- 七時ごろにいちど覚めたのだけれど、二度寝してしまい、気づくと時計が一一時にちかづいていたのでずいぶん長寝してしまったなとおもった。カーテンを一枚ひらく。太陽があり、白いレース模様の中間幕に編みえがかれている花や葉っぱの形象が陽に透かされて表側のカーテンに浮かび刻印されている。意識がはっきりすると、さきほど一一時だとおもったのが一〇時だったことに気がついた。ベッドの脇のスピーカー上に置いてあるアナログ時計は針の位置がややがたついているのだ。呼吸をくりかえしてから一〇時二〇分に離床。瞑想はサボる。白湯をもってくるのにつかったコップを持って上階へ行き、きがえたり顔を洗ったりして食事。焼きそばときのうの鍋風野菜スープ。新聞は日曜日なので書評欄。さいしょのページでは中島隆博がマルクス・ガブリエルの新書を紹介し、経済に倫理を回復しなければならないというのは渋沢栄一と言っていることがほとんどおなじだと述べていた。海外文学の名作紹介は和田忠彦によるイタロ・カルヴィーノ『見えない都市』。めちゃくちゃむかしに読んだことがある。おもしろかった記憶。書評欄本面は苅部直が中公新書の『ドイツ・ナショナリズム』と、もう一冊関連する本。二次大戦などにかんして、ドイツは自国の過去のおこないについて反省し、謝罪もしているのに、日本はそうではないと書かれてある本には眉につばをつけて読むことにしている、と冒頭述べており、事実認識があやまっているうえに、近代国家としての歴史や成り立ちがちがう二国を同等にあつかっている比較のしかたがあまりに粗雑で耐えがたいからだ、と言っていた。そのしたにもおもしろそうな本があった気がするのだが、どういうものだったかも紹介者もおぼえていない。ひだりページのしたには、岸信介を中心とした革新官僚がどのような経済思想や国家観をもっており、それがどういう経緯で大東亜帝国的なイデオロギーにつながっていったかを記述したという研究書が紹介されてあって、おもしろそうだった。いま検索すると、これは人文書院のジャニス・ミムラ『帝国の計画とファシズム』という著。紹介者は井上正也という政治学者だったはずで、左下のほうに今年の書評委員一覧が載っていたが、新任らしい。中島隆博や国分良成や柴崎友香は継続。右ページのしたの一書をおもいだしたが、これはピエール・クラストルのインタビュー記事を訳したという本だった。インタビューじたいはみじかいものだが、酒井隆史(デイヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』の訳者だ)による解題が詳細で読みごたえたっぷりだと。ピエール・クラストルという人類学者の本はうすいやつを一冊読んだことがあるのだが、それはまだ文学にも触れていないし読み書きをはじめてもいなかった大学時代のことで(おそらく休学中)、そんなとうじのじぶんがなぜ読もうとおもったのかわからないが、地元の図書館の社会学の棚近辺をあるいていて目にとまったのだ。もちろんぜんぜんわからなかったのだけれど、どこか面白みはかんじ、いくらか文言を書き抜いた記憶がある(とうじはまだ手書きでノートにうつしていた)。また、その後もういちど読んで、まえよりも言っていることがわかるようになったことを実感したようなおぼえもうっすらとあるが、二度目がほんとうにあったとしても、それも読み書き開始いぜんだったとおもう。これは『暴力の考古学』というやつだ。今回の新訳書は『国家をもたぬよう社会は努めてきた』。
- 室に帰ったあとは「読みかえし」。けっこう読む。といって項目としては275から279までだが。その後、カール・ゼーリヒ/ルカス・グローア、レト・ゾルク、ペーター・ウッツ編/新本史斉訳『ローベルト・ヴァルザーとの散策』(白水社、二〇二一年)。とちゅう、二時まえに、母親が下階のベランダに干していた兄の部屋の布団を入れるのを手伝う。また、おなじく兄の部屋の椅子にのぼって蛍光灯を一本あたらしくとりつけるなど(四本つけられるところにもともと二本しかついていなかった)。ゼーリヒの本で、些末な点だがいちおう記録しておきたいぶぶんをいくつか。
- 63には「兄カールによれば、ローベルトとクリスティアン・モルゲンシュテルンの詩にパウル・クレーの挿絵を添えてはどうかとカッシーラーに提案した者がいたらしい」とあるが、去年だったかおととしの末くらいだったかに出たヴァルザーとクレーの詩画本はこれをもとにしたアイディアなのだろう。
- ヴァルザーの小説などの作品の訳書)では太陽について(新本史斉訳でも、若林恵の訳でも)一貫して「お日さま」という特有の訳語がもちいられていたとおもうが(三人称の語りでも一人称の語りでもそうだったとおもうが、(エッセイ的な小文のたぐいは措いて)フィクショナルな作品のなかで「太陽」というよりニュートラルなニュアンスの訳語がつかわれている例があるかどうか不明。調べていないが、すこしはあるのではないか)、ゼーリヒのこの本の訳も同様。10には「お日さまにじりじりと頭を焼かれながら、私たちは風景をぬけて歩いていった」とある。ここはゼーリヒじしんの語りだが、43では、「人生はいつもお日さまの光に溢れているでしょうか? 光と影こそが生に意味を与えるのではないでしょうか?」というふうに、直接話法によるヴァルザーの台詞のなかでももちいられている。いっぽう、109では「太陽」の語もある(ヴァルザーは「ズボンの裾を捲りあげ、鼻で気配を嗅ぎわけ、太陽の位置を見きわめ、一群の農民が視界に入ると私の腕をつかんだ」)。おなじ語をときどきで訳しわけているのか、原文で「お日さま」と「太陽」で語が変わっているのかはむろんわからない。
- 気になった語。65: 「呼びこみのおらぶ声」。「おらぶ」なんていう語をみたのはそうとうにひさしぶりで、折口信夫が『死者の書』のなかでつかっていたような気がするが、それいらい見たことがなかったのではないか。むしろそこではじめてそういうことばを知ったのかもしれない。青空文庫の『死者の書』のページを検索すると、冒頭の記述のなかにあった。
だが、待てよ。おれは覚えて居る。あの時だ。鴨が声 [ね] を聞いたのだっけ。そうだ。訳語田 [おさだ] の家を引き出されて、磐余 [いわれ] の池に行った。堤の上には、遠捲 [とおま] きに人が一ぱい。あしこの萱原 [かやはら] 、そこの矮叢 [ぼさ] から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚 [おら] び声を、挙げて居たっけな。あの声は残らず、おれをいとしがって居る、半泣きの喚 [わめ] き声だったのだ。(……)
- 73: 「幻日」: 「ついには人びとは虚栄から解き放たれて、柔らかな幻日の光に浸るように、老年の深い静けさのうちに安らうのです」
- 色。44: 「葱緑色」(「ねぎみどりいろ」なのか「そうりょくしょく」なのか読みがわからない): 「そんなこんなをお喋りしながら、葱緑色の牧草地の谷間に位置するウルネシュに到着する」。
- 116: 「鳩灰色」(「はとはいいろ」?): 「ボーデン湖の繊細な印象、鳩灰色の空そして鳩灰色の湖」
- 120: 「明灰色」(「めいはいしょく」もしくは「めいかいしょく」と読むのがいいのではないか): 「彼は眼を輝かせ、むくむくとそびえ立つ黒雲が、ゼンティス連山から転がり落ちる明灰色の雪塊が、ドラマチックに照り映えるさまを堪能している」
- 134: 「蜂黄色」: 「藪を抜け、険しさをましてゆく斜面をよじ登り、ついに小さな濃青色のリンドウと蜂黄色のサクラソウが敷きつめられた草地に立つ」
- ゴットフリート・ケラーについての評価。この本のなかでヴァルザーはケラーを一貫して最大限に称賛している。66: 「それにしてもケラーはなんと比類なく、高邁なものを低俗なもの民主的なものと結びつけ、そうすることで人間的なものにする術を心得ていたことでしょう」。75: 「『緑のハインリヒ』ほどに熟慮をうながす書物があるだろうか、自分はこの作品を「おそろしくすばらしい」と思う。年々すばらしくなっていく」。
- 矛盾。31~32: 「スイスの話し言葉で書く試みには、彼、ローベルト・ヴァルザーは、ほとんど関心がないという、「私は意識的に、方言では書かな(end31)いようにしてきました。あれは大衆への見苦しい擦り寄りであると、一貫して考えてきたのです。芸術家は大衆に対して距離を置かなくてはなりません。大衆が尊敬の念を抱くようでなければならないのです。他の書き手よりも大衆のそばで書くことにわが才能の証しを見出そうとする作家は、お馬鹿というほかないでしょう」(一九四〇年九月一〇日)。たいして、88: 「いったいに作家というものは、どの文学ジャンルに向かうべきかを、自身の判断で決めなければならないのです。ことによると作家はやっとまたひと息つくためにこそ、あのような長編小説を書くのかもしれません。周囲が是とするか非とするかは、まったくどうだってよいのです。得るものがあるところでは、失わねばならぬものもあるでしょう。もしもう一度最初から始められるなら、個人的なものは徹底して閉め出し、大衆を喜ばせるべく書くでしょう。私は自由にやりすぎたのです。大衆を避けて通るなど許されないのです」(一九四四年一月二日)。
- もろもろのこまかい斟酌や考察は措いてかんがえれば、「芸術家は大衆に対して距離を置かなくてはなりません」という前者の発言と、「もしもう一度最初から始められるなら、個人的なものは徹底して閉め出し、大衆を喜ばせるべく書くでしょう。(……)大衆を避けて通るなど許されないのです」という後者のことばとは、一見して反対のことがらを主張しているようにおもえる。このあいだに三年と四か月の月日がながれているので、その間にヴァルザーのかんがえが変わったという可能性もむろんあるけれど、主観的な印象としては、そもそもヴァルザーはこの件について、本質的な首尾一貫性などもっていないのではないか、というかんじを受ける。それはかれの小説の登場人物に受ける印象とおなじである。だからじぶんは言語的フィクションにおける人間を作者当人に反映させてかんがえるという点で、ここで素朴かつ粗雑な誤りを犯しているのかもしれないが、なかみがスカスカで、本質がないように見え、言っていることややっていることが本気なのか否か判断がつかず、そしてそれにもかかわらず独特のありようでひじょうに感動的なリアリティにみちみちているというのが、ヴァルザーの登場人物にたいしてかんじるこちらの印象である。まがいものがまがいもののままでこのうえないかがやきを獲得している、いわば、人形の生命とでもいうもの(それはたぶん、「生命を付与された人形」とはちがう)。かれらは作中のいたるところで嬉々として二項対立をもてあそび、常識的な価値の序列を転覆させたりかき乱したりするたぐいまれなる詭弁家なのだが(その系譜はあきらかにカフカに受け継がれている)、それとおなじで、ゼーリヒの報告する作者ヴァルザーも、持論としてのおおまかな方向性はもちろんありつつも、そのときどきの文脈のながれとかいきおいに乗って、自由にこだわりなくアフォリズムをくりだしているのではないか、というかんじを受ける。
- もうひとつ。81: 「〈ちょっとした意見 [ベメルキグリ] 〉を言わせていただきましょう、文明の誘いに抗し、昔ながらのありように忠実でいたならば、アビシニアの人たちはこんな状況に陥ったりしなかったのではないでしょうか。昔ながらのありように忠実であること、いつでもどこでも、これが大切なのです!」(一九四四年一月二日)。そして、100: 「若い頃はとかく祝祭的なものに惹かれるものです。日常に対しては敵意すら抱いてしまう。翻って老年にあっては祝祭日よりも日常を信頼するのです。普通のことのほうが、不信感をもたらす普通でないことよりも好ましくなるのです。人間はそんなふうに変わっていきます、そして変わっていくことは良いことなのです」(一九四四年一二月二八日)。
- 一見するに、「保守」(「昔ながらのありように忠実であること、いつでもどこでも、これが大切なのです!」)と「変化」(「変わっていくことは良いことなのです」)との背反が見てとられるが、これにかんしては、アビシニア(というのはイタリアに侵攻・占領されたエチオピアのことである)についての評価は国家的規模でのひとびとのありかた、共同体の総体的な「状況」について述べられたものであるのに対し、後者は「日常」や「普通のこと」にかんする個人的態度という文脈にある発言なので、たんじゅんに対比させることはできないともかんがえられる。うえに挙げた例も、「もろもろのこまかい斟酌や考察は措いてかんがえれば」と付言したように、詳細に見てみればそこに(ずれをはらんだ対立はあっても)真っ向からの矛盾はないのかもしれない。あるいは、これもうえでふれたように、個々の発言のあいだにそれなりの時間が過ぎているし、ヴァルザーじしん数か月や数年前の過去にじぶんが言ったことをそんなに詳しくおぼえてはいないだろうから、記録にのこったことばが相互に矛盾していても特に不思議なことはないのかもしれない。ただ、ヴァルザーの話法や言動じたいが、読者にたいしてより矛盾の印象をあたえやすいようになっている、ということは言えるのではないかとおもう。つまり、かれは具体的な話題にさいして、それをかならずアフォリズム的な一般性の領域までひろげてはなしを締めくくらなければ気がすまない、そういう習癖をもっているのではないか、とおもえるほど、そこここで格言じみたことばを撒き散らしているのだ(それもまたかれの小説の登場人物とおなじなのだが、ヴァルザー当人のことばをそのようにひろいあげ、編集してこの書物に記述したのはカール・ゼーリヒであるわけで、ヴァルザーの熱心な支援者であるかれはとうぜんその作品を好んでいたはずだから、そういうゼーリヒがヴァルザー本人のなかにも作品の人物のようなところを見たいとか、作品中のようなことばを聞きたいという期待をもったり、さらにはより積極的に作者と人物の重ね合わせを演出しようとしたとしてもおかしくはなさそうだし、それを意図していなかったとしても、おのずから作品との類似や共通点がとりわけかれの印象にのこり、おおく記録された、ということもあるかもしれない)。だから個別的なはなしで終わっていれば矛盾をはらまずそのあいだにむすびつきも見出せなかったような部分が、ひろく一般的なレベルの言明に一挙に拡張されることで、まえと言ってたことちがうじゃんという引っかかりと対比的連関を読者のうちに呼び起こしてしまう、ということだ。
- きのうの記事を記述。四時半ごろ投稿。ちょっと休んで、五時にうえへ。持ってきたプラスチックゴミをビニール袋に入れておき、東の窓のみカーテンを閉め、アイロン掛け。カーテンの閉まっていない南窓のむこうは暮れてうす青く、室内のじぶんのすがたや椅子やソファの像がうつりこみはじめているが、雲に埋められた空の白さもまだのぞいていた。昼過ぎまでは晴れていたのだが、その後、いつのまにか曇ってきたのだ。五時一五分かそこらにいたると、わずか一〇分強のうちに青さはめっきり濃く、深くなって、大気は藍色の様相と化し、そうすると反射像のほうが支配的となってそとのようすはほとんど見えない。山の黒影がのぞくくらいだ。
- もどるとふたたび日記。きょうのことを進めているうちに七時にいたった。読んだ本からいちいち個々の箇所にふれるのはやはり時間がかかるし疲れる。ほどほどにしたい。夕食を食いながらストレスをかんじる。じぶんいがいの声とか物音とかテレビの音声があることがそれだけでもう鬱陶しい。ストレスで食事の味もたしょうみだれる。さっさともどってくるときょうのことを書いて八時過ぎ。
- ギターをもてあそんでだいぶ気分が晴れた。九時過ぎで書抜きをしようとデスクに。スツール椅子の高さをあげて座る。書き抜きのまえにnoteに短歌を投稿。さいきん、二〇二一年初頭からつくった短歌を一〇首ずつ記事にして投稿していたのだが(https://note.com/diary20210704/m/m1c4f79280fa2(https://note.com/diary20210704/m/m1c4f79280fa2))、そうしてかぞえてみるといままでで一二三首だった。現代であれ近代であれ古典であれ短歌俳句のたぐいをおおく読んでもいないし、素人の手なぐさみだが、つくるのはけっこうおもしろい。
- そういえば夕食中にテレビのニュースで、渋谷区の焼肉店で男が店長を人質にとって立てこもったという事件がつたえられた。食事をしたあと、ほかの客をそとに出すよう求めて立てこもったらしい。こもっているあいだに、さいきん起きた電車内の事件のようにやろうとおもった、生きている意味が見出せない、なにか事件を起こして死刑になりたいとおもった、という内容を口にしていたという。長崎から出てきたばかりで、二週間だったか、路上生活をしていたとか。
- 書抜き。FISHMANSの『若いながらも歴史あり』をながした。書抜きは石田英敬『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)。図書館で借りている熊野純彦のカント論を写していたのだけれど、返却期限は一二日だし、それじゃあたいして写せもしねえとおもい、この本はあきらめて手持ちの本をすすめることにした。もういちど借りなおそうとおもっていたのだが、図書館のホームページをみるとおどろいたことに予約がはいっていたのだ。こんな町で熊野純彦なんて読む人間がほかにいるとは。まあなんだかんだいっても一〇万人くらいは人口があるのだろうから、哲学を読もうというひとがいてもおかしくはない。
- 一一時半ごろ入浴。風呂を出たあとは例によってダウンしてしまった。そのまえに、GuardianのMeditationカテゴリをうろついて、Lisa Allardice, “It’s simple and takes 20 minutes… But learning to meditate could unlock your inner calm”(2022/1/8)(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/jan/08/it-is-simple-and-takes-20-minutes-but-learning-to-meditate-could-unlock-your-inner-calm(https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/jan/08/it-is-simple-and-takes-20-minutes-but-learning-to-meditate-could-unlock-your-inner-calm))を読んだが。意識をとりもどしたのち、三時三三分に就床。ほんとうはからだが眠りたがっている時点で無理をせずきちんと布団にはいって眠ったほうがよいのだろうが。とはいえ、ここさいきんではそこそこはやい消灯になってよかった。