2022/1/24, Mon.

 一例で言えば、夏目漱石のデビュー作は『吾輩は猫である』という有名な小説ですが、その冒頭は「吾輩は猫である。名前はまだない。」という文章で始まるわけですね。飼い猫なのだけれども、主人から名前をつけてもらっていない。一回で終わるはずのその第一章の末尾というのは、名前のないまま生きていくという、非常に無名性にこだわっているわけです。ところが、『ホトトギス』という俳句雑誌で大人気を博して、一回で終わるはずを連載してもらいたいということになって、その後連載が続いていくのですが、その第二回のところでは、名前がつけられていないにもかかわらず、その猫は「わたしは急に有名になった」ということを言うわけです。
 これは、やはり当時の日露戦争下におけるマス・メディアの果たした役割ということを、見事に捉えていると思います。つまり、だれも知らなかった、ある特定の人物の固有名が、突然、ある日から国民的に有名になる。
 一番典型的な事件は、旅順の攻撃に際して、旅順口を封鎖する作戦を立てて、作戦としては失敗してしまって戦死した広瀬武夫という軍人がいるわけですが、作戦自体としては失敗だし、国民の税金を使った高い蒸気船を四隻まで沈めて、しかし旅順口を封鎖するこ(end296)とができなかったという事態でした。これでは国民の戦意高揚にはまったく役立たないわけですけれども、この事件を、広瀬武夫を部下思いの将校であるというように描き出すことによって、事実が報道されるときにはもう「軍神広瀬中佐」というように描き出して、いわば、大本営発表も含めた、軍とメディアが一体になって、失敗した作戦なのにその中心人物を英雄として描き出して、そしてそれを国民的なイヴェントとして、広瀬中佐の旗に飛び散ったといわれる脳みそなのですけれども、二銭銅貨大の脳みそ、これを旅順から佐世保に持ってきて、日本を縦断させて東京まで運ぶ過程をイヴェント化していく。つまり、一人の人間の死にすべての国民のまなざしを集中させて、失敗した作戦を戦意高揚の道具に、メディアを通して仕立て上げていく。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、296~297; 小森陽一



  • 覚めて携帯を見ると七時五九分、アラームの一分前だった。それいぜんにも二回覚めた記憶があるが。一回目はまだ明けておらず暗い時間帯だった。きょうの天気は曇り気味らしく、カーテンの色が白っぽくてひかりのつやもあまりない。いつもどおり布団のしたで息を吐きながら腹を揉んだりして、八時四三分に起き上がった。水場に行って顔を洗ったりトイレに入って小便を捨てたりしてからもどって深呼吸。きょうは音楽は聞かず。二〇分ほど座った。あまりちからを籠めすぎても、活力はそのぶん湧くが疲れもするので、気楽な調子でやるのがよい。
  • 九時をまわって上階に行き、洗面所であらためて口をゆすいだりうがいをしたり髪を梳かしたりした。食事には芸もなくベーコンエッグを焼き、米に乗せる。その他きのうつくったほうれん草の汁物も。新聞はソファについた父親が読んでいるので読めず。父親はきょうはさいしょのうちソファの背にもたれるかたちでからだのまえに新聞をひろげて持ちながら読んでいたが、じきにいつもどおり前かがみになって炬燵テーブルのうえに置くかたちで読んでいた。窓外を見ればやはり雲がちな白い空だが、屋根の面を分ける区切り線や、三角の一面をうすく発光させている家もあり、室内でも炬燵テーブルのうえには純白が映りこんでいくらか輝かしい。風の気配はかんじられなかった。
  • 食事を終えると皿を洗い、風呂も洗って帰室。一〇時から通話である。Notionを用意してきょうの記事をつくり、(……)隣室に移動した。接続。しかしZOOMの入室許可が出ないというか、そもそも許可待ちの画面にならないので、これは(……)くん寝てるな、とおもった。そのうち起きるだろうと待ちながらdiskunionのサイトでジャズの新譜をチェックしていると、LINEのほうにI’m wakin up nowとなぜか英語で投稿が来たので、oh yeah, take it slow. とかえしておいた。そうしてじきにZOOMがつながって開始。通話中のことはあとに回す。話題としてはよい音楽をおしえられたのと、月一の創作会みたいなものに誘われたこと。
  • 終えたのはちょうど一時ごろ。自室にもどると日記を記す。おとといの記事はまだ勤務中のことを書いていなかったのでそこから。仕上げて投稿し、きのうの記事も手短にやっつけてブログにあげると二時半ごろだった。からだがこごっていたので仰向けになり、都立高校の理科の過去問を確認。じぶんは理科だけはもうほぼわすれてしまって教えられるレベルに達していないのだが、(……)のためにたしょうなりとも理解しておかなくてはならない。とりあえずきょうは大問1ができればよいだろうということで、パソコンで表示した問題と職場からコピーしてきた解説をそこまで確認し、あと滝川洋二編『発展コラム式 中学理科の教科書』(講談社ブルーバックス、二〇一四年)の該当箇所もいくらか読んでおいた。物理・化学編と生物・地球・宇宙編で二冊にわかれているこの新書は、もう何年もまえにやはり理科も復習して教えられるようになろうとおもって買ったのだったが、けっきょく読まず、いまにいたるまで勉強もしていない。三時に達して上階に行き(そのまえに二時にいったんあがって洗濯物を入れておいたが、予想通りあまり乾いていなかった)、米と汁物と白菜をなめ茸やひき肉と和えて炒めたらしき料理を用意して帰り、ウェブを見つつ食事。食べ終えてまた台所に行き、洗い物をしたあと米が残りすくなかったので、あまりを皿に取ってあたらしく磨いでいると父親が帰宅した。帰宅したと言って出かけていたのかそれともそとに出ていただけなのかわからないが、たぶんウォーキングにでも行っていたのではないか。はいってきたときには手におおきな白菜を持っていて、これはたぶんきのうまで山梨に行って祖母の四十九日をすませてきたので、そこで(……)さんかだれかにもらったものではないか。きょうもしごとあるのかときかれたので、肯定して五時に行くとつたえておく。夕食は出来合い品のハンバーグがあるのでそれでよかろうと勝手におもっており、父親か帰宅後の母親にまかせることに。白湯を持って室にもどるとここまで記して四時一〇分。
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  • 四時一〇分ののち、出発までなにをしていたのかがおもいだせない。コンピューターをまえにしながらなにか読むなりしていた気がするのだが。新聞か。部屋に持ってきている新聞を消化したのだ。ミャンマーの状況や、ドナルド・トランプが二四年の大統領選に出馬する意向を示したという報など。あと、岸田文雄の施政方針演説をとちゅうまで読んだ。首相の施政方針演説をわざわざ全文読もうという人間なんて、記者か研究者か、政治方面をしごとにしている人間しかもういないのではないか? それかよほどの暇人とか、新聞が好きでくまなく読むことを習慣にしているひととか。読んだからといってとくべつおもうこともないのだが。
  • 五時すぎで道へ。きょうは気温が高いようで、バッグを持つ手や顔につめたさが寄ってこなかった。空は暮れ方の希薄さにまっさらで、あるかなしかの淡青にひらいたその縁では白く透きとおり、この時刻の色や質感だとそこに雲がひそんでいるのか否かみわけられないが、おそらく曇天が終わってくまなく晴れたのだろう。路上の明暗はたそがれにはいる数歩前、あかるさをまだのこした宙に街灯はすでに灯って白くかたまり、みなれた近間のようすが馴染みのないべつの町にいるかに映る叙情味が一点そこににじまないでもない。十字路の向こうには何年かまえに越してきた白人の一家(奥さんが日本人のようだ)が住んでいるが、家屋前の細い通路から道に出るその脇にちいさなバスケットゴールが設置されており、そこで父と子がボールをつかってあそんでいた。父親が子にかける激励などのことばがしずかな夕べの道に渡るが、やはりおおかた英語だったようである。
  • 坂道をのぼって最寄り駅へ。ホームの屋根のしたから出てさきのほうへ行き、電車が来るあいだ数分立ち尽くした。空気がぴたりとしずまっており、風どころかながれも揺動すらもなく、マスクをつけた顔の肌になんの感触も生まれない。街道を行く車の音のみ風の代替のようにまがいもののようにつたわってくるが、線路のまわりのもはやとぼしくなった草も振れないなと見ているうちに、ようやくわずかなながれが来て顔に触れ、草の音も一息立ったが、ほの暗んだ視界の底でうごきも見えなかったし、それは大気によるものではなく、なにか小さ虫がいたのではないかという気がする。申し訳ばかりの涼気はすぐにおさまった。北西では丘や樹々の黒く均されたシルエットをまえに置きつつ天涯がかすかなごりのつやを浮かべている。
  • 来た電車に乗って優先席の端につき、瞑目のうちに到着を待つ。着くと出て駅のそとへ。駅前を行きながらロータリーのほうを見渡せば、西空はきょうもトワイライトの青さに浸って玲瓏としずまり、それをいただくむかいのビルは縦にながい窓がいくつも差しこまれているのが白黒の縞模様に似てモダンに映り、ここでもふだんかんじない興趣を地元の景色におぼえたようだ。職場に行って労働をする。(……)
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  • 八時一五分で退勤。駅にはいり、乗って、まもなく発車。乗って席につくときに、反対側の端に座っていた男性と目が合い、(……)ではないか? とほんのすこしだけおもったが、反応を見せないしちがうなと判断した。なにか目をほそめ、苦しげに顔をしかめているような表情だった。目をつぶって休みながら到着を待つ。最寄りで降りて帰路へ。特段の印象はない。往路はたいした寒さもなかったが、夜はやはりそれなりに冷えていた。
  • 帰宅後はいつもどおり、たいした特筆事もない。したの英文記事ふたつを読んだ。日記はたしょうすすめたはず。いや、すすめてないか。四時一〇分で書いたきりだった。書抜きをしようとおもっていたところが入浴後はやはり疲れが出て果たせず。ベッドで休んでいるうちに意識が消えて、二時五〇分に正式な就寝。