パースが提唱したのは、「記号論(英 semiotics、仏 sémiotique)」でした。彼が考えた記号論は言語をモデルとするようなソシュール流の記号の理論ではなく、人間や生物や動物や、あるいは宇宙の様々な現象全体を記号のプロセスとして捉えようとする非常に普遍的な記号論、汎記号論です。パースにとっては人間自体も記号現象にほかならず、宇宙は記号から記号へと現象が次々に送られる無限のプロセスから成り立っていると考えられたのです。パースの信念を導いていたのは、「宇宙全体とは、記号のみから成り立っていると言わないまでも、記号に充ち満ちているものである」という考えでした。「数学にせよ、倫理学、形而上学、重力、熱力学、光学、化学、比較解剖学、天文学、心理学、音声学、経済学、科学史、ホイスト、男女、ワイン、気象学にせよ、私にとって記号研究として行われなかったものは何もない」と彼は述べて(end62)います。
人間とは記号のプロセスであるとパースは考えます――「人間が使っている言葉や記号こそ人間自身である。なぜなら、すべての思考は記号であるということが、生は一連の思考であるということと一緒になって、人間は記号であるということを証明するように、すべての思考は外的な記号であるということは、人間は外的な記号であるということを証明するからである。つまり人間と外的な記号とは homo と man という言葉が同一であるというのと同じ意味において、同一である。こういう訳で、私の言語は私自身の総体である。というのは人間は思考であるから [註9: C・S・パース(一九八六):『パース著作集2 記号学』、勁草書房、一九一頁] 。」
人々が頭の中で行っている様々な思考というものは、言葉になる以前の記号のようなものの連鎖として捉えてみることができて、そうしたものが、人間の思考の推論の連続を作っていると考えてみれば、私というのは私の思考の連続であるというわけです。そういう意味で人間とは記号を使った推論のプロセスであるという考えです。
ここでパースが「思考」という言葉で指していることですが、それは難しく論理的に思考するということでは必ずしもなくて、感覚や意識の働きのことであると考えてみればよいでしょう。引用の文章中の「外的な記号」というのは、話したり、書いたりする言語記(end63)号や、実際、紙の上にイメージや絵として描かれた図像などの具体的な記号です。
人間は文字を書いたり言葉をしゃべったりしていないときにも、記号を使って半ば無意識のうちに推論を行っている。人間の活動とは記号に基づいた知覚や認知や推論の連続的なプロセスのことであって、記号から記号へとたえず解釈するという活動を行っているプロセスとして、人間を、そしてさらには、生物一般をも捉えることができるのではないかという考え方です。
(石田英敬『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、62~64)
- 七時四〇分ごろにいちど覚めたのだけれど、睡眠を計算すると四時間未満なわけで、それではさすがにきびしいだろうとみずから能動的に二度寝にはいった。そうして九時半に再度の覚醒をえてカーテンをひらき、きょうは文句なしの快晴となった空からそそぐひかりと熱を顔に吸う。喉を揉んだり深呼吸をしたりしながら三〇分ほどすごし、九時五三分くらいに離床。水場に行ってきて洗顔やうがい、放尿などすませると、すぐに瞑想はせずにまた横たわって書見した。熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)。そうして一〇時三五分から瞑想。まあまあ。とちゅうであたまがカチッときりかわるような瞬間があり、同時に耳鳴りがはじまった。たいしたことはなくすぐに引いていく。座ったのは二〇分。上階へ行き、ジャージにきがえて髪を梳かすとハムエッグを焼いて食事。大根の味噌汁も。新聞は国際面を瞥見し、上海市当局が子どもらに自殺にかんするアンケートをとったその文言が、「自殺をこころみたことはあるか」とか「遺書を書いたことはあるか」とか直接的で保護者からの非難が殺到し、それで当局は謝罪に追いこまれたという報道をきちんとではなくちょっとだけ読んだ。中国では青少年が一年で一〇万人ほど自殺しているというが、おおくの子どもが遺書に書いているのが学業の圧迫で、永遠に終わらない宿題を課されるとか、来る日も来る日も宿題ばかりでわたしたちはあなたたち大人を憎みます、みたいなことばが記されているという。現代の科挙ともいわれるらしい受験制度がとうぜん問題の根幹にあり、学習塾の廃止とかもその関連で勉強量を減らそうという意図なのだろうけれど、ある保護者にいわせれば受験がなくならないかぎりなにも変わらないというわけで、それはそうだろう。
- そうして読みつつものを食っていると母親がこれ見る? と言って録画されていた『NHKスペシャル』を映しだしたのだけれど、それはVillage Vanguardやコロナウイルス状況中のニューヨーク市のジャズをとりあげたもので、このプログラムは先日新聞の番組欄でピックアップされていたのを見かけて見たいとおもっていたものだった。冒頭のみじかいあいだだけちょっとながめたが、Village Vanguardのオーナーであるデボラ・ゴードンという女性がはなしており、また番組の中心的な取材あいてとしてはあとふたり、キーヨン・ハロルドと海野雅威がいるので(キーヨン・ハロルドだって、知ってる? と聞かれたので、もちろん、とこたえたが、そのじつなまえだけで作品を聞いたことはない)彼らの発言やようすがダイジェスト的にながされたり、各所の街角で"What A Wonderful World"を演じたりうたったりするひとびとのすがたが映されたりした。また、街を鳥瞰する画にあわせて、たぶんあれはデボラ・ゴードンの語りだったのか、ニューヨークのミュージシャンたちはいままでずっとこの街を音楽にし、この街の物語をつくり、演奏して語ってきた、まるで神話のように、ということばが語られて、アメリカの連中は言うことがいちいちかっこういいんだよなとおもった。海野雅威は昨年の九月にニューヨークの地下鉄でおそわれて暴行され、腕を複雑骨折したわけだが(「チャイニーズだ、やってしまえ」という声を聞きました、とダイジェストのなかで本人が証言していた)、回復して演奏活動に復帰できたらしい。とても良かった。
- 皿と風呂を洗う。風呂場の窓をあけると路上には淡色の落ち葉を乗せたすきまのない日なたがひろがっているものの、凛と締まった空気の冴えがかんじとられ、ボロボロになった旗の切れ端を触手のようにおよがせている微風とともにしずけさがながれているのが聞こえてきた。浴槽を洗って出ると茶をこしらえて帰室。Notionを準備したあと、さっそく「ことば」ノートから石原吉郎を読み、「読みかえし」も少々。それで一二時半くらいだったか。きのうのことを綴ってしあげ、投稿したあときょうのこともここまで記せばちょうど一時半。
- きょうは三時すぎには労働に出る必要があった。なにはともあれ脚をやわらかくしたいというわけで、寝転がって書見。熊野純彦の本をすすめる。ひじょうに要領よくまとまったカントの批判哲学の解説になっているので、書き抜こうというぶぶんがほとんど切れ目なくつづくようなありさまとなる。二時直前くらいまで読み、それからストレッチもおこなった。二時一五分くらいに上階に行ったとおもう。母親が出勤するまえに「中村屋」のレトルトカレーを食べたのだがそれをはんぶんのこしてくれていたので、大皿によそった白米のうえにそれをかけて(パウチをたたみながらぐにぐにと押しつぶして中身をできるだけ吐き出させる)、電子レンジへ。きょうは自室に持っていくのではなく、すぐに食べ終わるしと卓について新聞を見ながら食べた。このときは一面の記事をざっと読んだはず。アメリカ政府が石油価格高騰をおさえるために石油備蓄放出を決め、日本、韓国、中国、インドと、あとひとつどこかあったとおもうのだが(オーストラリアか?)それらの国にも協力を要請し六か国で備蓄放出をする方針を発表したという記事がひとつ。もうひとつは不妊治療をおこなう夫婦に里親・養子縁組制度についての周知を強化する方針を政府がまとめているというはなし。治療のとちゅうや行き詰まってから情報を提供するとあきらめるよううながされたととらえられるおそれがあるので、治療をはじめるまえに制度についておしえることを原則とし、夫婦の心情をおもんぱかった適切なつたえかたを文書に記述したり、またじっさいに不妊治療をあきらめたさきで養子縁組をおこなったひとの体験談を聞く機会をもうけたりする、ということなどが内容らしい。ただ、里親・養子縁組制度は子どもがほしくてもえられないひとにとっての代替となるのが本義ではなく、あくまで虐待や貧困によって親のもとで暮らせない事情がある子どもを家庭というばしょでそだて生活させるための制度なので、その点を理解してもらうことが必要だし、たがいのニーズが一致するかという問題もありそうだ、とのこと。親元をはなれて児童養護施設などにひきとられている子どものうち、アメリカは八割くらいが養子的な制度によって家庭にはいっているらしいのだが、日本はその割合がまだまだ低いといい、正確な数字をわすれたけれど一〇パーセントか二〇パーセントくらいでしかなかったのではないか。
- それでつかった食器を洗い、下階にかえって歯磨き。そのあいまに(……)さんのブログを読んだ。さいしんの二記事。そうしてきがえ。スーツすがたになるまえにまたちょっと屈伸したり脚を伸ばしたり。準備がととのうと上階へ。さきほど放置していた寝間着などをたたみ、まだあかるいがもうカーテンも閉めてしまって、食卓灯をともしておいた。母親が帰ってくるころには真っ暗になっているはずなので。そうして三時一〇分ごろに出発。近間の路上に日なたはもうないけれど、澄明さそのものである淡い青空に真っ赤に焼けたカエデのこずえがきわだって、くっきり印された赤のかたまりから垂れさがった葉っぱの下端はあるかなしかのながれにゆらいで水色にかこまれながらちらちらしている。見上げれば林の上方、なだれる竹の葉の緑にはまだひかりもとどいており、坂道の入り口あたりにも金色がすべりこんでいた。川のそばに立っているイチョウの木はみごとに東側だけ葉を散らして色をはんぶん剝がされており、肉がだんだん風化して消えていきつつあるむくろのようだった。川水の色も緑の濃さはなくなってもはや鈍い。
- 坂道をのぼりきって街道にむかえばその先にある北の丘の樹々が色変わりしていて、毎年おなじイメージをえるけれど、色つきの砂をまぶして彩色したような、子どものあそびどうぐとしてあざやかな砂で絵を描くものがあるとおもうけれど、そういう質感にかわいて赤や黄を帯びており、その赤さはしかしほんとうは赤とも橙とも直言しがたいような微妙な色あいで、弱くおだやかな赤褐色というところだった。(……)さんの家のまえをすぎればカーブの角付近にススキが群れているそれもみんな穂をゆたかに生長させて、さきがややカールしている洒落ものたちがこぞって道へと張り出しており、なかには足もと低くから生え出てしどけないように路上に伏しているものもある。曲がっておもてにむかうあゆみの脇には斜面のしたから杉の木が伸び上がっているが、その葉は西の陽をあびてずいぶん鮮明な緑につやめいていた。合流点のそばの家にも真紅に染まった木がいっぽんあって、ふつうにあるいてまわりを見ているだけで緑やら赤やら空の青やらどれもくっきり対照しているこの晩秋、こんなに色めいてちゃどうも参るなとおもった。
- おもてみちでは歩道を拡張しているらしい工事がつづいている。ひかりは宙をおよいでいるけれど風もあり、正面からひたいや頬をこする感触はそこそこつめたく、眼球も刺激されて目をほそめ気味に行く。工事現場をすぎて整理員が車を止めている地点もこえたあたりにバスの停車場やゲートボールなどをやる広場があわさった(だからといってたいしておおきくもない)敷地があって、そこにもうけられている簡易トイレが工事員らの用足しの室のようだが、いまその入り口で女性ガードマン(字義矛盾のいいかただ)がちいさな箒を持って足もとを掃除していた。やはりおっさん連中はそういうことをみずからやろうとはしないらしい、女性にまわされてしまうのだろう、とおもった――むろん、こちらが見たこのときだけたまたま女性が掃いていたということもありうるが。自発的にやっているのか、それともしごととして指示されたのかもわからないが、なんとなく前者のような気がしたのだ。
- とちゅうで通りをわたり、裏路地へ。眼鏡をかけているとやはり目のまわりやひたいあたりに負担がかかるような気がするけれど、サザンカの葉のひとつひとつやそこに付されたピンクの花や、丘のほうの樹々のすがたなど、格段に明晰に映るのでそのほうがむろんおもしろい。道に沿ってある家々の庭木の葉の色と粒立ちを見ているだけでわりと充足するようなかんじがあった。空は青のみ、雲は家並みのあいだにときおりひらく南の低みにモールス信号めいてみじかくほそく浮かぶのがひとつ、まっすぐ頭上や北側は、目から飲めるようなという比喩がにつかわしい、無償の青きみずみずしさにみちていて、路上にとおるひとや車もたまにあるしカラスも鳴いてうごきがないわけではないのだけれど、あたりはしずけさと停止の感覚におだやかで、『灯台へ』に書きつけられたウルフのことばを借りるならば、人生がつかの間ここに立ち止まったかのようなみちゆきだった。すこし土手っぽくもりあがったうえをとおる線路のむこうでは林縁から丘のうえまでくすんだ緑がひろがって埋めているが、葉群のおりなしが密なために樹々が遠近に分かれていてもおなじ面でとなりにあるようにしか見えず、奥行きの差をうしなった緑の壁がただざらつきばかりを目につたえてくる。そのうちに男子高校生ふたりの声がうしろから聞こえてきた。いっぽうがたほうに、あしただかアルバイトの面接を受けるというようなはなしをしており、だれもぜんぜん知らないとこならさいあくいつでもやめられるじゃん、いきなりいなくなってもさ、関係ないひとたちだし、とバックレを肯定しつつ、すでにひとつはたらいているのかあるいは過去のことなのか、あそこのバイトはだれだれの紹介で、だれだれのきょうだいもいたし、知り合いがけっこういたからさ、やめらんないよね、しごとぜんぜんつまんないんだけど、みたいなことを言っていた。白猫はくだんの家にいたが、敷地と道路のさかいから奥のほう、家の戸口ちかくにある台のうえに乗っていて遠かったのでかまわず過ぎる。上体を伏せて尻のあたりを持ち上げるという、前方後円墳もしくはひょうたん島的なかたちを白いからだでつくっていた。
- とおりすがりに目にする樹々の葉のどれもひかりをかけられて妙にあざやかで、もうほとんど冬にはいりかけている時季なのにと不思議なくらいで、熱と湿気をはらんで水っぽくぎらぎらした夏の色のつよさではなく、かわきながらも密に充実した表面だった。(……)をこえたあたりで尿意がたまっているのに意識がむいた。茶を飲んだうえにあるいたためだろう。二年くらいまえまではやはり茶を飲んだ日にはあるいているうちにトイレに行きたくなって、我慢できずもらすのではという不安をちょっとおぼえながらもあえていそがず平静をよそおいながら公衆トイレまでがんばるということがけっこうあったが、そんなやせ我慢をすることもあるまいときょうは(……)にはいってトイレを借りることにした。自動ドアをくぐって手を消毒するとすぐ右手がトイレだったのでそちらへ。小便を排出して手を洗い、ハンカチで拭きながらさっさと出た。
- 職場着。(……)
- (……)
- (……)
- (……)そうして退出。駅へ。帰路の記憶はない。
- 帰宅後の休息中に(……)さんのブログを読んだ。前日、二三日付冒頭からの引用。おもしろい。
このような分析の終結のモデルは、ジェイムズ・ジョイスによって与えられている。ラカンによれば、ジョイスは精神分析を実践することなしに、「精神分析の終結に期待できる最良のものに直接到達した」(AE11)。というのは、特に『フィネガンズ・ウェイク』に顕著なように、ジョイスの実験的な作品はもはやその意味を理解することや翻訳することが誰にも不可能であり、むしろその作品からは「それを書いた人物の享楽が呈示されていることが感じ取れる」からである(S23, 165)。つまり、ジョイスの作品は、作品の意味を呈示しているのではなく、作者であるジョイスの特異的=単独的な享楽のモードを呈示していると考えられるのである。ここで表現されている特異的=単独的な享楽は、他の誰の享楽とも共約することができない自閉的な享楽であるが、それでも私たちはジョイスの作品を読むことによって、そこに普遍的な文学と呼びうるものを発見しうる。分析の終結においては、このような享楽のあり方、治癒不可能性の肯定化が実現されるとラカンは考えたのである(…)。
反対に、論文「抵抗」のなかではっきりと述べられているように、デリダにとって分析はつねに終わりなき分析である(Derrida, 1996b, p.49/66頁)。ラカンが述べるような、各主体のそれぞれにおいて異なる絶対的差異(S1)や、症状における特異的=単独的な享楽のモードは、象徴的な知の水準における形式化を免れてはいるものの、それでもひとつの起源を設定する思考であるとデリダなら批判するであろう。そう、デリダが分析に終わりがないと言うのは、「分割不可能な元素や単純な起源などというものはない」と彼が考えるからである(Ibid., p.48/64頁)。デリダは、このような分析の終わりのなさを、症状における「痕跡」というフロイトの――そしてデリダ自身の――概念に見出している。フロイトは、抑圧された表象の痕跡に対してヒステリー者の注意を向けさせようとしたときに、そこに抵抗を感じとっていた。この抵抗は、症状を生み出す原動力であるとともに、その症状を除去しようとする分析の作業にとっての抵抗にもなる。それゆえ、痕跡は分析不可能なままに残りつづけることになる(Ibid., p.45/59頁)。終わりなき分析が要請されるのはそのためである。
先に晩年のラカンの理論を確認してきた私たちにとって、ここでデリダが述べている事柄に、症状がもつ象徴的/現実的な側面という二分法が現れていることに気づくことは容易である。症状の象徴的な側面を取り扱うだけでは、分析は終結にいたらない。この点は、ラカンとデリダの両者がともに同意するところである。ラカンとデリダの相違点は、前者が症状の現実的な側面に主体の特異性=単独性を見出し、それを分析の終結の積極的な条件と考えるのに対して、後者が症状の分析において不可避的に出会われる抵抗と、その抵抗を生み出す痕跡を分析の終結不可能性の理由と考えることにある。
このように、分析の終結をめぐる両者の違いは明らかである。しかし、驚くべきことに、分析家の共同体や、来るべき精神分析のことを考えるとき、ラカンとデリダの意見はふたたび共鳴しはじめる。
ラカンにとって、分析主体が自らに特異的=単独的な享楽のモードに対してうまくやっていくことができるようになったとき、分析は終結する。そして、このまったく特異的=単独的な分析経験が、その分析主体が所属する分析家の共同体のなかで共有できるものであるかどうかを確認する装置が、「パス」と呼ばれるラカン派の装置である。言い換えれば、パスにおいては、そもそも定義上、他者へと伝達することができず、それまで普遍的なものとされてきた分析理論から外れるものであるはずの特異的=単独的な分析経験が、分析家の共同体のなかであらたな普遍として伝達されることができるかどうかが問われているのである。この仕組みは、分析家の共同体のなかで、精神分析というものがつねに新たなものへと変化していくことを可能にするために設けられている。つまり、ラカン派の分析家の共同体とは、ラカンの理論に杓子定規に従いながら精神分析を行う分析家の集団なのではなく、ラカンのつくったパスという装置にしたがって精神分析をたえず書き換えていく集団なのである。あえてデリダ的な言い方をすれば、パスとは、他なるもの(特異性=単独性)を迎え入れることによって、分析家の共同体や精神分析そのものを異なるものへと変化させうるという意味で、ひとつの歓待の原理なのである。ラカン派において分析の「終わりなさ」が存在するとすれば、それは各個人の分析経験のなかに存在するのではなく、むしろ分析家の共同体における精神分析の不断の書き換え、すなわち来るべき精神分析の到来を待ち望む、精神分析の永久革命にこそ存在すると言えるだろう。
では、デリダにとって分析家の共同体とはどんなものでありうるだろうか。デリダの読解によれば、精神分析における「抵抗」の概念は、統一的な意味をもたない。それゆえ、精神分析は抵抗という概念のもとにひとつのまとまった統一体をつくることができない。しかし、この不可能性は、精神分析にとって悲劇ではなく、チャンスでもある。デリダは次のように述べる。分析への抵抗の概念が……統一されえないということが事実だとすれば、その場合には、分析概念も、精神分析的な分析概念も、精神分析という概念そのものも、同じ運命をたどることになるだろう。……精神分析が一つの概念ないし一つの使命のうちに結集されることはけっしてないだろう。抵抗が単一でなければ、単数定冠詞付きの精神分析――ここではそれを、理論的規範のシステムとして、あるいは制度的実践の憲章として理解していただきたい――もないのである。/事情がこのようであるとしても、この状況は必ずしも挫折を意味しない。成功のチャンスもまたそこにあるのであり、芝居じみた嘆き方をするには及ばない。(Derrida, 1996b, p.34/44頁)
デリダにとって、抵抗が分析の終わりのなさとして残りつづけるかぎり、精神分析は――立木康介(2009)の優れた表現を借用するならば――「抵抗の関数」として存在することになる。それゆえ、さまざまな抵抗の数だけ、精神分析は複数的に存在することになるだろう。つまり精神分析は、抵抗の概念とともに、つねに他なるものへと開かれているのである。ここに、来るべき精神分析が到来する可能性が確保される。
いまや私たちは、ラカンとデリダの相違点をより明確に把握することができる。一方では、ラカンはそれぞれの分析主体の分析経験という個人のレベルと、「精神分析なるもの」を定義づける分析家の共同体のレベルを峻別している。そのため、個人のレベルにおける特異性=単独性が、共同体のレベルにおけるあらたな普遍性として伝達されうるかどうかが問題となる。他方では、デリダは個々の分析経験における抵抗の複数性を「精神分析なるもの」の複数性へとダイレクトに接続してしまう。ここでデリダが「抵抗」と呼んでいるものが、痕跡が差異を含んだ反復によって他なるものの到来を可能にするという意味でのデリダ的な特異性=単独性の思考と肉薄していることを考慮に入れるなら、両者の最終的な相違点は、やはり特異性=単独性という概念の取り扱いにあると考えることができるだろう。
(松本卓也『人はみな妄想する――ジャック・ラカンと鑑別診断の思想』 p.424-428)
- 夜も記憶はない。やはり疲労にまけてたいしたことはできなかったのではなかったか。それならほんとうはさっさと寝たほうがよいのだろうが。工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 04 哲学者の夢――コギトの裏面、欺く神の仮説(前編)」(2019/9/11)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v4(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v4))、工藤顕太「「いま」と出会い直すための精神分析講義: 05 哲学者の夢――コギトの裏面、欺く神の仮説(後編)」(2019/9/18)(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v5(https://www.akishobo.com/akichi/kudo/v5))を読みはしたらしい。この連載もなかなか平易にまとまっていながら大事な点はつかんでいる印象で、読みやすい。