2021/9/22, Wed.

 存在するとは他なるもの、「存在からの剝離」についていえば、とはいえレヴィナスも注意しているように、プラトンパルメニデス篇もまた「存在を欠いた〈一〉」を問うていた(21/29)。〈一〉は他のいっさいとなにものも共有していないことにおいてまさに〈一〉なるものである。とすれば、〈一〉は他のものと時間的な関係(他のものより以前、以後、他のものと同時といった関係)に立つこともない。時間的関係に立つものは、他のものとすくなくとも時間的な規定を共有する [﹅4] ことになるからである。〈一〉はしたがって「時間を分有することも、なんらかの時間のうちにあることもない [註148] 」。――〈一〉はそれではどこ [﹅2] にあるのか。〈一〉にはまた場所 [﹅2] の規定もあたえられない。おなじように、場所にぞ(end231)くするものは、他のものと空間的な規定をわかちもつことになるからだ。〈一〉は、奇妙なもの(ト・アトポン)、場所をもたない(ア - トポス)ものである。パルメニデス篇の問題は、その意味ではカントの超越論的統覚に、またフッサールの純粋自我へと引きつがれている(ibid.)存在の他者をめぐる問題は、かくて超越の問題とむすびあう。主体の超越にあらたな意味があたえられる必要がある。レヴィナスがしばしば存在することの「かなた [﹅3] あるいはてまえ [﹅3] 」(au-delà ou en-deça)とかたるのは、とりあえずそうしたことの消息とかかわっているといってよい。
 カントの統覚は「内的現象の流れにおいて立ちとどまる自己 [註149] 」である。いっさいの現象は最終的には時間という形式のもとにある。だが、統覚そのものは時間にぞくさない。統覚はそれゆえ「現象の総体」としての「世界 [註150] 」の内部には存在しない。カントの統覚が「超越論的」であるのはそのゆえにである。――そればかりではない。純粋自我 [﹅4] を「世界を欠いた、たんなる主観」にすぎないと批判し [註151] 、ブリタニカ論文の共同執筆のさなかフッサールと決定的に訣別することになるハイデガーも、「世界と名づけられる」存在者が、「その超越論的構成にあっては、おなじ存在のしかたをしている存在者への還帰によっては解明されえない」という一点においては、師と見解をともにしていた。問題は「その存在者がそのうちで構成される、存在者の存在のしかた」であり、それこそが『存在と時間』の「中心問題」であったのである [註152] 。

 (註148): Platon, Parmenides, 141 D.
 (註149): I. Kant, Kritik der reinen Vernunft, A 107. Vgl. ibid., A 123.
 (註150): Vgl. ibid., A 418/B446 Anm.
 (註151): M. Heidegger, Sein und Zeit, S. 116.
 (註152): ブリタニカ・アルバイトにかかわるフッサール宛書簡からの引用。Husserliana Bd. IX, S. 601.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、231~232; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)



  • 一一時二三分の離床。一〇時四五分かそのくらいに覚醒があって、しばらく寝床でごろごろしながらからだをやわらげていた。背面の凝りなど。いつもどおり夜明けもちかい時刻に寝たのだが、からだの感覚はだいぶ軽かった。就床前にすこし柔軟をして深呼吸をしたからだとおもう。水場に行ってくると瞑想。これも安定的で良い感触。
  • 食事は炒飯。母親は勤務へ。洗濯物を入れてくれと託された。きょうは曇りで空は一面すきまなく白く、午後から雨とかいわれているらしく、ニュースの気象情報でも四国から東北にかけて雷雨になるかもしれないとつたえていた。新聞からはイスラーム思想家でもあるというヨルダン王子(現国王のいとこ)へのインタビューを読んだ。アル・カーイダのようなジハード主義者がやっているのはジハードではなくてテロリズムであると。ジハードはもともと努力という意味で、みずからのこころの悪に打ち克つという意味での大ジハードと、「正戦」としての小ジハードがあり、重要なのは前者だし、「正戦」にしてもそれをおこなえるのは国家だけで、おこなうにしても先に攻撃されたとか規範から逸脱してはならないとかきびしい制約が課せられているものだと。だから二〇〇一年九月一一日のテロのような、自国から遠くはなれた国の民間人を標的にした攻撃は本来の意味のジハードとはまったく言えない。イスラームの宗派としてはスンニ派シーア派という大別があるわけだが、スンニ派内でもそれまでに積み重ねられてきた法学者たちの解釈の伝統を尊重しそれにしたがおうとする派閥(スンニ派のうち六五パーセント)と、それらの蓄積を無視して初期イスラームの時代にもどろうとするような派閥とで分かれているといい、このあたりはカトリックプロテスタントの区別に似ているのかもしれない。前者のうちには四大学派があり、そのうちのハナフィー学派という派閥から派生するかたちで独自解釈をこころみたのがデオバンド派であり、タリバンはこれにもとづいている。後者の派閥にはサウジアラビアの一部などで見られるサラフィー・ワッハーブ派やエジプトのムスリム同胞団、そしていわゆるジハード主義者のたぐいがふくまれると。彼らはイスラーム解釈の伝統を無視し、一部を極端に重要視した拡大解釈をおこなっている、とのこと。
  • 皿と風呂を洗って帰室。ここまで記して一二時四二分。きょうは労働。余裕を持つなら三時すぎには出て歩いていくようだが、やはり面倒臭いのでおおかた四時前の電車でギリギリに行くこころになっている。おとといときのうの日記を今日のうちにかたづけてしまいたいがどうか。
  • いま二五時。帰宅後、夕食に行くまえにやすんでいるときに(……)さんのブログを読み、そのつづきで九月二〇日の分をいま読んでいたのだが、河川敷で犬の散歩をしている段落で「来年の1月には12歳になる老犬」という一節を読んだときに、とつぜん、むかし我が家のとなりに住んでいた犬のことをおもいだした。いまはもう更地になっている東隣の敷地に(……)さんという老夫婦が住んでいたころ、老いた犬を飼っていたのだ。「パンチ」みたいなひびきの三文字のなまえだった気がするのだが、おもいだせない。(……)さんの家は木造の古いもので、家屋のまえには大小いろいろな物々が放置されて雑然とごった返しており、そのなかで物の一員となるかのように、あまりていねいな世話もされていなかったのだろう、毛がちぢれてぼさぼさになった焦茶色の老犬がつながれていた。小学生時分のこちらはこの犬をたまに可愛がっていて、ちかづいて毛先がからまりごわごわしたその身を撫でたりしていたし(たぶん小便などの混ざった動物特有の臭気がしたが、当時のじぶんはそのにおいがわりと好きだったのだとおもう)、よく食パンをちぎって放り、口でキャッチさせて遊んだりもしていた。この犬はたしかだいぶ老齢まで、一六歳くらいまで生きていた気がする。(……)さんの宅は我が家の勝手口をあければすぐ目のまえというかんじで、風呂場もうちの浴室のすぐ向かいにあるようなかんじだったはずで、おじさんが風呂にはいりながらいい気分で歌をうたっているのがよく聞こえたものだし、南側では、ベランダというようなものではなく室からすこしだけはみだしたような、木造屋の狭く細い物干しスペースでおばさんが洗濯物を吊るしていたようすをおぼえており、またこの家ではニワトリを飼っていたので早朝にその鳴き声がひびくのもよく聞いたが、それらの記憶とくらべると犬の記憶はなぜか、たしかにそういう時間があったはずなのに現実味が薄く、こちらがいつのまにか想像でつくりあげた偽記憶のような手触りすらある。なにか本で読んだりした虚構の場面やべつのひとの記憶をじぶんの幼少時に接合しているかのような。そういう別世界めいた感触がある。たしかにこの犬のことをおもいだしたのはすさまじくひさしぶりで、それをおぼえていたこと、そういう記憶がよみがえってきたことにおどろくくらいなのだけれど、それでいったらうえの老夫婦のようすもおなじではある。なぜこの犬のことだけ幻想じみているのかわからない。
  • いま二時(二六時)四五分。二〇日月曜日の記事をしあげ、火曜日分とともにブログに投稿し、ようやっとその日のうちに前日分までしあげて投稿するというところまで持ってくることができた。きょうのことはまだ書けていないが、あしたにはおそらく、ひさかたぶりで現在時まで記述が追いつく、という状態にできるだろう。先日の記事にしるしたとおり、日記なんてものはその日のうちかせいぜいつぎの日までにさっと記録するものであり、何日もかけたり、一週間後になってようやく一週間前をしあげたりするものではない。これはじつにただしい主張である。このことをこころに留めて、さっさかさっさかと楽にやっていきたい。そして日記を日々コンスタントにかたづけることができれば、それいがいのことにとりくめる。つまり翻訳をやったり、詩をつくったり、ばあいによっては小説のたぐいをこころみたり、家事をやったりということだ。そもそもむかしはふつうに毎日完成・投稿のペースをまもってやっていたのだが、なぜいまのようなことになったのか? 認識と記憶の成長によって書くこと書けることが増えすぎたというのがやはりおおきくはあるのだろう。二〇一四年あたりには二〇〇〇字三〇〇〇字くらいでひいひい言っていたとおもうし、五〇〇〇字書いたらめったにない快挙だった。いまなら三〇〇〇字五〇〇〇字などもののかずではない。三〇分散歩すればそのくらいはふつうに行くだろうし、数時間街に出れば一万字は余裕で超える。世界はつねにゆたかであるのだから、それはしかたない。あとは単純ななまけごころと熱情の衰退。
  • いつもどおりベッドでからだをほぐしたり、洗濯物をとりこんでたたんだり、英語の予習をしたりしてすごし、三時四〇分ごろに出発。このころには晴れていて、川向こうの集落や山にまだまだいろ濃くにおやかなオレンジ色が投射され、空はおおかたきりりと青いなかに粉状の淡い雲がすこしひっかかっていたり、チョークの粉をつけた指でなぞったような細雲が引かれているのみ、公団前まで来るとまぶしさがいっぺんにひろがり視界が占拠され、おもわずほとんどまぶたを閉ざすようになり、陽射しは肌にじりじりと暑いが十字路まで行けば風が木立をざわめかせて、まろやかな涼しさをもたらした。坂道は枝葉の天蓋でひかりが弱く、時もまだはやいから鋭角薙ぎのあまい木洩れ陽もないが、左手のガードレールの奥では木立の上方にあかるさが侵入して水平にひろがり、射られた一本の緑葉がことごとく白さをはめこまれて季節はずれの電飾のようになっていた。
  • 暑かった。蒸す感覚はなくて気持ちの良い秋晴れではあるものの、陽射しがなかなかに旺盛で、駅につくころにはからだがだいぶ汗ばんでいた。ホームにはいると屋根がつくりだしている蔭の端に止まって、電車到着のアナウンスがあるまでひとときたたずんだ。微風があまり途切れずながれて汗に涼しく、線路脇に群れて茂った立位のほそながい草ぐさは、揺れるというほどの動きでもなくごくしずやかに、しかし絶え間なく風にさそわれたわむれていて、寝入ったからだのような微細な息づきがかならずどこかしらで生じて法則なしに交替しあっているその動きは催眠的というべきものかもしれなかった。草と空のあいだのひかりが満ちとおった宙には一匹の虫がただよって、トンボだろうかと見つつ定められなかったが、あかるいひかりの橙のなかでさらに独立したオレンジの一片として行き交っていた。目をふればホーム上の柱の上端と屋根のあいだに張られた三角旗のような蜘蛛の巣も、大気のあかるさを分けあたえられ、ひかりを塗られてきらめいている。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • あと勤務中について特に記しておきたいこともない。帰路も大した記憶はない。最寄り駅を降りるとぽつぽつ降っていて、まもなくすこしいきおいが増してきて、木の間の坂を抜けて平路を行くあいだもそこそこ降ってやや濡らされた。夜のことはこの日のうちに、うえにだいたい書いたから良かろう。前日分までしあげ投稿するとともに、熊野純彦レヴィナス』と神品芳夫訳『リルケ詩集』の書抜きもできた。