2021/9/17, Fri.

 視覚は見られるものを、聴覚は聴かれるものを「愛撫」する。「接触」はおしなべて「存在へと曝されていること」(128/154)なのだ。見ることができる眼は、同時に [﹅3] 、強烈な光線に射抜かれる器官でもなければならない。先天性の視覚障害者の開眼手術の記録がしめしていたように、視覚の対象もまずは文字どおり目にふれ、ときに視覚器官に傷を負わせる [註134] 。〈傷つきやすさ〉こそが、おしなべて感覚をそれとして可能にしている。だか(end219)ら、第二の異論にかんしていうならば、〈傷つくことができる〉ということが、かくて視覚それ自体をもふくめて、感覚的経験一般が可能となる条件である。「感受性とは〈他なるもの〉にたいして曝されていること(exposition à l'autre)なのである」(120/145)。(……)

 (註134): 哲学史的にいえば、これはいわゆる「モリヌークス問題」にかかわる論点である。最近の論稿としては、古茂田宏「魂とその外部――コンディヤックの視覚・触覚論によせて」(『一橋大学研究年報 人文科学研究』第三四巻、一九九七年刊)参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、219~220; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)



  • いま、もう一八日になっており、深夜二時。先ほど、シュナック/岡田朝雄訳『蝶の生活』(岩波文庫、一九九三年)を読了した。きょうはワクチンを接種しに行ってその帰りに図書館に寄り、詩集を五冊も借りてしまった日。いまnoteを覗いてみたところ、「(……)」というひとがサポート機能をつかって一〇〇〇円投げ銭してくれていたのでおどろいた。日記の一部をあげているだけなのだが。今回、noteはべつにそれで金をえようということはもくろんでおらず、ただ日々書いているなかでそこそこ書けた部分があったらそれを集積しておこうというだけのはなしで、要するに往路とか帰路とか風景や大気の描写を日記から抜粋して載せているだけである。やはり風景が、罪がなくて良い。思考とか、なにかの感想とか、そういうものはよく書けたとしてもわざわざピックアップしようとはおもわない。もともと(……)くんにうながされてInstagramでやっていたのだけれど、いちいちスクリーンショットして画像であげるのが面倒臭くなって飽きたので、文章のままnoteにあつめておくかたちでつづけたのだ。毎回番号を振っていて、いま43まで来ているのだが、とりあえず集積していってこれが1000とかになったらまあそれだけでもそこそこおもしろいのでは、などとおもっている。そういうふうに溜めていくのが自己目的みたいなもので、だから売り出そうとかよりひろく読まれる努力をしようとかいう気はなく、偶然見つけたひとが読んでくれればそれで良いのだが、風景描写をとりわけて好むひとというのは少数派である。意味が薄いからだ。こちらの書く風景などの描写を読んだときに、で、だからこれでなんなの? とおもうひとは、たぶん一定数いる。だいたいの人間はおそらく、断片のなかでもアフォリズムのたぐいとか、なにか小話的にまとまりがあるものとか、あるいは詩的な一節とか、思想や感情の表現とか、そういったもののほうをより好む。風景にそういった要素は基本的にはない。こちらが書くたぐいの風景にあるのは基本的にものの動きの推移と感覚的受容だけであって、それらは多く並列的なものであり、なにかひとつの目的点に収束し要約されはしない(ひとつの場や一連の時間としての統一・統合はむろんなされる)。もちろん風景描写にもながれはある。そのながれがときたま、直線的・段階的移行によって、あるいは記憶や思念をかいした迂回によって最小の物語めいたものを生むことはありうる。それはそういうことがありうるというだけのことで、べつにそれをめざしているわけではないし、そうなることがその風景やその文章にとって幸福なことかは事前にも事後にも不明だし、そもそも特段にこういうふうに書こうというもくろみなどない。
  • 一〇〇〇円をくれたこのひとには明日、礼のメッセージをおくる。
  • 上述したとおりワクチンを受けに行った日で、一一時半すぎに起きたが外出までにはさほどの印象はのこっていない。新聞くらいか。国際面を読んだ。まずメルケル以後のドイツおよび欧州を問う連載で、フランソワ・オランド元仏大統領がメルケルとの協力やその人柄についてなど語っていた。ギリシャ危機やシリア難民危機の際には、大事な問題にかんして何時間もはなしあって緊密に協調したと。欧州的価値やその伝統をまもることの大切さにかんして一致していた、みたいなことを言っていたとおもうが、いっぽうで、オランドとしてはメルケルが軍事力の役割に正面から目を据えなかったことが不満だったようなかんじで、現実的な外交には軍事のちからが不可欠だという認識が欠けていたのが私とメルケル氏のちがいだった、みたいなことを述べていた。
  • もうひとつ、オランダはハーグのICC国際刑事裁判所)がフィリピンのロドリゴ・ドゥテルテについて、麻薬取締において苛烈な掃討を展開し、銃撃などによって(容疑者とはいえ)多数の民間人死者を生んだのは戦争犯罪にあたる可能性がある、という判断を示し、捜査を申し入れたと。これはあくまで当該国が許可しないとできないらしく、ドゥテルテはとうぜん許可するはずがない。つぎの大統領選でドゥテルテ以外が当選すれば可能性が見えるが、彼は娘(サラといったか?)を大統領選に出馬させ、じぶんは副大統領になるという、父娘での権力掌握をもくろんでいる、という噂もあるらしい。
  • あとは極東ロシアハバロフスクで反プーチンの機運がたかまっているというはなし。たかまっているといっていまは反対集会の人数もかなり減って一〇人くらいでしかないようだが、それでも市内中心部の広場で頻繁にあつまっているらしい。もともと極東地域はモスクワから遠いことで疎外されたり不当にあつかわれているという意識がつよく、中央政府への反感はむかしから比較的濃いらしいのだが、セルゲイなんとかいう自由民主党の前知事が政権与党(「統一ロシア」)も野党も圧勝で破って当選したのち、むかしの殺人容疑だかなんだかを理由にして拘束・解任されたという経緯があるらしく、それで一時は大規模な反対運動が起こっていたようだ。ロシアは下院選がちかいらしく、ちかいというかいま検索したらもうはじまっており、一七日から一九日で定数四五〇だという。たしか小選挙区制と比例代表議席は半分ずつ、と記事にあった記憶がある。政権与党の支持率がひくい地域(だったか選挙区)の上位はどこも極東らしいが、ただ自由民主党プーチン政権の存続を前提としたいわゆる体制内野党だといい、だからどこまで政権批判の受け皿になれるのか疑問だと。有権者としても、セルゲイ知事がいない自由民主党には期待しない、という声がひとつ紹介されていた。
  • あとは帰宅後に、英米豪の新たな協定についての報も読んだ。AUKUS(オーカス)というと。オーストラリアのAと、UK、USをそのままならべただけの命名である。東シナ海および南シナ海で傍若無人にふるまっている中国に対抗してオーストラリアの抑止力をつよめたいということで、米国が原子力潜水艦の技術をオーストラリア側に提供するらしいのだが、原潜の技術は米国の軍事技術のなかでも最高度の機密にあたり、いままでに供与されたのは一九五八年だかに協定をむすんだ英国だけで、米側関係者は今回一度かぎりのことだと言っているらしいが、だからそれだけ切羽詰まっているというか中国にたいする米国の焦りがうかがわれる、という趣旨だった。
  • ほか、夕刊の一面には自民党総裁選の告示がおこなわれて四名の候補者が確定と。河野太郎岸田文雄高市早苗野田聖子自民党内にはいま七派だったか主要な派閥があるらしいのだが、そのうち六派が事実上の自主投票という対応になっていて、混戦が予想されるとのこと。たしか党議員三八三票と同数の党友・党員票でまずあらそわれ、一度目で決まらなかったら上位二者で決戦、そのときは議員票三八三にくわえて都道府県連の各一票が足されて四三〇票になるということだった。
  • 家を発ったのは二時一〇分ごろ。予約は三時からだったのでこれだとはやいのだが、よい時間の電車がなかった。久々に街着で外出したのだけれど、格好は、腕をすぐまくれたほうが良いだろうというわけでTシャツ(鈍い赤褐色でよくわからない幾何学的模様が描かれているもの)を着て、下のズボンはブルーグレーの、いつも気楽に履いているシンプルなもので、Tシャツのうえにこまかいチェック柄のブルゾン的なものを羽織った。しかしそれで道を行っているとふつうに暑く、汗ばんできて、Tシャツだけでも行けたのではないかとおもわれた。天気は文句なしの曇り、灰色がかった雲がひろく天をわたって延べられており、風もよくながれる。(……)さん宅の横の林縁にヒガンバナがいくつもあらわれ、茂みからつきだして花ひらきかたちをなしている。(……)さんが家から出てきていたのであいさつ。飼っている小さな犬を出してやっていたらしく、犬はガードレールの足もとですわりながら前足でからだをすばやく搔いていた。
  • きょうはいったんここまで。日記本文に読書メモを取るのをやめたので、一三日の月曜日まで投稿できた。一四日に(……)くんとはなした内容と、きのう(一六日)のことが書けていない。そういえば副反応はたしかにあって、打った左腕が痛い。腕を伸ばしたり肩よりうえにあげようとすると痛む。筋肉痛にちかいかんじでもあり、たとえばボルトのようなものが組織や繊維のなかに無理やり埋めこまれて、ひっかかり妨害しているかのような痛みだ。
  • 駅につくころにはやはり暑く、汗をかいていたので、ホームの先に行くとブルゾンを脱いだ。それで風を浴びつつ立ち尽くして電車を待つ。めのまえの線路地帯を越えたむこうは線路沿いの細道になっており、さらにその先は段があってなだらかにのぼるひろい土地が丘のふもとまでつづいており、おそらくそこの家のひとがいろいろ畑をやっているのだが、この日立った位置の正面では段の端でヒマワリが群れていて、といってもう時季を終えてことごとく花びらを落とし顔を黒いのっぺらぼうと化しながらうつむいた群れであり、葉っぱはまだ枯れながらものこっているものがおおいもののなかにはそれももはや腐らせて屍衣となした花もあり、うなだれの角度もより深いそれは根もとからいちばんうえまですべて焦茶色のほそくかすかな立ち姿で、総じてちからをうしないながらも倒れることを決してゆるされず、消耗の果ての死を待ちながら強制的な行進や労務に耐えている囚人のごとく映った。
  • 乗車。(……)で乗り換え。(……)へ。まだ時間がはやかったので、ベンチについて書見。シュナック/岡田朝雄訳『蝶の生活』(岩波文庫、一九九三年)のつづき。ひさしぶりにそとで本を読んだ。ワクチン接種を待つあいだにもずっと読書していたが、しかし、やっぱりそとで本を読んでもなんかあんまりなあ、というかんじがのこった。どうしたって自室で読んでいるより集中しづらいし、なんだか読んでいてあまり充実しない。このときホーム上には風がよく左右にながれて涼しく、しばらく浴びているうちに汗もかわいて肌寒さに転じそうなくらいになってきたので、ブルゾンを羽織った。しかしブルゾンを着てあるいていればどうしても暑くて汗がまた湧き、この日は着たり脱いだりを何度かくりかえすことになった。
  • 良い時間になったところで立って上階へ。トイレに寄った。いちばん端で小便をしているとあたまのすぐ左が窓になり、ひらいたそこからやはり風がつよくはいってきて顔が涼しい。改札をぬけて南側へ。こちらがわもかなりひさしぶりに来た。通路を行き、左に折れて階段をくだろうとすると下には小学生の男女らがいて、なんとかはなしたあと三、四人いた男児がてんでにおおきな声をあげながらバタバタ激しい動きで階段を駆けのぼり出し、それをしたで見ていた女児ふたりは笑ってからあとを追っていた。すれちがって降り、駅を出ると居酒屋の入口で店員がしゃがみこんで口になかばはいるようなかたちで掃除をしており、その先、ロータリーのまわりでは杖を一本ずつ両手について支えとしながら、腰のあたりからおおきく背をかがめて一歩一歩あるくだけでも難儀そうな老人がのろのろすすんでいた。その横をゆっくり追い抜かしていき、南へとむかう。(……)に行くときは曲がってしまうので、こちらのほうに来るのはほんとうにいつぶりかわからない。体育館をおとずれた記憶が成人式のそれしかないのだが。もしそれが最後だとすると、もう一一年まえということになる。さすがにそのあといちどくらいはなにかで来た気がするのだが。南へ伸びる道の脇にはサルスベリがそれぞれ白と紅の泡を枝先に湧かせている。交差点の横断歩道でとまると、飛び立ったカラスが宙をわたって正面の、(……)自動車の店舗の最上、おおきな看板のうえに降り立ち、それをしばらくながめていたがカラスは奥のほうに行って見えなくなり、視線をおろせば店内では母娘なのか中年女性と若い女性がテーブル席についている。右方、西空のほうに目を振ると遠くにはまだしも淡い水色が見えないでもないが、頭上付近は灰と白の混ざった雲でなめらかに覆いつくされ閉塞されている。信号が変わると渡り、ひきつづきのろのろとした足取りですすむ。そのあたりには意外とカフェとか飯屋が数件ならんでいて、こんなところにこんな店があったのかとおもったが、体育館で運動をしてきた帰りの客をつかまえようということだろう。
  • 体育館に到着。看板にしたがって入る。入ってすぐ右に折れた先、スポーツホールでワクチン接種がおこなわれていた。中学校のときに卓球部だったのでその当時はけっこう卓球をやりに来たが、それ以降ホールに来たのはマジで成人式しか記憶がない。ホール入口にちかづいていくと女性スタッフがまだ距離のあるうちからこちらをみとめてうごきだし、あいさつを送ってきたのでこたえかえし、あちらへすすんで検温をと左手をしめすのでそちらに折れてまっすぐ、すると棒の先にスマートフォン的な小型機械をとりつけたかたちの検温機がいくつか設置されているのでやや身をかがめて顔をちかづけ、36. 4の表示を得た。その先には椅子がならべられた一角があり、案内のスタッフがここの列で奥にずっと詰めてすわってくださいというのでそれにしたがって奥へ。とちゅう、消毒済という表示のあるバインダーが置かれた一席があった。こちらのひとつ先、左隣にすわっていたひとは、さいしょちかづいたときなんだか目つきが悪いというかにらみつけてくるような印象をえたのだが、べつに敵意があったわけではないとおもう。よく見なかったがこのひとは外国人だったらしく、たしかにすこし浅黒いような肌色をしていたおぼえがあるが、マヌエルだったかなんだかそんなふうな名が聞こえたので、たぶんスペイン系だったのではないか。椅子に座ると文庫本をとりだして読みながら待つ。まもなくスタッフが来て声をかけてきたので持ってきた書類をバッグから用意。身分証明のパスポート(父親が定年になって保険証が回収されたのでいまこれしか手軽な身分証明がない)と、事前に記入してきた予診票と、封筒でおくられてきた接種券。その三点をわたすと女性スタッフがバインダーにはさんでまとめてくれ、予診票を見ながら先ほどはかった体温を聞いてくるので(家でも測って37.0の値を得ていたが、いちおう空欄にしておいたのだ――しかし、家で測ったときとここで測ったときと、数値が違いすぎないか?――たぶん、腋で測るのと距離を置いて額で測るのとでけっこうちがうのだとおもうが――さいきんはストレッチやマッサージをよくするようになったので体温が上がり、だいたい36. 8か36. 9くらいにはなる)こたえ、その他はOKらしかったので日付と署名を記入するようもとめられた。きょう、ボールペンはお持ちですかとたずねられて、手帳をつねにたずさえているので持っていたのだが、なぜかお借りしてもいいですかとこたえてしまい、すると職員はもっていた消毒ティッシュみたいなやつでペンを拭いてからわたしてくれたので、日付となまえを記入、それでひとまずの手続きは終わりだった。この中年以上の年齢だった女性スタッフはけっこう自信がなさそうというか、なにひとつ失態をおかしてなどいないのにつねに申し訳無さそうに焦っている、というかんじの声色や振る舞いをしたひとだった。
  • 待っているあいだにホール内のようすや各区画の配置を見回したので記述しておくと、横にながいかたちの長方形として俯瞰したとき、いちばん右下の付近がはいってきた口であり、そこから下辺に沿って左には観客席があって、その脇をとおるかたちで検温機まですすみ、その先、ホール内の左方に椅子がならんだ待合スペースがもうけられていた。椅子の列は、きちんと数えはしなかったが、たぶん一〇列かそれに満たないくらいだったのではないか。こちらが来たときには五列目かそのくらいから埋まっていて、じぶんはたぶん六列目か七列目あたりについたのだとおもう。それで順次呼ばれてひとが減っていくと、こんどは空いていた先頭の列から来たひとがとおされて、というかたちだった。待合スペースの正面、上辺は舞台になっているがそのまえには書類を詳細に確認する区画があって、長テーブルに何人かのスタッフがついており、そこから右にすすみ、さらに右に折れてさいしょの入口付近にもどってくるかたちで各段階が用意されており、それらを通過していくことになった。ホール内にはおおきな扇風機もしくは送風機がいくつか設置されていたようで、座っているあいだこちらの背後からも風が来ていたが、見上げれば高いところをめぐっている窓はひらかれず黒い暗幕で閉ざされており、また左右の壁にはおおきな筒状の口、その開口部に縦横の格子がわたされさらにそのまわりをケースめいておおわれている口がいくつかあって、あれは換気扇もしくは換気口なのか、そうだとしていま機能しているのかは見分けられなかった。
  • しばらくして高年の男性スタッフが、ひとりずつ、お待たせしました、どうぞ、とうながしはじめたので本をしまい、じぶんも立って前方へすすむ。まずやはり年嵩の女性にバインダーを出して接種券をコンピューターに読みこんでもらい、名を言われるのではいと応じ、そこから右にはいって長テーブルの問診へ。あいては女性。ここですでにいくらか医師めいた雰囲気がないではなかったのだが、この区画のひとはたぶんまだ医師ではないとおもうのだが。あるいは医療スタッフだったのか? ふつうに市などの職員だとおもうのだが。女性はパスポートをひらき、しばらく迷うようになり、それから身分情報を指で追いながらこまかく見ていたのだが、住所が確認できるものってお持ちですか? と聞いてきた。それでパスポートに住所がしるされていないことに気づいた。パスポートなどぜんぜんこまかく見ていやしないし、まったくかんがえていなかった。いま見てみると、いちばんうしろに所持人記入欄というページがあって、ここを書いておけば良かったのだろう。しかしこのときは知らなかったので、いちおう探すそぶりをしながらも、住所はないかもしれないですね、とつぶやくと、じゃあいま口で行っていただければ大丈夫です、となったので姿勢をなおし、住所情報を暗唱してOKとなった。あと、さいきん医師の診察を受けましたかみたいな質問のしたに、かかりつけの医師からワクチンを接種して大丈夫だといわれましたか、みたいな質問があって、医者に行っていないから言われるもなにもないのだがとおもいつつよくわからなかったので「はい」をチェックしていたのだが、そこは「いいえ」に直された。それで通過して、医師の問診へ。医師は今度は簡易テントというか、半分くらい白い幕でかこわれ区切られたスペースにおり、そのてまえで若い男性スタッフがまちかまえていてバインダーを受け取り、角度の関係上こちらからはまだすがたの見えない医師に対象者が来たことをおしえ、それからこちらが着席する。しかし問診は一瞬で終わった。医師は髪が灰色になったやはり年嵩の男性で、すこし(……)先生に似ていないでもなかったが、すわったこちらを見て体調悪くないですね、と確認しただけで、あとは予診票をさっと見てすぐさま署名をしていた。やっつけ仕事じゃないか。しかしじっさい問題はないので署名をもらうとつぎに進み、ついにワクチン接種だが、そのまえにも先ほどよりもすくなめではあるが番号の付された椅子のならんだスペースが用意されてあり、座って少々待った。先ほどの俯瞰図でいうと、ここは室の右上の付近である。椅子のなかには男性スタッフがひとりおり、ワクチン接種所があくとつぎのひとに声をかけてうながす役目と、医師の診察を終えてきたひとにむけてわかりやすいよう手をあげ、何番の椅子にお願いしますと誘導する役目を果たしていた。ワクチン接種スペースはAからDまで四つもうけられていて、こちらが受けたのはたしかCかBだったがどちらだかわすれた。接種所は先ほどの医師の簡易テントとおなじようなかたちで、待っているひとからはなかのようすが見えないように配置されており、すすんで角を曲がると荷物を置く用の椅子がいくつかあり、その向かいにもろもろの道具が置かれていて医師用と接種者用に椅子がひとつずつあるという感じだった。ここでの担当は比較的若い、三〇代か四〇そこそことおもわれた女性で、柔和で人当たりが良く、はいっていくと荷物をそちらに置いていただいて、打つのは左腕でいいですか? と聞いてきた。了承して鞄を置くとともにブルゾンを脱ぎ、Tシャツの左腕をまくって上腕を出して椅子に座ると、女性はすぐに用意をして打ってくれたのだが、そのさい、声のかけかたが、肩の力を抜いてくださいね~ではなく(丁寧な命令法)、肩の力を抜きましょうね~でもなく(誘いの文言をつかったうながしで、ここまでは発話者と呼びかけられたひととは確実に分離しており、一人称の主語が想定されるとしてもそれは複数(「(私たちは)肩の力を抜きましょうね~」)でしかなく、したがっていまだ主語の複数性がなりたっている(話法上、呼びかけられる「あなた」の位置と存在は消え去ってはいない))、肩の力を抜きますよ~というかんじで、こちらが主体である行動についてあたかも彼女自身が主語であるかのように呼びかけてやわらかくうながす、という話法をもちいていたので(ここにおいて呼びかけているひと(「わたし」)と呼びかけられているひと(「あなた」)の分離はあいまいになり、「わたし」が主体としての「あなた」の位置にはいりこみ(つよく言えばその位置に侵入して地位を奪い)、いわば主語を肩代わりしてあらかじめその行動を代弁することで誘導するような言い方になっている)、これはふだん子どもか老人(つまり、主体としての確立がまだ不十分であるか、心身のおとろえや認知症などによって主体の確立がみだれてきたあとのひとびと)をおおくあいてにしているのではないか、とあとでおもった。看護師というのはわりとみんなそうなのかもしれないが。
  • 丁寧な命令法(「肩の力を抜いてくださいね~」)では「わたし」が主語になることはできない。誘い - うながし(「肩の力を抜きましょうね~」)では、「わたし」が主語になることはできないが、「わたしたち」はいちおう可能である(おそらく英語でいうところのShall we的な誘導?)。「肩の力を抜きますよ~」では、文言だけを取ってみると「わたし」も「あなた」も平等に主語の位置を占めることができる。この場面ではこのことばがめのまえの対象であるあいて(すなわちワクチンを接種しているこちら)への呼びかけとして投げかけられているので、明言されていない暗黙の主語は「あなた」であるはずだが(おそらく、催眠術師的な話法に近い(「あなたはだんだん眠くなる……」))、しかしそこで「わたし」の影が潜在的可能性として同時につきまとっているため、観念的混線が起こるか、すくなくともそれが起こりうる余地が生まれる。主語の座が即座に直接的に「あなた」に収束するのではなく、選択肢が二つあることで、言表理解および主語決定プロセスにおいて一段階の余剰というか幅が生じ、そこにひらかれた中間的な余地のなかで「わたし」と「あなた」が癒着してかさなりあうことになる。こういう事態そのものの意味解釈や各人にあたえる印象はさまざまなものでありうる。たとえばこの看護師(ワクチン接種スタッフ)の側にフォーカスすれば、彼女はじぶんが接するあいての気持ちや立場に(まさしく)「なる」(それを肩代わりする)ということを言語上で実践していることになり、そういう姿勢はおそらく医療現場においてつねに不可欠なケアの作法のひとつだろうし、このひともふだんからじぶんがはたらく職場でそういう言葉遣いや振る舞いをこころがけているのではないか。その作法を受けるあいて(この場合はこちら)からしてみれば、ものすごく大げさに言えば、主体としての自分の地位が侵害され奪われた、という感覚が生じるということも、完全にありえないわけではないとおもう。じぶんの「わたし」が他者によって言語的に先取りされ、奪われ、まぎれもなく「わたし」に属する述語であるはずなのにそこに「わたし」がいない、ということになる。もしこういう場面で被発話者が違和感をおぼえるとすれば、それはおそらく主語と述語の関係におけるそのずれが原因である。これはあくまで主語が明示されない日本語のやりとりにおいて成立している事態であり、「あなたは肩の力を抜きますよ~」と二人称「あなた」が明言されれば、その時点で「わたし」(発話者)と「あなた」の分離は決定的に確立するから、そうした混同的な違和感は生まれない。主体の混線には潜在性という余白的領域が必要なのだ。
  • 注射自体はまったく痛くなく、ほとんどちくりともせずに一瞬で終わったので、めちゃくちゃ簡単っすね、と笑うと、女性は、そうですね~、でもあしたあたり痛くなるとおもいます、とこたえ、だいたいみんなそうなっていると言った。それですぐ終え、礼を言って退出するとまた職員のみちびきにしたがってつぎの区画の椅子についた。長方形の右上からすこし下に移動したあたりだが、ここはなんの役目を果たしていたのかよくわからない。待つ人間がすわる椅子のむかいには長テーブルが用意されてそこに職員が何人かついており、実質予診票に接種券を貼りつけるくらいの仕事しかないような気がするのだが、いちおうたしかに接種したということを確認し、認定する、ということなのだろう。ここに座っているあいだかその前後、たしかワクチン接種を終えて出てきたあたりだった気がするのだが、なにかドシーン、というかんじの鈍い音がひびいたあと、甲高いホイッスルが聞こえ、なんだとおもっていると担架が出てきたので、どうやら接種を終えて待っているひとのなかに倒れた人間がいたようだった。よく見えなかったが、たしかにならんだ椅子のなかにひとつ、たおれているものがあった。こちらはそことは違う待合スペースにとおされた、というのは先ほどたおれたひとがいたあたりは二回目の接種後の区画で、それは長方形の右半分のうち中央にちかいあたりだが、こちらは一度目なので入口にちかい右下の端のあたりに誘導され、長方形の右辺を正面としてならべられた椅子のひとつに座った。待ち時間は三時四二分までだった。しばらく渡された用紙にかかれてある注意事項(アナフィラキシーショックや、迷走神経反射によって気分が悪くなったり意識をうしなったりすることがありますとか、副反応としてどのようなものが出やすいか、といったことだ)をまじめに読み、それからふたたびシュナックを書見。そのうちに年嵩の女性がやってきて、まだ説明されてないですよね? と、つぎつぎやって来る接種者に追いつかない疲れと焦りをあらわにしながら問うてきたので肯定すると、こちらのうしろに座った女性といっしょに、用紙をよく読んで注意すること、またこのあと待ち時間のあいだにつぎの予約についてはなしがあり、紙をわたすので持ち帰ること、などを伝達された。待っているあいだいちどだけ、とつぜん顔が熱くなってやや息苦しさをおぼえ、やばいか? とおもったときがあったのだが、これは気持ち悪くなるかもしれない、倒れるかもしれないという可能性によって一時的に緊張しただけのことだったのだろう。要するにパニック障害のかすかななごりで、なれ親しんだ事態ではあったし、すぐにおさまった。
  • 二度目の予約はサイトを見たときには一度目を終えてからとあったのでもういちど取るのだとおもっていたが、もう自動的に三週間後のおなじ時間に設定されるというはなしがその後あり、一〇月八日金曜日の一五時からと記された用紙が全員に配られた。周囲でこちらと同様に待っているひとびとのあいだには、本を読む人間は少数派だとしてもスマートフォンを見ている者も意外とすくなく、手になにも持たずなにもせずにただぼんやりと時間がすぎるのを待っているひとが多い印象だった。四二分が来ると知らされたので立ち上がり、ひかえていた職員に礼を言って退出。退出口は入口とはべつで、入口をはいってすぐ右手の、右辺の壁から、というかたちだった。そこからそのままそとへと通じていたので出たところで、救急車がサイレンを鳴らしながら体育館のまえにあらわれ、とまった。先ほどたおれたひとを搬送しに来たのだろうかとおもい、喉がかわいていたので先ほどはいったときの入口脇にある自販機に目を留めてそちらにちかづいていったのだが、それはじつのところ、救急隊員のうごきを見物したいという野次馬根性によってなかば意図的にその場にとどまる理由をつくり、時間をかせいだかたちだった。雨がぽつぽつ降りはじめているなか、自販機に寄って見たが、やはりとりたてて飲みたい気になるものもなく、救急車にほうに視線をおくりながら帰路のほうに向かいはじめると、隊員たちは意外とのんびりしていて、車のうしろから担架をおろしてキャスターつきのそれを押しながらあるきはじめた三人はまったく急ぐようすもなく、日常的な悠長さそのもののスピードで体育館にむかっていった。
  • 来た道を駅へともどる。あるくあいだ、陰謀論者にいわせればこれで俺もマイクロチップを埋めこまれて政府に管理される愚民の一員となったわけだが、まずもってワクチンとともにマイクロチップが体内にはいりこんだとしてそれはどこにとどまることになるのだろうとか、そのマイクロチップはどのくらいの大きさと想定されているのだろうとか、そういった極小の(ナノレベルの?)高度技術はそもそもいま可能なのか、可能だとしてどれくらいのことがそれにはできるのか、「管理」というけれどその「管理」とは具体的にどういうことなのだろう、人体のデータを収集するとしてどのようなデータが送られるのだろう、位置情報とかなのか? などもろもろの疑問が湧いて、陰謀論支持者はそのあたりをどのくらい具体的にかんがえているのだろうな、とおもった。たぶんそんなに具体的にかんがえられてはいないのではとおもうし、そんなに具体的にかんがえてられてはいなくても(ことによるとそれがゆえに)信じることが可能なのだろう。駅前につづく通りの途中には茶屋が一軒あり、行きにもちょっと目に留めていたが、帰路は住居とつながっているらしいその店舗の横で男女の幼子がふたりしゃがみこんで遊んでおり、おそらく店主か店番だとおもわれる年嵩の女性がすぐそばで水道からバケツに水を汲むかなにかしていた。駅前ロータリーにはいって行っていると前方に、来たときにも見かけた老人、両手杖で背がおおきく曲がりあるくのが難儀そうな老人を見つけて、あれはさっきのひとじゃないかと見れば老人はゆっくりタクシーに乗りこむところで、どうもすぐむかいの薬局から出てきたらしく、その隣には「(……)」という医院があるので、行きに見かけたときはここの医者にはいるところだったんだな、それで診察を終えて帰るところなのだろう、とはかった。駅舎にちかづきながら、それにしてもやっぱり外出して町に出るとそれだけで書くことがむこうから勝手にいくらでもやってきておもしろいなあ、毎日それだと書かなければならないことが多くなりすぎてきついが、とおもった。
  • ひさしぶりにここまで出てきたついでに図書館に寄っていくつもりだった。特に借りたい本といっておもいつかなかったが(強いていえばウルフ『波』の新訳くらいだった)、新着図書や入荷本を見ておきたかったし、また見ていて借りたくなったときのためにいちおう図書カードは持ってきてあった。それで駅の北側へ。高架歩廊に出てすすむ。前方にはカーディガンを羽織ったすがたの男子高校生がふたり、特有の気楽そうなようすでいたが、すぐにコンビニのほうにおりる階段に折れていった。(……)の建物は、北へ伸びる表通りに面してながくつづく側面がすべてシートで覆われそのなかに足場が組まれてあり、なにか改装をするもようだった。ビルにはいって手を消毒しながら図書館のゲートをくぐる。いぜんは入口で図書カードを見せて職員に確認してもらい、滞在は六〇分までなので時間のかかれた紙を受け取っていたのだが、いまはもうそういう対応はなくなったようで、入口付近にはだれもおらず、自由にすすんでいけた。CDの新着を一瞬だけ見て(崎山蒼志のなんとかいうアルバムがあったはず)、上階へ。新着図書の文学や小説のところにもなにかしら目に留めて手に取りひらいたものがあったはずだが、と書いておもいだしたが、作品社から出ているジェスミン・ウォードのあたらしい翻訳があったのだ。ジェスミン・ウォードという作家についてはなにも知らないが、『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』というタイトルが格好良くて書店で目に留め、名をおぼえていたのだ。ほか、岩波文庫では熊野純彦が訳したカッシーラーの『国家と神話』だったか『国家の神話』だったかそんなやつがはいっていたし(カッシーラーカントーロヴィチがなぜかいつもごっちゃになりがちなのだけれど、たしかカッシーラーだったはず――『王の二つの身体』がカントーロヴィチであることは明確におぼえているのだが)、三島憲一などが訳したベンヤミンの『パサージュ論』の何巻目かも二冊はいっていた。そのほかはわすれた。エリザベス・ボウエン小説集、みたいなやつが一冊あったのはおもいだした。新着図書の見分を終えると哲学の区画に行ったが、ここにはあまり目新しいものはない。ふりむいて精神分析のあたりも見てみると、松本卓也がなんとかいうひとと共訳したなんとかいう学者の『HANDS』という本があり、これはなかなかおもしろそうだった。手というものの社会文化的な歴史記述みたいなかんじだったよう。出版社はたしか左右社だったはずで、いちばんうしろのほうにティム・インゴルドの『ラインズ』となにかもう一冊、さらにレベッカ・ソルニットの『ウォークス』が広告されているページがあって、これらもまえから気になっている書物ではある。
  • 海外文学へ。そのまえに日本のエッセイの区画のさいごのあたりを見たところ、古典の日記文学の註釈集成みたいなシリーズがあったり、近世紀行文集成みたいなやつもあったりでこれらも興味を惹かれる。註釈集成はかなり専門的だろうからともかくとしても、古典紀行文集成みたいなやつはふつうに読みたい。そこからずれて海外文学のほうにはいっていくと、最初はアジアや中国なのだけれど、ここに赤い本の漢詩集(たしか集英社だったような気がするのだが――一巻目の出版年は一九九六年だったとおもう)が何冊もならんでいて、腐っても日本、腐っても図書館だなと称賛した。漢詩集のほうが、『失われた時を求めて』よりも冊数多く棚に出ている(こちらは鈴木道彦が訳した集英社の水色の単行本で二巻目までしか書架には出ていない――むかしはもっとならんでいたのだが――とはいえ、岩波文庫版はたぶんぜんぶ出ているはずだ)『楚辞』も『詩経』もふつうにあったので、さっさと読みたい。とはいえ全集だとやはりたいへんだから、まずはやっぱり岩波文庫ということになってしまうか。それかアンソロジーのたぐいか。はるかむかしに一冊だけ入門書みたいなものを読んだことはあるが、なにもおぼえていない。
  • そのまま横に移行していって英米文学のはじめのあたりに来たところで、村上春樹が訳したレイモンド・カーヴァーの詩集とか、マーガレット・アトウッドとか、ニール・ホールという黒人詩人とかに目が留まって、詩を読もうという気持ちになった。それでまずこの三冊を借りることに。マーガレット・アトウッドが詩も書いているとは知らなかったが、『サークル・ゲーム』というのがあったのだ。そしてまちがえたが、借りたのはレイモンド・カーヴァーではなく(村上春樹訳のそれは三冊あって、それも多少目に留めはしたが)リチャード・ブローティガンブローティガン 東京日記』だった(平凡社ライブラリー福間健二訳で、いぜんから良い評判はたまに見かけている)。あと『ただの黒人であることの痛み ニール・ホール詩集』というやつで、このひとはかなりさいきんのひとのよう。詩は五冊くらい借りようとおもった。そんなに借りて、期限内に、読み終えるのはともかく書抜きまで済ませられるかこころもとなかったというかほぼ無理だろうが、勢いにまかせてとりあえず借りるだけ借りようというわけで書架のまえを移っていき(ウルフの『波』新訳はなかったので誰かが借りているらしい)、ドイツまで来たところで神品芳夫訳の『リルケ詩集』を借りることにした。土曜美術出版とかいう会社が出している世界現代史文庫みたいなシリーズの一冊で、これはそうとうにむかしにいちど読んだことがあるが、もういちど読むことにした。あとはひとり、日本の詩人をだれか借りるかというわけでいったん棚のあいだを抜け、日本の詩の区画へ。見ていき、須賀敦子と、高見沢隆だったか、『ネオ・リリシズム宣言』というやつがわりと気になったのだけれど、今回は須賀敦子に決定。だから日本人とはいっても海外文学にだいぶちかい日本人になってしまった。『主よ一羽の鳩のために』という河出書房新社の本で、クリームっぽい薄水色のカバーで端正な、こじんまりとまとまった瀟洒な小家みたいなすてきな雰囲気の書である。
  • それで機械で貸出。トイレに寄って放尿すると退館へ。あとのことはとりたてておぼえていないし、面倒臭いので省略しようとおもう。(……)のホームにやはり風が盛んでよくながれさわいでいたのと、シュナック/岡田朝雄訳『蝶の生活』(岩波文庫、一九九三年)をこの日で一気に読み終えたことくらい。借りてきた詩集をはやく読みたかったからである。シュナックのこの本はまあまあというかんじで、マジで蝶好きすぎでしょ、というものだが、記述じたいはたぶん典型的にロマン派的なものだとおもわれ、つまりいかにも文学的、というかんじの比喩や描写が多く、そしてことばえらびとしてそのロマン派の典型性からはみだす瞬間はほぼなかったとおもう(それでもメモしようとおもう比喩などはいくらかあったが)。特徴的なのは蝶の存在をつねに太古とか悠久の時みたいな人間未然の歴史とむすびつけたがることで、翅の模様や色はそういう時を反映していると想像され、またいっぽうで、非常に頻繁に自然や地理的様態(太陽とか、夜とか、月とか、島とか、海とか)になぞらえられる。だからシュナックにとっては蝶の翅のなかに地球の歴史が刻印され自然の縮図があらわれているような印象で、具体的な箇所を多少ひいておくと、たとえばまだ個々の種の記述にはいるまえの総説的な「蝶」のさいごのほう(21)で、「物の本質を見通す眼の持ち主には、蝶の羽の多様な斑紋や、神秘的な翅脈の文字が、何万年にわたる地球のさまざまな体験のしるしであることがわかるだろう」とか、「氷の光に彩られた蝶もいるが、それは氷河の流れが反映したものにちがいない……」とか言われている。この後者のひとことは「蝶」のさいごの一文だが、そこからページをめくると具体的な蝶種の記述に移行して「コヒオドシ」のパートがはじまり、そのさいしょは先の一文を受け継ぐようにして、「コヒオドシは、その緑色の血の中に壮大な地球創成時代の記憶をもち続けている蝶のひとつである。コヒオドシは氷河時代とその短い夏を忘れることができない」(22)ということばからはじまっている。で、類似の部分はその他もろもろあるのだけれど、一気に飛んで終盤(「ヒトリガ類」の章)に、こういうメタファー的認識、メタフォリカルなかさねあわせをより直截に、まるでまとめのようにして述べた一連の箇所と、その中核となるべき要約的一語があって、その一語とは「神秘説」(311)である。いわく、「大きなものが小さいものの中にあるように、天上の世界が地上にあるように(……)太陽が地球にとって代わるように、星々の形が、星々の色が、星々の出会いが蛾の羽の秩序と天空の中に織り込まれたのであろう」(309~311)というわけだし、そのつぎの段落では火星、水星、金星等々と、それぞれの星の色と性質がどのように蛾の羽に反映されているか、想像的記述の具体的な展開がなされ、そのあとで行が変わるとそのはじめに、「このようにして宇宙の刻印を押された蛾」(310)という縮約的一節がある。その段落のさいごで、「もしも私が私のささやかな蛾の神秘説を語ったならば、親方は首を横に振ったことであろう」(311)と「神秘説」という語をつかって一連の記述がまとめられるのだ。「親方」というのは蝶の絵を描くのが非常に巧みなガラス職人の親方で、シュナックの蝶仲間のひとりなのだが、手工業者ということはおそらくそんなに抽象的思考になじんでいなかったと推測され、シュナックもそういう認識でいるようで(面倒臭いので引かないが、全篇のしめくくりちかくにもその傍証がある)、だから彼はこういう「神秘説」には「首を横に振っ」て、否定の態度か、よくわからない、理解できない、という反応をしめすだろう、ということではないか。ちなみにシュナックの主要な蝶仲間としてはもうひとり、レアンダーという蝶博士が出てきて、このひとは博士と言われているとおりじっさいの専門的学者のようだから、インテリである(ちなみにおもしろいことに、このひとの弟はビジネスでアトラス山脈のほうに行ったときに現地のベドウィンの族長と懇意になり、族長の死後その地位を継いでベドウィン族の一員になったといい、そこからめずらしい蝶をレアンダーにおくってくれるというはなしだ)。全篇はそれぞれ独立した関係としてかたられていたこのふたりがシュナックをあいだにはさんではじめて邂逅し、レアンダーの屋敷の温室ではなしたり蝶を見たりする挿話でしめくくられている(そのあと、「あとがき」として蝶の研究に心血をそそいできた先人たち(そのひとりめはアリストテレス)の紹介がみじかくあるが)。全篇は三部にわかれており、第一部は「第一の書 蝶」、あいだに間奏曲的な、蝶をモチーフにした幻想譚みたいな小物語が三つはいり、後半は「第三の書 蛾」で、種別に章が用意されているのでわりとどこから読んでもいいタイプの本ではあるが、ただ完全に断片的というわけでもなく、うえに触れたように全体の認識的基盤は統一されて冒頭と終盤ちかくで対応しているし、ある章の一部がべつの章の一部やまえに出てきた挿話を参照することもあるし、一連のエピソードのとちゅうで章が変わってべつの種の説明にうつることもあるし、終わり方も意をこらしてあるから、意外と物語的な構成や連続性は考慮して書かれたのだとおもう。あと、蝶についてはわりとどの種も記述が詳しくて、翅の模様の配置や構成を詳細に書いたり、それにまつわる体験的挿話をはさんだり、幼虫や蛹についてつらつら説明したりするのだが、蛾の部ではなかばをすぎたあたりから記述が簡素化してやっつけ仕事みたいになってきて(一、二ページでさっと終わるものが多くなる)、そこから多少もちなおしてさいごにつながる、というかんじなのだけれど、やっぱり蛾については基本夜のものだからあまり見たことがなくて情報がなかったり、単純に蝶のほうが好きだったりしたのだろうな、とおもった。