2021/10/15, Fri.

 昼の終わりに近い時間、
 この土地はどんなことにも備えができている。
 わが魂よ、おまえの憧れているのは何か、言うがよい……

 荒野になれ、そして荒野よ、広くなれ。
 平らな、とっくに消え去った国のうえに
 月が出たら、(end63)
 大きくなって、それとわからぬ
 古い古い巨大塚をもて。
 静かさよ、自らを造形せよ、物たちを
 造形せよ。(造られるのは、物たちの幼いあり方、
 それはあなたによろこばれよう。)
 荒野になれ、荒野になれ、荒野になれ。
 そうすれば、おそらくまた、夜と見分けのつかない
 あの老人がやってくるだろう。
 そして、聞き耳をたてているわたしの家に
 とほうもなく大きな盲目を持ち込むだろう。

 あの老人がすわって、物思いにふけっているのが見える。
 その思いがわたしを越えて遠く行くことはない。
 老人にとってはあらゆるものが内部にある。
 空も、荒野も、家も。
 ただ、歌だけは失われて、
 彼はもはやけっして始めない。
 たくさんの人の耳から、
 愚者どもの耳から、
 時間と風が歌を飲んでしまったからだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、63~65; Eine Stunde vom Rand des Tages, 『時禱詩集』 Das Stunden-Buch より; 第一部「僧院生活の巻」より)



  • 一一時半の起床。はやい時間から目がひらきながらも、どうも起きられない。いつものことだが。習慣どおり、水場に行ってきてから瞑想。きょうは瞑想するまえに屈伸して脚をほぐしたり、首をまわしたりしておいた。二〇分ほどすわり、皮膚がゆるむのをかんじる。天気はあかるめの曇りが基調だが、雲は薄く、ときおり陽の色も見られた。
  • 上階へ。きのうのカレーをドリアにしたものや煮込み素麺を食す。新聞、国際面。香港民主派の指導層で立法会議員もやっていた羅冠聡へのインタビュー。二〇二〇年六月末の国家安全維持法施行を機に英国にわたっている。二〇一四年の雨傘運動にかんしては、もっとおおくの参加者があればながれは変わっていたかもしれないといい、しかしそれいぜんに、二〇一九年に大規模な抗議の盛り上がりがあった時点では実質もう手遅れになっていて、じぶんたちに利益があるとおもえばなんでも約束しながらのちには何事もなかったかのようにそれを破る(もちろん一国二制度について言っている)という中国の「本質」を八〇年代から見きわめて活動できていれば、またことなった歴史になっていたかもしれないと。羅冠聡は二八歳だか二九歳だかだから九〇年代にはいってからの生まれなわけで、だから先行世代の民主派や市民がけっきょくは香港の「中国化」を座視してきてしまった、という批判なのだろう。英国で仲間たちと今後の方針を発表したりしているらしいが、正直なところ香港にふたたび自由をとりもどすのはきわめて困難だと当人も自覚していると。自由と民主主義は犠牲のうえに成り立ってきたものだから、民主主義国のひとびとにはそのことをよくかんがえてもらいたい、みたいな締めくくりになっていた。
  • 中国関連ではもうひとつ、「抗日戦争」後の国民党との内戦で自爆攻撃だかをしかけた「英雄」を微博上で侮辱したとして拘束されていた女性が七か月の判決をくだされたと。ネット上でなにかいえばすぐつかまってぶちこまれるわけだからおそろしい。おなじような事案では先日、朝鮮戦争(に中国が出兵したこと)の正義や正当性をいまかんがえなおす国民はすくない、みたいなことをネット上で発言したジャーナリストがやはり「英雄」を侮辱したとして拘束されていたはず。
  • ほか、レバノンベイルートで、昨年に起こった大爆発に関連してこの事件を担当する裁判長の解任をもとめていたシーア派の抗議者たちに突如銃撃がなされ、軍が鎮圧にはいって激しい銃撃戦となり、死傷者が出たと。攻撃をおこなった武装勢力は不明で、さいきんヒズボッラーが勢力を増しているのを嫌っている向きがあるというから、ヒズボッラーの敵対者なのか。ヒズボッラーはシーア派の組織なので、抗議者たちはわれわれの支持者だと声明を出したらしい。
  • 皿と風呂をあらって帰室。きょうのことをここまで記述して一時二〇分。
  • その後、一一日の記事を書いていたところ、とちゅうで机のほうの小間物を雑多に置いておくスペースにあった携帯の表面に文字が映っているのを発見し(つねにサイレントモードなので音も振動もない)、取ってみれば(……)の名が表示されていたので、ずいぶんひさしぶりだなとおもいながら出た。(……)くんですか、と問うてくるので、(……)くんです、と応じ、どうも、と告げると、俗に言う「草を生やした」みたいな状態で(……)はど、う、も、とくりかえしながら笑った。(……)の結婚式以来か? というと、もうそんなになるかと(……)はおどろき、五年ぶりくらいか、といった。用件は容易に予想されたとおり、(……)の結婚式の件だ。きのう、ウェブ招待状のURLをしるしたメールがおくられてきていたのだ。さそわれたか、行くか、ときくので、行くとこたえる。まだ(……)にいるかと聞かれるので、なにも変化なくあいかわらずだらだら生きているというと、また笑われた。(……)としてはほかに知っている者がいくのかわからず心配だったようだ。(……)もそのあたり、ほかにだれをさそったということをまったくつたえてこなかったのだが、(……)もふつうにさそわれているはずだ。
  • その後、一一日と一二日分を完成。いまは三時をまわったところ。二時過ぎに洗濯物をとりこみにいったところ、ベランダをながれる空気が穏和でやわらかく、非常に気持ちが良かった。ひかりの感触もさいしょはぬくもりくらいでほのかにともってここちよく、それで日なたのなかで屈伸などちょっとしたのだが、そのうちにあかるさが厚くなってからだぜんたいをうえから抱いてつつみこむような、ドーム状の精霊みたいなあたたかさにたっした。
  • 出勤までにはポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)を読んだり、瞑想したり、(……)さんや(……)さんのブログを読んだり米を磨いだり。(……)さんのブログの一一日の記事(島尾敏雄「出孤島記」についてふれている)のうち、したの二段落がおもしろかった。とくに、「だからここでは、まるで「神」を信じるように「死」をも信じることができるか?が試されていると言えるだろう。それが行き着く先は、当然もう日本も外国も敵も味方も問題にならない、戦争も平和も意味がない、もはや一個の抽象を信じることの可否だけしかない」という部分がするどいなとおもった。

「宿命」みたいなものは、一種の抽象であるはずで、その意味では「神」も似たようなものだと思うが、出撃の下令を待つ彼らは、まるで「神」を信じるように「宿命」を信じている感じがする。上層本部の決定や国家の戦略や手持ちの装備がどれほど愚劣で粗末であっても、そういうこととは無関係に、「宿命」にしたがうことが是とされている、この作品には、そのような「空間」が描かれているという感じがする。その「空間」とは、国家のことなのか民族のことなのか国民感情や共同体のことなのか同調圧力のことなのか、それはわからないが、なにしろそういう「空間」がたしかにある。それはとりあえず「日本の」なのか違うのか、どうか。

というか「死」も、最後まで具体的なものではありえず、それこそ抽象の最たるものである。だからここでは、まるで「神」を信じるように「死」をも信じることができるか?が試されていると言えるだろう。それが行き着く先は、当然もう日本も外国も敵も味方も問題にならない、戦争も平和も意味がない、もはや一個の抽象を信じることの可否だけしかない、しかも生と死、結局それはつまらぬ外的要因によって実際に来たり来なかったりする。そのとき極限にまで突き詰められた感覚の一番先端に、薄くまるで脇腹にさわられたような、妙な可笑しみが湧いてくる。

  • ポール・ド・マンは六章にはいっていてニーチェ矛盾律もしくは同一性批判みたいな文章についてなのだが、あいかわらず小難しくてなかなかすすめられない。もろもろすませて四時四〇分から「読みかえし」ノートを音読した。そうして五時にいたると着替え。Oasisの"Married With Children"をながしてうたいながら。それで出発へ。
  • 昼間には雲がそれなりにあったはずだがこのころには空はおおかたすっきりと晴れて薄紫色を端にはらみつつ淡い青さにひろがって、半分に割れた月が直立にちかくほんのすこしだけかたむきながらはやくものぼっていた。坂をとおって最寄り駅へ。ホームの先のほうにいき、バッグを足もとに置いて立ち尽くす。周囲から虫の声が絶えず湧き、いよいよ秋本番というかんじでおおく群れており、チュンチュンチュンチュンと、ちいさなレーザー銃を一定の速度で撃ちつづけているかのような音響だった。
  • 電車に乗って土地を移り、職場へ。(……)
  • (……)
  • 八時三五分くらいで退勤。徒歩で帰ることに。もうだいぶ肌寒いような夜気である。月は先ほどよりもややちいさくなって黄色味を増し、ときおり雲にひっかかってからまれながらも意に介さずすがたをみださず、ひかりをひろめて空と雲の色をあきらかならしめながらななめの舟となっている。白猫とひさしぶりにたわむれた。くだんの家のところまで来て車のまえでしゃがむと、ちょっと奥にはいっていたようだがか細く鳴きつつそのしたから出てきた。さいしょはしゃがんだこちらのまわりをうろついて、手を伸ばしてもすぐ移動してしまうようすだったが、膝と腿のあいだにすっぽりはいってたたずんだひとときを機におちついて、道端にすわりこんでうごかなくなり、こちらが撫でても逃げずにされるがままとなった。それでからだをゆっくり、おなじ方向にさするようにくりかえし撫でたり、あたまや首のまわりを指でやさしくこすったりする。そうしているうちにやはりまた、かなしみなのかせつなさなのかよくわからないがそれにちかいような情感をおぼえた。猫にふれているといつも、可愛らしいというおもいと同時にそういう情をえる。ちいさくもろいようなものにたいしておぼえるはかなさとか保護欲のようなものと、つきなみな解釈をしてしまってたぶん良いのだろうが(しかし人間の赤ん坊におなじ感情をおぼえることはない)、これは語源的に見ても正当な反応である。つまり「かわいい」に近似である「かわいそう」にちかい情だということで、検索したところでは「かわいい」の語源となる古語は「かはゆし」であり、「かわいそう」の意味のほうがもともと中心的で、「愛らしい」の意が生じて定着したのは室町時代からだという。「かわいそう」とあわれみのニュアンスのつよい語をもちいるとだいぶこちらの心情からずれるが、おおきな方向としてはそちらのもので、だからこちらの感情的反応は「かわいい」の意味的変遷をさかのぼるようなかたちでその源流を志向していることになる。
  • この情感は、要するに古文でいうところの「もののあわれ」に相応するものではないかとおもいあたった。
  • しばらくふれつづけて別れ。その後の帰路はゆるやかな、重さのない自由な気持ちであるいていた。けっきょく、夜道をひとりであるいているときだけがなにものからもはなれていられる。じぶんと風と事物しかない。べつに恍惚とするほどではないがそのときにはそれだけで充足していて、もうこれでいいわとおもっているのだが、家に帰ればそういう気持ちはなくなって、なにかをやったりやらなければならなかったりするのが人間の鬱陶しさだ。家の内に自由はない。じぶんいがいの他人の声や存在を聞かなければならないし、仮にひとりで暮らしているにしても、さまざまなものものや生活の事情によって欲望やら義務やらを喚起され、行動に追いやられる。強制ではなく内発心からなにかをやりたいというのもひとつの束縛である。夜と風と歩行がおりなすみじかい道行きの時刻だけがそういったことごとからじぶんを切り離してくれる。そういうときには、健康な心身をもってとりあえず生きていればもうそれでいいではないか、生きていて特段のことをなにもやらなくたっていいではないか、という気分が生じる。生においてなにかをやらなければならないということ、なにかをやりたいということ、そういった発想と生存原理からとっととおさらばしたい。結婚もしたくないし金もほしくないし、なにかを達成したくないし、なにかこれをやりたいということをもちたくもない。読みたい書きたいと言ってここ一〇年弱を生きてきたが、読むことも書くことも、ほんとうはどうでも良いのだとおもう。ただ存在しているだけで満足することのできないあわれであさましい矮小な生きものたちが、死なないためにおのおのそういう方策を開発してきたのだろう。あわれであさましい、というような形容評価はともかくとしても、精神分析的にはまさしくそういうことになるはずだ。だから、とりあえず生きていればそれだけでいいではないかとおもいつつ夜道をあるいていながらも、帰宅すれば日記を書くだろうということをじぶんは明確に知っていたし、じっさいにそうなって、帰っても臥位になって休まずにすぐにはじめて、この夜で前日分まで一気にしあげることになった。
  • 他人の存在がちかくにあるということはそれだけでつかれることだ。じぶんがあいてのことを嫌っていようが、好いていようが、愛していようが、どうでも良い存在だとおもっていようが、どれだけ気の合うあいてだろうが、いっしょにいて最高に楽しかろうが、それは変わらない。他人を定義するもっとも適切な一語とは、疲労である。なぜかといえば、ひとは他人を無視することができないからである。だれかがじぶんと空間を共有していれば、そのひとをそこにいないものとしてあつかうことは、ひとには決してできない。そのひとがそこにいないとき、そこに事物しかないときの心身の状態と、そのひとが感知できる範囲に存在しているときの心身の状態は絶対におなじものにはならない。人間が存在していれば、じぶんとのあいだに実質的になんの交渉も関係も生まれなかったとしても、それだけで情報の交換が発生し、意味とちからのやりとりがおこなわれるからである。したがって、ひとはひとを無視できないし、ひとはひとをものと同様にあつかうことは、ほんとうはできない。これが疲労の源泉であり、人間の鬱陶しさである。そして、ここにおいてこそ倫理がはじまるはずであり、真に倫理がはじまるべき地点はおそらくここ以外には存在しない。そのことを徹底的にかんがえようとしたのが、たぶんレヴィナスなのだろう。
  • 一一時まえまで日記。瞑想をしてから食事へ。夕刊に気になる記事はなかったので、衆院選関連の情報を朝刊から読む。三一日に投開票。もともと一一月七日投票がベストかという声がおおかったのだが、岸田文雄が首相に就任する直前、森山裕自民党国対委員長に会ったさい、解散から選挙までなるべく間がないほうがいい、就任会見で日程を発表すれば一〇月三一日のはやいスケジュールでも大丈夫だ、と助言されて、そのように決断したらしい。
  • 飯を食うと食器やフライパンなどを洗ってかたづけ、さっさと風呂へ。風呂のなかでも冷水を浴びては湯船にもどって瞑目、というかたちでなかば瞑想をくりかえしている。風呂は良い。風呂としずかな夜道と音楽以外にこの世にやすらぎはない。一二時半くらいまではいった。出ると茶を用意してもどり、日記。二時ごろまでやり、前日分までしあげた。その後、BBC Future team, "What we know and don't know about Covid-19"(2021/3/1)(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19(https://www.bbc.com/future/article/20210224-the-knowns-and-unknowns-of-covid-19))を読んだりだらだらしたりしてから四時をまわって就寝。