2021/10/4, Mon.

 「言語」もまた、それによって他者から語りかけられ、他者へと伝達されるものであるかぎり、言うまでもなく他との関係をめぐる問題である。「固有名試論」(『現代思想』に連載・未完)が、分析哲学から言語学文化人類学まで該博な知見を整理しながら、鮮やかに描出したように、「これは何某である」という最も直接的だと思われる直示行為でさえ、歴史的・文化的な媒介を前提としており、他者との共同的な営為にほかならない。本書においては、言語論が独立した形で提示されているわけではないが、読者は特に次の二点に注目して読むべきだろう。
 まず、あらゆる言語行為の基底に「祈り」を見る点が挙げられる。コンディヤックが言語の起源を「記号」であるとし、ルソーが「情念」であるとしたのに対して、熊野は言語とは何よりも祈りであるとする。コードの共有がコミュニケーションを可能にする条件だという、現在一般的に認められている言語観は、既にコードの共有がなされた後で、当事者にとって外的な視点から観察された見方にすぎない。言語にまつわる困難はむしろその手前にある。言葉の意味が理解されるためには、まず自らの発した音声が言(end338)葉として他者に聞き届けられる必要がある。すなわち、伝達が可能であるためには、そもそも「伝達が可能である」ということが伝達されていなければならない。しかし、コードが未だ共有されていない者にとって、それを保証するものは何もない。この意味で、言語行為の基層には、つねに他者に聞き届けられることへの呼びかけ、祈りが伴っているはずなのだ。
 次に挙げられるのが、意味を存在の「余剰」として捉える点にある。〈もの〉が単にそれだけで存在するだけでは、そこに意味は生じない。例えば、ハンマーは釘を打つための道具として現れ、インクの汚斑が文字として意識されるとき、〈もの〉は意味をもつ。このように、ある〈もの〉の意味とは、〈もの〉が単なる〈もの〉以上の或るものとして [﹅3] 、〈もの〉以外の或るものとして [﹅3] 現前することである。それゆえ、意味とは存在にとって余剰であり、存在からのずれである。また、享受の場面でそうだったように、感覚的な所与は時や場所に応じて変転し、多様なアスペクトで与えられる。これに対して、意味は、様々な対象に当てはまるのだから普遍的であり、反復して語られるのだから時間や場所を超えたイデアリテ(理念性)という性格をもつ。
 このような所与と意味とを結合する「として」の構造を、廣松渉は「等値化的統一」と呼び、いわゆる「認識の四肢的構造連関」の最奥部に据えたのだった。それは、ヘーゲルの「同一性と非同一性との同一性」にも準 [なぞら] えられる、〈異〉と〈同〉との原基的統一態(end339)であり、イデア論以来の〈一〉と〈多〉をめぐる困難に対する一つの解答である。熊野は、こうした廣松の課題を引き継ぎながら――『戦後思想の一断面』第二部で提起されるように――、この〈異〉と〈同〉との統一 [﹅2] に、むしろ根源的な自己差異 [﹅2] 化を看取する。この所与と意味との間の差異、あるいはずれは、本書では「遅延」と表現されている。すなわち、時間の問題として捉え直されるのである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、338~340; 佐々木雄大「解説」)



  • 八時ごろにいったんおのずから覚醒した。目を閉じて九時を待つ。そうしてアラームでふたたび浮上し、起き上がって離床。睡眠がみじかいわりにからだはかるく、意識もまとまっていた。しかし持続性はないだろう。あとになってみだれてくるはずだ。背伸びをしたり肩をまわしたりしてから上階へ行き、うがいや洗顔などすませると食事。米と、ピーマン・ニンジン・ハム・シシトウを炒めたものと、きのうのスープの残り。新聞は卓のむかいで父親が読んでいるので、なにも読まずに南窓のむこうに視線をくりだしながらものを食べる。快晴というほかない晴れがましい秋の日で、ひかりが空間のどこまでもひろがってあかるさが満ちわたっており、川沿いの樹々およびその果ての山は、まだ東寄りで垂直にちかい角度で落ちるひかりのために緑の露出面よりも翳の色のほうがはるかにおおく、はらんだ黒さを葉の緑でつつみこんだそのすがたをさらに降りそそぐかがやかしさによって希薄化されている。居間の気温計は三〇度のてまえだった。さわやかな暑さ。
  • 食べ終え、食器乾燥機をかたづけて皿を洗い、風呂もあらうと帰室。(……)まだすこし間があったのでNotionを準備し、ベッドで枕とクッションにもたれて(ものを食べたばかりなので臥位にならないようにしながら)脚をほぐした。そうして一〇時に達したところで隣室へ。(……)
  • (……)
  • ちょうど一二時ごろで終了。(……)やはりすこしねむかった。自室にもどり、きのうの記事に一文だけ足して投稿し、きょうのこともここまでつづっていま一時一〇分。
  • そのあとは出勤までひたすらなまけてしまった。とちゅうで洗濯物を取りこんでたたんだくらい。五時で外出。きょうは晴れの日だがもはや路上にもかなたの山にも陽の色はなく、大気はあまねくつめたいような薄青さに移行しはじめており、とはいえまだたそがれというほどの暗さにはいってはおらず、雲の出てきた水色の空も電線をたよって宙にかかった蜘蛛の糸とその主をくっきりあかるく浮かべている。いざでかけてあるいてみるとやはり眠りが足りないかんじがあって、からだじたいはけっこうほぐれているし精神がみだれてもいないのだが、睡眠がすくなくて肉体が休みきれていないときのあのじりじりするような感覚が皮膚を境界線としてその内と外にちょっときざしていた。最寄り駅についてベンチで目を閉じていてもわりと意識が重くなる。
  • 職場に移動して勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • この日はあるかずに電車でかえった。電車内で目を閉じていてもやはり意識がそこそこくずれてあたまがかたむく。帰路の空はくもっており、さいきんは昼間と夜で空の様相がちがうことがおおい気がした。風がながれて肌をなでる涼しさがここちよく、道の脇から虫が透明感のつよい琥珀色めいて声をリンリンおくってくるが、一〇月という時季のわりに合唱にそんなに厚みがないような気がした。去年までは、野などないのに「野もせに」なんていうことばを何度かつかったおぼえがあるが、ことしはそんなにはろばろと満ちて鳴いているという感覚をいままでおぼえていない。
  • 休身。Rachel Kushner, "‘We Are Orphans Here’: Life and death in East Jerusalem’s Palestinian refugee camp."(2016/12/1)(https://www.nytimes.com/2016/12/01/magazine/we-are-orphans-here.html(https://www.nytimes.com/2016/12/01/magazine/we-are-orphans-here.html))を読んだ。東エルサレムにあるShuafat refugee campという場所で過ごしたときのルポルタージュエルサレム内にあってイスラエル管理化なわけだが壁でくぎられており、警察はひとを逮捕するときくらいしかなかのほうまでははいってこず、治安は悪く、精神病をひきおこすくらいに強力なドラッグが八歳くらいの子どもにまで蔓延しており、子どもらが自由かつ安全にあそべるような広場とかストリートすらなく、だから彼らはスクールバスがとまる一画(写真を見るにそこも高い壁でかこまれている)でかろうじてサッカーをするくらいで、そもそも十代前半くらいの歳でも生活のために床屋とかバイクの修理とかじぶんなりにしごとをおこして手がけなければならないらしい。この筆者はBahaといってこの地区の実質的な長というか、子どもからおとなまで多数のひとにしたわれたよられている当時二九歳の有力者に案内されて見回ったのだが、この壁のうちにはショッピングモールのたぐいがかろうじてひとつだけ存在しており、それもイスラエルに二度破壊されながらなんとかつくられてたもたれている状況らしい。成り立ちとしてはもともと四八年の戦争のさいにエルサレム旧市街に避難したひとびとがその後この地区にうつされ、六七年の戦争後にさらにその数が増えたらしいのだが、そこから入植によって外縁部などけずられたようで、そして二〇〇四年からイスラエルはこの地区をかこむコンクリート壁を(「完全かつ統一された首都」だとイスラエルが主張しているエルサレムから切り離し、隔離するかのように)建設したと。まださいごのほうをすこし読み切っていないのだが、Baha Nababtaというこの中心的人物だったひとはその後、素性不明の襲撃者によって銃で撃たれて死亡したらしい。下手人はつかまっていないのだとおもう。
  • 食事中には岸田文雄内閣の閣僚一覧をながめたが、個々の政治家についてなにも知らないのでながめたところで評価などわかるわけがない。当選三回の若手を三人起用し、老壮青バランスよくそろえたと言われていた。デジタル相だかがたしか四四さいか四六歳の女性(麻生派だったはず)で、もうひとり同年代の男性がおり、あと五五歳の堀内なんとかいう女性が当選三回組だったとおもう。厚生労働相は無派閥だという後藤なんとかというひとになっていたとおもうが、党内で無派閥ってどういうことなの? それで入閣できるもんなの? 無派閥だと人脈づくりとか、党内での交渉とかはたらきかたとか、そのあたりどういうふうになるの? と、そのへんのしくみや具体的なしごとのしかたがまったくわからないし、どういう本にそれが書かれてあるのかもぜんぜん知らない。このひとはもともとながくどこかの派閥に属していたけれど、なんやかんやあっていまは無所属、というかんじなのかもしれない。あるいは無派閥といっても実質的にはどこかの派にちかしく、準メンバー的な位置づけとか(そういうかんじにならなければ党内でやっていけないのではないかとおもうのだが)。そもそもどうすれば派閥に属したことになるのかというのもまったく知らないのだが。
  • 寝るまでもまたたいしたことはせず。うえのNew York Timesの記事を読んだくらい。ド・マンも読もうとしたが眠気に邪魔されて三時四五分に就寝。
  • そういえば夕食時に母親が『ごほうびごはん』というドラマを映して、社会人になって東京に出てきた女性がうまそうに飯を食って恍惚とするたぐいのドラマで、さいきんこういうドラマ多くないか? と漠然とおもったのだけれど、そのオープニングでこの主演女性とたぶんその恋愛相手となるのかもしれないと予想される男性が踊る趣向になっていて、数年前に流行った(ほんとうに流行っていたのかよくわからないし、そもそもいまこの現代で流行るというのがどういうことなのかもよくわからないが)いわゆる「恋ダンス」を即座に連想させるもので、母親もおなじことをおもったらしく、あれみたいだね、なんだっけ、源さんの、と(母親が星野源のことを「源さん」と呼ぶのをはじめて聞いたというか、そもそも母親の口から星野源への言及を聞くことなどほぼないが)いうので、二匹目の、なんだっけ? ドジョウだっけ? ねらってるんでしょ、と慣用句がおもいおこされた。いま検索してみると、「二匹目のドジョウを狙う」で合っている。内容はおおかたうえのようなもので、この回(初回のはず)の後半では、同期だがいつもバリバリしごとをこなしていてはなしかけづらかった同僚女性と主演女性が残業後のハンバーガーショップで偶然遭遇し、意気投合して酒を飲みバーガーを食いながらたがいにうまいうまいと恍惚感をかわしあうだけみたいな、世界がいつもこうであったら良いだろうにとおもうような平和な場面が現出していた。芳文社の漫画が原作らしい。さいきんはドラマの多くが漫画原作になっている。