2022/1/21, Fri.

 人間は死ぬ。つまり有限である。有限であるということは、充足しない、満たされないということでもあります。言い換えれば、それ自体としては完結しない。だからこそ、それを超えたものとの関係を持たざるをえない、作らざるをえない。そうでないと、身の落ち着けどころがないわけです。だからその不充足をすくい取ってくれるものとして、あるときには絶対的に頼りになる神のようなものを考え出したり、それがうまく機能しなくなると、同胞とか国民といった共同性や、あるいは国家という政治的幻想に身を委ねたりすると、そういうことになるのだと思います。そのとき神とか国家ないしは国民というのは、自分の有限性を補塡する全体として、かつ自分の死の後にも永続するものとして想定され(end276)ている。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、276~277; 西谷修



  • 作: 「君が吸う気息の音をわすれるなこの世でゆいいつ裏切らぬもの」
  • 作: 「八月の嵐のなかにささやきが眠る子どもの頬を濡らして」
  • 九時一八分だかに覚醒。比較的はやい。布団のしたにとどまって腹をよくもみほぐす。一〇時をまわって起き上がった。天気は晴れ。陽はあかるく、布団から出たときのかんじでは気温も高そうで、さわやかな雰囲気。ティッシュで鼻を掃除したのち、水場に行ってきてから瞑想。というかきょうは深呼吸をした。やはり一日のさいしょは静止法ではなく呼吸をしてからだをあたためたほうがよいのではないかと。無動式もそれはそれでやりたいが。二三分くらい座ったあと、合蹠と前屈もちょっとやっておいた。上階へ。母親はすでにしごとに出ており、父親は階下にいて作業。おそらく夕方くらいから出かけて山梨に行くはず。ジャージにきがえるあいだ窓を見た。晴れ日の一一時前だからひかりは宙によく通って瓦屋根にもいくらか白さが塗られ、風にゆれる電線の根もとがいたいけな反射光をひらめかせたり、あるいは綱渡りする生き物のように影が線上を往復したりしている。そのしたで手前の家屋にかくれながらも伸び上がってさきののぞくススキのたぐいがさわさわ回るように揺らいでおり、室内右手にはベランダの洗濯物が振れるようすも見えるが、あたりはしずかで風に家を鳴らすほどのいきおいはない。食事はハムと菜っ葉をソテーしたものに、きのうのクリームシチューや天麩羅。新聞、地域面で感染状況を確認。ひきつづき拡大している。(……)でも三六人とかそのくらいになっていたはず。世田谷区だと五〇〇人超。東京全体だと八〇〇〇人を超えていた。このまま行くとたぶん職場にも感染者が出るだろうし(もしかするともう出ているかもしれないが)、同僚に出ればばあいによってはじぶんも感染者や濃厚接触者になってしばらく休むことになるだろうが、たぶん会社としては感染者が出たとしてもその事実はほとんど共有せずなにごともなかったかのように営業をつづけるはず。いぜんもそういう対応だった。しかしこのままだとそもそも受験じたいがふつうにおこなえるかがあやしい。
  • 二面と国際面にバイデンが就任から一年の演説をおこなったという報。ロシアにたいして、もしウクライナに侵攻すればロシアの銀行のドル取引を停止する制裁をおこなう、おおきな代償を支払うことになる、と警告したと。ウクライナNATO加盟については、国際規約上、原則としてどの国も自由に同盟をむすぶことができるとしながらも、ウクライナが近いうちに加盟する可能性は高くないと発言。ロシアがもとめているヨーロッパからの核撤廃とかは交渉の余地はないと断言で拒否。ジョー・マンチンなど党内の反対で難航している一. 七五兆ドル(二〇〇兆円)規模の大型歳出法案については分割・修正する意図を示し、中間選挙までには成立させることができる自信があると表明。国際面の記事は就任から一年をむかえたがバイデン政権は行き詰まりの感がつよいという内容で、支持率も当初の五〇パーセント台からいまは最低の四〇パーセントまで落ちている。一一月に中間選挙をひかえて融和路線から対立路線に転換し、支持を回復するべきだという声が党内に増えているらしく、それで今回の演説でもバイデンは共和党を批判し、また六日におこなった演説でもドナルド・トランプをこれまでになく痛烈に批判した。しかしそれはかれが就任当初に掲げた米国の「団結」をとりもどすという目標とはもちろん背反する動きである。渡辺靖がコメントを寄せており、バイデンはほんとうは前向きなメッセージを発したかっただろうが、どうにも行き詰まって大統領選のころのようにトランプを直接的に批判することになった、それは「分断」に回帰しなければならないくらいに追い詰められているということだ、外交で失策をするとまずい、とくにウクライナ情勢の対応で失敗すれば致命的で再選はあやうくなるだろう、と述べていた。
  • 食器を洗い、風呂も。窓をあけると陽を敷かれている道路がうす白くちょっと浮かぶような質感になっている。浴槽をこすってもどり、蕎麦茶をつくって帰室。LINEに(……)があげられており、みな好評を述べていたので、一服してからこちらも見て異存なしとつたえておいた。FISHMANS『Oh! Mountain』をながして「読みかえし」。352から362まで。それで一時まえ。ストレッチをしてからここまで書くと二時近く。風がだいぶつよくなっており、窓外からガタガタいう音がよく聞こえる。
  • 日課記録をそろそろやめようかなという気になってきている。日記本文とはべつでそのしたにその日書いたもの読んだもの聞いた音楽など記録をつけていたのだが、どうでもよろしくない? と。すでにだいぶ項目をカットして、いまは「読み物」「就床 - 離床」「支出」「収支」の四つだけになっているのだが、「読み物」ももうなくしてしまおうかなとおもった。すすんだページとか、印象にのこったものだけ、書きたければ本文に書けばよいではないかと。記録をつけていたのはもともとそうすればその日のじぶんの活動が思い出しやすかったり、またじぶんの進歩がわかりやすいというか、きょういちおうなにもせずにだらだら生きていたわけではないぞという支えをえられるみたいな事情があったのだけれど、そんなことはもはやどうでもよろしい。とりあえずきょうから三項目にする。「就床 - 離床」ももういいかなという気もするが。支出収支は必要。
  • 洗濯物をしまいに行った。ベランダのガラス戸をあければ陽はまぶしく、白くあざやかで、まぶたをゆがませる。タオルはあまりきっちりと乾いてはいなかったが、まあいいだろうということでもうたたんでしまった。その他寝間着や肌着も。きょうは五時半からのみじかい労働なのでややはやいが、もう食事を取ってしまうことに。クリームシチューのあまりをすべて。コンロで温めているあいだ足先をもって背後に引っ張り上げるストレッチをやりながら待ち、中身をはらった鍋は洗剤を垂らして流水をそそぎ、泡に漬けておく。そうして自室にもどると(……)さんのブログを読みながらものを食べた。その後きのうの日記を進行。(……)との通話の内容を書き記し、しかし終わらぬまま三時すぎにはからだがこごったので、ベッドにあおむけになって脚を脚でマッサージしながらまた(……)さんのブログを読んだ。三時半ごろになって、いちどどこかに出かけていたらしい父親が帰ってきて、(……)方面かいろいろと電話をかけていた。四時前に起き上がってうえへ。きょうもしごとかときかれるので階段をあがりながら肯定する。尿意がピークだったのでトイレで放尿し、米を磨ごうとおもっていたのだが父親がもうやってくれたらしくセットされていたので、流しの洗い物だけかたづけた。食事の支度は、きょうは父親もいないし冷凍にきのうの天麩羅とかケンタッキーとかのこっているはずだからもうそれでいいだろうと決めこんでやらず。白湯を持って帰り、ここまで記して四時一三分。そろそろ身支度。
  • きのうのことをすこしだけ書き足してから歯磨き。(……)さんのブログの一二日分を読んでいたら、「母からLINE。(……)のご主人が(……)のためにわざわざ誕生日プレゼントを買ってくれたらしい。鹿肉の薫製で、50グラムで1000円ほどする高価な品だという(ネットでわざわざ値段を検索した模様)」とあって、うちの母親とおなじことしてるじゃんとおもって笑った。やっぱり値段や価値が知りたいんですね。口をゆすぐとスーツに着替え、時刻は四時四五分だったので、二曲分だけBill Evans Trioを聞くことにした。六一年のライブのディスク2の”My Romance (take 2)”と”Milestones”。My Romanceのピアノソロ中はベースが二分音符中心でかなでるパートが二コーラスだか四コーラスだかわからんがつづき、ドラムがスティックに持ち変えるとともに(たしかブラシからスティックに持ち替えていた気がするのだが、もしかしたらさいしょからスティックで、ただ四つ刻みはじめただけかもしれない)LaFaroも4ビートに移って、一コーラスだか二コーラスだかやったその後また二分音符のリズムにもどり、そのままベースソロにはいる。LaFaroはテンポが半分の前半でむしろよくうごいていて、四小節だか八小節だかわからんが偶数単位の終わりごろでうごめくオブリを入れることが多い。アルバム全体をきけばEvansのフレーズの収まりにあわせて副旋律をはさむようなやりかたもけっこうあるのだけれど、このMy Romanceではピアノがメロディを奏でているのにおかまいなくじぶんも旋律的にうごく場面が多い気がした。それでいてぶつからず、並行的なながれかたになっている。Evansがややコード的なプレイをしているか、あまりこまかく埋めていない箇所だったのかもしれない。4ビートのパートではこまかなうごきはほぼ入れず、めずらしく一拍一音を基本に尋常なバッキングに終始していた。2ビートにもどってからは一箇所、高めに浮かび上がって三音セットを三連符で二、三回くりかえしたあと、おなじ一音をリズミカルに連打するところがあって、なにやってんねん、とおもった。Motianもしかしそれにあわせていくらかバシャバシャやっていた。”Milestones”のほうは、My Romanceやほかの数曲みたいにいちおうバップの延長上にあるというかようするにコーダルな曲からみると、かなり風通しよく解体されている。つまりモードということだが、EvansはEvansでもちろん、色調のうすくてやや神秘的なつめたさのフレージングが板についているし、LaFaroもLaFaroで頻繁にこまかく走っている。フリーまであと数歩のところに来ているんじゃないか、とおもった。Bill Evansはおそらくフリーができる演者ではなかった、LaFaroが生きていてトリオがさらに発展してもかれ個人はそこに踏みこむことはなかっただろうとこちらは勝手におもいこんでいるのだけれど、しかしこの路線でこのまま熟して、行けるところまで行きはしただろう。フリーにははいらないとして、そのときのトリオがどうなっていたのかまったくわからないが。フリーをやるにはEvansが堅固すぎる気がするのだ。その点、LaFaroはあきらかにコードもリズムもかんたんに捨てられる人種だろうし、六一年時点でそういう志向はふつうに見えるとおもうし、これいぜんにOrnette Colemanの録音にも参加していたわけだし(あれはあれでなんかちょっと特殊な気がするが)、フリーインプロヴィゼーションは余裕で身につけたとおもう。だからLaFaroの解体力がどんどん激化していったときに、Evansがそれにどう対応したか、どう影響を受けることになったのか、じぶんを保っていられたのか、というのは音楽として聞いてみたかった。このふたりのスタイルはある種ひじょうにわかりやすく対照的に聞こえる。それでいながらもちろん調和してもいるのだけれど、その調和はふつうの噛み合い方ではなく、もっと複雑な、ほんとうはうまく組み合わないはずのものが一周回ったさきでなぜか調和してしまった、というようなありかたであるようにおもえる。聞いていても、ある種のちぐはぐさの感覚をおぼえることがある。しかしちぐはぐといってそれもまた、齟齬でも衝突でもなく、並行の感、まったく別種の関係のないものが偶然おなじところに居合わせて理由もなく共存してしまっている、という感じがつよい。その、いってみればいびつさが、六一年のBill Evans Trioの特殊性なのだとおもう。かれらのかたちはぜんぜんスタンダードではない。もちろん一九六一年六月二五日のVillage Vanguardの録音は世紀の大名盤としてジャズ史にその名を刻んでいるし、不思議なことにさいしょに聞くべき入門の一枚として挙げられることすら多いわけで、その後、ピアノトリオをやろうという者は例外なくこのトリオの影響範囲に入り、なんらかの意味でそれを参照しなければならなかったはずだし、こういうスタイルを学んでみずから実践したトリオもいくらでもあるはずだが、かれらのうちの成功したものは、たぶんみんなうつくしく、うまく調和したはずだ。Bill Evans Trioは、うつくしく、うまく調和してなどいない。なにかそれとはべつのありかたをしている。それが、この演奏がいまにいたるまでずっと聞き続けられてきた理由だとおもう。
  • とはいえ、LaFaroはフリーをやってもそんなに衝撃的な演者にはならなかったのではないか、という気もする。かれがすごいのはやはりバップの範疇、コードの制約があるなかであれだけの泳ぎ方踊り方をしてみせたという点にほかならず、モードとかフリーとかのかたちで自由に闊達に動き回れるというのは、ある種あたりまえのことだろう。真の自由は規則のなかにこそある、というありがちな言い分にあたってしまうが、LaFaroの自由さというのはほんとうにすごい。規範を逆手に取ってたくみに活用しているとか、なんかそういうレベルではない。それまでのベーシストのだれにも見えなかったみちすじを見出しているとしかおもえないし、LaFaro以後にかれとおなじみちすじが見えるようになった人間もほんのわずかしかいないとおもう。コードの解体いぜんに、コードに沿いながら、なおかつそういうフリー的な自由の感覚をそのなかにみちびきいれてしまったのがすごいわけで、LaFaroが生きていてフリーに行ったとして、かれがその段階でやったであろうことは、たぶんその後Jimmy GarrisonでもGary PeacockでもEddie Gomezでも誰でもできたとおもう。しかしかれらの誰一人として、LaFaroがBill Evans Trioでやったことはできなかっただろう。
  • “Milestones”は、六〇年代のいわゆる新主流派というのか、Herbie Hancockとかがやったことを先取りしているような感じがある。かれらはまあだいたいのところMiles Davisの傘下から発生したと言ってよいとおもうが、MilesとColtraneとEvansというレジェンド三者のそれぞれの発展を追ってみるのもおもしろそうなことだ(というか、そのうち後者のふたりもやはりMiles Davisの傘下から発生したと言ってよいわけで、それをかんがえるとMilesってマジでやばいなとおもう)。御大は五八年に例の『Kind of Blue』でモードの画期をつくったものの、その後の過激化はたぶんそんなにはやくなく、Coltraneが生き急ぐかのように『Giant Steps』をつくり『My Favorite Things』に行ったのとくらべるとやや出遅れた感はある(六一年はまだ『Someday My Prince Will Come』の段階だ)。六四年にはクインテットがきわだった完成度にいたっているし、六七年くらいにはもうわりと意味のわからん状態になっているが。行き着くところまで行ってもうこれいじょう無理だからエレクトリックに活路を見出した、というかんじだろうたぶん。かれはまた性分としてもそんなにフリーに適合してはいなかったはずで、たしかOrnette Colemanははなしにならん、みたいなことを言っていたとおもうし、Eric Dolphyのこともディスっていたはず(かれの音を「馬のいななき」と評したのは御大ではなかったか?)。また、多重奏団やオーケストラなんかもこころみてきたし、バンドリーダーとしてアンサンブル志向がほかのふたりよりつよいというか、音楽を全体としてかんがえ発展させるという意思がある気がされ、あまり個人技というタイプではない。たいしてColtraneは個人技も個人技で、標準的なジャズ史では五九年録音(六〇年発表)の『Giant Steps』でハードバップが行き着くところまで行ったとされているわけだが、もちろんあれはあれですごいものの、あえてけなしていえば、あんなのは独裁的な音楽でしょう(六〇年以降、つまりレギュラーカルテットになったあとはまたちょっと違ってくるとおもうが)。それとわかりやすく対比させていえば、Bill Evans Trioは平等の形象である。スタジオ盤はまだしもピアノとリズムで上下がある気もするが、六一年のライブでは階層が存在しなくなっている。史上稀有な音楽的民主主義といってもよい。
  • 二曲を聞くと五時。出発へ。寒かった。居間のカーテンを閉めるなどしたあと、数分のこったので、わざわざ部屋にもどってヒーターに当たったくらいだ。道へ。空気は冷え切っており、わずかにうごくだけでも切るようなつめたさのかたい摩擦が頬に生まれる。とうぜんながら道沿いにひとの出ている家はなく、路上はしずけさに満たされている。木の間の坂をのぼって最寄り駅へ。乗車して移動し、降りて職場へむかう。駅を抜けてロータリーを行きながら東の空をみやれば、ふるえるような、さざなみのような、雲のなく清澄なトワイライトブルーが濃淡を変えつつ一面におしひろがっていた。
  • 勤務。(……)
  • (……)退勤。駅にはいって電車に乗り、席で瞑目しながら発車や到着を待つ。最寄りで降りて帰路。とにかく寒かった。月が低く、濃いオレンジ色で浮かんでいた。帰り着くとすこしやすんでから食事。テレビはサスペンス的なドラマ。中学時代の同級生らのひとり(女性)が、山梨から東京に出て漫画家をやっている主人公(波瑠)に嫉妬し、かのじょの部屋に忍びこんでナイフで衣服を引き裂いたところをつかまえられ、その後、悶着の場面。下手人の動機は、上京したり人気漫画家として成功したり、中学時代にあこがれだった男性(「雨宮くん」)と仲良くしていたり、じぶんがほしかったものを波瑠がぜんぶ手に入れているという嫉みだったが、空き巣に忍びこんで部屋のようすをみてみれば、成功どころかかつかつの暮らしをしていることがわかり、人気漫画家などではとてもなく、ファンはひとりしかいないじゃない、と盗みだしたファンレター数枚を手にしながら女性はさげすみ、わたしよりあんたのほうがよっぽどみじめよ、と言い放つ。そうして、わたしに謝って、嘘ついてすみませんって、謝りなさいよ、などと言いつつファンレターを地面に捨てて踏み潰すと、怒った波瑠がかのじょを押しのけて手紙をまもり、ちょっとなにすんのよ、とかもらしながら(このときの語調は平板でやや棒読みで、大根感があった)ちかづいてきたあいてにさらに平手打ちをかまして、わたしのことを馬鹿にするのはいいけど、こんなわたしでも応援してくれるひとがいるの、そのひとのことを馬鹿にするのはぜったいにゆるさないと啖呵を切り、つかみあいになりかけたところで雨宮くんがあらわれて女性をいさめる、というながれ。一瞬たりとも途切れることなく約束事にしたがいつづけるたぐいの、あふれでる既視感の連鎖でもって時空を持続させるドラマ。その後、波瑠は、もうひとりの女友達が、かのじょのやったことは犯罪だと言って通報しようとするのを意に介さず女性をゆるし、女性もあんたたちよりも成功してやるから、幸せになってやるから、と宣言して、それを雨宮くんと波瑠が楽しみにしていると受け、なぜかわからないがなんとなくいい話ふうの不条理なおさまりかたをしたあと、場面が変わってこの同級生グループのなかにひとりわすれられていた人間がいたのではないかという、よくホラーものにあるような展開のしかたをして、そこにさきの女性が(たしか真っ赤なコートを着ていたとおもうが)旅行先らしく渓谷みたいな場所でだれかにたいして、いいたいこといえてすっきりした、手伝ってくれてありがとね、とか感謝を述べているカットがさしはさまったのち、喫茶店だかバール的な場所にいる波瑠たちのもとに、かのじょが死んだという知らせがはいってくる。それでこの回はだいたい終幕だった。
  • それからのことはわすれてしまった。