虚飾にまみれて
私たちは、作られたマネキン
静止画の中の人物 着飾った
衣装には組み合わせ文字のロゴ
偽りの見せかけの下で血まみれになって否定する
人工的な真実の透き通った層に包まれて
私たちは包み隠し別の外見を装う
偽りの愛の中で愛情深く
作りごとの優しさの中で優しく
非人間的な非人間性の中で人間的に見えるように
私たちは外見を偽る
こんな自分たちを覆い隠すために…(ニール・ホール/大森一輝訳『ただの黒人であることの重み ニール・ホール詩集』(彩流社、二〇一七年)、53; 「虚飾」 Veneer)
- 八時半のアラームで覚醒した。そのまえにもいちどか二度、覚めたおぼえはある。起き上がって携帯をとめると水場に行ってきて、用足しやうがいなどしてもどると寝転がって書見した。あるいは水場に行ったのは書見に切りをつけたあとだったかもしれない。いずれにしても九時ごろまで熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)を読み、それから瞑想もしくは静座をおこなった。三〇分弱。まあまあ悪くはないかんじだった。
- 上階へ。きょうの天気は水っぽいような、すこしよどんだ曇りで、いま午後三時だが窓外を見ればどうも薄雨が降っている気配である。きのうのカレーののこりと菜っ葉やうすい肉を炒めた料理を食べた。新聞はさいしょソファについた父親が前かがみになって炬燵テーブルのうえにひらきながら読んでいたが、こちらが飯を食っていると読み終えてわたしてきたのでページをめくって記事たちを瞥見する。連合が衆院選の総括を発表して、共産党との限定的な閣外協力を表明したことが有権者に困惑をあたえたことは否めない、と評価し、立憲民主党に共産党と組むのをやめて国民民主党と連携するようもとめたという報のみ読んだ。民主党や立憲民主党の支持母体となってきた連合は過去に共産党とはげしくやりあった歴史があるらしく、前会長の神津里季生のときから共産党と組むのはちょっと、というメッセージをたびたび発して距離を取ろうとしていたのだが、会長がここで芳野友子というひとに変わってからはより強硬になり、マジでかんがえられん、みたいなかんじになっているようで、この記事でも共産党と組むことは連合の意志とは合致していない、みたいな芳野会長の発言が引かれていた。
- 食事を終えて皿をあらうともう九時五五分であり、一〇時から通話なので風呂は洗わずに下階にもどって、そのままコンピューターを隣室に持ちこんだ。ZOOMにアクセスして開始。通話中にはなしたことを書くとまたながくなるのでそれはあとにまわしてさきにすすむと、一時ではなしは終わって自室にもどり、ずっと座っていたためにからだがこごったので、いつもどおり寝転がって書見しながら脚をマッサージした。二時ごろまで。それからストレッチ。ストレッチはやはりすじを伸ばすことに傾注するというよりは、瞑想の一パターンみたいなかんじで姿勢を取ったまま静止するという意識でやったほうがよいような気がした。息を吐くのも、限界まで吐ききればそれはそれでからだはめちゃくちゃほぐれるのだけれど、そんなにがんばらず、ある程度の深さにとどめて気楽にゆっくりやったほうがよい気がする。それから日記を記しはじめて、きのうのことを多少書き足して投稿、きょうのこともここまで書けばいま三時二〇分にいたっている。(……)
- あと、日記を書きはじめるまえに「読みかえし」をすこしだけ読んだのだった。
- 日記に切りがつくと上階へ。トイレに行って腸を軽くし、それから風呂洗い。浴室に行くまえに台所でフライパンにうどんがあるのなどを見ていると、上がってきた父親がじぶんは山梨に行くと言うので了解した。そうして風呂を洗い、カレーの残滓とともにフライパンで煮込まれたうどんにさらに麺を足して加熱。ブクブクなっているあいだに食器乾燥機の食器をかたづけるなど。炒めものもパックにあまっていたのでそれもレンジで熱し、うどんを丼にそそぎこむと双方盆に乗せた。居間のカーテンを閉めておいて自室へ。(……)さんのブログや(……)さんのブログを読みながらものを食べてからだをあたたかくし、食器を洗ってくると歯磨きも。そうすると四時二〇分にいたった。出勤まえにもういちど瞑想。音楽をともなわずにすわり、うすい雨音だけがそとからひびいていたが、けっこうねむくなって上体が揺れたりあたまがすこしかたむいたりする瞬間があった。ここまでかなと目をあけると二〇分経って四時四〇分。ちょっと腕を伸ばしたりしたのち、ここまでさっと加筆して五時前。そろそろきがえて出かけなければならない。あとそうだ、ものを食べ終えて食器を洗いに行ったさい、ついでに餃子を一〇個焼いておいた。父親が山梨に行ったので米は足りる。
- スーツにきがえ、バッグとコートも持って上階へ。手を洗ったり用を足したりしてからマスクをつけて出発。きょうはさいしょから眼鏡をかけた。雨が降っており、そこそこの勢力だった。傘をひらいて、バッグは提げると濡れてしまうので左腕で腹につけてかかえるようにして行く。とうぜんながらなかなか寒い。路上には色を変えた葉っぱがたくさん落ちてぐちゃぐちゃになっている。吐く息で眼鏡がたびたびくもるのに、また両手ともふさがっているのでかけかたを気軽になおせないのにわずらわされながら坂を上っていった。駅につくとホームの屋根のしたにとどまらず、また傘をひらいてさきのほうへ出ていく。このときには降りはもうだいぶ弱くなっていた。来た電車は、きょうの天気ではさすがに山に行ったものもすくないらしく空いており、席について瞑目することができた。
- (……)につくと職場へ。駅の通路をあるくあいだの気分はまあ平静平板だったが、とくに意欲的だったり楽だったりするわけでもなく、どちらかといえば面倒くせえなというほうに寄っていた。それにはたぶんあしたも出なければならないだろうという見通しが寄与していたのだろうけれど、ありがたいことに翌日の追加労働は回避された。勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- それからベンチについて書見しながら電車を待ち、来ると乗って席で瞑目。最寄りで降りるともう雨は降っていなかった。駅を抜けると黄や橙や赤の色を帯びたモミジがそこらじゅうに散らばっていたが、とはいえもう夜で空も閉ざされているから濡れて黒い地面が街灯にひかるばかりで葉の容色もあまりあきらかならず、こんがり焼けたビスケットのようなかたちと色味をしているもののいまは雨をしこたま吸って水っぽさにつつまれているからその比喩も小気味よさをうしなって相応しない。木の間の坂にはいればあたりからしきりにしずくのひびきが立って、木立のなか、葉のあいだではまだ雨が降っていた。したの道に出るとその降りはやみ、微細なおうとつに水をおぎなわれて黒さをなめらかにしたアスファルトが、あるかなしかのそのもりあがりに街灯の白さをかけられて、それじたい歩につれて移動するもう一種の液体であるかのようなこまやかな発光をひろげており、純な黒と白のおりなすこの路面の光景を雨の日に目にするといつも、女人のせなかのような、という過去につくった比喩をおもいだすけれど、ひとと性関係を持ったことがないから女人のせなかなど見たことがない。
- 帰宅後はいつもどおりでこともなし。Constance Grady, "“I am half agony, half hope”: Jane Austen’s most romantic love scene"(2018/2/14)(https://www.vox.com/culture/2017/2/14/14598536/persuasion-jane-austen-most-romantic-love-scene-letter-valentines-day(https://www.vox.com/culture/2017/2/14/14598536/persuasion-jane-austen-most-romantic-love-scene-letter-valentines-day))を読んだ。やはり疲労のために文を書く気力が起こらず、だらだら過ごしてしまいがちである。風呂を出てきてから、石原吉郎の肉親に宛てた手紙の一節をくりかえし読んだ(夜なので無声音で)。いぜん、そうとうに気に入った文章や詩などをやはり暗唱できるようにして身体化したいなというもくろみをもって「ことば」というノートをつくり、くりかえし読んでいたみじかい時期があったのだけれど、そのいちばんさいしょに引かれている文である。この暗唱のこころみをまたやってみるかという気になったのだった。とはいえ前回は暗唱できるようにするという目的がさきに立ちすぎて、そうするとやはりただ読むだけではなくて読みながらきちんとおぼえようという意識が出てきてしまい、それが面倒くさくなってぜんぜんつづかなかったので、今回はおぼえようとかよりよく理解しようなどという余計な企図は排除して、とにかくひたすらくりかえし読むというひたむきさに賭けることにした。つまるところいわゆる素読というやつで、江戸時代とかに子どもらが論語をとなえておぼえていたのとおなじようなかんじで、とにかく声に出して読むことじたいを自己目的化することにした。ひとつの引用文について一〇〇〇回くらい読めばいいんではないかとおもっている。一〇〇〇回がおおければ五〇〇回か三〇〇回くらいでもよいだろう。一日一〇回読めば一か月で三〇〇回は行くわけで、一日一〇回はそこまでながくなければわりと余裕である。おなじ文章を一〇〇〇回も読めばおぼえるおぼえないなどというあさはかな意図や虚栄心をこえてもう歌をうたうように口がしぜんとうごくようになっているだろう。歌をうたうように文を読み、ことばを吐きたい。
- あと書いておくとしたら通話中のことだが、これも正直書くのは面倒臭い。それでもおのずとおもいだせることはいくらか記しておくか。(……)
- (……)
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