2021/12/17, Fri.

  • この日は休日。おおかたは前日のことをつづるのについやしたはず。ほか、「読みかえし」ノートはわりと読み、翌日の準備をした。ワイシャツにアイロンをかけておいたりとか、ネクタイをとりだして礼服とひとところにまとめておいたりとか、その程度のことだが。あと、Sam Wilkes『Wilkes』をきいた。瞑想じみてじっときいたのだけれど、しかしけっこうねむくなってしまい、あまりしっかりききとれず。アンビエントのはいった現代ジャズで、むかしのフュージョン的なものを消化しながら今風にしているみたいな感触があったり、アンビエント的でありながらもいがいとオーソドックスにやっているところもあったり、という印象がのこっている。Sam Wilkes『Live On The Green』もきいたが、これはながしただけなのであまり認識してはいない。Sam WilkesはLouis Coleとなかまだし、LA方面のジャズ(ひいてはアメリカの現代ジャズ)はいまこういうのがたぶん先端のひとつとみなされているのだとおもう。Sam Gendelもそう。ただ、Sam GendelとかSam Wilkesなんて、じゅうらいの現代ジャズのファンのなかでもあまり知られていないような気がするのだが。現代ジャズといってもめちゃくちゃ多様化しているし、なんか九〇年代あたりからのながれを追っているファンがきくような路線とはだいぶちがうんじゃない? という。Jazz The New Chapterまわりのひとびとなんかはこういうほうをむしろよくきくのかもしれないが、そうはいってもそちらともなんかまたちがうような、みたいな。ちなみにSam Gendelは折坂悠太のアルバムで客演しているらしい。
  • この日だか前夜だかに(……)と電話して、翌日は(……)駅で一時にまちあわせることになった。俺ふつうのスーツなんだけどいいかな? ときくので、まあそのへんはいまもうわりとゆるいだろうし、いいんじゃない? とこたえておいた。あと、ぜんかい(……)や(……)に会ったときのことをおもいだしておこうとおもい、Evernoteをさかのぼってその日の日記を読んでおいた。(……)とは(……)の結婚式いらいなので、二〇一六年の七月三〇日いらい(こんかい結婚する(……)もそう)。(……)とはその後いちど、二〇一八年のおおみそかに会っている。二〇一六年の七月三〇日というのは小池百合子がいちどめに当選した東京都知事選の前日で、東京駅付近のホテルで式があったのだけれど、その後二次会までのあいだにちかくの茶店にはいって、都職員である(……)に小池のまえの知事だった舛添要一の評判とか、しごとのこととかをいろいろきいている。二〇一六年七月三〇日はたしか一五〇〇〇字くらい書いていたとおもうので、とうじとしてはおそらく最長だろう。一六年のじぶんをかんがえると、かなりがんばっている。とうじはまた、まだ段落方式を採用しておらず、さいしょからさいごまで改行なしでひとつづきにつづるかたちをとっているが、これは日記を書きはじめた一三年の夏にガルシア=マルケス『族長の秋』にぶっとばされてその形式を踏襲したものである。一六年くらいにはもうかんがえていなかったとおもうが、一四年とか一五年あたりのじぶんはマジでガルシア=マルケスみたいな過不足ない端正な文章と一定のながれかたを日記でやりたいとおもっており、『百年の孤独』のアウレリャーノ・ブエンディーア大佐が死ぬ一日をなんども読みかえしてこのリズム、この雰囲気をだしたいと努力していた。二〇一八年のほうは高校時代に(……)や(……)さんにもらった手紙を処分するまえにその文言を日記に書き写したりしている。それで急におもいたって(……)に連絡するとちょうどきょう帰省するし時間があるというので(……)で会い、鬱病で死んでいたことをはなしたり、あいてのしごとのことを聞いたりしたあと、カラオケに行っていた。