2021/11/17, Wed.

 へその緒を
 結びなおして
 生命をそこに流しかえすことは
    できない

 ぼくたちの涙が完全にかわくことは
    ありえない

 ぼくたちの最初のキスはいま幽霊になって
 ぼくたちの唇にとりつき(end162)
    唇は忘却にむかって
    色あせる

 (リチャード・ブローティガン福間健二訳『ブローティガン 東京日記』(平凡社ライブラリー、二〇一七年)、162~163; 「過去をなかったことにはできない」 The Past Cannot Be Returned; 東京 一九七六年六月十九日 モンタナで言葉をいくつか加えた 一九七六年七月十二日)



  • 一〇時半に覚醒した。きょうはまた天気がもどって雲のない快晴で、陽射しも寝床までとおっている。しばらくとどまって一一時まえに離床し、水場に行ってきてから瞑想。良いかんじでじっとすわっていたが、とつぜんからだのちかくになにかが落ちてきたような音がして、おもわず目をあけるとベッドのうえになにかの部品が割れたその破片みたいなものが乗っていたのだけれど、それがなんなのか、いったいどこからやってきたのかまるでわからなかった。瞑想を再開しようとしたが急に中断されたためになんとなく興がなくなったのでそこまでとし、カーテンレールなどしらべてみたがそれらしいもとが見当たらない。天井にももちろんなにもない。しかしのちほど、ベッドと壁のすきまに割れた洗濯ばさみが落ちているのを発見したので、どうもカーテンについていたものがなぜか勝手に割れて落ちたようだ。
  • 上階へ行き、ジャージに着替えて食事。煮込みうどん。新聞は一面、オンラインによる米中首脳会談や脱炭素の取り組みについて読む。後者の記事には、天然ガスから燃料水素をつくるさいに生まれる二酸化炭素の九五パーセントを回収・貯蔵できる施設がルイジアナ州につくられたとあった。二酸化炭素の回収・貯蔵技術のことをCCSというらしいのだが、それがCO2の排出量削減のために期待されていると。回収した二酸化炭素は一キロいじょう下の地下に埋めるらしい。
  • きょうは三時には出なければならず、そうすると猶予がないからやはりそれだけでもなんとなく気分が鬱陶しく、ほんのわずかながらストレスをかんじる。ながくなるはずの一四日の日記も書けていないし。食事を終えて皿を洗うと、そのまま風呂も洗って帰室した。コンピューターを用意してまずきょうのことをここまで。
  • そろそろ髪を切りたいので美容室に電話をかけたものの、休みなのかつながらなかった。あるいはコロナウイルス状況の名残りでまだ午前だけの営業なのか。出勤までにたいしたことはしなかったとおもう。ルイーズ・グリュック/野中美峰訳『野生のアイリス』(KADOKAWA、二〇二一年)を読んだりしていたよう。出るまえに瞑想もおこなった。二〇分ほど座ったのではなかったか。瞑想をすると皮膚表面のざらつきが消えて肌がゆるくやわらかくなるのが如実にかんじられて気持ちが良い。やっぱり時間を取ってそういうふうに肌をほぐれた状態にするのが大事だなとおもった。疲労感や調和が違う。
  • この往路は電車ではなく、徒歩。天気はけっこう良かった。坂道にかかって右手、川のほうを見下ろせば、先日も見たイチョウの樹はいかにもあかるく見事で、周辺にさまざまいろどりはあるし川を越えてむこうの林も色変わりしてスプレーをかけられたようになってはいるが、このイチョウのしっとりとしたレモンイエローが視界のなかでひときわあざやかに浮かんでいる。来たほうを振りかえると、かなたの山から川から宙や樹々や屋根まであたり一面、西からゆるくかけながれる午後三時のひかりを浴びてほがらかに自足したかのような色だった。坂をのぼって行くとしかし、頭上の樹冠は先日見たほどにあかるくはなく、ひかりのひろさや濃さが減っているようだったが、それは季節がすすんだということもあり、またきょうは空に雲が淡く混ざっているということもあるのだろう。
  • 街道ではあいかわらず道路工事がつづいており、ガードマンの高年女性が棒をまえに差し出しつつ礼をして車を止めたり、男性がなんとかかんとか文句めいた口ぶりを漏らしながら看板をはこんだりしている。作業場には小さなショベルカーが一台置かれてあり、その側面には、重機の裏に入らない! そこは見えません! みたいな文言が記されてあった(あるいは、そういうことばを記した紙かなにかが貼られてあった)。街道にいても日なたはやはりもうすくなく、ぬくもりもさほど漂っていない。裏通りにはいって進行。とちゅうでうしろから会話が聞こえてきて、声色や口調からしてたぶん男子高校生だなと判別される。ことばづかいもそうかもしれないが、口調や発語自体にやはり締まりのないようなかんじがある。しかしもうひとりのほうはわりあいはっきりした発語で、声も低めで、他方より大人びた雰囲気だったのだが、それでいてなんというか、いかにも男性的というのではなく、いわゆるオネエ的なトーンの色がちょっとかんじられないでもなかった。追い抜かしていくふたりのうしろすがたを見ればやはり男子高校生で、髪は双方黒で丸く、とくに洒落っ気はない。テストのことをはなしており、日本史は暗記だからいけるけどほかはどうこう、みたいなことを言っていた。
  • (……)を越えたあたりで小学生の男児三人が、グリコをやっていた。あれはだいたい階段とか、一歩の目印になるようなものがあるところでやるものではないかとおもうのだけれど、彼らはなにもないふつうの道でやっていた。こちらにいちばん近い位置にいるひとりが主導してぐーりーこ! と掛け声を発してジャンケンをし、勝ったものがおのおののあんばいで大股にすすむのを、その横を通る大人たちがなんとなく微笑ましそうに見やって過ぎる。通り過ぎたあとで一回、ひとりだけでなく三人でジャンケンの声を唱和させる瞬間があった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • 帰路は電車。駅にはいり、いったんはベンチに座ってルイーズ・グリュックをひらいたが、さすがにもう外気にさらされていると寒いので、待合室へ。書見しながら待つ。あとから三人ほどくわわってくる。なかにひとり、くすんだ茶髪をすこしうねらせたような髪型の、小太りくらいの体型の男性がいて(二〇代後半くらいか?)、ベンチの端に横から腰掛けながら疲労困憊したようなようすでたびたび息をはいていた。(……)が来ると乗車。さきの男性はじぶんの右手、おなじ席のならびに腰掛けてやはり疲労にまかせて眠るようにしていた。こちらも瞑目して休む。そうして発車がちかくなって乗ってきた者のなかに右の男性に声をかけて合流したひとがあって、このひとはすこし酒がはいったような雰囲気をかんじないでもなかった。会話を盗み聞くに、飲み会かなにかあったけれど疲れたのでもう先に帰ってきたということだったのか、あるいは飲み会ではなくて、なにかギャンブル系の遊びのような印象だった。競輪だか競艇だかがどうとか言っていたし、あしたはどこでやる? みたいなことをとなりのひととはなしていて、(……)の名が挙がっていたのだけれど、しかしそんなほうでギャンブルとかやる? という疑問はある。雀荘とかなのだろうか。あるいは個人の家とかで場が立つのか。