- 作:
永遠 [とわ] に聞くうしろめたさも恋ならば水を奏でよ巡礼の夜に
蟬がちな夏の暮れには嘘がほしい虚偽になれない声の林で
温柔なけものの月のかげのなか君は摂理で俺はダンスさ
- きょうは朝八時半くらいから夜の八時すぎまで労働で、とちゅう飯に出かけた時間はあったもののほぼ一二時間ずっと職場にいたわけで、いったいこの世はどうなってんねん? そして、大多数のひとびとが来る日も来る日もそのような暮らしをしており、そうでもしなければ満足に自立して生きることすらできないというこの社会と世界の現実におののき震撼せざるをえない。資本主義も共産主義も超越したユートピアにさっさと到達するか、さもなければ原始共同体からもういちど人類史をやりなおそうぜ。
- アラームは六時にしかけ、古いガラケーのほうでも六時一五分にかけていたのだけれど、なぜか六時よりまえ、五時四〇分くらいにおのずとめざめた。まだ明けていない。暗いなかで深呼吸しながら音を待ったが、携帯をサイレントモードにしているので音声はながれず、かるい振動が聞こえうすくちいさなあかるみが暗闇のなかに差すだけだった。それで無事起床。一五分のほうのアラームも用済みなので解消しておく。ヒーターを点けてあたたまり、瞑想もおこなった。
- 風呂洗いはきょうはさすがに余裕がないので母親にまかせた。出かけるまえにもういちど瞑想をできた。八時一〇分ごろ出発。太陽がまだまっすぐ南にちかいほうにあるので、ふだんみなれた景色とひかりのかんじやあかるさや雰囲気がちがう。右手の林縁の草むらがひろく日なたにつつまれているし、鳥の声や気配もふくまれている。木の間の坂道にはいってからもひかりの来る方角がちがうので、ひだりての木立ちのなかでいつもは日の当たるようすを見ない奥のほうまでひかりがはいりこんでいるし、樹々の幹もいつもとは反対の側をあかるくしている。
- 勤務。(……)
- (……)食事へ。一時過ぎに外出。「(……)」に行ってカレーでも食ってみるかとおもっていた。もう営業はじまってんのかなとあやしみつつ陽のとおる駅前の道を行くと、ビルの入り口にOPENの表示が出ていたのではいってのぼる。新年がはじまってまだ四日目だし、たいしてひともはいっちゃいねえだろうとおもっていたところが意外にけっこう客がいた。高年や老人ばかりでなく、むしろその年代のひとのほうがすくないくらいで、中年くらいの婦人たちのグループとか、家族連れとか、ひとりで来ている若者とかも見られた。奥のほうのテーブルにはいり、冷やをはこんできた女性店員にメニューをもらって見ると、カレーにしようかとおもっていたが肉うどんがあったのでそれを食べることに。さいきんはとにかく寒いし、この日も朝からの労働で血がめぐりきっていないというか、昼にちかづくにつれて胃が空になったからだが震えてやりづらいような調子だったので、あたたかいものを取り入れようと。飲み物もホットココアにする。あたらしく読みだす本としてカール・ゼーリヒ/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ編/新本史斉訳『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、二〇二一年)を持ってきていたのでちょっとみながら待つ。注文がとどくと眼鏡をはずして食事(腕時計は席についたときにすでにはずしてジャケットのポケットに入れていたが、じぶんには店で食事を取るときとか、友だちとはなすときとか、どこか一所にながく滞在するときとか、なぜか腕時計をはずす癖がある。そのときどきでポケットに入れたりシャツの胸ポケットに入れておいたり机に置いたままにしたりするのだが、そろそろ行くかという段になると、まるで合図のようにしてそれを手首につけなおすのだ)。たいした味ではない。が、ともかくからだはあたたまる。食い終わってちょっと息をついてからトイレに行って排便。そうしてもどると身支度をととのえて会計へ。一席、なんとなくすこしばかり政治的なにおいをかんじないでもない老人が連れとはなしている席があった。店にはいってきたときに立憲民主党がどうのと聞こえてきたのだが、たぶんこの席のひとだったのではないか。
- 金を払って退出し、職場へもどる。まだ時間があったので奥のほうの一席について目を閉じ、体力気力の回復をこころみた。そうして二時二〇分くらいからまた勤務。(……)
- (……)