2022/2/2, Wed.

 五十歳で生涯を閉じた詩人の、四十四歳の作は、晩年の詩のうちに入るだろうか。あるいは老年の詩とも言えるのかもしれない。フリードリヒ・ヘッベルの一八五七年の詩に、「秋の歌」と題する詩がある。これも訳しくだす。


 ――このような秋の日は見たこともない。あたかも人がほとんど息をつかずにいるように、大気は静まり返っている。それなのに、あちこちでさわさわと、木という木から、世にも美しい果実が落ちる。
 乱さぬがよい。この自然の祭り日を。これは自然が手づからおこなう穫り入れだ。この日、枝を離れるのはすべて、穏やかな陽ざしの前で落ちる者ばかりなのだ。


 静かな光を浴びながら枝々からひとりでに降る果実は、それ自体は凋落であっても、秋(end40)の日の光景の全体としては、中年の飽和を表している。穫り入れの祭り日という表現も、老年のそれではない。差しているのはあくまでも陽光であり死の影ではない。しかし天気晴朗のもと、人がおのれの寿命を、何時までの命ということではなく、いまこの時に感じることはありそうだ。予感ではなくて現在の感覚である。(……)
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、40~41; 「3 晩年の詩」)



  • 九時半ごろ覚醒。きょうも快晴。寝床で脚を伸ばしたり足の裏を合わせたりしながら深呼吸。一〇時一〇分ごろに離床した。水場に行ってながながと放尿してきてから瞑想。やはり呼吸法式でからだをほぐすよりも、ただ無動で座っているほうがじぶんに合っている気がする。三〇分ほど座って身体感覚をなめらかにした。
  • 上階へ行き、ジャージにきがえる。きょうも(……)さんの宅の瓦屋根にひかりの白さが整然と塗られている。空は淡青、山際に雲のかけらがひとつきり気の抜けたように浮かんでいる。洗面所にはいって髪を始末し、うがいを念入りにおこなった。食事にはベーコンエッグを焼く。その他きのうの鍋や天麩羅も。新聞、石原慎太郎の訃報。きのうの夕食時にテレビのニュースですでに目にしていたが。文化面で西村賢太が追悼文を寄せていたがまだ読んでいない。ミャンマー政変から一年の記事をとちゅうまで読んだ。国軍側はNUG傘下の国民防衛隊をテロリストだと断じ、かれらから一般市民をまもらなければならないと統治や戦闘を正当化している。抵抗者にたいする苛烈な弾圧のいっぽうで、市民の支持も気にしているらしく、国民民主連盟(NLD)をもともとは解党させると言っていたのが、さいきんはいまのところ解党させる予定はないと言明しているらしい。つぎの総選挙にNLDが参加するか否かも、かれらの選択の問題だと。アウン・サン・スー・チーが拘束され主要メンバーも亡命したいま、NLDの勢力は壊滅的なので、わざわざ解党せずとも選挙に参加させることで、自由で公正な選挙をおこなったと国際社会にたいして主張できるようにする目論見ではないかという。いっぽう、中国がミャンマーの安定にむけて動き出しているらしく、というのもいわゆる一帯一路の一環でもともとNLD政権と経済開発・経済協力をすすめていたところ、その利益をえるためには国内が安定しなければというわけで、いままではあまり積極的に介入してこなかったのが、国軍統治がしばらくは続くと見切って実利を取る働きかけをはじめたらしい。国軍と少数民族勢力の停戦仲介なんかも一部でしているもよう。
  • 食器と風呂を洗う。窓外、風があり、落ち葉が一枚、アスファルトのうえを、路上を宙とする蝶のようにころがされていく。林の竹の葉も上下にさわさわ揺動しており、その影がしたの土壁でもおなじように、もうすこし抽象的に入り混じった交錯でふるえているのが、網戸をはさんでおだやかにされた視界のために余計にぼんやりあいまいに映る。
  • 白湯を持って帰室。ちびちび飲みつつウェブを見て、その後歯磨き。もう一杯ついできて「読みかえし」ノートを読んだ。一二時四〇分くらいまで。それからここまで記して一時過ぎ。きょうは三時には出る必要がある。一月三一日の日記をまだ一文字も書いておらずやばいが、まあできるときにやればよい。
  • 「読みかえし」: 428 - 434
  • 出勤までは拓殖大学の英語過去問を読んだり、ストレッチをしたり、洗濯物をかたづけたり。瞑想も一〇分少々だができた。一〇分であれ五分であれしずかにとまればからだの感じはなめらかになる。徒歩で職場にむかう。東方面へ道をとる。坂道にはいって川のほうをみやると、しずまっている水面は夏の葉の色を百枚分も溶かしたような深緑色で、ながれのあるばしょは鯨の鬚をたばねてながしたごとく白いすじが持ち上がって、ゆらぎながらもくずれることなく白さを絶えず固定しつづけている。ひだりの林縁の草壁のなかには鳥があそんでいるらしき気配が散ったが、すがたはかくれて見えなかった。坂のうえまで来ればきょうは濁りなき快晴とは行かず、東の空の低くには雲がうっすら融けこんで青さが微妙にみだされており、西も太陽はふくらんでいるもののいくらか敷かれているようで、身をつつむ日なたの色が平板でやや白っぽい。それでも(……)さんの宅の脇で斜面に生えた蠟梅の、もう花の黄色をきざしはじめているその横で、ツバキかなにかの葉がめざましい緑に色濃く、わずかに湾曲しながらひかりをはじきかえしているその質感が、ほんとうは固いはずなのにゼリーのような弾力を目に伝えてきた。
  • 街道に出る交差部でガードレールのむこうに生えている紅梅は、これももう薄ピンクをともしはじめている。それを見ておもったが、もう二月なのだ。二月にもなれば梅も咲く。街道では歩道の工事がつづけられており、月曜日にあるいたときにも見たが、道路の南側端に矩形の穴が掘られて、どういう基準か知れないものの木を組んだ柵のような仕切りがところどころ穴のうえをまたぐかたちで架けられており、きょうは先日とくらべてさらに縁石というか縁をなす白いブロックが設置されていて、人足が多数穴にはいってはたらいているなかにひとり威勢よく雑談しながらの者がいた。車の通りを整理する人員のひとりがこちらの行く側の歩道から道路のまんなかに出て、落ちていた手袋をひろっていた。(……)公園の入り口には枠組みのなかに地蔵があったり、なにか碑のような石が乗った台座があったりして、そのどれも世話をするひとがいるのか、いつも細い容器に花が差されているのだけれど(あるいは造花なのだろうか)、きょうはその容器がことごとくかたむきたおれていたのは、昼過ぎくらいから風が盛ってうなりを立てるくらいに駈けていたからだ。老人ホームの角まで来ると売物件の方向をしめすカラーコーンも同様にたおれており、裏路地につづく道にはいまおもてに出ようとする消防車が一台信号を待っていて、そこにどうやらさきほどの整理員らしい男性が窓からなかにはなしかけているのは、手袋がかれらのものではないかとたずねていたようだった。落ちてたんで! などと、妙に責任感を帯びたようなおおきな声で言った男性にたいし、なかの消防員は、あー、そうっすか、と気のない調子でおうじていた。
  • 路地を行くあいだも風がしきりに吹いて、ひかりのもとは背後なのにまぶしさをまえからあたえられたかのように目を細めなければならない。道のさきに自転車に乗った中学生くらいの男子がふたりたたずんでおり、ひとりが電話をしているらしく活発な声でなにかやたらとあいてにはなしていたが、ときおり丘とそのうえの空のほうをながめながらちかづいていったところで、あ、(……)先生、と声をかけられた。電話をしていないほうの男子が(……)だったのだ。じつのところ、遠目にみた時点で、もしかしてそうではないかと見えてはいた。あいさつすると、先生、おれ受かったよ、と来たので、おお良かったじゃん、とかるく受け、おめでとうございますとあたまをちょっと下げる。じぶんがいない曜日に来ていたらしくさいきんぜんぜん見なかったし、私立単願だからまあ落ちるということはないだろうがどうしたかなとおもっていたところの邂逅だった。さいきん塾来てんの? ときくと、受験が終わったからということだろう、一週間休みらしく、つぎは金曜日だというから、じゃあまた会いましょうと言い、おつかれさまでしたとねぎらいながら笑って別れた。ちなみに電話をしていた男子は友だちにこっちに来いとか誘いをかけていたようで、ちょっとしてから自転車でこちらを抜かしていき、(……)の裏で合流した友人とたたずんでいるのにまた行きあったが、そこを通り過ぎたあとに駅前につづく道でもういちど抜かされたときに、ちょっと行ってから、あれ(……)の塾の先生、とこちらのことを友人に言っているのが聞こえてきた。
  • きょうは尿意に追われることもなく、裏路地をてくてく行った。とにかく風の強い午後三時半の道だったが、それで寒さを感じた記憶はない。職場につくと裏口から鍵をあけ、勤務をはじめた。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)退勤は八時五〇分すぎになった。ギリギリ電車にまにあうタイミング。もう見送ろうかなともおもっていたのだが、やはりできればはやく帰りたいので、なんとか間に合わせることにして急いで出た。
  • 帰宅後は(……)件の解決にうごく。(……)
  • しかしこんなこと言っちゃあれだけど、じぶんがいないとこの職場マジでまわらないというか、すくなくともじぶんが辞めたら円滑度がけっこう下がるだろうな、とはおもう。今回の件も、こちらがこの日のうちに知ってうごいていなかったら、そこそこやばいこと、面倒なことになっていたのではないか。しかしほんとうは、じぶんがいないとあまりうまく回らないみたいな、そういう状態は望ましいことではない。じぶんひとりに負担がかかるのはよくないし、ほんとうはもっと各所にしごとを振って、できることはできる方面にまかせていかないといけないのだ。そうしないと人材もそだたないし。なのだけれど、こちらはそのあたり面倒臭がって、じぶんでやればいいやといろいろ勝手にやってしまう。こんな枢要なポジションをになうつもりはなかったのだけれど、なぜかそうなってしまった。
  • 夜の記憶はたいしてない。