2022/1/2, Sun.

  • 一一時半の離床。そのまえからなんどか覚めてはいたが、起き上がれず。一一時すぎくらいに意識がさだかになり、寝床のなかで深呼吸をしばらくしてから布団のしたを抜けた。洗面所に行ってくるとともにトイレで黄色い尿を長々とはなってからもどってきて瞑想。やはり毎日、起床時の一回だけでもきちんと止まる時間をつくったほうがいい。なにをやるにしても、毎日かならずそれにふれる時間をつくる、日々のこととして習慣化するというのが大事だなと、継続主義者としてのいぜんのたちばにおもいが回帰している。吉本隆明がどこだったかで言っていたことには、たとえば作家になるなどというのはかんたんなことで、一〇年間まいにちかならず文を書くことをつづければいいだけだと。文が書けない、出てこないとしても、すくなくともすわって机にむかい、書こうとする時間はつくる。それを一〇年、まいにちつづければそのひとはもう作家になっている、とそんなはなしだったが、一〇年間まいにち欠かさずあることをやれば、相応のちからやスタイルはおのずと身につくだろうし、職業作家として社会的にみとめられるかどうかといった点とはべつのことがらとして、そのときにそのひとは内的な存在様態としてはもう作家だろう。読み書きをはじめてから初期のころのじぶんはこのことばをわりと真に受けて、とにかくまいにち欠かさずに読み、書くことが肝要なのだ、読み、書かない日を一日たりともつくってはならないと、ふりかえればやや宗教的ともおもえるような強迫観念じみた執着を見せていたが、そのながれはいちおういまもつづいてはいるわけである。二〇一三年の一月に読み書きをはじめてここで丸九年、ただし鬱症状に死んでいた二〇一八年の一年はのぞいて八年間、ほとんど毎日かならずなにかを読んで文を書いてきたことにはなる(文を書くといっても、そのおおかたはこの日記にすぎないのだが)。一〇年まではあと二年である。ここ一、二年くらいは執着が弱くなって、かならずしもまいにちやる必要はない、できない日があってもそれはそれでいいとゆるく落とし、じっさい兄夫婦がやってきた先日の年末など、子どもらのあいてなどでまったく文を書けない日も生まれたわけだが、あらためて、ものごとをおこなうにあたってのコツや極意など、まいにち欠かさずその時間をつくるという一点に尽きるなという基本点におもいが立ち返っている。
  • 上階へ。燃えるゴミを始末。洗面所であらためてうがいなど。食事は冷凍のスパゲッティやきのうのスンドゥブのあまりを利用したおじやなど。テレビは箱根駅伝をうつしていた。関心はとくにない。新聞が休みだったはずなので、いちど籠に入れてしまったきのうのものを引っ張り出してきて一面を読んだ。米国のワイオミング州に高速炉を建設するという計画がすすんでおり、日本もそれに参加すると。ビル・ゲイツがつくった「テラパワー」とかいう原子力関連企業と政府や公共組織のたぐいが共同でやるらしいが、二〇一六年に廃炉が決定された「もんじゅ」の技術や情報などを日本は共有すると。
  • 食器を洗い、蕎麦茶を支度して急須に湯をそそいでおいてから風呂洗い。すますと茶をついで下階へ。ウェブを見たりちょっとすごしたあと、きょうもまず「読みかえし」を読んだ。熊野純彦レヴィナス』の引用がつづく。251から256まで。それでもう二時にいたり、なんだか陽と風をあびたいというきもちが起こっていたので部屋を出て階段をのぼった。ちょうど母親が洗濯物をとりこんだところ。ベランダに出ると、日光浴? ときかれ、日なたのなかで屈伸をしたり開脚して上体をひねったりしていると、ついでに掃いておいてくれと箒がもってこられたので、ベランダじゅうを掃き掃除した。枯れ葉がいくらかと、それよりもはるかにちいさい、なにかの種のような黒い粒(あれは葉のかけらなのか、それとも植物のなんらかの部品なのか)が無数に散らばっていたので、箒を振ってそれらをそとに掃き落とす。しかしベランダの柵の根もとにはちょっとした段があり、ふつうに掃き寄せても葉っぱはそこにぶつかってとまってしまうので、いきおいをつけて浮かびあがらせたり、手首のスナップをきかせて弾くように飛ばしたりしなければならず、なかなかむずかしかった。ちかくに古新聞があったので、それにあつめて乗せてから捨てればよかったのだろうが。終えると日なたにすわりこんでぬくもりに浸った。太陽はまだ西空で林の上端にも引っかからずひかりをひろげており、それを正面にして視界の上半分をまぶしさに浸食されながら目をつぶっていると、からだにかかるあたたかさが服を越えて肌や細胞へと染み入ってくるようでここちがよい。風はすくなく、ときおりながれればつめたいがすぐに途切れ、シュロの葉はほとんど絶え間なく身じろぎしてその影が枝先に赤味の粒を溜めはじめている梅の裸木のうえでなにかの内臓器官のように伸び縮みし、また柚子の木もときに樹冠を虫の翅のようにこまかくふるわせるけれど、吹くというほどのものは生じず、視界にうごきもとぼしく、聞こえる音といってかなたの川からのぼってくるさざめきくらいのものである。眼下に日なたはそこそこあってあかるいものの、二時ともなれば道や家壁に蔭もまたひろく、あかるさのなかやその裏に青さがひそんでしずかに冴えているようなひかりのおもむきで、空間の色合いに冬の昼というよりも春の暮れをおもわせるようにもかんじられた。空はほんとうに雲が一粒たりとも見えない完全な晴れで、山際から直上まで均一に満たし稀有な無垢にまっさらなその水色はふしぎなくらいで、電子機器かなにかによってつくりあげられたとおもったほうがまだしも納得のいくようなあざやかさだった。
  • 部屋にもどると書見。西谷修『不死のワンダーランド 戦争の世紀を超えて』(講談社学術文庫、一九九六年)をすすめる。おもしろい。四時半くらいまで読み、夕食前と夕食後にもまた読んで、きょうは107ページからはじまって現時点で235まで一気にすすんでいる。第Ⅲ章から第Ⅴ章の後半まで。第Ⅲ章「ハイデガーの褐色のシャツ」は八八年にフランスで出版されたヴィクトル・ファリアス『ハイデガーとナチズム』という著作の内容、ひいてはハイデガーのナチ加担についての事実の概観と、ファリアスの著書の評価。ハイデガーとナチとのかかわりをめぐっては、いっぽうにかれのナチ党参加は時勢を考慮したやむをえない(あるいは政治的に無見識な素人による)一時的な逸脱で、かれの思想の真実には関係のないことであり、われわれは歴史的状況による汚染からはなれてその真理をこそ聞くべきだというハイデガー信奉者の擁護があり、たほうにはハイデガーとナチとのむすびつきをことさらに強調して公共圏からその思想を排除することをめざす政治的な糾弾者の動向がある。そういうなかで『ハイデガーとナチズム』は出版され、この本は出版前からおおきく話題を呼び、哲学的専門家の界隈だけでなく大手マスメディアにもさかんにとりあげられて一種センセーショナルなできごととなったらしい。著者は一二年かけて各地の公文書館をまわったり、こまかな資料を執念的にあつめてハイデガーはナチだったということを事実の面で論証しようとしており、そのこころみはおおかた成功しているようだ。つまり、史料に根ざした現実的で具体的な事実の観点でみて、ハイデガーが一九四五年までナチ党員だったことはうたがいがないと。いわゆる「黒ノート」の存在もあかるみに出た現在、ハイデガーナチスと親和していたということはもはやゆるぎない事実として認定されているはずである。しかしかれにナチであるというレッテルを貼って公共圏からその思想をやすやすと排斥して事足れりとする政治的な態度は誤っており、むしろナチだったからこそハイデガーは読まれなければならず、その思想の意味についてかんがえぬかれなければならないという西谷修の言には全面的に賛同の念をいだく。うたがいなく二〇世紀最大の哲学者(のひとり)とみなされる人間が、同時にナチと親和性をもったという事実こそが、二〇世紀の西洋史哲学史におけるもっともクリティカルな(危機的な)問題のひとつであるはずで、ほんとうはそこをとおらずなんらかのかたちで徹底的に清算することなしに、われわれは二一世紀にはいることなどできるはずがなかったのだ。西谷修のこの本はそういうこころみのひとつだといえるだろう。ファリアスの著はとうじのフランスの「知識界」で論争をまねき、悪意のある書だとか哲学的には著者は無能力だとかいわれて、たとえばデリダもはげしく批判したというが、西谷は著者の偏向や意図的な操作を指摘するのは容易だとみとめながらも、この本の意義を肯定的に評価している。まずそもそものコンテクストとしてこの著作は、ハイデガー信奉者から発せられた、かれがナチだったという確かな証拠を提示せよというもとめにこたえて出版されたものなのだから、同書がこまごまとした事実の提示に終始して哲学的な思想分析を欠いていたり、批判者にいわせれば「品のない」「事実の暴露」に終わっていたりしても、それは難癖をつけられるべきではなく、そもそもハイデガーにたいしてまじめな関心をもっており、かれにまつわる事実にかんしてもある程度まで知悉していて、それを踏まえながらもその思想の意味を問うという「高尚な」しごとに従事していた哲学者たちは、いままでだれも、こうした「品のない」「どぶ浚い」のような「労苦」をひきうけることはなかったのだと。思想を問い考究するまえに、前提として個人にまつわる事実は事実としてあきらかにされ、また共有されなければならない。ファリアスの本は霧につつまれていたその事実の領域をほぼ確定し、つまり「ハイデガーはナチだったのか?」という単純かつ妨害的な問いに終止符を打つことに貢献し、それによってようやくわれわれは、かまびすしい論争にわずらわされることなく、くもりのない環境でハイデガーの思想がわれわれの現代にとって持つ意味をかんがえることができると。そしてそれはとうぜんながら、かんがえつづけられねばならないことなのだ。なぜなら、ハイデガーが直面した時代的環境、かれがそこから(著作内にそのことは明示されてはいないにしても)『存在と時間』を生み出し、のっぴきならない切迫感をもって思考を編んだ歴史的状況は、ハイデガーをナチだと断罪するとともに視界のそとに追いやって解決するようなことがらではなく、大戦後に消え去るどころかむしろさらにその度を深めているとすらかんがえられるからである。それはいってみれば「数と凡庸」の時代であり、第Ⅳ章の表題は「数と凡庸への否と諾」とつけられている。すなわち人間が平準化・公共化され本来的固有性をうしなわざるをえない近代という時代の必然的条件に抗して、死への直面を経由して存在忘却を克服し、のぞましき共存在性たる「民族」のなかでおのれの「宿命」に覚醒し、たんなる「数」であることを脱して本来的な実存として生きるようになるというのがハイデガーのえがいた現存在のドラマであるのにたいし、レヴィナスバタイユブランショといったような、ハイデガーから多大な影響を受けつつもそのドラマを是としない思想家たちは、かれが「頽落」として弾劾した「日常性」「公共性」という、だれでもない「ひと」が生きる無名の「凡庸」さをこそむしろ積極的に肯定し、そこに人間の解放や別様の共同性のありかたを見定めたというのが、第Ⅳ章のもっとも中核的な対比の要約である。ハイデガーが語る現存在のドラマの筋立てにおいて、死を経由したそれじたいとしては空虚でありうる形而上学的な「決意」(あるいは覚悟)に具体的な(かつ本来的な)内実をあたえて、共存在性(ハイデガーの用語でいえば「共生起」)として現存在の「運命」だと規定されるのが「民族(Volk)」という概念なのだが、この「民族」は、ドラマの理路それじたいの展開や、『存在と時間』のそれまでの記述のみちゆきからはけっしてみちびきだされえない要素だという指摘は決定的にクリティカルなものである。つまり、「民族」は『存在と時間』において問い直されることのない、ハイデガーの盲目的な前提だったということだ。かれは「土着性」を本質的なものだとかんがえた。『存在と時間』における「存在忘却」は、「技術」と現代のかかわりを思考した後年の著述においては、「土着性の喪失」「故郷喪失」とかさねあわされている。したがってかれがかんがえるところでは、現代の危機は「技術」の進展によって人間から「土着性」や「故郷」がうしなわれたことに端を発しており、この時代においていかにして「土着性」を回復し、「存在」とのあるべき関係をとりもどすかということが急務の問いになるわけだが、『存在と時間』から戦争を経てその三〇年後まで、こうしたかれの思考はその本質的なぶぶんでは変化せず、軌を一にしている。「故郷」やおのれが生まれ、根ざした場をはなれ、「本来的」なものから分離された人間のありかたとは、ハイデガーにとっては「不気味なもの」であり、かれがえらんだこのことばの意味合いと、その読み替えが第Ⅴ章「〈不安〉から〈不気味なもの〉へ」の中心的な主題となる。現代の人間のありかたを端的に表示することばを形而上学の歴史をさかのぼって古代ギリシアにもとめたハイデガーは、ソフォクレスアンティゴネー』のなかでコロスが口にする「デイノン」という一語を発見する。「不気味なもの(デイノン)はいろいろあるが、人間以上に不気味に抜きん出て活動するものはあるまい」という一行からはじまり、嵐の吹き荒れる海に漕ぎ出て自然を征服していく人間の暴力的な活動性をかたるこの合唱は、とうぜんながらハイデガーによる注目もおおいに寄与していまではかなり有名なものになっているとおもうのだが、「ものすごい」という原義をもつこの「デイノン」をハイデガーはドイツ語の「ウンハイムリッヒ(unheimlich)」=「不気味な」ということばに翻訳した。「ハイム」とは「家」のこと、要するに英語でいう「ホーム」のことだったはずで(だから積水ハイムの「ハイム」はこのドイツ語なのだろう)、したがってそれはまた「故郷」であり、「ウンハイムリッヒ」とはだから「故郷」からはなれてあること、「非 - 故郷的」な状態のことである。そのように「故郷」という要素を含意する訳語を選択したことに、ハイデガーの創意とその思考の一貫性がまざまざとあらわれているのだが、ところで『アンティゴネー』における「デイノン」は、英語では「wonder」と、そして日本語(呉茂一訳)では「不思議なもの」と訳されている。西谷修はこの「wonder」や「不思議さ」のはらむあかるく肯定的な意味合い(いうまでもなく、英語のwonderfulとは「すばらしい」という意味をあらわすことばである)を積極的にひろいあげ、ハイデガーが「不気味なもの」として慨嘆した「ウンハイムリッヒ」とは、それじたいとしてかならずしも負の意味をさだめられている状態ではないとかんがえ、故郷にないこととはたんに異郷にあることであり、それは外へと出てゆくふるまいだとしてその意味を中性化するとともに、さらにそこにとどまらず、レヴィナスが肯定した人間の宇宙空間への進出に象徴的に言及しながら、もはや大地に画された地平の存在しない無辺際で未知の広大な「開け」に飛び出してゆく体験とは、たしかに「不気味」だったり「危険」だったりすることもあるだろうが、同時に「wonder」に満ちて「不思議な」、「驚くべき」、「すばらしい」ものでもありうるだろうと読み替えて、未知の領域と外への漕ぎ出しにたいする肯定を呼びかけるのだ。
  • 五時でいったん上階に行ったが、父親が母親とともに台所に立ってホッケを焼いていたので、きょうは食事の支度はまかせることにした。アイロン掛けといっても正月でだれも出かけてもいないからかけるものもすくなく、母親のシャツとエプロンのみですぐに終わり、あとはやることもないのでトイレに行ったついでに便器をかるく掃除したり、また紙袋に溜まっていたトイレットペーパーの芯を下階から上階の戸棚に持っていって潰して捨てたりしたのみで、はやばやと自室に帰って書見をつづけた。七時で夕食。鮭や鍋など。新聞は二面。米国と日本共同の高速炉開発の記事を読み、またコロナウイルス関連も。世界の新規感染者はいま一日あたり一〇〇万人を越える規模になっているらしく、フランスでは一八万人だったかわすれたが一〇万人は越えており、アメリカでは一二月二九日は四八万人をかぞえたようだ。
  • 夕食後もまた書見。九時まで。それからこの日の日記。とちゅうでLINEをのぞき、(……)について返信。すると一一時だったので風呂へ。また日記に時間をかけてしまったと反省した。西谷修の本の内容を大雑把にとはいえわざわざ要約してしまったわけだが、そうではなく、一定以上の強度で印象にのこったぶぶんについてピンポイントで記せばいいのだと。二八日以降もすすめないといけないのだから。それにしてもあしたでもう休みが終わってしまう。もどるとここまで書いて零時二〇分。