- 一一時まえ離床。一〇時半ごろに覚醒がかたまって、寝床のなかでかるい感触の深呼吸をつづけていたのだが、そうするとやはりからだがてきめんにほぐれてその後のコンディションがよくなる。瞑想もおこなった。ここでもすこし呼吸をながく吐いてから静止にはいったのだが、目をあけると一一時一五分にしかなっていなくておどろいた。
- ハムエッグを焼いて食事。新聞で国際面。香港で「不偏不党」をかかげた民主派系メディアの衆新聞というのが運営停止に追いこまれたと。もちろん当局の取り締まりによるもので、記者たちの身の安全をまもるためにやむをえない選択だったと運営者は会見。民主派メディアは軒並みやられており、壊滅状況で、立法会では政府がフェイクニュースと認定した報道を取り締まるための法が企画されているともいう。ウクライナ情勢も不穏で、かなり緊迫しているらしく、ウクライナは東部国境にあつめられたロシア軍が攻めてきたときのために、三月だか二月末までにだったか、女性らに徴兵登録を義務づける法を制定したという。有事になったばあいは戦闘行為以外のしごとに従事してもらうと。しかしロシア軍は総力約九〇万、ウクライナは二一万だったかで勢力の差は歴然であり、国境部にはもちろん総軍がいるわけではないにしても、米欧やNATOにたよらなければとてもでないがウクライナは持ちこたえられない。米CSISが昨年に出した報告では、ロシアの精鋭が投入されて本気でウクライナを落としにかかったら、キエフは数日だったかで陥落するだろうと。バイデンもきのうだかおとといだか、ロシアがもしウクライナに侵攻したら相応の措置をとるみたいなことを言明していたはずだし、まるで第二次世界大戦前夜をおもわせるような、という印象をいだくのは避けがたい。
- 昨年七月に大統領が暗殺されて政情不安がつづくハイチではこんどは武装集団による首相をねらった暗殺未遂が起こった。中印紛争地のカシミールでは中国が湖をわたる橋を建設しているといい、完成すればとうぜん機動力があがるのでインド側は脅威ととらえている。双方ともいくらかまえに、係争地で自軍のひとびとが国歌をうたったり意気をあげたりしている動画を発表して対抗しあい、士気をたかめている。
- 蕎麦茶を飲みつつ「読みかえし」。その後、都立高校の国語のさいしんの過去問を読んだ。大問五の古文入りの対談に蜂飼耳。『文学こそ最高の教養である』とかいう本に収録されている対談らしく、あいては駒井稔というひと。鴨長明の『方丈記』や『無名抄』について。日本の古典読みてえなあとおもった。ちょうどこのあいだ、『方丈記』と『発心集』がはいった全集を買ったが。
- 日記を書き、一時四〇分くらいに部屋を出て糞を排出するとともに上階のベランダの洗濯物をとりこむ。父親はソファ。干し柿がひとつ吊るしてあった。タオルを畳み、それを洗面所にはこんだついでに髪を濡らしてととのえ、もどると下着類もたたむ。そうして下階におりるときのうの日記をつづったが、二時半で終わっておどろいた。かなりうまくちからを抜いて書けた感。労働がながかったし、勤務前に終わるとおもっていなかった。意外と印象事がすくなかったのか? おもいだそうとおもえばもっとおもいだせるはずだが、そんなにこだわらずしぜんにさらさら書けたかんじ。
- 上階へ。母親のメモに花の水をかえておいてとあったので、たぶん仏壇の花瓶のことだろうとおもってふたつの水をとりかえた。白い菊の花がいけられた瓶が仏壇の脇にひとつ、仏壇上にはいろいろあつめたやつがもうひとつあった。前者は白い花瓶で、ややながめの卵型というか、楕円っぽいかたちでからだと口の厚みの差がそこまでおおきくなく、水をながすのは容易だが、後者はからだからほそい首のようなぶぶんがすこし伸びて口にいたっているので、水が出るのに時間がかかる。双方、水をそそいで振ってゆすいでから捨てるということを何度かくりかえし、あらたな水を溜めて花をもどした。そのさいに漂白剤をちょっとくわえたのは母親がまえにそうしているのを見たからなのだが、いま検索してみると水二〇〇ミリにつき一滴ほどが適量とあったので、あきらかに入れすぎた。レバー型のキッチンハイターでふつうにシュッとやってしまったし。終わったわ。
- 食事はおとといくらいからのこっている菜っ葉の炒めものとくるみパン。部屋にもどって食べ、つかったパックと箸を洗ってくると白湯を飲みつつ部屋に持ってきていたきのうの新聞を読んだ。きのうの夕刊ではあたらしく「世界史アップデート」というシリーズがはじまっていて、これまでやっていた「日本史アップデート」の世界版なのだが、そこそこおもしろいので楽しみではある。初回だとおもうのだが今回はモンゴル帝国について。元は明によって滅ぼされたとされていたがじつはそうではなく、その後も「北元」として高原にのこっていたらしい。「1368年に元が明に敗れた後、中国を去り、モンゴル高原を本拠にした北元は20年後の88年に滅亡したとされる。だが、これはフビライ直系子孫が途絶えた年代で、実際には満洲人王朝の後金(清)に服属する1635年まで、北元は勢力を保っていた」。ほか、きのうの朝刊では、北朝鮮の工作員が外貨獲得の諜報で日本企業を利用した可能性があり、戦後五四件目の「諜報事件」に認定されていたとかそのあたりの記事をきのうの夜のうちに読んでいたが、この昼はそのつづき。中国が台湾侵攻にあたっての制海力制空力を高めつつあるとか、阿南英明というひと(神奈川県医療危機対策統括官で、「ダイヤモンド・プリンセス」の件では陣頭指揮にあたったという)のインタビューとか、維新の党が憲法改正案を策定へとか。その後歯を磨き、きがえて出発へ。
- 便所にはいって腸をかるくしようとしたが出ないのであきらめた。父親はどこかに出かけていたようだが、トイレにはいっているあいだに帰ってきた。階下に下りたのに行ってくると告げてそとへ。道に日なたはもうない。南の山の色も残り陽を受けつつもさほど橙に浮かんではいない。とはいえその淡いくゆりでも色を変えて見慣れぬおだやかさをおびている家壁も道沿いにあり、空はかっきり晴れてあかるく、十字路がちかづけば立ち木のこずえのすきまがそのさきの西陽にきらきら満たされて粒っぽく、正面では空の下端に雲のすじが一本引かれ伸びていた。
- 坂道。出口ちかくのすこし曲がったところで風がふくらみまえからからだをつつんでくるが、まださほど寒くはない。このわずかなカーブで風に出会うことはおおい。脇の木立ちが鳴らされるくらいのいきおいで、葉擦れのざわめきのなかに動物の鳴き声のようなひとのうめきのような音が弱く混ざっていたが、あれはたぶんしなった竹の幹がすれあう音だったとおもう。駅に行き、電車に乗って移動。きょうも車内ですこし緊張し、嘔吐恐怖をかんじて動悸がたかくなった。さいきんけっこうある。今後パニック障害が再発するということもないとはいえない。しかしそうなったとしてもたいした事態にはいたらないとおもっているし、乗り切る自信もある。とりあえず生きてりゃなんだっていいし、死ねばそれまで。
- 勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- 八時一五分ごろ退勤。駅へ行って乗車。最寄りへ。ゆっくり歩いて帰る。風が生じており、この時刻になるとさすがにつめたく、往路とはちがってつめたさのなかに染みるような感触がまざっている。とはいえ木の間の坂のあいだは周囲はしずかで樹々の内でなにかが落ちる音や、しずしずとした沢のひびきが浮かんだし、したの道に出てからも空気はあまりうごかず、脚をはやめずともすんで、ひさしぶりにあたりの音に耳をすませるような身ごころになった。道のさきにむかって定期的に配されている電灯のひかりが、距離の差によって横に三つならびつつ、歩みやからだのぶれに応じてどれもおなじ動き方で尖ったような黄色いすじを何本かひとみに伸ばし、また光源のまわりに回転させて円状の暈を生んでいる。風もなく、落葉の時節はすぎて林から音も立たず、まだいくらか散らばるものがないではないが、道のうえはおおかたさらされて、アスファルトが薄いゴムのような質感で黒い表面をみせながら視界の奥へとつながっていた。
- 帰宅。休み、食事へ。新聞。沖縄県で新規感染者が六〇〇人超と。米軍基地内のオミクロン拡散から市中へひろがったものだろうとのこと。米国では元日に一日あたりの新規感染者が一〇〇万人を超えたとあって、すさまじい規模。いままで最大だったのはインドの四〇万人くらいだったらしいが、その倍いじょう。食後は茶を飲みつつきょうの日記。一一時で風呂へ。湯につかりながらしたの短歌をもてあそび、もどると日記をつづけるつもりがちょっところがっているうちにまた意識をやられていた。気づくと三時で、歯磨きをしたりウェブを見たりしたあと、本を読みたかったのでしばらく読み(カール・ゼーリヒ/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ編/新本史斉訳『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、二〇二一年))、五時前の遅い消灯となった。
- 作:
富士に告ぐおまえの雪が死ぬころに次のぼくらが平和を知るさ
風の夜は耳を澄ませば詩が来たる愛も条理もなくなったあと
旋律に乗らないうたの去り際にくちびるたちの平等が来る