2022/2/10, Thu.

 そのギィニョンの姿はと言えば骸骨の侏儒で、羽飾りのついたフェルト帽をかぶりブーツをはき、腋には毛のかわりに虫がうごめく、とあるので中世伝来の死神 Mort 像に近いが、Mort の丈が矮小だという話は聞いたことがない。この意地悪者に頭に来た詩人たち――詩人と呼んでももうよいか――は剣を抜いて挑みかかるが、剣は嫌な空音 [からおと] を立てて、月の光を切って骸骨をすりぬける。
 不運を聖化する自惚れを持ちかねてうたた荒涼、性悪の嘴に突 [つつ] かれる手前の骨の、その仇を取ってやろうにも佗しくて、彼らは憎しみの差すのをひたすら願う、恨みではなくて、とある。あとは世俗に愚弄される詩人たちのありさまが、惨憺に惨憺を畳みかけ、putain 淫売、baladin 道化、dédain 侮蔑、badin 悪巫山戯と、歯切れよく乾いた諧謔を響かせて、街灯へ奔って首をくくる結末まで連ねられるが、後を追うのはやめにする。なにさま、ゲオルゲの「苦行者」たちと、雰囲気が離れすぎた。
 一八九八年にマラルメは五十六歳で亡くなり、一九〇〇年にゲオルゲは三十二の歳で、この詩の収められた詩集『人生の絨緞』を世に出している。そのような年まわりだが、ゲオルゲ諧謔の詩人ではない。時代の下ったその分だけ、詩人として前代にまさるギィ(end159)ニョンをさまざま見たと思われるが、詩人の孤立をむしろ聖化 sacrer する――マラルメの「ル ギィニョン」はこれを自惚れ orgueil と呼んだが――その立場を取った。マラルメの詩の中では前代のしょせん幸せなる苦行者たちの、末期の剣の保証人のごとくに、アイロニーをこめて振り返られる天使も、ゲオルゲの詩の中ではまともに現われる。詩人たちの同盟の証しとして、至福の告知者として現われ、時には少年のごとく処女のごとく、ほとんど辱らうかに見える。「聖戦」に倒れた詩人を訪ねもする。
 大時代に復したと言うべきか。たしかにマラルメは、すくなくともこの詩においては、ボードレールの後を継ぐ、大都市あるいは大都市化の詩人であり、ゲオルゲはかならずしも、大都市の詩人とは言えない。しかし大時代というものを、個人を超えたスタイルのまだよほど堅固な、たとえばまともな悲劇が都市で上演され人を感動させることのまだ可能と想われていた時代のことだとすれば、そして鮮やかな諧謔の前提が世のスタイルの健在にあるとすれば、マラルメのほうが一世代ほどの差ながらゲオルゲよりも大時代の世に在った、と逆もまた言えそうである。
 とにかく、この二詩人をかりに師弟とすれば、師も弟子も、言語と表象を切り詰め、連想の経緯を新らたにし、おそらく固有の音律により、さらに切り詰めて構築するということでは等しく、その徹底のあまり、往々にして一篇の内ではその意味が、その意識も感情(end160)も、摑みきれないという難儀さを共有する。過激さではマラルメのほうがまさり、ゲオルゲの詩の幾多は完璧な抒情詩、抒情の極みとして、享受されてしまうこともある。しかし意味へ開くということになれば、ゲオルゲの詩のほうが、そこに与えられた詩句そのものの外まで開くことを拒む、開けば恣意へ拡散するというところがある。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、159~161; 「15 夕映の微笑」; マラルメ「不運 Le Guignon」について)



  • 正午をまわって離床。遅くなった。天気予報どおり、雪降りの日となった。午前中に覚めてからだをちょっと起こしたときにはこんこんと、という語をすこしおもわせるようなおもむきで、けっこう密度をもって降っていたが、このころにはもうだいぶ雨っぽくなっていた。
  • 上階へ行ってジャージにきがえ。食事は煮込み素麺。それにくわえてハムエッグを焼いて米にも乗せた。新聞はちかごろその種の事件が多い拡大自殺をあつかって三人の識者に意見を聞くページがあった。テレビは方々でひとの昼飯を紹介してもらう番組。国分寺にある八百屋が出ていた。まだ若い兄弟がやっていて、YouTubeにチャンネルをつくって農家にはなしをきくような動画をながし、けっこう人気を得ているらしい。この番組は往年の、七〇年代八〇年代くらいのロックとかヒットしたような洋楽がBGMとしてよくながされて、きょうはとちゅうでこれはELOかJourneyだったかなとおもうような聞き覚えのある曲がながれたが、たぶんどちらでもない。その後母親が録画しておいたらしい村上春樹の『ノルウェイの森』をあつかう番組に移ったが、皿と風呂を洗って浴室から出てきたときにはまた昼飯の番組にもどっていた。
  • 緑茶を持って帰室。Notionを準備。茶を飲みつつウェブを見て、その後「読みかえし」。工藤顕太の連載。それからここまでさっと記述。明日あさっては労働が長いし、二月七日以降の日記をなんとか片づけたいのだが、『ガンジー自伝』も読まなければならない。
  • 「読みかえし」: 463 - 465
  • そういうわけで『ガンジー自伝』を読んだ。第六部をすすめる。南アフリカにおけるサッティヤーグラハ運動、すなわち連邦政府のアジア人(インド人)迫害にたいする非暴力的非服従運動の経緯。みずから悪法に違反する行為を取って積極的に逮捕されることで抗議するというのをひとびとに同意させたり、労働者数千人を動員して行進したりしていて(その数日のあいだにガンジーじしんは三度逮捕されている)、よくそんなことできるなというかんじ。四時半まで読みすすめ、313まで。それから瞑想。やや眠気が混ざって上体が安定せず、前後左右にぐらぐらゆれる。しかしさいきんではいぜんのように意識がかなりあいまいになって夢未満のイメージみたいなものの展開をみるということはあまりなくなり、意識じたいはわりと起きているのだけれどしかしからだが安定しない、というレベルになってきた。
  • 五時前で上階へ。トイレに行って用を足す。一時雨に似ていた降雪だが、三時くらいからまた白さがはっきりと見える降りになっていた。アイロン掛け。母親は炬燵テーブルにはいりつつタブレットでメルカリを見ており、五時になったらやろうと言ったそばからすでに五時であることに気づき、もう五時になっちゃった、あと一五分だけ、一五分になったらやろうと付け足していた。南窓のそとは雪のために景色がかすんでおり、山のうち樹々がない斜面ははっきりと白く塗られているがそれもやや遠く、稜線付近はぜんたいとして空に吸収されかかっている。そこに暮れ方の青さがだんだんと混じりはじめていた。シャツやらエプロンやらを処理。その後ハンガーにまだかかっていたタオルを取ってファンヒーターのまえに置いておいた。一枚ずつてきとうにまるめて雑然と配置し、そのうえからバスタオルをかけて蓋をするようなかたちにした。こうすればバスタオルがぜんたいとしてあたたまり、その熱がそのしたにこもってタオルにもよく行き渡るのではないかという案だが、それほど効果があるかどうか知らない。
  • 音読をしていたあいだにマスクをつけた父親が部屋にやってきて、なにか荷物を無言で置いていったのだが、見れば(……)からでスティックケーキとあった。なぜこのタイミングで、誕生日プレゼントとしてももう一か月すぎているし、とおもっていたが、夕食後に皿をあらうため台所に立ったとき、風呂から出たばかりの父親がにやにやしながら、バレンタインデーで送ってきたのと言ったので、そういうことかとおもいあたった。食後にさっそくいただきつつ、LINEで礼をつたえておいた。井桁堂というメーカーのやつで、うまい。
  • いま一二日の午前一時半だが、認識としてはいちおうまだきのうにあたるこの日にかんして、その他印象深くよみがえってくることはとくにない。ひさしぶりにギターをいじったということはひとつあった。Joe Satrianiが紹介していた例のレッスンを火曜日だったかの記事に写しておいたが、あれの要領でハミングしながらてきとうに弾くという遊びをやったりした。それはまあけっこうおもしろい。似非ブルースもそういうかんじでやってもおもしろい。ただ、一弦あたりで高めの音をつかうと、喉の能力と音域の問題で裏声を出すのがたいへんになり、出せるには出せるが息がおおく消費されてつかれるので一オクターブ下げることになるが、それをタイミングよく切り替えるのがむずかしい。指のうごきに追いつかなかったりする。Kurt Rosenwinkelはいつもあれだけ裏声やっててつかれないのかなとおもう。Richie Kotzenも、『Mother Head’s Family Reunion』の七曲目だったかの”Reach Out I’ll Be There”の長尺のギターソロでハミングとアドリブのユニゾンをやっていたが、あれはかなりかっこうよいソロだった。