2021/10/18, Mon.

 そうだ、年々の春がきみを必要としているのだろう。
 いくつかの星は、自分を感じてくれるようにと、きみに求めてきた。(end103)
 過ぎ去った時間から大波が高く打ち寄せたり、
 あるいはきみが開かれた窓辺を通り過ぎるとき、
 ヴァイオリンの音が身をゆだねてきたこともある。これはみな委託だ。
 けれどもきみはその委託に応えたか。きみはいつも、
 すべてのものが恋人の出現を予告しているかのような期待により
 心もそぞろだったのではないか。(大きな未知の思想が
 きみのところに出入りし、しばしば夜には
 留まるというのに、きみは恋人をどこに隠しておこうというのか。)
 しかし憧れの思いがやみ難いなら、愛に生きる女たちのことを歌うがよい。
 彼女たちの世に知られた感情は、まだ十分に不滅なものとなっていない。
 あの棄てられた女たちのことだ。きみはほとんど妬ましく思うだろうが、
 あの女たちは、愛を得た女たちより、愛がはるかに強いことをきみも認めた。
 つねに新たに、けっして足ることのない称賛を始めるがよい。
 思ってもみよ。英雄は不滅の存在であり、没落さえも
 彼にとっては存在の口実にすぎず、彼の最後の誕生だった。
 けれども愛に生きる女たちを、消耗した自然は
 自分の中へ取り戻すのだ。あたかも、このようなことを為す(end104)
 力は二度と生じないというように。ガスパラ・スタンパのことを
 きみはそもそも考えたことがあるか。恋人に棄てられた女の子が
 愛に生きた女たちの高揚した実例を知って、
 自分もこの人たちのようになりたいと思う、それほどの思いをこめて。
 古来からのこの苦しみは、いまこそわれわれにとって
 実りあるものとなるべきではないか。われわれは
 愛する者から離れて、ふるえながらそれに耐えるべき時ではないか。
 矢が弦の張りに堪え、力を集めて飛び立つとき、
 矢自体以上のものになるように。なぜなら停滞はどこにもないのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、103~105; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第二連)



  • 一〇時台に覚め、ややまどろみつつ、一〇時四〇分ごろ意識がはっきりと晴れた。喉やこめかみを揉んだり脹脛をマッサージしたのち、一一時ちょうどに離床。昨晩、居間で母親がカーテン越しに窓を見やりつつ、月が見えるからあしたは晴れるかなと言っていたが、じっさい晴れて陽の色が見える朝となった。ただ、大気の感触はつめたくてきっと冴えたかんじがいくらかあり、はやくも冬の質感をおぼえさせられる。それで昨夜からハーフパンツではなくて寝間着を着るようになり、しかもそのうえにジャージを羽織った格好で寝た。水場に行って洗顔やうがいなどしてきてから瞑想。一一時三五分まで。ちょっと思念に沈みすぎて身体をあまりかんじずに終わってしまった。
  • 上階へ行って髪を梳かすと食事。煮込み蕎麦やシチュー、それにきのうの天麩羅ののこりである。新聞は国際面。習近平がいわゆる「寝そべり主義」を批判したということを共産党の理論誌がつたえていると。寝そべり主義というのは激しい受験競争とか就職戦争とか激務からはなれて無理にがんばらず最低限の生活で満足するという価値観だが、それは国家の目標である「共同富裕」のさまたげになると。過剰な社会保障をすることはできない、国家が怠け者をやしなうようなことはしてはならない、との言。
  • ほか、EUとイギリスのあいだで北アイルランドをめぐって悶着がつづいているとの記事。北アイルランドアイルランドとのあいだで宗教ほかの対立があるのでそのあたりを再燃させないよう、EU側の貿易ルールをのこすことになったのだが、そうするとこんどはイギリスから北アイルランドに物資をはこぶ際に検査などしなければならず手間になっていると。ルールを取り決める議定書が交わされているのだけれど、イギリス側は再交渉をしたいともとめるいっぽう、EU側は多少の譲歩案をしめしながらも再交渉の意思はないとはっきりことわっている。譲歩案というのはイギリスからはいる物資には特別なラベルを貼ってそれで検査を免除するという方策で、EU側のいいぶんによればそれで事務処理などかなりの割合がカットできるという。ただもうひとつ、イギリス政界の一部が問題視しているのが北アイルランド貿易にかんしてなにか紛争が起こったときに、それを解決するのがEUの最高司法機関である欧州司法裁判所だとされている点で、これは主権の侵害だと彼らはみなしており、独立の仲裁機関にゆだねるべきだと主張しているらしい。実務的な面と権利的・観念的な面がごっちゃにされたまま議論がつづくと泥仕合になる公算がつよいと記事は締めくくっていた。
  • 食器を洗い、湯呑みと急須にキッチンハイターを吹きかけて漬け、漂白しておいた。それから風呂を洗って白湯一杯とともにもどり、ウェブを見たあときょうのことをここまで記述。一時。
  • きのうのことを記述。通話をしたので書くことがたくさんあった。一時半ごろにいったん切って上階に行き、ベランダの洗濯物を取りこんだ。あかるい日なたがまだベランダの手前側にひらいていたので、そのなかにはいってしばらく体操やストレッチを軽くおこなった。肌に触れる日光のぬくもりがとにかく気持ち良い。空気がながれるとやはりそのなかに冬の先触れめいたつめたさがふくまれていて、それで余計に大気のうごきがとまったあとに肌に貼りつく温感がここちよいようだった。あおむけになってしばらくころがりたかったくらいだ。しかしからだをいくらかうごかすと室内にもどり、タオルや肌着類などをたたんでから自室にかえった。きのうの記事を完成させ、きょうのことをここまで加筆するといまは三時になる直前である。しごとがはやい。そこそこの余裕がある。
  • 先ほど足ふきマットだけはまだ入れずに出したままだったので、それを取りこみに行った。ついでにたたみきっていなかった寝間着などもかたづけて、もどるとベッドにころがって書見。ポール・ド・マン/土田知則訳『読むことのアレゴリー ルソー、ニーチェリルケプルーストにおける比喩的言語』(岩波書店、二〇一二年)。きのうは良いかんじのペースで読めたのだが、きょう最前線を読んでみるとやはりむずかしく、こまかいところのつながりがわからずにまえにもどることになり、きのうはわりとこだわらず過ぎていった部分で、この文のなかのこの語はどういう意味なのか? とか、この文とこの文のつながりがわからんぞ、とかいうかんじではまってしまった。そうして時間をかければまあそれなりにはわかるので悪くないのだが、しかしどんどん読んでべつの本にもずんずん行き、ガシガシやっていきたい気持ちもあってなやましいところだ。四時ごろで食事を用意。三個一パックの豆腐をひとつあたため、おにぎりをつくる。もどって食いながら、またその後歯磨きしながら書見をつづける。四時四〇分かそこらで上がって、キャベツとニンジンを器具でスライスし、手抜きサラダをこしらえておいた。桶に水を張ったなかに漬けておく。シチューがたくさんのこっており米もあるのでだいたいそれで夕食は良い。ほんとうはもう一品、鶏肉があったので炒めるでもしておかずをつくったほうが良かったのだが、できなかった。父親がやってくれることを信じることに。
  • FLY『Sky & Country』をながしだし、スーツに着替えて身支度。きょうはやたら寒いので、この秋はじめてのことだがジャケットまで着ることにした。そしてそれで正解だった。仕事着になると五分ほどのみあまったのでまたすこしだけ本をひらき、そうして上階へ。居間のカーテンを閉めてマスクを用意し、用を足してから出発。とにかく寒い。自然と肩を上げて身をちぢめてしまうような冷え方だった。空は雲でいくらか汚れながらもなかのほうは水色に晴れて月も照っているものの、あたりにひかりはもはやなくて、ぬくもりの消え去った黄昏時の青さが刻々と色濃くしのび寄ってくる五時である。(……)さんが庭に出ていた。車庫との境に立って車のほうをむきながらなにやらしゃべっているようだったので、だれかとはなしているのかなとおもったが、どうもそうではなく、ひとりごとを言っていたのではないか。こちらがちかづくと車のそばをややはなれて、行ってらっしゃい、もうずいぶん寒いね、とほうってきたのだが、その声がなかなかおおきく張りのあるものだったので、もう九〇も越えてこの寒気が老骨に染みるだろうが、まだけっこう元気そうだなと見た。こんばんはとあいさつし、きょうすごく寒いですね、おからだに気をつけて、とかけて過ぎ、そこにまえから風が吹いてきたのに目をほそめていると背後から、風もつめたいねえ、と追ってことばが来たので、ちょっと振り向いてええ、と返して坂にはいった。
  • 駅につくとベンチに座り、しばらく瞑目。左右にながれていくものがあって寒いには寒いが、ふるえるほどではない。あたりからは多種の虫の音が交雑的に、しかしそれぞれのリズムとペースはほぼ一定に保ちつつ生まれつづけており、入り組んだ声のドームをかたちづくって人間たちをつつみこんでいる。線路をはさんで向かいの細道を車が行けば、聴覚野の左から右へその音がすべっていくのがかんじられるとともに、瞑目のうちにおのずから、正面の空間や道の様子とそこをながれていく車の想像的なすがたが(あいまいな想像なので車種もかたちも不完全であまりあきらかではないのだが)、音の場所と一致するようにしてあたまのなかに浮かんで動く。
  • 乗車。扉際で立って手すりをつかみながら目を閉じて待つ。きょうも山帰りのひとがおおかったようで座席は埋まっていた。(……)に着くと降り、ホームを行って、階段際で見上げれば空は例の沼のような青さに満ち満ちており、そのなかに雲がうっすら襤褸布のようにけむっているらしき濁りがかんじられた。駅を抜けてまた見上げると南に向かう空のまんなかあたりは雲たちの影がだんだんと音量を落としていく八分音符の連続のように整然とならんで伸びており、その下方から東にかけてはトワイライト・ブルーというべき醒めたうつくしさがなめらかに塗られて透きとおり、果てではもはや暖色をうしなって甘酒のように白っぽく褪せたひかりのなごりも水面下へと引きずられながら空気をもとめて抵抗するひとのように、かろうじて見える弱さで浮遊していた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 八時半過ぎで退勤。たまにはポテトチップスでも食うかとおもって自販機で購入。アルフォートのストロベリー味もあわせて。そうして徒歩で帰った。とにかく寒く、ジャケット表面に溜まるつめたさとか顔をこする空気の質感とかが冬のものにちかい。コートを着ても良いとすらおもうくらいだった。月は左下をすこしだけかくしたすがたでまた満月にちかづいており、ときおり雲に巻かれてぼやけながらもあざやかな金色円として高みにうちあがっており、淡い赤でふちどられたひかりのころもを雲床にひろくやどらせたその金円はあるくあいだにもますます高く浮かんだようで、街道に出たころにはずいぶんちいさく収縮して隕石のようになっていた。
  • 帰宅。消毒をしたうえにさらに手洗いもして帰室。ジャージに着替えるときょうも寝転がらず、ボールを踏みつつさっそく日記。きょうの記述をすすめた。一〇時半にいたらないくらいで夕食へ。一個七八円だかの廉価な餃子やモヤシなど。それらを電子レンジであたためるあいだにトイレに行って糞を腹から追い出し、ほか、シチューなどを用意。夕刊にめぼしい記事はなかったので朝刊にもどり、国際面や政治経済面など見ながらものを食べた。ロシアが日本海での軍事演習(先般は中国との共同演習もおこなったらしい)を活発化させており、日米の台湾への関与強化や米英豪が組んだいわゆるAUKUSを警戒して対抗心をつよめているようだと。インドは伝統的にロシアの友好国だったらしいのだが、そのインドもQUADに参加して米国側との連携をたかめているし、ロシアをとりまく安全保障環境が複雑化しているなか、中国との関係を強化してそなえているもようだ。ほか、ガス業者が二酸化炭素排出削減に本格的に乗り出していると。大阪ガスINPEX(旧・国際石油開発帝石)という会社が共同で合成メタンの開発にとりくんでいるという(新潟県長岡市にその施設があるらしい)。二酸化炭素を原料に水素と混ぜて合成メタンをつくり(メタネーションという)、それで家庭のガスをまかなうという計画で、メタンが燃えるときに二酸化炭素が出るらしいがもともと原料につかっているので実質相殺されるということだった。たしか東京ガス横浜市鶴見区で同様の実験をすすめているとあったはず。あるいはそれは合成メタン開発ではなく、水素の燃料利用の実験だったかもしれないが、そのあたりわすれた。
  • 一一時をまわったくらいで入浴。きょうは湯のなかでながく浸かり、瞑目に休む。わりと心身をほぐせた。出るとちょうど零時だった。緑茶を用意して自室にかえり、買ってきたチップスとチョコレートを食いながらウェブを見て、じきにふたたび日記へ。ここまでつづって現在時に追いつけば二時を越えたところだ。勤勉である。おのれの勤勉さこそがいつかおのれをすくうことになる。
  • 作: 「月のない夜をねらって旅に出よ無限の嘘が追いつけぬ日へ」、「恋人のほほえみばかりかぞえあげ十進法を知った人類」
  • 風呂からかえってきたときにデスクのまえに立ったまま"(……)"の音源を聞いて、LINEに気になった箇所をつたえておいた。(……)
  • 日記を綴ったあとは歯磨きして書抜き。ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)だけしかできず。石田英敬もすすめたかったのだが、さすがにからだがつかれていた。それでその後はだらだらして、四時半に就寝した。