2021/10/17, Sun.

 だれが、わたしが叫んでも、天使の序列から
 わたしの声を聞いてくれようか。もしも
 天使のひとりがわたしを胸に突然抱くとしたら、
 その強烈な存在のため、わたしは滅びてしまう。なぜなら美は
 われわれが辛うじて堪えうる恐しいものの発端にすぎないから。
 そしてわれわれが美をこのように賛美するのは、
 美がわれわれを破壊するのを何とも思っていないからだ。どの天使も恐ろしい。
  そこでわたしは自分を抑え、暗いすすり泣きとともに、
 誘いの声を呑み込んでしまう。ああ われわれは一体、
 だれを頼りにすることができるのか。天使はだめ、人間もだめ。
 というのは、勘の鋭い動物たちはもう、(end102)
 われわれ人間が、解明の進んだ世界にあっても
 確かな存在として居ついていないことに気づいている。
 われわれに残されているのは、おそらく、毎日再会するようにと
 斜面に立つ一本の樹木。あるいは昨日通った
 街路や、甘やかされて離れないちょっとしたくせ [﹅2] 。
 そんなくせ [﹅2] は居心地がよいと、そのまま留まり、出て行かないのだ。
  おお そして夜、世界空間を孕んだ風が
 われわれの顔を削ぐ夜、――切望されては、
 ゆっくりと幻滅を与える夜、ひとつひとつの心の前に立ちはだかる夜は、
 だれにも残されているだろう。恋人たちには夜はもっと耐え得るものか。
 ああ 彼らはたがいにそれぞれの運命をかくし合っているだけだ。
  きみはまだ知らないのか。きみの両腕から空虚を
 われわれの呼吸する空間に投げ入れよ。そうすればおそらく、
 鳥たちは一層心のこもった飛翔により、大気の拡大したのを感じるはずだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、102~103; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第一連)



  • きのうの記事に書くのをわすれたが、夕刊には池辺晋一郎の「耳の渚」があって、今年はサン=サーンスの没後一〇〇周年、またストラヴィンスキーの没後五〇年にあたるとあった。サン=サーンスは大家にくらべると知名度は劣るものの、モーツァルトに比肩するような天才で、うそかまことか二歳のときにピアノを鳴らしたあとその音が減衰して消えていくのをじっと聞いていたというエピソードがあるという。ハイドンモーツァルトからまなんで古典美を受け継いだ大作曲家であり、ひるがえってストラヴィンスキーのほうは二〇世紀の前衛として名高いこちらも大作曲家だが、『火の鳥』だったか『春の祭典』だかがパリで初演されたとき(一九一三年くらいだったはず)に、当時としては最高度だったその前衛性が観客に受け入れられず怒号が巻き起こり、その騒ぎで音楽が聞こえないダンサーたちは振付け役のニジンスキーが大声で怒鳴るリズムにあわせてようやく踊れるという始末で、支配人が登場してともかくもさいごまで聞いてほしい、と観客に懇願してなんとか公演がつづけられたというエピソードがあるらしいのだけれど、そのときに音楽が気に入らずはじまってまもなくさっさと劇場を出ていってしまったひとりがサン=サーンスだったのだという。それはまさしく二〇世紀初頭における音楽界の伝統と革新の遭遇、その転回=展開を強力に象徴するような瞬間であり、半世紀をはさんだそのふたりの没後アニヴァーサリーが今年かさなっているというはなしだった。ところでサン=サーンスは一九二一年にアルジェリアを旅行していたさいちゅうに死んだらしいのだが、一八三五年の生まれとあったはずだから八六歳まで生きたはずでだいぶ長生きではないか。
  • きょうは一一時四〇分に起床。いつもどおりである。いちど、八時台後半に意識をとりもどしたのだが、さすがにここで起きると睡眠がすくないしなあとおもってぐずぐずしているうちにまた寝ついてしまった。雨降りでやや肌寒い秋の日。雨はここさいきんではいちばん降っているとおもわれ、寝床にいたあいだにはけっこう雨粒の打音がひびいていた。こめかみや喉を揉んで起き上がると水場に行ってきて、瞑想。一二時一〇分まで。
  • 上階へ行って食事。一個七八円だかの廉価な餃子など。新聞では衆院選にむけた枝野幸男のインタビューをいちおう読み、ほか、「ハバナ症候群」について。アメリカのCIA職員や国務省のスタッフなどにここ数年、原因不明の体調不良があいついで発生しており、その総計は二〇〇人ほどにのぼって(半数弱がCIAの職員)、さいしょに確認されたのがハバナ駐在の外交官だったかともかくキューバハバナではじめて確認されたのでそこから取って「ハバナ症候群」と名付けられたという。とうぜん外国、主にはロシアの秘密工作がうたがわれるわけだが、可能性としては電磁波による攻撃がかんがえられると。症状は目まいとか吐き気とかで、ひどいひとだと目がよく見えなくなって車の運転ができなくなったり、脳損傷と診断されたりしたひともいるという。ただ決定的な証拠はないし、仮にロシアなどによる攻撃だったとして、大使などの幹部級の人員に被害がほとんどないというのが解せない、攻撃するならそこをねらうはずだ、という声もあり、究極的には原因はまったく不明だということだ。
  • ルーティンをすませると帰室して、茶を飲みながらきのうのことをつづった。一時半過ぎで終了。投稿もすませ、きょうのことも記述。うえの段落まで書いたところで二時にいたったので、LINEにいま行きますと投稿して隣室にうつった。(……)
  • (……)五時で通話は終了し、自室にコンピューターをもどすと上階へ。アイロン掛けをおこなった。台所にいる母親はまた天麩羅を揚げるなど。そこではラジカセからラジオがながれており、それがなかなかいい音楽だったというか、七〇年代から八〇年代くらいの古き良きソウルをおもわせるような曲がつづき、なかに一曲、Deep Purpleの"Lazy"と混同するようなハモンドオルガンのフレーズ(キーもおなじではないかと聞こえたのだが、もしそうだとするとFmということになる)がイントロになっているものがあり、女性ボーカルはStevie Wonderの"Ordinary Pain"(だったとおもうのだが)のバックでうたっているようなかんじの声で、気になったのでアイロンかけのあいまにわざわざ台所に行って、これだれ? と母親に聞いたのだが、わからないという。曲が終わったらもっかいなまえいうでしょ、聞いといて、とたのんだものの、天麩羅が揚がるフライパンのそばにいた母親はその音で聞こえず、またもともと聞く気もなかったようで、再度聞いてもわからなかった。84.7だといったからFMヨコハマのはずだが、いまFMヨコハマのページを見てみたところでは、あきらかにちがう。こんな曲はかかっていなかった、というなまえしか見当たらない。それでたぶん母親はFMヨコハマだとおもっていたところが、周波数がすこしずれていたのではないかとおもい、検索して前後の放送局をしらべ、おのおののホームページをおとずれてみたところ、NHKで「MISIA 星空のラジオ ~Sunday Sunset~」という番組が五時台に見つかり、なおかつ六時からの番組が岡田なんとかというひとになっており、六時になったときにたしかにパーソナリティが岡田なにがしと名乗っていたような記憶があったので、これではないかとおもった。オンエアリストを見てみても、Jimmy Smithの"Can't Hide Love"があるからあのハモンドはこれだったのでは? とおもってさっそくYouTubeで聞いてみたところ、しかしそんなにピンとこないというか、"Lazy"に似てなどいないし、"Can't Hide Love"ならいちおう知っている曲だから、ほんとうにこれだったかなあ、と確信がもてない。だが、距離があったからそうしっかり聞き取れなかったわけだし、雰囲気はあきらかにこちらの方面だったし、そのまえのInner Life "I Like It Like That"をながしてみてもたぶんそうだという気がする。Manfredo Fest "Who Needs It"をながしても、こういうフュージョン的なウネウネフレーズを聞いたおぼえもあるし、たぶんこの番組だっただろう。まあ、このMISIAのラジオでDJ MUROというひとが選曲したらしいリストを聞いてみると、どれもなかなかいいかんじなので、もしちがっていたとしても、もとの番組がなんだったかはもはやどうでも良い。
  • アイロン掛けを終えると台所にはいり、天麩羅をひきついだ。ネギやらニンジンやらなにやらを混ぜたかき揚げ。腹が減っていたので、それがすむともう食事へ。即席の味噌汁やサラダののこりとあわせて米と天麩羅を用意。食事中の新聞は一面から二面にかけてのジョセフ・ナイの寄稿を読んだ。冷戦時代はソ連の存在によって安全保障上のおおきな軸や中心点を持っていたアメリカは、九〇年代にはいってソ連が崩壊したことによりそれをうしない、二〇〇一年のテロを機にグローバルなテロとの戦いという題目をあらたな大義に据えたものの、それによって米国にとって中核的とはいえないアフガニスタンイラクにながく拘束され、結果的に米同時テロによってうしなわれた人命よりもはるかにおおくの命をうしなうとともに何兆ドルもの資金もついやすこととなった。そしていまや中国が台頭して「新冷戦」などともいわれているが、それをソ連時代の対立とおなじものだとみなしていると米国はあぶないぞ、というようなはなしだった。冷戦時代にはアメリカとソ連のあいだに社会的・経済的な交渉はほとんどなく、両国は明確に分離していたのだが、中国はアメリカの主要な貿易相手であり、また世界のほかの国々にとってもそうである。米国はたとえばファーウェイを5G計画から排除したりだとか、中国経済の切り離し、いわゆるデカップリングをはかってはいるものの、経済的依存を完全に脱却することは不可能だし、また気候変動やコロナウイルスのようなパンデミックなど、一国だけで対処できない問題にかんしては世界の協力をあおがねばならず、中国もとうぜんそのなかにふくまれる。それは中国側も同様ではあるわけだけれど、アメリからしてみればしたがって、経済分野やグローバルな問題については協力しつつ、同時に南シナ海などでは中国海軍をおさえるためにそれに対抗し、競争しなければならないような、より微妙で精密な舵取りが要求されると。また、米国の大局的な安全保障観において世界的環境問題のリスクについての見地が充分に反映されていないという指摘もあったのだが、そのあたりの具体的な内容はわすれてしまった。
  • 食事を終えると洗い物。母親が、あそこがどうしようもないよ、と言ったように、流し台が食器や調理道具でごちゃごちゃしていたのだが、まず野菜の屑などを生ゴミ用の袋に入れてからそれらの占領物たちを洗ってかたづけていった。そうして居間のテーブルを台布巾で拭き、部屋に帰還。Justin McCurry, "Tokyo Olympics: poll shows 60% of Japanese people want Games cancelled"(2021/5/10)(https://www.theguardian.com/sport/2021/may/10/tokyo-olympics-poll-shows-60-of-japanese-people-want-games-cancelled(https://www.theguardian.com/sport/2021/may/10/tokyo-olympics-poll-shows-60-of-japanese-people-want-games-cancelled))と、Kim Willsher, "Macron and the ‘French Trump’ trap Gaullism’s heirs in a political vice"(2021/10/17, Sun.)(https://www.theguardian.com/world/2021/oct/17/macron-and-the-french-trump-trap-gaullisms-heirs-in-a-political-vice(https://www.theguardian.com/world/2021/oct/17/macron-and-the-french-trump-trap-gaullisms-heirs-in-a-political-vice))を読んだ。後者を読んでいるとちゅうに母親がなんとかいいながら階段をおりてくるのが聞こえて、タブレットで兄夫婦からの着信を受けたのだとわかったが、階段下の父親とともにはなしはじめたのが聞こえながらもまだ出ていかずに記事を読みつづけて、呼ばれたところで合流してちょっと通話した。兄夫婦は帰国後にホテルに三日くらいとどめられていたのが終わり、いまは(……)というところにあるらしいコンドミニアムでひきつづき隔離生活をおくっている。画面に移された施設内はけっこうひろびろとしているようすで、ベッドのうえで(……)ちゃんが飛び跳ねてさわがしくあそんでいた。どういう施設構造になっているのかわからないが、ほかのひとたちはいるの? と聞くと、べつの棟というかんじで建物が分かれているのか、ともかくほかにもいるようだが見かけはしない、とのこと。外出はコンビニにちょっと買い物に出るくらいしかできないことになっており、毎日電話がかかってきていまどこにいるのか映して見せてください、ともとめられるという。とはいえその電話がかかってくるのは午前中にかぎられているので、夜などは出かけてもたぶんあちらにはバレないだろうが、とのことだった。一一月一日に出て、(……)の新居にはいる。こちらは労働があるので行かないが、その日、両親は手伝いにでむくことになっているはずだ。子どもふたりは元気そうであるきまわったり跳ねたり声を出したりしていたが、(……)さんは、どこにも行けないので退屈だと漏らしていた。閉じこもってふたりの子どもや兄とずっといっしょにいなければならないというのもそれはそれでストレスだろう。
  • おたがいにそろそろ食事を取るということで通話は長引かず終わり、こちらはついでに上階に行って用を足すとともに、きょうはいきなり冷えてハーフパンツの脚がけっこう寒いので、からだをあたためるかとおもって白湯を持ちかえった。それで飲みつつ先ほどの英文記事を読了。来春にひかえているフランスの大統領選にかんして、特に右派の共和党がおかれている苦境について。大統領に立候補している極右勢力としては、マリーヌ・ル・ペン以外にも、「フランスのトランプ」などとまたぞろ阿呆みたいな呼称をえているエリック・ゼムール(Éric Zemmour)というひとがいて、いまのままだとル・ペンか彼が二回目の投票でマクロンとあらそうことになる予測だという。このなまえでいま検索してみると、新潮新書の『女になりたがる男たち』という著書が出てくるので、そのタイトルだけでもだいたいどういうかんがえかたの持ち主かが推し量られるだろう。記事の文中にも、〈Debates have centred on Zemmour’s provocative Trump-like declarations that Islam and immigration are destroying France, his defence of the Nazi collaborationist Vichy regime and scattergun attacks on feminists, homosexuals, black people and Arabs, sparking introspective, existential reflections.〉という一節がある。ヴィシー政権擁護、すなわちナチへの協力を支持するというのはどういう理屈でそうなるのかぜんぜんわからないのだが、そもそも反ユダヤ主義をいだいていて、ユダヤ人をぶっ殺しまくったナチス自体をすばらしいとおもっているということなのだろうか?

Six months before a presidential election and France’s mainstream right finds itself squeezed – between the hammer and the anvil as they say here – without a candidate and facing an existential threat from either side.

On one flank are the far-right Marine Le Pen and Éric Zemmour, a polarising television pundit who wants to talk about immigration, identity and Islam – the three i’s – and ban “non-French” names such as Mohamed.

On the other is Emmanuel Macron, a self-declared “centrist” president who, nearing the end of a five-year mandate marked by the Covid epidemic, needs to woo centre-right voters to stay in power.

As Zemmour, who has been nicknamed the French Trump, dominates the airwaves hammering home his message, polls suggest if he stands either he or Le Pen will be facing Macron in the second round run-off.

Where does this leave the mainstream Les Républicains (LR), the traditional heirs of General de Gaulle and his “certain idea of France”, now faced with Zemmour’s accusations it has betrayed its hero and become a party of chochottes or French “snowflakes”?

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Five years on, the PS candidate, Paris mayor Anne Hidalgo, is trailing badly in the polls, while LR is engaged in a frantic race against the electoral clock to paper over the cracks before next April. A poll of LR’s 80,000 members has been postponed until 4 December, giving the winner four months to rally the electorate.

Jean-Yves Camus, director at the Observatoire des Radicalités Politiques of the leftwing Jean-Jaurès foundation, told the Observer: “For decades in France the right has given the image of unity but behind this are old fractures. In Les Républicains there are people who are true Gaullists and those who are conservative, even reactionary, but are with the LR because it’s a big party, has a hegemony on the right and because it’s complicated to be elsewhere.”

He added: “Zemmour’s possible candidacy has revealed this disparity of very different ideology inside LR and made it more evident. He has shown the unity is fictitious and made this fiction explode.”

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Debates have centred on Zemmour’s provocative Trump-like declarations that Islam and immigration are destroying France, his defence of the Nazi collaborationist Vichy regime and scattergun attacks on feminists, homosexuals, black people and Arabs, sparking introspective, existential reflections. Even France Inter’s morning news programme, the equivalent of Radio 4’s Today, was moved to debate: “Is the identity of France threatened? What does it mean to be French?” last week.

The saturation coverage Zemmour has been given is unprecedented and described by Hidalgo as “nauseating”. Romain Herreros, a political correspondent at the Huffington Post, believes Zemmour’s goal is to kill off LR and Le Pen’s Rassemblement National (RN) by presenting himself as the mythical “providential man” bridging the political terrain between the far-right and centre and halting the national decline he has highlighted; the classic firefighter-pyromaniac, starting fires in order to heroically put them out.

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Polls show Macron with a clear lead in the first-round vote, with Le Pen and Zemmour up to 10 points behind. Hidalgo, officially selected to represent the PS last Thursday, trails Yannick Jadot of Europe Écologie Les Verts (Europe Ecology/Greens) and the hard left’s Jean-Luc Mélenchon of La France Insoumise (France Unbowed).

  • その後、「読みかえし」を少々。九時で切るとポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)をしばらく読み、それからデスクで書抜き。BGMはFLY『Sky & Country』。だいぶ間が空いたが、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)の記述を写した。一〇時半過ぎくらいで歯磨きをしてから入浴へ。きょうはあまりながく浸からず。風呂を出てくるとここまで記して零時過ぎ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 夜半以降はまた書抜き(石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年))をしたり書見したり、夜食に蕎麦を煮込んで食ったり。三時四〇分で就寝。