2021/12/26, Sun.

 純粋な趣味判断の対象、つまり美しいものは、快適なものともよい [﹅2] ものともことなっている。美しいものにかんする判断、「純粋な趣味判断」においては、およそ対象の「現実存在」は問題とならず、そこにはほんのすこしの関心も混入していてはならない(ebd. [KU] , 205)。関心に汚染された趣味判断は純粋ではなく、対象が現に存在するしだいを条件とする判断は美しいものをめぐる判断とはなりえない。対象の概念を前提とする判断も同様である。
 なぜだろうか。とりわけ「よいもの」と「美しいもの」との区別にかかわって、カントはつぎのように書いている。これも引用しておく。

 或るものをよい [﹅2] とみとめるために、私はいつでも、その対象が「どのような対象であるべきなのか」を知っていなければならない。つまり、当の対象についての概念を手にしていなければならないのである。その対象において美をみとめるためには、私はそういった件を必要とはしていない。花や、自由な素描、唐草模様と呼ばれる、意図もなくたがいに縺れあっている線といったものは、なにごとも意味しておらず、一定の概念にはすこしも依存していない。それ(end17)らはなおかつ意にかなうのだ。(207)

 ひとは、たとえば咲きほこる花々を美しいと感じる。花が「いかなる事物であるべきか」を、植物学者以外のいったいだれが知っているだろう。植物学者であっても、花の美しさについて、趣味判断を介して判定するばあいなら、花弁が植物の生殖器官を取りかこむものであることなどたぶん忘れはてているはずである(vgl. 229)
 要するに趣味判断はひとえに「観照的」(209)なものなのだ。快適さの感覚なら、動物でも手にしていることだろう。美はこれに対して――感覚を有することで動物的存在であるとはいえ、同時に理性的な存在でもある――人間に対してだけ妥当する。美しいものをめぐる適意だけが、ひとり「自由な [﹅3] 適意」であって、それはひとえに対象に対する「好意 Gunst」のみを引きおこす。関心をはなれた肯定、世界への自由な同意 [﹅2] だけを惹起するのである(210)。
 (熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)、17~18; 「第1章 美とは目的なき合目的性である」)



  • かなりはやい時刻、まだ明けていないころからたびたび覚めた。最終的に九時五〇分の離床。水場に行ってきてから深呼吸。きょうも音楽をききながらやることに。なににしようかなあとおもいつつAmazon MusicをみているとKurt Rosenwinkelというなまえをおもいだし、すばらしいライブ盤である『The Remedy』をひさしぶりにきくかとおもって検索したところがAmazon Musicにははいっていなかった。なぜ? かわりに『East Coast Love Affair』。じっさいのところKurt Rosenwinkelはそんなにたくさんきいたことがあるわけでもなく、このアルバムもはじめて。いま検索すると、デビューアルバムらしい。九六年。トリオで、リズムはAvishai CohenとJorge Rossy。わりとめずらしいくみあわせな気がする。#1から#4まで。Avishai Cohenのベースが特徴的で、音質としてもあまりズーンと低く這うというかんじではなく、やや弾力的な輪郭で粒がかるく立っており、跳ねるような感覚はとくに#4の”Pannonica”で顕著にかんじられた。フレージングとしてもたびたびいくらか上方に浮かんで装飾を入れるので、Jorge Rossyのドラムとあわせて機動的な、こまかく詰まった下地をなしており、Rosenwinkelが例のふわりとしたようなトーンで流麗に音をつらねるのと相応し、対峙的に調和しているようにも聞こえる。ソロは基本的にみじかくさっと終えていたが、バッキングのかんじとさほどかわらず淡々とながれるようすで、あまり余計な意図がかんじられずさっぱりとしている。Jorge Rossyもなんとなくへんなドラムではないかとおもっているのだけれど、ここではとくだんのことは感知されず。Rosenwinkelのギターはこういうかんじというのはもうわかっているので目新しくはない。というかこのアルバム、Small’sでのライブだったのだ。
  • 一〇時半ごろうえへ。きょうも快晴の日和で、南の瓦屋根はあいかわらず白さを塗られており、ほかより液体質と色をつよくしてまぶしさを反射しているちいさな一面もあった。川沿いの木々は薄緑に浮かびあがった上端をのぞいては蔭を受け止め抱いておおかた黒ずんでいるのだが、空気が澄んでいるのか、それでも像や色がくっきりとかんじられ、それは風景のほかの箇所もあわせて全体が同様だった。食事はきのうののこりもの。新聞は各書評子の今年の三冊を瞥見するなど。大阪曽根崎の放火にまつわって社会面に、「拡大自殺」という概念の紹介があった。おなじ大阪の池田小で起こった殺傷事件あたりからそういうことばがつかわれるようになったらしく、経済的格差の拡大などでながきにわたる欲求不満や絶望感などをかかえるひとがおおいなか、自責的なひとはじぶんだけで自殺するほうにむかい、他責的なひとはじぶんが苦しいのは社会のせい、この世の中全体のせいだとかんがえて他人を巻きこんだかたちの自殺をこころみることがあると。今回の事件もその典型例だろうという識者の言。
  • もろもろすませて帰室し、蕎麦茶を飲みつつきのうもらったドーナツを食べる。ウェブを見て、その後「読みかえし」。そうして寝転がってフローベール/山田𣝣訳『ボヴァリー夫人』(河出文庫、二〇〇九年/初出・中央公論社、一九六五年)を読んでいると、一時くらいになって家人が帰宅した気配があったのであがっていき、あけはなされた玄関を出て母親の車に寄り、荷物をはこんだ。二八日から兄夫婦が来るというので布団道具を買ったり、食べ物や酒などもたくさん買いこんだようで袋は多かった。父親もそこにじぶんの車で帰ってきたが、車はきのうから車検かなにかであずけてあったようなので、たぶん行きはふたりで行って、帰りはわかれてきたのだろう。天気はとてもよく、ひやりと締まった空気のなかに陽もまだひろく射して西をむけば視界がびしゃっとひかりに撃たれてまぶしくて、淡い雲がすりつけられた水色の空と林の縁で粒立ちながら伸びあがっている竹の緑がさわやかだった。荷物を玄関にはこぶとそれらをさらに居間のほうに持っていき、もろもろの品を冷蔵庫におさめたり戸棚に入れたりした。
  • そうしてもどってふたたび書見。三時くらいまで読み、七〇ページほど。どんどん読んでつぎの本に行きたい。遅めの昼食に鴨出汁のカップ蕎麦を用意してきて食べ、きょうのことをここまで記して四時一八分。あしたあさっての労働のことをかんがえるとめんどうだが、その二日で今年の勤務は終わりである。ただ、あさってから兄夫婦が来るわけなので、いろいろ手伝ったり子どもらの世話をしたりしなければならないはずで、あまりこころやすらぐ年末とはならないだろう。
  • いま一〇時すぎ。熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)を書抜き。Kurt Rosenwinkel『East Coast Love Affair』をながしたあと、なんか歌つきのポップスでもききながらやるかとおもい、情報をもとめるためにMikikiにアクセスしてみたところ、「RUNG HYANG x claquepot x 向井太一、盟友シンガーソングライター3人がビルボードライブに登場!」という記事があったのでのぞき、そのうちclaquepotの『press kit』というアルバムをながしてみた。SIRUPとほぼおなじ音楽、という印象。ちょっとおどろくほどに似ているように聞こえる。スタイリッシュだし、かっこういいともおもうし、うしろの音作りなどもよいとかんじるのだけれど、どこか乗りきれないというか、この楽曲でこのメロディになっちゃうのか、という感をおぼえないでもない。SIRUPにはそういうかんじをおぼえた記憶はないが、ただ、曲によっては、ちょっと甘すぎじゃない? ということをかんじることもあり、それはけっきょくおなじことなのかもしれない。しかしこのアルバムの音楽にたいする乗りきれなさというのは、なんといったらいいのかわからないのだけれど、これだとじぶんにとってはキラキラしすぎというか、イケてるけどイケすぎでなんかなあ、みたいなかんじかもしれない。くりかえしきけばこのかんじに慣れてむしろ好みになっている可能性も見えないでもないが。いやー、でもやっぱりメロディかな。歌詞もそうだが、メロディの組み方。声や歌い方もそうなのかもしれないが。一曲目のとちゅうにある、音を連打的にこまかく詰めこんだ早口のところはおもしろくてよいとおもったが。
  • ボヴァリー夫人』を読みすすめたあと、五時まえで上階へ。米を磨ぎ(さすがにもう流水が骨身にしみるつめたさで、手が芯からじんじん痛む)、アイロン掛け。ワイシャツや母親のズボンなど。五時半すぎに終えて、それから餃子を焼いた。熱したフライパンに袋から落とし、ならびや置き方をととのえて、すぐに水を入れて蓋をして待ち、沸騰の音がややかたくなってきたところで蓋をあけてときおり振りながら炙るだけなのでかんたん。できると自室へ。きのうのことを書いたのだったか、それかまた書見をしたはず。七時ごろに夕食。(……)
  • その後の夜は書抜きと書見でほぼ尽きた。『ボヴァリー夫人』はきょうで読み終えてしまおうと邁進し、393から561まで一気に読みすすめてあとすこしだったのだけれど、やはり入浴後にもどってきて寝転がりながら読んでいるときょうも意識をうしなってしまい、さいごまで行けず。気がつくと三時四〇分になっていたので、トイレに行ってきてから就寝した。