2022/2/21, Mon.

 いずれ何処にも、友よ、世界は存在しなくなるだろう、内側においてのほかは。われわれの生は変転しながら過ぎて行く。つれて外側はいよいよ細くなり消えて行く。かつては一軒の持続する家屋のあったところに、今では人に考え出された造形ばかりが露呈して、間違いのように、考案の領域にもろに属して、あたかもなお頭脳の内に留まっているかに見える。時代の精神はおのれがあらゆるものから獲得した切迫の衝動と、おのれもひとしく形姿を欠いて、動力を溜めこむための広大な倉庫は造営するが、神殿をもはや知らない。神殿という、この心の贅をわれわれはいよいよ内密なものへ切り詰めつつある。そればかりか、ひとつの記念碑が、かつて人の祈った、人の仕えた、人の跪いた建造物が生き残ったとしても、それもすでに、その現にあるがままに、目には見えぬものの中へ傾きつつある。多くの人間たちにはそれがもう見えない。また、見えぬ甲斐もない。見えぬかわりに、これをいまや内側に建て、石柱や石像ともども、さらに高く立たせるということも(end206)ないのだ。

 世界のなしくずしの反転はかならずこのような、資産を奪われた者たちを吐き出す。彼らにとっては、昔日はおろか、間近にあるものも所有とはならない。間近のものすら人間たちにとって遠くなるのだ。われわれはしかし、それに昏迷させられてはならない。われわれのまだ知る形姿というものを、さらにしっかりと内に保持しよう。これこそかつて人間たちのあいだに立ったものだ。運命の、滅ぼしにかかるその只中に立った。行方も知れぬ危機の中に変わらず立ち、揺ぎもない天から星々を捥ぎ取った。天使よ、これをわたしはあなたに示そう。さあ、これだ。あなたの見つめる眼の内にこれがついに救い取られて、いまやすっくと立つように。エジプトの石柱が、塔門 [パイロン] が、スフィンクスが、そして滅び行く都市から、あるいはすでに人に知られぬその廃墟から、天を衝く円蓋 [ドーム] の、一心の迫りあがりも。

 これは奇蹟ではなかったか。驚歎せよ、天使よ。おお、丈高き者よ、われわれにこれほどの事が出来たことを、語りひろめよ。わたしの息ではこれを賞賛するに足りない。それでもわれわれの証しであり、われわれのものである空間を、なおざりに失わせては来なか(end207)った。幾千年の歳月もの間われわれの感情によってこれを満たしきれずにいるとは、何と巨大な空間であることか。しかし一個の塔も大きかった。そうではないか、おお、天使よ、あなたに並べて見ても、丈高くはなかったか。シャルトルの聖堂も大きかった。まして音楽はさらに遠くまで及んで、われわれを超越した。しかしまた一個の愛する女性ですら、ひとり窓辺に寄って、あなたの膝の高さにも届かなかっただろうか。
 わたしが求めているとは、思ってくれるな。
 天使よ、かりにわたしが求めていてもだ。あなたは来はしない。というのも、わたしの呼びかけはつねに、「退 [さが] れ」の狂おしさに満ちている。そのような烈しい流れに逆らってあなたは近づけるものではない。いっぱいに差し伸べた腕に、わたしの叫びは似ている。しかも、摑みかからんばかりにひろげた手は、あなたの前に迫っても、ひらいたままなのだ。防禦と警告の手のように、いよいよ捉えがたく、さらに高く突きあげられ。

 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、206~208; 「22 ドゥイノ・エレギー訳文 7」)



  • 一〇時から通話があるので八時に鳴るようアラームをしかけており、その直前にさめて、ふるえはじめた携帯を即座に受けたのだったが、油断してまどろんでしまい、気づくと九時二七分だった。あやうく寝坊するところだった。時間がなくなってしまったので瞑想はとうぜんはぶき、布団をめくって「胎児のポーズ」だけすこしやっておいて上階へ。好天。ひかりが厚く、近所の瓦屋根がいくつも白さにコーティングされてめざましく濡れている。食事はきのうのジャガイモとベーコンのソテーののこりやおなじく白菜のスープののこり。新聞をすこしだけ読みつつ、醤油をかけたソテーをおかずに白米を食った。新聞はウクライナ関連の記事をちょっと追ったとおもうのだが内容をおぼえていない。二面に、銃撃だか砲撃を受けた建物の写真があった気がするが。かわりにきのうだかおとといの新聞で読んだ情報をおもいだしたが、ウクライナ東部の親露派は支配地域の住民を隣接するロシア南部に避難させると表明し、ロシアのほうも、同地で起こっているという爆発事件などの調査をするためになんとかいう機関の人員を派遣するのだという。国家主権をそなえた他国の領域内で起こった事件についてなぜロシアの司法的な(だったとおもうのだが)機関がおおっぴらに調査をするのか、正当な道理がないとおもうのだが、そんなことを言ってもつうじる国ではない。緊急対応大臣みたいな高官を南部に派遣して、避難住民には財政支援をするよう指示したともいう。
  • 食事を終えるともう九時五五分だったので風呂掃除はあとまわしにして、皿だけ洗って白湯とともに下階へ。コンピューターを隣室に移動させ、ZOOMにログイン。窓からはいってくるひかりがずいぶんとあかるい午前だった。しかしあまりあかるいとパソコンのモニターが見えづらいのでレースのカーテンは閉める。通話中のはなしはあとにまわす。
  • 終えたのは午後一時。自室にもどってしばらく寝転がりながら書見。松戸清裕ソ連史』(ちくま新書、二〇一一年)を読みすすめる。まあ歴史系の新書なので、書抜きしてあたまにいれておきたい知識や情報やことがらをみつけるような読みかたになる。歴史にかぎらず、また新書にかぎらず、ノンフィクション方面はどれもそうといえばそうだが。ソ連史などすこしも勉強したことがないし、フルシチョフ政権期のことなどもとうぜんまったく知らないので(スターリン批判をしたというその一事しか知らなかった)、かれがどういう政策をおこなったかとか、とうじの社会がどうだったのかとか、そのあたりを読むのはなかなか興味深い。あと、ゴルバチョフの回想録からたびたびすこし引用されていて、それもわりと興味深い。ちょっと読んでみたい。参考文献ページによれば新潮社から九六年に出ているもよう。ほか、ニコライ・オストロフスキー『鋼鉄はいかに鍛えられたか』という本もすこし読んでみたい。岩波文庫にはいっているのをなんとなくおぼえていたのだが(たしかもうかなり古い見た目の本で、新版は出ていないような気がするのだが、文献表には一九五五年とある)、これは著者の「自伝的小説」だといい、「革命から一九二〇年代後半にかけての時期の、熱情と自己犠牲の精神に満ちソヴェト権力のために人生を捧げた若者たちの姿が描かれている」らしく、括弧中の補足として、「(半身不随で視力も失うなかで書き続けた著者自身の執筆への熱意にも圧倒される)」と筆者は感慨をもらしている(37)。
  • 二時をこえると上階に行ってベランダの洗濯物をいれた。このころには雲が湧いてひかりはすこしよわまり、あまりあたたかさの顕著でない空気になっていた。洗濯物もやや冷えている。それなのでいったんとりこんだだけで置いておき、食事を用意。昼に食ったらしい蕎麦があまっていたので鍋のつゆに入れて煮込む。冷凍してあったものだろう天麩羅もあまっていたのであたため、それぞれ盆に乗せ、前夜の素麺サラダといっしょに自室にもちかえった。(……)さんのブログを読みながら食す。二〇日と一九日分。食べ終えるとちょっと息をつくためにブログ記事の終わりまで切り良く読み、それから階をあがって食器をかたづけた。タオルもたたみ、マットのたぐいを上下両階のトイレや洗面所など各方面に配置しておく。それから風呂洗い。つくっておいた緑茶をもって帰室すると、茶を飲みつつきのうの日記をつづった。四時ごろしあがり、投稿。手の爪が伸びていてうっとうしかった。爪というのはじつにわずらわしい。1.5ミリくらいになっただけでなんか指先が重くなってくるというか、ジリジリするようでちょっと気持ちがわるいというか。かゆいところをかくときや、意図せずして肌にあたるときに感触がかたいのもうっとうしいし。キーボードを打ちにくくなるのもめんどうだ。そういうわけで切ることに。ベッド上にティッシュをいちまい敷いて切ったりやすったりしているあいだ、The Carpenters『Ticket To Ride』をかけた。ファースト。The Carpentersはあきらかにポップミュージックの最高峰なのでキャリアぜんぶしっかりきいてみてもいいなとおもっている。このファーストのさいしょからして讃美歌的な分厚いコーラスとそのうごかしかたで音楽的教養がうかがわれる気がしてレベルがちがうし、ベスト盤にはいっていないような曲でもふつうにすごいものがいくらもある。古き良きアメリカをさいだいげんに体現する選良というかんじ。やりくちとしてめだつのはやはりコーラスワークと、ときに過剰ともおもえるようなストリングスの活用だが、後者の感触を中心に曲のアレンジはこのとうじの、いまからすれば古典的なと言うべきなのだろうかそういうたぐいの映画音楽の豊穣な財産をおおいにまなんでいるような印象(そしてそれはたぶん、ブロードウェイとかミュージカルなどの劇伴から直通しているものなのだとおもう。ジャズスタンダードとしてとりあげられているような曲の作曲家もだいたいそのまわりだし、五〇年代六〇年代になるとそれらが映画方面にも進出していく印象で、”The Shadow of Your Smile”なんかがそうだったはずだし、”My Favorite Things”も映画でうたわれているのが有名らしい)。いまはもうあまりこういう感触の音楽は流行りにくいような気もするが、それでもポップスをやろうという人間がまなべることは無数に秘められているのではないか。Amazon Musicの音源は七曲目に”(They Long To Be) Close To You”がはいっていて、Wikipediaを参照したらこれはオリジナル版にはなさそうだからなぜはいっているのか不明なのだが(つぎのセカンドアルバムが『Close To You』だし)、英語めっちゃききとりやすいなとおもった。歌詞の内容じたいはクソというかまあただのしずかなドキドキロマンチックなのだけれど、なんか英語の一語一語のアーティキュレーションの立ち方とかリズム感と、メロディのながれや展開がばっちり調和していてやたら気持ちがよかった。いちどしずかにしまえて間奏のトランペットにはいると同時に転調するのもあざといといえばあざといけれどやっぱりちょっとはっとするし、終盤のコーラスもすこしびっくりする。そこのコーラスの三回目だけリズムをずらしてシンコペーションのはじまりにしているが、それまで「ウワァ~~」というW音の発音を取っていたのが、ここだけH音に変えているのも芸がこまかく、とにかくかんがえ抜かれていない、おざなりにされている細部が一箇所もないようにきこえるというのがCarpentersの楽曲からうける印象で、すべてに必然性があって緊密に組み立てられているというそのありかたは、ロラン・バルトのことばを援用すれば、古典的な「読みうるテクスト」の最たるもののような音楽、ということになるだろう。カレン・カーペンターの声がきれいだすきとおっている絹のようだとかいうのはたぶんほぼかならずいわれる定着しきった世評だが、あらためてきいてみればたしかにやたらきれいで、夾雑物がまったく混じっていない雲でできた帯みたいなかんじのなめらかさで、歌は素朴といえば素朴だがてらいのないまっすぐさが優美までいたっているし、しかも意外と線は細くなくてふくよかなひびきもともなっている。あとドラムうまいなと。もろもろすごいのだが、ただ音楽形態としてはもうかんぜんにCarpentersじゃんと、このファーストからもうCarpentersになっていて完成しちゃってるじゃん、という感も受け、その後キャリアの終わりまでこのグループの音楽はなにかしら実質的な変化をこうむることはなかったのでは? という印象も浮かぶ。
  • 「読みかえし」: 492 - 497
  • 爪を切ったあとは瞑想をしながらThe Carpentersをきいていた。ここ二日くらい起床時の瞑想をできておらずよろしくない。やはりいちにちのなかでじっと停まる時間をつくらないと、どうも心身が気持ち悪い。肌がわさわさするというか、ざらざらするというか。風呂にはいっていないのとすこし似たかんじのすっきりしなさがある。それで五時まえまで二五分くらいすわり、上階へ。
  • 食事をつくる。どこかにでかけていた父親は帰宅しており、こちらが台所にいるあいだになかにはいってきた。食事の支度はまず米をあたらしく炊く。朝に食ったときにもうなくなっていたのだ。釜を洗い、ザルに米を四合弱とってきて洗米。六時半に炊けるようセットしておき、それから、牛肉があったのでタマネギやネギと調理することに。牛肉は消費期限が二月一二日とあったので、ということは冷凍されていたやつだからもうぜんぶつかってしまうことにした。タマネギを切りはじめたあたりで父親がはいってきて、ジャンパーを着ているがさむいさむいとささやいてうろつきつつコーヒーをこしらえて飲んでいた。タマネギとネギを切ったあと、フライパンに油を熱し、チューブの生姜をちょっと落としたがするととたんにパチパチと弾けだしたので、ちょっとあわてて牛肉のパックをとりあげると、すこし分けながら入れようとおもっていたところが解凍しきっていなかったぜんたいをかたまりとして一気に落としてしまい、ニンニクを追加しつつフライパンを振って木べらでほぐしていった。タマネギとネギもすぐに加えてしまって、焼肉のタレがあればよかったがみあたらなかったので、醤油や酒やみりんや砂糖で味つけ。しあげると白菜の味噌汁へ。小鍋に水を汲んで火にかけ、白菜を四、五枚剝ぎ取って切り、投入。出汁などくわえて煮えるのを待ち、味噌を溶かすだけ。待っているあいだは調理台に両手をかけて支えにしながら前後に開脚して脚のすじを伸ばしたり、上体を左右にひねったりしていた。父親は居間のテーブルに座ってずっとスマートフォンをみていたようだ。もう暗くなってきていたので調理を終えて流しも始末すると明かりをつけてカーテンを閉め、さきほどたたまなかった肌着などをかたづけた。じぶんのものは仏間の簞笥にいれておき、父親がコーヒーにつかったカップをそのままにしてしたに行ったのでそれも追加で洗っておき、白湯を持って帰室。
  • 作(22:21): 「因縁をはじきだされた奈落にて余計者らの宴よ燃えよ」
  • 夜はいつもどおりたいした記憶もないのだが、ひとつには書抜きをまたおこなった。松戸清裕ソ連史』。それはもう夜半すぎだったはず。なにかのきっかけでRolling Stone誌がえらんだオールタイムベストアルバム五〇〇の文字を見て(あれだ、The CarpentersWikipediaをみているときに遭遇したのだ)、一覧ページにアクセスし、いぜんもメモしてはあったのだが二〇一二年版と二〇二〇年版をあらためてメモしておき、後者の五〇〇位だったArcade Fire『Funeral』をBGMにながした。こういうかんじね、というのはむかしたしょう耳にして知ってはいた。つまらなくはないが、こちらにとってとりたてておもしろさをかんじる音楽でもない。そのあと、上田正樹の”Bad Junky Blues”のことをおもいだしてYouTubeで音源をさぐった。上田正樹有山じゅんじが『ぼちぼちいこか』というアルバムを七五年だったかわすれたがそのくらいに出しており、それに六トラックプラスされた版もあって、そこに”Bad Junky Blues”のライブ音源がはいっていてけっこうほしいのだが、Amazon MusicにもSpotifyにもないし、データで売る配信サイトはあるようだが登録などするのがめんどうくさい。”Bad Junky Blues”の音源はYouTubeにも七四年の、South To Southのライブがあってそこにふくまれているからまあいいかとし、『ぼちぼちいこか』も通常盤はYouTubeにあがっているから消されるまではそれでよい。それで『ぼちぼちいこか』をちょっとながしたが、マジでこういうブルースできればもうええわというかんじで、関西弁で大阪色がつよかったり歌がねちっこかったり情緒が豊富だったりするのはじぶんに適合しきるわけではないとしても(まあそもそもブルースってそういう音楽だが)、音楽としてはこういうのをアコギいっぽんと歌だけでぜひともやりたいなあとおもう。
  • あと、深夜に進行中の詩をちょっと改稿した。進行中というか、だいぶまえにある程度書いたところで放置していただけのものだが。つぎにつなげる内容がおもいつかなくて止まっていたのだ。こんかいもそのつづきにはいりはせず、そこまでの細部をちょこちょこ変えただけ。文言じたいはほぼ変わっていないが、リズムはまえよりも工夫をいれられたのではとおもう。改行もそうだけれど、一字あけるかそれとも読点(「、」)をつかうかでけっこうニュアンスにやりようがあるなとおもった。
  • あとは通話中のこと。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)