- いま一月三日の午後八時半で、さきほど夕食まえにこの前日、二九日の記事を書いたのだけれど、なるべく簡易的に行こうなどと言っておきながら終わってみれば六〇〇〇字だかそのくらいは書いたもようで、この日の記事はもっと絞って最低限にしたい(というこのことわりじたいがすでにほんとうは書く必要のない余計な文言のような気がするが)。かなりへんなはなしだが、もうたとえばかならずいちにちの記述を一〇〇〇字におさめるとか、しばらくそういう規制をもうけてしまうか? などともおもったのだけれど、まだそこまではしなくていいかな、というところ。一〇〇〇字ときくと、いかにもすくなくかんじられる。ほとんどなにも書けないじゃん、と。ばあいによっては一段落、ひとつのできごとの説明だけで終わってしまう。
- この日は(……)の(……)宅で(……)、(……)くん、(……)の三人と会合。印象にのこっていることだけを絞って行くぞ。でむくまえに(……)に寄った。書店で『ガンジー自伝』を書いたかったためである。人出はおおい。北口広場でペルーあたりの出身だとおもわれるグループが、”コンドルは飛んでいく”を演奏していた。(……)へ。(……)。まず文庫。『ガンジー自伝』は中公文庫。あった。中公文庫といえば手塚富雄訳の『ツァラトゥストラ』があったなとおもいだして、ついでに買っておくことに。それから海外文学も見ておくことに。そのまえに詩の棚も瞥見。ここで野沢啓『言語隠喩論』というものを発見してしまい、おもしろそうだったので買うことに。詩人としての実践的現場にもとづきながら隠喩とか言語を理論的にかんがえる、みたいな売り文句だったので。それから海外文学。ここでなんと、カール・ゼーリヒの『ローベルト・ヴァルザーとの散策』があたらしく出ているのに遭遇したのだ! これが訳されたという情報をキャッチしていなかったものだから、不意撃ちを受けてかなり興奮した。おれはこれをずっと待っていた。英訳版を買おうとおもってAmazonのカートに入れていたくらいだ。新本史斉訳。ローベルト・ヴァルザーなどという作家に学究生活の大部をささげようという人間が存在しているのだから、日本という国もまだ捨てたものではない。ほか、ウルフの『波』の新訳もどうせ持っていなければならなくなるのだろうし、もう買っておこうと選択。以下五冊を会計。
・野沢啓『言語隠喩論』(未來社/ポイエーシス叢書75、二〇二一年)
・ヴァージニア・ウルフ/森山恵訳『波』(早川書房、二〇二一年)
・マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年初版・二〇〇四年改版)
・カール・ゼーリヒ/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ編/新本史斉訳『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、二〇二一年)
・ニーチェ/手塚富雄訳『ツァラトゥストラ』(中公文庫、一九七三年初版・二〇一八年改版)
- その後駅にもどり、(……)の地階で土産の甘味をもとめる。ひとはおおく、ほとんどごったがえしているような調子で、通路のとちゅうがひとで埋まってすすめずにちょっと止まらなければならないときすらあった。ロールケーキにしようかなと漠然とおもいながら見回っていたところ、不二家のショーケースに窯焼きシュークリームなるものがちょうど四つそろっているのを発見したのでそれに決定。
- アコギを背負ってきたのにくわえて紙袋がふたつ増えたので、けっこうな荷物になった。電車に乗って(……)へ。友人宅についたあとは例によってアコギを弾きまくってブルースをやったりして無為にあそぶ(ついてまもなく(……)は飲み物を買ってくると言って外出し、(……)くんとふたりになったが、あまりセッションというかんじでもなくたがいにてきとうにブルースを弾いてゆるくあわせることがつづくかんじで、ほとんどまったく会話もしなかったくらいだ)。(……)は美容院に行っており、三時以降に来ると。かれが来たあとは”(……)”のボーカルを修正した音源のチェック。じぶんがつくったものではないし、めちゃくちゃこまかく完璧を期すつもりもなく、そんなに気になるところもないだろうと(……)にまかせるつもりだったのだが、きいてみれば何箇所かいちおうここはふれておいたほうがいいかなというぶぶんがあった。(……)のそれとあわせて、(……)が確認し、その場で修正をこころみていく。それで夕食までの時間が尽きた。もともと外食に行こうかということだったのだが、近間の沖縄料理屋に電話すると混みまくっていて予約もいっぱいだし席が空くかもあやしいという状況らしく、(……)がはなしたいこともあるというので出前でピザをたのむことに。照り焼きチキンとカニクリームみたいなやつ。(……)そういうことをやっているうちに一〇時にいたってしまったので、(……)のしたかったはなしはできないまま帰路へ。
- (……)