2021/12/28, Tue.

 快適なものにかかわる趣味、「享受」をめぐる趣味はかくて「感官趣味」とも言われる。これに対して、美しいものにかんするそれは、「反省趣味」と称されることもできるだろう( [KU] 214)。美に対する適意にともなう快は「たんなる反省から生まれる快」であって、それは、なんらかの対象の形式をとらえるところに生じる。ただし、「直観の能力としての構想力」が「概念の能力である悟性」と、しかも判断力を介して関係するところに生まれるものなのだ(292)。
 もうすこし考えてみる。『判断力批判』の第九節は「趣味判断において快の感情が対象の判定(end24)に先だつのか、あるいは後者が前者に先だつのか、という問いの探究」と題され、その劈頭では「この課題の解決は、趣味判断の批判のためのカギなのであって、したがって、あらゆる注意にあたいする」と主張されている(216)。どうしてだろうか。
 いま、与えられた対象に対する「快」が先行してこの快の「普遍的な伝達可能性 Mitteilbarkeit」のみが趣味判断の根拠となる、と想定してみよう。この想定は、けれども、矛盾を呼びこむほかはない。ここにいう快とは「感官感覚におけるたんなる快適さ」にほかならないかぎり、その快は必然的に個人的な妥当性のみを要求しうるにすぎない。つまり私にとっては [﹅6] 快なのであり、これは普遍性とも伝達可能性とも背反している(vgl. 216f.)。
 ことがらは逆であるはずだ。すなわち「与えられた表象においてこころの状態が普遍的に伝達可能であることこそが、趣味判断の主観的条件としてその根底に存しており、対象についての快を結果としてもたらすものでなければならない」。普遍的なしかたで伝達 [ミットタイレン] されうるもの、すなわち分有 [ミットタイレン] しうるものは、しかし、認識にかかわるもののほかにはありえない。しかも、美しいものが問題となるかぎり、対象の概念が関与 [ミットタイレン] することはできない。残るところは「認識一般」にかかわるもの、つまり認識する力どうしの関係、そこで見いだされる「こころの状態」以外になにもないはずである。
 美しいものをとらえるとき、認識能力は相互に「自由なたわむれ freies Spiel」のうちにある。(end25)そこでは一定の概念が、認識能力に対してあらかじめ規則を指定することがないからである。美が感得されるばあいに、対象のかたちをとらえる「直観」と、直観における多様なものをむすびあわせる「構想力」が、規則の能力としての「悟性」とたわむれている。
 たとえば穏やかな春の日、さざ波を汀にうちよせてはかえし、水平線のかぎりまでひろがる海は美しい。なだらかな稜線が秋の日に映えているほど高い山もまた美しい。自然の美はかたちにやどる。美しいもののかたちをたどるとき構想力はうらぎられることがない。なだらかな稜線を目でかたどるとき、ひとの構想力は、それまでも目を愉しませてきた柔らかな曲線のイメージをなお現在にとどめ、いつでもつぎにあらわれる柔和な線のつらなりを予測している。美しいものの判断にあって、構想力はかたちのさだまったものに同調しながら、不意うちされることのない形式のうちで自由にたわむれているはずである。伝達されるのは、快適さではない。「認識能力のこの自由なたわむれの状態」こそが、美しいものの判定にあって、普遍的に伝達可能でなければならないのである(以上、vgl. 217)。
 これまで跡づけてきたことになる、趣味判断の第二の契機は、カントの挙げる第三の契機ではなく、かえって「第四の契機」、つまり「様相」の契機とただちにむすびあうはこびとなることだろう。『純粋理性批判』で挙示されている様相のカテゴリーとは「可能性」「現存在」(現実性)、それに「必然性」の三つである(KrV 106)。ところで、いっさいの表象は、それが(対象の(end26)認識として)快とむすびついていることが「すくなくとも可能」であり、また快適なものであるなら、それは「現実に快を引きおこしている」。いっぽう美しいものについていうならば、それは「適意に対して必然的な関係を有する」のである(KU 236)。ただし、この必然性は、自然概念に由来する客観的(で理論的)な必然性ではない。たほう自由概念にもとづく実践的な必然性でもありえない。むしろ「美しいものとは、概念を欠いたまま必然的な適意の対象として認識されるものなのである」(ebd., 240)。
 (熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)、24~27; 「第1章 美とは目的なき合目的性である」)



  • 一一時まえ離床。快晴。しかし空気はつめたい。うえにあがってジャージにきがえるあいだもトイレにはいって用を足しているときもからだがふるえた。兄夫婦が来るので雰囲気はわりとばたばたしている。食事はきのうの鶏肉ののこりと米に即席の味噌汁。新聞、主に一面。海外から日本に帰ってきた飛行機内の「濃厚接触者」の定義を変更すると。オミクロン株の発生を受けて、感染力がつよいということを鑑み、これまではおなじ機内の全員を濃厚接触者あつかいにしていたのだが、施設受け入れの負担がおおきくなりすぎて千葉県などから見直しの要望が出ていたので、前後二列をふくんだ五列の乗客のみに変更すると。デルタ株時点ではもともとそうだったらしく、オミクロン発生以降の強化をもとにもどすかたちらしい。感染者とおなじ機内の乗客で陽性が出た割合はいままで0. 1から0. 2パーセント程度なので、定義をゆるめても支障ないだろうという判断のようだ。濃厚接触者は一四日間の施設待機がおこなわれるが、空港周辺で利用できる待機施設がなくなって、成田に着いて直後に福岡とか東北とかに飛ばされるひとも出たというのはさいきんよくかたられるはなしである。濃厚接触者以外の乗客には一四日間の自宅待機をもとめる。また、三~一〇日間の施設待機(「停留」)をもとめる、というくくりもあったが、これはどういうばあいだったかわすれてしまった。空港検疫ではすでに二四二人だかのオミクロン感染が検出されているらしい。
  • 濃厚接触者にあたる受験生も、いくつかの条件をクリアすれば別室での受験などをみとめるという方針も。文部科学省が三日前くらいに濃厚接触者は施設待機を徹底するべきで受験はみとめないとうちだしていたらしいのだが、岸田首相の指示でそれが転換されたと。国際線の新規予約停止の件につづいてまたも官邸の調整不足、というつたえられかたをしていた。文科省厚生労働省とは事前に調整していたというが、政府や首相のほうとはそれがなく、おくれて首相に情報がとどくとともに、受験生の不安をつたえる報道が出て、方針転換がなされたらしい。条件というのはPCR検査で陰性になっていること、当日に無症状であること、公共交通機関をつかわずに会場まで行くこと、の三点。
  • もろもろすませて帰室し、ここまで記して一二時一六分。
  • この日は年末さいごの労働。三時すぎに徒歩で職場にむかった。坂をのぼっていくとひだりのちょっと斜面になった段上にいるひとかげが視界の端に見え、ダウンジャケットを着て帽子をかぶったよそおいで若く見えたので、もしかして(……)かなと(そこの家がかれの実家だったので)おもったのだが、道に出てきたすがたを見ればそうではなくて(……)さんで、だからぜんぜん若い人間ではなかった(たぶん八〇歳は越えているはず)。ああ、どうも、こんにちは、とあいさつし、あるきながらちょっと世間話。さらにその後、街道をとおって裏通りに折れるところまで道をいっしょにすることになった。べつにさっさと別れてさきに行ってもよかったのだが、なんとなく時間をともにする気になったのだ。しごとはいつまで、とさいしょに問われたので、きょうで終わりですとかえし、いまから行って何時くらいまでというのには一〇時半くらいになりますねとこたえた。散歩は毎日行ってるんですか、ときくと、毎日朝晩二回行っているという(晩というか午後ということだろうが)。それじゃあすごいですねとかえした。どこまで行くかときけば、あそこの、(……)の広場があるでしょ、あのへんまで行ってもどってきて、とのこと。やっぱりあるかないと駄目だね、すぐあるけなくなっちゃう、それに家のなかにいてテレビばっかり見ててもね、腐っちゃうから、というので、さいきんは天気もいいですからね、そとに出ると気持ちもいいですよね、と言った。なんとなくだが、奥さんはいまもう家にいないのかもしれない。亡くなってはいないはずだが、施設か病院にはいっているような雰囲気をかんじないでもなかった(まえにそんな情報をきいた気がしないでもないが、これはあいまいな記憶なので信頼性は低い)。街道に出るあたりで、じゃあバス停までいっしょに行きましょう、と言ったが、けっきょく(……)さんはそこを越えて、この日はもしかしたら(……)あたりまで行ったのかもしれない。おもてに出てまもなく、ならんであるくには歩道がせまかったためだろう(こちらは歩道と車道の隙間に下りていたのだが、(……)さんはそれだとあぶないと言ってさきに行くようにすすめてみせた)、北側にわたろうというのでしたがい、さいきんの工事で拡張された真新しい歩道をならんで行った。(……)さんは顔はわりといかついほうで、また輪郭も四角く角張ったようなかんじで、ポケモンイシツブテみたいな風貌なのでどちらかといえば怖そうな見た目であり、あまり愛想がよさそうには見えないのだが、じっさいはなしてみればそういうわけでもなく、とくにあかるかったり言葉数がおおかったりするわけではないが、むこうからけっこう質問を投げてきてふつうにはなすし、ことばづかいや語調もまったく荒っぽくはない。しごとのことなど多少説明したりした。こちらからはあまり聞くこともおもいつかず、だいたいあちらの問いを受けてかえすかたちとなり、みじかい沈黙がさしはさまる時間もおりおりあったのだが、気まずさはかんじなかった。裏に折れるところで、じゃあぼくはここで曲がりますんでと言うと、礼とがんばってねということばをもらえたが、別れ際のそのあいさつもわりと気安げな調子だった。
  • きのうとおなじく三時をすぎれば裏路地に日なたはほぼなく、路上はおおかた家蔭に領されているが、空はパウダー状の雲をところどころまぶされながらも水色にあかるい。さむさをかんじた記憶はないが、一箇所で風がながれて葉鳴りをきいたおぼえもある。勤務。(……)
  • (……)
  • 帰ると兄夫婦が来ていたのであいさつ。一〇時半すぎだったが、(……)ちゃんも(……)くんもふつうに起きており、ねむそうなようすも見せずにぎやかにうごきまわっていた。手を洗い、きがえもせずに居間の床にすわりこんで(……)くんのあいてをする。来月で二歳。手を洗っているあいだも洗面所にいるこちらのほうを見に来たりして、興味をもたれたようすだった。フローリングの床には世界地図の諸所にいろいろな動物の絵が描かれているシートが引かれてあり、(……)くんはその絵を指さしながらこれは? これは? ときいてくるので、それにこたえて名詞を口にし、これは~~、これは~~だよ、とおしえてやる。まだそんなにはっきりとはしゃべれないわけだが、しかしこの日以後の数日にいっしょに過ごした印象では、あちらの意思は身振りなどからかなりわかりやすくなっており、またこちらの意図もけっこうつたわっていることが見受けられ、はっきり意味のわかることばを口にすることもたまにあって、コミュニケーションはそこそこ成立していた。なにかを指差して「これは?」と問うというふるまいは数日間のあいだたびたび見られ、このシート以外にも、ペンやキーホルダーなどの小間物、また紙パックのジュースの表面にかかれた文字や絵、さらに車の模型の各部分(タイヤとかハンドルとかバンパーとかだが、ときにはボンネット上の一部とか、車体のうちの半端な位置のように、明確にこれという名詞でこたえられないぶぶんを指すこともあり、そういうときはこたえに詰まった。また、模型以外にも、たとえば新聞に載せられていた写真などで、これはなんなのかわからないというものが指さされたこともあって、そのときはこれなんだろうね、わからない、とはっきり「わからない」ということばをかえしたのだけれど、男児はこの「わからない」ということばを理解しているようなようすだった。くわえていえば、「ない」が全般的な否定の符牒だということもおそらく理解しており、じぶんでも「~~ない」という発語(「~~」のぶぶんはあまりはっきりしない)をたびたびおこなっていた)などが対象になったのだが、このようにして赤子はすでに言語の世界に参入しているのだなと、人間としての主体形成のもっともはじめの一歩をすでに踏んでいるのだなとおもった。つまりバンヴェニストのいわゆる「シフター」のことをおもいだしたということで、じぶんがこの概念について知ったのはバンヴェニストじしんの著作ではなく(それは読んだことがない)、ジョルジョ・アガンベンの『アウシュヴィッツの残りのもの』でその論が援用されていたからなのだが、記憶にたよって記述してみると、まず言語外の世界や事物と言語とをむすびつけるような必然性とか法則とか根拠とかは、言語のうちにはまったく見出だせないという認識がある。牛とか蜂とか机とか滝とか、なんでもいいのだけれど、それが指示する事物とその語がなぜ結合するのかという理由は、本質的に、その語じたいのうちにも言語体系ぜんたいのうちにも見つけられない(擬音語のように音を言語として形態化したことばや、語源的に音がかかわってくる語は事情がすこしちがうだろうが)。これはソシュールのいわゆる言語の恣意性というかんがえかたを下敷きにしたものだとおもわれるが(牛を「牛」という語ならびに「うし」という音で呼ばなければならない必然的な理由はない)、つまり、人間に言語を習得させ、それをあやつってものを指し示す能力を身につけさせるような機能は、言語体系そのものやつうじょうの語のなかには発見できない、ということである。そこで登場してくるのが「シフター」という概念で、これは「これ」とか「それ」のような一般的な指示語とか、「わたし」のような人称代名詞にあたるものであり、こうした語はつうじょうの単語のように辞書的な意味を定義することができず、それがじっさいに発せられ使用される文脈にのみ依存して意味と指示対象をさだめられることになる(「わたし」という代名詞は、それを発語する主体におうじて、数十億にもおよぶこの世の人間すべてを指し示すことができる魔法のような一語である)。こうしたことばを媒介としてひとは言語外の世界と言語とのあいだを移行するのであり(したがって「シフター」とは、ひとを事物の世界から言語の世界へと移行(シフト)させ、参入させるものという謂だろう)、むしろこの語によってこそ主体は主体としてとりまとめられ成立することとなり、本質的には「わたし」は、主体が「わたし」と発するその瞬間にのみその都度成立しては去っていくあえかな存在なのだ、みたいなことがバンヴェニストの所論だったとおもう(このさいごの点にはやや意訳がはいっている気がするが、このあたりの論点はデカルトと軌を一にしているのではないか)。というところできちんと典拠を引いておこうというわけで、Evernoteから書抜きをうつしておく。

 (……)現代の言語学によって得られた原理のひとつは、言語(lingua, langue)と現におこなわれている言述行為〔話[わ]〕(discorso, discours)とは完全に分裂した二つの世界であって、両者のあいだには移行も交流もないということである。すでにソシュールが指摘していたことによれば、言語のなかには一連の記号(たとえば、「牛、湖、天、赤、悲しい、五、割る、見る」)が用意されているが、言述〔話〕を形成しようとする場合に、どのようなしかたで、またどのような操作によって、これらの記号が働かされるのかを予見させ、理解させてくれるものは、言語自体のうちにはなにもない。「この一連の単語は、それが思い起こさせる諸観念がどれほど豊富にあろうとも、人間の個体がそれを口にして、なにかを伝えようとしているということを、別の個体に教えることはけっしてない」。その数十年後に、バンヴェニストは、ソシュールの二律背反をふたたび取り上げ、敷衍して、こう付け加えた。「記号の世界は閉じている。記号から文へは、連辞化によってであろうと、ほかのやり方によってであろうと、移行はない。ひとつの裂け目が両者を分け隔てている」(Benveniste, E., Problèmes de linguistique générale, vol. 2, Gallimard, Paris 1974., p.65)。
 その一方で、いかなる言語も、個体が言語をわがものとし、働かせることを可能にするための一連の記号(言語学者たちはこれをシフター[shifter]、もしくは陳述指示語と呼んでおり、そのなかには、とくに代名詞の「わたし」、「あなた」、「これ」や副詞の「ここ」、「いま」などが含まれる)を持ち合わせている。これらの記号すべてに共通する特徴は、それらはほかの単語とちがって事物に関する用語によって定義できるような辞書的な意味をもっておらず、それらの記号(end156)の意味はそれらを含む具体的な言述行為を参照することによってしかつきとめることができないということである。(……)
 (ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社、二〇〇一年)、156~157)

     *

 奇妙な生物のことを考えてみよう。幼児のことである。かれが「わたし」と言い、話すようになるとき、かれのうちで、そしてかれにとって、なにが起こるのだろうか。「わたし」、すなわちかれが到達する主体性は、すでに見たように、純粋に言述行為〔話[わ]〕的なものであり、それは概念も現実の個体も指示してはいない。生の多様な総体を超越する統一性として、わたしたちが意識と呼んでいるものの永続性を保証するこの「わたし」は、もっぱら言語的な特性が存在のうちにあらわれるということにほかならない。バンヴェニストが書いているように、「話し手が自分を主体〔主辞〕として言表するのは、わたし[﹅3]がそれの話し手を指している現におこなわれている話〔言述行為〕においてである。それゆえ、主体性の根拠が言語の行使にあるというのは、文字どおり真実なのである」(Benveniste, E., Problèmes de linguistique générale, vol. 1, Gallimard, Paris 1966.(岸本通夫監訳『一般言語学の諸問題』みすず書房、1983年), p.262)。言語学者たちは、主体性を言語活動のうちに据えることが言語の構造におよぼす影響については分析してきた。しかし、その主体性が生物としての個体におよぼす影響については、まだ大部分が分析されていない。わたし[﹅3]としての、言述行為〔話〕における話し手としての、自己自身のもとへのこの前代未聞の現前のおかげでこそ、もろもろの生ともろもろの行為が帰属する統一的中心のようなもの、もろもろの感覚ともろもろの心理状態のうずまく大洋の外にあって、それらの感覚と心理状態があたかも所有主に帰属するかのようにして統合的に帰属する不動の一点のようなものが、生物学的な生を生きている存在(il vivente)のうちに生まれるのである。そして、バンヴェニストが明らかにしたところでは、言表の行為が可能にする自己と世界への現前をとおしてこそ、人間の時間性が生まれるのであり、一般に、人間は、言述行為〔話〕を世界のうちに挿入することをとおして言表の行為を実行するこ(end165)とによってしか、すなわち、「わたし」、「いま」と言うことによってしか、〈いま〉を生きるすべをもっていないのである。しかし、まさにこのために、まさに言述行為〔話〕という現実しかないために、〈いま〉は――現在の一瞬をつかもうとするあらゆる試みから明らかなように――還元不可能な否定性によってしか告げられない。まさに意識は言語活動という内実しかもっていないために、哲学と心理学が意識のうちに発見したと思いこんできたもののすべては、言語の影でしかなく、「夢想された実体」でしかない。わたしたちの文化がもっとも堅固な土台だと思いこんできた主体性、意識は、世界にあるもののうちでもっとも脆くてはかないもの、すなわち発語というできごとに依拠しているのである。しかし、この移ろいやすい土台は、自己と他者たちにひとたび言葉が与えられさえすれば、どれほどうわついたおしゃべりによってであろうと、わたしたちが話そうとして言語を働かせるたびに再建される。そして、その行為が終了するとともにまたもや崩れ去ってしまうのである。
 (165~166)

  • 言語というのはあきらかに、魔法や魔術のようなものなのだ。また、上記の文脈とはすこしちがった意味合いではあるが(時々刻々と瞬間ごとに変容し、アスペクトとイマージュにおいて散乱しているはずのものものを、語によって同一性の内部にくさびづけ、「同」として固定化するという意味合いである)、レヴィナスを引きながら語る熊野純彦はそのはたらきを「みごとな詐術」とも呼んでいる(熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、191)。いずれにしても、それはきわめて不可思議なもの、端的な、純然たるひとつの謎であり、ほんとうはひとを当惑させるようなものなのだが、われわれはほとんどのばあい、そのことをかんぜんにわすれきっている。
  • しばらくしてから下階に下り、きがえ。いつもだったら三〇分か一時間かそこら寝転がってだらだらと休んでから食事に行くのだが、きょうは兄夫婦が来ているしまあいちおうさっさとあがって卓をともにしたほうがいいかとおもい、ほとんど転がらずにすぐに居間にもどった。食事。兄と隣り合う。(……)さんは子どもふたりを寝かせようと苦労している(かのじょと子らが寝るのは仏間のさき、元祖父母の部屋だった一室であり、兄は滞在中、もともとかれの自室だった部屋(こちらの部屋のとなり)で寝た)。いまの子どもってずいぶんおそくまで起きてるよね、俺なんか中三までずっと九時には寝てたぜと笑うと兄も同意し、(……)さんもおなじだったという。いまはスマートフォンがあるからいくらでも夜ふかしできるからな、生徒でもそれで寝られないって子がいるよと言うと、それにかんしてはマジでなやんでいるのだと兄は言った。つまりそういう機器の我が子らにたいする影響ということで、全面的に禁止するのは時代と生活をかんがえてももはや無理だろうが、たとえば一〇時くらいになったらかんぜんに接続できないようにするとか、そういったことをやったほうがいいのか、とたびたび自問しているらしい。いまでさえ(……)ちゃんも(……)くんもYouTubeの動画をよく見ており(じっさいこの滞在中にも(……)くんは乗り物の動画をなんどか見せられていた。見ているあいだはおおかたそれに釘付けになってうごかずおとなしくするので、ほかにやらなければならないことがあったりするばあい、親としてはたすかるのだ)、まだ二歳弱である(……)くんはともかくとしても、(……)ちゃんのほうはそれでわがままをいうこともあるらしく、また、そういうのを習慣づけるとなんとなく集中力がなくなるような気もすると。それはじっさいわりとそうだとおもうよとこちらは受け、われわれが子どものころなんかは、なにもしない時間ってのがあったじゃん、なにもすることがなくて退屈するっていうことが、それがじつは大事だったんだとおもってて、でもいまはいつでもどこでもスマホで情報をみられるから、そういう時間をかんぜんに潰せるでしょ、だから退屈さとか、待つ時間とかに耐えられないっていうか、みたいなことを述べると、子どもどころかおとなでもそうだからなと兄は受けたので、Twitterを始終見てなきゃ気がすまないとかな、と落とした。こういうのはいわゆるデジタルデトックスというのか、ありがちな言い分ではあるのだけれど、なにもしない時間をとること、要するに無為を肯定する傾向のつよいこちらとしてはやはりそういう言い分にはなるわけで(といってこちらのばあい、見聞きしたものを日記に書くという前提があるから、なにもしない時間があったとしてもけっこういそがしく周囲のものを見たりしていて、それはあまり無為ではないのかもしれないが)、経験的にふりかえってみても、なにかやることがなかったりなにもやる気にならずに停止しているような時間にこそ、ひとは実存的なことをかんがえたりじぶんを見つめ直したりするものだとおもう。生活と行動のながれのせわしなさにまぎれてなおざりにしているが大切なことが、そのながれが停まったときにこそ回帰してきてかんがえることができるという、これもまたありがちな言い分ではあるのだけれど、いま読んでいる西谷修『不死のワンダーランド』の第Ⅰ章に書かれてあったことによれば、こういうとらえかたはハイデガーの述べることとも一致してはいる。つまりかれにいわせればつうじょう現代の人間はつねになにかを志向しなにかを目的としてせわしなく行動しており、それはいわば「気散じ」としての「頽落」した生なのだけれど、生がそういうことになるのは意識が志向性をもっているからであり、つまり意識がつねになにものかについての意識であるというありかたをしているからなのだ(このさいごの点はフッサールいらい、現象学の前提となっている認識だったはずである)。つねになにかの対象を志向するという意識のありかたが人間の世界を構成し、したがってわれわれを「世界内存在」として規定するのだが、そういう「日常的」生活の「頽落」したありかたにおいては、みずからが存在しているという事実そのものが意識の志向対象になることはなく、人間は非本来的な生にどっぷりと浸かって本質的なことを等閑視しながら(つまり「存在忘却」におちいりながら)もろもろの「気散じ」にまみれ、まぎれている。そういう志向性が外部の対象を発見できず、なにかに明確に定位することがなくなり、いわば対象不在の無為な中断に浮かびまどうときにこそ、世界ではなくみずからの実存が見え、じぶんが存在しているという事実が意識の圏域に浮かびあがってくるのだと。そこでひとは「不安」をおぼえるが、それを媒介にして「死」と「無」のすがたをかいま見ることとなり、要するにじぶんが死ぬという事実とそこからみちびきだされる生の無根拠性を明確に知るとともに、しかしそこに絶望せずにニヒリズム的な覚醒を経ておのれの「運命」をになう「覚悟」を獲得することによって生の「本来性」をとりもどす、というのがおおまかに言ってハイデガーのはなしなのだ。
  • 飯を食いながらはなしたのは主にしごとのことがおおかったような気がする。あるいはまだ起きていた父親と兄が社会談義みたいなことを語り合う時間がおおかったかもしれない。食後に風呂にはいってから出てきたあとも、まあせっかくの機会だしすげなくさっさと下りてしまわず、いちおうはなしにつきあうかとおもって椅子にすわったのだが、(……)さんもまじえて三人でけっきょく四時まで会話することになった。風呂を出るとたぶんもう一時くらいだったとおもうのだけれど、両親もしばらくまだのこっていた記憶がある。その後、三人だけに。酒を飲んだ兄はつねになく口数がおおく饒舌になっており、(……)さんによれば酒を飲むとひとが変わるとまわりからいわれているらしい(母親が父親について(否定的に)評することばとまったく同一である)。兄はもともとそんなに快活な雰囲気のほうではなく、といって暗鬱だったりはしないものの、あからさまに愛想がよかったりにこにこしたりしているわけではなく、体格もあって鈍重な気味がつよくて、ふだんはそこまでペラペラしゃべるタイプでもないのだが、このときはむやみに饒舌で、こちらや(……)さんとやりとりするときにも、あいての発言を終わりまで待たずすばやくことばを継いだりさしこんだりすることがおおかった(また、こちらの発言をじぶんの解釈圏にひきよせて、やや不正確とおもえるかたちで理解したりすることもあり、全般的におなじ文言をくりかえしがちでもあった)。じぶんのおもいや意見のようなかんがえを積極的に語っていくという動勢もつよく、語調が荒いというほどではないがその調子も矢継ぎ早だったり、声もおおきめだったり、断言的だったりするのをきくに酒を飲んだときの父親との類似をおもわざるをえず、このようにして血は反復されていくのだなと、じぶんはこの反復をひきつがないようにしなければなるまいとおもった。というのも、とくに男性が酒を飲んで酔ったときというのはこのような言語行為をしがちなひとがおおい気がするのだが、じぶんはそういうはなしかたや語り口をあまり好ましくはおもわないからである。じぶんも酒を飲んで酔っ払ったら嬉々としてこういう語り方をするのかもしれないが、それはあまり実現してほしくはない未来である。この夜の兄とか父親のようすや言動はまさしく「語る」というニュアンスがつよく凝縮されたような、いかにも語っている、という印象のもので、まあじぶんもふだんからわりとそういうことになっているときはあるのかもしれないが、ロラン・バルトのことばを借りれば、いかにも「ディスクールを聞かせている」というかんじであり、なんというか、おのおのの人間というよりは、それぞれの「ディスクールを聞かせる」がほとんど主体のようにしてそこに密度をもって定立し、その場が「ディスクールを聞かせる」でせまくるしく満たされているようなかんじで、酒席というのは一般にそういうことになるときもわりと多いのだろう。
  • はなしたことはひとつにはじぶんのパニック障害や鬱症状の経験で、さいしょの発作のときのことなど語ったのだが、兄はそれを聞いて、でもいまそういうふうに客観的にみて理解できてるってことはいいかもしれんね、ということをなんどか口にした。また、パニック障害の不安や身体症状についても、似たようなことはたとえば会社ではたらけばおおかれすくなかれみんなある、じぶんもそとにはみえないが緊張しやすくて、というようなことをなんどか言い、それはある程度まではそうではあるのだけれど、やはりパニック障害の発作や症状としての不安は、大多数の人間がつうじょう体験しているような心身の作用とは程度としても質としても別物だろうと体験者としてはおもう。すくなくとも、よしんば発作のような状態に見舞われたとしても、ほとんどの人間のばあいそれは一過性の、そのときかぎりのものにとどまり、その後の日常生活に難をおよぼすということはない。ひるがえってパニック障害の発作は、いちどそれが起こったらそれいぜんのじぶんや心身にもどることはできないという、決定的に不可逆的なものだというのがこちらの経験したことがらの理解である。おのれのうちでなにかが決定的にずれ、組み替えられてしまう。したがってその後の生は、そのずれた状態を前提として受け容れ引き受けながら、それにおうじたあらたなものとして調整され、おりあいをつけられなければならない。それがパニック障害の治癒の過程の基本的なみちゆきである。もとにもどることがめざされるのではない。病と症状をふくみこんだあたらしい生や存在のありかたが創出されなければならないのだ。それができないかぎり(すくなくともそれが方針としてめざされないかぎり)、パニック障害という疾患の快癒や完治はありえないというのがじぶんの経験的理解である。したがってパニック障害におけるさいしょの発作というできごとは、ほとんど絶対的なほどに確固たるトラウマとしての地位を確立することになる。とはいえはじめの発作の時点でほんとうに不可逆的な変化が起こっていたかといえば確言はできず、過去の体験の物語的な理解によってそのようにおもわれているのではないか、といううたがいも成り立ちはする。すなわち、さいしょの発作のあとの対応次第では、パニック障害と診断される状態におちいることはなく、その圏域にはいることなくのがれることもできたのかもしれない、ともおもうものだが、しかしやはりいちどめの発作はその後のどんな発作にも比肩できないほどに激しいものだったし、その苦しさは、トラウマにならないことは不可能だったとふりかえっておもえるほどにつよいものでもあったのだ。
  • (……)
  • 兄がさいきん、飲み会で遅くなり二時だかにタクシーで帰ってきたというはなしもあった。そのことに(……)さんは憤慨しており、オミクロン株が発生したこの時期にそんなことをやるのが信じられない、(兄も悪いが)上司が駄目だとおもう、ということを主張して、あらためて兄を責めていたのだが、酔って口数のおおくなった兄は、なんというかあまり悪びれないようすで、むしろ堂々と受けて立つというような調子でつぎつぎとことばをくりだし、いやまったくそのとおりだとおもう、正論だとおもう、そういうことを言ってくれてありがたいともおもう、だけど、そういうんだったら、民間企業ではたらいてみろと、やっぱりどうしてもことわれないという場面があるとしかいいようがない、と反論していた。そういう兄のようすにやはり父親の反復を見ないでもないが、とはいえ、(……)さんは悪いとおもったことはわりとはっきり口にして苦言を呈するほうだし、口喧嘩までの激しさは帯びないにしても、そういうふうにひとまず対等と見える言い合いができる関係が成立しているという点では、両親のそれよりも望ましいと言えるのだろう。水掛け論というか、これはどう言ってもきかないなというかんじだったので、いま酔っ払ってるんでなにいっても駄目ですよと(……)さんに笑いかけ、あとで文章にしたらどうですか、そうすると冷静に読めるし、おもしろくないですか、よくないとおもうところ1、2、3、4、みたいなかんじで、まとめて突きつけるみたいな、と笑うと、兄もいいよ、受けて立つよ、といいだして、おれもぜったい書けるぜ、こっちには夏目漱石とハルキ・ムラカミがついてるからな、と豪語したので、そこでハルキなんだ、とふたりで笑った。ドストエフスキーはどうしたんだよ、と突っこんだところ、かれももちろんついているとのこと。
  • あとは夏目漱石から、例の「月がきれいですね」というI love youの訳にながれたときがあって、なんでもいぜん、毎晩帰ると妻が死んだふりをしているという映画だかドラマだかを見たときに(榮倉奈々が主演だったとか言っていた気がする)、このネタが重要な役割を果たしていたらしく、しかし(……)さんはこれを知らなかったので兄がひとりで納得し、おしえてもらわなければ作品が理解できないところだったという。この夏目式愛の言葉はいまやそうとうにひろく流通していて大衆文化の各方面に伝播している印象だが、ほかにもなんにんかバージョンがあるんですよね、二葉亭四迷とか、と言って(たしかかれは「君のためなら死ねる」だか、「あなたとずっといっしょにいたい」みたいな文言だったか?)、そこから『浮雲』をいぜん読んだがまあなんというかあんまりおもしろくもないような、すくいのないようなはなしだった、と展開し、物語の内容を要約して説明した。