2021/12/24, Fri.

 子守唄

 もう休む時間だ。とりあえず
 もう十分興奮を味わったはず。

 夕暮れ、そして宵のはじめ。部屋の
 あちこちで明滅を繰り返す蛍たち、
 開いた窓に満ちていく深く甘美な夏の気配。

 これらに思いを巡らせるのはもうやめて、
 わたしの息づかいに、自分自身の息づかいに耳を澄ましなさい。
 小さな呼吸は一つひとつ、蛍のように一瞬
 煌めき、そこに世界が現れる。

 お前の心をついに摑むほど、夏の夜を通して
 わたしはもう十分歌ったはず。世界は
 こんな一貫した幻想を見せてはくれない。

 お前はわたしを愛するよう教えられなくてはならない。人は
 沈黙と暗闇を愛することを学ばなくてはならない。



 LULLABY

 Time to rest now; you have had
 enough excitement for the time being.

 Twilight, then early evening. Fireflies
 in the room, flickering here and there, here and there,
 and summer’s deep sweetness filling the open window.

 Don’t think of these things any more.
 Listen to my breathing, your own breathing
 like the fireflies, each small breath
 a flare in which the world appears.

 I’ve sung to you long enough in the summer night.
 I’ll win you over in the end; the world can’t give you
 this sustained vision.

 You must be taught to love me. Human beings must be taught to love
 silence and darkness.

 (ルイーズ・グリュック/野中美峰訳『野生のアイリス』(KADOKAWA、二〇二一年)、106~107)



  • 八時半ごろ覚醒。九時二〇分に離床。水場に行ってきてから枕に腰掛けて深呼吸。二〇分ほど。上階へ行き、ジャージにきがえる。天気はきょうもあかるい晴れで、南の近間の瓦屋根は正面の(つまり北側の)一面が白さを寄せられながらも青い影がそれを押しとどめている。窓の上端にのぞく山の上空はひかりが満ちてほとんど白としか見えないが、よくみればそれは淡い雲が混ぜこまれているからでもあった。下方からすがたをみせている梅の裸木のこずえを見るに、うごく気配がないので風はあまりないようだ。屈伸をくりかえしたあと洗面所でうがいなどして、それからハムエッグを焼いた。ほか、おでん的なスープ。食事をとりながら新聞をみた。沖縄の本土復帰から二〇二二年五月一五日で五〇年となるが、それでこの島のむかしといまを写真でみるみたいな企画がはじまっていた。きょうは国際通り。一面にはほか、オミクロン株の市中感染が京都でも確認されたと。二〇代だったかの女性で、渡航経験はなく、感染経路は不明。大阪でもきのうつたえられた一家とはべつに男児ひとりがオミクロン株にかかっていることが判明し、この男子とさきの家族ともかかわりはないという。だから市中でもういくらかひろがっていると見てよいだろう。東京もここのところ新規感染者が増加傾向にあるし(きのうは三〇人ほど)、そろそろまた拡大がはじまる気がする。政府はオミクロン株の市中感染発覚を受けて、大阪・京都・沖縄では知事の判断で無料でPCR検査を受けられるようにする方針。沖縄では米軍基地(キャンプ・ハンセン)内で二三二人もの感染者が確認されているからである。二面にその関連の記事があったが、米軍は出国前にPCR検査をおこなっていなかったという。入国後も当日にはおこなわず、三日から五日後くらいに検査をして、それで感染者が発見されるとともにまもなくひろがったと。
  • ほか、皇居での歌会始で歌を詠む役の召人 [めしうど] に菅野昭正が任じられたと。九一歳。大阪の心療内科クリニックでの放火の続報も。容疑者はいぜん住んでいた自宅をアジトのようにつかって、そこで事件を計画していたらしい。通気をふせぐために窓と壁のすきまが補修材で埋められているのが発見されたが、事件当日の現場の非常扉も補修材で埋められていたといい、また、京都アニメーションの事件の資料や、放火とか殺人とかいう語がしるされたメモも発見されていると。
  • 食器を洗い、蕎麦茶を用意しておき、風呂場へ。窓をあけてそとを見るに、やはり風はとぼしいようで、となりの空き地の旗はボロボロの残骸をぐるぐるとねじったようなすがたで縦に垂れ、弱いながれが生まれればそれにひかれるようにしてわずかにかたむき浮かぶのみ、およぐというほどのうごきはなく、魚よりはクリオネなんかをおもわせる。林の縁は色がわびしく褪せてきており、何色ともつかないスカスカした薄さのなかに臙脂っぽい赤や緑が少量きわだって、路上の端にはアーモンドなどのナッツを砕いてまぶしたごとく落ち葉がたまっていろどりをそえている。
  • 蕎麦茶とともに帰室。ウェブを見てからきょうのことをここまで記し、正午まえ。きょうは出勤が五時すぎなのできのうまでより余裕がある。できるだけ一九日以降の日記をかたづけたい。
  • そういうわけでそのままつづけてきのうの二三日の記事をまず書き、かたづくとあおむけになってちょっとやすんだあと、おきあがってふたたび文をつづった。一九日から。そうして一時半までに二一日の火曜日までやっつけでばばっとしまえた。そこで洗濯物をとりこむために上階に行くと、居間の南窓がとりはずされていて、窓枠のなかになにもないまま風がふきとおしになり、風景もガラスの端を囲む黒い枠がないのでつねになくひろく見えるというめずらしいながめが生まれていた。父親がそとに持っていってあらったようで、玄関もひらいて風がながれやすく涼しい空気となっており、こちらが洗濯物を入れてたたんでいるあいだにそとから窓をはこびこんでとりつけなおしていた。アイロン掛けもしなければならないのだが、窓やそのしたの台のあたりを掃除した影響で炬燵テーブルのうえにものがいろいろあってアイロン台を置けなさそうだったので、あとにすることにして、洗濯物をたたみ冷蔵庫をのぞいて食材を確認したあとはいったん下階にもどり(したのベランダに黒い服(つまり礼服)だかがあるらしいからそれもしまっといてといわれたので、取りこんでおいた)、二二日の日記をかたづけ、きのうの分まで投稿。ともあれノルマがなくなってよろしい。きょうのこともここまでしるせば二時四〇分。
  • ストレッチをしてから上階へ。父親は大掃除のかまえらしく、台所で電子レンジのなかをこするなどしていた。蕎麦を煮込んで食うことに。鍋をふたつ火にかけ、いっぽうにはタマネギや大根を切って入れ、つゆをこしらえ、もういっぽうで蕎麦を茹でる。三個セットかなにかの、ビニールのちいさな袋に一食分の生麺がはいっている安っぽいやつである。おもったよりもはやく茹でる用の湯が沸いてしまい、つゆの野菜がやわらかくなっていなかったので、かたほうの火力をおさえてしばらく待った。あいまに洗い物。そうして麺をさっと茹で、ザルにあげていちおう冷水でしめると投入。味をなじませているあいだにまた洗い物をして、煮えたものを丼によそるとトイレに行って用を足し、それから蕎麦を下階にもちかえった。インターネットで都立高校の過去問をひらき、じっくり読みながら食べる。食べ終えるとまた階上に行ってアイロン掛け。四時まで。じぶんのワイシャツや父親のズボン。まだすこしのこっていたが、中断して階段をおり、また過去問をみながら歯磨きをした。排便して四時半前。まだ余裕があるので、髪をととのえるついでにアイロン掛けをかたづけるかというわけで階をあがり、洗面所であたまを濡らして櫛つきのドライヤーでなでながらかわかす。父親は風呂場の大掃除をやっているようで、浴室も洗面所もあかりがついていたし、すりガラスのむこうでは水をジャージャー出している音がしており、洗面所の鏡も全面つよくくもっていた。ドライヤーの熱風をそこに吹きつけてくもりをとり、あたまをてきとうにおさめると居間に出てアイロン掛けをかたづけ、もどってここまで書けば五時まえ。そろそろ出発の時刻だ。
  • きがえて出発へ。居間のカーテンを各所閉めておき、手も洗った。手のひらのまんなかあたりに脂っぽいにおいがかすかにたまっているようで気になることがある。そうして用を足して出発。きょうはひさしぶりに玄関を出るまえから眼鏡をつけた。いちど出て郵便物を取り、なかに入れておくととびらの鍵を閉めて道へ。もう暮れきっているが、そんなに暗いという印象もえなかった。道の先には車が一台停まっており、それがフロントライトを黄色っぽく点滅させているのが周辺の家壁などに反映しているのがとおくにみえる。(……)さんの宅の戸口前で、ちかくなると奥さんと車の主がはなしている声がきこえた。こちらがそのあたりまでくるとちょうど車が走り去ったので、のこった奥さんにあいさつ。空はやや雲がかりで、水っぽくしずんだ青暗さのなかにほつれた薄雲の影がみられる。坂へ折れてあがっていき、駅へ。ホームへわたり、さきのほうへ出ていきながら正面を見通すと、視界のなかにある色はいまじぶんがいるホームじょうを切りひらく明かりのそれと、とおくにぽつぽつともっている街灯の白、あとは線路沿いにある信号の青緑と赤のみで、ほかは濃淡はありつつも林も空も区別なくさかいも分明ならずことごとく闇の黒さにひたされている。西の上空はまだかんぜんに夜空となってはいないものの、もはや青みはうしなって暗さをそそぎこまれた様相、線路のほうをむけば眼下に色はとぼしく、風はかすかでレールの脇に生えた枯れ草の、ほそながくひょろひょろと伸びながらちからなくさきを折ったものが身じろぎ程度の揺動を見せ、それをながめているうちに西から寄せるものが増えて頬がつめたくなった。線路のレールは濃い褐色、昼間のひかりのもとでなら赤銅めいたその錆色がざらざらと金属質にうつろうが、いまはチョコレートパウダーをふんだんにまぶされたか土でつくられたかのような茶色の密な剛体で、レールのしたにごろごろ群れている石たちにも長年のうちにその色が染み出してひろがっている。
  • 電車に乗って座り、瞑目。(……)に着いておりると、階段前で(……)くんが横にならんできたのであいさつ。いぜんはこちらがいるのを認識していながらもここでは声をかけてこずに小走りでさっさとさきに行ってしまっていたのだが、先日の授業でけっこうはなしたためか、ややなじんだようで、きょうはこうしていっしょにあるくくらいになった。過去問やった? どうだった? とかはなしつつそとへ。出ると(……)のスタッフがクリスマス商戦で赤い服をきながらチキンを買うよう呼びかけており、それに気をとられる(……)に、きょうクリスマスイブじゃねえかよくかんがえれば、とかけた。ケーキ食べた? ときけば、あした食べるという。家でなんかやんの? と問えば、パーティーめいたことをやるらしい。それはいいねと受けて職場へ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤。駅にはいり、電車に乗って座席で瞑目。勤務とちゅうからなぜかやたらと寒くてからだがふるえていたのだけれど、電車で息を吐いていると肉体がほぐれてふるえもとまった。最寄りで降りて帰路を行き、帰ると手を洗ったあと帰室してきがえ。きょうはすぐにあおむけになってやすまず、この日の記事を書きはじめたのでじつに勤勉である。一〇時くらいまで書いて勤務中のこともほぼ書き終えるというすばやいしごとぶりを見せたが、つかれたのでそれからすこし臥位で休み、夕食へ。アジフライなど。二八日から三一日まで兄夫婦が来るというはなしになっているらしい。テレビにうつった番組のなかにはひとつ、『もやもやパラダイム』というNHKの番組があって、日本社会においてまだまだ「母親らしさ」という規範が押しつけられがちなことにたいして、諸外国(フィリピンとドイツ)の女性の例をひきながら異をとなえていた。そのなかで水無田気流という社会学者(おもしろいなまえだな、たぶん本名ではないだろうとおもったが、Wikipediaをみればこのひとは詩人でもあるらしく、現代詩手帖賞とか中原中也賞をとっている)が「母親らしさ」的な観念のなりたちについて語っていたのだが、いわく、「専業主婦」ということばがうまれたのがそもそも一九七〇年代で、とうじは高度経済成長のなかで「モーレツ社員」というサラリーマン像が起こったらしく、がむしゃらにはたらいてくるそういう夫を家庭内ではなるべくリフレッシュさせるということで女性のほうには「モーレツ良妻賢母」的な役割がもとめられたのではないか、みたいなはなしだった。さらにベビーブームがかさなって社会的競争がはげしくなり、いかに家庭をささえ子どもを育て学歴競争などで勝ち抜かせるか、という意識がつよくなったと。そういう文脈のなかで、七〇年代とうじのそのような空気にたいして女性らが違和感を述べる議論的な番組がNHKにあったといい、たしか『こんにちは、お母さん』みたいなタイトルのモノクロの映像がながされたのだけれど、これは(戦後)日本における初期フェミニズムの資料として貴重なものなのではないか。とうじはまだフェミニズムなどということばすらなく、「ウーマンリブ」とよばれていたときいたことがあり、七〇年代には開拓者的な女性らが数人いたはずである(上野千鶴子なんかもたぶんいちおうそのひとりにあたるのだとおもう)。
  • 新聞からはロシアがソ連崩壊から三〇年をまえに米国やNATOとの対立をつよめ、ウクライナ東部との国境に兵をあつめているという記事を読んだ。ロシア側のいいぶんは、同地域を支配している親露派武装集団にたいしてウクライナ政府軍(およびNATO)が攻撃をしかけるおそれがあるということで、ウクライナというばしょはロシア民族のおこりの地だからプーチンはとりたいのだろう。かれはソ連崩壊を巨大な「悲劇」ととらえているらしく、一〇〇〇年つづいたロシアという国のほとんど終わりだったとすらみなしているらしい。だからたぶん、偉大なるロシア民族を復興したいわけだろう。もしそうだとすると、それはようするに習近平とおなじかんがえだ。
  • 食器をながしへはこび、台布巾で卓を拭くとともに乾燥機のなかの皿やらなにやらをいちいち戸棚にはこんだりカウンターのうえに出したりして、その後皿洗い。そうして入浴へ。湯のなかでも深呼吸していると、あつくなってあまり浸かっていられなかった。出るとちょうど零時ごろ。緑茶をつくって帰室し、もらってきた「アルフォート」を食いながら飲んだあと、きょうのことをここまで書き足して午前一時。記述を現在時に追いつけることができた。しかも労働後のおなじ夜にである。なかなかの勤勉さ。ひさしぶりのことだ。毎日こうでありたいものだ。
  • 夕刊で読んだことには、大阪曽根崎の放火の容疑者はいちおう生きのこりはしたのだが、事情聴取をしたりできるほどに回復する見込みはほぼないという。はこびだされたときに心肺停止状態で、脳に酸素が行かない時間がつづいたので、意識をとりもどしたとしても脳機能が低下し、植物状態になったり後遺症がのこったりということが火事などではよくあるわけだが、それにあたると。遺族のやりきれなさははかりしれないだろう。
  • きょうのことを書くとつかれたので休んでいたのだが、例によってそのうちに意識をうしなっていた。気づくと四時だったのでそのまま消灯して就寝。