気づいたとき、他者がすでに呼びかけている。他者による「召喚」がつねに先だつ(138/166)。召喚に応じないとき、つまり応答しない場合でも、私はすでに諾否の選択肢のてまえで [﹅4] 応答してしまっている。呼びかけを叫びとして、叫びを声として聞きとってしまうとき、「ナイーヴで無条件的な《諾》」(《Oui》inconditionné naïf)(194/224)によってあらかじめ応えてしまっているのだ。そもそも、ことば [﹅3] にあって「本質的なもの」は、ほんらい「召喚」であり「呼格」(le vocatif)であろう [註194] 。すべてのことばは、特定の情報の伝達であったり、一定の言語行為であるまえに [﹅3] 、聴き取られるべく呼びかける。他者が〈語ること〉を聴き取ること自体が、(依頼、懇願であったり、命令であったりする)その内容を拒絶することに先だって [﹅4] しまう、無条件な諾なのである。――そればかりではない。「私はなにもしなかった」。そうもいえよう。だが、無条件の諾ののち、なにもしないことにおいて [﹅12] 、私はすでに「つねに問いただされていた」のだ。無条件な諾とは、「われここに [﹅5] 」(me voici)である(180/211)。私が [﹅2] 応えてしまっており、私が [﹅2] 応答しつづけなければならないという、私の「唯一性」としての「われここに」(227/264)、「代名詞の(end270)《私》(je)が対格にあり」、対格 "me" において「他者にとり憑かれている」ような《われここに》なのである(222/258)。
(熊野純彦『レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、270~271; 第Ⅱ部、第三章「主体の綻び/反転する時間」)
- 一一時五八分に起床。台風一過ということか、きのうから一転して青空の、陽がよくとおって暑い日和。気温は三〇度に達しているもよう。水場に行ってきてから瞑想をした。ジャージのうえを身につけたままだったが、そうするとすわってじっとしているだけでも暑く、背がすこし汗ばむのがかんじられる。草の音を聞くかぎりそとでは微風もながれているようだが、なかにまでその涼しさははいってこない。
- 上階へ。食事。クジラの尾の佃煮や、櫛形に切ったジャガイモのソテーなど。新聞からは橋本五郎のコラムを読んだ。原敬について。平民宰相とかはじめての本格的な政党内閣とかで名高い原敬政権にはしかしいろいろ限界もあったものの、それを踏まえても人気が高い要因として原の人間性を紹介していた。藩閥とか華族などの身分的なものに反感をおぼえていたというのはたしからしく、爵位の授与をずっと拒否しつづけたというし、遺言にも、墓には姓名だけでほかになんの肩書も記すなと書き、そのとおりにされたという。立憲政友会の勢力を強大化するために利権にちかづき、党員に積極的に金を配って腐敗も横行したというが、しかし本人の生活は倹素なもので、芝公園にあった私邸は借地に建てられたものだし、客の待合室としてつかわれた六畳間の座布団はつぎはぎだらけだったという。揮毫にも、むかしは「無私」と記し、後年はそれを「宝積 [ほうしゃく] 」という語に変えたと。宝積というのは禅語で、見返りをもとめずに善行を積むことの謂らしい。
- 食後、母親に、きょう送っていってくれとたのんだ。きのうとおなじく六時から労働だが、土曜日のためにちょうどよい時間の電車がないのだ。あまりに早すぎるか、間に合わないかになってしまう。ついでに図書館で借りた詩集のうち二冊を分館にかえすつもり。風呂を洗うと室にかえって、ウェブをちょっと見てからここまで。一時四三分。
- それからきのうの記事をつづり、終えると三時四〇分くらいだった。いつのまにか、二時間書きつづけていたわけだ。前日の記事に二時間かかるのはうーん、とおもわないでもないが、まあしかたがない。記憶があたらしくていろいろ印象もあるとそれくらいはかかる。ベッド縁にこしかけて、コンピューターはスツール椅子のうえに置き(座面にちょうどすっぽりとはまるようなかたちになるが、そのためにイヤフォンなどをつなぐことはできないので、音楽は聞けない)、ゴルフボールを踏んで足裏をぐりぐりやりながら書いていたけれど、そのやりかたがいちばん楽で良い。デスクにつくとつかれる。しかしこのかたちでもつかれてからだがこごっていたので、ベッドにあおむけになって(……)さんのブログを読みつつちょっと休んだ。四時にいたるとストレッチを軽くして、上階へ。あがっていくと仏間で携帯を見ていた母親が、一一月一日って何曜日、とだしぬけにきいてくるので、カレンダーに近寄って月曜日であることを確認する。その日に兄夫婦が引っ越しの手伝いをしてもらいたいと言っているらしい(さいしょ、引っ越しという語が明示されるだけで主体がなにも言及されなかったが、こちらの身のまわりのさいきんの状況からして兄夫婦のことだとわかった)。一〇月八日にモスクワから帰ってくるらしいのだけれど、その後一週間はホテルに隔離、それが済めば(……)の宅に入居し、引っ越しというのはおそらく倉庫かどこかにあずけてある荷物をはこびこむようなことだろうと。月曜日はたぶんふつうに仕事だとおもう、といっておく。そうしてジャガイモのソテーや味噌汁の余りで食事。新聞は一面をみじかく見たのみ。岸田文雄は四日に召集される臨時国会で首相に就任し、八日に所信表明演説、一一日から一三日にかけて各党代表質問をおこなったあと、一〇月一四日に衆院を解散する予定らしい。一〇月二六日に公示、一一月七日が投票。
- 食器乾燥機の食器をいちいちとりだしてかたづけ、皿を洗い、ジャガイモのソテーを調理したためにめちゃくちゃ油っぽくなって汚れがこびりついていたフライパンを泡立てて漬けておき、制汗剤シートで肌をぬぐって帰室。歯磨きをしてからきのうの記事をブログに投稿し、きょうのことをここまで記すともう五時が目前。着替えて出発する。
- 小沢健二『LIFE』をながしつつ着替え。上階へ。五時一〇分ごろだった。母親が支度するあいだ、ちょっとソファについてぼんやりそとをながめる。南の空はだいたいのところ青とも白ともつかない希薄さに晴れているが、窓ガラスの左上部には灰色雲がほつれながらいくらかひっかかり、右側のもっと低い位置でもそれよりも色濃く青さを溜めたちぎれ雲が二、三浮かんでながれる影となっている。左側の中央付近、東南のほうへとひらいた空の先には青とも白ともつかないおなじ希薄さのなかに紫の気味がわずかばかり看取され、そこからひろがるというよりはしぼんで消えていくような色の気配が、ほとんど感知されないとしてもたしかなグラデーションをつくっていた。
- なぜかあたまがすこしズキズキしたが、じっとしていればおさまるくらいのものではあった。そとへ。道の東の先から(……)さんが片手に杖をついてあるいてくるのが見られた。母親が車を出しているあいだにそちらにちょっと歩み、道端に立って待ちながらあいさつ。これから? こっち行くの? と聞いてくるので、乗せてってもらうんですよ、と車のほうをしめし、ありがたいっすよ、土曜だといい電車がないんでね、と殊勝さをあらわしておいた。そうしてやってきた車に乗りこみ、出発。よくあるいてるじゃん、と隣の母親にいう(この「よく」は、「頻繁に」という意味と「がんばっていて大したものだ」という意の両方をふくんでいた)。
- 道中、特段のことはない。(……)
- 図書館分館のまえでおろしてもらい、礼を言って別れ、敷地内にはいってブックポストに詩集をふたつ返却。マーガレット・アトウッドのものと須賀敦子のもの。そうして職場にむかう。踏切をわたるに、ここの踏切のようすもだいぶ変わったのではないか? と、このあいだもそうおもったがあらためておもって、とりわけこんなにちいさかったかなと、幅が狭まったような気がしたのだけれど、小学生当時の記憶が比較対象になっているとしたら成長によって幅がみじかくかんじられるのはとうぜんである。ただ、そうかんじられるだけでなく、実際上ながさが減じたような気がしたし、踏切のまわりももっとごちゃごちゃしていなかったかとおもったのだが、まわりはともかく幅なんてそんなに工事して変えるものだろうかと疑問でよくわからない。
- 裏路地を行きながら両側の建物のうえやそのあいまにひらいた空におのずと目が行く。ここでは空にけっこう雲がかかっていてまっすぐ頭上などは雨になっても不思議ではなさそうな灰色の濃さ、南のほうだけすっきりとした地帯がいくらかひろがっているのが見える。駅前の街路樹からは、たぶんムクドリだとおもうのだが、群れてさわがしい声が降っていた。職場へ行って勤務。
- (……)
- (……)
- (……)帰路へ。きのうと同様、裏通りにはいるとマスクをずらして顔を出す。夕刻には雲がおおくのこっていたがいまはその破片すら見えず、夜空は一面あらわに晴れ渡っており、つややかな星を浮かべる藍色はきのうほどあかるくはないものの、青の深みを増している。風がおりおり正面からながれてきて、庭木をカサカサ鳴らしながら涼やかに肌をなぐさめる。昨晩ほど解放的な気分にはならず、けっこう思念にかかずらっていた時間が多かったようだ。道中の記憶がとぼしい。
- 帰ると手洗いうがいをして室に帰り、服を脱いで楽になると寝床にからだを投げ出して休身。Emily Bazelon, "If Prisons Don’t Work, What Will?"(2019/4/5)(https://www.nytimes.com/2019/04/05/opinion/mass-incarceration-sentencing-reform.html(https://www.nytimes.com/2019/04/05/opinion/mass-incarceration-sentencing-reform.html))を読んだ。
Ferguson, Mo., became a symbol of the criminalization of poverty for routinely sending black defendants to jail for failing to pay minor traffic fines. But last November, a new district attorney, Wesley Bell, was elected. On his first day in office, he announced one of the most progressive bail policies in the country — pretrial release, without bail, for misdemeanors and some felonies, unless the prosecutor thinks there is a direct threat to public safety.
Mr. Bell also said his office would no longer seek to revoke probation for unpaid fines and fees. “As an overriding principle, I do not believe in prosecuting poverty,” he told a weekly newspaper, The St. Louis American.
The old Ferguson lives on elsewhere. In Texas, 524,000 people were jailed in 2018 for unpaid traffic tickets. Even short stays for nonviolent offenses can wreak havoc with people’s jobs and child care. Sparing them needless punishment matters for their lives.
- 一〇時まえくらいで起き上がり、きょうの記事をつづりはじめた。それで一〇時四〇分くらいまで書いて帰路にはいったところまで記述。われながらおどろくほどの、すばらしい勤勉さだ。労働後にもうその日のことをほとんど書いてしまうとは。こういうおのれの勤勉さこそがしかるべきときにおのれを救うだろう。それから夕食へ。トマトソースで味付けしたマグロや豆のソテーなど。夕刊の文化面を読む。神奈川近代文学館で樋口一葉の特別展がはじまったらしい。二四歳で早逝とあらためて見ると、あれだけの文章をその若さで書いて亡くなってしまったのはおしいなあとはおもう。樋口一葉も岩波文庫の『にごりえ・たけくらべ』しかたしか読んだことがないので、さっさとすべて読みたい。書簡や日記もあったはずだからそちらも読みたい。その記事の左側にはカニエ・ナハのコラムがあって、新倉俊一(アメリカ文学者で西脇順三郎論を書いたりパウンドやディキンソンを訳したりしていたほう)を紹介していた。あと秋山基夫と、野崎有以というひとの『ソ連のおばさん』というやつ。
- 食後、食器を洗い、汚れていたフライパンも泡に漬けておき、入浴。出てくると茶をつくってねぐらに帰還。ウェブを見つつ一服したあと、きょうのことをまたつづってここまで追いついた。一時半。やばくない? しごとがはやい。やるべきことをきちんとやれている。やるべきことをきちんとやることがやはり大切だ。それが徳というものだろう。
- (……)四時をまわったところで就床。