彼は、一年ぶりにこの外界から遮断された病院を訪れたその翌朝から、「頸にホウタイを巻いた白い半ズボンの男」の存在に気づいている。男は、「甘酸っぱい臭い」のたちこめるこの重症病棟では何か曖昧な特権性を享受しているようにみえる。「軍隊なら内務係准尉によくある顔」をしたこの男は、病院の内部をほぼ自由に歩きまわり、ときには海岸の石垣でボートの修理などしていたりするが、時間がくれば自分からだまって事務室へ鍵をとりにいって、ひとりで薄暗い病室に閉じこもってしまう。「軽症とはいえ、彼もまた狂者の一人だったのだ」。
だが、信太郎にとっては、この男だけが、海辺に位置する病院についての何らかの真実を語ってくれる唯一の人のようにみえる。担当の医師とのやりとりは、必ずしも円滑とはいえない。自分を呼び寄せた父親の存在は、ここではほとんど意識にのぼらないし、克明(end244)な描写の対象ともなっていない。信太郎が父親について語るとするなら、それはもっぱら、母がまだ元気であった時分の思い出ばかりである。とうぜん、信太郎は、ある居心地の悪い孤立感の中で母の死を待つしかない。そして「頸にホウタイを巻いた男」の存在は、その居心地の悪さに対してもっとも直接的な救いの手をさしのべてくれるように思う。この閉ざされた空間を統禦する秘密のようなものに通じていて、正気である人間の誰にもまして、ここで窒息せずにいる手段を示してくれるような気がする。おそらく、無意識のうちに、信太郎はこの男の存在を頼りにしているかにみえる。その意味からすれば、この「軽症の狂者」は、初期の短篇『悪い仲間』に姿をみせる風采のあがらないメフィストフェレス高麗彦に似ているといえるかもしれない。さし迫った危険を回避するとまではいかぬにしても、せめてその到来を遅延せしめる猶予期間を保証してくれる共犯者。そんな役割を、ときおり彼ととり交わす会話を通して、信太郎はこの男の中に見出しているかのようだ。その男が、いま、患者の口にする生真面目な追悼の言葉に戸惑っている信太郎に向って、母親はまだ死んだりはしないと確信をもって断言するのだ。
男は、まず、患者たちが捉えられている錯覚を根も葉もない誤りだと断定する。だがそればかりではなく、医師たちの軽率さをも鋭く攻撃する。「だがわしは、また医者のやつ、馬鹿なことをしよると思いよった。人間が死ぬるときは必ず干潮じゃ。満潮で死ぬることは、めったにありゃせん。医者がそればアのことを知らいで、どうするもんか」。(end245)
人間の生が刻むリズムと宇宙論的なリズムとの相関関係が、生死と潮の干満の一致としてあらわれるというのはしばしば人のいうことであり、この男だけの秘密といったものではないだろう。だが、「この男が病院や医者に対して敵意をもやす」ことの理由をあれこれ考えあぐねている信太郎に向って、男は、「今晩の干潮は十一時すぎだ」と確信をもって予言する。「それまではユックリ寝ている方がいい」。その夜、母親の病院で夢の多い眠りへと引きずりこまれる信太郎は、ふと目覚めて男の予言を思い出す。時刻は二時過ぎで、母はまだ生きている。もしあの予言が本当なら、もう危険は去ったわけだ。そして、いつしか朝になる。母の容態が悪化するのは午前中の暑さが病室をけだるく包みはじめてからであるにすぎない。信太郎は、眠気に抗いながら遅い時間の歩みに耐えている。看護人の無邪気な善意が瀕死の母親の口に何とかジュースの一滴をたらしこもうと躍起になっているさまを、彼は他人事のようにぼんやりと眺めていることしかできない。母は、いきなり苦しげに咳きこむ。医者が呼ばれる。呼吸が止る。「十一時十九分」と医師は腕時計をのぞきこむ。「すべては一瞬の出来事のようだった」。
いっさいが終ってしまってから、信太郎は真昼の戸外に立つ。それはほとんど九日ぶりの体験である。「――九日間、そのあいだ一体、自分は何をしていたのだろう」。どうして自分は、太陽を避けてあの「甘酸っぱい臭い」の漂う病室にとじこもっていたのか。何か、それで償いをはたすといった気でもあったというのか。いまはただ、海の風が、照り(end246)つける太陽ばかりが快い。自分は自由だ、と彼は思う。「そのとき、いつか海辺を石垣ぞいに歩いていた信太郎は、眼の前にひろがる光景にある衝撃をうけて足を止めた」。というのも、そこにあるのは、あの頸に白いホウタイを巻いた男が予言した干潮の海が、その裸の姿を露呈しているからだ。岬に抱かれ、ポッカリと童話風の島を浮べたその風景は、すでに見慣れたものだった。が、いま彼が足をとめたのは、波もない湖水よりもなだらかな海面に、幾百本ともしれぬ杙が黒々と、見わたすかぎり眼の前いっぱいに突き立っていたからだ。……一瞬、すべての風物は動きを止めた。頭上に照りかがやいていた日は黄色いまだらなシミを、あちこちになすりつけているだけだった。風は落ちて、潮の香りは消え失せ、あらゆるものが、いま海底から浮び上った異様な光景のまえに [﹅27] 、一挙に干上って見えた。歯を立てた櫛のような、墓標のような、杙の列をながめながら彼は、たしかに一つの"死"が自分の手の中に捉えられるのをみた。
海辺の光景 [﹅5] は、いま、母親の生命のようにひからびきっている。そのありさまは、まさしくあの「軽症の狂者」の確信にみちた予言どおりといってよい。では、あの頸にホウタイを巻いた男の断言は、この病院を支配する秩序をめぐる唯一の真実に触れていたのか。(end247)だが、信太郎を捉える未知の感動は、実は、予言の適中によってもたらされているのではない。というのも、いまは、夜中の「十一時すぎ」ではなく、真昼に近い「十一時十九分」だからである。その意味で、「軽症の狂者」の予言は半分しか適中してはいない。しかし、衝撃的なのは、この正確に半分適中している [﹅11] 予言そのものである。「軽症の狂者」は、昼と夜とを、律儀な信念によって正反対のものととり違えているのだ。真夜中の浜辺が干あがることと真昼近くの浜辺が干あがることは、決して同じ光景をかたちづくりはしない。それは、ちょうど太った女と瘦せた女のように、あるいは黒い髪と白い髪のように、融合しがたい対極性におさまるべき光景なのだ。ところが彼にとっては、白昼こそがまぎれもない深夜なのである。この正確無比なとり違えが、信太郎をどこまでも怯えさせる。昼を夜として生きる頸にホウタイを巻いた男はおそらく、生を死として生き、死を生として死んでいる存在なのだろう。陰画と陽画とを律儀にとり違えること。これは、ちょっとした不注意が頭脳に犯させる錯覚といったものをはるかに超えた、絶対的な錯覚である。錯覚 [﹅2] というより、ありえない真実とすべきかもしれないこの正確な逆転現象こそ、信太郎を不意撃ちした海辺の光景 [﹅5] にほかならない。「一つの"死"が自分の手の中に捉えられた」とは、こうした正確な逆転現象を、避けがたい生の体験として自分のものとしたということにほかならぬはずだ。だから「軽症の狂者」の予言は、昼と夜とを正確にとり違えることの過激な逆転性によって、正しさを超えた真実 [﹅2] であったのである。K浜の病院に(end248)は、あの男を除いて、正しさを超えた [﹅7] 真実を信太郎に示しえた人間は誰もいない。腕時計の時刻を「十一時十九分」を読みあげる医師は、たんに正しいだけ [﹅5] の真実を語り、信太郎の手の中に"死"を送り込むことはしなかった。そして患者の一人が口にする場違いなまでに丁寧な悔みの言葉も、たんに正しいだけ [﹅5] の弔辞を模倣しているにすぎない。
おそらく「文学」とは、あの「軽症の狂者」が口にした正しさを超えた [﹅7] 真実によって人を不意撃ちするものだろう。そして、昼と夜といった陰=陽の逆転が、当事者の意志をこえた有無をいわせぬ力の顕現として生起する一瞬のできごとこそが「文学」なのである。しばしば安岡章太郎の作品が分類される「私小説」といったジャンルも、それがたんに正しいだけ [﹅5] の真実を語っている限りにおいては、読者を感動させることはないはずだ。そして『海辺の光景』の感動は、そこに描かれているのが作者の個人的な体験であると否とにかかわらず、たんに正しいだけ [﹅5] の真実ではなく、正しさを超えた [﹅7] 真実が文字通り「手の中に捉えられ」る点に由来している。その意味で、「作家」とは、ちょっとした思い違いからくる修正可能な錯覚ではなく、昼を夜として生きる絶対的なとり違えの才能に恵まれたあの「軽症の狂者」のようなものかもしれない。「作家」が何かを予言しうるとするなら、それは正しいだけ [﹅5] の真実ではないはずだ。そして『海辺の光景』の安岡章太郎は、正しさを超えた [﹅7] 真実を口にしうる数少ない「作家」の一人だろう。
(蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、244~249; 「安岡章太郎論 風景と変容」; 「Ⅲ 作品=作家=文学」)
- 八時五〇分ごろに覚醒。しかしすぐには起きられず、寝床にとどまって瞑目のなかで深呼吸をつづけた。一〇時五分で離床。きょうの天気は晴れで、きのうとはちがって雲もまったくない、水色の満ちわたった快晴だが、さすがにこの時期になると寝床から窓を見たときの九時台の太陽の位置がかなり低くなっている。水場に行ってきてから瞑想。一〇時一二分ごろから四〇分まで。さいしょにしばらく深呼吸をしてから静止。まあまあよろしい。
- 上階へ行き、ジャージにきがえると屈伸をくりかえして脚を少々うごきやすくする。窓のそとは晴れやかで近所の家の側壁が陽を受けているその色などなにか目にとまるが、瓦屋根に乗る白さはやはりもう水の溜まったような液体質のつやはおびていない。食事はハムエッグと即席の味噌汁。山梨から葬儀関連の連絡はまだないという。きょうは新聞が休みなので、きのうの一面を読んだ。内閣府に経済安全保障担当室(仮称)というものが新設される予定で、インフラにかかわる物資の供給網整備などをになうとか、日本大学元理事長の背任および脱税容疑についてとか。あと、中部空港に滑走路が二本、新設される予定とか。現在の滑走路の東側に一本、西側には埋め立てをしてもう一本つくられるといい、さきに東のものをつくって老朽化したいまの滑走路を修復し、その後は二本体制でいきながら将来の航行増加にそなえて三七年くらいを目処に三本目をつくると。
- 食後、皿をあらって風呂もあらい、さらにストーブの石油を補充するためタンクをもってそとに出た。家のすぐまえや勝手口のあたりは日なたがとどいていない。大気の感触じたいはさほどつめたくもないけれど、風はよくあってそうするとやはり首もとがたよりないのでダウンジャケットをうえまで閉ざす。ポンプが石油を汲むのを待つあいだ、開脚してからだをひねりながらあたりに目をやると、東の坂道に接した木立のうえではトンビが一匹たいらになりながら青い宙を切ってまわり、風は林を鳴らしつづけて、黄色オレンジ緑の葉群が明暗をふるわせながらこまかくうねって揺動するそのうえを、つぎつぎとはがされこぼれていく葉っぱたちがスローモーションの雨のように、こずえの鳴りに比して緩慢すぎるようなゆるやかさでながれおちていく。
- なかにはいると蕎麦茶をもって帰室。Notionを支度し、LINEやウェブを確認したあとここまで書いて正午すぎ。
- 「読みかえし」を読んだり書見したり。「読みかえし」ノートにあつめてある引用を読みかえすときはいつも音読していたのだけれど、べつに再読できれば黙読でもいいなという気分になって、きょうはあまり声を出さなかった。そのほうがとうぜん楽ではあるので、きょうはけっこうながめにやって、203番から213番まで。だいたいプルースト。ただ、ほんとうはやはり舌と喉をつかってことばを発したほうがよい。『ボヴァリー夫人』のほうはさしたることもない。170くらいまですすんで、そろそろエンマとレオンの不倫がはじまりそうなあたり。きょうは書見のほうも、べつにそんなにこまかく注意して読まずにただしぜんに楽に読めばいいやという気分でゆるくなった。だからすこしだけ気になる文言もないではなかったが、メモも取っていない。油断すると読解欲が出るというか、なにかおもしろい読みをできないかなという虚栄心がはたらくのでよくない。
- きょうはわりとはやめに、三時ごろだったかで食事を取った。母親が昼にカップうどんを鍋で煮込んで食べたあまりがあったのでそれと(母親はカップうどんやカップ蕎麦を容器でつくらずにわざわざ鍋でぐつぐつやることがおおいのだが、それはたぶん、くたくたなほうが好きだからということなのだとおもう)、やはりのこりものの炒めもの(菜っ葉やひき肉と蕎麦茶用の蕎麦の実を混ぜたもの)と米。そのまえ、二時には洗濯物を取りこんでたたんだ。三時までのあいだにストレッチもおこなった。エネルギーを補給するともう歯をみがいてしまい、上階へ行って食器をかたづけたあと、麻婆豆腐と味噌汁をつくっておくことに。豆腐がふたつあって両方三〇〇グラムであり、ぜんぶ入れるとおおいなと麻婆豆腐(味の素CookDoの四川式のやつ)のパッケージ裏を見ると材料欄には三〇〇~四〇〇グラムとあったので、片方(絹のほう)は半分味噌汁に入れることにした。ほか、白菜もすこしだけくわえることに。ひき肉を炒めて調理するタイプの品なのだが、冷凍の廉価なひき肉がほんのすこししかなかったので。豆腐は手のうえで切って鍋に入れ、湯通しした。白菜を切ってひき肉とともに炒め、麻婆豆腐の素をくわえると豆腐をザルに取ってフライパンに投入。混ぜてOK。弱火でそのままちょっと煮込むいっぽう、タマネギとはんぶんのこしておいた豆腐を切って小鍋に。麻婆豆腐は完成として小鍋を煮立たせているあいだ、乾燥機をかたづけて洗い物をしたり、洗濯物ののこりをたたんだりした。それから味噌を溶かしいれて完成。さきほど洗って乾かした食器類をもう棚にもどし、ふたたびつかったものを洗って流しをかたづけて仕舞い。
- 時刻は四時すぎだった。白湯を持って帰室し、一一日の日記を一五分かそのくらいだけつづり、トイレに行ってくると瞑想。出勤前だったのでみじかく一三分ほどで切って、四時五五分。スーツにきがえた。コートやマフラーを持って上階へ行き(居間のカーテンはもうさきほど閉めておいた)、出発へ。玄関を出てポストの新聞などを室内にいれておき、五分だけ家のまえの落ち葉を履いた。階段を下りたところの付近、家屋のきわに吹きあつめられたものがたくさんころがっていてどうしようもない。塵取りにどんどん掃きこんでいき、林のほうに捨てに行って、そのきわのあたりだけかろうじてかたづけた。そうして道へ。はんぶんくらいの月が白々と直上付近にかかっており、星もいくつかまたたいて空は快晴のまま暗んでいる。(……)さんが家のまえで掃き掃除をしていたが、暗かったのであいさつはせず。木造の家屋の横に飼い犬が出てすわりこんでおり、犬が鳴き声をあげるのに、もう出た? とか、はやくしなよ、とか声をかけていた。十字路てまえから正面にのぞむ西の空は、もう青さもなく澄んだ鈍色というような、金属板の表面としての質感をおびはじめている。
- そういえば先日買った真っ黒な革靴を履きはじめており、この日で二回目だったわけだが、問題なくなじんできた。足にぴったり合っていて、圧迫感とかこすれるかんじとかもなく、まだあたらしいので踏み心地がすこし不安定だが、支障はない。坂道には枯れ葉がおびただしく散らばっており、新調した靴でそのうえをあるくとすべりそうだったのですきまをねらって避けるようにしたけれど、そろそろ靴裏も多少よごれて、そこまですべらないようになったのではないか。
- 最寄りで乗り、着席して瞑目。着くと改札を抜けてSUICAにチャージ。それから職場へ。勤務。(……)
- この夜、めちゃくちゃひさしぶりのことで一年前の日記を読んだのだけれど、二〇二〇年の一二月一三日は記述がなにもなかった。ただ手の爪を切ったみたいなメモがひとことのこされていたのみ。ぜんぜんおぼえていないけれど、去年のこのころもいまとかわらず日記に苦戦していたらしい。それでブログに投稿していない日もけっこうあるようだ。翌一四日を読んでみるとそのあたりふれられていて、やっぱりできるだけ楽にかるく書けるようにしなければみたいなことが書きつけられてあって、言っていることがこのあいだのじぶんとまったくかわっていない。進歩がない。