2022/1/20, Thu.

 ベネディクト・アンダーソン(ANDERSON, Benedict 1936- )という、ナショナリズム論に関しては定評のある理論家がいますが、その著作の中で、彼自身もあまり深く追究していないけれども、ナショナリズムは他のあらゆるイデオロギーより強いということを指摘しています。なぜかというと、ナショナリズムは他のイデオロギーと違って、人がそこに命を預けるからくりを持っているから、というわけです。そのからくりというのは、信じることにすべてを捧げる、捧げることで「死んで生きる」という、サクリファイスの、いわゆる供犠の論理の核心をつかんでいるわけです。それがじつは、かつては宗教の重要な要素だったわけで、キリスト教なら殉教の論理ということですね。
 ナショナリズムがそういうものを抱えているとすると、まさしく世俗国家、宗教によらない世俗社会の政治組織として考えられた「国民国家」そのものの成り立ちに、宗教的なものを包含しているということです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、274; 西谷修



  • 一〇時半の覚醒。前夜はめずらしくはやめに、一時半に寝たというのに、かえって寝坊する事態となってしまった。なぜ? もっとはやい時間にも覚めはしたのだけれど、起床につながるような意識の明晰さがそのときにはそもそもなかった。布団のしたで深呼吸しながら脚を伸ばしたり腹を揉んだりして、一一時一〇分に離床。九時間四〇分も滞在してやがる。時間が遅くなったので瞑想はサボる。ただ、水場に行って用を足してきてから合蹠はやった。座位での前屈というか、両手で足先をつかんで上体をまえにかたむけ脚の裏を伸ばす柔軟もやっておいた。起き抜けだからとうぜんすじはまだこごっていて、やりやすくはない。
  • 急須など持って上階へ。母親にあいさつしてジャージにきがえる。この日の天気はいちおう晴れなのだけれど、食事を取っているあいだには曇ってきて、なんか風花でも舞ってきそうなかんじじゃない、と母親が言ったが、そのとおり寒々しい灰色の気配がただよっていた。ただ二時現在ではまた陽の色が見え、雲は散ったり伸びたりしながらも空も青い。食事は昨晩の炒めもの(白菜やネギと豚肉を合わせたもの)と鮭をおかずに米を食う。あとおでんのあまり。新聞からは文化面の、瀬戸内寂聴関連の本がいろいろ出ているという話題を見た。瀬戸内寂聴は一冊も読んだことがないし、まあ正直そこまでおもしろそうだともおもってはいないが、病室にも原稿をもちこんで死ぬまぎわまでしごとをつづけていたとあるのを読むと(連載五本をかかえていたという)、それだけで尊敬の念は湧く。ほんにんもペンを持ったまま死にたい、みたいなことを言っていたらしい(いかにもロマンティックな欲求ではあるが)。ところで母親が言うには、きのう(……)さんが来て、(……)で(……)の教室をやりたいからと署名をたのまれたという。参加じたいも誘われたが、父親が腰が痛いので駄目だとことわり、しかし署名は父親がもう書いてしまっていたから、ほんとうは書きたくなかったけれどじぶんも書かざるをえなかった、と。政治的なことがらでもあるまいしなまえを貸したところでどうなるともおもえないのだが、母親はじぶんのなまえを他人に貸すという行為じたいが嫌なようだ。なににもならないとはおもうけど、といいながらも、なんらかのリスクをそこにほの見ずにはいられない性分なのだとおもう。なにもないとはおもうし、なにか面倒をこうむることがあるとしてそれがどういうことかわからないけど、なんか不安、というような。しかし(……)で講座をやるときに使用のために署名がいると、そんなシステムになっているとは知らなかった。ある程度参加者が確保できるようでなければ貸してもらえないということか。まあ施設側も使用料をもらうわけだから、それがきちんと(継続的に?)見込めなければ、ということか?
  • 皿と風呂を洗い、蕎麦茶を用意。胃はもはやかんぜんに問題がない。鳩尾とへそのあいだをよく揉んでおくと消化にまつわる違和感がすこしも生まれなくなる。母親にたのまれて針に糸をとおしたあと帰室して、茶を飲みながらウェブを見たのち、「読みかえし」。339から351まで読んで二時。それからここまできょうのことを記して二時半をまわった。
  • (……)さんにメールの返信をしなければならない。以下がおくられてきた誕生日祝いのメール。

(……)

  • 以下を返信として綴って、三時一五分くらいに完成送信。

(……)

  • それからストレッチ。柔軟を毎日おこなうことはやはり最重要だ。そののち、一七日の日記をしあげ、すでに済んでいた一八日の分とつづけて投稿した。そうするともう五時で部屋は薄暗い。上階へ。母親は図書館や買い物に出ており居間は無人。アイロン掛けをおこなう。やっているうちに五時一五分ごろにいたり、窓外はうす青いようになってきて空も醒めきった淡青にまっさらだが、おとといの記憶と照らすと時間のわりに意外とまだ暗くないなとおもった。火曜日は晴れではなかったのだったか? 衣服を処理すると台所へ。あまりおかずになるようなものがないのだけれど、冷凍の餃子が数個のこっていたのでとりあえずそれは焼こうとフライパンにならべたあたりで母親が帰ってきた。父親は山梨に行っていてきょうは不在だとおもっていたのだが、いったん帰ってきてまたあした行くという。がっかりした。祖母の四十九日のためにでむくわけだが、母親は、なにも持ってかないわけにも行かないでしょということで、各家にわたす品をもとめに出かけていたのだ。なにかしら買ってきたもよう。しかしそれに時間をとられて、大根なんかを買いたかったのが果たせなかったという。スーパーが閉まっていたみたいなことを言っていたが、はやすぎないか? オミクロン株の拡大で蔓延防止重点措置も出たから、それではやばやと閉めたのか? 母親が買ってきた小松菜を茹で、シチューにしようというのでかのじょが切る野菜をどんどん鍋に入れて炒める。タマネギ、大根、ニンジン、白菜、ネギ、豚肉、コーンといったかんじで色とりどりいっぱいになった。水をそそいでおき、天麩羅をやるというのであとはまかせて、小松菜を切り分けてパックへ。ファンヒーターのまえで温めておいたバスタオルや寝間着をたたみ、その背後で椅子に吊るしておいたタオルはあまりしゃきっとしていなかったので、集合ハンガーからはずしてかわりにヒーターのまえに配置しておいた。下着も。そうして、ボックスに荷物がはいっているとおもうというので((……)ちゃんにそのうち送るつもりだというメロンソーダ)、玄関を出て見ればたしかに段ボールがあった。それを仏間に運びこんでおいて白湯とともに帰室。ここまで記して六時半まえ。きょうは八時から(……)と通話の予定だったのだが、きのうの日記をそれまでに仕上げたかったので九時からに遅らせてくれないかとメールをしておいた。返信はまだない。
  • その後返信があって無事九時からとなった。うえまで記したあと、夕食へ。クリームシチューや天麩羅。終盤で満腹感がつよくなって食べるのにすこしだけ苦労した。新聞は読んだはずだがよくおぼえていない。もどってくるときのうの日記をすすめた。九時から通話なのでさきに入浴してしまうこころだったが、それまでにすべては終わらず。八時をまわって風呂へ。腹を揉みほぐしたり冷水シャワーを下半身に浴びせたりしながら入り、出るともう九時なのでコンピューターを持って隣室に移動。まもなくZOOMの情報を記したメールが送られてきたので、番号とパスワードを入力し、通話をはじめた。(……)はもう広島にいる。(……)。うつったのは一二月だったっけ? ときくと、一〇月だというからもうそんなにだったか、と受けた。「(……)」の宣教活動のためにそちらに配属(?)されたわけだが、のちほど仕事はやっているのかときくと、(……)の掃除のしごとをやったり、ひきつづきネットで翻訳の案件を手掛けたりしているという。掃除というのは物件の周辺を掃いて落ち葉をかたづけたりゴミ捨て場をきれいにしたりする仕事だといい、どの日にどの物件に行くかというのをじぶんでえらべるのでよい、ということだった。掃除、いいじゃん、とこちらも受ける。確実に役に立つしごと、と。俺もまえに、公園の掃除とかちょっとやりたいなとおもったことあったよ、昭和記念公園とか、落ち葉を拾ってるひといるじゃん? まあひろいからめっちゃたいへんだろうけど、公園のなかを歩けるし、とはなすと、ひとりでできるしね、とあちらは返すので、同意した。それがいちばんよい。瀬戸内は温かいのかときくと、さいきんようやく寒くなってきたくらいだといい、それでも最高気温は一〇度くらいあるらしいから、東京よりよほど温かいのではないか。海がすぐそばにあって、たまに出かけてギターをつまびいているとのこと。すごくよさそう。しかも瀬戸内海は津波の心配がない。まったくないわけではないのかもしれないが(阪神淡路のときなどどうだったのか?)、島がたくさんあるから打ち消されちゃう、と(……)は言っていた。
  • さいしょのうちはコロナウイルスの状況についてこちらが知っている情報をはなす時間がおおかった。東京の感染の急拡大にかんして。毎日地域面で市区町村ごとの新規感染者数を見てるけど、今回はさいしょのころから世田谷がいちばんおおくて、なんでかわからんけど、などとおしえる。広島も、沖縄、山口とともにさいしょに蔓延防止等重点措置に指定された県だ(米軍基地の周辺だけだったとおもうが)。さいきんは(……)のいる(……)にもけっこうひろがってきていて、あまり外出しないようにしているとのこと。こちらのしごとのこともたしょうはなし、このあいだ共通テストがあったし、そろそろいよいよ受験本番というかんじだと告げた((……)はセンター試験が「共通テスト」に変わったのを知らなかったようだ)。今回はコロナウイルス状況下での実施だったし、受ける生徒たちも例年にくらべてもストレスがおおかったとおもう、事件もあったし、というと、それも知らないようすだったので、共通テスト一日目(一月一五日)の朝に起こった刺傷事件のことを説明した。名古屋の私立高校の二年生が東大のまえでひとを刺したっていうことがあって、東大医学部をめざしてたんだけど成績があがらなくて、絶望しちゃったんだろうね、それでひとを刺してじぶんも死のうとおもった、と供述したらしい、と(ちなみに、より正確にいえばかれは「切腹」しようとおもった、と言っていたはずで、じっさい被害者三人を刺して居合わせた大学職員にじぶんは生きている価値がないと叫んだあと、包丁をじぶんの腹にむけたというはなしだった。自殺方法の企図がことさらに「切腹」だったというのは、武士道的ななにかからの感化があったのか?)。
  • その他、高校時代の同級生の近況をたがいにつたえる時間もおおかった。こちらは先日(……)の結婚式があったことをおもいだし、俺と(……)と(……)で行ってきた、と報告。三人のしごとや現状をはなした。あちらは「(……)」といって(……)というなまえの同級生がいたのだけれどかれについて教えてくれた。さいきん一〇何年ぶりで連絡を取ったところ、小学校の教師をやっていて、熱意にあふれていたという。なんでも、小学生のうちからひとを信頼するということの大切さをおしえたい、そういうありかたをはぐくみたい、みたいなことを語ったらしく、めちゃくちゃいいこと言ってんじゃん、と笑った。背伸びてた? ときくと、LINEでやりとりしただけだからわからないとのこと。それよりも髪型がどうなってるか気になると(……)が言ったのは、高校時代にかれはわりとモジャモジャみたいな髪の毛だったからだろう。ちゃんとしたかんじになってんじゃない、と返した。もうひとり、(……)がバレー部でいっしょだった(……)についても語られて、かれはいま税理士をやっており、(……)で個人事務所をひらいているとか。けっこうストレスおおそう、とのこと。へんな客がわりと来るらしい。あと、(……)のほうは子どもが三人いるとかで、子どもが好きそうな顔だったし、父親をやっているところをイメージすると似合うな、というかんじだったのだけれど、(……)も税理士といわれると納得するような、相応するようなかんじがあった。だってあいつインテリだったよね? けっこう高い大学行ってたよね? ときくと、中央大学商学部だかそのへんだったという。それで、その(……)から聞いたはなしらしいのだが、われらが母校である(……)高校はその名をうしなって(……)に変わったのち、さいきんさらに小学校もくわえて小中高一貫の学校になろうとしているという。ばしょはあそこのままなの? ときくと、高校のむかいにあって野球部とかが活動していたグラウンドの敷地にあたらしい校舎が建てられて、それがすごくきれいな、病院みたいなものなのだという(しかし(……)はじっさいに目にしたのだろうか?)。そのはなしが出たのは掃除のはなしからのながれで、というのは、(……)が落ち葉をかたづけるのはたいへんだ、すぐまた落ちてくるから、と言ったのに、一一月とかな、掃いてるとちゅうでもう降ってくるからなと笑ったあと、岡倉天心の『茶の本』のなかに記されている千利休だかだれだか茶人のエピソードをおもいだしてはなしたのだった。といってこの本はまだ読んでいないので(持ってはいる)、これを知ったのはむかし(……)さんがその挿話をブログで引いていたからなのだけれど、千利休だかだれだったか茶人が寺に住んでいて、弟子が掃除を課せられる、で、弟子は一生懸命きれいにするわけだよ、そんでもう落ち葉が一枚も落ちてない、あたり一面かんぜんにきれいになったところで師匠にできましたって言いにいく、すると師匠はまだだめだ、終わってない、って言って、そこに木があるんだよね、それを揺らして葉を落として、これで完成した、って、という調子で説明した。まあだからちょっと汚れてるっていうか、ちょっとだけ余計なものがあるのがいいっていうか、そういうかんがえかたらしい、と。破綻の美、というありふれたいいかたに属することなのだろうか。(……)はそれを、あんまりきれいすぎても不自然っていうか、とそういうふうにとらえて、それで病院のように衛生的な新校舎のはなしをおもいだして語ったのだった。
  • コロナウイルス関連の情報をはなすあいだとか、あるいは(……)が朝一から晩のさいごまで多忙にはたらいているらしいとか、(……)の会社はブラックであくどいことをやっているらしいとか伝えたあたりなど、(……)は通話のさいちゅうでたびたび、もういまは世の中がおかしいからなあ、ともらした。世の中はたぶんだいたいつねにおかしく見えるもので、いままでもずっとそうだったのではないかとおもうが、(……)のそのぼやきの主眼は、じぶんにとってほんとうに大切なことを内省的に見定めたりしないままに虚妄的な欲望に駆られ操られたり、あるいは無思考になんとなく既定路線に乗った結果やりたくもないことで生を占領されて心身をすり減らしたり、じぶんのことしかかんがえなかったり、という人間がおおい、というような内容だったと推測される。かれはじぶんの部屋をしめしながら、ぜんぜんひろくないし、ものもすくないけど、テレビもあるし服もあるし、これでほんとうはじゅうぶんなんだよね、と言った。物質ではなくつましいながら精神の幸福、あるいは自足、というわけで、いかにも宗教者らしい言い分ではある。東洋のことばで言えば知足、足るを知る、ということになるだろう。(……)としてはおそらく、ひとびとがもっとじぶんがほんとうにはどう生きたいのかということをかんがえて、いわば自己の真理をおいもとめ発見し、それでもって拝金的な資本主義のおおきなちからからある程度は逃れる人間が増えれば世の中はもっとよくなる、というおもいなのではないか。したがって宣教活動は、聖書に依拠しながらそういう精神的価値をひとびとに知ってもらい、ひろめるためのいとなみ、という意味をもっているとおもわれる。資本主義の本流にまったく乗れないしそもそも乗る気がないという点ではこちらも同様である。会社ではたらきはじめたはいいけどブラックすぎてついていけずに辞めたとか、精神をやられたとかいうはなしはいろいろ聞くね、おれのまわりでも、あと、こいつが? みたいなやつも精神科に行ったとか、こいつは大丈夫だろうと、まあ偏見だけど、そういうかんじのやつでもやられたりとか、とはなした。二極化していくんじゃない? と(……)。つまり、ブラックな労働環境でも感覚が麻痺してうまく適応していける人間と、それについていけずにドロップアウトしてなにかべつの生き方をさぐる人間と、ということだ。
  • 時間がすぎるのがとてもはやいとなにかのタイミングで(……)が言ったので、おれはもうそういう感覚はあまりおぼえなくなったな、と受けた。やることがおおくていそがしいってこと? ときくので、いや、そういうわけじゃないけど、むかしはもう何月かーとか、もう一日が終わっちまったよとか、よくおもってたけど、さいきんはもうぜんぜんそう感じなくなった、なんでかわからんけど、ふつう歳を取ったほうがそういうふうになりそうなもんだけど、と笑った。なんでかわからんとは言い条、これはやはりたぶん瞑想を習慣化したことで現在時にたいする意識が高まったということではないかとおもう。むかしは意識のありかたに波があったというか、いまをあまり感じずに過去だの未来だのばかりを参照していたのだとおもわれ、そういうある種散漫な意識の持続のなかでふと現在時が焦点化される瞬間があると、ああもうこんな時間だとか、いつの間にかこんな時期になってる、という感慨が生まれるのではないか。いぜんからもちいている古語をつかえば、「あくがれ」(たましいが身から離れさまよい出て、こころここにあらずになっている状態)の時間がおおかったのが、いまは意識の密度がいつもだいたい均一にならされているようなイメージ。
  • 生についてもだいたいのところもう満足している、と言った。もちろんさまざまこまかな不満とかやりたいこととかはあるけれど、不幸だと感じることがなく、総体としてはおおむね満足していると。それはいいことだねと(……)は言った。それよりもまえに今後の展望はなにかあるときかれたときも、とくにない、読み書きをつづけて、あとはなんとか家を出て貧乏暮らしで行けるところまで行く、というくらい、と答えていたし、新年ということで聞いたのだろうが、あたらしくはじめたいことは、などと質問されたときにもまったく思い当たらず、あたらしいこと? あたらしいことって、なんだろうね? どういうときにあたらしいことをはじめようっておもうのかね? と疑問を連発したくらいだ。(……)のこたえは、まあ、なんか、暇だなー、みたいに感じて、そういうときじゃない、というものだった。ちいさいことでいえばこういう方面の本を読んでみたいとかあるけど、といいながら、あとは映画かな、映画とか演劇、それは見たい、とおもいついたがその程度だし、それだっていまのじぶんの生の範疇でまったく目新しいものではない。ようするに芸術と学問のくくりにはいる。そうかんがえると、じぶんはぜんぜん変化、変容、進歩がない。あとは、歩く時間をつくりたいな、とも言ったが。スポーツとかをやればじぶんにとってはかなりあたらしいことにはなる。身体的ないとなみにもまったく興味がないではないが、運動神経は致命的である。ダンスができたらめちゃくちゃいいのに、とおもうことはある。あとは恋愛? それは未知だ。もうだいたい満足している(……)さんがさらにもとめることっていうのはどんな? と質問が来たので、まあ変わらんけどね、いろんな本を読みたいのと、もっといい文章を書きたいのと、あといろいろな場所に行ったり経験をしたりして、それを記録したいっていうのはあるよね、それがやっぱりいちばんおもしろい、と述べた。ひるがえって(……)にも、なんか将来の目標みたいなのあんの? ときいてみると、いずれ台湾で宣教をしてみたい、という答えがかえった。なぜ台湾なのか、海外にひろめたいということなのかと問いをつづければ、いや、まあ中国本土でもいいんだけど、とかえるので、本土はきついだろと苦笑して、あいても笑みをあわせる。日本在住の中国人に聖書をおしえていた関係で中国語がたしょうできるので、それで台湾、という理由のようだ。台湾もまあどうなるか、習近平がマジで侵攻するんじゃないかって、そういうはなしも出てるからね、もし習近平がほんとうに侵攻したら、まあ米軍が出ないわけにはいかないでしょ、そしたら終わりじゃん、みたいな(と破顔して笑う)、日本終わりじゃん、で、ロシアはまあ中国につくでしょ、んで米国側にもいろいろついて、第三次世界大戦じゃん、っていう。まあそんなにたんじゅんにはいかないとおもうけどね、とつけたして苦笑した。
  • 通話を終えたのは一〇時四〇分くらいだった気がする。礼を言って別れ、自室に帰還。その後は特段の印象はなく、日記を書いたり、つかれたからだを休めるためにゴロゴロしたりしていたようだ。ほんとうは書抜きをしたかった。あとさいきん、過去の日記の読み返しもやはりやらなくてはという気になってはいる。四時前に就床した。