2021/12/31, Fri.

  • きのうの記事はかなりみじかめに、うまく短縮して書けた感があってよろしかった。三〇〇〇字くらいにおさまったもよう。まいにちそのくらいの分量でいければかなり楽だし、ほかのことにも時間をつかえていいかもしれないなとおもった。ともかくもまいにち書いていさえすりゃあそれでいいのだ(というか、書かなくたっていい。日々の書き物をいつやめたっていい。とはいえ、そういうことをおりにふれて書きつけ表明しているのは、まだじぶんじしんに言い聞かせるような意味合いが多少はふくまれているようで、そう言いながらも、じっさいにそうすぱっとおもいきっていとなみを捨てることができるかというと、現実そういう気にはならないようだし、こころもとないところだ)。永井荷風なんて、まいにちほぼ二、三行くらいだったはず。
  • この日もたいした記憶はないのでみじかくさっと終えよう。おおみそかであり、兄夫婦が帰った日である。帰ったのは夕方、五時くらいだったか? まだ暗くなっていなかったのでもうすこしまえだな。四時すぎくらいだったのではないか。それまではまただいたい子らのあいて。おととい同様、畑に出たりもした。帰るすこしまえには階段をおりたところにある父親の本棚から(……)ちゃんが「ヘンな虫」の本を見つけて持ってきたので、いっしょにそれをひらいて写真をみたり。一般的基準からすればかなりグロテスクなたぐいの虫の写真もけっこうあったのだが、(……)ちゃんはそこに嫌悪や拒否感はおぼえず、むしろ興味津々というかんじで、これはなに? なんていうの? とつぎつぎきいてきた。かのじょはひらがなはもうそこそこ読めるらしいが、カタカナや漢字はまだのようだ。それで写真のしたに書いてある虫のなまえをいちいち読んでおしえてあげた。
  • あと、三時ぐらいに(……)くんが来た。近所に実家がある兄の同級生。いまは(……)にいるらしい。作曲家や演奏家のしごとをしているのだけれど、コロナウイルスによってレコーディングやライブの機会も減ってしごとがすくなくなり、一〇月か一一月くらいから今月までは家のちかくの葡萄農園で短期のバイトをしていたという。なかなかおもしろかったと。こんど、一月六日だかにひさしぶりにレコーディングの機会があるとか。また、妹の(……)さん(という漢字であっていたかあやしいが)がつい数日前の二六日に結婚したという。
  • 兄夫婦が帰ったあとはここ数日の反動か、ひどくだらだらしてしまった。食事も遅くなった。あがっていくと『紅白歌合戦』がうつっている。食べはじめたあたりではケツメイシが出ていて、たしか”Life Is Beautiful”という題の曲をやっていたのだけれど、耳にはいってくる歌詞をきくに最大限に定型句にしたがったメッセージソングというかんじで、メジャーどころのJ-POPにそういうものはすくなくないし、むかしからずっとそうなのだからいまさら言うことでもないのだけれど、マジでなんの具体性もなく、場所も時間も事物もなにひとつ盛りこまれず、そんな調子だからましてやたとえば風景の感覚をえられるような要素など一粒ほどのかけらもうかがえない。最大の紋切型をうたがいも抵抗もまったくなくそのまま唯々諾々と採用してつなげたかたちでの感情とメッセージ、ほんとうにあるのはただそれだけ。いってみれば観念しかなく、唯物論的基盤というか、いわば下部構造がすこしも敷かれていない。いままでなんども書いてきているのだが、この空疎さと、それが(ある程度は)ひろく流通している(らしい)という事実としてのこの世の現実には、ふれるたびにおどろきをくりかえしてしまう。空疎だから受け手を限定せずに、聴者がおもいおもいにみずからの体験やおもいに引き寄せて共感し、流通することができる、という仕組みはむろんわかる。しかしそれにしても? と。そういう一般性と普遍性とはちがうはずだが? と。『紅白歌合戦』というテレビ番組でとりあげられているということは、それがいちおう現在の日本の音楽の主流部を代表するもの(のひとつ)とみなされているということを意味するはずで、こういう音楽がメジャーでメインストリームなものとして位置づけられて人気をえているのだとしたら、そりゃいつまで経ってもじぶんみたいな人間にとってはなじみやすい世の中になどなるわけがないな、とおもった。しかも父親がまたそれを見ながらときおりうなずきつつ感動のなみだをもよおしているものだから、いまこの居間にいて飯を食っている瞬間においてもじつに居心地がわるかった。身の内にちょっとストレスをかんじたくらいだ(ちなみに母親はうとうとしていたとおもう)。その後、宮本浩次なんかも出演。父親はかれの登場からなぜか笑っていて、こいつおもしれえなあともらしていたが(今回はじめて見たわけではなく、なんどか見かけたことはあるようだった)、全身全霊でちからをこめてうたうようなエモーショナルなスタイルがたぶんおもしろいのだろう。かれはかなり暑苦しいタイプのボーカルではあるのだけれど、ただ声色に一種のまろやかさみたいなものがあってその暑苦しさが中和されているようなかんじも受け、たとえば八〇年代アメリカのHR/HMの連中が誇ったような暑苦しさとは別物になっている気がする。よくもわるくもスタイルがはっきりあって、成熟もしている歌い手だから悪くはない。あと、millennium parade × belle(中村佳穂)もちょうどながれて、今回の『紅白歌合戦』に出演したひとびとのなかでこちらがいちおうちょっと見てみたいとおもったのはもちろんこのグループしかなかったわけだが、そんなにピンとはこなかった。こういうかんじの雰囲気なんだ、と。ややダークな色調があって、それは『AINOU』を念頭に置いたばあいの中村佳穂のイメージにはふくまれないものだったので、あまりかのじょじしんの土俵ではないというか、あくまで客演なのかな、というような気がされたし、またこれは正確なタイトルをわすれたが中村佳穂が主演声優をつとめた例の細田守の映画の主題歌だったらしく、出演者名にしめされているように、かのじょはその主人公belleとしてうたっていたぶぶんがあるはずで、じっさい目が悪いのでよく見えなかったがそれにあわせてなのか扮装めいた衣装でもあったようだし、だからある種役を演じたりそれに寄せたり合わせたりするかんじもあったのかもしれず、あまりかのじょの持ち味をのびのびと展開するという時間ではなかったとおもう(まあ一曲だけでもあるし、はじめからそういうことは目的とはされていなかっただろう)。音楽としてもさきほど述べたようにすこし暗めのクールな雰囲気だし、弦楽がとちゅうですばやくさしこまれたりもして、こういうイベントでそんなに受け容れられて盛り上がるタイプのものではないなと、茶の間で受けるような音楽ではないなとおもったのだが、じっさい父親も終わったあとはうーん……みたいな声をもらして、なんかよくわかんないな……これがいまはやってんのか……みたいな困惑じみた雰囲気をかもしだしていた。
  • 風呂にはいって湯のなかで目をつぶっているあいだにいつのまにか年が明けていた。鐘の音らしきものを間歇的に聞いたのだが、すでに明けたあとだったのであれは除夜の鐘ではなかったはずである。