2022/2/17, Thu.

 愛する人のことを歌うのもよい。しかしすべての張本であるかの血統の河神を歌うのは、哀しいかな、また別のことなのだ。女はこれに遠くから触れて、わたしの恋人と見る。しかしその青年自身とて、おのれの欲求を支配する者について、何を知るだろうか。(end176)娘の心の静まる間もなく、孤独へ戻った男の内から、しばしば傍らに人もないかのように、むごくも、得体の知れぬものを滴らせながら神の頭 [かしら] をもたげ、夜の闇をはてしもない嵐へ搔き立てるあの者について。おお、血統というポセイドン。おお、その恐ろしき三叉の矛。おお、青年の胸の、貝殻をこじあけて起こる暗い風。夜は中空となり洞ろな叫びを立てるではないか。運命の星座よ、恋する男がその恋人の面立を慕うのも、そなたたちから由って来た、定めではないか。男が恋人の容貌の、純粋な相を懐かしく見て取るのも、星座の純粋な相から来ることではないか。

 青年の眉をあのように強く、期待の弓へ引きしぼらせたのも、哀しいかな、母親よ、あなたではないのだ。青年に寄り添う娘よ、お前に触れて彼の唇はあのように豊かな言葉の稔りへたわんだのではないのだ。お前は実際に思っているのか、お前のかろやかな出現が、春風のように渡るお前が、彼の心をそれほどに揺すったと。たしかに驚愕させはした。しかしその感動の衝撃に乗じて、もっと古い驚愕のかずかずが彼の内へなだれこんだ。彼を呼んでみるがいい。しかし暗い類縁の繫がりの中から彼をすっかりこちらへ呼び出すことはできない。声のほうへ行こう、と彼は意志する。実際に走り出る。お前の親しい胸の中へ飛びこみ、安堵の息をついて、そこに馴染んで、自分自身を取り、自分自身を(end177)始める。しかし彼があらためて自分自身を始めたという時は、いつかあっただろうか。
 母親よ、あなたは彼を小さい者につくった。彼を始めたのは、あなただ。あなたにとって彼は新しい者だった。その新しい眼の上へあなたは親しい世界を撓 [たわ] めて覆いかけ、見知らぬ世界の侵入を防いだ。あなたがそのしなやかな姿だけで彼を庇って混沌の荒波の前に立ちはだかった、あの年々は、ああ、どこへ往ったのか。多くのものをあなたはそうして彼のために隠した。夜には怪しくなる部屋を、あなたは無害にした。避難所のたくさんにあるあなたの胸の中からあなたはひと気のまさる空間を彼の夜に加えた。暗闇の中へではなく、より近いあなたの存在の中へ、あなたは夜の灯を据えた。そしてそれは新愛の光をひろげるかに見えた。どこで床が軋んでもあなたは微笑みながらその正体を明かして知らぬということはなく、いつ床板が気迷いを起こすか、まるでその時をとうに心得ているかのようだった。そして彼は耳を傾け、心が和らぐ。それほどのことを、あなたはやさしく立ち上がるだけで、できたのだ。戸棚のうしろへ、長身を外套につつんで、彼の運命は隠れ、カーテンの襞の中へ、出没自在の、彼の不穏な未来はぴたりと身を潜めた。

 そして彼自身、寝床に落着いて、安堵した小児、あなたのたやすく形づくった世界を浮かべて睡むたい瞼の下で、ひろがってくる眠りの前味の中へ甘く解けかかり、守られた者(end178)に見えた。しかし内側では――誰が自身の内を貫く素性の大流を、防ぐことが、妨げることが、できただろうか。ああ、眠る子供の内には用心というものがなかった。眠る間に、しかも夢を見る間に、しかも時には発熱に浮かされて、いかに自身の本性の、侵入を許したことか。新しい者であり物に怯えながら、いかに巻きこまれて、内側に生起するもののさらに伸ばす蔓と絡み合ってさまざまな紋様へ、幼い者を扼殺する成長へ、獣の群れのごとくつぎつぎに襲いかかる変身へ、織りこまれてしまったことか。いかにすすんで身をゆだねたことか、愛したことか。彼の内なる宿命を、その荒野を、愛した。滅ぼされて声もなく横たわる朽木の上に彼の心が淡い芽を吹いた、内なる太古の森を。そうだ、愛したのだ。やがて若木の心を去り、根をさらに深く、荒々しい根源へ、彼のささやかな誕生のごときはとうに生き尽された古層まで降ろしに行った。愛しつつ彼はより古い血筋の中へ、恐ろしきものが父祖たちの犠牲にまだ腹ふくれて休む峡谷へくだった。すると恐ろしきものはどれも彼の顔を見分けて目配せを送り、彼と意を通じているかのように見えた。そうなのだ、恐ろしきものが微笑んだのだ。母親よ、あなたですらこれほどやさしく微笑んだことはまれだった。笑みかけられて、彼が愛してはならぬという道理はあるだろうか。あなたを愛するよりも先に、彼は恐ろしきものを愛したのだ。あなたが彼を身ごもった時にはすでに、胎児を浮かべる羊水の中に、それは融けこんでいた。(end179)

 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、176~179; 「18 ドゥイノ・エレギー訳文 3」)



  • 一〇時二五分に意識が正式にさだかになった。それいぜんにも何回か覚めてはいる。天気はやや半端なかんじ。布団のなかにもぐったまま軽く深呼吸。胃のあたりも揉んでおいた。一一時に起き上がって、水場に行ってくると瞑想。さいしょに呼吸をしばらくつづけてから静止。そうするときょうは脚が痛くなることもなくからだもかなりまとまった。このままずっと座っていられそう、とすらおもうような感覚。肌がなめらかになり、からだがちいさく簡素に縮んだかのような感じだった。目をあけると一一時四二分。
  • 上階へ。母親が、自転車がもどってきたという。(……)さんに引き取ってもらった自転車を、けっきょく先日、やっぱり直してつかいたいと申し出ていたのだ。見てみてよ、あれブリジストンじゃないよね? ブリジストンだとおもってたらそうじゃなかった、もどってきて見てみたら、あれこれそうかな? ブリジストンじゃなかったんだ、って、べつの自転車のはずがないのに、などとゲラゲラ笑いながらおおきな声ではなすので、うるせえなあと苛々した。起きた瞬間からうっすらとした苛立ちが恒常的に心身に混ざっていたのだが、それは一三日以降の日記を綴れておらず、やりたいことやるべきことを満足にこなせていないことによる。それはもちろん外部的な事情だけではなく、内面的な理由、つまりおのれの怠惰だったり気力のなさだったりも原因なのだが。起床直後とか起きてまもないあたりは気分がわずかにネガティヴになっていることがけっこうある。苛立ちがあったり、むなしさや不安があったり。飯を食ったりして血がめぐり、からだが安定してくるとだいたいニュートラルにおちつく。きょうも食後、部屋にもどってきて白湯をちびちびやっているあたりから苛立ちがほぼかんじられなくなった。
  • 食事は白米に鮭など。新聞、一面にプーチンとショルツの会談について。目新しい情報はほとんどない。戦争をするつもりかと問われてプーチンがもちろんいいえだとこたえたとか、ロシア軍のいちぶが演習を終えて撤退すると発表したものの、バイデンが言うには撤退のうごきはまだ確認されていない、とか。ショルツ首相が、ウクライナNATO加盟についてはすくなくともわたしの在任期間中には正式な議題として上がることはないだろう、と発言し、ロシアに一定の配慮を見せたという情報もあった。
  • 食器を洗い、風呂も。白湯を一杯コップにそそいで帰室。コンピューターを用意。ウェブをちょっと見回ってから「読みかえし」。FISHMANS『Oh! Mountain』とともに。瞑想もそうだけれど呼吸法というか深呼吸も、筋肉をほぐしてからだをととのえ活動的にするためにはやはり大事だなという点に回帰した。両方できればよいのだけれどなかなかそれもむずかしい。勤務後の夜は深呼吸してからだを回復させたほうが良いのか? など、いろいろやりようはかんがえられるが。試行錯誤。
  • 「読みかえし」: 482 - 484
  • ストレッチをした。その後、ベッドに寝転んで松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)を読んだ。合間にしばしば、「胎児のポーズ」をとりながら息を吐く。臥位のままからだをあたためることができるので、これがいちばんやりやすくて楽だ。歴史や知識系の本はいつもだいたいそうだが、書抜き箇所がおおくなる。めちゃくちゃ興味深いというよりは、きちんと知っておきたい基礎事項としてのピックアップも多い。
  • 三時過ぎまで。きょうは夜にすこしだけ労働があって、きのうにつづき新年度にむけてマニュアルをつくったりする予定。七時半の電車で行くか、徒歩なら七時前くらいに出れば良いので、猶予はそこそこないではない。ただ明日はふつうに労働だし、あさっても会議でおそくなることをかんがえると、時間があまり豊富にあるというわけでもない。
  • 食事を取るため上階に行った。両親は不在。カレー味のカップヌードルで済ますことに。しかし野菜も食べたかったので、半端にあまっていたニンジンと大根とキュウリをスライスしてマヨネーズをかけた。二品を部屋に持ち帰って、(……)さんのブログを読みながら食した。その後ここまで加筆して四時前。
  • 一三日の記事を一段落だけ書いてから上階へ。両親帰宅済み。アイロン掛けをする。きょうやっておかないと、あしたあさってはやりづらいので。テレビははじめ、ニュース。ウクライナ情勢にかんして。キエフ在住の日本のひとが出て証言していたが、大多数の住民はふだんと変わらない生活を送っており、国外退避をした人間のほとんどは外国人で、このひとじしんも日本大使館だか当局から、四度退避勧告を受けたと。ロシアはいちぶ部隊の撤退を発表していたが、アメリカの観測ではむしろ七〇〇〇人の兵が増加されており、そのいちぶは一六日(「Xデー」とされていた)に到着したものだと。ゼレンスキー大統領は国民の団結を呼びかけ、国旗を配布する動きもみられているもよう。きのうだかの新聞にも、国旗をつけてロシアへの抗議をあらわしている複数の車の写真が載せられてあった。あと、これは昼間にみたニュースの情報だが、日本海側各地、とくに岐阜や福井や富山などで大雪になっているらしい。福井だかでは二四時間で六〇センチ積もったとか。怪我人も諸所で出ているもよう。映された映像を見ても、ところによっては、ほぼ吹雪じゃないのこれは? という降り方だった。
  • ほか、秋篠宮悠仁親王の動向。学習院ではなくて筑波大付属高校に進学すると。新聞にもあったが、クソエリートじゃないかとおもった。ほんとうかどうか知らないが、きいたはなしでは筑波付属は世界史の授業でサイードの『オリエンタリズム』を読むとか。どんな高校生やねん。悠仁親王は中学校の成績はひじょうに優秀で、試験も無事合格したと。皇族としてのプレッシャーとかたぶんあったんだろうなあと勝手に想像した。見たかんじはそんなに屈託なさそうではあるが。生き物が好きらしく、二歳三歳の幼少期から動物としぜんにふれあい、とくにトンボへの愛はおおきい、というはなしが映像とともに紹介された。
  • 一一時過ぎ、夕食をとりながら(……)さんのブログを読んだが、二月一五日の以下のひどいけなしぶりにはさすがに笑った。「AVの物語パートで日本語を勉強している」という一節も笑う。

 (……)すでに店に到着する前に聞いた話であるが、(……)くんはこの冬、中学時代のクラスメイトに告白したといった。中学生のときはなんとも思わなかったが、大人になったいまあらためて見てみるととても美人で(日本のなんとかいう女優に似ているといってその女優の写真を見せてくれたが全然知らない顔と名前だった)、かつ、彼の大好きなロリ巨乳なのだという。告白は失敗したらしい。レストランで食事をしている最中、席を立ち、頭を垂れて右手を差し出し、周囲の客にも聞こえるような大声で「ぼくと付き合ってください」的なことを言ったのだが(相手は顔が真っ赤になっていた)、「男性が怖い」という理由で断られたとのこと。次に告白するチャンスがあれば衆人環視の広場でしたいといった。そういう告白の動画はSNSでいいねがたくさん付いているみたいなことをいうので、ぼくはもし女の子にそういうタイプの告白をされたら正直ちょっと嫌かもしれないなと控えめに意見したが、ちょっと嫌なんてもんではない、フラッシュモブなんかもそうであるが、ああいうしょうもないものに感動してしまう人種となんてうまくやっていけるわけがないのだ。はっきり言わせてもらうが、ああいうのを喜んでいる連中というのは端的に近代的人間ではない。オークやインプやトロールなんかと一緒だ。(……)くんは外見もオークっぽい。

  • きょうの夕食は自室で取った。居間がうるさいため。今後、父親が家にいるときに夕食を食うばあいは、基本的に自室で取るつもり。きのうもひじょうにうるさく、こちらが飯を食っているそばで炬燵にはいってタブレットでオリンピックらしきものをみながら(たぶんカーリングだったとおもう)絶え間なくずっとひとりごとを言い続けていたし、感動や興奮でたまにおおきな声を出したりもする。その時点で母親もすでに風呂から出ており、テレビをつけていたのだが、たいして見ておらず白けたようなようすだったし(まあ、母親はもとからテレビをつけていてもみるというよりはながしているという感じだが)、ときおりささやき声で文句をもらしてもいた。そんななかだからこちらは新聞を読もうとしても集中できず意味がよくはいってこないし、ストレスで食事の味もあまりよく感じられないようなありさまだったのだ。きょうも帰ってくれば台所に立って洗い物をしながらぶつぶつ言っているし(イヤフォンで音声だけきいているのだとおもう)、部屋にさがって休んでいるあいだも、感動のあまりバチバチバチバチとおおきく拍手をしてうなっている音声がつたわってくる。瞑想をはじめたあと、母親が風呂から出てくれば来たで、内容は知れないがなにかしらのやりとりをしている声はきこえ、父親が母親の言になにか言い返すときの、威圧的とまでは行かないがちょっと偉そうなかんじとか、すこしけなすかからかうかしているようなその声色だけで、動悸がして苦しくなってくるくらいにストレスをかんじた。いまのじぶんの生活のなかでいちばんストレスをおぼえるのは父親がうるさいというその一点。次点が母親。つまり家のなかがいちばんうるさく、反対にそとや職場で苛立ちをかんじることはほぼない。公共空間に行けば心身がおのずとそれ用の対外的なモードになるだろうし、また生活をともにしない他人あいてなので、苛立たしいことがあったとしても自動的に遠慮や検閲がはたらくだろうし、また苛立ちとはべつのかたちでのストレスはあるだろうが、そうはいっても自宅にいるときのほうがよほどうるさく鬱陶しい。食事くらいはひとりでしずかに取りたい。馬鹿というのは黙ることのできない人間、しずかにすることのできない人間のことだとおもった。とくに、ひとがたかだか短時のアルバイトでたいした負荷ではないとはいえ、いちおうははたらいてきてたしょうなりとも疲労しているときに、飯を食っているそのすぐそばでしずかにすることのできない人間はあたまが狂っている。あとちなみに、「俗物」ということばの意味を簡潔に説明する記述のひとつは、「テレビドラマや映画やその他の映像を見ているときに、つぎの展開の予想を口にせずにはいられない人間」だとおもう。これはかなり適切で的確な説明だとおもっている。
  • そういうわけで瞑想をきりあげると、二万円を財布から出してワイシャツなどもちながら上階に行き、母親に金を差し出して服を洗面所に籠に入れておくと、味噌汁や煮物などあたためて盆をつかって食膳を用意し、それを持って自室に帰った。モヤシを和えたものがパックにはいっていたのだが、それは盆に乗り切らなかったのでもういちど往復。そうして(……)さんのブログを読みつつものを摂取。
  • きのう飯を食っているあいだにおもったのだが、父親がテレビ番組をみながらひっきりなしにひとりごとを言うというのは、孤独や疎外感のあらわれなのだろうか、と。ちょっとたんじゅんすぎるかんがえにもおもうが、定年をむかえて家にいれば母親はなんだかんだうるさいし、こちらも父親とはほとんどことばを交わさないので、疎外をおぼえてテレビとの対話にはしるのかなと。そうはいってもしかし、(……)やら(……)まわりやらでひととのかかわりはあるだろうし、社会から切り離されているというほどでもないので、やはりたんに趣味の問題かともおもう。酒の影響もある。父親のひとりごとというのは、テレビの音声やそこで起こっていることに対していっぽうてきな対話をしている、というような感じで、感想や評価を述べたり、共感をもらしたり、なにかの発言にいっぽうてきな返答をかえしたり、ときに怒って文句を垂れたり、疑問を言ったり、とそんな調子である。話法としてはたぶん、「うぅ~ん……」という共感や称賛や感動のうなりと、「~~だよなあ」というような、やはり共感だったりいっぽうてきな寄り添いのような語尾がおおいのではないかとおもう。だからなんというか、テレビのなかで起こっていることを共有する一員として積極的に参加しようとしている、というむきがかんじられる。とりわけオリンピックとかスポーツというのは、時期(あるいは時間)限定の、一時的な共感の共同体や、熱のこもった感情的連帯をつくりだしやすい文物である。だから父親も、そういうかたちでテレビ(というかタブレット)のまえでプレイヤーや観客の輪のなかに参加・参入した気持ちになり、一体感のようなものをおぼえているのかもしれない。もし現状にたいして孤独や疎外をかんじているとすれば、連帯作用がその埋め合わせになるわけだろうが、それはさだかでない。たんにそういう楽しみ方だというだけのような気がする。
  • 飯を食い終えると数分だけブログを読みつつ腹がおちつくのを待って、上階へ。食器洗浄。父親はひきつづき炬燵でタブレット。だいたいのところ一一時をこえるといくらかしずかになるようだが、それはおそらく、そこでみる番組が韓国ドラマにうつるからではないかと推測する。それでもときおりなんらかのつぶやきやうなりをもらしてはいる。母親は椅子について録画したなんらかのテレビをみつつも、眠気に負けてうとうとと顔を伏せている。さきほど膳を用意する時に、豆腐のはいった炒めもののあまりを皿に取って冷蔵庫にしまっておいたが、そのあとのフライパンに水をそそいで火にかけ、食器乾燥機をかたづけたり洗い物をしているあいだに沸騰させる。それで湯をあけるとキッチンペーパーで掃除。味噌汁もやはり一杯分しかなかったので椀にうつして保存しておき、鍋は洗って、それから台所のプラスチックゴミを洗面所のそれ用のゴミ箱にうつしておき、米がもうほぼなくなったのでわずかなあまりを取って冷蔵庫に入れ、釜を洗ってからザルに米を取ってきて磨いだ。きょうはべつに右手がジンジン痛むほど水が冷たいわけではなかった。六時半に炊けるようにセットしておいてから入浴へ。
  • アイロン掛けのあとは部屋にもどって、一三日の記事を書いた。蓮實重彦の批評のやりかたについて述べたぶぶんのとちゅうまで。六時半にいたってしまったので、一文を閉じてすらおらず半端だが切りとして、上階へ。母親が買ってきたイチゴ味のチョコがすこしコーティングされたパンというか、甘味とパンの中間みたいなパンをはんぶんわけてくれるというのでそれを出勤前のエネルギーとして補給。身支度へ。スーツにきがえてからすこし瞑想した。一〇分少々。それだけでも座ればたしょうのまとまりは得られる。
  • 七時一五分ごろ出発。母親がちょっとだけ歩くと言ってついてきた。道はすでに暗く夜に踏み入り、またからだが震えるくらいの寒さを空気に付与している。空は藍色に透き通って晴れており、星の散らばりもよく映っているが、とりわけ東寄りの南空にほとんど満月にいたった月がぽっかりと白くあきらかで、それを見つけた母親は、神秘的だよね、神秘的って言ったら、神秘的ってどういうこと? ってきかれちゃった、不思議なことだよって言ったら、不思議ってどういうことって? だからこんど調べてくるねって、とはなしていたが、たぶん職場の子どもとのやりとりを言ったのだろう。(……)さんの宅のまえあたりで母親は帰宅。最寄り駅へ。
  • 余裕をもってきたので駅についてもまだ数分あり、だれもいないベンチに腰掛けて寒風にさらされながらしばらく待った。電車が来るとホームのさきのほうに出ていって乗車。移動して職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • 帰路は特にない。寒かったのと、便意が迫っていたので帰り着いて手を消毒するとすぐにトイレに入った。そのあとは上記したながれで、風呂に入ったのが零時すぎ、出たのが零時四五分くらいか。そのとき父親はまだ居間におり、ソファについて歯磨きをしながらテレビを見ていた。帰室するとこの日のことを記述し、二時前くらいから書抜き。ほんとうはあきらかに日記作成を優先するべきなのだけれど、なぜか書抜きをしたい気になったので。吉野弘志というベース奏者の『On Bass』というアルバムをながした。diskunionのジャズ新着ページにこのひとの新譜が載っていて、「アコースティックベースを自らの民族楽器としてとらえ、無伴奏・生一本(一切ダビング無し)で奏でる入魂のソロ」などと紹介されていたので、ソロベースですわと興味を持ったのだった。この新譜はAmazon Musicになかったので、かわりに『On Bass』をながした。このアルバムも全篇ソロで、拍手がはいっているのでライブらしく、しかし拍手のないトラックもたまにあった。
  • 二時半くらいで切り。その後だらだらし、寝るまえにすこしだけ松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)を読み足し、三時五〇分くらいに消灯。「胎児のポーズ」をちょっとやってから就床した。