2022/1/27, Thu.

 ――崇高なる神よ、私は知っている、あなたは純白だ。そして私は言いたい。あなたは人の讃美する、すべての讃美にも染まらない。人の礼讃する、すべての礼讃にも染まらない。人の思惟する、すべての思惟にも染まらない。神よ、あなたは知っている、私には称賛のつとめが果たせない。私に代って、御自身で御自身をほめたたえ給わんことを。それこそまことの称賛。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、12; 「1 ふたつの処刑詩」; フセイン・アル・ハラージ)



  • 一一時四五分の遅い起床となってしまった。寝るのが遅かったので、からだの感じもとうぜんながら鈍い。窓に陽の色が見えたが、のちには無機質に曇った。水場に行ってきて瞑想。二五分程度。二五分だとちょっと短いかな、という感覚にもうなってきている。四〇分くらい座ればたっぷりやったな、というかんじ。
  • 上階へ行ってジャージに着替え、食事。きのうのチキンソテーのあまりをおかずに白米を食べる。大根とワカメの味噌汁も。テレビはひさしぶりに見かけたが『マツコの知らない世界』で、さいしょは中華そばの特集。ラーメン食いてえなあとそそられた。母親が言うには(……)をわたってすぐのところにできたラーメン屋が人気なのだという。兄から行ってみたらという情報がおくられてきて、さいきん通ったさいにもたしかにひとが並んでいたとか。こんな町で、あんなところでやって人気になるわけねえだろとおもっていたのだが、店名(「(……)」)をきいてのちほどしらべてみると、「(……)」という(……)の人気店で修行をしたひとがひらいた店だといい、ラーメン好きの人間にも注目されているようでたしかに人気らしい。マジかよ。そうなれば食べてみたい。ラーメンになんのこだわりもない人間なので、舌が鍛えられていないが。その後テレビは手羽唐揚げの特集に移ったのだが、その冒頭にJourneyの『Frontiers』の一曲目がながれて、おいおいなつかしいなとおもった。”Separate Ways”とかいうタイトルだったか? そうだ。あの行進的な、仰々しいようなシンセの曲である。Journeyの『Escape』と『Frontiers』は中高時代でかなりきいた。『Escape』の三曲目だったか、バラードまで行かないけれどしずかめの哀愁的な曲のギターソロも練習したことがあった。ながめの音を中心にしてきっちりとしたメロディにしたてた泣きのソロみたいなやつだったはず。
  • 新聞からは共通テストの問題が流出した件について。高二女子を名乗る下手人と家庭教師を申し出た東大生のあいだでかわされたメッセージのやりとりが載っていたが、一二月中に家庭教師を募集したさいに、一月一五日に実力を見るための試験をやらせてほしいとすでに書いてあり、だから計画的な犯行だったはず。つまりその時点でもうテスト中に写真を撮って送ることが可能であると、その方法が確立されていたということだろう。どうやったのかまったくわからないが。載っていた写真二枚を見るかぎりでもふつうに机に置かれた問題用紙のうえから撮ったようすだったし(ちなみに一枚の端に紙をおさえる指先がほんのすこしだけ映りこんでいたが、その爪がマニキュアを塗られているらしき赤さだったので、それを見るとたしかに女性なのかなとおもわれる)。きのうの夕刊だったかに載っていた関係職員にいわせれば、まあいつかこういうことが起こるとはおもっていた、試験を監督する人員の全員がスマートフォンなどの機器に精通しているわけではないし、これは氷山の一角なのではないか、じっさいにはもっと多くが気づかれないまま見逃されているのではないか、ということだった。ところで東大生ふたりはそれぞれ二〇問程度とか一二問程度だったかそのくらいの世界史の問題を二〇分くらいで解いて送ったようだが、片方が一問ミスっただけであとはすべて正解だったらしく、さすがに東大生ということのようだ。下手人は午後から現代文もお願いしますとたのんでおり、東大生がもっとはやい時間でもいいですよと送ると、こちらの都合でその時間のほうがよくて、と返ってきたという。学生ひとりは解いた時点ではさすがに共通テストの問題だとはおもわず、同時におこなわれている模試の問題なのかなとおもっていたところ、不審をおぼえたので現代文のときに、この結果はどのように使うんですか? と送ってみると返信がなくなったと。その後、カンニングの片棒をかつがされたかもしれないと判明して愕然としたという。
  • 洗い物をして部屋に帰ると「ことば」と「読みかえし」。そのまえにNotionを用意したりしているときに母親が来て、タオルが屋根のうえに飛ばされていたから取ってほしいというのでうえへ。見ればたしかに、ベランダの入り口の庇をなすぶぶんの屋根上にハンガーにくっついたままバスタオルが引っかかってちょっと垂れ下がっていたので、手を伸ばして引っ張り、回収した。きょう飛んだのではなく、数日前から、ないなおかしいなどこに行ったんだろうとおもっていたのが発見されたらしいが、まったく気づかなかった。天狗にさらわれてもどってきたみたいなはなしだ。
  • 「読みかえし」: 385 - 391
  • 音読を終えるときのうの日記をすすめて、三時過ぎにしあげて投稿。さすがにからだがこごったので寝転がって書見。三島由紀夫金閣寺』。話者の金閣にたいする意味づけとかその見方、あるいはかれと金閣の関係が変化していくあたりは、まあおもしろいといえばおもしろい。戦争と空襲がもたらす滅びの可能性によって金閣がちかしいものとなっていたのだから、終戦になればそれが変化するのはとうぜんの順当なはなしだが。じぶんにとって金閣はどうなった、どう見えるようになったとか、わりと観念的なことをつらつらストレートに書くのだけれど、そのあたりなんかすごい馴染みといえば馴染みの感覚があって、やっぱり近代文学の書き方、その時代の人間だなというかんじ。四時半ごろまで脚を揉みつつ読んで、それからまた瞑想した。ちょうど三〇分ほど。
  • 上階へ行き、アイロン掛け。五時をまわって窓外は海底に沈みつつあるかの鈍い薄青、窓の上端にのぞく山際の空には雲がはびこって畝なしながらちぎれたすきまにほとんど白い地も線とみえる。暗んだ大気のさきで川面のうえの宙にあたる空間を白い鳥が一羽はばたいて横切り、ガラスにうつったじぶんのすがたは顔貌も色もあらわれない黒ののっぺらぼう、その内部にそのままそとの樹々や屋根の色味をうばわれつつある暗いようすが切り取られはいりこんで、脇ではオレンジ色の食卓灯がクラゲのように浮かんでいた。背後の台所では母親が焼豚と白菜かなにかを炒めているフライパンの音がシューシュー立つ。アイロン掛けを終えるともう食事もできていたのでシャツを階段のとちゅうに運び、じぶんのワイシャツと白湯を持っておりる。階段のいちばんしたのあたりにトイレに敷くマットがぐちゃっと置かれてあったので、それを便所に持っていって便器のまえに設置しておいた。部屋にもどるときょうのことをここまで記述し、六時二〇分。ものすごくさらさらと指がうごく。楽勝。うえの描写もリズムがさーっと出てきてすぐ書けたし、じぶんではわりとながれた印象だが、読む者がどう感じるかはわからない。
  • 夕食へ。新聞、ウクライナ情勢がマジでやばそうというかんじで、バイデンはロシアが侵攻したばあいはプーチン個人に制裁を科す旨を表明。
  • 食後はひさしぶりにギターをいじった。まあまあ。むかしもっていた教則本Joe Satrianiが、テンポ六〇でメトロノームを鳴らし、それにあわせて一拍一音、コードもスケールもかんがえずじゆうに音を弾く、かならず一拍に一音だけでなければならない、これをやるとぼくはいつも音楽の根源にふれるような気がする、と紹介していたのをおもいだし、メトロノームはないしテンポももっとはやかったとおもうが、じぶんもやってみた。たしかに、なにかしずかなうつくしさをかんじた。そのうちに一拍二音に増やしたり、さらに倍にして四音詰めたりしてみたが、四音までいくと余裕がなくてうごきがほぼ手癖になってしまうのであまりおもしろくはなく、一音か二音がいちばんよい。あとはまえまえから似非フリーインプロヴィゼーションとしてたまにやっているが、コードをおもいつくままてきとうにおさえて鳴らしていくのもおもしろく、それもなにかうつくしいものをかんじる。
  • そのあとはひさしぶりにTo The Lighthouseの翻訳。(……)箇所は第一部七章の終盤、Immediatelyからはじまる段落。風呂をはさんで一段落しあげたが、これだけでずいぶん苦労している。終わりのほうをどうするか詰まったのでいったん風呂に行き、湯のなかでもおもいめぐらせていちおう解決したかたち。

Immediately, Mrs. Ramsey seemed to fold herself together, one petal closed in another, and the whole fabric fell in exhaustion upon itself, so that she had only strength enough to move her finger, in exquisite abandonment to exhaustion, across the page of Grimm's fairy story, while there throbbed through her, like a pulse in a spring which has expanded to its full width and now gently ceases to beat, the rapture of successful creation.


 するとたちまちラムジー夫人は、自身をたたみこみはじめるように見えた。ひとつの花びらがべつの一枚に閉じ合わされるように彼女はたたまれていき、そしてついには、全身がのしかかる疲労感にくずおれかかり、かろうじて残ったのは指を動かすほどの力でしかなかったが、それでもたおやかなすがたで消耗感に身をゆだねながら、グリム童話のページに指を走らせ撫でてみせた。それと同時に、彼女のなかを隅まで響き渡っていたのだ、これ以上ないいきおいまで押しひろがったあと、おだやかにしずまる泉の拍動にも似て、あるべきものを生み出せたのだというよろこびの脈動が。

  • Immediatelyは「~~するやいなや」のいいかたがいいかなとさいしょかんがえたのだが、そうすると~~のぶぶんを埋めなければならず、前段落の終わりでラムジーがその場を去っていくので、夫が去るやいなや、みたいな言い方にせざるをえないのだが、そうするとあまりながれないかんじがしたし、この段落にない文言を補いすぎにもおもわれて「するとたちまち」を取った。
  • one petal closed in anotherは、inと言っているので、たぶん一枚がたたまれてもう一枚のうちにつつまれるようなかんじなのだとおもう。だからほんとうは「折りこまれる」というふうに「こむ」の語をつかったほうがよいのだろうが、じぶんはなぜかこのinに花弁が「合わさる」というイメージをいだいてしまい、またcloseの「閉じる」の意味も尋常にストレートに盛りこみたかったので、「閉じ合わされる」となった。one petal closed in anotherのぶぶんはたぶん隠喩的な様態の付与でfoldにかかっているとおもうのだけれど、訳は一文目をtogetherまでで切ってしまったので、そうなると「彼女はたたまれていき」ということばをつけくわえないとつながらない。ここの「彼女は」を入れるか否かもすこし迷いどころではあった。入れなくても通る気もする。ただ、入れないばあいは「ひとつの花びらが」が「たたまれていき」の主語として取られるおそれもあるが、それはそれで比喩的な表現として成り立ちえないわけではない。いずれにしても、その後のandを「そしてついには」と取ったからには、「たたまれていき」の「いき」は必要になったわけだ。
  • fabricの語はむずかしくて、辞書を引けば織物とか骨組みとか構造という意味が出てくる。だから編みあわされた繊維組織みたいな大意になるのだろう。ここではさらにラムジー夫人が花にたとえられているので、花弁から茎、そしてそこから分かれて生えた葉をもふくんだ全体像がイメージされる。構造や編み物的なニュアンス、あるいは植物的なイメージを訳にも混ぜたかったが、どうも無理そうなので、けっきょくは「全身」で処理。
  • 厄介だったのはそのあと、in exquisite abandonment to exhaustionの部分で、exquisiteな自己放棄ってなんやねん、というはなしだ。exquisiteは優美な、とかひじょうにうつくしい、すばらしい、上品な、精巧につくられた、また食べ物につかわれれば極上の、絶品の、そして果てはよろこびや苦痛について甚だしい、強烈な、鋭い、という意味を言う。岩波文庫はこの箇所を、「どこか心地よい消耗感に身を委ねた彼女は」(70)としており、「どこか心地よい」がexquisiteにあたる訳語だろう。しかしそれだとなんかなあというか、exquisiteの意味として弱くないか? とおもわれた。うえにならべたように、これはあきらかに程度のおおきさを意味としてはらむ語なのだ。exquisiteが直接通じているのはabandonmentであり、夫のあいてをしたあとのおおきな疲労感に身をゆだね自己をそのなかに放棄し投げこんでいるさまがexquisiteだといわれているわけである。となればここは、「どこか心地よい」というような夫人の主観的な感覚ではなく、かのじょのようすを形容した描写ととらえてよいのではないか。つまり、指を動かす程度の力しかないほど疲れ切っているが、それでもそのすがたやそぶりに優美さが見受けられる、ということではないかとかんがえた。疲労による消耗のイメージをとりこみつつ優美上品をいうならば、その語は「たおやかな」しかないだろう。くわえて、「疲れ切っているがそれでも」と、「それでも」を用いた留保的逆接をさだめたので、その前段、so that she had only strength enough to move her fingerの箇所は、「かろうじて残ったのは指を動かすほどの力でしかなかったが」と、これはスムーズにさっと出てきた。leftの語はないが「残ったのは」のいいかたにしたほうが、そのまえの「くずおれかかり」からうまくながれるし、リズムとしてもこのはじまりがよい。「かろうじて」を足せばonlyの意味も盛りこめる。ただ、そうすると挿入をはさんでつながるacross the pageのぶぶんにmoveの意をふたたびくわえないと、日本語がおさまらない。そういうわけで「指を走らせ撫でてみせた」で締めたが、この「指を走らせ」までは岩波文庫にならったものである。「撫でる」の語はわずかにニュアンスをこめすぎかもしれないが、move across the pageを逐語訳すると、ページ上を横断するように指を動かすということで、紙面を撫でるように指が行くイメージが浮かんだので、「撫でる」まで言いたくなった。「たおやかな」のイメージとも親和する語ではあるだろう。
  • while以下の後半は倒置である。動詞のthrobbedがさきに出ているが、これに対応する主語がさいごのthe rapture of successful creationである。Woolfはこういう、ながい中間部をはさんで主語で文を閉じる倒置をけっこうよくもちいている。ここなどはまだあいだの修飾がみじかくてわかりやすいほうである。せっかく倒置になっているので、やや仰々しくはなるけれど、日本語もそれにあわせて主語をさいごに持ってきたかった。この後段もなかなか苦戦したが、まずthrobを引けば鼓動や動悸の意だったので、through herを合わせればこの動詞は「響く」にするか、と決めた。なんだかんだいってロマン主義的な好みの人間なので、音楽的な比喩の常套句にながれてしまったのだ。throughということは全身をとおって、ということだから、「つらぬく」の語をつかうか? とこれも常套を考慮し、「つらぬき響く」とか、あるいは逆に「響きつらぬく」もおもったが、「つらぬく」というとかのじょのからだを通り抜けて出ていってしまうようなイメージにもなるので、ここはよろこびの鼓動が全身に渡っている、ということだろうとおさめて、尋常に「響き渡る」で落とした。ただ、「渡る」だけだとなんとなくthroughの意味が弱いような気がしたので、「隅まで」を補足してここは仕舞い。
  • そのつぎの、like a pulse in a spring which has expanded to its full width and now gently ceases to beatに時間がかかった。前半はたいしたこともない。泉が水を湧出させているさまの比喩で、その水の量が増減するのが鼓動にたとえられている。widthはそのまま取れば「幅」であり、水があふれでてひろがるそのおおきさひろさを言っているのだろうから、これを「いきおい」と読み替えた。問題だったのは後半、gently ceases to beatのぶぶんで、直訳すれば、鼓動を打つことをやさしくしずかに止める、ということになる。難点はふたつである。第一に、ceasesをどこまで受け取るかということで、辞書的には停止するの意なのだが、beatが完全に停まってしまっては、よろこびが疲れ切ってたたずんでいる夫人のうちを響き渡ることができない。くわえてこのつぎの段落でもthrobやpulseがtwo notesにたとえられながらつづいているので、ここは拍動が停止しきったわけではなく、ただ泉の湧出が振幅のおおきい状態から平常の一定のペースにおさまった、と取るべきだろう。はげしいbeatはやめたが、水の湧出じたいはしずかながらつづいているわけである。そうかんがえたとして第二に、具体的な訳語の困難があって、beatを「鼓動」というたぐいの二字熟語におさめつつ「やめる」とか「とめる」を組み合わせようとすると、throbとpulseというふたつの類縁語とかぶってくどくなってしまうのだ。とくに直後の「泉の拍動にも似て」はもう定まっていたので、その直前に「鼓動」とか同種の語をつかうとじつに野暮ったく、厚ぼったくなる。かといって、「脈打つのをやめる」のように、beatを熟語にたよらず訳してもどうもながれない。ここに詰まって風呂に行ったわけだが、湯のなかでかんがえるうち、ここは一語一語きちんと意味を盛りこもうとせずイメージについたほうがよいと落着いた。要はうえに書いたような、いきおいがしずまって淡々とした水の調子になったということなので、「脈打つ」だの「やめる」だの「止める」だの言おうとせずに、「おだやかにしずまる」くらいでいいではないか、とおさめたのだ。「しずまる」といえば「泉の拍動」の述語としてもはまる。ceases to beatを「しずまる」と縮約し、gentlyで「おだやかに」を足したかたちである。
  • そうしてさいご、the rapture of successful creationも日本語にするのがけっこうむずかしい表現だが、岩波文庫は「見事に何かを創造しおおせたことの喜び」(71)としていた。creationは「つくりあげる」のように動詞化したほうがいいだろうなと見越していたが、岩波のように「何かを」をおぎなうとどうも曖昧になり、意味の抽象性が一抹ノイズにかんじられる。また、「つくりあげる」というよりは、なにもなかったところにあらたなものをつくり出すような、「出す」のニュアンスを重んじたほうがいいだろうなとおもい、creationは「生み出す」に決定。ただそれにかかっているsuccessfulも日本語にするには曲者である。岩波は「見事に」としており、こちらも、うまく、巧みに、首尾よく、など当初はやはり副詞的にかんがえた。creationを動詞化したいじょうとうぜんのことだが、どれもあまりはまらない。訳をさだめるには、「何かを」の問題ともからんで、ここで夫人がじっさいにはなにを生み出したのかということを具体的にかんがえなければならないだろう。となると、successful creationは前段落までのながれを受けて、敗北感におそわれて夫人の生気を吸い取るように同情をもとめてきた夫のこころをなだめ、元気づけることができた、ということを指しているはずだ。つまり夫において望ましい状態をつくりだした、それに回帰させたことを言っている。ならばcreationの対象は、「何か」というよりは、「あるべきもの」くらいのいいかたにするのがよいだろう。しかもこの語をもちいれば、successfulの意味、うまく成功した、という意味までもりこめる。「成功裏の創造」を「あるべきものを生み出せた」と言い換えるわけだ。「生み出した」ではなくて「生み出せた」と可能の一文字を混ぜれば、「成功」の意がよりたしかになる。そういうわけで、the rapture of successful creationは、「あるべきものを生み出せたのだというよろこびの脈動」として完成した。「よろこび」の語までで終えて「よろこびが」と閉じても良かったのだが、音律があまりよくない気がしたので、動詞のthrobをここに回収するかたちで「脈動」をくわえてしめくくった。
  • いま一一時直前。古井由吉『詩への小路』の書抜き。Polaris『Home』をながしている。柏原譲がベースを弾いているユニットで、#2 “ねじまわし”の冒頭のギターのアルペジオなど、どうしてもFISHMANSをきいてしまったが、音楽性はたしょうちがう。それにしても柏原譲のベースは動きもそうだけれど音がとにかくよくて、ざらつきや腹に溜まるような振動のしかたがやはり特有のものだとおもう。このドリーミーなポップさにこんなずっしり重くて太い音でやっちゃっていいの? とちょっとおもうというか、あとすこしだけ拍車がかかれば悪どい音になってしまいそうなトーンなのだけれど、うまいこと過剰さにいたっていない。#3 “光と影”がよい。
  • 六曲目だったとおもうがそれもけっこうよかった。Aのさいしょが「いそがしい時計の針は」うんぬんという歌詞だったが、この「いそがしい」のぶぶんのメロディの動き方と歌い方にこのボーカルのひとの色が出ているような気がした。あとBのさいご、サビに接続するまえのながれもよくて、なんとかかんとかほらなんとか、と歌っていたが、この「ほら」の配置がうまく、このメロディとことばのながれでここに「ほら」を置くのね、うまくつながるな、とおもった。
  • 書抜きをするためにはデスクにつかなければならないのだが、スツール椅子に座っている下半身がどうも鈍くてやりづらかったので、きょうはストレッチもしていないし、脚を伸ばしてからやったほうがよさそうだなというわけで柔軟をした。それで古井由吉が訳した「ドゥイノの悲歌」を写しまくる。細部のことばづかいはそりゃもうさすがである。「たのむ」という語に「憑む」と「嘱む」をつかいわけるとか、どこでそんな表記知ってんねん、というかんじ。憑くの字がたのむと読むなんておもわなかった。嘱のほうは嘱望とか委嘱とかあるのでまだわかるが。
  • その後、toddleというバンドの『Vacantly』もながしたが、これもなかなかよい。検索すると田渕ひさ子というなまえが出てきて、なんかきいたことある気がするとおもったらNumber Girlのギターだったひとだった。ずいぶん透明感のある声。
  • さらに、Sam Gendel & Sam Wilkesの『Music for Saxophone & Bass Guitar More Songs』。ついで、Nubya Garcia『Source』とながす。このひとはまったく知らなかったが、イギリスの新世代のサックスで、検索してみるとJoe Armon-Jonesが鍵盤に参加している。Joe Armon-Jonesのなまえは、地元の図書館になぜかはいっていた一枚をいぜん借りたことがあるので、かろうじて知っている。ほかのメンツに知ったなまえはひとりもない。イギリスのあたらしい方面のジャズも盛り上がっているようだ。どいつもこいつもかっこうよい音楽をつくるなあ、というかんじ。
  • 二時間くらいずっと書抜きをして、『詩への小路』を一気に終わらせた。やはり足が窮屈だったので、終盤は立ってやった。その後、寝転んでちょっと休んだあと、カップカレーうどんを持ってきて夜食。健康にわるいが。短歌もてきとうに作成。その後日記を書いたりだらだらしたり。四時一五分に消灯し、一〇分だけ瞑想してから就寝。
  • 作:

 はこばれたひとのいたみをまもりぬけ問わず語りの赤色灯よ

 火に照られひとりになるほど闇は澄み旅人にきけつぎの街の名

 待ちわびた夜のこころを解き明かし創意と嘘をひとしく畏れ

 寥々と鳴る星のもとたずね行く死後にしかない人形の家

 かみさまに連れていかれた溺死者のささやく泡を聞き漏らすまい