2021/9/18, Sat.

 感受性の次元にあって、感覚するとはそのつど「留保 - なしに - すでに供されて - しまって - いること」(un avoir-été-offert-sans-retenue)である。諸感覚をつうじて世界にたいして開かれているかぎり、感受性は「防御帯」をもっていない。「感受性としての〈曝されていること〉は、惰性体の受動性よりもなお受動的である」。裂けやすい皮膚は防御帯にはならない。だが、皮膚が傷つきうることがないなら、皮膚はなにものも感受しえない。「〈留保 - なしに - すでに供されて - しまって - いること〉にあって、〔avoir-étéという〕過去の不定法が、感受性が現在では - ないことを、感受性がはじまりでは - ないこと、イニシアティヴでは - ないことを強調している」。ここに〈曝されていること〉の意味がある。大気の変容に気づいたときすでに [﹅3] 変容した大気を吸引してしまっている [﹅6] 以上、嗅覚による感知は現在では - ない [﹅2] (non-présent)。あるいは現在に追いついてはいない [﹅2] 。ゆびさきの痛みを感じるときもう [﹅2] 皮膚が裂けてしまっている [﹅6] かぎり、触覚の感受ははじまりでは - ない [﹅2] 。爆音が耳を切り裂くとき、聴覚にはイニシアティヴが(end222)ない [﹅2] 。感受性における現在への遅れ、端緒の不在、イニシアティヴの欠落は「いっさいの現在よりもふるい」受動性をしめしている。その受動性は、「作用と同時的で、作用の写しであるような受動性」ではない。その受動性は「自由と非 - 自由のてまえに」あるもの、留保のない [﹅5] ものなのである(120/146)。
 惰性体の受動性とは、「ひとつの状態にありつづけようとすること」であるにすぎない。それは端的な非 - 自由にほかならない(ibid.)。だが、感受性はそうした惰性、自己のうちに憩らうことではない。それはむしろ「自己のうえで憩らわ - ないこと」、つまり「動揺」なのである(121/146)。感受性が動揺 [﹅2] であるのは、感受性が現在を欠いており(non-présent)、すでに過ぎ去ってしまったものに追いつこうとして、しかしけっして追いつくことがないからだ。傷つきやすさとしての、傷つくこととしての感受性は一箇のとり返しのつかなさ [﹅9] である。
 「〈私〉が根源的に端的にみずからに固有の存在を定立する [註138] 」ならば、いっさいは〈私〉のうちにあり、私のうちに存在するものすべては、いわばすみずみまで〈私〉そのものであって、つまりはすでに私の [﹅2] 現在にぞくしている。あるいは、つねに私による再現前化のおよぶ範囲のなかにある。「だが、フィヒテにとって根源的なものとみえた命題とは反対に、意識のうちにあるもののいっさいが意識によって定立された [﹅5] ものではない」(159/188)。感受性としての私は、現在ではない [﹅15] 。〈傷つきやすさ〉としての感受性はむし(end223)ろ「私のうちなる他 [﹅7] 」(198/229)であり、すでに過ぎ去ってしまったものである。感受性を織りあげほつれさせるこの時間構造、あるいは綻びとしての感受性のうちに紡ぎこまれたこの時間性こそが、感受性とは本来なんであるかを告げている。

 (註138): フィヒテの第一根本命題。J. G. Fichte, Sämtliche Werke Bd. Ⅰ, hrsg. v. I. H. Fichte, S. 98.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、222~224; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)



  • 「読みかえし」ノートより。135番。

 希望によって、人間がささえられるのではない(おそらく希望というものはこの地上には存在しないだろう)。希望を求めるその姿勢だけが、おそらく人間をささえているのだ。
 (石原吉郎『望郷と海』(筑摩書房、一九七二年)、258; 「1959年から1962年までのノートから」)

  • 正午起床。腕はやはり痛い。前方に伸ばしたりあげたりすると注射をした付近が痛む。ゴミ箱やコップを持って部屋を出ると父親が帰ってきており、体調はどうかと訊くので、階段をのぼりながら腕が痛えとこたえた。熱はなさそうだと追って声を放る。食事は焼きそば。きょうは雨降りで窓外の景色が白くかすんでおり、空気は湿って薄暗い。新聞からはジャン=ピエール・フィリエみたいななまえの、フランスの中東史の大家だというひとのインタビューを読んだ。Jean-Pierre Filiuというひとだ。九一年からの三〇年を超大国アメリカが中東に介入したひとつの時代とみなし、それが終わったという認識でいると。湾岸戦争からはじまるわけだが、日本でかんがえると平成の道行きがほとんどそれとかさなっており、個人的にはじぶんは一九九〇年生まれなので、まさしく生まれたときからそういう世界、冷戦がいちおう終わってアメリカが唯一の超大国となり、世界の国々を民主化するのだという、前近代から近代にかけて海をわたっていったキリスト教宣教師たちの情熱的信念をおもわせる夜郎自大でもって中東地域に進出していった時代を生きてきたことになる。父親ブッシュからはじまってクリントンは外交音痴のくせに(とこのひとは言っていたのだが)積極的に介入し、オスロ合意をまとめはしたものの当初から賛否ありつつけっきょくその後は機能せずインティファーダを招くことになったし、二〇〇一年以降の息子ブッシュによる報復的ナショナリズムに鼓舞されたアフガニスタンイラクへの侵攻は周知のとおり、オバマもシリアが化学兵器をつかったときに毅然と対応できず腰砕けになって結果としてはISISの跋扈をゆるすことになり、ドナルド・トランプは撤退合意をまとめたけれど彼がかんがえていたのはむろんアメリカの都合だけで、撤退後にどうなるか、どういうとりきめにするかなど知ったことではなかったわけで、そうして九月一一日という象徴的な日付にこだわって撤退をいそいだバイデンはタリバン復権を防げなかった、とこうして概観してみるとここ三〇年のアメリカの中東政策は大失敗だったのではないか、という印象がやはりつよくなる。
  • 皿と風呂を洗って茶とともに帰室。LINEで「(……)」の三人に「お前ら!」と呼びかけ、「ワクチン受けてきたぞ。腕が痛え。これで俺もマイクロチップ搭載だ! 5G通信で政府のおもちゃと化すぜ」とふざけたのち、「だがそんなことより、これを聞け。めちゃくちゃええで」と言って竹内まりや "五線紙"のYouTube音源を貼っておいた(https://www.youtube.com/watch?v=8KMDkEHzL_0&ab_channel=mèlomanie(https://www.youtube.com/watch?v=8KMDkEHzL_0&ab_channel=m%C3%A8lomanie))。それから「読みかえし」ノートを読みかえし。126から136まで。石原吉郎『望郷と海』が大部分。BGMは"五線紙"をふくんでいる竹内まりや『LOVE SONGS』。どうでも良いが、"五線紙"はこのアルバムの五曲目であり、"September"は九曲目なので、タイトルが示唆する数字と曲順が一致している。しかしほかの曲にそういう要素はたぶんないし、ライブ音源をのぞけば全体で一一曲なので、これは特に総合的に意図されたものではないとおもう。
  • その後、きのう借りてきた神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)を読みはじめた。詩はすばらしい。歌であり、音楽だ。声に出して読んで気持ち良いか否か、ひとまずもうそれで良い。意味などどうだってよろしい。というか、声に出して読むときに意味もおのずとひとつの要素として声のなかに溶けこみながれるわけで、それで自然とかんじられるだけの意味をかんじとればそれで良い。
  • このリルケ詩集はそうとうにむかしにいちど読んでいるのだけれど、そのとき書き抜いた箇所はまた読んでみてもやはり書きぬこうという気になる。
  • 四時ごろで切り。ちょっとだけストレッチ、というか合蹠をした。腕が痛くて伸ばせないので、つま先とつかむ前屈などはできない。それからギターのタブ譜をたくさん載せているサイトを検索。あのサイトなんと言ったかなとおもいだせなかったのだが、Songsterrだ。Joe Passなど検索してみるとけっこう数があって、耳コピするのが面倒臭いのでまずはこういう既成のタブ譜にたよっていろいろ曲を練習するのが良いだろう。Joe Passレベルになるとそれだけでもむずかしいというか、めちゃくちゃがんばらないとさまにはならないだろうが。
  • 五時まできょうのことを書いて上階へ。アイロン掛け。窓外の色は昼間とほとんど変わりなく、まだ暮れきっていないから薄暗いとはいえ昼のなごりがうかがわれて物々のかたちははっきりしており、雨もいまはやんでいるようで霞みに乱されていない白さのなかに、赤味と言っては誇張にすぎるもののなんらかの、褪せたような色味が混ざっているふうに映って、それが唯一、暮れ方の時をおもわせる。風はなく空気は停滞しているようで、かずかずの緑色もしずかにとまっている。手元の衣服にアイロンをかけ、海面をそのままこおりつかせて固定したようなこまかな筋の波打ちをできるだけ平らにならしつづける。アイロンをうごかしていると蒸し暑いので、とちゅうで扇風機をつけた。それからしばらくしてまた目をあげれば、川のほうでにわかに霧が生じていて、ほかは変わらずしずまっているのにそのぼやけた白さだけゆっくりながらも推移していくので、なんで急に発生したのか? 霧ではなくて煙だろうか、そのあたりの家でなにか燃やしているのだろうかとおもったが、樹々や家並みを越えまたそのあいだをとおって鈍重な巨大生物のようにすこしずつながれていく乳白色は、煙にしてはすぐに散らずむしろ移動した先で宙を濁らせ見えなくしているので、霧が生まれたのではなくて風が生じたのではないか、それでもともと川面のまわりに溜まっていたのがながされたのではないか、とすればまた雨が降りだしたのだろうか、とたちあがってベランダをあけると、伸ばした手のひらにたしかにぽつぽつ触れるものがあった。そのころには先ほど大気にふくまれていたわずかばかりの暮れの色味もすでに去り、あたりはいっそう沈んで気づけば白濁の気味も諸所に増しており、五時四五分を越えたころにはかすかに青さをおぼえさせるほどのたそがれとなって、暗んだ景色の先で山も上辺を白く塗られてかきまぜられて、ところどころで境界線をうしなっていた。
  • この日のことときのうのことを書き足してから夕食。ゴーヤの炒めものやピーマンと肉の炒めものなど。夕刊、一面に米国がアフガニスタンでおこなった空爆誤爆だとみとめたと。八月二六日にISISによるテロがあり、いちど報復の空爆をやって、そのつぎの二度目の無人機攻撃のことで(八月二九日に実行)、車両をつかったテロが計画されているという情報をつかんで八時間も対象の車を追ったあげくに攻撃に踏み切ったのだが、じっさいにはその車を運転していたひとはISISと関連のある人間ではなく、米国内に拠点をおく慈善組織に勤めている男性だったと。子ども七人をふくむ一〇人が巻きこまれて死亡。当初米政府は必要な攻撃だったと表明していたが、メディアの報道を受けて誤りをみとめるにいたったようだ。この件はたしかNew York Timesがまず報道したのではなかったか。New York Timesドナルド・トランプ政権期にも一件、あるいはそれいじょう、米軍の誤爆をあかるみに出していたおぼえがある。たしか被害者側への補償につながったのではなかったか? ぜんぜんこまかいことをおぼえていないが。
  • その後はたいしたこともなし。