自分たちを「妖しい宿縁を有する子ら」として捉えることはなさそうだから、話者はこの部分で明らかに(純然たる)読者の視点を召喚しているように思われる。「失踪に続く失踪などありえぬと見なす根拠のほうこそむしろ薄弱であったかもしれない」という言葉は、その身に降りかかる運命をまるごと共有する双子において、第一の失踪に続いて第二の失踪が起こるに決まっているという読み手の予測に対して向けられた牽制のようにも感じられる。

とはいえ、この物語の主人公の座はここに至って明確に「彼」ひとりに集束させられている。したがって、片割れの運命を追って「彼」までもがこの世から「失踪」してしまっては、作品はすぐさま終わりを迎えてしまうということに読者もすぐさま気づくだろう。だからわざわざ先回りして読み手の予測に釘を刺す必要はないような気もするのだが、そう考えてくるとこの一文はむしろ、読者というよりも、この物語の文を書き綴る作者(語り手や話者ではなく、作者)の手の(そして思考の)動きの跡のようにも感じられてくる。つまり、作品のこれまでの部分にみずから書きつけて提示した「運命を共有 - 反復する双子」というモチーフの支配力、みずからが書きつけたことによって力を持ってしまった物語そのものの論理に書き手自身が抵抗し、そこから逃れてべつの方向に進むための格闘の痕跡のようにも見えてくるということだ。たぶんのちほど下でも多少触れるのではないかと思うが、(……)さん自身もブログに記していたとおり(『双生』は、「ここ数日ずっと『金太郎飴』を読んでいたために磯崎憲一郎的な文学観にたっぷり染まっていたはずであるにもかかわらず、それをしゃらくせえとばかりにはねつけるだけの強さをしっかりもっている」)、テクストや物語に対してあくまで対峙的な闘争を仕掛けるというこうした姿勢を、保坂和志 - 磯崎憲一郎的な作法(それは物語に対して「闘争」するというよりは、「逃走」することに近いものではないだろうか)に対する身ぶりとしての批評と理解することもできるのかもしれない。もっとも、保坂 - 磯崎路線もまたべつの仕方で物語と「闘争」していると言っても良いのだろうし、それを「逃走」的と呼べるとしても、物語から逃れようとしたその先で彼らは今度は「小説」と「闘争」している、ということになるのかもしれないが。

語り手の位置の話にもどって先にそれに関してひとつ触れておくと、「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣のためにか、未だ大福のように白く清潔に保たれているその肌の瑞々しさばかりは生娘らしく透き通っていたものの、盛り上がった頬骨の縁に沿って落ちていく法令線は、微笑ひとつ湛えぬその面にも関わらず指で強くなぞられた直後のようにくっきりと跡づけられていた」という箇所でも話者の立場が気になった。「日射しの下に立つときには必ず赤地に白抜きで蔓草模様の散りばめられているスカーフを頬被りする習慣」という一節のことだが、この文が書きつけられているのはフランチスカが二年ぶりに「彼」の前に現れて二度目の邂逅を果たしたその瞬間であり、そしてこの場面には「彼」とフランチスカの二人しか存在していない。フランチスカは「彼」の妻候補として二年前に三日間、屋敷に滞在したが、言葉も通じない「彼」と仲を深めたわけでもないし、そもそも「その間フランチスカと彼は一語たりとも言葉を交わさなかった」し、記述からして二人が一緒に出歩く機会があったわけでもなさそうなので、「彼」がフランチスカの「習慣」を知ることができたとは思われない。したがって、ここで話者は明らかに「彼」の視点とその知識を超えており、語り手固有の立場についている。この作品の話者は基本的に物語内の人物にわりと近く添って語りを進めるように思うのだけれど、ところどころで誰のものでもないような視点にふっと浮かび上がることがある。それをいわゆる「神の視点」と呼ぶのが物語理論におけるもっとも一般的な理解の仕方だと思うのだが、そんな言葉を発してみたところで具体的には何の説明にもなっていないことは明白で、とりわけこの作品だったら語り手は(全知全能か、それに近いものとしての)偏在的な「神」などではなく、ときにみずから問いを発してそれに答えたり答えなかったりもしてみせるのだから、語り手としての独自の〈厚み〉のようなものを明確にそなえている。それを「神」と呼ぶならば、欠陥を抱えた「神」とでも言うべきだろう。

     *

今日のところまで『双生』を読んできてこちらに際立って感じられたのは端的に語りの卓越性であり、物事を提示する順序、情報の配置によって生み出される展開の整え方がうまく、ひとつの場面をどこまで語っておいてあとでどこから語り直すかというようなバランスが優れており、全体に物語が通り一遍でない動き方で、しかしきわめてなめらかに流れている。象徴的な意味の領域にも色々と仕掛けが施されているのだと思うけれど、それを措いても単純に物語としての面白さが強く確保されているということで、起こる出来事もそれ自体として面白いし、ごく素朴に次はどうなるのだろうと思わせて誘惑する魅力が充分にある。上にも言及したけれど、文体の面でも語りの面でも意味の面でもきちんと作品を作りこんでいこう、しっかり成型して道を整えていこうというこの姿勢は、磯崎憲一郎的な文学観、つまり言語(テクスト)自体の持つ自走性に同化的に従おうとするというか、すくなくともそれをなるべく引き寄せていこうというようなやり方に強力に対抗しているのではないか。磯崎憲一郎(ならびに保坂和志)は、作者(人間)よりも小説そのもののほうが全然偉くて大きい、みたいなことを言っていた記憶があり、それもまあもちろんわかるのだけれど、『双生』はあくまで人間主体として小説作品に対峙し、交渉し、できるところまで格闘しようというような、高度に政治的とも思えるような実直さが感じられる。(……)

  • あと、例のごとく出勤路の描写があるのだけれど、ここが正直かなりうまいというか、なんか文が相当ながれている感覚があって、いや、俺、うまいな、とおもった。べつにそんなに大した表現ではなく、ふつうの文といえばそうなのだが、音律やこまかいことばえらびや意味のつらねかたがととのっているようにおもわれ、かたくもならず弛緩もせずにとにかくなめらかにながれている、という感覚をえた。一年前のじぶんの書きぶりがどんなかんじだったかおぼえていないのだが、けっこう苦心して丁寧に書いたのかもしれないけれど、そうだとしてそれをうかがわせず、さっとかるく書いたような、熟練めいたスムーズさがある。脱帽した。いじょうの評言は主にうえの引用についてで、したのほうはそうでもないが、ついでにこれもつけたしておく。

(……)玄関を抜けた瞬間から風が走って隣の敷地の旗が大きく軟体化しており、道に出ても林の内から響きが膨らんで、その上に秋虫の声が鮮やかともいうべき明瞭さでかぶさり曇りなく騒ぎ立てていて、歩くあいだに身体の周囲どの方向からも音響が降りそそいで迫ってくる。坂の入口に至って樹々が近くなれば、苛烈さすら一抹感じさせるような振動量を呈し、硬いようなざらついた震えで頭に触れてきた。

もはや七時で陽のなごりなどむろんなく、空は雲がかりのなかに場所によっては青味がひらいて星も光を散らしているが、普通に暑くて余裕で汗が湧き、特に首のうしろに熱が固まる。髪を切っておらず、襟足が雑駁に伸び放題だからだろう。駅に着いてホームに入ると蛍光灯に惹かれた羽虫らがおびただしくそこら中を飛び回っており、明かりのそばに張られた蜘蛛の巣など、羽虫が無数に捕らえられてほとんど一枚の布と化しているくらいだった。

  • 一年前の日記を二日分読むと、上階に行って制汗剤シートでからだを拭いた。きょうはやはり気温が高めで、ひさしぶりに窓を閉めていると暑いくらいの空気であり、そこに茶など飲んだものだからとうぜん腋が汗で濡れた。洗面所で髪の毛も多少梳き、もどってくると瞑想。四時二八分から五一分くらいまで。かなりよろしい。やはり静止だ。あたまではなにをかんがえてもおもってもかんじてもよく、精神の方向はどうであろうと自由だが、からだはしずかに座ってとまっていなければならない。というか、その非行動性ができていればあとはなんでもよろしい。瞑想をしているときの状態を言語であらわすと、「座って動かずただじっとしている」という言述に尽きる。身体の状態としてこれいがいの要素、この外部がないというのが瞑想ということである。道元のいわゆる「只管打坐」もそういうことではないかとおもうのだけれど。只管打坐というと、曹洞宗とか坐禅にまつわる修行のイメージがつきまとうから、ただひたすらに、一心に、という勤勉さとか熱情の意味合いがいままでなんとなくふくまれていたのだけれど、そうではなくて、ただ座る、単に座っているだけ、という、そういう意味合いでの「ただ」なのではないか。只管は「ひたすら」の意らしいが、ひとつのことや一方向に脇目も振らずひたすらに集中する、という意識のありかたと、瞑想や坐禅をやっているときのじっさいのありかたとはちがうとおもう。たとえば呼吸を操作して意識するような一点集中型の方式もむろんあって、それは仏教においてサマタと呼ばれるが、ヴィパッサナーをめざす立場からすれば(そして仏陀以来、仏教の根本目標やその瞑想における本義はヴィパッサナーのはずである)それはあくまで通過点であり、自転車に乗れるようになるための補助輪のようなものにすぎないはずである。瞑想をしているときの集中のありかた(それを集中と呼べるのだとすれば)は、語義矛盾のようだが拡散的な集中というべきものであり、一字変えて拡張的と言ってもよく、また回遊的なものでもある。そこで意識や精神は開放的・解放的で自由である。たいして身体はほぼ不動にとどまりつづける。精神がいくら自由だといっても、それがあまりに散乱しすぎて困惑を呼び、動揺をきたしては害となる。だから精神がいくら拡散的に遊泳してもそれを最終的につなぎとめる一点がどこかに必要となり、それが不動の身体と呼吸の感覚であるとかんがえればわかりやすい。実態として、また仏教の正式なかんがえかたとしてそれがただしいのかはわからないが。ただそうかんがえると、一点集中型のサマタ瞑想は、そういう楔としての身体感覚をまずある程度つくって得るためのものだと想定することができる。おそらくたいていの人間はもともと精神がかなりとっちらかっていておちつきがないため、さいしょからふつうにヴィパッサナーをこころみると、とっちらかっている精神をさらに拡散させてしまうことになりがちなのではないか。そこからはさまざまな精神的害が生じてくる。精神疾患をわずらっているひとは瞑想をやらないほうがいいと警告されるのは、ひとつにはそういう事情があるだろう。まずある程度意識の動揺をおさえ、またそれに耐えるちからを身につけてはじめて拡散型に移行できるわけである。
  • 作: 「旅立ちを言祝ぐ空の青さとは記憶は無窮であるその証明」
  • いま午前二時まえ。うえにあらためてメモした碧海祐人(おおみまさと)の『逃避行の窓』というやつをAmazon Musicでながしながら三日の記事に書抜きをしている。メロウそのものという音楽で、もちろん好きではある。三曲目までのあいだでも、ceroをおもわせる瞬間が何度かあった。おおまかなくくりとしては同路線と言ってもまあ言えないことはないだろう。いや、もっとはっきり、だいぶ似ていると言ってしまって良いのかもしれない。聞きすすめるうちに、だいたいおなじではないか? という印象になってきた。音作りとかこまかい部分ではいろいろちがうとおもうが、演奏とか曲というより、声とうたいかたを聞いていて連想することが多い。声色と、ファルセットの質とかときおりの発音・発声が似ている気がする。
  • それにしても、ceroの『POLY LIFE MULTI SOUL』ってなかなかすごいな、とあらためておもった。あの曲やメロディのつくり、歌詞の乗せ方というのは。あれをメジャーでやって、ひろく受け入れられている(のだとおもうが)のはすごい気がする。
  • 碧海祐人『夜光雲』をつづけてながしたが、冒頭の"眷恋"だけ聞いてみても、こちらはceroとはちがう色が出ているとおもう。こちらのほうがじぶんとしては好きかもしれない。二曲目まで聞くと、ceroよりコードの色がはっきりしていてカラフルな印象。いや、"Orphans"とかをかんがえれば、あまりちがわないのかもしれないが。
  • その後、Obed Calvaire, Bob Franceschini, Kevin Hayes & Orlando le Fleming『Whole Lotta Love: The Music of Led Zeppelin』。先日、Ari HoenigとかMike MorenoとかがPink Floydの『Dark Side of the Moon』を全曲カバーしたアルバムを聞いていて、そのさいに発売元であるChesky Recordsのサイトを見ていたときにこのLed Zeppelinのカバー作が出たことを知った。いざながしてみるとしかし、わざわざこのメンツでLed Zeppelinをこういうふうにやる必然性があるのだろうかという疑問が湧く。わりと原曲に忠実というか、元曲をそのままジャズ演奏にしたようなかんじなのだけれど、演奏じたいはこの四人だから悪くなりようがないとはいえ、楽曲とか構成とか総合的な音楽として、うーん、とかんじてしまう。ありていにいって、ふつうの純ジャズじゃん、と。Led Zeppelinをそのままふつうの純ジャズにしてもなあ、とおもうし、この四人ならなおさら、もっと大胆でおもしろいことがいくらでもできたのでは? とおもう。そもそもなぜこの四人でZeppelinをやろうというはなしになったのかがわからないし、音を聞いても、彼らがわざわざそうする必然性がぜんぜん見えてこない。本人たちが好きでやりたかったのだというならそれまでだが。
  • 往路。(……)さんに遭遇。家を出て西にあるいている道のとちゅうで。顔が視認できずすがたもまだまだちいさいとおくから見ても、あるきかたのかんじからしておそらく(……)さんだな、とわかった。ちょっとたちばなし。きのうも駅のまわりをあるいてましたよね? と聞き(ホームから見かけたのだ)、お元気そうで、と笑いをむけたが、本人はそれを肯定するでもなく、めだった反応は見せずにむっつりしてうーん、みたいなようすでいる。もともとこのひとは顔がいかつく、あたまのかたちも四角く角張っているようで、まあ言ってみれば目がほそいイシツブテみたいなかんじで、仁王像とはちょっとちがうがある種の仏像なんかにありそうな顔立ちをしている。しかし、片手に杖をつきながらではあるが、スニーカーを履いて(毎日ではないかもしれないが)夕べごとにあるいているのだから、まだ気力はあるわけだ。これから行って、何時まで? と聞くので、きょうはさいごまでなんで……遅いと、一一時くらいになっちゃいますね、とこたえた。その後も二、三、かわして、じゃあ、お気をつけて、とさきにすすもうとすると、ありがとうございます、と丁寧な礼をかえしてくるのは律儀で、がんばって、と言われたのにこちらも礼のことばで受けた。
  • 空は雲もいくらかなごっているものの大方水色に淡く、道の正面奥、西の際では梢や家並みにかくれながら下端の境界線をまたいだ雲が茜の色をほのかに発しているようだった。坂道をのぼって駅へ。階段から見るに西空は弱い稲妻の残影みたいなすこしジグザグした薄雲がしるされていて、これも落日のオレンジをかそけくもふくんでおり、ホームにはいってベンチについてからまた見やれば、先払いめいたそのほそい突出はからだいっぱい青く染まったおおきな母体雲からカタツムリの触角めいてのびだしたものだった。ベストを身につけては暑いだろうとわかっていたが、この時期になってまたワイシャツだけにもどるのもなんとなくなじめず、羽織りとネクタイをよそおってきたので、上り坂をこえてきたからだはとうぜん暑くて汗をかいていた。ベンチにすわってじっとしながら風を身に受けて汗をなだめる。