2021/12/18, Sat.

  • 作(26:40): 「個体とははかなさからのおくりもの窓はいつでも雲にやさしい」
  • (……)の結婚式の日。一一時半の電車で行く予定だったのでアラームは八時半。九時すぎに離床。瞑想をした。食事をとったりなんだりするともう一〇時すぎで、猶予がない。一六日の記事をわずかに書き足してしあげることだけしておいた。Yahoo!の路線案内で電車をあらためてしらべると、中央線がおくれているという情報が出てきた。二〇分かそこらおくれているというので、一時のまちあわせにはまにあわない。しかも一時半までにはご来場くださいということだったから、ギリギリになってしまう。身支度をしながらしばらく待って、路線案内のページに表示されるさいしんのTwitterのつぶやきを見ていたのだが、おくれをとりもどして平常運転になりそうな気配がなかった。それでしかたがないので(……)で迂回していくかとおもったのだけれど、こちらはこちらでけっきょく二〇分くらい余計にかかり、おなじことになってしまう。それでも中央線は満員電車だというつぶやきがあったのでそれは避けたいとおもって(……)に決定、(……)に電話してその旨しらせた。
  • 出発。まぶしい晴れの日。道を行っているとひかりのむこうで脇の細道から出てきたひとがあり、それが父親だったので行ってくると目をほそめながらあいさつ。最寄りへ。乗って扉際。(……)で降りると乗り換え。まえのほうへ。着席して瞑目にやすむ。(……)まで。また乗り換え。改札を抜けて(……)のほうへ。はいってホームに下り、さきのほうへ。陽のあたっているばしょにたちつくして電車が来るのを待った。目のまえの線路帯にはススキなのかそのたぐいの植物がたくさん群れて生えており、おだやかな茶色というか希薄化されたカラメルソースもしくは鼈甲飴のような色を穂にうつしだしており、ひかりを透かしたり露があるのかところどころに点として溜めたりしているそれらが微風にさわさわと、しばしばおどるようにこまかくうごめき、視線をとおくのほうへふればべつのホームで電車を待っているちいさなすがたのひとびとが、あるものは停止しあるものはゆっくりあるきながらゆれ、あるものは立ち止まったままなにかこまかく動作しているのがてまえのススキとおなじくひとつの風景と化している。さらにさきの空は青さをたたえつつ不定形のおおきな雲も抱いているが、上端をホームの屋根にくぎられながらはるかかなたで空間全体の背景となっているそのひろき天空は、果てしない距離のむこうで超越的な平面にえがかれた巨大な絵図のようにしかみえず、このばしょが天と宇宙にむけてどこまでもひらかれているのではなく、その壁画にかこまれつつまれているようにかんじられる。ホーム間を移動するための通路をなかにおさめて横にほそながく宙にかかった駅舎は白い壁のうえに一面さらにひかりを塗られており、鳥が三匹、青空にあらわれると、いのちをもった皿のようにしてときおりひらめきつつ複雑に交錯しながら駅舎のうえを飛び去っていった。太陽はややひだり寄りの天頂から陽射しをそそいで額があたたかく、同時に線路のレールもひかりによって凍てついたように純白を詰めてかがやくので、その反射線まで顔にとどいているような気もされて、風が吹けば肌がつめたいけれどそのなかにぬくみも消えずのこってとどまり、ながれがやめばまたあらわれる。ススキの群れに再度目をおとせばてまえ側のその縁の地面にはオオバコのたぐいか、カエルの轢死体めいてぐしゃりとつぶされ貼りつけられたようなかたちの緑の草が根づいていて、そのうえをススキの穂影がゆらゆらと何本もふるえてあそぶ。
  • 父親とおさない男児のふたりがひだりがわ、ホームのいちばん端のほうまで行って来たる電車をながめるようすだった。鼻面の青い電車がやってきて入線するその顔をこちらもながめ、顔が目のまえをすぎるとホームじょうにかかって待っているひとをすっぽりつつみこみながらながれていく幅のある帯状の影がじぶんやほかの客を通過していくのを見た。乗車。やはり瞑目して休む。とちゅう、携帯で(……)とやりとりしたがそれいがいはずっとそう。おかげで心身はわりとすっきりととのいはした。(……)で降車。いまやなつかしき(……)(といってじぶんは大学時代にはおおかた(……)まで行ってしまい、(……)からあるいていくこともその周辺であそぶこともほとんどなかったが)、そしてなつかしき(……)である。地下鉄にうつって電車を待ち、乗車。13:17に飯田橋着のつもりでいたのだが、来る電車が13:15なので二〇分をすぎてしまうと(……)にメールしておいた。車内では空いているのに扉の脇に立って待ち、飯田橋でおりると電話をかけた。JRのほうにあるいてきてくれれば行き会えるというのでそれにしたがって案内板をみながらあるいていき、改札をぬけるとすぐそこにふたりが立っていた。なぜかこちらのすがたを発見するとわらっていた。おひさしぶりです、と(……)とハモってあいさつし、ともあれ時間もないしさっさと行こうということで地上へ。(……)が携帯をみながら先導するのでそれについていく。あるくあいだ、(……)とは(……)の結婚式いらいだなとか、(……)とはそのあとにいちど会ってる、とか言って確認する。
  • 式の場所は(……)。通路をはいっていき、参拝客がいくらかならんでいる本殿のまえをすぎて併設されている「(……)」へ。はいって消毒と検温をし、さらにとびらをくぐってまず左手のクロークにコートをあずける。番号札をうけとってポケットに入れておき、フロアの奥にいくとQRコードでなまえをおくる受付があった。(……)が読みこんで三人分おくる。ロビーにはもちろん座席もあるわけだが、われわれはそちらに座らず、エレベーターを間近にした壁のちかくで立ったまま待機(壁にはふたつ絵がかかっており、ひとつは鳥をえがいたものでもうひとつはわすれたが、どちらもさすがに趣味のよいかんじの絵だった)。しばらく多少の立ちばなしをした。(……)は離婚したらしい。(……)は予想していたといい、しょうじきこちらも離婚していたとしてもおかしくないなと事前にちょっと発想してはいた。でも子どもいたでしょう、とむけると、子どもともぜんぜん会っているし、むこうも名字を変えていない、いわば円満離婚だというこたえがあった。どんな事情や判断があったのか知れないが、いろいろあったもようで、まあはなれたほうがうまく行くということになったのだろう。結婚は俺はもう二度といい、と(……)は言っていた。結婚までのおなじ段取りをまたやろうとはおもわない、めんどうくさすぎる、と。そういうわけでいまはひとり身なのだけれど、あとできいたところでは恋人はいるらしかった。会社の上司に紹介してもらったと言っていたか。ただそれも、相性どう? ときくと、まあふつう、みたいなややそっけない調子だったので、つきあいにそんなに熱心ではなさそうだった。いないよりはたのしい、くらいのかんじなのではないか(この問いをなげたのはのちほどカラオケでのことだったが、返答を受けて(……)は、ひととおりあそんだらポイだから、と人聞きの悪いことを言っていた)。(……)のほうは、二〇一八年の末に会ったときに連れ合いが妊娠したということを報告され(不妊治療を二年つづけたすえの子だと日記に記されてあった)、その後一九年の六月だかに、労働後の駅で携帯を見ると生まれたとメールがはいっていたことがあったが、その子はしたがって二歳半、さらにもうひとり生まれたという。のちに披露宴も終えて「(……)」を出たとき、(……)が満月に気づいて月がめっちゃ白い、とみあげたが、それでおもいだしたのだろう、子どもはふたりとも「月」の字をいれたなまえにしたらしい。うえの子が「(……)」、したの子が「(……)」といっていた。ほか、(……)*は太ったらしく、見てみればたしかに顔立ちがややふっくらとした印象。体重をきくと七六キロと言っていたか。(……)は六五キロくらい。じぶんはさいきん量っていないが、たぶん変わらず五五キロから五七キロ程度だろう。
  • じきに式がはじまるころあいになって、案内がはじまったので、それにしたがってエレベーター横の本殿のほうにつづく通路にはいっていく。木造の建物のなかにうつり、あたまのあたりに鴨居というか横柱がとおっている通路のとちゅうでストップ。新郎側の人間と新婦側の人間とで左右に分かれてならぶのだが、はからずもじぶんが新郎側の先頭になってしまい、しまったな、はやばやと来るんじゃなかった、ほかのひとびとにゆずってようすをうかがってからはいるんだった、とおもった。先頭じゃん、と(……)も言うので、先頭に立つような人間じゃないんだが、ともらすと、貴重だぞ、あんまりできる経験じゃないというのでそれはそうだがと同意。しばらく待っていると、こちらが立っていたのは通路の交差点(T字型)だったのだが、ひだりにひらいたほうの廊下から和装の(……)がやってきたので、あ、と気づき、どうも、とかわした。ここで? こんなにはやく会うとはおもわなかった、と三人で笑う。着物姿の女性スタッフになんやかんや言われたりよそおいをととのえられたりしている(……)に、緊張してる? とほうってみると、いや、ぜんぜん、という返答があった。もういろいろあっというまで、緊張してるような暇がない、とのことだった。そうしてまたしばらくしてから式の開始へむかう。まずさいしょに(……)と新婦、そして親族方が発って廊下を移動していき、そのあとからわれわれがつづく。はじめに手水というか手を清めてもらうということで、移動していった先に巫女がひかえており、彼女らが柄杓で汲んだ水を手に受ける。荷物があるかたは片手だけでもかまわないということだったので、こちらも右手のみに受けた。手を拭く用の紙をわたされてぬぐい、すぐ脇にあったゴミ箱というか紙を捨てる用の容器に捨てて、さきへすすむ。横から本殿にはいるかたち。中央をあけて祭壇にむかって左右に席が用意されていて、新婦の関係者が祭壇をまえに見てひだりがわ、新郎のほうは右側につくということだった。本殿につうじる入り口はひだりがわにあったので、われわれははいって奥のほうにすすんでいき、親族関連をのぞいてはこちらと(……)だけが前列に、(……)とそれいこうの参列者は後列にじゅんばんにすわっていった。椅子は簡易的枠組みに紫色の布を張ったというか巻いたというかそういうたぐいのちいさなもので、たとえば釣りをやる人間なんかが似たものをつかって護岸なんかですわりながら竿を持ち糸を垂らしているイメージがあるがああいうもので、したがってなんとなくたよりないようで、じぶんなどは立つときにも毎回ちょっと縁のあたりに手をふれてわずかな支えをもとめてしまったし、すわるときにも尻のすわりが決まらないようですこしばかりもぞもぞした。そこへ行くにひだりとなりの(……)は起立をもとめられれば両膝のうえにまるめて置いていた拳をそのままに脚のちからだけでざっとすばやく立っていたし、すわったあとも尻をうごかしたりはせず安定感があって、さすがバスケットボールをやっていた体育会系、活力的である。めのまえには台のうえに酒をそそぐためのさかずきや、あれはがんらいの正式な熨斗ということか、ひろめの三角形の紙にしなびた貝の薄片みたいなものがふたつ(ふたつともおなじ種類なのではなく、べつの見た目)くっついたものが置かれてあった。こちらの位置から見ると台のむこうはスペースがあけられた中央部分で、みぎてにあたる祭壇に正面からむかったばあいのまた中央あたりの左右に新郎と新婦の座がもうけられており、ふたりはむかいあうかたちでそこにつく。こちらがわにすわるのが新郎で、じぶんの席から行くと右ななめまえのところに(……)のうしろすがたが見えることになる。そこからひだりて、本殿がそとにひらかれているそのてまえには司会進行役の宮司でいいのか、男性スタッフがひかえており、そばにはまたのちほど新郎新婦がそろってすわることになった席があり、みぎての祭壇のほうにも、あとで玉串を奉納した台があった。正面のスペースをはさんでむかいがわには、われわれと同様、新婦側の関係者が前後二列になってならんでいる。司会進行役の指示にしたがって立ったり座ったり、あわせて礼をしたりするわけだが、序盤にけっこう立ってあたまをさげる時間があった。とくに祝詞を読んでいるあいだがながく、立ち上がって祭壇のほうをむいてずっとあたまをさげているとつかれてくるというか、バランスがすこしゆらいできたので、まあそんなに角度をつけなくてもいいだろうというわけで首のかたむきをゆるくして、顔を伏せるくらいに調節してがんばった。祝詞はかしこみかしこみ~、みたいなことをたびたび言っているあれだが、それを述べる神職男性の声はちいさく、たよりないようですらあって、おもおもしいというかんじではまったくなく、これはほかの発言者も同様だった。つまり司会進行役にしても、このひとはまあふつうの発声だったがことさらに声を張ったりはせずにしずかな口調だったし、のちに宮司なのかなんかえらい立場らしい神職が出てきて祝いのことばを述べたときも、ずいぶんしずかな声で、フレーズの終わりがひっこんで聞き取れないことすら何度かあった。(……)のほうは祭壇にむかって誓詞奉上をおこなったわけだが、これは着物のふところにおさめておいた紙をひらいて読み上げるかたちで、あとできいたところでは礼をしたときにこの紙が落ちそうになってちょっと動揺していたらしい((……)が目撃してそう言っていた)。(……)の読み方はけっこう早口で、いかにも事務的というか散文的なするするとした調子で、やはり役人だなと、官僚のやりかたが板についてやがるとおもったが、せっかくの神前だしもうすこし雰囲気を出してゆっくりと、重みをそえてたっぷり読めばいいのにとおもった。ほかに主な段取りは、三献の儀と、伴奏付きの二種類の舞いと、指輪交換あたり。音楽がやはりよかったですね。さいしょの新郎新婦入場からして参道のほうからなんにんかの雅楽隊をともなって、笙だかひちりきだかわからんが幽玄ということばをおもわずつかいたくなるような笛の音とともにはいってきたわけだが、その後音楽隊は祭壇まえの舞台の脇の見えないところにはいり、そこからときによって音を出していた。舞いは二種あって、たぶん四人の巫女が踊ったものがさきだった気がするのだが、あまり自信はない。しかし三献の儀の直後にそれがおこなわれたはずなので、たぶんそうだろう。巫女のかっこうは一様にあざやかなオレンジ色の履き物(というのはつまりズボンとかボトムスにあたるぶぶん)で、黒い髪をうしろでひとつに結わえて垂らしている。たしか三献の儀のつぎに四人の巫女が榊だかなんだか玉串をもってゆっくりまわったり腕をつきだしたりと舞いを見せた(とおもったが、手に持っていたのは榊や玉串ではなく、菊なのかなんなのかわからないが黄色い花のついたものだった)。もうひとつは蝶に扮した巫女ふたりが舞うものだったのだが、このときの風体は虫に扮しているわけなのでまあ奇態といえば奇態で、あたまには額のあたりに巻き物をするとともに頭頂にはやはり黄色い花が見られ、背にはおおきな蝶の翅を模した色つきの装備を背負っており、翅は左右それぞれ五枚に分かれていて、色の順序はわすれてしまったが赤・緑・黄・青・あと一色なにかだった(オレンジっぽい色とか、中間的なものだったかもしれず、あるいは紫だったかもしれない)。からだの前側には胸のところにおなじように五色に区分された胸掛けというかなんというか、首からさげるかたちの板状の装飾具があって(とくに根拠のあるイメージではないのだが、ちょっと中央アジア遊牧民とか、あるいはアイヌのひとびとをおもわせるようなかんじ)、色の種類は背後の翅とおなじだが、順番がちがっていた。着物の色もふたりでちがっており、けっこうあざやかで、紫とか緑とかだった気がするのだけれどそれももうおぼえていない。音楽でよかったのはとりわけ弦楽器で、すがたも見えないし雅楽でつかわれるのは琵琶のたぐいなのか知らないのだけれど、一気に弦をじゃらっと鳴らすときの音色がなにしろよかった。あれはギターにはないひびきかただろう。西洋楽器には出せない音、とまで言えるのかどうかわからないが、そう言いたくなるようなかんじだった。単音を聞くときにはまるみをおびていて、クラシックギターの質感にちかいのだけれど、音楽の冒頭や終わりなどでなだれるように和音をかなでたときはまたそれともちがい、記憶のなかでいちばん似ているような気がする音色は、Pat Methenyが『Unity Band』のたしか三曲目の冒頭でなんかへんなかたちの特殊なギターをつかっていたとおもうのだけれど、そこでおなじようにじゃらっと鳴らされていた和音。ただあちらのほうがもっときらびやかだった気がする。Wikipediaをみたが、これはピカソギターというやつだ。四二弦らしい。ぜんぶで四つの弦部にわかれているといい、写真をみたかんじではネックが三本ある。さらにボディ下端のほうにも弾ける箇所があるのだ。もうひとつ、舞いの伴奏のなかで印象的だったのは、なんの楽器なのかわからないのだが(太鼓のたぐいだとおもうが)、やたらとひびく低音を出すものがあったことで、これはふたつめの、蝶の舞いのときにはじめて導入されていた。ブゥン、とかブォゥン、みたいなかんじの、砂の地面で鳴らされればすこし埃を立てそうな太い低音で、雅楽でこんな音つかわれんの? というのが意外だったし、どちらかといえば、クラブのフロアで鳴っていそうなとまでは言わないものの、打ち込み系の音楽でむしろつかわれそうな音じゃない? という印象で、やや尾を引いて這うようなそのふくよかさに、さいしょのなんどかはちょっとわらってしまいそうになったくらいだった。三献の儀は、兄も東郷神社で神式の結婚式をあげたわけだけれど、そのときもおなじものをやっていたおぼえがある。巫女がふたり中央のスペースに登場して、新郎と新婦にそれぞれ酒をつぎ、ふたりがそれを飲み干すという儀式だが、ひとりの巫女が全面に箔を貼ったような金色の薬缶的なかたちの容れ物を持って酒をそそぐ役、もうひとりはさかずきをわたしたり回収したりする役目だった。まずはじめに新郎が一杯飲み、つぎに巫女らはふりかえって(ふりかえるときの回り方もそれぞれさだめられているとおもわれ、どちらがどちらだったかわすれてしまったが、新郎から新婦のほうにふりかえるときとその逆とで、ふたりともかならず同一の回り方でいっしょにふりかえっていた)新婦のほうに行き、ここで新婦は二回つづけて飲んだ。それで察せられたのだが、三献というからにはさかずきは三つあるわけで、それぞれを新郎と新婦がたがいに口をつけて飲むのだと。すなわち、さかずきに1・2・3と番号を振るとして、新郎1→新婦1・2→新郎2・3→新婦3というじゅんばんで交わされていたとおもう。とおもいながらも、さいごはたしか新郎にもどって終わっていたような気もするし、これでは交代がみじかすぎるというか、もっとながくやっていたような気もする。それに三で統一するのだから(酒をそそぐときも巫女は一回、二回、とそそぐそぶりを見せつつ三回目でじっさいに液体を出していたし、飲むときもさかずきを二度口にもっていくふりをしてから三度目で飲み干す、というやりかただった)ひとつのさかずきにたいして三度ふれるのが形式的にきれいなはず。そうしたばあいにどういうじゅんばんになるのか、いまパターンをかんがえてみながらも解がみえずにあきらめたのだが、とちゅうまではさかずきふたつずつをつづけて飲みながら、さいごはたしか新婦が一回飲んで、新郎にもどってきて一回飲んで終わり、となっていたはず。
  • 結婚式本篇で記憶にのこっているのはそのくらい。終えると退場。披露宴へ移行するわけだが、ロビーにもどってくるとしばらく待ってから上階にのぼり、控え室でじゅんびがととのうまで待機。ロビーにはいってエレベーターのまえにあつまったとき、係の女性(年かさのベテランらしきひとで、廊下で待っていたとき(……)の着物をなおしたり、また本殿でも新婦の着物の裾がめちゃくちゃボリューミーになっているのを補助して持ち上げたり、新婦が立ちつづけるときには布をまとめて新婦に持たせたりしていた)が、階段で行けるかたは階段でも、と言ったので、群れを迂回して階段のほうに行き、さっさとのぼっていってしまおうかとおもったのだが、ふたりがついてこなかったのであがりはじめずにとどまった。どうもまず親族がさきにあがっていくのがただしかったようで、さきの女性の発言も親族たちにむけて言われたものだったのかもしれない。どうする? 階段で行く? ときいてみると、ひとびとのようすをうかがっていた(……)が、ステイ、とこたえたので、ステイ、とこたえかえしてその場で待った。エレベーターにはとうぜんそんなに一気に乗れるわけでもなく、何人かずつあがっていって、われわれはさいごの一回で乗ったが、そのとき新郎友人として呼ばれたもう三人といっしょになった。このうち(……)は高校がおなじなので面識があったが、(……)とつれだっていたもうひとり((……)というなまえだった)は(……)の中学の同級生なので知らず((……)も中学((……))から(……)といっしょ)、さらにもうひとりは何者なのかまったくわからなかったが、たぶん大学時代に交友があったひとなのだろうか。(……)というひとはわりとチャラいというか、茶髪で、髪型にしても顔のかたちや雰囲気にしてもポルノグラフィティのボーカルにちょっと似ているとこちらはおもったのだけれど、帰り道でそれを言うと同意はもらえなかった。このひとは女好きぶりをアピールしていたというか、テンション高くそういうはなしをしていたが、それについてはあとでふれることになろう。もうひとりのほうは対照的に黒くみじかい髪の坊っちゃんというかんじのひとで、ものしずかで地味であり、披露宴でも左右とたいしてはなしもしていなかったとおもう((……)がちょっとやりとりしていたし、(……)によれば逆側のとなりの知らないひととも多少はなしていたらしいが)。知り合いのないところにひとりだけ呼ばれて孤立気味だったとおもわれ、退屈だったのではないか。エレベーターで一階のぼると廊下をたどって控え室へ。テーブルがいくつかと壁に沿って椅子がたくさん用意された洋間的な一室で、QRコードを読み取って披露宴の席次や料理表を確認するようになっており、また飲み物が供された。部屋のひとつの隅で女性スタッフが注文を受けて用意していたのだが、烏龍茶をもらった(……)は(ちなみにこちらはオレンジジュース)壁際の椅子についたあと、その女性スタッフについて、かわいい、とうれしそうに笑みを浮かべて言った。泣きぼくろがたまらない、とのこと。女性のなまえは(……)さんで(名札をつけていたので(……)はそれを目ざとく読み取ったのだが)、彼女には(……)氏ものちに目をつけ、披露宴の場では欲望を表明することになる。(……)は、コロナウイルス状況になって町にかわいいひとが増えた、それはみんなマスクをつけるようになったからだ、と言った。つまり、鼻からしたが露出しているとさほど見目麗しいとも見えないひとでも、目元だけ見えているばあいにはきれいに映ることがおおい、ということのようだ。それはいいことだ、女性からしてもそういうことはあるとおもう、おたがいにうれしいことだ、みたいなことを(……)は言った。いわゆるところの目の保養、というようなことだろう。われわれは室の隅の壁際に三人ならび、(……)と(……)氏もおなじならびにはいっていた(もうひとりはどこに行っていたのか知らない)。ここで(……)が(……)氏にたいして、われわれの情報を多少説明していたようだ。すわってはなしているあいだに、(……)から、いまふだんなにしてんの、ときかれたので、まあたいしたことはしてないけど、と前置きつつ、塾講師としてはたらきつつ、あとはまあ読み書きだよね、とこたえた。それいじょうくわしい説明はしていない。書いてる? ときくので、まあいちおうまいにち書いてはいるけど、とかえすが、書いているといっておおかたこの日々の記録につきてしまうし、ぶっちゃけたはなし、こんなもんを書いているというのも説明しづらいし、これを書いているからといって金にもなににもならないのだから、一般的な社会人として世間に揉まれてきた人間にはわりと言いづらいというか、じつにくだらぬいかにも無駄なことに精を出してあそんでいるようにおもわれるのではないか。その点、(……)にはもうすこしはなせるという感覚があるというか、読み書きをはじめていらい(……)とは二〇一六年七月までほぼ会っていなかったが(たしか二〇一四年の元日にいちどだけ会った記憶がある)、(……)とは二〇一六年いぜんも二、三回くらいは会っていた気がされ(また、その後も二〇一八年の末にもいちど会ったわけだ)、そのときにじぶんはいま文学なんてものにはまってしまってこういうことをやっている、とはなしたことがあったのだとおもう。そのうちの一回の別れ際、(……)駅の北口広場で植え込みの段にすわってはなしているときに、世間一般のみちゆきとはかなりずれた、リスクのある生き方をえらんでしまったとおもうが、みたいなことをもらしたこちらに(……)が、いや、堅実だとおもう、ということばをかえしたことがあったのをおぼえているのだけれど、そのことばの意味はいまだに理解できていない。(……)からはまた、おれのベースまだ持ってる? ときかれたので、持ってる、とわらえば、さしあげます、とのことだった。ベースアンプももってる、とつけくわえたが、(……)はアンプも貸してくれたことはわすれていたようだった。もう楽器はまったく弾いておらず、ジャズベースも埃をかぶっているとのこと。ちなみに(……)はこの時点ですでに酒を飲んでいた(カンパリといっていて、語じたいは知っているが(たとえば寺尾聰に”渚のカンパリソーダ”という曲がある)、カンパリがいったいどんな酒なのかなにも知らない)。
  • じきに準備がととのって披露宴会場にひとびとは移動したのだが、じぶんはこのときトイレに立っていて、もどってくると廊下で例のベテランの女性がもうご案内しはじめておりますと言ってきたので控え室のほうにもどれば、(……)がこちらのバッグを持って出てきたので礼を言って受け取り、会場へ。宴がはじまるときにいろいろと説明があったが、(……)という神社は伊勢神宮の東京支社というかそういうものとして建てられたものらしく、日本ではじめて神前での結婚式(近代的な意味での、ということだろう)がおこなわれたのがここで、それはのちの大正天皇のものだったという(情報に正確を期するためにWikipediaを見たところしかしこの認識は誤りで、大正天皇じしんは皇居の賢所で結婚式をおこない、一般市民がそれとおなじような結婚式をやるためにこの神社をつかいはじめた、というはなしだったはず)。宴の会場となった室はひろい直方体の部屋で、頭上は格天井(ごうてんじょう)といわれていたがようはこまかく格子状に組まれた天井となっており、またシャンデリアも明治に舶来してきたものと言っていたかとにかく年代物らしく、ほんじつはこの建築の雰囲気もまたいっしょに味わっていただければとおもいますと進行役の女性スタッフは述べていた。もともと加賀前田家の藩邸だったかなんだかわすれたがその一室を移築した部屋なのだともあった。いまさらだが、部屋の名は「(……)」だった。左右にひとつずつ、部屋の両端付近をのぞいてながいテーブルがずっとつづいて走っており(ひだりが新郎側関係者の卓で、右が新婦関係者の卓)、入場口からとおいほう、すなわち上座にあたるはずのいっぽうには新郎新婦が飾り付けされた台もしくは卓をまえに座し、そのうしろにはひだりに狩野派のなんとかが描いた絵のかけられた床の間があり、右側には付書院があるといわれていたが、このあたり、新郎新婦のほうに行く機会はあったのにちっとも見なかった。入り口にちかいほうの端、その隅では女性がひとり琴を弾いていて、さらにその脇で進行の女性スタッフがマイクを持ってしゃべったり、ほかのスタッフも何人かひかえていたようだった。琴の女性は絶え間なくずっと弾いていたわけではないが、それでもBGMとして演奏をになったばめんではかなりながくやっていて、なかなかたいへんなしごとだなとおもった。
  • 席にはそれぞれ新郎新婦からのお礼の気持ちとして、時世にあわせて感染対策セットというか、ハンドスプレーやマスクや除菌シートがおさめられたビニールのパックが置いてあり、そこにメッセージのしるされたカードもふくめられていた。こちらのものには(……)から、ウェブ招待状の返答としてもらったメッセージはとてもうれしかった、妻も、これを読むと(……)さんがいいひとだっていうのがわかるね、と言っていたよ、とあったが、いいひとぶるのはそこそこ得意である。返答メッセージもたしかにけっこうていねいに書いたおぼえがある。こまかい内容はわすれたが、いちどつくった文がフォームの字数制限を越えてしまって、ちょっとけずってなんとかおさめた記憶がある。ほか、食事でつかわれた朱塗りの箸と、乾杯にもちいられたなまえ入りの枡もきょうの記念品としてお持ち帰りくださいということだった。
  • じきに開宴。女性スタッフによる会場の説明などがあったあと、新郎新婦入場。そうしてさいしょに(……)があいさつしたのだったか否かわすれた。さいごのあいさつをしていたことはまちがいないが。新郎新婦それぞれの経歴やなれそめの説明があり、そのあとのスピーチは三人、さいしょは(……)が(……)にはいったときのさいしょの上司だったらしい(……)という女性。まあわりとまとまったあぶなげないスピーチというかんじ。(……)がとうじやっていたしごとの説明、またかれがだれよりもはやくから出勤し、そしてだれよりもおそくまではたらいていたというまじめさのアピールなど。(……)氏は部署がかわっていまは文化振興方面のところにおり、美術館を担当しているらしく、さきほど新郎新婦の共通の趣味ということで美術館巡りというのがいわれていましたが、あとで、ただの(とここで笑いが起こった)、ただのというか招待券ですね、チケットをお贈りしたいとおもいますので、ぜひおふたりで、と言って笑いを取っていた。そのつぎが新婦側で、新婦がはたらいている(いた)会社の副社長だという老人がスピーチ。このひとは声や口調なんかは年の功というものか堂々としていてわるくなかったのだけれど、はなしの内容は冗長で、まとめかたも下手くそだった。新婦が会社にとても貢献してくれていたというお決まりの賞賛までは問題なかったのだが、そのあと、新婦が多忙な夫を支えたいということで退職を申し出て(この理由には日本女性的な美徳をかんじた、というようなことを副社長は言っていた)、しかし会社としてはしょうじきかのじょのような優秀な人材をうしなうのは困るので社長とともに慰留をはたらきかけ、それでながめの休職というあつかいにして、いつからだったかわすれたがまたはたらくことになっている、という経緯がかたられたのだけれど、そのはなしいる? という印象だったし、それを説明するにしてももうすこしなめらかに要約することは可能だっただろうと。そういうことをだらだらはなしているうちに時間をつかってしまい、ながくなりすぎたなということを当人も自覚したらしく、ほんとうは餞のことばを用意してたんですけど、二分くらい、はなそうとおもっていたんですけど、これをさしあげます、さきほどの(……)さんは、美術館のチケットをプレゼントするとおっしゃってましたが、わたしはきょうのこの日の、このすばらしい会場でね、このばしょを味わいながら披露宴をおこなう二分、二分をプレゼントしますので、なにかどこかで二分つかってください、というかんじでしめくくっていたのだけれど、なにいってんのこいつ? というかんじ。こちらの周囲のひとびとも、中盤あたりからはなしなげえなあ、というかんじの表情や雰囲気をかもしだしていた。三人目は乾杯の発声をまかされた男性で、これは(……)のいまの上司らしく、(……)の役人なわけだけれど、それにしてはずいぶんざっくばらんな、剽軽なようすだなという印象で、まずもって冒頭のあいさつを述べたあとからして、いまちょっとトイレに行ってまして、息が、息があがってしまって、とはあはあいいながら笑っていたし、その後も二、三度そのネタを持ち出して、はなしぶりも軽い調子だった。このひとはあとで新郎新婦の席にでむいたときも、われわれのばしょまで聞こえるくらいおおきな声でわらっていたし、ほかの同僚連中たちもわりと威勢よくやっていた印象があり、役人とはいっても堅苦しくないのだなと、かなり気楽でにぎやかなのだなとおもった。酒のはいった宴席だからまあそれがしぜんだろうが。(……)
  • そうして乾杯がおこなわれて会食へ。そういえば式のときはそそがれた酒をいちおうぜんぶ飲んだが((……)がその後だいじょうぶ、とこちらを気づかって、ぜんぶ飲まなくてもいいんだよ、と言ってきたが、知ってる、いちおうぜんぶ飲んどいた、とこたえた)、この披露宴のときは一口だけにすませた。体調ももはや問題ないわけだし、そろそろ酒というものに手を出しはじめても良いかもしれない。食事はいちおうメニューが携帯に画像としてのこっているわけだけれど、ガラケーなのでズームにも手間がかかって面倒くさいし、写すのも面倒くさいので一覧は割愛する。記憶にのこっているのは伊勢海老かなにかでかいエビをそのまま器につかったグラタンや、刺し身や、ステーキ肉。量はだいぶあったなという印象で、かなり満腹になった。いちどデザートまで出てこれで終わりだなとおもってトイレに行ったところが、もどってくるとなぜかステーキが出ていて、それからまだしばらくつづいたのだった。あとできくと、デザートだとおもったシャーベットはお口直しだったという。しかしメニューを見たかぎりではそこまでで終了のように読めたのだったが。まあなんでもよろしい。席はこちらの右となりが(……)で、さらにその右が(……)であり、ひだりとなりはちょっとあいていて、そのさきに(……)側の親族席があったのでこちらとは交渉がなかった。椅子の間隔はややはなれていて、声を張るのも面倒くさかったのでそれほどはなしはせず黙々と食っていると、それを見た(……)が、文豪みたいと言っていた。むかいは(……)氏、その右は(……)で、テーブルのまんなかには感染対策で透明なしきりがもうけられてあり、むかいとはなすためにはやはり声をいくらか張らねばならずに面倒くさかったし、そういう状況で初対面のひととたのしく会話をできるほどのスキルや積極性もこちらにはないので(……)氏とはなすつもりはなかったのだけれど、そのうちにあちらから声をかけてきて、中学の同級生でだれだれというのは知っているか、という問いがよこされた。というのは、我が(……)中は(……)小出身の子どもと(……)小出身の子の二種類がかよっていた学校で、(……)氏は(……)中のほうに行ったわけだけれど小学校は(……)小なので共通の知人がいないかという調査だったのだ。それであいてがあげてくる名をきけばなつかしいものもあるので、知ってる知ってる、とわらっていくらかはなし、そのうちの何人かの情報や思い出を提供したりしたが、おおむねはなしはそれにとどまった。この日はなぜか声がかすれ気味だったというかあまりうまく出なくて、ざわめきに満ちたこの宴会場ではしきりがあることもあってこちらの小さい声ではスムーズにとどかず、身を乗り出してしきりちかくまで顔を出したうえでさらにやや声を張らねばならなかった。(……)氏は酒を飲むにつれてだんだんと顔が赤くなりテンションもあがってきて、先述の(……)気に入りの女性スタッフ(……)さんにかれも目をつけて、いっちゃう? いっちゃう? みたいなことを言ったり、なんども酒をたのみつつ、(……)に、もっとたのまなきゃ、回数をかさねなきゃ、俺もうアイコンタクトできるからね、あっちをみればむこうもこたえてくれるからね、などと言っていた。しかしけっきょくべつに声をかけるとかそういったことはなく、われわれの身分(すなわち、(……)は離婚者、(……)は妻帯者、こちらはフリー、(……)もフリー)を確認しつつ、このあといっちゃう? いくでしょ! 五反田とか、みたいなことを言っていたが、それはようするに風俗かキャバクラかわからないが、そういう店に行くということだったようだ。終宴後、われわれ三人はさっさとさきに出てきたので、かれがこのあとめくるめく夜の愉楽へとじっさいにくりだしたのか否か知らない。じぶんはキャバクラも風俗店のたぐいも行ったことがないが、(……)と(……)は、性的サービスの店はわからないがキャバクラはしごとのつきあいや接待なんかでなんどか行ったことがあるらしい。(……)はガールズバーも行ったと言っていたが、ガールズバーとキャバクラがどうちがうのかよくわからない。(……)はキャバクラはだいたいおもしろくない、はなしつまんねえなとおもったらじぶんのことをペラペラはなすようにしていた、と言っていた。かれからすればフィリピンパブがいちばんおもしろかったという。あいての女性に日本語をつかわせず、英語の練習になるから、と言って英語ではなすようたのんでいたと言っていた(しかし(……)に英語をつかう機会があるともおもえず、なぜその練習をしたかったのかはわからない)。(……)氏にはなしをもどせば、(……)によるとかれはこの一〇月で結婚したばかりの新婚なのだという。そのくせうえのようなことを言っているわけだが、そうはいいながらも、店はともかくじっさいにすすんで浮気をしそうな人間にはみえなかった。とはいえこの日はじめて会った人間なのでなんともいえない。(……)はといえばよくわからない男で、一見してあかるくにぎやかな性質であり、あとで新郎新婦との写真撮影に行ったときにはかれらの背後から身をかがめつつ新婦にいろいろはなしかけてからんでいたし、見てくれもとくにわるくはないから恋人がいてもちっともおかしくはないのだけれど、どうもそういうにおいが薄い気がする。(……)と性という主題にかんしてはおもいだすことがひとつあって、高校時代のことだが、なにかのおりにかれがじぶんは自慰をできないと言っていた記憶があるのだ。やろうとしても気持ち悪くなってしまう、だったか、具体的な文言はわすれたが、こころみてもうまくできない、みたいなことをもらしていた気がする。それはたんなる思春期特有の性への潔癖さだったり、またそれをよそおう気取りだった可能性もじゅうぶんにあるが、その記憶とおもいあわせてなんとなく、もしかしたらかれは同性愛者なのではないか、という印象をえないこともない。たぶんそんなことはないのだとおもうが。
  • 食事中、みぎの(……)から(……)の質問がつたえられてきて、いわく、じぶんが高校のころと変わったとおもう? というものだったので、ああそりゃもう、めちゃくちゃ変わったね、とこたえた。どういうところがいちばん変わった? と問いがつづいたので、もぐもぐやって口のなかにあった料理を飲みこんでから、社交性、とかえした。人並みに社交性が身についた、と。(……)は、ああー、みたいな反応で、それはたしかにそうかもしれない、と言っていた。
  • 新郎新婦のもとには二度でむいて、しかしいちどめはでむいたそばから新婦のお色直しだったか、あるいは(……)が一時退場だったかわすれたが、そういうながれにはいったのですぐに退散した。その後ふたたび写真を撮りに行った。まあいちおうこちらもはいって、みなで新郎新婦のうしろにならび、会場をまわってパシャパシャやりまくっているカメラマンにたのんで撮影。このとき(……)がいろいろはなしたり、(……)も多少新婦ともやりとりしていた気がするが、じぶんはつねのことで一歩引いてただ黙然とひかえてそれを傍観する、というかんじで、新婦とことばをかわしたのはさいごに帰っていくときのあいさつのみである。ほかに披露宴で印象にのこっていることはもうさほどなく、あとはさいごの、新婦からの手紙や、新郎の父親のスピーチくらいである。常套のことで終わりごろには新郎新婦の親が室のいっぽうの端(出入り口のほう)に出てきてならび((……)のほうは父親だけで、かれの親はたしか離婚したのだったか?)、もういっぽうの端に新郎新婦が立って、(……)がマイクを持って新婦が親にたいして感謝などを述べる手紙を読んだ。親たち三人は感涙していた。それから贈り物としての米俵(新郎新婦が生まれたときの体重分の重さになっているという)をかかえもったふたりはいっしょに親のところまであるいていき、(……)の父親がしめくくりのスピーチ。感涙していたのでちょっと息をととのえてはなせるようになるまで時間がかかったのだが、こんな人間なんで、たいしたスピーチはできません、と冒頭にことわりながらも、おおげさになりすぎず、冗長すぎもせず、ぜんぜんかたくるしくなく砕けていながら子どもらへの応援の情がこもったかんじの、なかなかわるくないスピーチだったのではないか。拡散もしすぎず、一、二度笑いも取っていたし、とちゅうでたしょう詰まったときに、なにを言ったらいいのかわかりませんけど、ともらしていたけれど、それもこのひとの個性のなかに統合されて問題とならなかったというか、そうは言いながらもぎこちなくテンパっているというかんじは全篇にわたってなく、堂々たるものだった。メッセージの主眼はとにかくふたりでいろいろと、なんでもはなしあってほしい、そうすればうまくいくとおもう、われわれもできるだけサポートする、ということで、(……)父は俺みたいなのがこんなこと言っちゃいけないけど、というような卑下の文言をはさんでいたが(食事中にわれわれのところにあいさつに来たときも、おれがこんなだから、と言っていた)、その自己卑下は具体的にどういう意味なのか、「俺みたいなの」とはどういうことなのかは知れない。離婚したとして片親になってしまったことを言っているのか、もっとひろく、ふだんから性格的にてきとうで駄目な人間だとかそういうことなのか。わからないが、(……)は大学のころだったかに父親にたいする、嫌悪とまでは行かなかったとおもうけれど、なんらかの反発とか忌避感とかをもらしていたおぼえがあるので、親子間でたしょうの悶着とかなんらかの事情とかがあったのかもしれない。父親がスピーチを終えて、さいごに(……)当人があいさつをしたが、即興でしゃべれないもので、と言って原稿をとりだし、それに沿いながらたしょうその場で補足しているような雰囲気のあいさつで、読み上げはここでもやはりやや早口の、役人風の調子だった。
  • 終わると退場。廊下に出ると新郎新婦およびその親がならんで待ち受けているのであいさつ。鯛をかたどったちいさな饅頭をもらった。(……)には、とにかくからだに気をつけて、とか、まねいてもらってありがとうございましたとか、そんなようなことを言ったとおもうが、それを見て横から(……)が、意外とちゃんとしたこと言ってる、ともらしていた。(……)のまえに、その父親がまずいたのだ。礼を言ったあとに、スピーチ、うまかったとおもいます、と告げたのだけれど、(……)に横からすぐさま突っこまれて、うまかったじゃない、すばらしかった、とやつはかさねてきたが、うまかった、だとたしかにちょっと失礼というか、いわゆる「上から目線」的にひびくおそれがあったかもしれない。せめて、お上手でした、とか言えばよかったかもしれない。新郎のあとに新婦にも礼を言い、(……)を指しながら、ご存知でしょうけどとにかくまじめなので、まじめすぎて無理をしないように、いたわってあげてください、とか言った。その後新婦の両親にもあいさつするが、ここではなにを言えばいいのかおたがいにわからないので、とおりいっぺんのあいさつでおさめる。
  • とにかく小便がしたかったので下階に下りるとトイレへ。三人ならんで放尿していると、あいだにはいってきた高年がおり、良い式でしたなあ、とかなんとか言ってきたが、これは二番目にスピーチをした副社長だった。かれはまた引き出物について、いままででいちばんちいさいですよ、時代は変わりましたなあ、いいことだ、と言っていたが、ほんとうにいいことだとおもっているのか、ちょっとうたがわしいような雰囲気だった。われわれ三人はほぼそうですね、とくりかえすばかり。リアルタイム編集にもおどろきました、とも副社長は言っていたが、これはさいごに新郎新婦やその親が退場したあとながされた映像のことで、てばやいしごとでさきほどおこなわれた式や披露宴のようすが多数ふくまれているものだったのだが、これは(……)のときにもおなじ趣向をやっていたし、さいきんはよくあるものなのだろう。出るとクロークでコートを回収し、そとへ。寒かった。ほぼ満月にいたった月が照っていた。どこかしらにはいろうというはなしになっていた。それで駅のほうまで行きつつまわりの店をみてどうするかとまよったが、カラオケまねきねこをみつけた(……)が、カラオケ行く? と提案して、合意となった。まねきねこは持ち込みが可なのでコンビニでなにかしら買っていこうということになり、すぐそこのファミリーマートだったかに入店。しかしこちらは腹いっぱいでなにもいらなかったのでひとつも買わず。店内をてきとうに見分して待ち、出るとカラオケへ。時刻は六時半くらいだった。(……)が、おれはしょうじき九時までには帰りたいと言うので時間は二時間。あとできいたが、九時までには解散したいというのは翌日も日曜日なのにしごとで、接待かなにかでゴルフがあるということだった。(……)はいま(もらった名刺によれば)「(……)」という会社の営業をやっているといい、なんだかよくもわからないがシステムを売っているとか言っていた。名刺の事業内容には、通信費削減とか業務効率化とか書かれてある。土日のうちどちらか一日は毎週しごとになってしまうらしく、あしたはしかも四時半起きだということで、はやめにかえりたいと。それにしても、ゴルフで接待とは、いかにも昭和のサラリーマン的なイメージではないか? (……)はもともと学生時代に新宿の(……)でアルバイトしており、そのまま(……)に就職したのだが、それから転職していまのところにうつった。なぜそこをえらんだのかという問いには、ちょっと縁があって、と言っていた。(……)のほうも知らぬ間に転職しており、業界はおなじ薬関連だが、まえのところにくらべてかなり満足のいく環境にうつれたようだ。名刺によると、「(……)」という会社の事業開発部にいるらしい。
  • 吹きさらしの非常階段をたどって部屋へ。おのおのてきとうにうたう。じぶんはthe pillowsとか。ネタがなかったので、ミスチルの”Everything (It’s You)”なんてのもめちゃくちゃひさしぶりにうたった(なぜかカラオケの登録では”(It’s You)”がつけくわえられていなかったが)。先日の池袋よりはうまく声が出た。ふたりがうたった曲のなかでゆいいつ印象にのこったのは、(……)がうたったさとうもかというひとのやつで、わりと洒落た楽曲だった。かれによれば、令和の松任谷由実、とか評されているらしい。(……)が一曲目にうたったなんとかいうやつの作詞作曲があいみょんだったので、あいみょんじゃん、といいつつ、なまえしか知らんけど、まったく聞いたことない、とつけくわえると、いやいやさすがにこれは知ってるだろと言って(……)は”マリーゴールド”という曲をつぎにうたったが、それもふつうにしらなかった。映像にうつってけだるげにギターをかかえていたのがあいみょん本人らしいが、顔もはじめて見た。(……)は、あんまりかわいくないけど、と言っていた。(……)のうたいぶりはまあなんというかわりとかっこうつけというか、ロックバンドのボーカルとかがよくやりそうな、ちょっと輪郭をゆがめた発音のしかたに寄せたようなかんじで(ただ、われわれが一〇代だったころに流行っていたようなバンドのそれというよりは、もうすこしまえというか、もういくらかおっさんくさいような雰囲気をかんじないでもなかった)、そうして高音でもがんばって張り上げでうたうので(おそらく(……)はミックスのだしかたを理解していない)、ちからのこもった感情的なかんじであり、会社の上司といくビジネスカラオケなどではなかなか受けるんじゃないかとおもった。エモーショナル、とこちらは評してむけると、きもちでうたってるから、という返答。一時間くらいうたったところでもうけっこう飽きてきたというか、それぞれ満足したし曲もないしみたいな雰囲気になり、たしょう会話。そこでおのおののしごとのはなしなどいくらかきいた。そういえば、披露宴前の控え室で壁際にすわっていたときに、(……)から、さいきんなんかいい洋楽ない? ときかれて、さいきんはOasisばかりながしている、と苦笑すると、それはおれでも知っている、ととうぜんかえったのだけれど、洋楽ではないけど邦楽ならと言って中村佳穂とFISHMANSをすすめておいた。しごとというのは(……)は営業で、(……)も事業開発部ではあるものの、顧客とのやりとりによってはたしょう営業めいたこともするといっていた。営業なんてじぶんにはぜったいにできるとおもえないが、(……)の会社はいわく、ぜんぜんきれいな営業してない、きたない手段もバンバンつかう、金もわたすし、女もつかうことあるし、ということだった(女をつかうといって、それがどの程度のことなのか具体的にはわからないが)。(……)はいまの会社や生活にあって、べつに不幸ではないだろうが、幸福をかんじてはいなさそうだった。それにたいして(……)はいまの会社にうつってよかったという雰囲気が顕著で、社長がいろいろまなべるひとなのだという。なにしろよくはたらいているし、社長室には本棚があって本がたくさんならんでおり、それを社員に貸し出してくれるので、毎日すこしずつ読んでいろいろ勉強する日々だといっていた。人間としても(……)は惹かれるものや興味深いものをおぼえているようで、ことによると尊敬の念までかんじているのかもしれず、面接のときも、業務内容の具体的なことはわからなかったのだけれど、なにかしらビビッとくるようなものがあったらしく、その直感にしたがってうつって大正解だったようだ(のちほど電車のなかでは、じぶんにそういうセンスがあってよかったね、と言っておいた)。まわりの社員もとにかく本を読んで勉強していると。二〇一八年末に会ったときにはとうじの職場を頭の悪い会社だとけなしまくっていた(……)だが、転職したことでじぶんを高めていけると実感できる環境にめぐりあえたようだ。本といってどんな本かと聞いてみたところ、いまのじぶんの業務にかかわるかなり専門的なものや、自己啓発やスキル本のたぐい、あるいは経済書などというこたえがかえって、文学なんかのたぐいはないようだったが、しかしそんなことはいいではないか! ものを読んでまなぶことはどんな分野であれ、つねにすばらしい。友人がそこに充実と意欲をかんじているのをよろこばないはずがない。これはのちの電車内できいたことだが、目次の重要性を理解した、と(……)はいっていた。そこでおおまかな内容をつかんだり、じぶんがもとめている内容を見極めたり、というはなしで、ビジネス界隈だとそういう効率的な取捨選択をする読み方は必須ではあるだろう。社長は(……)をそこそこかわいがってくれているというか、関連会社が九個とかあってぜんぶその社長が最終的には責任者として運営しているらしいので、そのうちのひとつをゆくゆくはまかせたいみたいな雰囲気がもしかしたらないでもないらしい。それはおいても、(……)はいずれはじぶんで起業して社長になりたい、といっていた。それならやっぱりなんでも本読んどいたほうがいいでしょ、社長ってなったら教養がないと、とこちらは言って、おれなんかは文学とか哲学なんてのをやっぱり読むわけだけど、あれも会社とかで役に立たないこともなくて、たとえばこういう人間のタイプがあるんだなあとかさ、こういう心理があるんだなとか、いろいろなひとを見て理解するっていう点ではけっこう役立つとおもうよ、とむりやりじぶんの領域へとむすびつけた。哲学っていうのも、あれはようはいろんな構造を見極めて理解するものだから、ものごとがこういうしくみになってるんだなとか、こことここがつながってこうはたらいてるんだなとか、そういうのもおもしろいよ、とつづけていったが、哲学といういとなみについてのこの説明はあまり正確なものではない。とはいえ、古来からずっとそういう側面がふくまれるのはたしかだろう。
  • 八時半ごろで退店。寒風のなかを駅へてくてくあるく。(……)は(……)に住んでいるといい、総武線だったかなんだかわすれたがひとり別方面へいくので別れ。(……)とじぶんは新宿へむかう。だから総武線に乗ったのはむしろわれわれのほうだ。(……)はいま(……)に家を建てて住んでいるらしい。すごい。たいしたものだ。車内ではならんで腰掛けて上述のようなことをはなし、新宿でおりた。ホームを行きながら、おれはもうさいきん、書くことにつかれてきたよともらす。まえはさ、まだレベルがひくかったから書けることもすくなくて、翌日には終わってたんだけど、いまもう書けることが増えちゃったから、一日出かけたりするとその日のことを書くのに三日くらいかかる、と笑い、(……)も笑う。で、その日を三日かけて書いてるあいだに、つぎの日とそのつぎの日のことはわすれるんだよね、だからこの一日だけめちゃくちゃながくなって、つぎの日とそのつぎはぜんぜんすくない、みたいな、と。それじゃあそこをどう書くことを選択していくかだね、いいじゃん課題があって、まだまだレベルアップできるじゃん、みたいなことを(……)はいったが、そういうはなしでもあまりない。ともあれ、ホームをうつる通路のとちゅうで別れ。便所に行ってから(……)のホームにあがって特快に乗った。そしてここからさきがなかなかにたいへんでながい夜であり、近年まれに見るながき帰路となったのだが、ようするに電車内で気持ち悪くなったのだ。というか、カラオケを出たあたりから喉に空気があがってくるなということはかんじていた。これはむかしから、飲み会のあとなどによくなっていた症状で、ジュースとか飲み物のたぐいをたくさん飲んだためになるとおもっていたのだが、しかしそのわりにきょうはそこまで飲んだつもりもない。とはいえ、控え室でオレンジジュース、その後披露宴のあいだは烏龍茶をそこそこ(減っているとそのそばからスタッフが注ぎにきて補給するので、手持ち無沙汰なときなどつい手を伸ばして口にはこんでしまった)、そしてさいごにコーヒー一杯、というくらいには飲みはしたのだけれど(あと、カラオケのジンジャーエールがあった)、それでこうなるか? というのは疑問だった、が、じっさいなったからにはしかたがない。たぶんこれは飲み物をたくさん飲むというよりは、それによって胃液が一時的に過多になることで起こる現象ではないかとも推測しており、だから酸性の柑橘ジュースとかカフェインとかが主要な作用因なのかもしれない(烏龍茶だって茶であるからにはカフェインを含んでいるだろう)。くわえてこの日は食べた量もおおく、満腹だったわけだ。理屈はともあれ胃や腹のあたりが内側から圧迫されて、空気や胃液か唾液かなんらかの液体が喉の奥にあがってきたり溜まったりして気持ち悪く苦しい、という症状が発生した。片手でつり革をつかんで立ったまま瞑目に休んでいたのだけれど、そうしているうちにだんだんと症状が進行してきて、ことによったらこれは吐くなとおもわれたので、(……)で降りて休むことにした。ちょっと休憩してからだが楽になってから安心して帰ろうとおもったのだ。(……)で降りる直前にはひさしぶりに嘔吐恐怖によるはげしい動悸がからだを打っていたが、とはいえ全盛期ほどの衝撃はもらわず、降りるとベンチにすわり、寒風のなか『ボヴァリー夫人』を読みはじめた。この時点が九時二〇分くらいだった。じっとしていれば消化もすすむしからだも休まって楽になるだろうとおもって気にせず本を読みすすめていたのだが、ところが事態はむしろ逆行し、鈍い破裂や擦過のような音を立てながら食道内をただよいのぼる逆流的な空気の発生はいっこうにやまないし、どちらかといえば苦しさがましてきた。おかしいなとおもいつつ、とりあえずトイレに行って出すものでも出してみるかというわけでベンチを立ち、エスカレーターをあがって改札のほうに行き、便所にはいって個室をおとずれた。それで下半身を丸出しにして便器に腰掛け、排便しようとしたのだが、そこでみぞおちのしたから下腹のあたりまでさわってみるとおどろくほどに硬く張っており、したがってこれは腸にガスがたまりまくってそのうえの胃が圧迫されるために空気がのぼってくるのではないかと推測した。となれば事のしぜんとして腸内をかるくすれば圧迫はなくなって平常にもどるだろうというわけで、腹を各所もみほぐしながら便通を待ったのだけれど、これがいつまで経ってもやってこなかった。どういうこと? とおもった。腹は張っているのにマジでぜんぜん便意の気配がなく、おならもかんぜんに出ないではないがほとんどない。マジでそうとうながい時間、たぶん三〇分いじょうがんばって出そうとこころみたのだけれど、ついにむりだなとあきらめて、まあいちおう腹を揉んでたしょうほぐれたことでもあるしとともかく帰ることにした。しかしそのあいだも悪心というかいやなかんじはつづいているわけである。ホームにもどって電車に乗り、すわったが、むしろ胃が圧迫されないように立っていたほうがよかったのでは? とおもった。そうおもいつつ気持ち悪さをかんじながらも、まあこれで耐えてみようと目を閉じ、ゆられているあいだもすこしでも肉や内臓をほぐそうとワイシャツのすきまに指を入れて、みぞおちのしたあたりを揉んでいた。そうするとまあいちおう耐えられないことはない。そうしてなんとか(……)までいたって降車。乗り換え。(……)行きは席があまり空いていなかったので、扉際に立ったが、立っていれば腸がしたからもちあげられず重力にしたがうはずだから楽かとおもいきやぜんぜんそんなことはなく、悪心はやまずかなり気持ち悪かった。唾液とも胃液ともつかないものが頻繁にあがってくるのをひたすら飲み込みかえしつづける時間。じきに席が空いたのですわったが、そうしてもむろん楽にはならず、しかしこのあたりではもうわりとあきらめにいたっていたので、なるようになれと抵抗せずやや横をむいてかたむけたからだをぐったりと席にゆだねるようなかんじだった。それで目を閉じて苦しみながらなんとか(……)へ。ここでさいごの乗り換えがあるわけだが、なにしろ寒かったし、発車まで一〇分かそこらあって、そのあいだを嘔吐恐怖に苦しみつつうごかず待っているのが耐えられないとかんじ、それだったらまだからだをうごかしていたほうがいいわとおもったので、あるいて帰ることにした。そうして駅を出たのだけれど、とにかく寒い。この日はマフラーももってこなかったし、マジでめちゃくちゃ寒かった。あるいているうちに死ぬのではないかというのは言い過ぎだとしても、あたまもちょっとふらふらしたし、家にたどりつくまでにたおれるのではないかというかんじ。ものすごく寒かったのはたぶん食事から時間が経って(カラオケ内ではじぶんはジンジャーエール一杯だけでほかになにも口にしなかった)胃が空になっていたり、血糖値が下がっていたりということがあったのだろう。それでほんとうに、文字通りにからだをガクガクとふるわせ痙攣させながら日付替わりのまえのつめたい夜道をひとり黙々とあるいていった。体温をあげなければやばいとおもって、もうべつにそとだし吐いても問題ないというわけで気にせず息をおおきく吐き出し、深呼吸をしながらあるいていったのだが、そうしているうちにかえって悪心がやわらいできた。それでかんがえたのだけれど、今回のような症状には、体温低下などで内臓のうごきが停滞したということが要因としてあったのではないか。茶を飲んだあとに顕著なのだけれど、飲まないときとくらべてからだの変化がわかりやすいのは空腹になったときで、緑茶を飲んだあとに消化がおわって腹が空になると、緊張したりからだがたよりなかったりふるえたりちょっと気持ち悪いようなかんじがあったりということは目立つ。したがって、一時的な胃液の過多とカフェインなどによる緊張作用と、さらには血糖値や体温低下による内臓停滞が相互に因果をなしつつくみあわさってこういうことになるのではないかとおもったが真相はしれない。ともかくもとにかく息を吐きながらがんばればなんとかなりそうだったので、体温をがんばってあげながらあるきつづけた。月を見ている余裕などありゃしない。
  • それでなんとか生きて帰ることができ、手をあらって部屋にもどって服を脱いでジャージとダウンジャケットを身につけると、なにはともあれ体温をあげなくてはやばいというわけで、エアコンをつけて布団のなかにもぐりこみ、横向きになってからだを丸めた状態でひたすら深呼吸した。さいしょのうちはマジでガタガタふるえていたのだけれど、じきになんとかそれが弱くなってきたのでたすかった。とにかくずっと気持ち悪くてかなりたいへんな帰り道だったのだけれど、それでもいがいと肉体的な疲れというのはそこまでおおきくはなく、精神的な消耗もむかしにくらべればはるかにうすかった。電車に乗っているあいだも、悪心じたいはあるにしても、そこからくる不安というのはかつてとくらべれば微々たるもので、むかしは今回の比ではない。からだがなんとかなったところで風呂にはいらなければならないのだが、この状態で風呂に入ったらふつうに死ぬなとおもわれたので、ちょっとだけなにか食べて体温や血糖値やエネルギーを補給することに。それでなんだったか、残り物か米かなにかをすこしだけ食った。それで気持ち悪さが再燃しないのもふしぎだが、だからやはり一時的な胃酸過多なのではないか(とはいえ、腹のなかがすこしひりつくような感覚はあったが)。なぜなのかわからないが、胃酸がおおくなりすぎると、空気があがってくるということではないか(ということはつまり、逆流性食道炎のバリエーションということか? バリエーションというか、その症状そのものかもしれないが)。ともかくそういうわけで、その後無事に風呂にもはいり、ようやくこの一日を終えることができた。