2022/2/9, Wed.

 さてこそ君らは薄暮を往き、同行 [とも] は夕映の微笑。君ら、沈み行く時代よ。すべてが黙契(end153)の内に同意された上は、君らは心乱さず、避けられぬ苦を負う。

 おのれを挙げて捧げる者は享けることも寡く、ただ薔薇色の額を、ひたむき押して遠方を目指す。さてこそ君らは薄暮を往き、同行は夕映の微笑。沈み行く時代よ。

 それでも時にひときわ和らいだ音色が、ひときわ馴れた寄り添いが、感応のように償いのように、そして暗示を銜む沈黙が君らをつつんで流れると、何かの希望がひそかに萌すかに感じられ、

 慄える腕を胸に押しあてて君らは、往く夕 [ゆうべ] を繫ぎ止めようと、束の間でも夕が足をためらわせはしないかと待つが、しかし君らの同行の夕映の夢見たものは、明日なのだ。


 シュテファン・ゲオルゲは一八六八年生、その一九〇〇年に出された詩集『人生の絨緞』の内に収められ、「苦の兄弟たち」と題される。中世の苦行者たちの共同体が想われているはずだ。沈黙の巡礼の光景である。薄暮の町を脇目も振らず、残照へ向かって通り(end154)抜けていく。
 苦行の巡礼者たちは、「沈み行く時代」と呼びかけられている。
 三節目の、「音色」と訳したところは独語でも英語でもトーンであり、色調つまり視覚的なものでもあり得る。さらに、「寄り添う」という動詞の不定詞が同格として重ねられているところでは、肌つまり触覚にも訴える。夕映の、風の、声音でもあり色合いでもあり、愛撫のようなものだ。「物の匂ひ」とでもいうところか。ただし、「約束」の幻覚である。ほとんど一瞬のものと取れる。
 夕映が約束の色に染まり、巡礼者たちは思わず恋着の息を詰めるが、しかし夕映はまた来る明朝 [あした] を夢に見たのにすぎない、というのが「挙句」になる。佗しい「挙句」ではないか。巡礼者たちは明日へ向けて進んでいるのではないのだ。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、153~155; 「15 夕映の微笑」)



  • 九時五〇分に意識をとりもどした。それで睡眠が五時間半くらいなので良い。深呼吸をくりかえしてからだに血をめぐらせ、一〇時二〇分に離床。だから滞在はちょうど六時間ほど。良い。天気は晴れやかで部屋の内もあかるく、空気の感触も温和だった。しかし廊下に出るとやはり寒い。水場で顔を洗ったり用を足したりしてからもどって瞑想。五分かそこらさいしょに深呼吸をしてから静止。一〇時三五分から一一時ちょうどくらいまで座った。やはり脚が固くてやりづらいのだが、その都度だましだましすこしずつずらしてあまり負担のかからないポジションを見つけているうちに、からだが和らいできて座りやすくなった。
  • 上階へ行き、燃えるゴミを始末したあと、ジャージにきがえる。窓外は隅まであかるさのひろがった晴れ日。一一時なので九時くらいとくらべると日なたと蔭のコントラストは弱く、ひかりが諸所に行き渡って全体がおだやかな色合いに統一されている。便所に行ってクソを垂れたあと洗面所で髪を梳かしたりうがいをしたりした。父親はウォーキングにでも行っていたのかあるいは畑に出ていたのか、帰ってきてシャワーを浴びたところだった。このあと歯医者があるらしい。食事は焼きそばときのうのポテトサラダのあまり。新聞から二面の記事を読む。ひとつはマクロンプーチンおよびウクライナのゼレンスキー大統領と会談して、仲介に精を出しているというもの。七日にプーチンと会談し、その後八日にゼレンスキーと。そのあともういちどプーチンと電話会談して交渉するらしい。フランス大統領府は、ロシアがベラルーシ内に置いている兵力三万を撤退させることに同意したと発表したが、ロシア側は否定。ただプーチンはたしょう軟化の姿勢も見せたもよう。いっぽうでドイツのショルツ首相はバイデンと会談し、もしロシアが侵攻したら厳しい制裁を科すことで対抗すると意思を統一したと。
  • もうひとつは沖縄付近や東シナ海、ひいては台湾での有事を念頭に在日米軍が訓練をおこなったと。米軍と米海兵隊がおこない、陸上自衛隊海上自衛隊も一部に参加したらしい。有事の際に分散した複数の離島に拠点をもうけることを想定し、上陸作戦を訓練したり、あるいは艦艇に降り立って敵を制圧するシミュレーションをしたもよう。
  • あと文化面で読売文学賞の詩歌部門を取った須永紀子の記事を読んだ。二六歳から年二回のペースで個人誌を発行しているらしい。丹念にじっくり推敲をするタイプなので、一篇しあがるには最低でも一か月はかかるという。詩を書くのはじぶんが生き延びるため、と言っていた。辛いこと苦しいことがいろいろあっても、じぶんのなかにべつの世界があればそれを支えにして生きられる、文学はそういうものだとおもう、とのこと。
  • 食後は食器を片づけ、風呂場に行き、浴槽をブラシでこすって洗う。出ると白湯を一杯ついでゴミ箱も持って階段を下り、自室へ。コンピューターをデスクからスツール椅子のうえに移して、ベッドの縁に腰をおろしてNotionを準備した。その後ただの湯をちびちび飲みつつウェブを見て、じきに「読みかえし」へ。工藤顕太の「「いま」と出会い直すための精神分析講義」の記述。デカルトが『省察』のなかでコギトを確立させるその中途において狂気に言及していたという事実にラカンが注目していたというはなし。一時前まで読み、その後きょうのことをここまで記した。きょうは三時に出発。日記はきのうの分とおとといの分が終わっていない。
  • 「読みかえし」: 460 - 462
  • いま一〇日の零時四八分。一年前の日記を読んでいる。卵の黄身について、「歪球形」なる語をつかっている。読売文学賞の詩歌俳句部門を受賞した池田澄子についての記事を新聞で読んでおり、きょう須永紀子について読んだのとおなじだ。一年前もまったくおなじ日付におなじ部門の記事が載っていたらしい。
  • コロナウイルスの感染状況について。「父親がスマートフォンでニュースを見たらしく、(……)は四人だと言う。こちらも朝刊の地域面でチェックしていた。東京都全体だと一日の感染者数はここのところは連日一〇〇〇人を下回っており、五〇〇人くらいまでに落ちてきているが、そのわりに、我が(……)はいまだ毎日地味に、すこしずつだがカウントされていて、なかなかゼロの日があらわれない。緊急事態宣言が出る以前はだいたい一~三程度の増加で、ゼロの日もあったのだが。それで、(……)、学校閉鎖だってと職場で入手した情報を告げた。父親は追ってニュースを調べたらしく、生徒一人が陽性との記事をキャッチしていたようだが、昨日聞いた話では、生徒だけでなく、教師か保護者か忘れたけれど大人にも陽性者が出ているということだったはずだ」。今年は学校閉鎖はわからないが、(……)が学級だか学年単位で先日閉鎖になっていた。一日の新規感染者数にかんしては、(……)でもここのところ八〇人とか一〇〇人を越えているので、去年の数値とくらべるべくもない。
  • この一年前ですでにAmazon Musicを利用している。いつ登録したのだったかわすれたが、もう一年いじょう経っているのか、という感じ。たいして利用しない時期もけっこうあったとおもうが。
  • (……)さんのブログを二日分読んだ。二月八日と七日。「北門の守衛」という字面を見るたびに自動的に北園克衛が連想される。
  • 午後一時すぎにこの日の日記を記したあとは、ベッドにころがって膝でふくらはぎを揉みつつ書見。踵で脛や太ももを揉んだりもする。本は『ガンジー自伝』。一三日に読書会なのだが、あと一八〇ページくらいのこっていてやばい。まだ南アフリカにいるあいだのこと。フェニックス農園をつくってそこで共同生活をはじめたり、ブラフマチャリア(禁欲)を深めたりしている。ズールー族の反乱というかイギリスによる弾圧など。あと、サッティヤーグラハ運動。すなわちアジア人登録法に反対して投獄されるなど。
  • 二時前まで臥位で読み(そとから近所の子どもの声がひとりふたり聞こえていた)、上階へ。焼きそばを食うことに。フライパンにのこっていた分をすべて大皿に盛り、電子レンジで二分加熱。待つ合間は背伸びをしたり、開脚をしたりして筋をほぐす。そうして食事。国際面でマクロンプーチンと交渉しているという記事を読んだ。ロシアの落としどころとしては、NATOの東方不拡大およびウクライナNATOに加盟しないことの確約や、ウクライナ東部の親露派が実効支配している地域に「特別な地位」すなわち自治権をあたえること、などがかんがえられるようだ。そのあたりを飲まなかったばあい、軍事行動が起こるかもしれないと。自治権付与はもともと仏独が仲介した「ミンスク合意」でさだめられていたらしく、ウクライナはいままでそれを履行していないのだが、プーチンは、好きか嫌いかの問題ではなく、ウクライナは合意にしたがういがいの道はない、とにかくやれ、みたいなことを言っているらしい。ソ連時代にフィンランドが、隣国ソ連との関係を慮って中立国となったらしいのだが(つまり西側にも東側にも属さない緩衝国ということだろう)、マクロンウクライナをそういう立場にする案をプーチンに提案したかもしれないと。移動の飛行機のなかで記者団に、そういう案がテーブルに乗る可能性がある、みたいなことを言ったらしい。プーチンもさすがに全面侵攻をしようとはおもっていない気がするのだが(とはいえ、米当局の試算では、最大で五万人の市民が犠牲になりうると言われているらしい)、親露派東部に自治権をみとめさせて勢力圏に組み込みたいというあたりが現実的に狙っている線なのではないか。それにしてもロシアにせよ中国にせよ、連中の領土的拡大の欲求というのはいったいなんなのか? やはり偉大なる帝国の復興をめざしているということなのか? 習近平はマジで中華帝国、中華文明の復活みたいなことをたびたび口にしていたとおもう。ロシアとしては、ウクライナはロシアという国家がはじまった起源の地なので(キエフ大公国というのがロシアの祖らしく、とうじその周辺はルーシと呼ばれ、それが国号にもなっていたらしい)、そこをとりもどしたいという野望がある、みたいなはなしもちょっと聞いたことはある。
  • 焼きそばを食べているとちゅうで父親が帰宅した。食事を終えて皿を洗うとベランダのほうに行って洗濯物を入れる。ガラス戸を開けると西空からまっすぐ降りそそぐ陽射しがまぶしく、目を細めずにはいられない。しかし、天気が良いわりにタオルなどは水気がかすかにのこっていた。やはり風がつよいからか? 柵に洗濯ばさみで取りつけられたシーツや布団カバーも取りこみ、たたんでソファの背のうえに置いておく。肌着も。皿を洗ったのはそのあとだったかもしれない。いずれにしても階段を下りたのが二時半くらいだった。歯磨きをして、出発までにのこった時間で『ガンジー自伝』をまたすこし読んだ。読むあいだ、ベッドに腰掛けてゴルフボールを踏んでいる。そうして三時直前にいたって着替え。灰色のスラックスとベストをえらんだ。バッグなど持って上階へ行き、仏間の箪笥から靴下を取って履く。父親はテーブルについて新聞のオリンピックニュースをみており、横にはトレイのうえに食べ終えたカップラーメンの空容器と蜜柑の皮が置かれていた。便所に行ってクソをすこしからだから出し、もどってくると洗面所で泡石鹸をもちいて手を洗うとともにうがいを少々。そうして真っ黒なコートを羽織ってマフラーも巻き、行ってくると言って出発。出ると玄関の扉の取っ手に回覧板のはいった袋がかけられていたので、なかに入れつつ回覧板、と知らせておいた。
  • 道へ。空はあかるく水色にかろやかで、背後から太陽光が寄せて顔を横にうごかすとまぶしくて景色もよく見えなくなる。しかし風があって、日なたにいてすら空気は穏和な色合いにそぐわずそこそこ冷たかった。林の樹冠が鳴らされている。坂に入る直前の脇にカラスウリの枯れた蔓が大量にあつまって絡み合いながら量感をなしており、なかに赤い実が二、三みえていたが、その茂りの内に鳥がはいりこんでいるらしくガサガサ音が立って、すぎざまに見下ろすとたしかに一匹いるのにヒヨドリかとおもったが、それにしては嘴がながいように見えた。坂道をのぼりはじめながら右手のさきに望まれる川面をながめる。白波の絶えず持ち上がっている一帯をはなれてビリジアンの水がしずかに濃くまとまっているあたりでも、ときおり白い線がすーっと生まれ、魚が水中から浮かんできたのかとも見えるそのすじは、水面が切れこみを入れられたようでもあり突如としてひび割れたようでもあるが、いずれにしてもひとところにとどまらず変形しながらそれじたいながれていってまもなく消えてしまう。正面を向いて行けば(……)さんの家に吊るされている洗濯物も風に揺らされていて、見上げるその向こうには青空がひろく高みに君臨していた。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • その後の記憶はのこっていない。