2022/2/8, Tue.

 カサンドラーの予言が人に聞こえないのは、アポローン神の呪いによることだが、見者であるというところからも来るようである。もはや謎めいた言葉では語りますまい、とカサンドラーは長老たちに宣言しながら、いざ予言にかかれば、見者のエク・スタシスに取り憑かれ、館の内に逗留して血の宴を張る復讐の女神たちの群れが目のあたりに見える。腹を割かれておのれの内臓 [はらわた] を手にして坐る子供たちの姿が見える。理路は理路でも、幻視の順次によって語ることになる。これが過去の事柄にかかわることであれば、聞く者に得心という以上のものを呼び覚ます。ところが未来のことになると、ギリシャの船団の指揮者にしてトロイヤの征服者、あるいは、妻にして夫の殺害者、とかなり露わな指示を混じえても一向に、人の腑に落ちない。ついに業を煮やして、


 ――アガメムノーン殿の御最期をあなたは見ることになるでしょう、と私は言っているのです。(end137)


 と名まで口にすると、コロスの長はまた咎める。


 ――滅多なことを言うでない、不幸な女人よ、口の烈しさを鎮められい。


 この《滅多なことを言うな》と訳したところがまたエウ・フェーメオーの、命令形になる。否定形ではない。肯定の命令形のまま、《それを言うな》という意味になる。人が不吉なことを口走った時に、咎めると同時に防禦の心で発せられもしたようだ。我国の古くは《あなかしこ》へ、俗には《ツルカメ、ツルカメ》へも通じる物言いか。
 《吉兆を告げる》の命令形が《縁起でもないことを言うな》という意味になる。しかもここでは、すぐれた予言者にたいする、禁止の言葉になっている。予言者とは本来、吉兆を告げる存在なのか、凶兆を告げる存在なのか、という古い問題へつながっていくことなのだろう。エレミヤは、イスラエルの滅亡を意志する神から言葉を預った者なので当然のこ(end138)とながら、凶を告げるのが真正な予言者のしるしだ、と敵対者の前で言い放っている。そのために、マーゴール・ミッサービーブ、汝の周囲あまねく恐怖、という呪いの仇名を投げ返された。テイレシアースはオイディプース王に、絶体絶命の凶を告げるよりほかにない窮地へ追い込まれた時、家へ帰らせてくれ、と懇願する。カサンドラーの予言が、未来に関するかぎり人に信じられなかったのも、アポローン神のはからいばかりでもなさそうだ。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、137~139; 「13 吉き口」)



  • 一一時ごろの遅い覚醒。それいぜんにも二回覚めた記憶があるが。仰向けのまま深呼吸をしばらくくりかえし、一一時半を越えて起き上がった。水場に行ってきてから瞑想。座ってさいしょのうちはまた深呼吸をおこない、からだがほぐれてくると静止した。みじかく二〇分ほど。正午を越えて上階へ。朝方は曇っていたおぼえがあるが、この昼になるとそとはあかるく陽の色がみえていた。食事は煮込み素麺など。母親がまた自転車をどうしようか迷っているというようなことを口にし、ほんとうは防犯登録をさきに解除しておくものらしいとか、なまえと住所が書かれたシールを剝がさないままにしてしまったが悪用されないだろうかとか漏らしていて、ふつうにかんがえて(……)さんのほうで廃棄処理するさいにそのあたり始末してくれるはずだし、悪用すると言っていったいだれがそれを見てどのようにつかうというのか、それを見る機会があるとしたら(……)さんか業者しかいないではないか、それになまえと住所がわかったとしてそこからどのように悪用されるのか、そういった具体的なことがぜんぜんわからない。母親ももちろん、わからないわけである。わからないけれど、なにか悪用されないかという、曖昧模糊とした、漠然とした不安があるのだ。そういうことも世の中にまったくないではないのだろうが、まあひとまずは心配ないことではないかとおもう。可能性がまったくないわけではないが、常識的にかんがえて母親の懸念はまずありそうもないことだということを説得しようとして、理屈をいろいろ言ってしまったのだが、これをしても無駄だということは過去の経験からわかっていたのだ。しかしそれをわすれていて、徒労をはたらいてしまった。この件は、じぶんの行動とか暮らしぶりが近所から見られている気がして嫌だ、ということとまったくおなじ問題だ。そのばあい見られているというのはたんに見られているだけでなく、否定的な評価をされているという意味をともなうものなのだけれど、じゃあいったい近所のひとびとのうちのだれがあなたのことをそういうふうにおもっているとおもうのか、と問うても、母親の口から具体的な個人名が出てくることはぜったいにない。たとえばとなりの(……)さんがそうおもっているのか、ときくと、そういうわけじゃないとおもうけど、というこたえが返る。だから母親のうちで「近所」というのはまさしくその「近所」という総体的な概念やイメージのままで実体として存在していて、それは「近所」を構成する個々の個人とはべつのもの、そことまったく関係しないわけではないが、性質的に切り離されたものとしてある。個々人の集団として「近所」が成り立っているというよりは、すこしべつの位相にあるものとして地位を得ているのではないか。いずれにしても具体的な中身を欠いたひじょうにおおまかな、空洞的な枠組みのレベルでなんらかの感情的反応が生じ、こころに固着しているというのが母親の心理におりおりみられるありかたである。したがって、かのじょのそういう精神傾向は陰謀論と相性が良いとも言えるのかもしれない。そういう具体的な検討がすこしもふくまれていない思考を母親から寄せられたときに、ありそうもないことを心配したりそれで他人に妙なうたがいをかけたりするさまにやや苛立って、それはおかしい、とつい説得しようとしてしまうのだが、これはこれでよくないことだなとおもった。合理性の欠如じたいに苛立ってしまうところがあり、理屈でもって反論して、筋道のとおったかんがえかたに説得しようとしてしまうのだが、それはそれでこちら側のエゴである。今回の、チャリをやっぱり引き取ろうかなという件も、一般に合理的とされている理屈に沿ってかんがえてさまざまな面から検討したさいに、どうせ乗らないとおもうしあんなボロいチャリをわざわざ返してもらうのだったらあたたかくなるまで待ってからそのときの気持ちに応じてあたらしい品を買ったほうがいい、という結論にいたるのだけれど、母親の思考をそういうこちら側の理屈にちかづけようとせず、つまり矯めようとはせず、筋道が通ってはいないようにみえるけれどそのままのかたちで放っておくほうがたぶん良いだろう。倫理的・政治的な価値とかかわりがない限りではそういう鷹揚さを取ったほうが良い。人間関係においてほんとうに倫理的・政治的価値とかかわりのないことがらなんてたぶんないのだが、ひらたく言って、今回の件では母親がチャリをとりもどしたところで、だれに不利益が生ずるわけでもない。じっさい乗らなかったとしても、ゴミがただひとつ増えるだけのはなしだ。その程度のことなので、だから逆に言えば、そんなことはわざわざこちらや父親にきかず(ちなみに父親にもこの件をはなしたら、やはり反対されたと言っていた)、じぶんの好きに決断してじぶんの好きに行動しろということなのだが。どうしたらいいとおもう? ではなくて、あの自転車がなんかまだつかいたい気がするから、やっぱり廃棄処分はやめてもらって引き取ることにした、でいいのだけれど。そのくらいの、じぶんの自由であるはずのことをわざわざ他人に相談しないと決定できないという点に、やはり日本的なというのか、なんであれ他者に諮って、その意見と一致していなければ行動できない、という共同体の論理を感じる気がする。だれかに同意してもらい、賛同してもらい、肩を押してもらわなければ行為できない。いままでずっとそういうふうに育ち、そういうふうに形成され、そういうふうに行動してきたのだろうな、と。「じぶんの好きにやる」ということが、性格や性分としてではなく、主体の性質としてできないようになってしまっているのだ。
  • 新聞からは読売文学賞を取った山本一生についての記事。日記を徹底的に読みこむという手法で近代史を研究してきた歴史家だと。食後、皿と風呂を洗い、緑茶を持って帰室。一服したり歯磨きをしたり。その後二時くらいから「読みかえし」。「知識」というノートをつくって、あたまに入れておきたい知識や情報のたぐいはそちらに入れ、「読みかえし」とはべつでもうすこし回数多めに読んでいこうかな、という気にすこしなっている。まえにもそういうこころみはやりながらもつづかなかったので、やってもたぶんまたつづかないのではないかという気がするが。「読みかえし」はいま一項目につき二回ずつただ順番に音読していくだけ、というやりかただけれど、そのくらいのかんたんさのほうがやはりつづくはつづく。きちんとおぼえよう、あたまに入れよう、となると面倒くさくなってやらなくなる。
  • 「読みかえし」: 457 - 459
  • それからここまで記して三時四七分。
  • 歴史上、ひとりひとりの個人の権利や価値を優先するか、それとも集団や共同体の価値を優先するかという判断軸はおそらくずっとあって、その都度でどちらかにかたむいたり、あるいは制度や社会状況や思想においていろいろなあらわれかたをしてきたのだとおもう。それがまた大枠としては、右派と左派の区別でもあるだろう。いわゆる市民革命と人権思想の発展いらい前者の価値観がおおまかには優勢になり、個人の権利というものの価値がいちおうは前提とされ定着しながら現代にいたっているというのが標準的な歴史理解だが、それ以後でも全体主義があらわれた一時期はあり、それいぜんの歴史もながかったわけで、個人の自由や平等という人権的価値はまったくぜったいのものではないのだな、といまさらながらふとおもった。だからといってべつにそれいぜんの世界や社会がすべて全体一辺倒だったはずもないだろうが、ただ、たとえばいまも中国は国家的にウイグルのひとびとを収容所にぶちこんで拷問したりしており、実体的な関心を持てるかどうかはべつとしても、だいたいのひとはそれはマジでやばいよね、ということには同意するとおもうのだけれど、そういうことがとうぜんのこと、ふつうのこと、なにも問題のないこと、あるいはすくなくともしかたのないこととして認識されていた社会や時代もたぶんかつてはあったのだろうと(というか中国などではいま現在もまさにそうなのかもしれないが)。そして、かつてそういう状況があったということは、このさきで世界にまたそういうかんがえかたが行き渡ってきわめてふつうのこととなってもおかしくはないということ、そうなる可能性はなんの不思議もない、ごくごく尋常なものとしてありつづけるということだろう。
  • そういえばこのあいだ部屋を掃除したときに、もう捨てたか売ったかしたとおもっていたJoe Satriani教則本が出てきて、例のテンポ六〇で一音ずつ鳴らすというトレーニングを紹介しているぶぶんを写しておこうとおもいながらわすれていた(しかしじっさい読んでみると「8分音符を使って」とあったので、一拍一音ではなかった)。『ロック・ギター免許皆伝』(Guitar Secrets as featured in 41 private lessons)という薄いやつで、「ギター上達の41の極意!!」と謳われている。シンコー・ミュージックが九三年に出したもの。訳者は田村亜紀というひと。該当箇所は13ページ、「無調スキャット唱法」(March ‘88: ATONAL SCAT SINGING)という題のところ。以下がその全文。

 「無調スキャット唱法」なんてタイトルを見た瞬間から、今月のレッスンはどうやら普段の”GUITAR SECRETS”とは違うらしいってことは君らも見当がついただろう。今回僕は、君たちのイマジネーションと心と楽器とをひとつに結ぶために、複雑怪奇な耳の持久力トレーニング用エクササイズを紹介したいと思う。このエクササイズは「クール・ジャズの父」レニー・トリスターノの好意によって我々に与えられるものである。彼はバップ全盛期に光り輝く、偉大なピアニスト兼コンポーザーである。彼は自分の教え子たちに、全てを覚えること、基本を大切にすること、そうして何より、自分のプレイしたいと思うものだけをプレイすることを説いた。僕はかつてレニー・トリスターノに教えを受けたことがある。そしてその経験は決して忘れることがないだろう。
 エクササイズの時には、メトロノームは60に合わせること。8分音符を使って、フレットのどこでも、どんな所でもランダムにプレイしてみる。ダウンストロークを使うこと。これは最低でも約3分間は休まず続けなければいけない。プレイしている時は、それぞれの音がどんなサウンドをするか、予想するようにしてごらん。月並みなものやよくあるパターンで弾こうとしないこと。フリー・フォームで考え、かつプレイすることだ。形式なんてないんだよ。あるのは音だけだ。3分の壁を越えられたら、自分がプレイしている音を声に出して歌うようにしてみる。ひとくぎりの音であれば、どんな音でも好きに使って構わない。これをさらに数分、もしくはもうこれ以上は続けられないというところまで続けてやる。このエクササイズは変わっているけれど、とても美しい。僕はこれをやる度に、自分が音楽そのものにより近づけるような気がして、何とも言えない感動を覚えるのだ。
 ありがとう、レニー・トリスターノ

  • このエクササイズじたいはなんとなくおぼえていたが、まさかそれがレニー・トリスターノのメソッドだったとはおもわなかった。この本を入手して読んだ時点では(たしか高校生のときにYahoo! オークションで買ったのではなかったかとおもうが)、レニー・トリスターノはここではじめて見る名前だったはず。トリスターノのレッスンを受けたことがあるなんて、Satrianiはやはりそのへんのただのハードロックのギタリストとはちがう。「形式なんてないんだよ。あるのは音だけだ」とか、「このエクササイズは変わっているけれど、とても美しい。僕はこれをやる度に、自分が音楽そのものにより近づけるような気がして、何とも言えない感動を覚えるのだ」ということばにもそれがあらわれているだろう。とはいえ、いまひさしぶりになにか聞こうかなとおもって『Super Colossal』をながしているけれど、こういうロックギターのインストをもうそんなにおもしろく聞くわけでもないが。ちなみにWikipediaをみるとこのアルバムの六曲目から九曲目ではSimon Phillipsが叩いている。
  • そんなにおもしろくないので、Lennie Tristano Quintet『Live at Birdland 1949』に移したが、こちらはかなり良い。冒頭はスタンダードの”Remember”で(と書いたときにはHank Mobley(『Soul Station』)やJoshua Redman(『Spirit of the Moment: Live At The Village Vanguard』)がやっている”Remember”のつもりで書いていたのだが、よくよくかんがえればLennie Tristanoがここでやっているやつはあのメロディではなく、”I’ll Remember April”だ)、それがながれだした瞬間からしてなんか良く、やはりジャズだなとおもった。メンツはTristanoに、サックスWarne Marsh、ギターBilly Bauerでこのふたりまではなまえを知っているが、ベースのArnold FishkinとドラムのJeff Mortonは知らない。まあたしかにいわゆるクールジャズ的な色合いで、四九年といえばMiles Davisが『Birth of Cool』をやっていたのもそのくらいではなかったか。Tristanoのソロをきく感じ、四九年とはおもえないような音とかやりかたが混じっていて、影響関係があるのかわからないが、そういう色はのちのPaul Bleyにつながっているような印象。
  • いま零時。Tristanoをききつつ岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』(岩波ジュニア新書、二〇〇三年)の書抜きをしているが、7ページに「とうぜん」の表記があった。当然の語をひらがなにひらいている書き手はだいぶめずらしい。簡単もおなじ7ページで「かんたんに」とひらかれている。しかしかんがえてみればこの本はジュニア新書なので、漢字の配分を減らしてとっつきやすそうにしているのかもしれない。「反乱をおこした」とか、「めざましい」とか、「頑強をきわめた」とか、そのあたりをひらがなにしているのもそういう意図ではないかという気がする。
  • 『Live at Birdland 1949』の後半はソロピアノだったのだけれど、これがなかなかすごくて、四九年でジャズでこれやってんのやばいのでは? という感じだった。#6 “Glad Am I”の和音感覚はこの時期のジャズピアニストにはまずないものではないかという気がするし、#7 “This Is Called Love”はArt Tatumがすこしひかえめになって、そこになんかへんな音が混ざってる、というような印象。
  • その後、Kammerorchester Baselの『Bologna 1666』というアルバムのワントラックがながれたが、これも良かったのでメモしておく。クラシックももっといろいろ聞きたい。