2022/2/11, Fri.

 誰が、私が叫んだとしてもその声を、天使たちの諸天から聞くだろうか。かりに天使の一人が私をその胸にいきなり抱き取ったとしたら、私はその超えた存在の力を受けて息絶えることになるだろう。美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだわれわれにも堪えられる。われわれが美しきものを称讃するのは、美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。
 それゆえ私は思い留まり、声にならぬ嗚咽をふくむ呼びかけを呑みくだす。ああ、誰をわれわれはもとめることができようか。天使をもとめることも、人間をもとめることも、ならない。しかも敏い動物たちはすでに、われわれが意味づけられた世界にしっかりとは居ついていないことに、気がついている。どこぞの斜面の木立が変らず留まり、日々に出かければわれわれはそれに出会う。昨日の街路が変わらずにあり、そして年来の習慣が、われわれの傍が気に入って、伸び切った忠実さを見せて順 [したが] ってくる。そのようにして習慣は留まって過ぎ去らずにいた。
 そして、ああ、夜が来る。宇宙を孕んだ風がわれわれを顔から侵蝕するその時が。いずれこれの訪れぬ者があるだろうか。待ちかねた夜、穏やかに幻想を解 [ほど] く夜、苦しい夜が行く手に控えている。愛しあう者たちにとってはよほどしのぎやすいだろうか。彼らはそれ(end163)ぞれ分け定められたものを重ねあわせて覆いあっているにすぎない。
 お前はまだ悟らないのか。腕を開いて内なる空虚を放ちやり、お前の呼吸する宇宙に、付け加えよ。おそらく鳥たちはよりやすらかになった翼に、大気のひろがったのを感じ取るだろう。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、163~164; 「16 ドゥイノ・エレギー訳文 1」)



  • 九時ごろ覚醒。雪は終わり、あかるい晴れになっていた。ややまどろみ、九時半に意識をさだかにする。布団のしたで深呼吸をしながら脚のすじを伸ばすなど。一〇時一六分に離床。ダウンジャケットを着て背伸びをし、水場に行ってきてから瞑想。三〇分ほど。起き抜けはどうしたって楽なすわりかたを見出すのがむずかしい。左足がしびれた。
  • 上階へ。居間は無人。ジャージにきがえて洗面所で髪を梳かしたりうがいをしたり。食事にはハムエッグを焼き、米に乗せた。それと昨晩の煮物のあまり。新聞、共通テストの問題が流出した件で中継役の協力者がいたと。きのうの夕刊ですでにつたえられていたが。ふたりとも書類送検されたらしい。その他、ロシアとベラルーシが合同で軍事演習をはじめ、ウクライナも同様に演習をすると。双方とも二〇日までと言っている。ロシア軍はベラルーシ内に三万人ほどいるらしいが、ベラルーシの関係筋によれば二国で六万から八万の兵が参加するだろうとのこと。この情報は二面に載っていたもので、読売新聞は毎日長谷川櫂が二面で短歌俳句や詩を紹介しているが、きょうは後鳥羽院の歌で、それが良かった。「梅が枝はまだ春立たず雪の内ににおいばかりは風に知られて」というやつ。「においばかりは風に知られて」である。
  • 皿と風呂を洗い、白湯とともに帰室。きのう(……)からとどいたスティックケーキも一本持ってきて食った。Notionを準備して、「読みかえし」。きょうは二時くらいには出なければならず、猶予がないのでみじかめにした。それからここまでさっと記して一二時半。
  • 「読みかえし」: 466 - 467
  • 夕食時の新聞。ベラルーシアレクサンドル・ルカシェンコ大統領はロシアのショイグ国防相と会談し、共闘を宣言。二〇二〇年以来ベラルーシでは反体制派の抗議が活発化しており、ウクライナポーランドとあわせて、激しく弾圧されたかれらの主な逃亡先であり、両国の関係は冷えこんでいる。一九九四年から大統領の座にあるルカシェンコはもともとロシアに飲み込まれることを警戒して一定の距離を置いていたというが、反政府活動の高まりを受けてロシアにちかづき、そのちからを背景にして政権を維持している。今月の二七日とあったか、国民投票にかけられる憲法改正案には、ロシアの核兵器を配備することを可能にする条項もふくまれているらしい。
  • (……)さんがブログでスパイク・リーの『アメリカン・ユートピア』をとりあげていて、おお、とおもった。こちらが昨年の夏に(……)くんにさそわれて見に行った映像作品である。「従来のどんなライブステージのパフォーマンスにも似てない、徹底的に統御された集団的な動きと演奏だが、そこに卓越した肉体と技術をもつダンサーとかパフォーマーの凄さみたいな要素はない。むしろ滑稽で不格好で素人くさい、吹奏楽部が行進してるみたいな感じさえ彷彿させる」という感想の、「滑稽で不格好で素人くさい、吹奏楽部が行進してるみたいな感じさえ彷彿させる」という点は、とうじはそんなことはおもわなかったとおもうが、言われてみるとたしかにそうだったかもしれないと記憶像がおもいかえされた。触発されてじぶんのブログでとうじつの感想をざっと読み返してみたが(二〇二一年の七月一一日日曜日)、たいしたことは書かれていない。情報量、記憶量としてはまあそこそこかなとはおもうけれど、あらためて読んでみると、とうじ書いたときの感じよりもすくないというか、こんなもんだったか、という感触があった。もっとたくさん書きたい。
  • いま一二日の午前一時二五分で、七日の記事を完成させ、八日分とともにブログに投稿したところ。二時に家を出て帰ってきたのが九時ごろだったから、ドア・トゥ・ドア(といういいかたは(……)くんがまえによくしていて知った)でかんがえて七時間を労働に費やしたことになり、あきらかにはたらきすぎだが、それにもかかわらず夜半ちかくから書き物をできてよろしい。やはり瞑想だ。心身をノイズなくなめらかにととのえれば、やるべきことなど、こちらががんばってやろうとしなくともその心身が勝手にやってくれる。からだをととのえ統合することがとにかく先決だ。そのためにはどうすればよいのか? 座ってなにもしなければよいだけである。かんたんなはなしだ。ねむればひとは回復する、それとおなじ。起きたままねむるようなものである。要するにチューニングだ。この比喩は体感としてかなりしっくりくる。楽器がきちんと調律されていなければ、どんなにすごい演奏家でも、すばらしい音を鳴らすことはできない(Jeff Beckティーン時代に、音が狂っただか弦が欠けただか、ボロボロのギターでブイブイいわせていたとかきいたおぼえがあるが)。われわれの生もまたひとつの演奏である。良い音を出したければ、良い楽器を手に入れなければならない。
  • 七日の記事はだいたいのところ勤務中のことと通話中のことで占められており、それらを合わせると一万五〇〇〇字くらいだったようだが、投稿時にはぜんぶカットするので四〇〇〇字くらいに減った。なんとなくもったいないかんじがする。職場のことや通話中のはなしもたぶんいろいろおもしろいとおもうのだが、それらをブログを読んでいるひとにつたえられないのはまあなんか残念ではある。
  • この日の労働は二時台からで、起きるのが遅くなってしまって余裕もすくなく、母親が(……)に行きたいから送っていくというのにたよらせてもらった。二時に出ようと言っていたが、じっさいには二時五分をまわる出発となった。二時発だと電車にも乗れるが、そちらで行くと職場についてからすこしいそがしいかなとおもわれたので車にたよったかたち。しかし、数分すぎたのでけっきょくあまり変わらないことになった。母親に先んじて玄関をくぐり、道路を渡ってわずかに堀のようになっているみすぼらしい沢のなかを見下ろした。ところどころ薄褐色をのこした落ち葉が水路を埋め尽くすがごとくふんだんにかさなって水気を吸い、踏めばやわらかそうに、絨毯めいて積もっているが、そのすきまにかろうじてちょろちょろとした水のながれもたしかにみられる。天気はよかった。車に乗って市街のほうへ。車内BGMはRoberta Flackだった。あいかわらずである。”Will You Still Love Me Tomorrow”がきかれた。
  • 駅前ロータリーまではいらず、そのてまえで反対車線に折れ、路肩に停まってもらうと礼を言って降車。降りた目のまえに梅かなにかの裸木があったが、スズメがその枝にあつまってたむろしているのを一瞬だけ見上げながめてから職場にむかった。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 電車で帰路へ。便意がだいぶかさんでいた。またからだもエネルギーが乏しくなったようでだいぶかるく、たよりなく震えるくらいになっていた。最寄り駅から寒いなかを帰り、着くとトイレに行きたかったけれど、寒いのでさきにきがえてダウンジャケットを着たいと服を脱いだところで、たぶん服の締めつけがなくなったからだろう、急激に腹がうごめきだしたので、やばいやばいとズボンのファスナーをあけたかっこうでトイレに行き、便座について出すものを出した。もどると着替えを完了し、そのあとの記憶はとくべつない。日記をすすめたのと、『ガンジー自伝』を読みすすめたくらいだろう。