西谷 そういう理性のある種の隘路が、恐らく二〇世紀の初めぐらいから様々なところで自覚されてきて、それまで理性の秩序を支えていた個人とか、あるいは主体といった考え方が、そこには収まりきらないような無数の現象に直面するようになりました。そういう中で真剣にものを考える人たちが、今までの枠組みとは違う形で、たとえば「無意識」という次元を設定して考えることを試みるようになった。
フロイトの精神分析ですが、それだけでなく、マルセル・モース(MAUSS, Marcel(end254) 1872-1950)らのフランス社会学もある。いわゆる「未開」といわれる社会における、聖なるものの現象、あるいは合理的には捉えられないけれども、むしろ合理的なものに対して否定的に働きかけて実質的な力を示す、非実体的現実と言ってもいいと思いますけど、そういうような現象の研究を行う。あるいはまた、非 - 合理的なものが、ただたんに未開社会にあるだけではなくて、現代社会にも恐らくある、あるいはそういうものに対する表現の願望があるということから、シュールレアリスムをはじめとする様々な前衛的な芸術運動が出てきました。
そういった事態にかかわった人たちが、理性の秩序とか、あるいは個別の主体を原理にして物事を考えるといった枠組みから抜け出て、今の世界の変容を真剣に考えてみようという動きがいろいろなところで起こります。その中にハイデガーがおり、あるいはフランスだとジョルジュ・バタイユ(BATAILLE, Georges 1897-1962)とか、ユダヤ人哲学者のエマニュエル・レヴィナス(LEVINAS, Emmanuel 1906-1995)といった人たちがいたのです。
彼らのテーマは、一言で言えば、個別に捉えられる実体ではなくて、まさに実体を在らしめているある種の力のようなもの、出来事やそこに働く力の次元というものに目を向けて、個の成り立ちや主体の絶対性を問い直すということだったと思うんですね。ハイデガーが立てたのは、存在するものを相手にするのではなくて、存在するものの存在、つまりものが在るという、その「在る」という事態に注目して、それをいわば出来事として捉え(end255)る観点で、そこから今までの哲学の問題設定を組み替えるような思考を展開したわけです。(……)
(石田英敬『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、254~256)
- 八時にアラームをかけておいたがそれよりもまえに覚めた。しかし目を閉じつつアラームを待つ。時間になっても、携帯は基本つねにサイレントモードにしてあるので音は出ず、振動だけが響く。携帯はベッド横のスピーカーのうえに置いてあったので起き上がる必要がなく、とめてもそのまま九時前まで布団のしたにとどまった。息を深く吐きながら背中をもぞもぞやったり喉を揉んだり足を伸ばしたりしてからだに血をながす。やっぱりからだをあたためる、血をめぐらせる、肉をやわらげるとなったときに、息を吐くに如くことはないなと再実感。ロングブレスダイエットとかさいきん聞くけれど、ダイエットになるかどうかはわからないがからだが軽く楽になるのはまちがいない。ガチだ。
- 水場に行ってきてから瞑想をした。二〇分か二五分かわすれたがそのくらい座ったはず。上階へ行って食事。きのうのあまりものである。きのう菜っ葉を茹でて切っておきながらたぶん三人とも食べるのをわすれていたとおもうのだが、その菜っ葉は一部味噌汁にされていた。新聞はソファについた父親が脚をひらきながらからだを前傾させて、炬燵テーブルのうえにひらいたのを読んでいるので、こちらは読むものがなく黙々と食事を取る。その炬燵テーブルの天板上には白いひかりが溜まって跳ね返ってもいるのだが、窓の上端にのぞく空には雲も敷かれており、きょうははっきりとした青の快晴とはいかない。食事を終えるともう九時五五分だった。皿を洗って白湯を一杯つぐと下階へ。隣室に移動してZOOMに接続。
- 通話のことはあとに書くとして、終えたのは一二時四〇分ごろ。自室にもどって書見しながらふくらはぎや太ももを揉み、脚のこごりをやわらげた。古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)は「ドゥイノの悲歌」のパートをすすめていてもう終盤。第九歌にはいるところまで読んだのでそろそろ終わる。「ドゥイノの悲歌」はやはりよくわからないながらなんかすごい。リルケはかなりロマンティックな文言もあるし、めちゃくちゃ大仰でもある。ちょうど一〇〇年くらい前に完成した詩篇だけれど、いまから一〇〇年程度しかはなれていなくても、こんなに本気で大仰になれるんだな、とおもった。もっとも一次大戦の時代を生きた人間ではあるし、その後二次大戦もありたとえばハイデガーとかもいるわけで、二〇世紀が大仰であってもなにも不思議はないのだが。前半にせよ後半にせよ、いろいろな意味で、それまでになくまるで悪夢のように過剰だった世紀でもあるだろうし。
- 一時四六分から瞑想。ちょうど二〇分くらい座った。やや眠気が混ざった。上階へ行って洗濯物を取りこむ。空に晴れ間がすくないし陽もあるにはあるが薄めだからタオルがしゃっきり乾いておらず、室の角にあるエアコンのまえに吊るして温風を出しておいたが、それもたいして効果はない気がする。風呂も洗っておき、母親が出勤前にカレーをつくっていってくれたらしいのでそれや味噌汁ののこりを用意して、盆をつかって自室に持ち帰って食べた。食器を洗いに行くと白湯を一杯持って帰り、きのうの記事をしあげて投稿、それからきょうのこともここまで記して四時直前。
- 出発前に飯をつくっておこうというわけで、タマネギと卵の味噌汁をこしらえ、キャベツや大根もスライスしておいた。あとはカレーがあるのでそれで充分。東京経済大学の二〇二一年度の過去問を確認したあと、五時過ぎに出発。きれいに丸くあざやかな月が東の低みに出はじめていた。空気は冷たく、風などというものでなくわずかにながれるばかりだけれど、すこし動きが生まれればそれだけで頬にこすれる感触はつよく、ゾクゾクとしてきそうな冷気だった。はあはあと息を吐きつつ坂を上っていき、駅へ。ホームのさきのほうへむかうと正面に月が見えており、したのほうに雲が混ざっているらしい空はさきほど坂下で見たときよりはやくも青味がくすんだようだった。電車に乗って(……)に移動。着けばこちらのホームから見上げる空はもう暗んで青さは定かならない。
- 勤務。(……)
- (……)八時一五分すぎに退勤。電車がもうあと二分ほどで発車するところだったので急いで駅にむかい、通路も小走りに行く。乗ると羽織っただけだったコートのまえを閉めてマフラーも巻き、席で瞑目。最寄りからの道は帰路もまた寒かった。月は満月、高くにかかって、坂道にはいっても路上があかるく、道端が沈まずに影も濃い。とはいえ空は快晴ならず行きよりも雲が増えて、下部から湧いたものが藍色の地を侵し、星もいくらか飲まれていただろう。
- 帰宅後は古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)を読み終えたかったので読みすすめた。「ドゥイノの悲歌」の第九歌から。「天使にむかってこの世界を称賛せよ、目に見えぬ世界をではない」みたいな文言からはじまる一連はやはりとてもいいなとおもった。かっこうがよい。古井由吉の訳も、第九歌第十歌とも切れているようにかんじた。夕食前に平出隆の解説も読み終え、自筆年譜もわざわざ全部読むことにして後半まで。食事と入浴をはさんでさいごまで読了した。
- つぎになにを読もうかなとおもった。読書会の課題書で『ガンジー自伝』は読む必要があるのだが、会は二月一三日か二〇日になるのでまだ余裕がある。それで小説、それも日本人のものをぜんぜん読まないのでなにか読むかと隣室から堀田善衛『時間』を持ってきたりもしたのだが、けっきょく三島由紀夫の名高い『金閣寺』でも読んでみるかと決定した。この日はまだほんのすこしだけ。
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)