2021/11/2, Tue.

 おお 来てはまた行くがよい。まだあどけない少女よ、
 少しの間でも、踊りの形を完成させ、
 あの踊りの一つを純粋な星座となせ。
 そこでこそ、鈍く秩序を守るだけの自然を

 無常な存在であるわれわれが克服できる。なぜなら、
 自然は、オルフォイスがうたうときにのみ、耳をそばだてて動いたのだ。
 きみはあのときから揺り動かされているひとだった。そして、
 一本の樹木がきみとともに聴きつつ歩くのを

 長くためらっていると、少しいぶかしがったものだ。
 きみはまだあの場所を知っていたのだ、竪琴のひびきが
 たちのぼる場所を――あのとほうもない中心を。(end133)

 その中心のために、きみは美しい歩みをこころみ、
 いつかあの聖なる祝いのほうへ友の歩みと顔とを
 向けさせようと望んでいた。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、133~134; 『オルフォイスによせるソネットDie Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十八)



  • 八時四〇分ごろにおのずから覚醒した。目覚めはあかるく、混濁の気味はない。目を閉じて深呼吸をくりかえし、からだをあたためているうちに九時がやって来てアラームが鳴った。起き上がって携帯を止めるとまたすこし寝床で脚をほぐすなどして、九時一八分だったかに離床。水場に行ってうがいをし、ながながと放尿してもどってくると、コンピューターでLINEを見た。(……)電車の時間と着く予定もおくっておいて、時間がすくないので瞑想はやらずに上階へ。
  • 父親はテーブルについて新聞を読んでおり(さいきんこれについて母親が、新聞を読むのがおそくてこまる、いつまでもだらだら、こっちははやく食べ終えて掃除機をかけちゃいたいのに、と文句を漏らすことが何度かあった)、母親は掃除機をかけているところ。ジャージに着替え、屈伸をくりかえして脚をなだめ、洗面所で髪を梳かすとフライパンで煮込まれた温麺に水を足し、麺つゆもくわえて加熱。それを椀で一杯分だけよそって食事。「(……)」のひとびとと昼飯を食うはなしになっていたので、それだけですくなく済ませた。新聞はむかいの父親が読んでいるので、もっぱら窓外をながめながら食べる。きょうは寝床にひかりが射しこむ朝ではあったが、空には全面的に淡い雲が溶けこんでおり、太陽もその白さのなかに封じられてすこしく減退を強いられて、肌と目を射る旺盛さとは行かなかった。食卓についたこのときも陽が出たり無色化したりとおりおりだったが、ひかりがとおればけっこうあかるく、炬燵テーブルの天板の隅に白光は宿るし、近所の屋根の瓦もその襞にあわせてこまごま飾られていた。川沿いの樹々に色を剝がして褐色じみたものもいくらかあらわれてはいるが、緑の梢が薄陽を受けて羽根のように淡く抜けつつひかりの触れない内側には濃い翳をはらんでいるのは、一月か二月くらいまえにながめた朝の感触とそう変わりない。
  • 食事のまえに先に風呂を洗ってしまったのだった。温麺をさっさと平らげると食器をかたづけ、帰室。コンピューターを用意してさっそくここまでしるせば一〇時二四分。一一時半まえの電車で行くのでそう猶予はない。
  • 出発。すばらしい好天だった。十字路から折れて坂にはいると目の前をゆるくのぼっていく道の左右が貝殻の破片めいた小ささかたちの黄色い葉っぱに縁取られてあり、頭上の樹々の緑と陽に触れられて乾いた黄色の対照があざやかで、いかにも印象派の描くあの風景のかんじだなとおもった。すすめば木洩れ陽もある。この時間に出歩くことがほぼなくて見るとして夕刻のそれなので、記憶とは違った方向からふりそそいで地に宿るひかりだった。最寄り駅から乗車。
  • 記憶が大してたしかでないのでどんどんカットしていきたい。行きの車内では書見。塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)。(……)で降りる。土産というか、菓子のたぐいを買っていきたかったためである。改札を抜けるといったん広場に出たのは、出がけに父親からポストに入れてくれと封筒をわたされたのだが、最寄りでそれを投函するのをわすれていたところ、たしかこの駅前広場にポストあったろとおもったのだった。やはりあったので投函しておき、引きかえして(……)の地階へ。てきとうにまわる。ロールケーキもいいなとおもったが、モロゾフのプリンが目についたのでこれにするかとはやばやと決定。いぜんにいちど、(……)家にも買っていったおぼえがある。チョコレートのものが三つしかなかったので、それをふたつとふつうのものをふたつにした。苺のプリンもあったのでそちらでも良かったかもしれない。ほか、大阪からやってきてまた帰る(……)個人にもということで利平栗なる栗をもちいたという触れこみのケーキ(シフォンケーキ的なふわっとしたもの)のたぐいを選び、六個入りの箱を追加。購入して女性店員に礼を言い、紙袋を提げて駅舎へもどる。
  • ふたたび電車へ。ここから(……)までは瞑目して休んだ。駅に降りて携帯を見てみると(……)からメールがはいっており、三人は渋谷だか原宿だかのマスタリングスタジオに行って見学とか相談とかをしていたのだが、着くのは一二時五四分になる、(……)と(……)くんが駅を出て(……)のある側の木のまわりにいるのでそこに行ってくれとあった。まだ五四分より前であり、こちらのほうが先に着いたので、ホームを下りて改札を抜け、くだんの場所に行くと、はやめに着いたからもうそこにいるわと返信をおくった。あたりにはハトがたくさんうろついており、横に座っていた女児は、ハトポッポ、ポッポ、ポッポ、いいの? 餌食べないの? みたいなことを呼びかけていた。そのハトたちが駅舎の屋根の縁にたむろしているすがたとか、宙を切って飛んできた一羽が方向転換をしてちょっと浮かんで細い枝のうえに着地するさまなどをながめて待った。あんな細い、しなやかに揺れる枝のうえにあやまたず飛び乗れるとは見事なものだ。じきに三人が来たので手をあげてむかえ、あいさつして(……)家へ。
  • (……)がトンカツと唐揚げをつくってくれるということだった。それでこちらは(……)くんからギターを借りて(新しく買ったというストラト)いじり、いつものことでてきとうに似非ブルースをやりながら待つ。じきにトンカツができてきたのでテーブルのうえをかたづけ、米や味噌汁の椀などをはこぶ。そうして食事。トンカツはうまく揚がっていて美味かった。ありがたくむさぼる。味噌汁もうまい。トンカツを平らげた時点でこちらとしてはもうわりと滿足だったのだが、唐揚げがつづくという。ただ、唐揚げをつくるための薄力粉が切れてしまったということで、(……)が食事を中断してすぐそばのスーパー(「(……)」)に買いに行った。そうして調理がつづいたのだが、(……)は揚げては運んでくるばかりでなかなか座につけず、みずからこしらえたものを食べるチャンスがとぼしかったので、じぶんで揚げたのにそれではとおもってわりと満腹したこちらは積極的に皿を運び、のちには揚げる役も代わって受け持ち、(……)にも食べてもらった。(……)くんが揚げ物をする彼女のことを店長! と呼び、(……)も応じて威勢のいい飯屋の男性店長みたいな小芝居をしていたので((……)くんのことを「にいちゃん」と呼ぶ)、それに乗っかって、店長、俺がやっとくんで、休憩はいってください、とか言ったり、唐揚げを皿に乗せて持っていく際は毎回、「お待たせしました。唐揚げです」という字義的言語を口にして遊んだ。
  • (……)
  • それで昼食を取って満足したあとは、きょう行ったスタジオでマスタリングしてもらった音源を聞いたり、ギターをいじって遊んだり、(……)におくるメッセージをつくったり。メッセージは一部こちらが代行というか、(……)が書くのに苦戦していたのでこちらがキーボードをになって意向を聞きながらしたためたりもした。ほか、なぜか唐突に"Let It Be"とか"Stand By Me"とかを歌いだしてしまったり、それでThe Bealtesの動画を見たりなど。似非ブルースをやるのはいつものことなのだが、きょうは弾きながらじぶんで弾いた音に合わせてメロディをそのまま口ずさむという、ジャズの連中(けっこうみんなやるが、ギターでそれをやるひととして印象深いのはやはりKurt Rosenwinkel)がよくやっていることをやってみたりもして、それはそれでおもしろい。のちほど帰宅に向かう直前に、(……)くんがさいきん入手したらしいアンプシミュレーターをとおしてギターを弾かせてもらい、そのときにもAブルースをやりながら合わせて口ずさんでいたのだが、このときのようすを(……)がみじかい動画に撮っており、あとでそれを見たところ、そこそこさまになっているというかそんなに悪くない弾きぶりのようにおもわれた。もうすこし長く撮ってもらって、てきとうに弾いているフレーズがどんなものなのか見たかったくらいだ。ちなみに(……)は動画を撮りながら、John Lennonに見えてきた、とつぶやいていたが、ジャケットに丸眼鏡のよそおいでギターを弾いているのが、たしかに先にながした"Hey Jude"の動画中のLennonにちょっと似ていないでもなかった。
  • あとは面倒臭いので割愛する。夕食はちかくの「(……)」という沖縄料理の店に行った。こちらが来るのは二回目である。ゴーヤチャンプルーとか豆腐とかラフテーとかサーターアンダーギーとかエイヒレとかを食ってどれもうまかったのだけれど、いかんせん昼飯が油の多いものだったのでその満足感が夜になってもつづいており、空腹感が薄かったのでうまさを味わいきれないみたいな感じがあった。あと、ひさしぶりにながく外出したためか、この夕食くらいから頭痛があって、それも邪魔くさかった。頭痛はその後帰路もつづいたが、電車内で瞑目しているうちに多少ほどけてながれていった。