2021/12/11, Sat.

 それにもかかわらず、性懲りもなく安岡の言葉との戯れを反復してしまうのは、その「遁走」の論理が、まさしく弱者の居なおりとか、その場かぎりのとりつくろわれた延命策ではなく、まさに、読む [﹅2] という理由のない彷徨と、その体験に身をゆだねる漂泊者をとりまいている世界のただならぬ気配とを、一瞬ごとになぞり直してくれるたぐいのものだからである。ちょうど安岡的「存在」のように、われわれは、遭遇を避けつつ最も充実した遭遇を成就しているのだが、それは安岡的な「遁走」の論理が、いつしか文章体験そのものの論理に通じあっているからであろう。言葉に、作品に、文学に万遍のない視線を注ごうとするとき、その視界の前にたちはだかるのが安岡章太郎なのであり、いわば文学の畸型化した突出部である安岡的「作品」にいらだつ読者は、それを避けて通ろうとしなが(end196)ら、回避する仕草そのものによって安岡を深い関りを持ち、遂にはその粘りつくような言葉にからめとられてしまうのだ。いらだたしさはいつしか崩壊意識へと変貌し、奥田夫人の瞳に出逢ったときの謙介のガッカリするほかはない印象を共有しながら読者は、一瞬ののち、底知れぬ深みへと失墜している自分に驚くのだ。
 それ故、ここに繰りひろげようとしている「安岡章太郎論」の試みは、安岡的「作品」と遭遇してしまったことの痛みを一つの発条として、その言語活動の中核部まで降下し、ちょうど『海辺の光景』の信太郎が母親の最後につきそったように、どこまでも安岡と歩みをともにすることでしかないだろう。そうした姿勢に徹することによって、安岡章太郎が言葉の海の彼方へと消滅したあとの、「たしかに一つの"死"が自分の手の中に捉えられ」る瞬間のめくるめく爽快感に身をさらしてみたい。その死が、言語の、作品の、文学の同義語としてあるだろうことは、あえていうまでもあるまい。
 (蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、196~197; 「安岡章太郎論 風景と変容」; 「Ⅰ 回避と遭遇の背理」)



  • 九時にアラームをしかけてあった。それで覚醒。携帯をとめると布団のしたにもどる。きょうは空から雲が去った快晴で、ひろげられた太陽のひかりが水色にかぶさって青を希薄にしている。めざめる直前まで夢を見ており、それは古谷利裕がつくった演劇を見ているというもので、なにかおもしろい趣向だったのだけれど具体的な内容はまったくわすれてしまった。九時半には起きたかったのだが、寝床で呼吸しているうちにちょっとまどろみもはさまって一〇時一五分になってしまった。時間がないので瞑想はサボる。
  • 食事はハムエッグ。きょうは(……)および(……)くんと池袋の演芸場に行くことになっている。一二時半の電車に乗るのであまり猶予はない。風呂を洗うと洗面所で髪をととのえた。きのうと同様、いちおう整髪料をつかってあげたりながしたりする。ついでに眉の上端もみじかくそろえておいた。そうするともう一一時。白湯を一杯ついで下階へ。Notionを用意するとひとまずここまで記述。まちあわせは「いけふくろう」でとLINEにあった。「いけふくろう」なるものがあることをはじめて知ったが(池袋で降りた機会など五指に達しない)、さくばんのうちに検索してみたところ、北改札から出て右手にすすめば通路の交差部にフクロウの像があるらしい。
  • 服装は、GLOBAL WORKのあかるくカラフルなチェックシャツを着るのはいつもどおりなのだが、したはブルーグレーのやつではなく、やわらかな褐色の無地のズボンにした。ベルトをとりもどしたのでようやくこれを履くことができる。とはいっても、いちばん端の穴にとおすかたちでベルトをつけてもまだややゆるく、あるいているうちに肌着のシャツの下端がズボンの上端を越えるのがわずらわしかったが。コートはこれもチェック柄の、ダークブルーのバルカラーコート。今冬着るのはこれがさいしょ。一二時すぎに出発。(……)さんが駐車場で掃き掃除をしているのに遭遇したのであいさつ。これからしごとかと問われたので、きょうはあそびに、と笑ってかえした。すすんで坂に折れると、ここでは(……)さんがガードレールのむこうがわにはいって、つかまりながらしゃがみこんで草取りかなにかしていた。斜面になっているところなのであぶなげで、あいさつをして気をつけてとかけたが、本人もよく注意しているようでつねに支えから手をはなさずしっかりつかまっていた。ここでもしごとかと問われたので、きょうは土曜日なのであそびに、とまた笑う。
  • 最寄りで乗って(……)に行くと、先発は見送って(……)を待つ。ベンチはさいしょ埋まっていたのでとりあえず階段のほうにすすみ、下り階段の口を囲む腰くらいまでの壁にもたれ、ひかりの満ちてまぶしい線路上をながめていたが、先発が着くとベンチの客はみな乗っていくので、そのあとに座って本を読んだ。フローベール/山田𣝣訳『ボヴァリー夫人』(河出文庫、二〇〇九年/初出・中央公論社、一九六五年)。しばらく待って目当ての電車が来ると先頭車両へ。電車内では本を読んだ時間はそこまでながくはなかった。けっこう目を閉じて休んでいたはず。さいしょのうち休み、ちょっと読んで、また休んでからさらにちょっと読むというかんじではなかったか。
  • 新宿着。階段をのぼって乗り換え。きのうしらべた行程では湘南新宿ラインが出てきていたので、それで行くかと四番線へ。なんだかんだこの線に乗るのははじめてである。ホームに下りて端のほうへ。列にならび、たしかここで眼鏡をつけたはず。きょうはバルカラーコートにあわせてもう何か月かまえに買っておきながらいちどもつかっていなかったPOLOのちいさなショルダーバッグを身につけてきたのだけれど、そこからケースをとりだして装着。このときはなぜかわざわざ身からはずしてもたもたしてしまったが、ショルダーバッグはからだにひっかけたままものを出し入れできるので楽といえば楽だ。電車が来ると乗って扉際に立つ。池袋までは一駅。発車するまでは横を向いて車内のひとのようすや車外を行き過ぎるひとのすがたをながめ、発車すると手すりをつかみながら扉のほうにまっすぐ向き、そとの風景をながめていた。五分ほどで到着。池袋などというばしょはいままで生きてきてほぼ来たことがなく(ほかの都心の街も同様だが)、前回来たのがいつだったのかそれすらわからない。案内掲示を見て北改札のほうへむかう。そのまえにトイレに寄って用を足し、出ると右に折れてまっすぐ。ひとの波の一片と化しながらすすんでいくと柱があり、そのまわりに待ち合わせのひとびとがおおくつどっていたのでここだなと判別され、フクロウの像は来たほうからは見えていなかったが柱をまわりこむように出るとふたりのすがたが確認されて、あちらもすぐに気づいたので手をあげた。ちかづいてあいさつ。「いけふくろう」の像はネット上で見たすがたとはちがい、いまはカラフルなニット様の帽子などがとりつけられてあかるくかざられており、池袋というより巣鴨を連想させるおもむきだった。なぜ巣鴨をおもったのかわからないが。飾りつけが中高年的センスに見えたのか? ふたりは昼食を食べていないということだったので、ともあれ飯に行こうと。「(……)」という洋食屋がよさそうだというのでなんの異存もなくそれにしたがい、(……)くんについてあるきだした。地上に出て街中へ。道中は(……)とならび、さいきん髪の質をたもちたかめたいとおもっていろいろしらべているというはなしを聞いた。(……)はいままでずっと髪を染めずに黒髪で来ていたのだが、さいきん染髪にちょっと気が向いた瞬間があったらしく、しかし髪質とかどうなるのかなとしらべてみたらとうぜんながらかなりいたむようだし、じっさいに髪を染めているひとを見てもパサパサしていることがおおい気がするので、染髪はせずにつややかさをたもつ方向で生きていこうとおもったらしい(はなしの理解が多少正確でないかもしれないが)。俺も髪染めたいっておもったことないなと受ける。ただ、ずっとおなじかんじだから飽きてきたというか、もっと派手な髪型にしたいとおもうときはあるけどね、と付け足した。派手なってどんな? ときかれるので、派手っていうか、俺いつも近所の美容室でてきとうにみじかくしてもらってるだけだから、なんかもうちょいちゃんとした、みたいなことを言っていると、スタイルっていえるくらいのものにしたいのかとかえったので、そうだねと肯定した。(……)くんはさいきん、駅のなかによくはいっている一〇〇〇円カットみたいな店をためしにおとずれて切ってもらったらしく、まえを行くかれのうしろすがたを(……)が指し示すのを見れば、頭頂のほうはふつうにまるく垂らしつつ後頭部の首にちかいほうが刈られてツーブロックになっており、こざっぱりしていたので、一〇〇〇円そこそこでもあれならぜんぜんいいなとおもった。時間もめちゃくちゃはやかったという。
  • あたりには雑居ビルがさまざま立ちならんでいる繁華街で、ひとつの路地にはいっていってそのとちゅうにくだんの店があり、人気なようで店のまえには先客が何人かならんでいた。そこにくわわって立ったまま待つ。店外の脇にある見本ケースをながめたり、(……)くんがスマートフォンでうつしだしたメニューの画像を見たりしてなににしようかとかんがえる。オムライスもカレーも食いたかったがチキングラタンにすることに。(……)くんはハンバーグで(……)はポークソテー。店内をのぞいたふたりによればテーブル席はなさそうで、カウンターのみだと。三人いっぺんにはいれるくらい空くかわからず、食べ終えた客もなかなか出てこないので、もうひとつ候補になっていたピザ屋を(……)くんが見てくることに。それでかれは出発し、こちらと(……)はそのまま店のまえに立って待つ。すこしさきのなにかの建物から出てきた男性の、黒いトレーナー的な服のうしろに「GUARDIAN」と白文字ででかでか書かれてあったので(左腕のとちゅうから肩のあたりをとおって右腕のほうまでまっすぐしるされていた)、あれ見てみ、GUARDIANって書かれてる、と(……)におしえて笑った。(……)くんが発ってそうたたないうちに客が出はじめて、はいれそうな雰囲気になったので(……)が連絡して呼びもどし、そうして入店。扉の位置は四角形の俯瞰図でいって左下の角で、そこにはちいさなレジカウンターもあり、室内はまんなかあたりからややL字型に(レジにちかいほうを起点とすると右に伸び、壁際でみじかくうえにひらく)厨房がもうけられ、そのまわりをかこむかたちで木目調のカウンターテーブルがひろがっていた。席はそれだけ。たぶん全部で一五席から二〇席ほどだったのではないか。われわれは下辺にあたるならびについた。厨房をはさんだむこう、ガラスのさきに見える店のそとはそこもビルかなにかのなからしく、ゲームセンター的な雰囲気がかんじられるような空間がのぞいていたが、よくわからない。厨房がL字型に折れてうえへ(つまりこちらの位置から見て奥へ)すこしだけ伸びて端までたっしているので、テーブルは円環を完成することなくとちゅうでとぎれており、やや楕円っぽい長方形の線の右下からうえの半分くらいまでは欠けていることになる。背後すぐの壁にハンガーが用意されてあったのでコートを脱いでそこに吊るした。椅子はスツール型のもので、テーブルのしたにものを置くスペースなどはない。それなのでバッグは足もとにじかに置いておいた。こちらや(……)くんがコートを脱いだりしているあいだに(……)がまとめて注文。厨房で立ちはたらいているのは三人の男性で、左側にいたのが見たところではいちばん若く見えたがそれでも四〇代か五〇代くらいかとおもわれ、右側の上辺スペースにはふたりおり、ひとりは店主だろうとおもわれる老齢のひと、もうひとりはひとりめとそう変わらないがすこしだけ年上ではないかと見えるひとで、白い帽子の端からのぞくみじかい髪が白っぽくなっていたので、やはり五〇代くらいではないかとおもわれた。店主は七〇代程度と推定。ほか、給仕や会計の役として、店主のつれあいだろうとおもうが年かさの婦人がおり、店内を行き来して水をはこんだり、そとの客を呼び入れたりしていた。コックの男性はみないそがしく、顔を伏せ気味にしながらつねにからだをうごかして料理をこしらえている。店主のまえにはコンロがあり、意外とおおきくはないフライパンにかるい調子で材料がほうりこまれて火が立ちあがったり、彼がおおきなエビを二本まとめてぶらさげるようにつかみあげ、それもフライパンにいれて揚げたりするのをながめた。上辺にある調理台のうえやその付近にはカゴメのトマトケチャップの赤い缶、ペンキ缶じみておおきなそれが、あるものは上下ただしく、あるものは逆さになっていくつも置かれてあった。
  • (……)は目のまえにいたコックのひとに注文をしたのだが、ちょっとすると彼がそれをおかみさんにつたえて伝票がつくられる。そこでしかし、ハンバーグを注文したはずがオムライスといわれていて、(……)と(……)くんはおかしいなとややざわめいたものの、おかみさんがききかえしたのにもういちどいわれたときはハンバーグになっていたので、確認はせずに待つことになった。女性は注文を取ったあと、フォークやナイフなどを席に用意しにやってきて、こちらはひとりナイフのいらないグラタンなのでテーブルに置かれたのはスプーンとフォークである。このときも(……)くんのまえにはハンバーグ用としてナイフとフォークが置かれた。それでしばらく待ったのだが、しかしけっきょくテーブルと厨房をくぎる台のうえに差し出されたのはオムライスだったのだ。それで(……)くんはえっという顔になり、(……)とふたりでちょっとまごついたあと、おかみさんに声をかけて確認するとそっちはハンバーグで認識していたのだが、コックのひとがまちがえたようだった。(……)くんはしかしいまさらかえるのもと遠慮して、コックのひとに、注文ってオムライスでとおってました? とたずねると、そうだと肯定がかえったので、あ、わかりました、と受け入れることになった。(……)くんよりもむしろ(……)のほうが納得していなかったのではないか。それで機嫌がわるくなったというか、あとできくとかなしくなったと言っていたが、料理を食べているあいだも無言だったし、あれではたぶん気持ちよく味わうことができなかったのではないか。この一連の経過のあいだ、じぶんは完璧に傍観に徹してしまったのだが、食事中も、目当てのものを食べられなかった(……)くん、気持ちをみだされて充足をかんじられなかっただろう(……)の横で、ひとり黙々とグラタンを賞味した。うまかったが、びっくりするほどではない。とはいえ、じぶんの舌はまったく訓練されてはいない。こちらとしては塩気が足りないような気がしたが、おのれの好みに寄せずにもともとの味つけを尊重して味わってみようと塩を振らずに食べつづけた。そうすると慣れてくるもので、なんの風味なのかわからないがなにかしらの味わいがかんじられてくる。総じてスタンダードに、品良くまるくととのえられたグラタン、というかんじの味だったのではないか。正統的な調和にうまくまとめられている印象で、ジャズでいえばMiles Davisのマラソンセッションみたいなイメージ。
  • じぶんと(……)がさきに食べ終わり、(……)くんはあとすこしだけのこっていたが、店もせまいし待ち客もいるだろうしすぐに出たほうがいいだろうということで、さきに会計して出てるわとふたりにつたえて身支度。コートをはおってバッグを身につけ、レジへ。おかみさんは伝票を見つつ、やっぱりハンバーグになってるよね、ごめんねえ、と言ってきたのでいえいえと笑って受ける。三五五〇円だったのだが、千円札を三枚出してさらに一枚追加しようとしたところで、さいごのいちまいは押しとどめられ、三〇〇〇円でいいというので礼を言ってそのようにした。それで退出し、(……)もすぐあとにつづき、(……)くんもまもなく出てきた。残念なことだったが(……)くんはそこまで気にしているようには見えず、むしろ(……)のほうがひしがれていて、店を出た直後に金をわたしてきたときも、じぶんの注文のせいかもしれず悪かったから(……)くんの分もじぶんがはらうといって二〇〇〇円わたしてきた。路地をあるくあいだちょっと涙ぐんでいたので(……)くんといっしょに笑ったが、オムライスが出てきたときのかれの顔がすごくがっかりしたように見えたので、それでかなしくなってしまった、しかし店では感情をがまんして黙々と食べ、「大人な対応」をした、と言っていた。ちなみにオムライスはふつうにうまかったようだ。
  • 時刻は三時半ごろで、四時四五分くらいから演芸場にはいろうということになっており、半端な時間をどうするかと街角に立ち止まってはなし、まあ一時間だけだけれどカラオケに行くかとまとまった。それで移動。「まねきねこ」をさがしていたようだが、演芸場のまさしくとなりに「カラオケルーム歌広場」が発見され((……)は「うたひろ」と略していた)、ここにはいろうとなった。入店し、一時間で手続きし、部屋へ。そのまえに飲み物も用意したのだった。じぶんはジンジャーエール。味噌汁が出てくるらしい機械があり、(……)はそれに目をとめて言及していた。部屋は(……)だった。一階うえだったので階段をあがり、ほそい廊下をとおって奥へ。バッグを置き、上着を脱いで着席。一曲目がすぐに出てくるひとがいればとゆずられたので、じゃあたかくないところでくるりでもうたうかとおもい、いぜんは"ばらの花"をうたうことがおおかったが、"ワールズエンド・スーパーノヴァ"にした。さいきんは家でもうたはあまりうたっていないし、じぶんでうたいながらそんなにうまくないなとおもった。そのつぎに(……)が『創聖のアクエリオン』のテーマ曲(菅野よう子作曲。"一万年と二千年前から愛してる"とサビの冒頭でうたうあれで、ひところ、あれはパチンコの宣伝だったのか、テレビのCMでかかっていたが、その映像のさいごに女性の声で「あなたと、合体したい」という台詞がはいるので、お茶の間で家族といるときにあれを見ると(セックスを連想させるからだろう)気まずい、という声がインターネット上できかれていた記憶がある)。(……)くんは一曲目からやたら音域のたかい曲をえらんで叫んでいた。その後、こちらはthe pillows "Funny Bunny"、"Boat House"、スピッツ "運命の人"とうたったが、高音がいがいと出なくてちからつき気味だった。スピッツをうたっているさいごのほうで気づいたのだけれど、声がうまくミックスになっていなかったのだ。いぜんはふつうにミックスである程度までたかい音を出せていたはずなのだが、ひさしぶりにおおきな声を出したからか、しぜんにそうならず、感覚がつかめなかったらしい。ほか、おぼえているのは(……)くんがうたっていた筋肉少女帯 "香菜、頭をよくしてあげよう"で、これはまえにもうたわれていた。またさいご、こちらがトイレに行ってからもどってきたとき、彼は、へい! らっしゃい! 回転寿司! をくりかえす謎のネタソングをうたっていた。夕闇にいざなう漆黒の天使みたいなかんじのバンド名だったが、あとできいたところではコミックバンドだという。
  • 番をまつあいだに曲を送信する機械をいじって各年代によくうたわれているアーティストランキングを見たが、一〇代のトップ10なんかはもうほぼわからない。たしか一位がAdoで、"うっせぇわ"のひとだということはかろうじて知っているのだが(しかし聞いたことはない)、読みかたが「アド」なのか「アドゥ」なのかすらわからない。三位がOfficial髭男dismで、これもいまだに聞いたことがないのだけれど、このあいだの日曜の昼に『のど自慢』がかかっているなかで新聞を見ながら飯を食っていたとき、テレビからきこえてきた音楽に星野源っぽさをかんじて(イントロのブラスがそんな雰囲気だったのだが、ところが星野源だっていちまいも聞いたことはない)目をあげてみると、それが髭男の曲だった。イントロはそういうわりと洒落たポップスみたいな感触だったのだけれど、歌のあいだはメロディのかんじにおもったよりもJ-POPっぽいな、という印象を受けた。ほかのなまえはぜんぜんしらないものばかりだったとおもう。二〇代も一〇代とほぼおなじ顔ぶれだったが、たしか一〇位になぜかポルノグラフィティがはいってきていた。三〇代四〇代になるとまあなじみのある往年のJ-POPの連中、というならび。
  • 四時半ごろに終了して、会計へ。すむと出て、そのままとなりの演芸場でチケットを買い(窓口は通りに面したそとにあって、もともと今回の落語行きは一か月はやいが誕生日プレゼントとして企画されたものだったので、二五〇〇円を(……)がおごってくれた)、階段をくだって建物の地下へ。地下二階が演芸場だった。ロビーで手を消毒し、受付の女性にチケットを見せる。ホールというか会場は受付のすぐ横からはいるかたちで、すると舞台をうえに置いたかたちの俯瞰図でいって左上のところにはいる。席はどこについても自由で、壁際をたどってあがり、通路(ここにもパイプ椅子で席がいくつか用意されていた)から一段だけおりた列の左のほうにならんですわった。はいっていったときは講談をやっており、プログラムに沿って見た演者をさきにしるしておくと、さいしょは神田桜子というひとだが、われわれがはいっていったときにはこのひとの前座としてもうひとり、見習い的な女性がはなしていたようだったのだけれど、ちょうどもう終わりのところできくことはできず。この見習いのひとはのちほど、さいごの立体講談でも出演したひとりで、立体講談の出演者は師匠である神田陽子と、神田桜子と、あとふたりが「ひな」と「りりこ」とよばれていたとおもうのだけれど、どちらがどちらだったのかはわからない。神田桜子のつぎはバイオリン漫談のマグナム小林で、事前にLINEでバイオリン漫談気になると話題にあがっており、ひとりだけ亭号マグナムだしぜったいやばいでしょとこちらは言っていたのだが、Wikipediaによれば立川談志に入門したものの「2000年8月、上納金滞納のため落語立川流を破門とな」ったとのこと。つぎがプログラムでは三遊亭小笑となっているが、ここはじっさいには三笑亭可風だった。ついで講談の神田蘭、奇術マジックジェミー((……)が気になっていたなまえ)、そしてそのつぎの落語は古今亭寿輔だが、このひとはなんらかの事情で急遽これなくなり、神田桜子が急につなぎをまかされてテンパりながらもういちどあらわれ、つぎの桂歌春の準備ができるまでのあいだをつとめた。桂歌春のあとは「お仲入り」、すなわち休憩がはさまって、三笑亭夢花、三遊亭圓馬と落語がつづき、曲芸のボンボンブラザースがはさまってさいごの立体講談。
  • 神田桜子は一門のなかではまだ歴がみじかいほうのようで、「二つ目」といっていた。この二つ目というのは前座のつぎ、二番目に高座にあがるのでそう呼ばれるらしい。真打のてまえの段階で、いちおう一人前ということのようだ。うえではさいしょの女性を「見習い的な」と書いてしまったが、Wikipediaによると落語家の序列は、見習い・前座・二つ目・真打の四段階らしいので、彼女は見習いではなくて「前座」にあたる。下働きという意味ではどちらもあまりちがいがないようだが、前座になると寄席でのしごとが課せられて、「呼び込み太鼓・鳴り物・めくりの出し入れ・色物の道具の用意と回収・マイクのセッティング・茶汲み・着物の管理など楽屋、寄席共に毎日雑用をこなす」と書かれてあり、たしかにこの日もこの前座の女性が一貫して演者の交代ごとに座布団や講壇(といってただしいのかわからないが、講談師がしゃべるときに置かれる台)をとりかえてセッティングしたり、演者名のしるされためくりをめくったりしていた。神田桜子がはなしたのは「八百屋お七」という演目で、界隈ではとても有名なはなしだという。醜男のいいなずけがいる八百屋の娘お七が、家が火事になって焼けてしまったさい、避難して間借りしていた寺で二枚目の旗本に懸想してたがいに恋し、いいなずけが旗本に因縁をつけて罪を着せようと画策するが失敗してかえってじぶんがつかまる、というすじだった。そこまでは前半で、後半は後日、ということになり、かんがえてみればあたりまえのはなしだが、講談というのはそういうふうに、何日か何回かにわけてかたるものなのだな、と。あたえられた持ち時間で物語をすべてしゃべる(講談師はみな物語をかたることを「読む」といっていたが)ことはできないので、全貌をききたければ連日かようしかないわけだ。神田桜子にかぎらず講談師はみな声優ばりの声色のつかいわけで登場人物それぞれをきわだたせていたが、彼女のばあいはお七の台詞をしゃべるとき、すごくきゃぴきゃぴしたかんじのというか、たぶんアニメ声といってよいのだとおもうが、やや戯画的なくらいそういう声音で演じていて、そのあたり今風というかポップである。
  • マグナム小林はスーツだか礼服だかそういうかっこうでヴァイオリンを弾きながら出てきて、さいしょは"明日があるさ"のメロディを弾いていた(ずいぶんなつかしい曲だなとおもった)。その後あいさつし、いまはふつうに"明日があるさ"を弾きましたけど、このあときちんと弾くことはまったくないとおもいますんで、と述べて、ヴァイオリンでいろいろな音を出す、というネタをおこなった。救急車のサイレンとか、相撲の行司の声とかそういったやつ。後半で、タップシューズを履いてタップダンスをしながら曲を弾くという謎の芸がおこなわれた。タップシューズははじめから舞台上に置かれてあってなんだろうとおもっていたのだが、本人も、タップやりながらヴァイオリンを弾くっていう芸をやってるひとは日本中、というかたぶん世界中でぼくしかいないとおもいます、なぜなら、そんなアホなことをやろうなんてだれもかんがえないからです、と言い、そもそもこうやってひとまえで靴を履くのを見せるっていうのがめずらしい、とつぶやきながら用意していた。曲は三曲くらいあって、さいごのやつが運動会でながされる"天国と地獄"だったことはおぼえている。マジでふつうにダカダカダカダカと足を左右にひろげて移動しつつ靴で床を打ちながら弾いているので、めちゃくちゃつかれるにちがいない芸なのだが、下半身が機敏にうごきまわっているにもかかわらず上半身からあたままではヴァイオリンを固定しなければならないのであまりうごかず、顔もずっとまえを見据えたままなんともいえない表情を浮かべているので、シュールだった。あと、ヴァイオリンを弾きながらそのメロディにあわせて小唄みたいなやつを歌う、という芸がむかしはあったらしく、大正演歌というらしいが、それも披露された。これをやる人間はもう日本全国で数人しかいないといい、そのなかでマグナム小林は最年少だといっていたが、もうすぐ最年長になっちゃうんじゃないかと、ともつけくわえていた。だからほかのひとたちはみな老齢で、そろそろ死んでもおかしくないということだろう。披露されたのは東京なんとかという題の有名なやつらしく、なんとかピッチョンなんとかかんとかパイノパイノパイみたいなおもしろいフレーズが定型としてかならずさいごにくりかえされたが、検索してみるとこれはそのまま"パイノパイノパイ"もしくは"東京節"という歌である。「「パイノパイノパイ」は、演歌師の添田知道添田さつき)によって作詞され大正時代に流行した俗謡である」、「1918年発表[1]。元々のメロディーは、ヘンリー・クレイ・ワーク作曲の「ジョージア行進曲」(Marching Through Georgia)である。同曲は添田によって作詞される以前から、1892年に「ますらたけを」の題で国文学者・東宮鉄真呂の作詞による軍歌が販売されたり[2]、救世軍が街宣活動で演奏するなど[1]広く親しまれていた。これに添田が改めて歌詞をつけたものが「パイノパイノパイ」である」とのこと。くりかえされるおもしろいフレーズというのは、「ラメチャンタラギッチョンチョンデパイノパイノパイ/パリコトパナナデフライフライフライ」と言っているらしい。この枠組みをもとにして替え歌がめちゃくちゃたくさんつくられたらしく、だから全部で一〇〇番とか、それいじょうバリエーションがあるとマグナム小林は言っていた。Wikipediaに載っているカバー版では、「ZAZEN BOYS(2011年、東日本大震災復興支援のための募金サイト「DIY HEARTS」で動画として配信された。また、七尾旅人近藤等則坂田明とライブでセッションした)」というのが気になるというか、この曲で近藤等則坂田明ってどういうこと? とおもう。
  • そのつぎの三笑亭可風は枕で、うちの師匠がかわいいんですよ、もう八〇なんさいなんですけどね、もののなまえが出てこないんですね、というはなしをして、これがおもしろかった。もののなまえを滑稽に言いまちがえてしまうという例を(師匠の奥さんの例もとちゅうからふくめて)いくつも列挙していたのだが、三つ目くらいにいわれていたやつがクソおもしろくて爆笑した記憶がある。ところがそれがおもいだせない。あとでバーガーショップではなしたときにもそれにふれて、あれなんだったかなあと三人で記憶をたどったのだけれど、出てこなかった。そのつぎにいわれたのが、「しゃぶしゃぶ食べ放題」を「たべたべしゃぶ放題」といってしまう、というネタで、それとおなじでなにかのフレーズの前後を逆転させてしまうという例だったとおもうのだけれど、わすれてしまった。はなしの本篇は新作落語かあるいはアレンジだったのだとおもうが、寝つけない子どもに父親が『桃太郎』をかたろうとすると、子どものほうがかえって賢しく父親に物語のコツとかはなしの意味とか教訓とかをおしえはじめる、という趣向のもので、これもおもしろかった。
  • つぎが神田蘭。個人的にはこの日で見た演者のなかで、このひとがいちばんすごいなとおもった。ベテラン勢はだれもそうだが、登場の瞬間から第一声を発するところまでですでにやはり雰囲気とかオーラみたいなものがかんじられ、神田蘭もあでやかな黒さの着物であぶなげなく、堂々と出てきていた。枕のはなしから本篇、そしてそのさいごまで、もっともうまくながれているようにかんじたというか、物語本篇にはいるまえの語りと、物語をかたっているときの語りとで差があまりないようにかんじられた。声色もそうだし、喋り方のリズムもそうだけれど、そのあいだが対等にちかいというか、地の語り(地の文)にすでに文体があったというか。だからといって地の語りがことさらに演技がかっていたというわけでもないのだけれど、ぜんたいをとおして物語と地とで段差がすくなく、なめらかな内的統一性の感覚をおぼえた。それは声音のつかいかたもあるだろうが、もうひとつには、「えー」とか「あー」みたいな、あれも間投詞といってよいのかわからないがああいうつなぎのことば、つぎのことばをかんがえたりまよったりするときにしぜんと出てしまうあれがほとんどなかったのではないか。あるいは多少あったとしても、それもまたかたりの一部分として統合されていたか。ああいう半端なはずのことばや声までもながれのなかに汲みこまれているようにかんじられたというのは、このあとに出てきた桂歌春三遊亭圓馬の落語もそうで、音楽に照らしていえば、演奏のなかで休符にすら必然性があるようにきこえるというばあいにちかいのかもしれない。神田蘭はまた声のつかいわけも抜群で、はなしの本篇は創作のもので、織田信長とその側室だった生駒吉乃の関係に材をとったものだったのだけれど、地の語り・生駒吉乃・その妹・母親・織田信長とぜんぶで五つの声色を、おのおのわざとらしくもせずにしかしきわだて特徴づけながらつかいこなしていた。ちなみに本篇にはいるまえには、古典がききたいか創作がききたいかというアンケートがとられて、じぶんはなんとなく古典のほうに挙手したのだが、こちらの数はすくなく、創作がききたいというひとのほうがかなり多かった。それを受けて神田蘭は、あ、圧倒的におおいですね、じゃあ、古典を、と言ってひと笑い取ったのだけれど、演目はもしかしたらさいしょからこれをやると決まっていたのかもしれない。いずれにしても、そういう客席のつかみかたとかもかなりうまかった。あと、ときおり独身女性であることの自虐ネタがはさまれていた。また、物語のさいちゅうで地の語りにもどり、とうじの側室事情がどうだったとか、生駒吉乃はこういうひとだったといわれているとか、いわば註釈がなされるばめんが二、三回あったのだけれど、それはいっぽうでは物語のながれがとぎれてしまうような気もした。しかしたほう、講談の語りのとちゅうでそういう註釈をはさむというのはあまりやるひとはいないのではないかとおもしろくおもったのだけれど、いま検索したところではふつうにあることらしく、界隈では「引き事」といわれているらしい。
  • マジックジェミー。登場時にQueenの"Crazy Little Thing Called Love"にあわせて出てきて、その音声に声が負けていてなにを言っているのか聞こえなかった点とか、真っ赤な衣装にサングラスをかけた出で立ちとか、一見して色物だったのだが、じっさいにはなかなかどうして、あきらかに場数を踏んでいてかなりこなれた実力者だなとおもわれた。エンタメ的な、笑える芸の見せ方としてそうだということで、観客のほうへ積極的に声をかけにいったり、多少いじるようなことを言ったりするそのやりかたや、全般的な身のこなし、語り口などからそうかんじたのだが、笑える演目としてかなりおもしろく、たくさん笑い声をもらすことになった。いちど、観客に手伝ってもらうマジック(番号が書かれた枠が二列用意されている板に五枚のカードをはめていくもので、マジックジェミーがあらかじめはめたあと、観客がいちまいずつえらんだものをもう一列にはめていくと、二列が一致している、というやつ)がおこなわれたときには、客席にいた年かさの男性を指名し、おなまえは? とききながらあいての返答を待たず、え? チャーリー? と言って勝手に名づけてしまい、チャーリーということにしていた。ちなみにここで客席のようすについて記しておくと、だいたいのところはまあやはり中年高年のひとびとで、われわれがはいったときには同年代の人間はほぼいなかったはずである。ただその後、若者と言ってよい世代のすがたもいくらかあらわれ、なかにひとつ客席左側のいちばんまえについていた一団があって、このうちの男性ひとりがボンボンブラザースのときに指名を受けたのだが、それはまたのちほど。なんか通人的な、目利きの常連みたいな、俺はこれくらいじゃ笑わないぜみたいな、気難しくてえらそうな批評家ぶったようすのやついないかなとおもったのだけれど、一見してそれと目につくものはなし。さきのチャーリーがじつは多少そういう印象だったというか、靴を脱いだ脚をゆるく組みながらややかしいだかっこうで椅子に沈みこむように座り、首をちょっとかたむけながら見ていたので、こいつ常連か? と見ていたのだけれど、指名を受けたときのチャーリーは客席のみなにむかって手をあげてどうもどうもみたいなかんじで愛想よく礼をしていたので、気難し屋ではなさそうだった。もうひとり、こちらのすぐまえの列にすわっていた老人がちょっとそんなふうに見えないでもなかったのだけれど、彼もふつうに拍手をしたり笑ったりしていたので、そうではなさそうだった。
  • マジックジェミーのあとは古今亭寿輔だったのだけれど、うえに書いたとおりなにかの事情で来れなくなって、神田桜子が急遽つなぎをたのまれて、じぶんでもいっていたがテンパったようすで出てきて、いったいなにをはなしたらいいのか、と漏らしつつ、ちょうどはいってきたひとに声をかけて、どうぞおすわりになってください、いまはもう休憩時間みたいなものですから、などと自虐していたが、さっきのつづきは? という客の声を受けると、それはいいですね、と一挙にすくわれたあかるい声を出して、「八百屋お七」のつづきがかたられた。つぎの桂歌春の準備がととのって太鼓が鳴らされるまで、時間がきたら問答無用で太鼓を鳴らしてくださいと言ってあるので、と言っていたが、物語はこれからいちばんのいいところ、というような時点で太鼓が鳴って中断し、桂歌春の落語にうつった。このひとは桂歌丸の弟子だといい、そのなかでも一番弟子みたいなポジションらしく、円楽には気をつけろ、っていうのが師匠のさいごのことばでしたと、歌丸と円楽のおなじみの敵対芸を受け継いで冗談を言っていた。やたらボリュームのある髪は白くて目がほそく、つねに柔和ににっこりしている好々爺というような風貌で、はなしもおもしろかった。枕は江戸時代の長屋ってのはけっこうおだやかで気楽ないいところだったようで、物売りがむこうからやってきていろんな売り声をきかせていたんですね、というようなはなしで、ゴボウとか大根とか蕎麦とか、それぞれの品にあわせてこんな声だったというのをおもしろく披露していた。どうでもいい余談だが、物売りの声というのはじぶんのけっこう好きなテーマで、というのは『失われた時を求めて』の五巻だか七巻だか八巻だかわすれたがそのあたりの巻で出てくる一景物だからで、たしかもうアルベルティーヌといっしょに暮らしている段階ではなかったかとおもうのだけれど、朝にベッドでまどろんでいると窓のそとからパリの街路を行ってエビとかを売っている商人の声が威勢よく飛びこんでくる、みたいな記述があり、それを読んでいらいなんとなく好きなテーマになっている。落語本篇は、題はわからないけれど有名な古典で、年の瀬で支払いがたまっている男が懇意のご隠居に金を借りに行くが、この男が粗忽者というか正直な阿呆で、そのとき妻から言い聞かされた金借りのコツをご隠居のまえでそのままぜんぶしゃべってしまう、というやつ。おもしろかった。惹きこまれたというか、聞いているあいだにふと、いまこの場所にいることをわすれていたな、はなしとかたりの世界にはいりこんでいたなと気づく瞬間があった。
  • そうして仲入り。休憩中はいちどホールのそとに出てトイレで用を足した。プログラム表をもらうのをわすれていたのだが、(……)も(……)くんもここで取ってきていたので、ふたりは帰ったら共有するだろうからあとでいちまいもらおうとじぶんは取らなかった。休憩が明けて三笑亭夢花。坊主で、顔がややほそいようなひとで、わりと軽い、威勢のいいかんじのしゃべりかたをする。じぶんの友人のなかだと(……)をおもいおこさせるようなかんじ。このひとは枕のはなしはおもしろかったのだけれど、その後の本篇の趣向は安直というか、これでよくとおそうとおもったな、というものだった。枕では、落語界に人間国宝というのはいまはいなくて、すこしまえまでいたけれどこのあいだ亡くなってしまった、じぶんは人間国宝をめざす、と大口たたいてかたっており、そういうビッグマウスはけっこうきらいではない。それで人間国宝になった名人の映像を見て研究してみたところ、名人ってのはあんまりうごかない、むやみやたらにからだをうごかさないで、なんだかひょっとやるし、あと声もおおきい声は出さないね、それでふしぎと間をつかむ、じぶんもそういうふうにやってみようとおもう、きょうは人間国宝の予行練習ですよ、そうおもってきいてください、そんな馬鹿なことを、ってみなさんおもうでしょうけど、人生なにがあるかわかんないもんですから、何年かあとに、人間国宝! って、あ、あれだ、あのとき池袋で見た、夢花さんだ、ってね、そういうこともありますからね、だからもしね、何年も経ってもぼくが人間国宝、なってなかったら、それはぼくが、辞退したんだと、そうおもってください、というわけで、ここまではおもしろかったのだけれど、そのあとはじまった本篇というのは相撲を題材にしたもので、むかしの相撲はひとつの場所が一〇日間だったらしいのだが、はなしは街角で出くわした知り合いに今場所はどうだったかときかれる力士が、一日ごとにこうだったとはなすという形式だったのだけれど、そのぜんぶが飛びオチで、つまり毎回いろいろなかたちで負けて土俵のそとに飛ぶというのを、三笑亭夢花がみずから「だーっ!!!」とさけびながら座布団から身を投げ出して演ずるのが一〇回くりかえされるのだ。まずそもそも本篇がはじまって力士が出てきた瞬間に、めちゃくちゃ大声であいさつがなされて、よくこんな声出るなとびっくりしたほどだったのだけれど((……)はちょっとこわかったと言っていたくらいだ)、それはさきほど、名人はおおきな声を出さないと分析しつつじぶんも名人をめざすと述べた言を即座につぶしてみせるというネタだったわけだ。飛ぶうごきにかんしても同様だが、はじめの一、二回まではおもしろかったのだけれど、それで終わらずその後もつづいたので、これで一〇回とおすつもりらしいぞとわかったときには、よくそれでがんばろうとおもったな、とメンタルのつよさにむしろ感心してしまった。ほんにんも飛びながら、なんか拍手がすくなくなってきたぞ、とか、気持ちをつよく持て、とか自虐をはさみながら、大声は張るしからだは飛び出すしでめちゃくちゃつかれたようすだったが、枕の語り口からしてふつうにはなせば実力者だろうに、なんで奇をてらっちゃったの? とおもった。ちなみにこの芸はつぎの三遊亭圓馬によって即座にネタにされ、物語のとちゅうで、なにかものごとが期待はずれだったときの例として、落語をきこうとおもってでかけていったら、ただ飛んでばかりいたとか、ととりあげられていた。
  • その三遊亭圓馬も登場から第一声まで雰囲気があって、とくにしゃべりはじめはたよりないともおもえるような小声だったので、これいまいわれてた名人みたいじゃん、とおもった。枕は落語界もコロナウイルスで苦境で、あのー、なんていうんですか、あの、クラウド、ファンディング、とかっていうね、あれでお金をあつめて、五〇〇〇万円っていうことだったんですよ、目標が、ところがいざあつめてみたら、一億円あつまっちゃった、一億円っていったら、五〇〇〇万円つかっても、五〇〇〇万円まだあまるわけですよ、それでどうすんの? ってね、みんなあたふたしちゃって、というようなはなしだった。その後に演じられた演目は、これも有名というか似たはなしはいくつもあるような、要は買い物をするときにうまく値切ってちょろまかす式のやつで、『時そば』というのが古典にあったはずだがあれと同種でありながらちょろまかしかたはすこしちがっていて、このときのはなしは水瓶を買いたいという粗忽者に買い物上手を自認する男がついていって、無理やり値切ったり、わざとちがうおおきさの瓶を買っておいてもどってきて取り替えたり、そのとき買ったばかりの瓶を下取りさせたりして、店主を混乱におとしいれるというもの。粗忽者や店主が混乱してあげるうなり声のうなりかたが堂に入っていて、いやいやうなりすぎでしょ、というくらいのものだったのだが、うまかった。ぜんたいにどちらかといえば地味な語り口の印象で、笑いが起こるかどうかでいうと、もちろんはしばしで笑いはするものの、そんなに笑えるというかんじでもなかったのだけれど、だからといってつまらないわけではなく、それで、たぶん落語っていうのは笑えるかどうかではないんだな、とおもった。それも重要な要素であることにうたがいはないけれど、もっと多様なもので、演者それぞれの語りのリズムや声色、ことばづかい、かたりも顔もふくめた細部の表情や身振り、舞台にすわってはなしているそのひとが肉体的に放散しているなにかしらの総合的なニュアンスを味わうものなのだろうと。とうぜんだけれど、ひとつの全身的なパフォーマンスであり、舞台芸術であるというわけだ。
  • ボンボンブラザースはもうけっこう年かさのふたり(七〇代ではないか)がやる曲芸で、ジャグリングをやったり、ボールのはいった容器を振ってべつの入れ口におさめたり、というかんじだったのだけれど、なかにひとつ、ほそながい紙を眉間だったか鼻のうえに乗せて、それがたおれないようにバランスをとりながらさきのボール移しをやる、という演目があって、ところがこれがなかなかうまく行かず、おもしろかった。紙はよくわからんがめちゃくちゃ華奢でぺらぺらしたもので、風が吹けばすぐさま飛んでいきそうなのだけれど、意外と鼻のうえでまっすぐ立っており(後半でいちど折れたりもしていたが)、ただもちろん不安定なので演者はうえを向いたままくねくね踊るようにしてからだをうごかし、バランスを取らなければならない。紙がうまくしずまったなとおもったところで演者(ふたりいるうち、こちらがたぶん弟だろうと三人一致したのだが、そもそもじっさいの兄弟ではないのかもしれない)はもうひとり(このひとはだいたいもうかたほうのサポート役で、おおかたものをわたしたり投げたりするだけで、じっさいに演目を演じるのはほぼもうひとりだったので、しごとぜんぜんすくねえじゃんとみんなで笑った。顔も体型も西田敏行に似ており、弟とみなされるほうが失敗すると、ちかづいて額をペチンとやるのだった)が持っていたボールのはいった容器(器はボール四つ分あって、それが前方につきだしているのをうまく振って、てまえにおなじように四つならんでいるほうの器にいっぺんにうつすという趣向)を受け取って、投げうつしにかかるのだけれど、容器をもらうまえにそのときの合図として手をひとつ叩くそのうごきで毎回バランスがくずれてしまい、容器を受け取ろうというところでもういちど態勢を立て直さなければならず、兄の横をとおりすぎて紙をおちつかせようと苦心しながら舞台の端のほうまで行ったりするのだ。紙は何度か落ちてしまっていたのだけれど、くわえて、舞台の端まで行ったとおもったらそこからさらに客席のほうまで来て、なんとかバランスをとりながら場内を一周するということまでやってのけて(しかもそのときさいごに、ひとりの女性のバッグをいつの間にか奪い、ちょっと持ち歩いてから返すというおふざけも入れていた)、失敗したりなかなかうまく行かなくてもそれを笑いに変えられるのすごいなとおもったのだが、たぶんこれもいままでなんどもくりかえされてきた鉄板のながれというか、意図的にそういう方向に持っていっているかどうかはべつとしても、それも込みでの演目なのだろう。そのあとは帽子を投げてあいてのあたまに乗せるという芸がおこなわれ、そこで最前列の端にいた若い男性が指名されて、彼が投げたのをあたまでキャッチしたり、反対に彼のほうが投げられた帽子をあたまに乗るように受け止めるのにチャレンジしたりした。なかなかうまくいかないのだけれど、それでいて雰囲気はダレることなく、男性をかるく叱ったりして笑いを取りつつ、最終的にはいいぐあいのタイミングで成功してまるくおさまった。プログラムには七時四五分からさいごの講談と書かれてあったのだが、時間もぴったりだったので、たいしたもんだなとおもった。
  • さいごの立体講談というのはようするにはんぶん演劇のはいった講談というか、神田陽子が右端で基本の語りおよび大石内蔵助役をつとめつつ、ほかの三人が舞台の中央のほうで台詞をいいつつ多少うごく、というもの。前置きによると神田陽子の師匠がこれをやっていて、じぶんも若いころにこれに出させられてきたえられたもので、なかなかむずかしくて、歴のみじかいうちからやるのはたいへんなのだけれど、可愛い子には、とかね、獅子は子どもを谷から落とすなんていうでしょ、それで弟子たちにも、もうきびしくやっちゃお、とおもって企画したとのことだった。演目は『南部坂雪の別れ』。ぜんぜん知らなかったのだがいわゆる『忠臣蔵』のバリエーションというかスピンオフのひとつで、登場人物は大石内蔵助(神田陽子)、浅野内匠頭の未亡人(神田桜子)、その側近である戸田局、下女でありかつ吉良側の間者である紅梅(さいしょにふれた前座の女性)の四人。『忠臣蔵』などいちども見たことがないのにこわいものでストーリーはある程度知っており、(……)はそのあたり知らずによくわからなかったようだったので(台詞がけっこう古文調だったのも影響しただろう)、あとで(……)にはいったときに説明した。場面は大石内蔵助が吉良邸に討ち入りにいくまえ、今生の別れということで浅野の宅に寄って未亡人にあいさつをするところからはじまるのだが、未亡人は大石が身命をなげうって夫のかたきを討つと信じており、討ち入りはいつかと知りたがる。しかし間者がはいっていることを察知している大石はそれにこたえず、討ち入りなどおもいもよらぬこと、じぶんはもう田舎にひっこんでおだやかな余生をおくろうとかんがえていると通し、未亡人は落胆して退場する。そのあとにのこった戸田局も大石のこころを聞こうとするが果たせず、しかし手慰みにつくった和歌(俳諧だったか?)だとわたされた文書がじつは連判状で、戸田局が寝ているところにスパイである紅梅がしのんできてそれを盗もうとするがつかまって、局は紅梅を刺し殺してそのまま未亡人を起こして文書をわたし、そこに討ち入りに参加した四七人の氏名が記されてあることが判明する。ここでそのなまえは情感たっぷりな調子ですべて読みあげられるのだけれど、それはそこそこ退屈な一段ではあって(『忠臣蔵』になじんでいてそれぞれの武士を知っていれば楽しめるかもしれないが)、またぜんぶひとりでつづけて読み上げるのではさすがに単調にすぎるということか、とちゅうで未亡人は涙にくれすぎて読めなくなり、のこりを読んでくれるように戸田局にたのむという趣向がはさまっていた。この氏名の列挙は、『イリアス』の第二歌だったかの末尾にある戦士たちの一覧紹介をおもいおこさせる。氏名の読み上げが終わると未亡人と戸田局はそろって武士たちへの敬意をこめてあたまを伏せて礼をし、さいごに四人そろって唱和するかたちで口上が述べられて終幕。
  • ぜんたいをとおしてかなりおもしろかった。寄席というものにはじめて来たが、満足のいくものだった。笑える演目もおもしろかったが、やはり落語と講談が興味深く、いろいろなひとのものを聞いてみたいとおもう。形式がかたまっているからだろう。けっきょく、いろんなジャズメンの演奏をきくのとおなじで、かっちりさだめられた形式や構造のうえでそれぞれのひとが特有の官能性とかニュアンスとかを放出するその差異をあじわうのが醍醐味だということだとおもう。落語とかジャズスタンダードとかは芸事のなかでもとりわけ形式的拘束がつよいほうではないかという気がするが、それがゆえにかえって演者の工夫とか力量とか固有性とかが見えやすくなる。ところで講談のひとはたぶん全員、はなすときは口角をおおきくあげて、口を上下左右に機敏にうごかして、いかにもはっきりと滑舌良くしゃべっているというようすだった。落語のほうはあまりそうでもなかったとおもう。
  • 終わると演芸場を出て、時刻は八時すぎだった。どうするかと言っていると手近に(……)が発見され、(……)がそこにはいって感想を語ろうというので了承して入店。店内にはセルフ注文用の機械が用意されていた。はいって脇の左側にそれがあり、そこで機械を操作して注文し、レシートと番号券をうけとって待っていると正面のカウンターへ品物が用意される。これは客のほうも店員のほうも楽でよろしいとおもう。あまり腹が減っていなかったのでじぶんはテリヤキバーガーのジュニアサイズみたいなやつをえらび、しかしポテトは食いたかったのでセットにしたが、バーガーは写真に比して意外とそこまでおおきくなかったので、ふつうのサイズでもよかったかもしれない。じぶんの注文がいちばんにできたのでさきに席をとりに階上に行ったが、三人いじょうでまとまってすわれる席が一見してなく、いまはもうひとりかふたり分でくぎられている。テーブルをつなげるほかなかったのだが、ゆいいつつなげられそうなフロア隅のところに行くと、いちばん隅にある一席はうごかせるのだが、そのつぎのテーブルは固定されていてうごかせず、しかもその横には透明な仕切りをはさんでひとりで来ている女性客がおり、こんな至近で三人ではなしては迷惑かなと遠慮がはたらいた。それでもう一階うえの三階も見に行ったのだけれどこちらは喫煙席もあるからテーブルはよけいにすくなく、どうするかと(……)くんを待ったがけっきょくさきのところをつなげるしかあるまいという判断におちついた。それでおもしろかったね、声のつかいわけ声優ばりだったねとかそういったことをはなした。
  • 一〇時で閉店だったのでそのあたりで退出。帰路へ。帰路は山手線で新宿まで行ってそこから(……)。さいしょは(……)が22:32だったからそこまでまとうというはなしになっていたのだが、それだとふたりが帰るのがおそくなってしまうし、一気に(……)まで行けなくてもいい、ふつうに(……)で乗り換えるわというわけで、ちょうど来ていた(……)に乗車。(……)。(……)まで行ったところで、特快がむかいに来ていたのであれに乗り換えるわと言って別れ。ホームで握手をしてからおのおのの電車に乗り、こちらがさきだったので手をあげてあいさつしながら去っていく。