学校は、フーコーが「ディシプリン」と呼んだ規律・訓練によって生徒を均質化し、従順で生産的な主体を塑型するということを行うわけですけれども、同時に、すべての学校(end185)は同じような形でディシプリンを行うわけではありません。どの学校にも「校風」と呼ばれるものがあるように、それぞれの学校は自校の教育実践の傾向に見合った「ハビトゥス」を持つ子弟を引き寄せ、選別するという側面を持っています。学校に応じて、そこに受け入れられる生徒の基準が異なっている、能力評価の形式が異なるというわけです。そして、ひとたび生徒たちが入ってくれば、その生徒たちを学校は、その自校の「ディシプリン」に応じて加工変形していくというわけです。そのことによって、生徒たちに、今度はその学校出身者としてのハビトゥスを持たせて社会に送り出すということを行うわけです。
(石田英敬『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、185~186)
- 一一時ごろに覚醒。窓からのぞくのはきょうも水色の晴れの空。すこし経ってから一一時一五分ごろに起床。晴天なのできょうもだいぶあたたかいなとおもったところが部屋を出るとやはりけっこう空気がつめたく、ダウンジャケットを着ないでいたらさむかったので、顔を洗って小便したのみでうがいなどできないまま部屋にもどった。そうして上着を羽織り、瞑想。昨晩は寝るまえに深呼吸しなかったのでからだはそこそここごっていた。すわったのは二五分くらいだったか。歯磨きもしないままねむってしまって口のなかが気持ち悪かったので、それから歯ブラシを取ってきて口内を掃除した。片手間にコンピューターを用意していると左下のアイコンを押してスタートをひらいたときにSpotifyのボタンが目にとまり、無料で全曲フル尺再生、とか書かれてあったので、そうなの? とおもった。それで検索。無料版はシャッフル再生しかできないといぜん聞いたおぼえがあったのだが、どうもそれはスマートフォンのばあいらしく、パソコンなら自由に曲を決めて再生できるというし、利用制限とか聞ける楽曲の範囲制限もなさそうだった。そんなうまいはなしある? とおもったが、あとでじっさいに登録してちょっとつかってみるかと決め、口をゆすいで上階へ。
- 両親はきょう、ゴミ処理場を見学するとかいう「おとなの社会科見学」的なツアーに行っており、居間は無人。ジャージにきがえて台所にはいると、特別に食べ物はなかったので、冷凍の牛丼を食うかととりだして、鍋にかけた。湯煎しているあいだに風呂を洗う。出てくると沸騰していたので火をとめてとりだし、丼の米のうえに肉や汁をかけて、その他即席の味噌汁で食事を取る。新聞には多和田葉子と先般芥川賞をとったという石沢麻依というひとの対談が載っていたので読んだ。多和田はずっとドイツ在住なわけだが、石沢も同様で、あちらで美術の研究をしているという。日本語はドイツ語とくらべると無駄なことばがおおくて、それは人間関係をこわさないようにととのえられたものでそれはそれでひとつよいのだけれど、ドイツ語はそれにたいしてこうおもったらこうというのをはっきり言えるのが気持ちいいですよね、みたいなことを多和田が言ったのにたいし、主体と対象の関係をはっきり明確にいうドイツ語のかんじというのは、むかしの絵画のなかに作者がじぶんのすがたを描きこむあれにちかいんじゃないかとおもう、と石沢はこたえていた。多和田葉子はもう四〇年くらいドイツに住んでいるので日本を舞台として作品を書くのはどんどんむずかしくなってきている、ヨーロッパだったらわたしの魂がさまよっている範囲なので、ベルリンでもパリでもコペンハーゲンでもだいたいどこでも行けるんですけど、と「魂がさまよっている」みたいないいかたをしていた。樺太だったかどこだったかわすれたが、極東を舞台にした篇もあるらしい。ドイツ人はよく「東」というもので、東欧であれ東洋であれどちらでもよいのだけれど、その「東」はいったいどこからがそうなのか、目にはみえないその境界をさぐりたいとおもって小説を書いているのかもしれない、とも述べていた。
- ほか、国際面にはエリック・ゼムールがフランスの大統領選への立候補を表明したという記事があった。現時点での支持率は、マクロンが二三パーセントくらいでトップ、マリーヌ・ル・ペンが二〇パーセントくらいでそれにつぎ、エリック・ゼムールは三位につけて一三パーセントほどという。左派はパリ市長のアンヌ・イダルゴとか複数の候補が出るみこみで、票が分散するからおそらく決選投票にはすすめないと。中道右派といわれる共和党はまだ候補を決定していないが、Guardianでいぜん読んだ記事によれば、支持者のうちより右派的な人間はゼムールや国民連合にながれて苦境にあるらしい。おそらくはマクロンとル・ペンの決選投票になるだろう。あるいはル・ペンがゼムールに食われて男性同士の決選になるか。いずれにしてもマクロンとル・ペンの支持率が現時点でも数ポイントしか差がないので、なにかあればいよいよやばいのでは? という気がする。
- ものを食べ終えて食器をかたづけると茶をつくって下階へ。コンピューターを用意し、Spotifyに登録した。たしかにふつうに再生できる。ChromebookのほうでもログインするとAmazon Musicよりも軽いのでこっちのほうがいいかもしれんとおもい、Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながして音読していたが、三曲目の"Wonderwall"が終わったところでみじかい広告動画がはさまったので、これは邪魔くさいなとおもわれた。それが無料版の制約ということで、べつに一分くらいなのでたいしたものではないのだけれど、ながれがとぎれるかんじはあってなんかなあだったので、再生をAmazon Musicにもどした。Amazon Musicにない曲とかもたぶんあるはずなので、そのあたりのサポートとしてもちいるのがよいだろう。
- それで「ことば」や「読みかえし」ノートを読む。読んでいるあいだきょうは手首を曲げたり足先をつかんで横に引っ張ったりと、柔軟を念入りにやった。とくに脚を伸ばすのはやはりよくやったほうがよい。二時でいったん部屋を出て、洗濯物をとりこみに行き、もどってくるとつづき。ダンベルも持つ。読みかえしに満足するとダンベルを持ったまま(……)さんのブログも読んだ。それからここまで記して三時半。
- この日は休みだったのでたいしたこともなく、あとは簡略的に行こう。『ボヴァリー夫人』をすこしだけ読んでいろいろ気になることはあったがいまは記している余裕がない。五時であがって洗濯物をたたんだり、米を磨いだり、豚肉・タマネギ・ニンジンの炒めものをつくったり。醤油やみりんなどを入れたあと、水気を飛ばしているところで両親が帰宅。その後アイロン掛け。
- そのあとはわりとだらだらしてしまう時間もおおかったが、前日分まで記事を書いて投稿できたのでそれはよかった。もうすこし本や文を読んだり、瞑想したりしたかったところだ。あと、書抜きもしなければならないのだが果たせず。風呂のなかではよく静止して、したの似非短歌はそのあいだにできた。
- 作:
天使から産み落とされて街角に行くあてもなし風の音をきけ
みずからが降る日を知った雨粒のひとつひとつが比喩だとしたら
雨は雨風は風だときみは言い字義を生きつつ神を信ずる
砂浜が暮れる間もなく波は死に地球の嘘をたたえるさだめ
朝焼けがみじかすぎても落ちこむな子午線のさき海が待ってる
- いま三日の午前二時一八分で、昨晩と同様、また地震があった。やはりおなじくらいの揺れかた。